「イSム」 <4> 薬師如来と十二神将
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STUDY IN BROWN Clifford Brown
クリフォード・ブラウン & マックス・ローチ & 1 その他1999/01 ディスク枚数: 1 フォーマット: CD, Import レーベル
No.3902★★★★★
クリフォード・ブラウン (Clifford Brown、1930年10月30日 - 1956年6月26日)は、アメリカ合衆国のジャズミュージシャン(トランペット奏者)。ハード・バップ期初期の卓越したプレイヤーであり、ドラマーのマックス・ローチとのバンド活動は高く評価され、「ブラウニー」の愛称で親しまれている。その艶やかな音色からファッツ・ナバロの再来とも呼ばれた。
1956年6月26日、リッチー・パウエル(バド・パウエルの弟)の妻、ナンシーの運転する車にリッチーと共に便乗してフィラデルフィアからシカゴに向かう途中、ペンシルベニア・ターンパイクで交通事故死。25歳。事故当夜は雨が降っており、ナンシーを含めて3人全員がこの事故で亡くなった。 Wikipediaより
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「死にゆく人と共にあること」 マインドフルネスによる終末期ケア<2>
J・ハリファックス (著), 井上 ウィマラ[監訳] (翻訳), 中川 吉晴 (翻訳), 浦崎 雅代 (翻訳), & 2 その他 2015/4 春秋社 単行本(ソフトカバー): 352ページ
★★★★★
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さとりサマーディにて
<15> 目次
-----------------
1)どこに書いておこうかな、と考えたが、この本のタイトルが目についたので、ここにメモしておくことにする。
2)「死にゆく人と共にあること」 。この本の内容はどうであれ、あるいは、ほかの人のそれなりの考えはともあれ、私のイメージを書いておこう。
3)このタイトルの中には、死んでゆく人と、その人と共にある人、と、二つの立場が書いてある。おそらくは、通常の読者は、この後者、共にある人、のほうに自らの立ち場をとるだろう。
4)そして、死んでゆく人は、これから一人になるのであり、未知なる世界へと旅立つ恐怖をもっているのだし、また、その肉体は大地へと、自然へと帰るのだ、というイメージがある。
5)自分は、その人と共にあって、その恐怖や苦しみを共にし、あるいは軽減したり、励ましたりする立場なのだ、と考えがちである。
6)本当だろうか?
7)このイメージは、「チベットの死者の書」や「枕経」などのように、病や老いで死のうとしている人の傍にいて、「怖がらなくてもいいよ」、「大丈夫だよ」、と声をかけている、という映像となる。
8)本当だろうか?
9)まず、傍らにいて、声をかけている自分は、本当に死について知っているだろうか。大丈夫だよ、心配ないよ、と声をかけることができるほどに、何かを体験しているだろうか。
10)そしてまた、死にゆく人は、恐怖におののいているだろうか。共に誰かといたい、と願っているだろうか。
11)確かに、耐え難い肉体的な苦痛の中にいる人もいるだろう。何かを失うことに心をさいなまされている人もいるだろう。しかし、人は魂レベルにおいては、ひとり旅立つことの意味を、知っているのではないだろうか。
12)共にいる人は、肉体の痛みをとってあげたり、食事の介助をしたりはできるかもしれない。まったくの暗闇にいるような気分になっている人に対して、やすらぎやなぐさめの声をかけることはできるであろう。
13)しかし・・・・・・・
14)最近、ちょっと不思議な体験をした。
15)そのタイミングでは、やはり、死にゆく人と、共にある人がいて、私は共にある人の側だった。自分が死んでゆくなんて、思ってもいないし、死にゆく人に何か役立つことはないか、と心を痛めていた。
16)ボディ体や、マインド体、エーテル体やら、なにやらが仮にあるとして、アストラル体なるものもあったとする。
17)その時、私は、その人の肉体の近くにはいなかった。ちょっと離れていて、すこしづつ近づいていくタイミングだった。
18)私はその人のアストラル体に入っていこうとした。コンタクトしようとしたのだ。
19)不思議な了解があった。
20)その人は恐怖していなかった。深く混沌とした無意識の世界に落ちてしまっていたわけではない。生きていて、覚めていた。肉体的には、ほとんど不自由な状態で、食事もままならず、名前を呼びかければ、かすかに反応する程度。でも、生きていた。覚めていた。
21)私はその人の純粋な意識の世界へチューニングした。その時の吸引力は素晴らしかった。魅力的だった。つまり、私もまた、日常の雑多な意識の中から、より純化された意識の世界へと上昇し始めたのである。
22)この時において、死にゆく人はマイナスの存在であり、共にある人は、介助するプラスの存在、という今まで思い込んでいた図式は、壊れた。
23)その人は、私を待っているわけでもなく、自らの領域をもっているわけでもない。しかし、ある位置にいて、私と同化しようとしていたことは間違いない。
24)私も同化しようとした。そして、そこに、彼我の境界線があるわけではない。その人のこころが見えた、というわけではない。もちろん、私の心が見透かされた、とかいうものではない。
25)誰の部屋、彼の部屋、というようなへだたりはない。イメージでいうなら、それぞれの廊下を歩いてきて、ある瞬間から大きな部屋に入ってしまったような状態だ。そして、そこに私の肉体があるわけでもなければ、その人の肉体があるわけではない。ある種の、脱個の状態に、私はなっていたのだ。
26)さて、原題に戻る。「死にゆく人と共にあること」。共にある人は、死にゆく人に対して、優越はしていない。おそらく、死にゆく人も、決して絶対的に優越しているわけでもないだろう。もちろん、劣等的立場にあるはずはない。
27)厳に死にゆく人は、幾つかのレベルで死に直面しようとしているのは事実であるし、その人と共にある、ということは、その事実を共に体験する機会にもなるということである。
28)もちろん、チューニングするレベルにもよる。しかし、共にある人は、死にゆく人と共にあることによって、たぐいまれなる体験をする機会を得ることができるということである。
29)マインドフルネスによる終末ケア。この言葉の中では、十分表現されていないニュアンスがある。人間関係の間柄には、「お守り」と「リード」という例えがあった。おそらく、共にある人は、あるレベルにおいては「お守り」をしているのは事実であろう。
30)しかし・・・・・
31)別なレベルでは、おそらく、それより上位レベルでは、死にゆく人は、共にある人を「リード」しているのだ。
32)つまり、マインドフルネスに深く入ったとして、その意識の中で存在する終末ケアでは、死にゆく人は、決して「助けられる人」ではなく、また、共にある人は、決して「助ける人」ではない。
33)そして、おそらくこの二人の人は、人として、二つの意識には分割されていない。
34)「死にゆく人と共にあること」。それは、死にゆく人も、共にある人も、その意識を純化させる、稀な機会である。終末ケア、という重苦しさから、解放された、終末プレゼント、とさえいえるような、ギフトでもあるのだ。
35)ある体験から、言葉としては、このようにメモしておく。
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「死について41の答え」 <8>
OSHO(著), 伊藤アジータ(翻訳) 2015/01めるくまーる 単行本 456ページ
★★★★★
生が、もし正しく生きられれば、ほんとうに生きられば、決して死を恐れはしない。もし自分の生を生きてきたら、あなたは死を歓迎するだろう。それは休息のように、大いなる眠りのようにやって来るだろう。もしあなたが生き、頂点を、クライマックスを極めていたら、死は素晴らしい休息、祝福となる。
しかしもしあなたが生きていなかったら、もちろん死は恐怖を生み出す。もしあなたが生きていなかったら、死は確かに、あなたの手から時間を、生きるための未来の機会をすっかり奪い取ってしまう。今まであなたは生きてこなかった。そして、未来はなくなろうとしている。恐怖が湧いてくる。恐怖は、死からではなく、生きられなかった生から湧いてくるのだ。
そして死への恐怖ゆえに、あなたは老いをも恐れるようになる。それは、死の最初のステップだからだ。さもなければ、老いもまた美しい。それはあなたという存在の成熟であり、円熟であり、成長なのだ。
もしあなたが、生が与えるあらゆる挑戦に応え、瞬間から瞬間へと生き、生がもたらすあらゆる機会を活用するなら、生の呼びかけと招待に応えて、未知の中へとあえて冒険するなら、老いは成熟となる。さもなければ、老いとは一種の病なのだ。
不幸なことに、多くの人々は、年相応の成熟を手にすることなく、たあ歳を重ね、老いる。そうなれば、老いは重荷だ。身体は老いるが、意識は若いままだ。あなたの身体は老いていくが、あなたの内なる生は熟していない。
内なる光が欠けている。そして死は毎日近づいてくる。もちろんあなたは震え、怖くなるだろう。そしてあなたの中に、大いなる苦悩が湧き上がるだろう。
正しく生きた人たちは、老いを深い歓迎とともに受け入れる。というのも、老いとはただ、自分が今や開花を迎え、実りを迎えようとしているということ、今や何であれ得てきたものを分かち合うことができるということを語っているにすぎないからだ。
たいていの場合、老いは醜い。そえはたんなる病だからだ。あなたの有機体は成熟することなく、どんどん病んで、弱り、無力になっていくばかりだからだ。さもなければ、老いは生においてもっとも美しい時期だ。
子供時代のありとあらゆる愚かさが去り、青年期のありとあらゆる熱っぽさや情熱が去り・・・・・穏やかさが、静寂が、瞑想が、サマーディが湧き上がってくる。OSHO p182「未知なる旅」
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「マインドフルネスストレス低減法」 <2>
ジョン カバットジン (著), Jon Kabat‐Zinn (原著), 春木 豊 (翻訳) 2007/09 北大路書房 単行本 387ページ
★★★☆☆
〇もしもし、お昼に電話した者ですが、ちょっとご相談したくって。よろしいですか。実は、病院の近くを歩いたりすると、そこに入院している人たちの気持ちとか分かってしまって、とても過敏になってしまうんです。どうになかならないかなぁ、と思って、いろいろやって来たんですが、まだ、良い方法に巡り合っていないんです。
〇自分は真言宗の僧侶をしていて、30代の男性です。関西に住んでいるので、OSHOセラピストのところに通ったのだけれども、ダイナミックやクンダリーニをやりなさい、というだけで、特に効果はなかったんです。
〇その前は神智学協会の方の会員にもなっていて、クリシュナムルティとか、OSHOさんのお弟子さんたちの中で、私のような症状を助けていただけるセラピストの方はいないでしょうか。
〇これだけ言ってもわからないでしょうが、なんとかならないかなぁ、と思って。ちゃんと分かってくれる人って、いないんですよね。そちらにそういう方いませんか。
------
上は、匿名にするために具体性を省いているが、先日、こういう電話があった。私はこういう電話が来ると、「春だなぁ~」と思う。どういうわけか、春が近づいてくると、こういう電話が来る。決して本数は多くないが。
結局、不用意に着信した電話子機を使っていたため、あまり電池が持たず、結局は、フェードアウトして、もしよかったら、また電話くださいね、と言って、聞こえなくなってしまった。おそらく、もう、こないだろう。
この方の場合も、いろいろなことを感じる。この方がどうだ、というより、こういう電話が入った時に、私はどう反応するのか、どういうきっかけにするのか、ということが、自分では大変気になる。
電話一本で解決することなどない。ましてや匿名で、遠くから、わずか十数分間の会話で、いったい何ができるというのか。ナニも見えやしない。本人も、なんとかしたいから電話してくるのだろうが、本当になんとかしたいなら、おそらくもっと別なアプローチがあるのだ。
この方の場合、治療法と、処世術(成功哲学)と、成仏法が、一体混然となっており、結局は、一番困っているのはご本人その人なのだ。そしておそらく、多かれ少なかれ、私達誰にも似たような要素があり、社会においては、おそらく、このような問いかけはずっと続いてきたし、これからも続いていくのだろう。
このような時、カバットジンのマインドフルネスとやらは、どんな効果やら判断なりするのだろう。まずは、そんなところから、問題意識を持ってみようか。
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「続・彫刻刀で楽しむ仏像」[釈迦如来・聖観音菩薩] <21>
関侊雲(監修), 河合宏介(写真) 2013/6/5 スタジオタッククリエイティブ 単行本 176ページ
★★★★★
1)最初から、仏像を彫ってやろう、なんて大それたことを考えていたわけではない。そもそもは手作業は嫌いではなかったが、だいぶそんなことは忘れていた。
2)しかし3・11があって、友人・故石川裕人原作の演劇を見に行って、会場の地下にある図書館で「チキンの骨で恐竜をつくろう」という本を手に取った時から、何かが変わった。
3)自分の手が何かを作りたがっているのだ、ということに気づいた。それからいくつかの廃物アートが続いた。
4)ある時、近くの神社のお社が賽銭泥棒に遭う、という話が聞こえてきた。賽銭だけならまだしも、ひょっとすると、ご本尊さままで盗まれてしまうかもしれない、という。それは困ったことなので、お堂には写真を飾り、本尊はそれなりのところに仕舞いましょう、ということになった。
5)他に適任もいないということで、その写真を撮って飾る役割が私のところにやってきた。至って簡単な仕事ではあった。しかし、ちょっと考えた。写真じゃなくて、もっと手の込んだダミーでもいいんだろうがなぁ。
6)時を前後して、このお堂のご神木である樹齢1300年のカヤの木が、大きく繁殖し過ぎた時に、伸びすぎた枝を落とした間伐材があることを知った。たいした量ではないが、ご神木ゆえ、枝を輪切りにしてコースターが作られたりしたが、まだまだ余っていた。
7)しかし、他に利用方法もないので、やがて廃棄処分されることになっていた。そのことを小耳にはさんだ私は、ちょっと待った、その間伐材、私にください、とお願いした。
8)そういう経緯があって、1年も経過したあたりで、私は、空いた木箱を利用した五重塔の模型を作った。一年前のことである。大変な作業であったが、4か月ほどでそれなりの形になった。模型製作の過程で、いろいろなことを学んだ。なるほど、と思うことがいっぱいあった。
9)そういう素地があったからだろうか、あの樹齢1300年のカヤの木で、仏像を作ってみるのはどうだろう、と思いついた。最初、そんなことは、とてもとても、できるとは思わなかった。時あたかも、巣立った子供達が部屋に残していった彫刻刀セットが3つも出てきた。諦めてはいたが、思いついた時、部分部分ではあるが、少しづつ切ったり削ったりしているうちに、しだいに我が薬師如来のお姿は湧き出で始まった。
