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2017/02/17

「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版<4>

<3>からつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版

<4>芸術      目次

1)芸術は英語でアートと翻訳される。だが英語でのアートは、かならずしも芸術とは意味しない。大工さんの技もアートであるし、何が何だか意味不明という前衛芸術もアートされる。本来、アートとは人間の営みすべてにおいて、そう表現できるのではないか。

2)日常生活に使われるカゴやザルや土器、装飾品など、別段に気をてらったものではなくても、そして時代が経て、無用になったものは、むしろ民芸として珍重される場合さえある。目的はなんであれ、土で作られた人形が大地から掘り出され、国宝として厳重に保護される場合さえある。

3)労働の疲れをいやすために唄われたつぶやきに似た歌謡が、やがて無形の芸術として高く評価されたりする。自らの存在証明のために必要にせまられた絵画的表現は、単なるメッセージであったかもしれないし、意味すらない排泄に近い行為の結果だったかもしれない。

4)それがどのような空間で、どのように記されたものであれ、それは芸術となりうる。あるいは、もっと広く、アートを「技」と言いかえることができるなら、この世の出来事はすべてがアートでありうる。

5)森にかかった蜘蛛の巣に雨のしずくがかかって虹色に光っていたりすれば、そこに誰彼の意図を超えた大きな天の技を感じることができる。流れる雲、山間をくだる谷川のせせらぎは、誰に聞かれようともしていないが、官能するものには、とろけるような快感を生み出す。

6)人間が生み出す物をすべて技であると規定した場合、外的に有用なものは技術であると表現され、利用価値があまりないがどこか内面に響くものは芸術と称される。役にもたたず、心も打たないものはガラクタとして捨てられる。

7)現代の技の最先端、科学技術のシンボルは大きくわけて二つに表現できる。ひとつはコンピュータである。類人猿が最初に道具として使った技が、他の動物の死骸からとった骨であろうが、石のかけらであろうが、そこから技は始まった。火を使うことが可能になり、やがて、言葉が発明された。その結果、農業の第一次革命、工業の第二次革命、そして情報革命の「第三の波」(アルビン・トフラー 1980/10 日本放送協会出版局)となった。

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8)トフラーの預言は実現され、インターネットは普及し、「ウェブ進化論」(梅田望夫 2006/02 筑摩書房)に刺激される形で当ブログはスタートした。当ブログの最も根幹を形作ってくれたのはこの本である。

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9)経緯あって、あれから10年、振り返ってみれば、パソコン、インターネット、そして次なるものが求められる時代になっている。ケヴィン・ケリー「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則(2016/07 NHK出版)に集結すべきプロセスが当ブログの本幹だった、と規定することも可能である。

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10)さて、現代科学技術の片一方の「技」は、原子力発電である。

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と書きかけてから、すでに一か月以上放置してしまった。今となっては同じような論調では続けることができなくなってしまった。でももったいないから(笑)、ここにアップしておく。今後はいきなり論調が違うことになってしまうかもしれない。

 あるいは、この連続記事は、このような不連続の連続として続いていくことになるのかもしれない。

<5>につづく

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