« OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <13> | トップページ | 「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則 ケヴィン・ケリー<18> »

2017/01/03

「講座スピリチュアル学」 第7巻 スピリチュアリティと宗教 (地球人選書 講座スピリチュアル学) 鎌田 東二 (編集) <12>

<11>からつづく

81xmgo7i8ll
「講座スピリチュアル学」 第7巻 スピリチュアリティと宗教 (地球人選書 講座スピリチュアル学) <12>
鎌田 東二 (編集) 2016/08 ビイングネットプレス 単行本: 277ページ 「地球人選書 講座スピリチュアル学」リスト  
★★★★☆

1)お正月そうそう、またこの本を手に取り、ひととおりパラパラではあるが、目を通すことができたことを感謝したい。「意識と瞑想を巡る読書ブログ」を標榜するわが「地球人スピリット・ジャーナル」としては、この「地球人選書 講座スピリチュアル学」の存在は、無関心では通り過ぎることができないシリーズである。

2)反面、「選書」であり「講座」であり「学」である限り、当ブログとははるかに遠く、時には正反対に位置する場合さえあり、かならずしも賛成同調しかねる文脈も数多くあった。

3)当ブログは個人ブログであり、気ままな一旅人のつぶやきに過ぎない。そして、マスターOSHOのサニヤシンであるという自意識が消滅していない限り、そして、瞑想センターからインフォーメンションセンターへという変遷もあったとして、さらに、OSHOカウンセラーの一人として、自らの立ち位置が奈辺にあるのかを常に手探りながら歩き続けてきた。

4)そのような立場から一読者として考えれば、この巻ばかりではなく、シリーズ全体との距離が必ずしも近くなく、むしろ同じ地平に立ってみれば、これほどの距離感があるのか、とさえ思う場面にもしばしば出会った。

5)この巻では町田宗鳳(敬称略、以下同)の一文にはなるほどとうなづかされることが沢山あった。当ブログとしては過去に「〈狂い〉と信仰」狂わなければ救われない」(1999/07  PHP研究所)や、「『生きる力』としての仏教」(上田紀行と共著 2006/06  PHP研究所)などに目を通した程度であるが、もともとは多数の著書を持っている方である。

6)その彼にして、次の語りにはちょっとぎょっとした。

7)筆者は、京都大徳寺における臨済禅の修行歴二十年を経て、沈黙を主体とした瞑想法、いわゆる黙照禅や公案禅による精神集中の困難さを痛感することとなった。 

 また日本人とだけではなく、欧米人とも禅を組む機会をもつことも再々あったが、形式的な様相をいくら整えたところで、自我意識の壁を破ることは容易ではなく、本質的な意識変容体験を得ることの難しさを強く感じた。

 そこで実践者の宗教的かつ民族的背景を超えて、誰もが容易に禅定に入り、意識変容体験をもつことが可能な瞑想法がないものかと積年にわたって模索を続けることになった。

 その結果、おおよそ五十年という歳月を必要としたが、極めて簡単明瞭かつ画期的な瞑想法「ありがとう禅」に到達することになった。p62 町田宗鳳「修行--その光と影」

8)長い伝統のなかにいて、全うな道を歩まれつつ、率直な述懐として、グローバルな現代世界の瞑想法としては、いわゆるこれまでの禅では十分ではない、という告白に聞こえてくる。なにか痛切で切実なものを感じる。

9)樫尾直樹の「均等を解くスピリチュアリティ--感じる心とからだを回復する」p218においては、いわゆる欧米に流布しつつあるマインドフルネスについての論述がある。そして、やはりこの書において、一番身近に感じたのは伊藤雅之「ポスト世俗化ー時代のスピリチュアリティ--マインドフルネス・ムーブメントを手がかりとして」p176である。

10)その内容はともかく、彼をもっとも身近に感じるのは彼には「現代社会とスピリチュアリティ」 現代人の宗教意識の社会学的探究( 2003/03 渓水社)の著書があるからである。その一部には長年にわたってフィールドワークした日本のOSHOサニヤシンの実態が含まれている。今となっては貴重な資料である。

11)彼もまた若い時分には京都のOSHOセンターに参加していたサニヤシンであり、研究課程においては、東北の我が家に数日停泊して、当地のサニヤシン達と面談取材したのであった。私も一部その研究をお手伝いした。

12)だがその後、巻末の鎌田東二の文にも登場する島薗進を頂点とする日本のスピリチュアリティ研究のアカデミズムの中にあって、その色彩を消していった。その経緯については異論さまざまあろう。なにはともあれ、風あたりの強い場所にあっても、私は、OSHOのサニヤシンであることを深く自負するものである。

13)ジョン・カバットジンのマインドフルネスについての論述は多数書籍もあるが、最近注目度が高まっているので、わが読書ブログにまでなかなか順番が回ってこない。されど、私は特段に彼の著書に触れることを急いではいない。

14)世にマインドフルネスの疾風は吹き荒れているが、やれグーグルやアップルのエリートがどうしたとか、スポーツマンのマインド強化だとか、ビジネスマンの成功哲学のように取り上げられているのは、提唱者自身はどう思っているか知らないが、まったくの間違いである。もちろん健康法でも、精神療法でもない(そのような副次的効果があったとしても)。

15)マインドフルネスという単語はわがOSHOとともにあってはなかなか使い慣れたものではない。むしろ意味不明でさえある。しかしながら、使い慣れた瞑想という言葉も、言葉に頼る限り十全ではない。むしろそこから一度離れてみることさえ必要である。

16)正月にあたって、当ブログとしてはOSHO「現代社会のマインドフルネス」(2014/04 Griffin)を一度通読し、ゆっくり一年をかけて拙訳をアップしてみたいものだ、と思い立ったところである。

17)その中で、いわゆる世界のマインドフルネス・ムーブメントとやらとの同調をはかりつつ、なおその本来の意味を、OSHOの言葉を通じて、再編したいものだと思う。

つづく

|

« OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <13> | トップページ | 「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則 ケヴィン・ケリー<18> »

08)Mindfulness in the Modern World」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「講座スピリチュアル学」 第7巻 スピリチュアリティと宗教 (地球人選書 講座スピリチュアル学) 鎌田 東二 (編集) <12>:

« OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <13> | トップページ | 「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則 ケヴィン・ケリー<18> »