10)まだ、その途中である。やってみたいことのまだ50%もできていない。進めば進むほど、手は止まる。分からなくなると、いろいろ調べたり、瞑想する。いろいろな直観が湧いてくる。少しづつ、少しづつ、形を取り始める。
11)おそらく完成という時はこないのではないか、と思うほど、仏像制作の世界は奥が深い。もっともっといろいろな学びが必要だ。しかし、私にとっては、ああ、ここでもう十分かな、と思える地点も来るかもしれない。
12)その時をイメージしながら、手を休め休め、目を閉じたり、開いたりしながら、作業を進めている。
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「マインドフルネスストレス低減法」 <1>
ジョン カバットジン (著), Jon Kabat‐Zinn (原著), 春木 豊 (翻訳) 2007/09 北大路書房 単行本 387ページ
No.3901★★★☆☆
1)図書館にリクエストしてから、だいぶ時間が経過して、忘れてから届いた一冊である。なるほど、人気あるなぁ、世はマインドフルネス・ブームだ。
2)そう思って、ようやく開いてみれば、なんと、この本はすでに10年前に出版された本だった(届いたのは2010/07の第3冊だったが)。しかも、この本は改題されて復刻されたもので、初版は1993年に実務教育出版から「生命力がよみがえる瞑想健康法---”こころ”と”からだ”のリフレッシュ---」というタイトルででていたのである。
3)さらに原書は1990年に「Full Catastrophe Living」というタイトルで出版されていた、と知って、唖然とした。
4)あちこちから聞こえてくる最近のマインドフルネス・ブームの発火点は、カバットジンである、と推定して、ようやくカバットジンの本に出会えたのであるが、ちょっと拍子抜けした気分である。
5)もちろん、この他にもカバットジンの書物も近刊として発行されてはいるが、近隣の図書館には、上記二冊のタイトル以外には入っていない。話題にはなっているものの、それだけ一般化されていないのか、そもそもこのような本に関心を持つ層は限られているのか。
6)このストレス低減法、という言い方も気になる。いわゆる瞑想=マインドフルネスを、病気直しや治療法、あるいは人生訓や処世法と見る事を、決して避けてはいけないが、そもそも、そのレベルで当ブログが追っかけてきたわけではない。
7)ずばりいうなら、治療法でも処世法でもなく、成仏法として、当ブログは瞑想=マインドフルネスを追っかけてきたのだ。そこんとこがまったく不満である。最近のマインドフルネス流行が、どちらかと言えば、治療法ではなく、人生訓、成功哲学のように扱われているのは、それなりに進歩したのかな、とは思うが、まだまだ真価が理解されていないようだ。
8)この本、まだ1ページも読んでいないが、最初の最初から、読破しようというモチベーションが湧いてこない。すくなくとも私個人にとっては、ぜんぜんタイミングではない。
9)まぁ、最初はそう思っても、めくってみると以外と良本であったりするから、このまま返却することはしないが、それでも、かなり落胆していることをメモしておく。
10)逆に言えば、当ブログに取って、この本は通算3901冊目の本となる。大きな目途である4000冊目に向かっての、最後の100冊の、その1冊目という風に考えれば、なるほど意味ある位置にある一冊と言える。
11)現在の当ブログのカテゴリは「現代社会のマインドフルネス」である。この本によって大きく色づけられたら、当ブログのマインドフルネスは間違った方向に進んでいくに違いない。少なくとも、せっかく瞑想をマインドフルネスと言い換えた意味がないではないか。とっとと「瞑想」へ戻っていくべきだろうか?(笑)
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「仏像図解新書」
石井 亜矢子 (著), 岩崎 隼(画) 2010/04 小学館 新書: 222ページ No.3900★★★★★
1)この本、見かけより内容が濃い。仏像の写真は一枚もついていないが、たくさんのイラストがついており、なるほど、仏像って、こうなっているんだ、という理解を大いに助けてくれる。
2)また、この本で仏像理解をすることによって、仏教全体への理解の橋掛かりにもなる。良書である。
3)如来の特徴のひとつは、装身具の類は一切身につけないということがある。必要最小限のいたって簡素な姿をするのが如来であり、これは出家するときにすべてを捨てた釈迦の姿に由来しているという。p24「如来---真理を悟った無常の仏さま」
4)なるほど、だから薬師瑠璃光如来も装飾品はつけていないのだな。わかりやすい。
5)薬師像は三尊像として祀られることが多いが、その場合の脇侍は日光・月光菩薩。さらに、眷属として十二神将を従える場合も少なくない。p28 同上
6)向かって右手側が日光菩薩、左手側が月光菩薩。これは何かのルールがあるのだろうか。十二神将については、諸説あるようだ。
7)もっとも安定した坐り方とされているのが、結跏趺坐だ。坐禅を組む時の坐り方で、右腿の上に曲げた左足をのせ、右足は左腿の上に置くのが、吉祥坐。のせる足が逆になるのが降魔坐で、どちらも結跏趺坐と呼ぶ。p52 同上
8)このことが気になっていた。現在制作中の我が薬師瑠璃光如来は、降魔坐の結跏趺坐ということになる。
9)日光菩薩・月光菩薩 薬師如来を護る太陽と月
美しい名前をもつ二菩薩は、薬師如来の両矜持である。どちらも単独で進行されることはなく、かならずペアで薬師如来を護る。「薬師如来本願経」などには、薬師の正しい教えを受けた者として、あまたの菩薩のなかでも最上位の存在と記される。p88「菩薩---仏になるため悟りを求める修行者」
10)当制作中の薬師像では、十二神将は12個の瑠璃(ラピスラズリ)で表現しておいたが、この日光月光両菩薩はどのように表現しようか?
11)十二神将 薬師如来に従うガードマン
薬師如来につき従う十二神は、薬師専属のガードマン・チームである。薬師如来を守護し、その功徳を説いた経典を読む人々をも守るという任務を担うため、それぞれが甲冑をつけた神将形をしている。全員が威嚇の表情をみせ、武器を手にする姿は四天王と変わらないが、十二神将は彼らのように邪気を踏むことはなく、岩座に立つことが多い。p144「天---仏法を守る多芸多才な尊格」
12)お、これは、と一時期は十二神将すべてのみなさまをご招待しようか、などといきりたったものだが、おそらくそれは無理。もし可能なら、名前としてなじんできたバサラ大将だけでもチャレンジしてみようかな。
13)種類の多い蓮華座
多くの仏・菩薩が坐すのが、開いた蓮華の花をかたちどった蓮華座である。シンプルな蓮弁と反花(かえりばな)で構成される大仏坐から、壇の多い装飾的なものまで、バリエーションが豊富だ。p184 同上
14)我が家の薬師様の台座は、大仏座、と呼ばれるものであろう。蓮華座よりかは簡素化されている。
15)この他、「仏の三十二相」仏が備える尊い特徴p40、「仏の持物」法力や特質を示す印p94、「光背」意匠化された光明p48(製作中の薬師座像のものは二重円光)など、興味深い記事が簡易に書いてあり、私のような仏像ビギナーには、いたって便利な一冊である。
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さとりサマーディにて
<14>今日は何日? 目次
1)結論から言えば、母は意識を取り戻した。夜中にホームのベットから落ちて体に痛みを覚え、隣接する病院で手当てを受けてそのまま入院。検査や薬剤投与など繰り返しているうちに、痛みも強くなり、食欲も減退、ついに意識も途切れ途切れになってしまったのは一週間前。
2)95歳という年齢から考えれば、私達家族も親戚も最後の面会になる覚悟で病院に向かった。ついには食事もできず首を垂れてしまって、救急車で脳外科専門の大病院に搬送。MRIなどさまざまな検査が追加された。
3)しかし結果は、脳外科的には異常なし。見立ては、痛み止めが効いているのと、水分摂取が少ないので、夜中に薬が効きすぎるのではないか、と、もといた病院に戻された。
4)病院としては高齢ということもあり、医師からはさまざまな案内があった。このまま意識が戻らない場合は、食事摂取を胃婁に代えることもできるので家族でどうするか、相談しておいてください。このまま夜中に急変しても延命処置はしません。突然死もありうるので覚悟しておいてください。
5)家族親戚一同は、遠くに離れた親族に連絡したり、葬式の日取りを考えたり、果ては葬式用の写真の心配までする者までいた。万が一の場合、どこまで連絡すべきなのか。弔辞は誰に頼むのか。孫代表は誰がいいか。準備は静かに水面下で進んでいた。
6)だが、しかし。昨日、病室を訪れてみると、顔の赤みが戻ってきているようだ。以前、眠そうではあるが、足を組み替えたりしている。ちなみに食事は口から取れているようだ。「おかあさん、きたよ」と、ようやく聞こえる片耳にかたりかけてみる。
7)はい、ああ、来たの? と名前までいう。あれ~~、これはかなり意識が戻っている。痛いところもだいぶ減っていそうだ。付き添っている看護婦さんに聞いてみると、かなり食事もとれているようだ。
8)看護婦さんに、「今日は何日ですか?」と、一週間前の日付を言う。看護婦さんが、正確な日付を言うと、ああ、そうですか、と、うなづく。
9)普段から、日付は間違わない。間違っても一日くらい。曜日も一日くらい間違えることはある。ベットで寝たきりで、テレビラジオ新聞、すべてないので、それだけでも日にちをよく覚えているなぁ、と思っていた。だが、今日は、どうやら、一週間のズレがある。
10)これは、外から見た場合、ちょうど彼女は意識が一週間の間、混沌としてしたのではないか、と推測させる。痛み止めの他、睡眠のための薬も処方されていたようなので、それらの飲み合わせで、深い眠りの世界に耽溺していたのかもしれない。
11)なにはともあれ、安心した。山を越えた、という感じがする。インフルエンザの流行期ゆえ、病院外部からの出入りは、基本禁止されている。面会時間も長くは取れない。されど、こうして話しかけたりすることは、彼女の意識が正常に戻るためにはよい効果を表すのではないだろうか。
12)あんまり油断したりしていると、他の危険性も常にあるし、年齢ゆえ、突然何が起こっても仕方ない様態ではあるが、なにはともあれ、家族としては、ほっと肩の荷を落とせる瞬間である
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「みちのくの仏像」 別冊太陽 日本のこころ
大矢 邦宣 (監修), 藤森 武 (写真) 2012/09 平凡社 ムック: 207ページ
No.3899★★★★☆
1)こちらもまぁ、面白くないわけじゃない。これはこれとして、なかなかだ。とにかくビジュアルがきれい。たくさんの画像を見ているだけで、うっとりする。
2)しかしまぁ、相も変わらず、みちのくとか、仏像とか、そういう切り口はどうなんだ、というところに引っかかりまくる。地球人スピリットというコンセプトは、どうなっておるんじゃ、と。
3)あちこちに、ひっかかりまくるのが、良い点でもあるし、悪い点でもある。まぁ、個性としておこうではないか。
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「運慶」―リアルを超えた天才仏師
山本 勉 (著), ヤノベ ケンジ (著), 橋本 麻里 (著), みうら じゅん (著) 2012/07 新潮社 単行本: 124ページ
No.3898★★★★☆
1)たとえばイSムの広告動画を繰り返し聞いているとして、私は一体、ナニに一番魅了されているのだろうか。仏像だろうか。モダンなライフスタイルだろうか。JAZZだろうか。そこにつながってくるところの、郷土史、だろうか。
2)ひとつひとつバラして考えてみる。
3)バックグランドで使われているJAZZも見事なものだ。一曲一曲の演奏者や曲名はわからないが、iPhoneのSIRIに聞くと、半分くらいは教えてくれる。これもまたすごい時代だね。メロディを一部聞かせるだけで、曲全体が分かってしまう。
4)この動画の製作者たちは、どのような意図で、このようなフュージョンやJAZZの曲を使っているのだろう。
5)では、動画を見ずに、音源としてだけ聞いてみる。
6)それはそれで素晴らしいのだが、そもそもJAZZの特別なファンというわけではない私には、やがて飽きがくる。これはこれでいいのだが、そこで終わりにはならない。
7)では、植物や、ワイングラス、オーディオセットに囲まれた暮らしというものはどうだろう。なるほどなぁ、こういう暮らしぶりもなかなかイイね、とは思う。しかし、そこまでだ。だからどうした、という跳ねっ返りが、すぐにやってくる。
8)では最近とみに魅了されている郷土史などの資料集めはどうだろう。これもなかなか面白い。まだまだ続きそうだ。グローバルなスピリチュアリティなどいいつつ、郷土史の石神たちに手を合わせる私がいる。
9)しかし、それとて、決して現代的で、究極的な趣味とはいいがたい。何かが補完されてこその、世界観なのである。
10)さぁ、それでは、仏像はどうだ。仏像もまたこんなに奥深い世界であるとは、実は、ごくごく最近気づいたところである。これもまぁ、ハマるなぁ。実に、興味深い。
11)しかし、それが限りなく完成度が高く、著名で、力がある像である、ということは決して必須条件とはならない。仏像の耽美にふけるほど、深く仏像を愛する人間だとは、実は自分で自分を思えない。
12)たしかに、運慶は天才らしい。革命児だ。運慶がいたからこそ、仏像の世界がこれだけ深まったということもできる。夏目漱石の「夢十夜」に活写される運慶。広く、アートの世界に反響しあう、美の世界。
13)それでもやはり、それほどアートとしての完成度が欲しいわけではない。私は私に見合った世界があれば、それでいいのだ。
14)仏像は必須ではない。JAZZもフュージョンも必須ではない。モダンなライフスタイルももちろん必須ではない。アートや完成度も、決して必須ではないのだ。ただ、このイSムの動画広告に魅了され続けている私がいることは確かだ。
15)いいなぁ、と思う。この雰囲気に浸っていたい。時にはこのような総合的な組み合わせにヒットされるのはイイ。
16)そして、おそらくはもっともっと自分の世界にくつろいでいることのほうが好きであるだろう。ヘタでもいい。誰かに評価されるようなものでなくてもいい。超アートでなくてもいい。天才とか凡才とかいうものではない。自分が作る自分のための一本ものの人生であるなら、それは、私にとっては超モダンで超カッコいい世界なのだ。
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昨日2017年2月21日、OSHOアーティストのマ・アナンド・ミーラが南アフリカで、スキューバダイビング中の事故で亡くなったというニュースが飛び込んできた。
詳しいことはわからないが、なんとも勇ましい最期であったことか。
最初に1977年にプーナに行った時、彼女のアパートに招待されたことがある。彼女の部屋にはいっぱい彼女の油絵があって、瞑想してから絵が描けなくなった、と言っていた。
その後、彼女は一転し、たくさんの絵を描き、OSHOアート・グループを率い、OSHOの本のカバーデザインにも採用されるようになった。
