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2017/01/07

OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <14>

<13>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <14>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中 

 その集中から戻ってきた時、彼は辺りを見回し、友人を見、空っぽの食器を見た。彼は友人に言った。「いやぁ、ごめん。キミは来るのが遅かった、私は朝食を全部食べてしまったよ」。もちろん食器は空っぽだった、誰かが食べてしまったのだから、では誰が食べてしまったのか? 彼が食べたに違いない。

 気の毒な友人は、何にもすることができなかった。彼はエジソンをちょっと驚かしてやろうとしていただけだった。しかしこの男はもっとこの友人を驚かした。「キミはちょっと遅れてきたね・・・・」

 しかし妻は全部のなりゆきを見ていた。彼女は来て言った、「彼は遅れてきたわけじゃないのよ、あなたが遅れてきたのよ! 彼があなたの朝食を食べてしまったのよ。私は見ていたわ、だんだん冷めてしまったし、どうせ誰かが食べてしまったでしょ。あなたは科学者よ。私にはあなたは自分の科学を活用することができないなんて、信じられない」 妻は言った。「あなたは誰があなたの朝食を食べてしまったのかまったく気づいていない、そして彼に謝っているなんて!」

 集中はいつもあなたの意識を狭めてしまう。狭めてしまえば、それはもっと強力にはなる。それは剣がどんな自然の秘密でも切り取ってしまうようなものだ。あなたは他のことに無頓着になってしまう。しかし、それは瞑想ではない。たくさんの人々が間違って理解している。西洋ばかりではなく、東洋の人々だって、同じだ。彼らは集中が瞑想だと考えている。それはとてつもない地からをあなたに与えてくれる、しかしそれらはマインドの力にすぎないのだ。

 例えばインドのあるバラナーシの王が、1920年、今世紀のことだ、手術することで話題になった。彼はどんな麻酔薬も使ってほしくなかった。彼は言った、「私はどんなものでも私を無意識にするものは受け付けないと誓ったのだ。だから私はどんな麻酔薬も使ってほしくない。しかしキミは恐れることはない。」 それは出来物を切除する手術だった。

 さぁ、誰であろうと、麻酔薬を使わずに出来物切除手術するなんてきわめて危険だ。この男を殺してしまうだろう。彼は痛みに耐えることなどできない、痛みはとてつもないものになるだろうからだ。彼の胃袋を切り裂き、出来物を切除しなければならない。それは一時間、二時間かかる。出来物はどんな状態になってしまうかさえよくわかっていない。

 しかし、彼は普通の男じゃなかった、彼はバナラシーの王様なのだ。でなければ力づくで手術することもできただろう。彼は医者に言った「心配するな」。そこには英国からやってきたインドの中でも一番有能な医者たちがいた。

 彼らは相談し合った。だが誰もその手術をする準備がてきている医者はいなかった。そうしているうちに、出来物はこの男を殺してしまうだろう。状況はとても深刻だった。さらに深刻なことさえ起りつつあった。手術をしないで彼を放置すれば死んでしまう、彼に麻酔を変えずい手術をするなんて、やったことがない、前例がないのだ。

 だが王は言った。「キミは私を分かっていないようだな。前例がないのは、キミが今から手術しようとしているような男を手術したことがないからだ。私に聖なるシリマド・バガバット・ギータをよこしなさい。私はそれを読む。それから5分後にキミの仕事を始めなさい。一度ギータに夢中になれば、キミは私の体のどこを切っても構わない。私はそれにまったく気づかない、痛みなんてあるわけない」。

 そう主張しつつ、彼は死につつあった。ためらっている場合ではない。確かに彼は正しいのだろう、彼は宗教的実践家として知られていた。そして手術は実行された。彼はギータを5分間読み、目を閉じた。ギータは彼の手から落ちた。手術が始まった。それは一時間半かかった。それはとても深刻なものだった、あと数時間すれば出来物は爆発してしまって、彼の命を奪ったことだろう。

 医師は出来物を摘出し、王は完璧に意識的だった。まばたきもせず沈黙を保った。彼はどこか別なところにいた。

 これは彼の人生の中での訓練だった。たった5分間ギータを読む、本なしでも暗唱ができた。いちどギータの中に入っていけば、彼は本当にギータの中にいた。彼のマインドはその中に入っていった。体はそこに完全に置き去りにして。

 この手術は世界中でニュースになった。実にまれな手術だった。しかし同じ間違いが起きてしまった。すべての新聞が、このバナラーシの王様は、偉大なる瞑想の人として取り上げてしまった。

 彼は偉大なる集中の人ではある。だが瞑想の、ではない。

 彼自身、おなじ混乱の中にいた。彼は自分が瞑想の地平にたどり着いているものと勘違いしていた。それは違う。それは単にマインドが集中しているために、他のものがその集中から外れて、無感覚になっただけだ。それは覚醒の地平ではない。それは狭められた意識の地平だ。とてつもなく狭められ、一点に集中し、他の存在物は全部、どこかに行ってしまった。

 さぁ、私はあなたの「瞑想とはなんですか?」という問いに答える前に、あなたはそうではないものを理解する必要がある。まず、それは集中ではない。そして、それは熟考でもない。 21/198

<15>につづく

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