さとりサマディにて<10>百歳
さとりサーマディにて
<10>百歳 目次
1)「今日はなんの日だか、わかる?」 ホームのベットから崩れ落ちて体調を崩し、隣接する病院に検査入院した母。いつもあれこれ、命日やら、縁日やら、誕生日やらをすらすらと答えてくる。今日も、あれこれ二三言いかけた。
2)「今日(6日)は、お父さんの100回目の誕生日だよ」。私も知らなかった。離れてくらす姉弟がメールで教えてくれたのだ。
3)「生きていれば、今日で百歳だよ」。すでに55年前に45歳でなくなっているから、そういう勘定はしてもどうしようもないのだが、まぁ、計算としてはそうなる。
4)「百歳までなんか、生きられないから・・」。 ちょっと戸惑いつつ、常識と言えば常識的な反応。しかし、先日、姪がお見舞いに来た時は、「百歳まで生きるんだよ」と、なんども話しかけていた。聞いていた私なぞは、なんだか変な気分がした。というとことは、あと5年で、死ねということかな(笑)。
5)1917(大正6)年。アーサー・C・クラークと同じ年に、私の父は生まれていたのか。あらためて感嘆す。
6)すでに両目は完全に失明。耳も右がようやく聞こえるか。手足の歩行も介助なしには自由には動かせない。軽い誤嚥性肺炎、そして心臓にもやや負担。常に身体に痛みが伴い、食事もままならない。点滴やら酸素やら、いろいろなチューブをつけて、クルマ椅子でのトイレも、今は介助パンツに代わってするようになった。。
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