ちょうど一年前ほど、仙台のマ・マンシャが亡くなった時に、セレブレーションに参加してくれた。あれが私にとっては最後のミーラになりました。
どうもありがとう、マンシャ。いっぱいの愛を。 LOVE
衷心よりご冥福をお祈りいたします。 合掌
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「死について41の答え」 <7>
OSHO(著), 伊藤アジータ(翻訳) 2015/01めるくまーる 単行本 456ページ
★★★★★
意識は、ついには死を意識するようになる。もし意識がついに死を意識するようになれば、恐怖が湧いてくる。その恐怖はあなたの中で、絶えざる逃避を創り出す。そうなれば、あなたは生から逃げている。
生があるところがどこであろうと、あなたは逃げ出す。というのも、生があるところにはどこでも、死の気配、一瞥がやってくるからだ。あまりにも死を恐れている人たちは、決して人に恋しない。物に恋する---物は死なないからね。物はまったく生きていないからだ。
物ならばずっとずっと持っていられるし、さらには取り換えもきく。ある車がダメになれば、まったく同じ型の車が代わりになる。しかし、人を取り換えるわけにはいかない----もしあなたの妻が死ねば、永遠に死ぬのだ。
別の妻を迎えることはできても、他のどんな女性も彼女の代わりにはなれない----良かれ悪しかれ、他の女性は誰も、その同じ女性にはなれない。もし子供が死ねば、別の子を養子に取ることができるが、実の子と同じ質の関係を、養子との間に持つことはできない。その傷は残り、癒されることはないだろう。あまりに死を恐れる人たちは、生を恐れることになる。
そうなれば、その人たちは物を貯め込む-----大きな御殿、大きな車、何百万ものドルやルピー、あれやこれやと、死ぬことのない物を。ルピーは、バラより不死だ。彼らはバラのことなどかまわずに、ルピーを蓄え続けるだけだ。
ルピーはけっして死なない。それはほとんど不滅だ。
しかしバラとなれば・・・・・・朝には生きていたのに、夜になれば、もうなくなっている。彼らはバラを恐れるようになり、目を向けようともしない。
あるいはときには、もし願望が湧き上がれば、造花を買うだろう。それはいいものだ。造花とならば気楽にいられる。それはある意味で不死だからだ。それは永遠に、永遠に、永遠にそこにある。
本物のバラとなれば----朝には、それはとても生き生きとしているのに、夜までには散って、花びらは大地に落ち、同じ源泉へと還っている。それは大地からやって来て、しばらくの間花咲き、その香りを存在全体へと放つ。
そして使命が果たされ、メッセージが届けられれば、それは静かに土に還る。涙の一粒もこぼさず、難の格闘もなしに。
あなたは花びらが大地に散っていくのを見たことがあるかね? その散り際のなんと美しく、なんと優雅なことだろう。なんの執着もない。一瞬ですらしがみつこうとしないのだ。そよ風がやってくれば、花全体が大地に落ち、源に還っていく。 OSHO p157
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Night Life
Nick Noble Band 2014/03 Rock Music Compliation, Vol. 3 (Instrumental) レーベル: AB Entertainment
収録時間: 3:08
No.3897★★★★☆
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さとりサマーディにて
<13>添い寝 目次
1)さとりサーマディに向かう車の中で、静かな了解が起こる。これでいいんじゃないかな。
2)病室に入ってみれば、静かに休んでいる。声をかけてその休みを妨げる必要もない。私も静かに椅子に座り瞑目する。
3)私はこの女性の三番目の子供だ。末っ子だったから、小学校が終わるまで一緒の布団で寝ていた。私の父である、彼女の夫は、長いこと療養施設に収容され、私は溺愛されていた、と言ってもいいのだろう。
4)あの頃を思い出す。姉兄はすでに小学生になり、家に残っているのは私だけだ。昼ご飯を食べてお昼寝をするときは、母が添い寝をしてくれた。農作業の汗臭さも、子供の私にとっては好ましいものだった。
5)彼女が眠ってしまい、私がまだ昼寝に入らない時など、ちょっと間だが、彼女の寝息を聞いていたものだ。決して等間隔ではなく、たまには無呼吸の瞬間もある。だが、概して、落ち着いた呼吸が続くのである。
6)いつしか目を覚ますと、もう午後も、少し太陽が西に傾き始めている時間であった。ふと我に返り、隣をまさぐると、さっきまでいたはずの母親の体はない。寂しくなり、私は泣く。
7)障子を開け、縁側まで歩き出て、泣く。「おかぁさ~~ん」。
8)そこには母親の姿はないが、広い農家屋敷の中のどこかで作業を、もう始めているのだ。そんな遠くには行っていない。私の声は届く。母親はやってきて、私の昼寝は終わるのだ。
9)今日、さとりサマーディを訪れ、ベットに横になっている彼女の寝息を聞いている間に、あの、昼寝をしていた時を思い出した。添い寝をしてくれているはずの母親のほうがすっかり寝入ってしまい、私はその寝息を聞いている。
10)でも、目を覚ますと、すでに彼女は午後の農作業を始めており、私は縁側から叫ぶ。すると、どこともなく、彼女はやってきて、午後の私の生活も始まるのだ。
11)医師の診断は、いつ突然死が起きてもおかしくない段階だという。今はかろうじて介助つきで食事はしているが、やがては鼻から栄養素を供給するとか、胃婁という手段で生命を維持しなければならない段階は近づいているという。
12)私は、彼女の寝息を聞きながら瞑目した。いくつかの了解事項が並んだ。おそらく、私が深いサマーディに入ろうとしている間に、彼女は姿を消してしまうに違いない。
13)しかし、私はきっとその時「おかぁさ~~ん」と呼ぶだろう。そして、彼女はやってくるのだ。
14)今回、病院のさとりサマーディにいて、添い寝してあげていると思っている末っ子の私は、まだ勘違いしているようだ。添い寝してしてもらっているのは、やっぱり私のほうなのだ。
15)ふと目が覚め、寂しくなって、「おかあさ~~ん」と叫べば、「あら、目が覚めたの?」と、彼女はやってくるだろう。姿を見失っているのは私のほうで、彼女はもうすでに昼過ぎの仕事に取り掛かっているのだ。
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「あなたの知らない宮城県の歴史」 歴史新書
山本 博文 (監修) 他 2013/03 洋泉社 新書: 189ページ
No.3896★★★★☆
1)地区の図書館の郷土史コーナーから類書を借りたついでに交じっていた一冊。良い本ではあるが、ある時代のあるポイントに絞り込んでクリスタライゼーションを進めている現在の当ブログとしては、必ずしもグッドタイミングではない。
2)「あなたの知らない」シリーズとして各県について一冊づつ発行されており、情報もコンパクトにまとめられていて、飽きずに読める本ではある。
3)しかしながら、地域を「県」として限定し、時間軸を2000年スパンで引っ張って見た場合、単なるトリビアに堕ちてしまうことは大いに考えられる。
4)監修者は必ずしも宮城県に縁の深そうな方ではなく、そもそもは5人のバックライターがそれぞれ起稿したものを監修したもののようだ。だから、逆に言えば網羅的で、なるほど、こういう側面もあったのか、という気づきは起こってくる。
5)されど、この一冊では満足できず、類書や専門書をすぐにも必要となることであろう。
6)な~~んにも知らない県について、時間が余っている時に読んだら、きっとおもしろいだろうな。お気軽に手に取れるシリーズ。
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さとりサマーディにて
<12>さとりサーマディについて 目次
1)さとりとは母親の名前である。母はその名前を気に入っているのかどうか、定かではなかった。何事について自分の父親に対する敬意はすこぶる大きかったので、親がつけてくれた名前だ、というだけで、それ以上のものはなく、基本満足していたはずである。
2)しかるに、自らの名前を仏教や宗教と結びつけて語られることは、あまり好みではなかったようだ。内心は喜んでいたのかもしれないが、そういうことについて大っぴらに語られることが好きではなかったのかもしれない。
3)自らは、その名前の意味を問われると、「作を取る」から「さとり」なのだ、と答えていた。農家の長女に生まれ、農家の家督に嫁ぎ、その亭主を病気で失ったあとは、ひたすら三人の子供を養育するために働きづめに働いた人だっただけに、農業を職業として、「作物」を「取る」ことこそ我が人生、つまり「さとり」なのだ、と説明していた。
4)そんな真摯一途な彼女を、近隣の口の悪い村人たちは、今日もさとりさんが「くさとり」をしている、と笑った。
5)この名前を付けた彼女の父、つまり祖父にだいぶ前、私が二十歳を過ぎたころに聞いたことがある。あの名前の意味はどういう意味なのですか。彼は答えた。もちろん「悟り」という意味だよ。若い時分から近所のお寺で坐禅を組んで仏教を学んでいた。長女が生まれて、冬の農閑期に、和紙漉きの仕事をしながら、考えた名前だよ。
6)サマーディとは、三昧ということだ。つまりすっかりその世界に浸りきっていること。昔、中華三昧という高価ラーメンがあったが、それだけ一般化している名前ではあろう。
7)OSHOのメモリアルホールもサマーディと呼ばれている。
8)さとりさんを若い時分から知っている私の友人が、最近彼女はどうしてますか、と聞いてきた。こういうわけで今はホームにいるよ。へぇ~、それならお元気なうちにお会いしてみたいですね。覚えていますかね。もちろん覚えているよ。物覚えはすこぶるいいよ。
9)で、二人の間では、そのホームに横たわるさとりさんのいる空間はサマーディと呼ぶことになり、さとりサマーディができあがった。
10)そのさとりさんが、この一週間、体調がすぐれない。あまりにリハビリ効果があって、元気いっぱい、という時期があったのだが、その元気があまり過ぎて、夜中にベットから落ち、体を痛めた。
11)それをきっかけに向かいの病院に入院し、痛み止めが効いたのはいいが、どうも効きすぎたみたいで、意識がもうろうとし始めた。
12)緊急車両で、近くの脳外科専門の大病院でMRIなどの検査を受けたが、脳にまつわることに関しては健全であるという。
13)満で95歳を過ぎていれば、長寿の部類であるし、いつお迎えが来てもおかしくはない。
14)この数日は、どうも反応が鈍い。健やかな寝息は立てるが、こちらの声が聞こえているのかどうか、定かではない。そもそも両目はすでに白内障を通り越して失明しており、耳も片耳だけはなんとか聞こえていそうではあった。
15)彼女のホームや病室の椅子に座って、瞑目する。さまざまな障害があるので、そうそう長時間瞑想していることなどできないが、それでも、彼女を思い目を閉じると、それはそれで、私を深い瞑想空間へといざなう。
16)そのことを、私(たち)は最近、さとりサマーディと名づけているのである。
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「D & E」
オスカー・ピーターソン・トリオ 1963/12
収録アルバム: マイ・ファースト・ジャズ:オスカー・ピーターソン
No.3895★★★★☆
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「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <35>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト
★★★★★
名取熊野本宮
名取熊野三社で言えば、そもそも「本家」であるはずの熊野本宮。他の新宮、那智社に比較すると、ややおとなし目ではあるが、逆に俗化されていないような、素朴なオーソドックスさを感じる。
そもそも本来はこの地より南に500メートルほどの高台・小館というところに鎮座しておられたらしいが、いつのことかこの地に遣座されたという。
広い敷地であるが、それこそ森の中のカラスの声がゆったりと響く空間性である。クルマの喧騒から離れている。
まさにおカラスさんのお迎えか、というほど、参拝する度に鳴き声が響いてくる。
かつては熊野堂十二神とも称されたという熊野本宮。その時代々々の世の流れとともに、神様達も生息されている。
先日、図書館から借りてきたDVDで熊野堂十二神鹿踊という神楽も拝見することができた。
かなり歴史が乱れ飛んでいる。これは、一社ならず、三社および、地区の伝承を500年、1000年、1500年サイクルで年表をつくって整理しなければならないかも。
かたちとしては社前を音無川という小川が流れている。
この神楽殿で熊野堂十二神鹿踊が奉納されるのだろうか。
碑を見る限り、名取老女が最初勧請したのは岩沼市長岡三色吉にお祀りされていたということだ。
その後、この最終地点にたどり着く前には小高い小館というところに祀られていたらしい。おそらくこの辺かな、というところから海を見てみる。なるほど、この辺も開けているね。
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「瞑想―祝祭の芸術」 <10>
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 1981/03 めるくまーる 単行本 440ページ
★★★★★
瞑想は心(マインド)で始まるが、それはほんとうの瞑想ではない。瞑想に向かって進めるように、まずは心(マインド)から始めなさい。そうすれば、心(マインド)が止滅し、あなたが心(マインド)を超えたとき、ほんとうの瞑想が始まる。
だから、まず心(マインド)から始めなければならない。なぜなら、私たちがいまいるところは心(マインド)のなかだからだ。心(マインド)を超えるためためでさえ心(マインド)を使わなければならない。
だから、心(マインド)は絶対に積極的(ポジティブ)には使わないこと。それをネガティブに使ってごらん。そうすれば、あなたは瞑想を成就するだろう。
もし心(マインド)を積極的(ポジティブ)に使おうものなら、あなたはますます投影を生み出すだけだ。だから「積極的(ポジティブ)な思考」とはすべて、徹底的に反瞑想的なものだ。ネガティブな思考こそが瞑想的なものであり、否定こそが瞑想の方法なのだ。
否定するものがなくなり、当の否定者しか残らないような地点まで、否定しつづけてゆきなさい。そうすれば、あなたは純粋になり、あるがままの存在を知るに至る。それ以前に知っていたものは、ことごとく心(マインド)の想像、夢想、投影に過ぎないのだ。p379 OSHO「心象化の技法
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「ジョードゥ」
クリフォード・ブラウン 2008/12
収録アルバム: ジャズの巨人たち~スーパー・ベストレーベル: Universal Music LLC
ジャズ・ヒュージョン 収録時間: 4:02
No.3894★★★★★
