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2017/01/25

「古代一木彫像の謎」仏像の樹種から考える―成城学園創立100周年記念シンポジウム報告書 金子啓明他<2>

<1>からつづく

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「古代一木彫像の謎」仏像の樹種から考える―成城学園創立100周年記念シンポジウム報告書<2>
金子 啓明(著), 岩佐 光晴(著), 藤井 智之(著), 能城 修一(著), 安部 久(著) 2015/12 東京美術 単行本: 159ページ

1)[カヤ]
 材は均質かつ緻密で、香気・光沢がある。辺材淡褐色、心材は帯褐黄色で、偏心材の区別はやや不明瞭。早晩材の移行は穏やかで、年輪はあまり目立ない。耐朽性、耐水性に優れる。均質でやや高密度による適度な弾力性。木目が目立たない均質性などにより、碁盤・将棋盤に賞用される。気乾比重は0.55(0.47~0.75)。
 

 暖帯性で天然分布は本州東北南部以南。散在性の常緑の大高木で、神社や庭園などで見かけることが多い。 p81「一木彫像の用材樹種の特性」

2)カヤは、東北南部から九州までの広い地域に生育していますが、温暖帯の森林中にぽつぽつと単木的に生育しているのが普通です。

 古代の木彫像が集中的に制作された奈良の周辺では、ヒノキもカヤもごく普通に生えており、古代でも木彫像を制作するための用材を得ることは、それほど困難ではなかったと考えられます。p100「森林を構成するヒノキ、単木的に生育するカヤ」

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3)昔は木彫像を造る場合は乾燥させた材を用いるのが常識と言われていたのですが、しかし、実際に木を彫る作家の方は、硬くなった材はもう彫れないと、とても刃が立たないと言います。むしろ生木のほうがいいのだという意見もあります。

 本当に乾燥して硬くなった材を用いて彫刻することが可能なのかどうか、あるいは生木のほうがよいとすれば、湿り気がある材の方が彫りやすいとすれば、硬く乾燥した材をもう一度湿らせて、それで彫刻をするようなことがあり得るのか、(後略) p144金子啓明「日本の8~9世紀の一木彫像になぜカヤが使われたのか?」

4)造形面の彫り方の問題から見ますと、カヤやビャクダンは木目が非常に緻密ですので、とても細かなところまで彫刻できるし、することに表現上の意味がある、ということが上げられるのではないかと思います。

 ヒノキの場合はそういうごく細かなところまで表現することをそもそも求めているのか、という問題が特に定朝などの場合にはあるかもしれない。定朝などの像の作風は、非常にセンスもよくて細部もきれいですが、全体的にはやわらかな質感というのを大切にする。

 そういうようなことで、最後まで彫り込んでいくということをそもそも求めたのか、ということがあると思いますし、壇像やそれを意識したカヤの像の場合にはそういう細かな細工を追及するとともに、白木をそのまま留めるという像が多く残っています。

 しかし、白木を留めるという考え方が、定朝の特に阿弥陀如来像の場合にはないわけです。表面は金箔を押していますので、そういう場合の仕上げの問題と表現の問題と、それから技術的な大量生産の問題は、やはり総合してみていく必要がありますし、技術論とともに造形の問題がとても重要ではないかという思いがあらためていたします。

 そういうことで、クスノキから針葉樹、ヒノキに変っていくという大きな流れ、木彫像の樹種の大きな展開があるということを、もう一度認識させていただければと思います。p149 金子 同上

<3>につづく

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