「死について41の答え」 OSHO 伊藤アジータ<7>
「死について41の答え」 <7>
OSHO(著), 伊藤アジータ(翻訳) 2015/01めるくまーる 単行本 456ページ
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意識は、ついには死を意識するようになる。もし意識がついに死を意識するようになれば、恐怖が湧いてくる。その恐怖はあなたの中で、絶えざる逃避を創り出す。そうなれば、あなたは生から逃げている。
生があるところがどこであろうと、あなたは逃げ出す。というのも、生があるところにはどこでも、死の気配、一瞥がやってくるからだ。あまりにも死を恐れている人たちは、決して人に恋しない。物に恋する---物は死なないからね。物はまったく生きていないからだ。
物ならばずっとずっと持っていられるし、さらには取り換えもきく。ある車がダメになれば、まったく同じ型の車が代わりになる。しかし、人を取り換えるわけにはいかない----もしあなたの妻が死ねば、永遠に死ぬのだ。
別の妻を迎えることはできても、他のどんな女性も彼女の代わりにはなれない----良かれ悪しかれ、他の女性は誰も、その同じ女性にはなれない。もし子供が死ねば、別の子を養子に取ることができるが、実の子と同じ質の関係を、養子との間に持つことはできない。その傷は残り、癒されることはないだろう。あまりに死を恐れる人たちは、生を恐れることになる。
そうなれば、その人たちは物を貯め込む-----大きな御殿、大きな車、何百万ものドルやルピー、あれやこれやと、死ぬことのない物を。ルピーは、バラより不死だ。彼らはバラのことなどかまわずに、ルピーを蓄え続けるだけだ。
ルピーはけっして死なない。それはほとんど不滅だ。
しかしバラとなれば・・・・・・朝には生きていたのに、夜になれば、もうなくなっている。彼らはバラを恐れるようになり、目を向けようともしない。
あるいはときには、もし願望が湧き上がれば、造花を買うだろう。それはいいものだ。造花とならば気楽にいられる。それはある意味で不死だからだ。それは永遠に、永遠に、永遠にそこにある。
本物のバラとなれば----朝には、それはとても生き生きとしているのに、夜までには散って、花びらは大地に落ち、同じ源泉へと還っている。それは大地からやって来て、しばらくの間花咲き、その香りを存在全体へと放つ。
そして使命が果たされ、メッセージが届けられれば、それは静かに土に還る。涙の一粒もこぼさず、難の格闘もなしに。
あなたは花びらが大地に散っていくのを見たことがあるかね? その散り際のなんと美しく、なんと優雅なことだろう。なんの執着もない。一瞬ですらしがみつこうとしないのだ。そよ風がやってくれば、花全体が大地に落ち、源に還っていく。 OSHO p157
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