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「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <34>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト
★★★★★
名取熊野新宮
もっとも近くて忘れがちになる歴史的史跡は名取熊野新宮であろう。いろいろな言い方がされてはいるが、この表記が一番わかりやすい。
東街道に面した交通の要所にある神社ではあるが、時代とともに道路も整備され、それとなく時代の経過を感ずる。
こんなに近くに住みながら、なぜか私はこの神社の祭典に参加したことがない。理由はいろいろ考えられるが、遠くの神様はありがたく、近くの神様は忘れがちになる、という法則ではないだろうか。
山門(鳥居)をくぐるとまずは左手に文殊堂がある。これは正式には神社の敷地外で、神仏分離の苦しい言い訳を聞かなければならない。
されど、ここには文殊菩薩と一切経が長期にわたって収められており、近年盗難に遭遇したこともあったが、みごと戻って真宮寺の社殿に再収納されていると聞く。
決して華美ではなく、整備されているとはいいがたいものの、近隣の類似の施設にあっては、かなり重厚で歴史を感じさせる。
本殿の前にまずは、芸能が奉納される神楽殿が目に入る。
こちらは神楽ならぬ、舞楽が奉納されるための舞台装置を据えるための石積みである。
みなれた風景なれど、よくよく見れば、なかなか良くできたシステムだ。
3.11後は、崩落の危険のために鐘堂への登壇は禁止されているようだ。
書かれている来歴のどこがどうなっているのか、ということを解釈し直すことも、にわか歴男の楽しみでもある。
かつてはなかったはずの宝仏殿というものができていた。
敷地内はこうなっている。
今日の参拝来意の一番は、羽黒飛龍権現の確認である。
しかしなんと、そのお名前は那智飛龍権現であった。
本殿は一つにまとめられている。
しかし、裏手にまわれば、奥殿の那智飛龍権を拝見することができる。
老女の宮とか十二社殿とかあるものの、やはり気になるのはその飛龍権現である。
裏手に回っても、それと明記されているものはない。通常ならどなた様が祀られているのか見逃してしまう。
以前は、社林がうっそうとして裏手に回ることなどできなかったが、3・11震災後は思い切った改革がされているようでもある。
ここにこういう形で祀られることになったのは、それなりの経緯があることであろう。
それにしても、これまでそれと気づかずにいた自分が恥ずかしい。
きょうは、ここのところを確認させていただければ、参拝のかいがあったというものである。
なんの余興か、源頼朝の腰掛石などというものもある。
ふと社殿前の池を見ると、一羽の白鳥が舞い降りていた。
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なお神仏分離で別当寺、熊野山新宮寺に移された一切経はどうなっているのだろう。
新宮寺は拡張されて広くなった街道の斜め向かいに存在しており、近年改装されたものと思われる。
ちょっと読みにくい画像だが、平易な文体で分かりやすく書いてある。
近年になって文殊菩薩像と一切経の収蔵庫が設置されて保存されているようだ。
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「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <33>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト
★★★★★
先日急用で高舘那智が丘周辺に出かけた。ちょうど名取熊野三社について思いをめぐらしていた時だったので、あれ、これは呼ばれたかな、と思ったものだった。用を済ませたあと、熊野那智神社、熊野新宮、熊野本宮、紹楽寺、慶蔵院、と回ったのだが、どうもあの日は、写真を撮影しようというエネルギーがでてこない不思議な日だった。
今日もまた続けて呼ばれたので、今日こそは画像をすこし増やそうと思い、スマホを手にした。
新しくできた那智が丘神社から熊野那智神社に向かうと、一番最初に「謎」のお堂が見えてくる。
このお堂こそは、名取熊野那智神社開山にも関わる神仏の像が納められて(いた)いる紹楽寺の観音堂ではなかろうか。
そう思って参拝するのだが、にわか歴男には判読する手がかりがまったくつかめない。看板や石碑がまったくないのだ。
この名取熊野那智神社の開山に関わるところの養老3(719)年に奉納されたとされる「羽黒飛龍権現」とは、いったいどんな神仏像だったのか。あちこち読みのにわか参拝者の記憶は定かではないが、どこかで三十三手観音とも、十一面観音とも聞いたような気がする。
熊野那智神社の本殿の裏には、右手からそのご神体の発見者である治兵ェの碑が、そして左手からは例の名取老女の碑が支えるように建てられている。
ところで、名取老女の勧請がなったのは、この縁起文を読んでも、保安4(1123)年なのであり、時系列的には、はるかに治兵ェのほうが老女より400年も前であることがわかる。
だから、そもそものご神体である羽黒飛龍権現像は、熊野の神々がお越しになるよりはるか前からこの地に鎮座されていたことになり、その像は一体今、どこにあるのだろう、という疑問が生まれてくる。
神仏習合、そして廃仏毀釈の時代には、仏教に関わる縁起物はすべて秘匿されてしまったというから、その際に那智神社の中からは排除されてしまった可能性は高い。そして、今日の一番最初に画像を掲げたあのお堂が、別当寺としての紹楽寺の観音堂として建てられ、そこに収められていた、という記述も目にした記憶がある(確かではない)。
那智神社裏手の階段を下りていくと、修験者が滞留して修行をしたとされる那智の滝がある。この小さな滝が、熊野那智信仰と取の地をつないだのかもしれないが、実は、名取老女が最初に勧請したのは、高館山より10キロほど南の現在の岩沼市三色吉周辺であった、とする文献も目にした(確かではない)。
そもそも、那智が丘団地が開発される前の高舘山の参道は、採石場のある険しい山道のほうであった。小学生時分から私たちはこの山に登ったものであるが、なかなか山深いうっそうとした雰囲気のところであった。
しかし最近訪れてみるとかなり雰囲気は一変している。頻繁に通る採石場のトラックは3・11後、更に増えたようにも思うが、この紹楽寺の雰囲気もかなりガラッと変わったのではないだろうか。看板を見ると開山が飛鳥時代(592~710)となっている。
しかし、その割には建造物や石碑は、やたらと新しく見える。最近できたお寺のような雰囲気さえある。実は、このお寺は長い間住職のいない無住の寺であったように記憶する(定かではない)。つまり荒れていたのだ(ごめんなさい、そういう印象がありました)。
しかるに、いつの頃からか、かなり明るい雰囲気になってきた。その理由はいくつかあるのだろうが、御縁のある和尚さんが、いつの頃からかこのお寺に住むようになったのだ。毎年年賀状をいただきながら、あまり深い関心を抱かぬままに今日まで来てしまったが、実はかなりな変遷があったのではなかっただろうか。
なんの深い理解のないまま本堂に近づいていくと、一番先に飛び込んでくるのは、見上げるほどに大きな十一面観音像である。
そう、あの治兵ェが閖上の浜で揺りあがった神仏を見つけたとされるあの像こそは、この十一面観音ではなかっただろうか。
碑を見ると、治兵ェの文字も、十一面観音の文字も見つかるが、その二つを明瞭につないでいる風には読めない。また、入り口では開山が飛鳥時代であると言いつつ、こちらの碑では、応永20(1413)年などと書いてあるので、私のような歴史音痴の頭にはますます???マークが浮かびあがるのである。
いずれにせよ、民話をもとにしたり、自然崇拝の出羽三山の伝承や、あるいは歴史書にでてくる名取老女の話、そして神仏分離により一山が開かれ曹洞宗門下の修行場となったりしたのだ。どこに時間の基軸を置くかによって、かなりあやふやな表現が存在することになるが、逆に言えば、しっかりとした歴史は把握されていない、ということにもなろう。
それにしても秘仏とされる十一面観音が今や石碑となってそびえ建ち、街道から丸見えなっている、というのも、皮肉と言えば皮肉なものである。
この石碑は分霊されたものだというが、さて本体は山頂にある、とのことだが、どこにあるのだろう。名取熊野那智神社に収められているのか、あるいは、その敷地内にある名称不詳(ごめんなさい)の一説に紹楽寺観音堂と呼ばれるあの荒れた(またまた大変失礼<(_ _)>いたします)お堂の中に、今でも秘匿されているのだろうか(おそらくそれはない)。
そしてまた710年代に閖上浜で揺りあがったとされる神仏像も本当はまだ十一面観音とは特定できないでいる。少なくとも名前は羽黒飛龍権現であるとか、聞いてはいるが、どうもあやふやな理解しかできない。
少なくともこの紹楽寺境内にある「湯殿山」の古びた石碑が、羽黒山を含む出羽三山との関係浅からぬニュアンスを表現しているかに思える。もっとも湯殿山は、出羽三山の中にはあとから加えられたもので、その位置は以前は月山、羽黒山、そして鳥海山(異説あり)が占めていたとのことである。
ところで今回高舘山を参拝して太平洋を望んだとき、ふと気づいて七島観音堂の方向を計ったら、ほぼ真東であることが分かった。距離的に言えば、高館山と太平洋のちょうど中間にあたる(後日地図できちんと確かめてみよう)。
高舘山から射られた矢が「矢越の橋」を超えて突き刺さったところに観音堂が建てられたということだが、太平洋(羽黒飛龍権現)→高舘山(十一面観音)→上余田(七島観音)という経緯をたどったとする推測もできないわけではない。なんだかそんなネットワークを発見したような、しなかったような、不思議な気分である。
このネットワークには、もっともっと地理的にも、時代的にも、人脈的経緯からも、さらには個人史的にも、深い縁があるような、ないような、感じがするので、まぁ、これからも、不思議BOXのパンドラでも開くような気分で、ゆっくり対応していきたいと思います。合掌
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「瞑想―祝祭の芸術」 <9>
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 1981/03 めるくまーる 単行本 440ページ
★★★★★
無意識というものは、実際は無意識ではない。むしろ、それはただ意識が減少したものに過ぎない。だから、意識と無意識の違いは、単に程度の差なのだ。その二つは対局のものではない。その二つは関係し合い、結合されている。
論理の間違った体系のために、あらゆるものが対極に分裂している。論理はこういう、「肯定か否定か、光か闇か」。論理に従うかぎり、その中間などない。しかし、<生>とは白でもなければ黒でもない。むしろ、広大は灰色のひろがりなのだ。
だから、私が「意識的」あるいは「無意識的」と言ってもその二つが互いに対立しているということではない。フロイトにとっては、意識は意識、無意識はあくまで無意識だ。つまり、それは白と黒、肯定と否定、生と死のあいだの違いなのだ。だが、私が「無意識」というとき、それは「意識が減少した状態」ということだ。また、「意識」と言うときは、「無意識が減少した状態」ということを意味している。それらは重複し合っている。
どうしたら無意識に出会えるだろう? フロイトに関するかぎり、その遭遇はありえない。もしフロイトにどうやって無意識と遭遇するのかと尋ねたとしても彼はこう答えたに違いない。
「それは馬鹿げている。あなたは無意識に遭遇することはできない。もし遭遇したとしたら、それはもうすでに意識だ。というのも、遭遇するということは意識的な現象だからだ。
一方、私にどうやって無意識と遭遇するのかと尋ねたら、こう答えるだろう。
「無意識に遭遇するための道はある。」
私にとって、第一に銘記されなければならないことは、無意識とは単に「意識が減少した状態」だということだ。だから、あなたがもっと意識的に成長すれば、それに遭遇することはできる。
第二に、意識と無意識は固定した境界ではないということだ。その二つは、ちょうどあなたの眼のなかの瞳孔のように、たえず変化していいる。光が多ければ瞳孔は狭まるし、暗くなればそれは広がる。外界との光と絶えず均衡を保っているのだ。同じように、意識もたえず変化している。実際、肉眼の現象から類推して意識現象を理解することは非常に要領を得ている。なぜなら、意識こそ内なる眼であり、魂の眼だからだ。だから、ちょうど肉眼のように、あなたの意識もたえまなく拡張したり収縮したりしている。
たとえば、怒っているときには、あなたはより無意識になる。いまや無意識がより広がって、あなたのなかのごく小さな部分しか意識として残っていない。ときには、その小さな部分さえ消えて、完全に無意識になる。一方、突然の事故の場合-----路上で突然事故が起こりそうになるのを感じて、あなたが死の淵にのぞむような場合-----あなたは完全に意識的になり、無意識な部分はまったくなくなる。突如として、心(マインド)全体が意識的になる。だから、この変化はたえず起こっている。
私が「意識」あるいは「無意識」と言うとき、その二つのあいだに何か固定した境界線があるというつもりで言っているのではない。そういうものは何もない。それは変動する現象だ。それは、あなたがより意識的でないか、あるいはより意識的であるか、あなた次第なのだ。あなたは意識をつくり出すことができる。あなた自身を鍛錬し、訓練して、もっと意識を増大させることもできるし、逆にもっと意識を減少させることもできるのだ。
もしあなたが、意識を減少させるように自分を鍛錬したら、あなたは絶対に無意識とは遭遇できない。実際、それに遭遇することなどできなくなってしまうに違いない。誰かが麻薬や酒類を吸引するとき、その人は自分の心(マインド)がすっかり無意識になるように訓練しているのだ。眠りに入るときには、あるいは催眠術をかけられたり、自己催眠をかけたりするとき、あなたは意識を失う。
たくさんの方法があって、無意識をさらに増大するのに役立つようなその方法の多くは、宗教的な修行として知られてさえいる。退屈を誘うようなものはすべて無意識を生み出す。p357OSHO「鏡の凝視」
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<4>芸術 目次
1)芸術は英語でアートと翻訳される。だが英語でのアートは、かならずしも芸術とは意味しない。大工さんの技もアートであるし、何が何だか意味不明という前衛芸術もアートされる。本来、アートとは人間の営みすべてにおいて、そう表現できるのではないか。
2)日常生活に使われるカゴやザルや土器、装飾品など、別段に気をてらったものではなくても、そして時代が経て、無用になったものは、むしろ民芸として珍重される場合さえある。目的はなんであれ、土で作られた人形が大地から掘り出され、国宝として厳重に保護される場合さえある。
3)労働の疲れをいやすために唄われたつぶやきに似た歌謡が、やがて無形の芸術として高く評価されたりする。自らの存在証明のために必要にせまられた絵画的表現は、単なるメッセージであったかもしれないし、意味すらない排泄に近い行為の結果だったかもしれない。
4)それがどのような空間で、どのように記されたものであれ、それは芸術となりうる。あるいは、もっと広く、アートを「技」と言いかえることができるなら、この世の出来事はすべてがアートでありうる。
5)森にかかった蜘蛛の巣に雨のしずくがかかって虹色に光っていたりすれば、そこに誰彼の意図を超えた大きな天の技を感じることができる。流れる雲、山間をくだる谷川のせせらぎは、誰に聞かれようともしていないが、官能するものには、とろけるような快感を生み出す。
6)人間が生み出す物をすべて技であると規定した場合、外的に有用なものは技術であると表現され、利用価値があまりないがどこか内面に響くものは芸術と称される。役にもたたず、心も打たないものはガラクタとして捨てられる。
7)現代の技の最先端、科学技術のシンボルは大きくわけて二つに表現できる。ひとつはコンピュータである。類人猿が最初に道具として使った技が、他の動物の死骸からとった骨であろうが、石のかけらであろうが、そこから技は始まった。火を使うことが可能になり、やがて、言葉が発明された。その結果、農業の第一次革命、工業の第二次革命、そして情報革命の「第三の波」(アルビン・トフラー 1980/10 日本放送協会出版局)となった。
8)トフラーの預言は実現され、インターネットは普及し、「ウェブ進化論」(梅田望夫 2006/02 筑摩書房)に刺激される形で当ブログはスタートした。当ブログの最も根幹を形作ってくれたのはこの本である。
9)経緯あって、あれから10年、振り返ってみれば、パソコン、インターネット、そして次なるものが求められる時代になっている。ケヴィン・ケリー「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則(2016/07 NHK出版)に集結すべきプロセスが当ブログの本幹だった、と規定することも可能である。
10)さて、現代科学技術の片一方の「技」は、原子力発電である。
ーーーーーーーーーーーーー
と書きかけてから、すでに一か月以上放置してしまった。今となっては同じような論調では続けることができなくなってしまった。でももったいないから(笑)、ここにアップしておく。今後はいきなり論調が違うことになってしまうかもしれない。
あるいは、この連続記事は、このような不連続の連続として続いていくことになるのかもしれない。
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「スマホをやめたら生まれ変わった」 <2>
クリスティーナ・クルック (著) 2016/09 幻冬舎 単行本: 310ページ
★★★★☆
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「さよならインターネット」 まもなく消えるその「輪郭」について <3>
家入 一真 (著) 2016/08 中央公論新社 新書 253ページ
★★☆☆☆
1)私は、スマホをやめてしまったわけでもないし、インターネットにさようならしたわけでもない。敢えていうなら、そしてそういう言葉があるとしたらの話だが、表現としてはSNS断食、というものに近いシンドロームを発している。
2)ひとつのきっかけは、世界一大きいSNSのアプリケーションのアップデイトがあって、別段に内容を確認しないまま、どうせOKしなければならないのだからと更新したら、こればまぁ、ウルサイ。
3)いままでは、見たい時に行けばいいいのであって、普段はあまり気にしないでいた。ところが新しいアプリは、トンデモなくウルサイ。何百人かいる中のだれか一人が記事をシェアすると、その度、ポケットの中でピン、ピン、となるのである。これは困った。
4)誰が飯食おうが、どんなジャンクなニュースをシェアしようが、いいじゃないか。たまにはお付き合いして暇つぶしも悪くない。ヘタな新聞なんか見ているより、自分に身近なニュースが流れている。
5)しかるにである。一日に何十回も、何百回もピンピンなるのは困る。おそらくこのアプリも設定があって、ならないようにすることもできるのだろうが、少なくとも主催者たちの意図は、もっともっと注目してほしいということなのだ。しかも、アップされる記事は友人たちの書いた記事の全部ではない。主催者のアルゴリズムによって、操作されているのである。つまり知らず知らずのうちに、白痴化、洗脳化されていく可能性がある。
6)私のやった手段は、SNSの退会ではなく、アプリの削除。とにかく端末から削除した。どうせ見たければまたブラウザ本体からつなげばいいのだ。そんな便利につながらなくてもいい。
7)逆に、たまに自分が書いた記事に対する注目度も、極端に下がったように思う。それは、相対的に流れている記事が多くなりすぎて見えなくなったのかもしれないし、主催者のアルゴリズムが一挙に変わったのかもしれない。とにかく信頼できなくなった。
8)思えば、ワープロ通信、パソコン通信から始まって、メーリングリスト、フォーラム、ネットマガジン、国内巨大掲示板、国内最大手SNS、つぶやきネット、世界大実名SNS、画像ネット、と次から次とネットサービスが続いてきた。
9)最近、これはもうだめだな、と思ったのは、簡易吹き出し型文字通信。これはウルサイ。それに個人情報の扱いが雑。ここが私のネット社会との付き合いの分水嶺だった。年配者でも結構使っているようであるが、私はイヤじゃ。実際に会うか、せいぜい電話のほうがいい。
10)そして最近のアニメキャラのGO!とかいうやつ。わが同輩たちも、結構夢中になっている連中がいる。近所の歯科医が我が家周辺をうろついているなぁ、と思って聞いてみたら、どうやら我が家周辺はアニメキャラの宝庫なのだそうだ。
11)あるいは近所の美容師は、休み度に石巻まで車を飛ばすという。いや、仕事が終わってから、夜中に行く場合もあるらしい。これもまた、特別なキャラがたくさん出現する、とかの理由らしい。
12)まぁ、それもいいだろう。それぞれのライフスタイルがあるのである。職場に縛られることの多い友人たちゆえ、自由に時間になるときは、なんらかの理由をつけて散歩したり、ドライブするのもいいだろう。
13)だが、私には必要がない。
14)今現在、まだまぁまぁかな、と思っているのは、つぶやきネットと、画像ネット。つぶやきネットはほとんど行かないが、たまにいくと面白い。やっぱり世の中知らないことが多い。
15)それと画像ネット。うるさく友人のだれだれがこういう名前で参加してますよ、という案内は来るが、それは一切無視。私にはフォローしている人はいない(その割にはフォローしてくれている友人が結構いる)。私のやることは、画像一枚と、五七五をひねること。
16)なかなかいい句がでてこないが、いいのだ。誰に聞かせるわけでもなく、単にメモしているだけだから。自分としての記録メモでもある。画像も最近は実はあるテーマに絞られつつある。
17)つぶやきネットも、ある特定のつぶやきストが好きで、彼だけはたまに読みにいく。そして最近めっけたのは、毎回毎回美しい仏像を画像つきで紹介しつづけているつぶやき。ほう、こういう趣味の人がいるのか、というのと、こういう仏像があるんだぁ、という驚きと、ふたつの興味が湧いてくる。
18)国際実名SNSでも、実は広告なのだろうが、最近仏像フィギュアのお店が頻繁に登場する。
19)十数万円するような装飾品を購入できるような身分ではないが、なるほど、こういうのが流行っているんだなぁ、と我が意を得たり。友人たちが、結構「いいね」をつけている。このお店では、近々薬師如来と十二神将のセットを販売するという。
20)しかしだ。薬師如来ときたら、わが樹齢1300有余年のカヤの木から彫った薬師瑠璃光如来で決まりでしょう(微笑)。
21)私はスマホをやめる気もないし、インターネットにさようならする気もない。ましてや、仏像鑑賞や彫刻を一生の唯一の趣味とは考えてはいないけれど、たまにはSNS断食みたいなことをして、何か手作業をやりたいな、と思うというのは本当のことだ。
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「続・彫刻刀で楽しむ仏像」[釈迦如来・聖観音菩薩] <20>
関侊雲(監修), 河合宏介(写真) 2013/6/5 スタジオタッククリエイティブ 単行本 176ページ
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さとりサマーディにて
<11>さとりサーマディにて 目次
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「瞑想―祝祭の芸術」 <8>
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 1981/03 めるくまーる 単行本 440ページ
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サマーディはひとつの隙間(ギャップ)として始まる。だが、それは決して終わらない。
通常、隙間(ギャップ)は始まると必ず終わる。つまり、境界線---始まりと終わりがある。が、サマーディは隙間(ギャップ)として始まり、それから永遠につづく。そこには至り着く終わりはない。だから隙間(ギャップ)が生じて、しかも終わることがなければ、それはサマーディだ。が、始まりと終わりのある純然たる隙間(ギャップ)だったら、それはさとりだ。サマーディとさとりの違いはそこにある。
もしそれがただの一瞥、ただの隙間(ギャップ)でしかなく、その隙間がまた見失われるなら----もし、さるものが括弧でくくられ、その括弧が完結していたら(あなたはちょっとのぞきこんではもとに戻り、跳びこんではもとに戻る)、もしあることが起こってもまた失われるのなら----それはさとりだ。
さとりは一瞥、サマーディの一瞥だ。が、サマーディそのものではない。サマーディとは<智>の、はてしなき<智>の始まりなのだ。OSHO p290<さとり>と<サマーディ>の相違
サマーディは一瞥ではない。サマーディは死だ。しかし、さとりは一瞥であって死ではない。さとりはさまざまな方法で達成できる! 審美的な体験がさとりの源泉になりうる。音楽がさとりの源泉になりうるし、愛がさとりの源泉になりうる。
そのなかにあっては過去が無意味になってしまうような強烈な瞬間j、あなたが現在に存在している強烈な瞬間----愛、音楽、誌上、あるいは過去が介在せず未来への欲望もない審美的な瞬間----そういったどんな瞬間においてもさとりは可能になる。しかし、これはほんの一瞥だ。
この一瞥が意味深いのは、さとりを得てはじめてサマーディの何たるかを感じとれるからだ。サマーディの最初の味わい、最初のはっきりした香りが、さとりを通して訪れる。さとりが役に立つのはそこだ。ただし、どんなに役に立つものでも、それにしがみつき、それがすべてなのだと思いこむと、邪魔になりかねない。さとりにはあなたをまどわすような至福がある。それにはそれ独自の至福がある。
あなたは未だサマーディを知らないがゆえに、さとりが、あなたに訪れる究極的なものになってしまう。そしてそれにしがみつく。が、しがみついたら、あなたは以前は助けになったものや友だちだったものを、障害や敵に変えてしまいかねない。だから人は、さとりには危険がつきまとう可能性があるということに、目覚めていなければならない。あなたがこのことに気づいていれば、さとりの体験は役に立つ。OSHO p293 同上
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「続・彫刻刀で楽しむ仏像」[釈迦如来・聖観音菩薩] <19>
関侊雲(監修), 河合宏介(写真) 2013/6/5 スタジオタッククリエイティブ 単行本 176ページ
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<65>「Mindfulness in the Modern World」カテゴリについて
1)書かれたのは 2016/12/21~2017/02/12の間の55日。
2)「再読したいこのカテゴリこの3冊」は次の通り。
「続・彫刻刀で楽しむ仏像」関侊雲他 2013/6/5 スタジオタッククリエイティブ
「2001年宇宙の旅」 スタンリー・キューブリック監督 1968
「Mindfulness in the Modern World」OSHO 現代世界のマインドフルネス How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? OSHO 2014/04 Griffin
3)最初からこの三冊で行こうと決めて、最後までこの三冊で進んできた。今後数カテゴリにおいて同じテーマが続くことだろう。
4)英語表記から日本語表記に変えて、次なるカテゴリは「現代社会におけるマインドフルネス」となる。
5)私は2061年に生きているわけでもなく、ましてや3001年に生きているわけでもない。あるいは、1300年前に生きているわけでもなく、2500年前に生きているわけでもない。2017年のこの地球に生きているのである。私が私として。
6)読み方はなんであれ、瞑想でもマインドフルネスでもいい。手垢がつかず、より率直な表現であれば、何事かを成しうる。
7)わがマスターはOSHOである。そう決めて生きてきたのだから、そうならざるを得ない。それが許されてきたのであるし、そうあることこそが自分にとっては一番ふさわしかった。
8)「現代社会におけるマインドフルネス2」 つづく。
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再読したいこのカテゴリこの3冊
「Mindfulness in the Modern World」 編
「続・彫刻刀で楽しむ仏像」関侊雲他 2013/6/5 スタジオタッククリエイティブ
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「瞑想―祝祭の芸術」 <7>
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 1981/03 めるくまーる 単行本 440ページ
★★★★★
死とは、表面的な生、取るに足らぬいわゆる「生」からの扉だ。そこには扉が在る。その扉を通り抜けたら、あなたはもうひとつの生に達する。より深い永遠の生、死なき生、不死なる生に----。
だから、実際死ぬこと以外の何ものでもないいわゆる「生」と呼ばれるものから、人は死という扉を通り抜けてゆかねばならない。そうしてはじめて、人は、本当に実在的で活動的な生、不死の生に到達するのだ。
しかし、その「扉は非常に意識的に通らなければならない。私たちはこれまで何回も死んできた。が、人は死ぬとき必ず無意識になる。あなたは死を非常に恐れているから、死が訪れる瞬間あなたは無意識になる。
あなたは無意識状態でその「扉」を通り抜ける。それからふたたび生まれ、同じナンセンスがそっくり始まる。そしてまたしてもあなたは死とかわかわらない。
生よりむしろ死のほうにかかわる人は、「扉」を意識的に通るようになる。それこそ瞑想によって意味さえていることだ。はっきり意識して死という扉を通こと----。意識的に死ぬということこそ瞑想だ。
しかし、あなたは死を待つことはできない。また待つ必要もない。なぜなら死は常に存在するからだ。死はあなたの内部に存在する扉だ。それは遠い未来に起こるものではない。それはあなたが到達しなければならないような外部のものではない。それはあなたのなかにあるひとつの扉なのだ。
死という事実を受け入れ、それを感じ、それを生き、それを意識するようになるやいなや、あなたは内なる飛び粗を通して落ちはじめる。その扉が開く。そしてその死の扉を通して、あなたは永遠なる生を一瞥しはじめる。死を通してはじめてhとは永遠なる生を垣間見ることができる。
ほかに方法はない。したがって実際のところ、「瞑想」として知られているものはすべて意志的な死にほかならない。内なる深化、内なる沈潜、内なる下降、表面から離れて深淵へと入ってゆくことにほかならない。
むろん、その深淵は暗い。表面を離れた瞬間、あなたは自分が死ぬように感じるだろう。生の表面を自分自身だとみなしてきていたからだ。表面の波はただ水面の波ではない。あなたはその水面の波と自己同化してしまっている。あなた自身が水面になっているのだ。
だから水面を離れるとき、あなたは単なる水面を離れるだけではない。あなたはあなた自身を、あなたの存在証明を離れる。過去や心(マインド)、記憶を離れるのだ。あなたは死んでゆく・・・・・。
そしてあなたにこの意志的な死を死ぬ用意があってはじめて----深く自分を超えて進み、自己を離れて表面を超越しはじめて-----あなたは真実(リアリティ)に到達する。そしてその真実は永遠だ。p216 OSHO 「全面的な欲望:無欲への道」
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「国際SFシンポジウム全記録」 冷戦以後から3・11 以後へ <1>
日本SF作家クラブ (編集) 巽 孝之 (監修), 2015/08 彩流社 単行本 254ページ
No.3893★★★★★
1)クラーク 「2001年宇宙の旅」の筋書はいま、あなたがご紹介下すったようなわけです。人間とは何かそれ以上にすぐれた存在というものとの接触は(必ずしも常にすぐれたとは限らないでしょうが)SFの一番古いテーマなんですね。
これはある意味においては昔の昔話的なものからうまれたものかもしれません。たとえば怪物であるとか魔物であるとか、そういったイメージからの産物化もしれません。
しかし、今日ではそれがひじょうに重要になっているのです。宇宙研究家も、天文学者も生命というのは実は宇宙にたくさんあるのだといいはじめています。
何億、何十億とある天体の中に生命がないと考えることのほうが不合理な、考えられないことです。
したがって、われわれ人類というのは、この天体において比較的その歴史は若いわけで、せいぜい数十万年という、宇宙の歴史から考えれば、ほんの一瞬といっていいほどのわずかな歴史しか持っていないわけですね。
したがって、この実際の全宇宙系の序列から見ると、人類は一番下のほうにあることになる。ですから、いずれ、どこかほかの天体の生物の存在が観測機械でわかるかもしれませんし、また、ここへくるかもしれません。また、われわれのほうが他の星へ行って、そういう生命に接触するかもしれません。
そんなわけで、こうした人類以外の代物との接触は-----ある場合には人間より優れていることもあるでしょう----もはや単なる空想ではなくて、現実になりつつあると考えていいと思います。p41 アーサー・C・クラーク(小松左京との対談 1970/09/24 NHK教育TV放映)
つづく
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「郷土の文化財」
名取市自作教材グループ DVD 14分45秒 名取市図書館所蔵
No.3892★★★★☆
1)ついでに借りてきたDVDであったが、大きな収穫があった。実は、現在進行形の彫刻薬師瑠璃光如来が完成したら、次は、茅葺農家のジオラマを造ろうと思っているのだ。先年、遠野に遊んだとき、博物館で見たジオラマで火がついた。
2)名取の郷の我が生家は当然ながら、曲がり家ではないのだが、ちょうど、この資料DVDにでてくる洞口家と旧中沢家住宅のちょうど中間くらいの大きさだった。
3)これに冠木門(かぶきもん)がついていた。
4)資料は少しづつ集めているのだが、そうそう1976年当時、近くの工業専門学校建築家の先生が実施調査したデータがあるはずだから、それを探し出して、詳しく再生してやろうと思う。
5)こちらは仙台市指定文化財の石垣家住宅
5)おそらく、母屋の大きなモデルと、屋敷全体のモデルと二通りになるだろう。古い写真も探し出しておこう。
6)冠木門についての記述している家もある。(名取市高舘地区)
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「熊野神社歴訪」
宇井 邦夫 (著) 1998/11 巌松堂出版 単行本: 305ページ
No.3891★★★★★
1)さらに同社(編注:名取熊野本宮社)の由来の中には、本家争い的な表現も見られる。
当社長岡の郷より当所により紀州より本文に勧請以来高橋伊豆毛が奉仕したが^、その子孫は新宮建立後、防舎株を他に譲渡し、他村で一寺を開いた。
中世乱世の際、種々の変動あり、さらに京師流落の浮屑(僧侶)氏等来り、当地に熊野三社宮(又世は熊野三所権現という。今の熊野新宮社)を建立して以来、当社を単に十二神、甚しきは十二神薬師堂とさえ称するようになった。
こうして当社は、いつしか本宮社或は十二神社と称するに至り、名取熊野堂の熊野社といえば、三所権現、即ち新宮のみが世に知られるようになった。p39「宮城県」
2)この一書は、極めて重要な記述が多く、再読、再再読が必要である。今回は急ぎにて、この部分だけで、他は割愛した。
3)少なくともここで分かることは、「おらが名取の『言い伝え』」(年代不詳 名取市農業協同組合)で伊藤わくり(当時70歳)が語っていたことはほぼ事実であり、薬師十二社権現は、新宮ではなく、本宮のことであることがほぼ確定した。
4)行政などによる記録資料では、三社それぞれに「公平」に記述されているために、細かな状況が省かれ気味であるが、個人や言い伝えでは、そのあたりの細かな機微がキチンと伝えられていることが多い。あらためて、種々な資料にあたる必要を強く感じる。
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「おらが名取の『言い伝え』」
名取市農業協同組合 年代不明 B5版 64ページ 名取市図書館所蔵
No.3890★★★★☆
1)「十二神の地名の由来」 熊野堂 伊藤わくり(70歳)
本宮社は元、「薬師堂十二社権現」と申しておりました。薬師堂とは薬師如来をお祀りしているお堂のことで、薬師如来には十二の脇侍の神将がその如来様の脇に控えているのが定まりです。そのことから「十二神」という部落の名が生まれたと聞いています。参考までに十二神将とは次の神様達です。
一、クビラ大将
二、バザラ大将
三、メキラ大将
四、アンチラ大将
五、アニラ大将
六、サンチラ大将
七、イングラ大将
八、ハイラ大将
九、マコラ大将
十、シンダラ大将
十一、ショウトラ大将
十二、ビガラ大将
この十二神将は、薬師如来の信仰者を守護する役目を与えられた神々で、その頭には十二支の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を載せています。
本宮社のご本尊の周りにお建ちになっている小さなお宮には、各々二柱の神様がお祀りされているそうです。
薬師如来様の信仰は諸悪病を除くという効能・ご利益があるとされて病気を治す神様なのです。十二神様は人間の病ばかり治すのではなく、農作物、とくに稲の病虫害を除くという御利益があるとされ、昔は「烏牛王」(からすご)という御幣を苗代作りの頃部落の氏子に頒布していました。
この御幣を苗代の水口に挿して、今年の豊作を祈念していた習わしがありました。ありがたいことでした。終わり。(高舘十二神老人クラブ所属)p14
2)この文章を読む限り、名取熊野新宮の本地仏ばかりか、名取熊野本宮もまた薬師如来との縁が深く、「薬師堂」とまで呼ばれていることが分かる。
3)私たちは同じ市内ながら離れた地区だったので、この地域のことを「クマンド」と呼び習わしていたものだが、この地域の中にあっては、さらに細かく呼称がついていたのだろう。
4)それにしても、お薬師様は人気があるものだ。
5)残念ながらこの自主出版のパンフレットには発行年が記していない。1988~1990年頃に発行されたものと推測される。その当時の70歳とすれば、現在の2017年からさかのぼること100年くらい前に生まれた方だろうか。
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「熊野信仰と東北」 名宝でたどる祈りの歴史
「熊野信仰と東北展」実行委員会 2006/07 東北歴史博物館内 大型本 p223
No.3889★★☆☆☆
1)この展覧会での熊野神楽の公演はDVDとして名取図書館に収蔵されている。
2)閖上浜に揺りあがった神仏像は、719年に高館山に羽黒飛竜権現として祀られることになった。名取老女が熊野三者を勧請したとされる保安4年(1123年)にさかのぼるところ400年前である。
3)つまり名取高館山は、熊野信仰の聖地となる前は、出羽三山の修験道の影響下にあったと思われる。
4)羽黒とは、羽黒山のことであろうが、羽黒とは黒い羽根、つまりカラスを意味することになる。出羽地方にそびえた三山(あるいは四山)は、それまでの経過はともかく、やがて熊野信仰と習合していくことになったのだろう。
5)出羽三山の開山は千四百年余前の推古元年(593年)といわれています。第32代崇峻(すしゅん)天皇の御子である蜂子皇子が、聖徳太子の勧めにより、宮中を逃れ、越路(北陸道)を下り、能登半島から船で海上を渡り、佐渡を経て由良(現鶴岡市)の浦に辿りついたところ、三本足の大きな鳥が飛んできて、羽黒山へ導いたといいます。山形県HPより
6)出羽三山に湯殿山が加わったのはのちのことで、最初は月山、羽黒山に鳥海山(あるいは葉山)が三山と称されたようだ。それぞれに本地仏がある。
7)熊野三山の本地仏は、聖観音、薬師如来、阿弥陀仏、とされるが、このトリニティに出羽三山も対応することとなり、名取熊野三山もいずれ対応することとなる。
8)聖観音とは、観世音菩薩のことであろうか。
9)現在確認できているところでは、名取熊野新宮の本地仏は薬師瑠璃光如来であり、観世音菩薩への道もそれなりについている。しかし、当ブログとしては、いまだ阿弥陀仏は模索中である。縁があるのかないのか。トリニティはつながるのか、つながらないのか。
10)さて、羽黒飛竜権現の、飛竜とはなにか? 閖上浜から光となって名取高館山に夜な夜なとんだという故事から飛竜の名を賜ったのだろうか。
11)この神仏像は、今でも熊野那智神社にあるという説と、神仏分離令のもと、別当寺の奥州三十三観音霊場第一番の紹楽寺の御堂に保存されているという説があるが、秘仏ということで公開されていない。これからの散歩探索の楽しいテーマになりそうだ。
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「オープン化する創造の時代」著作権を拡張するクリエイティブ・コモンズの方法論
ドミニク・チェン (著) 2013/06 (カドカワ・ミニッツブック) Kindle版 ファイルサイズ: 1475 KB
No.3888★★☆☆☆
1)この本(?)、図書館の司書にリクエストしたが、確認できないと拒否された。よく見えれば、これは電子本でしか存在しないので、図書館に取り寄せてもらう、ということはできないのであった。
2)ネット上ではサンプル版を見ることができるので、その雰囲気を知ることはできる。値段も少額なので全文読めないわけではないが、そこまでして私はこのドミニク・チェン追っかけに夢中になることはできなかった。
3)これで現在一般に流通しているこの書き手の本には一通り目を通したことになり、残る一冊「シンギュラリティ」人工知能から超知能へ( マレー・シャナハン 2016/01 NTT出版)は監訳なので、著書とはいいがたい。あとがきなどに意味ある一句などを見つけたりするかもしれないが、今となってはあまり期待しないでおく。
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「フリーカルチャーをつくるためのガイドブック」 クリエイティブ・コモンズによる創造の循環
ドミニク・チェン (著) 2012/05 フィルムアート社 単行本: 312ページ
No.3887★★★☆☆
1)この書き手は統合力があると思う。あれこれ広範囲の情報を雑食し、ですます調で取り澄ましてまとめてしまう、ある意味詐欺師的才能がある。
2)この本を今読んでもあまり感動しないが、おそらく2012年というタイミングでこの本に出合っても、私は感心しなかったであろう。時は2012年5月である。3・11震災後のこのタイミングで、ちっとも3・11に触れていない。
3)内容的には大きくノンを突き付けたくなるようなところはない。これはこれでいいのだ。しかし、そのどこに、このドミニク・チェンの、突き抜けたような独自性があるのか。
4)この本は、遠く日本海側の図書館から私のリクエストのために転送されてきた一冊である。いつものことながら、図書館スタッフに皆さんには感謝しています。しかし、そのことが示す通り、この本は、県内どころか近隣の県には在庫されていない本である。
5)内容がまともすぎる。革命性を狙いつつ、どうもオーソドックスである。古臭い。借り物が多すぎる。どこかで若者性が失われている。
6)この書き手、このままでは、小粒のまま終わってしまうだろう。
7)ドミニク・チェン。旅に出よ。孤高に徹せ。いい子ちゃんになるな。
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「シェアをデザインする」 変わるコミュニティ、ビジネス、クリエイションの現場
猪熊 純, 成瀬 友梨, ドミニク・チェン他, 2013/12 学芸出版社 単行本: 248ページ
No.3886★★★☆☆
1)ドミニク・チェン追っかけの中で出会った本であるので20人弱が関わっている本ではあるが、他の方々は割愛する。どちらかというと若手中心の執筆陣であり、どこか若手の登竜門的な雰囲気を持つ一冊。
2)248ページ中、ドミニク・チェンが与えられているのは10数ページのみであり、その内容も、前著である「フリーカルチャーをつくるためのガイドブック」(2012/05 フィルムアート社)の紹介に徹しているようでもある。
3)私はどうもこの書き手を見ていると、若手院生の論文を添削している老教授のような気分になるから、可笑しい。そもそも私はアカデミズムには無縁の男なので、そのようなことはあり得ないのだが、このような気分にさせるのは、書き手に大きな理由があるのではないか。
4)そもそも、どうもこの書き手は、カメラ目線が目立つのではないか。つまり、内的な発露を書き続ける、というよりは、自分がどのように見られているか常に意識し、計算しつつ、自らの進路を探っているような動行が目立つ。
5)若手であってみれば、それは仕方ないことなのであろうが、しかし、それだとすれば、おそらくアカデミズムの中に自らの立脚点を見つけることは可能になるであろうが、これまでの価値観をぶち壊してしまうような、本当に革新的な地平まではたどり着かなくなってしまうのではないか、と危惧する。
6)ジジイ殺しのイイ子ちゃん、それがドミニク・チェンじゃないかな・・・?
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「熊野堂神楽」(ロングバージョン)<1>
名取市熊野堂神楽保存会 2006/08/20 東北歴史博物館特別展「熊野信仰と東北」公演 名取市教育員会 DVD 93分 名取市図書館所蔵
No.3885★★★☆☆
1)「熊野堂神楽」(名取市自作教材グループ 1993/05)の編集前のソースという意味ではない。「熊野信仰と東北」というイベント展が多賀城市の東北歴史博物館で行われた際の、ゲスト出演の記録がこのDVDに残されているのだ。
2)正直言って、宗教行事として行われる神楽と、伝統芸能として行われる神楽では、まったく趣きが違ってしまう。神社というエネルギーの場を利用したマインドフルネスと、仮説のゴザの上で繰り広げられるアートでは、当然が意味が違ってくる。
3)このDVDでは、板橋宮司の解説もついているが、わかりにくい内容もで、本当は解説なんていらないのだ。大人だって、子供だって、見て、感じたことは、キチンと意識の中に残る。それが無意識だろうが、超意識だろうが、キチンと刺激する。
4)マンドフルネスの中で、意識と無意識の境界が解け始め、無意識と集合無意識の境界が解け始める。そして、超無意識領域へと解け去っていく。
5)とともに、意識は集合的意識へ、超意識領域へと解け去っていく。
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「続・彫刻刀で楽しむ仏像」[釈迦如来・聖観音菩薩] <18>
関侊雲(監修), 河合宏介(写真) 2013/6/5 スタジオタッククリエイティブ 単行本 176ページ
★★★★★
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「WIRED」 VOL.27/科学のゆくえを問う大特集「Before and After Scienceサイエンスのゆくえ」 <1>
雑誌 – 2017/02
Condé Nast Japan (コンデナスト・ジャパン) (著), WIRED編集部 (編集) WIRED関連リスト
No.3884★★★★★
1)定期購読者としての2冊目。待ち遠しいのだが、ひょいっと忘れている日にポストに入っていたりするから、うれしい。優待されているような(それはホント)気分。うだるような日常の中に、突然鋭角的飛び込んでくるような非日常。
2)今号よく見ると、サイズが違っている。ちょっと縦が短くなっており、横幅が広くなっている。ビジュアル的にはこれでいいのだろうが、いままでのバックナンバーと揃えておくには、ちょっと不便。
3)そして編集社よりのお知らせが。来号からまた3か月おきの発行になり、年4回になるという。まぁ、それはそれ、しかたないだろう。休刊や廃刊になるよりはずっといい。
4)しかしそれにしても、ごく最近になって隔月刊が確定して定期購読者も募集し始まったはずなのに、やはりこれだけの内容の編集を維持することは大変なのか。さらには、いまいち発行部数が伸びないのかもしれない。まぁ、それはそれでいいだろう。
5)今号の特集は「Before and After Scienceサイエンスのゆくえ」 。まぁ、わからないでもないが、まぁ、そんなところであろう、という妥協がある。しかし、その中にあっても「遠野へ---科学と民俗学のあわい」なんて記事が際立つ。
6)私達夫婦も震災後におちついてから遠野に遊んだ。遠野も悪くない。しかし、遠野だけが民俗学ではなく、遠野を離れてもなお民俗の中にあるのが当ブログの在り方である。WIREDがあえて今、遠野を取り上げることに異論はないが、そこから入るなら、奥も深いよ、と進言しておく。あるいは、期待してしまう。
7)この号、ページもちょっと厚い。これだけの内容の雑誌を優待価格で読める私はなんて恵まれているのだろう。それにネットから電子本としても読むことができる。
8)ゆっくり読んで、また後日感想を書く予定。
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「もうひとつの熊野古道」
仙台放送 2008/12/13 名取市市政50周年記念 テレビ番組 DVD 30分 名取市図書館所蔵
No.3883★★★★☆
1)まずまずのテレビ番組である。紀州熊野と名取熊野の映像をまぜこぜにつなぎ合わせているので、初めての人には混乱が起こるかも。2004年に紀州熊野古道がユネスコ文化遺産に指定されたのをきっかけとしてできた番組のひとつであろう。
2)しかしまた、3・11大災害を迎えた後となっては、その3年前の映像、特に名取の海岸線についての映像などは貴重な資料として残るだろう。
3)この番組で特筆すべきは、名取老女の勧請に基づいて紀州熊野から下ってきた一行を先達したとされる三本足のカラスにまつわる「烏宮(からすみや)」の映像が記録されていること。私としては見慣れた風景であるし、かつて私も参拝して資料もいただいているのだが、個人宅の敷地内にあるので、一般にはあまり知られていないお宮である。(資料がでてき次第、当ブログにも記録しておこう)。
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「熊野本宮社 熊野堂十二神鹿踊」<1>
熊野堂十二神鹿踊保存会 2005/04 名取市視聴覚センター DVD 20分 名取市図書館所蔵
No.3882★★★★☆
1)だいぶ前、おそらく20年くらい前だったろうか、本宮社を他の用件で尋ねたことがあった。応対に出られた宮司さんは、たしか関東から退職で帰ってきて1・2年目の方であったと記憶する(年代も、内容も定かではない)。
2)本宮社は、現在の地より500メートルほど西の小館というところにあったらしいが、新宮社が東街道に面していて、こちらが中心になってきたために、三社が合祀され、新宮社は熊野神社と称するようになり、本宮社もその西に移転してきた、との歴史があるようだ(経緯を確認する必要あり)。
3)名取熊野三社には諸説あり、そもそもは、閖上浜にゆりあがった仏像ご本尊様を、拾った漁師が高館山に奉納したという説があり、その名前も年代も二通りあるようである。その古いほうは719年ということである(要確認)。最初は羽黒飛竜権現と言って、現在の名取熊野那智神社の中の、小滝に位置する場所に祀られたようだ。
4)その後に名取老女伝説があり、老女の碑がある周辺には、小さな熊野三社のネットワークが存在する。この下余田地区は、閖上浜と高館山の中間位置にあり、その小さなネットワークが、高館山に拡大して展開された、と見る考えもあるようだ。
5)羽黒飛竜権現には、やがて熊野那智神社が勧請されて改称され、その位置関係から、熊野本宮社、熊野新宮社が勧請された、と見ることも可能のようである。(個人的には、この羽黒「飛竜」権現にきわめて深い関心がある)。
6)断片的な情報ではあるが、この羽黒飛竜権現には、奥殿、紹楽寺の聖観世音院があるとのことであるが、名称や関連も含め、キチンとした学習、検証が必要である。紹楽寺にも、浅からぬ縁を感じる。
7)さて、この熊野堂十二神鹿踊だが、しかおどり、と読むのだろうか、やはり、ししおどり、と読むのだろうか。十二神という地名は熊野神社の東の位置に存在しているのは知っていたが、このような踊りが保存されていたということは、このDVDで初めて知った。
8)十二神とは、仏教を守護するガードマンたちではなく、12の社のことのように説明もあれているが、定かではない(検証を要する)。また、熊野神社の経緯から考えると、716年にあったという羽黒飛竜権現伝説よりもはるか後世に外地から伝わった芸能であるように思うのだが、はて、どうだろう。
9)「踊り手は世襲制で家督に限定されている」などという表記を見ると、近くに生まれながら、家督ではない私などは、なんだかつまはじきされたような気分になる(ただし、私もまたどこかの旧家の婿養子にでも縁組すれば、家督になれた可能性もあるので、ここであまりグチは言わないでおこうw)。
10)この踊りを見ていて、グルジェフが探求してきたスーフィーたちのスクールを思い出した。このような形で(無形文化財として)、ひとつの事実が、神秘が、密かに、長時間に分かって伝承されてきたとするなら、それはそれで、大変貴重な記憶情報となるだろう。
11)このような名取熊野文化に触れることによって、私の中の深い集合的無意識の世界がどんどんつながっていくようだ。
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「祈り」 <2>
山尾 三省 2002/09 野草社 単行本: 151p
★★★★★
「祈り」
南無浄瑠璃光
海の薬師如来
われらの 病んだ身心を 癒したまえ
その深い 青の呼吸で 癒したまえ
南無浄瑠璃光
山の薬師如来
われらの 病んだ欲望を 癒したまえ
その深い 青の呼吸で 癒したまえ
南無浄瑠璃光
川の薬師如来
われらの 病んだ眠りを 癒したまえ
その深い せせらぎの音に やすらかな枕を戻したまえ
南無浄瑠璃光
われら 人の内なる薬師如来
われらの 病んだ科学を 癒したまえ
科学をして すべての生命(いのち)に奉仕する 手立てとなさしめたまえ
南無浄瑠璃光
樹木の薬師如来
われらの 沈み悲しむ心を 祝わしたまえ
樹ち尽くす その青の姿に
われらもまた 深く樹ち尽くすことを学ばせたまえ
南無浄瑠璃光
風の薬師如来
われらの 閉じた呼吸を 解き放ちたまえ
大いなる その青の道すじに 解き放ちたまえ
南無浄瑠璃光
虚空なる薬師如来
われらの 乱れ怖れる心を 溶かし去りたまえ
その大いなる 青の透明に 溶かし去りたまえ
南無浄瑠璃光
大地の薬師如来
われらの 病んだ文明社会を 癒したまえ
多様なる 大地なる花々において
単相なる われらの文明社会を 潤したまえ
Om huru Chandali matangi Svaha p144
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「名取熊野堂舞楽」<1>
制作 名取市教育委員会 ナレーション 大友光子 2002/04 DVD 名取市図書館所蔵
No.3880★★★★☆
1)こちらでは「熊野神社(熊野新宮社)」と表記されている。この舞楽は、いわゆる熊野神社で舞われる御神楽のすべてなのかどうかはまだ定かではないが、ちょっと特殊な部類にぞくするかもしれない。
2)古事記に基づく国造りにまつわる舞や、稚児舞、あるいは鎧をきた武士たちの舞い、とわかりやすくも、ちょっと意表を突かれるような内容。少なくとも、角田市熱日高彦神社の御神楽は、この熊野堂の御神楽の影響を受けている、という文献もあったが、今のところ、その共通項を見つけることはできない。
3)さらには、この熊野堂舞楽は山形立石寺からの流れを組むとの表現もあったが、はてさて、それでは立石寺→名取熊野神社→角田熱田彦神社、という流れになり、どうも納得はいかない。しかしまぁ、まずはそういう仮説の元に、ひとつひとつ検証していく、という手順は面白そうである。
4)なんせ、そもそもが文献や資料が乏しい世界のことである。また、さまざまな歴史的な背景が混然とつながり合っている世界である。慌てずに、ひとつひとつ楽しんでいくに限る。
5)さらには、当DVDにおいて、名取熊野神社の「本地仏は薬師瑠璃光如来である」、といいう表現があった。これは興味深い。今後につながるだろう。
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「伝統を受け継ぐ」熊野新宮社 <1>
名取市自作教材グループ 1995年 DVD 13分 名取市図書館所蔵
No.3879★★★★☆
1)表記に前後があるが、ここで語られる(名取)熊野新宮社とはいわゆる(名取)熊野神社のことではなかろうか。DVD「名取熊野三社」においては、本家熊野新宮に対応するのが名取熊野神社であり、その外に一切経のある「(名取)熊野新宮」があるとされる。
2)いずれにせよ、このDVDにおいては、名取熊野神社の奥殿の三社が1995年当時修理されるにあたっての解説である。
3)私はこの修理される部分を1989年頃、じっくりと拝見したことがあった。なるほどあれからそういう経緯があったのか。
4)それにしても、こうしてみると実に神社仏閣というものの建築物は興味深い。私も一個だけ、熱に浮かれたように法隆寺の五重塔に似せて廃物アートをしたことがあるが、この名取熊野三社を模造するだけでも、大変な勉強になるだろうな、と直感する。
5)文献や資料によっては、いろいろな記述に乱れが生じる場合があるので、それらをひとつひとつ突き合わせていって、より正確な自分なりの正史を作ってみるのもたのしそうだな。
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「名取熊野三社」<1>宮城県自作視聴覚教材コンクール社会教育録画部門 出品作品
制作 名取市視聴覚振興協議会 ナレーション近藤直子 平成16(2004)年度 DVD 15分 名取市図書館所蔵
No.3878★★★★☆
1)当ブログにおいては、最近なぜか「名取熊野那智神社」「解き明かされる日本最古の歴史津波」 (飯沼勇義 2013/03 鳥影社)へのアクセスが急増している。理由は不明だが、私にとってはとても身近な歴史的施設なので、悪い気はしない。
2)最近、図書館に行って、目についたので、関連のDVDをいくつか借りてきた。まずは熊野三社。その関係や由来はそれなりに知ってはいるが、改めてDVDを拝見すると、初めてわかったこともいくつかあった。
3)熊野信仰を勧請した名取老女伝説については知っていたが、その下余田地区に、小さな、熊野本宮、熊野神社、熊野那智神社が、それぞれの屋敷神として祀られている、ということを改めて知った(本宮=柿沼家、新宮=渡辺家、那智=加藤家)。また、名取老女の宮というものも熊野神社にあるらしい。
4)さらには、熊野那智神社を東街道から遥拝する交差点は、五方の辻というらしい。
5)ひとつ気になったのは、古い遺跡が周辺にありつつ、なお仏教の一切経が祀られているということ。長い年月にわたって信仰の地になっていたということの再確認と、いわゆる飯沼史観における津波歴史とのつながりについて、改めて興味を覚えたことだった。
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「瞑想―祝祭の芸術」 <6>
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 1981/03 めるくまーる 単行本 440ページ
★★★★★
蓮華の上に坐っている仏像を見たことがあるだろう。その蓮はただの象徴だ。仏陀の内部に起こっていることを象徴しているに過ぎない。
内面から「ただ坐ること」が起こるときは、さながら一輪の華が開いているように感じられれる。外側からは何も抑えつけられていない。
それどころか、そこには成長があり、内面からの開花がある。
内面の何かが開き、花開くのだ。 p95
あなたがいま何をやっていようと、そのなかに深く没入しなさい。深く没入すればするほど、ますます未知なるものに近づいてゆくだろう。
そして、その未知は既知に対立するものではない。それは既知のなかに隠れているものだ。既知なるものは単なる画面(スクリーン)に過ぎない。
だから、未来に入ってゆかないこと。探求しないでいなさい。ただここにいるがいい・・・。
ただいなさい! p108
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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <1>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials) 目次
★★★★★ 工事中
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「瞑想―祝祭の芸術」
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 1981/03 めるくまーる
「オレンジ・ブック」OSHOの瞑想テクニック
OSHO ホーリスティック・セラピー研究所 1984/04
「新瞑想法入門」OSHOの瞑想法集大成 <4>
OSHO /スワミ・デヴァ・マジュヌ 1993/01 瞑想社 /めるくまーる
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さとりサーマディにて
<10>百歳 目次
1)「今日はなんの日だか、わかる?」 ホームのベットから崩れ落ちて体調を崩し、隣接する病院に検査入院した母。いつもあれこれ、命日やら、縁日やら、誕生日やらをすらすらと答えてくる。今日も、あれこれ二三言いかけた。
2)「今日(6日)は、お父さんの100回目の誕生日だよ」。私も知らなかった。離れてくらす姉弟がメールで教えてくれたのだ。
3)「生きていれば、今日で百歳だよ」。すでに55年前に45歳でなくなっているから、そういう勘定はしてもどうしようもないのだが、まぁ、計算としてはそうなる。
4)「百歳までなんか、生きられないから・・」。 ちょっと戸惑いつつ、常識と言えば常識的な反応。しかし、先日、姪がお見舞いに来た時は、「百歳まで生きるんだよ」と、なんども話しかけていた。聞いていた私なぞは、なんだか変な気分がした。というとことは、あと5年で、死ねということかな(笑)。
5)1917(大正6)年。アーサー・C・クラークと同じ年に、私の父は生まれていたのか。あらためて感嘆す。
6)すでに両目は完全に失明。耳も右がようやく聞こえるか。手足の歩行も介助なしには自由には動かせない。軽い誤嚥性肺炎、そして心臓にもやや負担。常に身体に痛みが伴い、食事もままならない。点滴やら酸素やら、いろいろなチューブをつけて、クルマ椅子でのトイレも、今は介助パンツに代わってするようになった。。
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「ユーザーがつくる知のかたち」 集合知の深化 角川インターネット講座 (6)<2>
西垣通(監修)2015/03 KADOKAWA/角川学芸出版 単行本 290ページ
★★★★☆
1)ドミニク・チェン追っかけで、またこの巻を開くことになった。そもそもはこの講座シリーズの最終巻「ネットで進化する人類」ビフォア/アフター・インターネット 伊藤 穰一 (監修)あたりから、ドミニク・チェンという若手の学者に注目するようになったのだが、こちらにも書いていたとは、ちょっと見落としていた。
2)ある意味、現在世界でも最も注目されている科学者伊藤穣一の監修とは違い、こちらの「知のかたち」のほうは、オーソドックスでアカデミズムなんだろうが、どうも保守的で面白みに欠ける。西垣通の監修ゆえ、そのフォーマットで捉えていくと、せっかくのドミニク・チェンもなぁ。
3)この構造は、例えば日本のスピリチュアル学界においても、せっかく新進気鋭の若手の学者が生まれては来るのだが、その業界のドンの手下になると、全然面白くなくなる。それに似ている。
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「2010年宇宙の旅」
アーサー・C.クラーク (著), 伊藤 典夫 (翻訳) 1984/05 早川書房 単行本(ハードカバー) 375ページ
No.3877★★★★★
1)もう何度も映画では見てきたシリーズだが、今回は小説に挑戦中。何気にふと、この表紙を見たところ、すでに、ここには大きくテーマが提起されている。
2)まずは宇宙船としてのオデッセイであり、スターチャイルドとしての胎児であり、そして問題の浮遊するモノリスである。
3)宇宙船オデッセイ(あるいは他の宇宙船も含め)は、コンピュータHAL9000の象徴であり、またその身体化とみなすこともできる。あるいは2017年現在の言葉で言えば人工知能であろう。
4)スターチャイルドは、人間そのものの象徴であり、地球人全体、あるいは胎児を強調することによって、転生輪廻を肯定するかのような生命全体の進化そのものの象徴でもある。
5)さらには、ここでは物質化はされているが、1:4:9の比率を持つ黒い物体モノリスは、知性というよりもっと拡大した領域、意識そのもの象徴としてみることが可能であろう。
6)つまり当ブログの流れで言えば、コンテナ、コンテンツ、コンシャスネス、あるいは科学、芸術、意識で言えば、宇宙船は科学でありコンピュータであり、スターチャイルドは未知性を含んだ人間そのものの可能性であり、モノリスは、不可知なるものの神秘を漂わす意識そのもの、ということができるであろう。
7)引き寄せてもっと言い直せば、シンギュラリティに向かっての人工知能であるし、グローバル意識をもった地球人としての生命体であるし、マインドフルネスとして語り始められた瞑想への道、ということができる。
8)そういう目でみることが出来れば、2010年の続編である「2061年宇宙の旅」の表紙は、さらに進化している。
9)ここに書かれているのは、宇宙船乗組員としてのスターチャイルド、あるいは地球人そのものとしての「私」であるし、背後に立つモノリスはすでに多数化乱立しており、しかも、そこに潜むのは、人工知能HAL9000の象徴でもある赤い魚眼レンズである。しかも、もっと象徴しているのは、この三つ、HAL、人間、モノリスが、さも一体化しつつあるような暗示である。
10)そして、さらに続編であり、また完結編とも思える「3001年終局への旅」においては、たったひとつのモノリスとして描かれている。
11)見事なプロセスであり、小説としては、これでいいのだと思う。あるいはこれしかないでしょう、というストーリーを描いているのではないか。
12)すでに還暦を過ぎた私は3001年どころか2061年までさえ生き延びていることは想定できない。平均寿命で言えばあと十数年、2045年とか言われる特異点シンギュラリティにさえすでに手の届かない位置に属している。
13)いえいえ、科学技術の進歩は早い、100年、200年の寿命さえ持ち得るかもしれないし、あるいは、医学的に見ても、あと数年、あと数日、あるいはこの瞬間にさえ、私の生命は終わる可能性は十分にあり得るのだ。
14)しかし、この小説がなんであれ、完成度うんぬんとか、ストーリーがどうであるとか、味わい尽くす前に、この小説が暗示しているもの、挑戦しているもの、表現して共感を得ているものは、別段に年代を追わなくても、小説に頼らなくても、すでに達成、完成は可能なのだ、と直感する。
15)不可知なる意識を、未知なるSFとして表現し続けた、そして人工知能や宇宙探索に先鞭をつけ続け啓発し続けてきた著者、アーサー・C・クラーク卿にあらためて敬意を表し、乾杯したい。
つづく
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「続・彫刻刀で楽しむ仏像」[釈迦如来・聖観音菩薩] <17>
関侊雲(監修), 河合宏介(写真) 2013/6/5 スタジオタッククリエイティブ 単行本 176ページ
★★★★★
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「みんなのビッグデータ」: リアリティ・マイニングから見える世界
イサン・イーグル (著), ケイト・グリーン (著), ドミニク・チェン (監訳), ヨーズン・チェン (翻訳) 2015/1 エヌティティ出版 単行本(ソフトカバー): 218ページ
No.3876★★★☆☆
1)ドミニク・チェン追っかけの中で見つけた一冊。素訳した1947年生まれのヨーズン・チェンは、年齢や名前からすると、ドミニク・チェンの父親か? 7か国語を操るという元外交官の、退職後の手慰み、てなことはないのだろうが、ちょっと内輪話が透けて見えるような一冊。
2)ビッグデータはシンギュララリティに向けての大きな要素の一つではあるが、この本はそのビッグデータのレイヤーをいくつかのレベルに切ってみせる。
Ⅰ 個人(一人)スケール
Ⅱ 近隣社会と組織(10人から1000人まで)スケール
Ⅲ 都市(1000人から100万人まで)のスケール
Ⅳ 国家((100万人から1億人まで)のスケール
Ⅴ 世界データのリアリティ・マインド(1億人から70億人まで)
3)著者のネイサン・イーグル&ケイト・グリーンはアメリカのコンピュータ学者&ジャーナリスト。それぞれがそれぞれの仕事をしている。まずまず面白い。具体性があって、なるほどと思わせる部分も多いが、かと言って、プログラマーならざる身としては、なるほど、とうなづく以外に、何ができるというのか。
4)現状を知る、という意味では、役に立つが、それに対する、個人としては、なかなか立ち向かうことはできない。プログラマーなら、ムラムラとするだろう。
5)ところで、ドミニク・チェンは、この方向性ではないだろう。これを含みつつ、もっともっと自らの独自性を発揮すべきであろう。ある意味エリートな彼は、はてさて、どこまで行くかな・・・・?
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「スタンフォード大学 マインドフルネス教室」 <3>
スティーヴン・マーフィ重松 (著), 坂井 純子 (翻訳) (2016/06講談社 単行本: 322ページ
★★★★★
1)良い本である。人気本でもある。私の手元に来るまでも時間がかかったが、二週間滞在のあと、返却機関が来てしまった。私のあとには17人が待っている。送れず返却しなければならない。
2)次に私の元にやってくるには半年ほどかかるだろう。それは大変と、とりあえず、もう一度めくりなおすことにした。良い本である。つくづくそう思った。おそらくこの本は、ケヴィン・ケリー「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則 (2016/07 NHK出版)と並んで、現在の当ブログに対して実際的な行動指針をしめてしてくれる大事な書ということになる。
「<インターネット>の次に来るもの」未来を決める12の法則
ケヴィン・ケリー (著), 服部 桂 (翻訳) 2016/07 NHK出版
3)次にどうしてもまた読みたくなったら、順番をまたずに、自分でも一冊揃えることにしよう。
4)最初、急いで読もうとしたときは、小話的にあちこちに話題が飛ぶのは面倒くさく思ったが、これが10か月間の連続広義録だと思えば、ひとつひとつの小話が逆にリアルに生きてくる。そして具体性もあるし、全体性も保たれている。
5)ただこの方のマインドフルネスはいわゆる瞑想を紹介しているだけであって、いわゆる現代性(インターネット性)が不足気味である。私はどうしてもバランスが欲しくなる。WIREDで紹介されているシンギュラリティ大学におけるマインドフルネスなどにも、大いに関心があるのだ
「WIRED VOL.24」 特集 NEW CITY 新しい都市
2016/8/9 コンデナスト・ジャパン 雑誌 ; 不定版 日本語 WIRED関連リスト
6)そういった意味においては、新進気鋭の学者にして起業家ドミニク・チェンあたりに期待したいところだが、こちらもまたまだ若い。狙いはいいが、まだ実績を積み重ねるには時間がかかりそうだ。
「電脳のレリギオ」 ビッグデータ社会で心をつくる
ドミニク・チェン 2015/03エヌ NTT出版
7)やはりここに至っては、私は私の道を行かざるを得ない。やりかけの仕事を、すこしづつ復活させ、加速していくことにしよう。
「Mindfulness in the Modern World」 How Do I Make Meditation Part of Everyday Life?
OSHO 2014/04 Griffin (Osho Life Essentials) 目次
8)正月早々、足元から新しい変化の波が押し寄せてきている。今日から2月だ。当ブログが始まって11年が経過した。3・11震災からも、すでに6年が経過しようとしている。春からまた新しい変革の時代が来るようである。
9)さて、そろそろやるか。そう思わせてくれた、スティーヴン・マーフィ重松先生に感謝。
つづくかも、よ。
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<1>からつづく
「『デジタル遺品』が危ない」 そのパソコン遺して逝けますか? <2>
萩原 栄幸(著) 2015/10 2015/10 ポプラ社 新書 164ページ
★★★★★
1)当ブログも利用しているニフティのブログサービス・ココログが、サードパーティのノジマという会社に売却されることになったというニュースが流れた。いよいよ来たな、そう思った。
2)ニフティサーブは、ビッググローブと並ぶ、日本でもパソコン通信の草分けであった。大型電化店から箱入りパッケージを買ってきて、インターネットに参入したあの日が懐かしい。
3)ブログサービスはさまざまあり、最初楽天ブログでスタートした当ブログは、3年程でこちらのココログに移動してきた。機能面での検討がそうさせたわけだが、ニフティがやっているんだから、そうそう間違いはあるまい、という信頼の上でだった。
4)そのニフティはこのところ経営が伸びやみ、またトラブルも頻繁に起こるようになり、ついに売却という憂き目を見ることになったのである。ある意味、いつかは来る現象であろうと、想像はしてきた。しかし、その日がついに来たのだ。
5)そこで当ブログとしての対策は、なんであれ、いつサービスが終了し、あるいはトラブルに巻き込まれて自らの記事が亡くなるかもしれないので、バックアップを取る必要性をいままで以上に強く感じることになった。
6)すでに数千の書き込みがあり、それをバックアップする方法はいくつかあるが、画像が処理されないなどいくつかの問題点も残されている。さらには、自らの書き込みに次から次とリンクを張っているので、それが失われてしまえば、元の木阿弥である。
7)バックアップは当然としても、実は、最近フェイスブックも「やめた」。やめたとは少し衝撃的な表現だが、アップデイトしたアプリがあまりにうるさいので我慢ができなくなって、アプリを削除した、というのが正しい。退会したわけではないので、途中復帰はできるが、どうも時代が次へと向かっている気がする。
8)さらに当ブログにおいて進行中なことは、自らの過去の記事を少しづつ削除し続けているのである。そもそもはあまりにも頻発している誤字脱字の訂正が目的ではあったのだが、過去の記事がどうも気にくわない、時代にそぐわないような気分になることが多いのである。そういうものは、とりあえず、アクセスされないようにし続けている。(決して削除して消してしまったわけではないので、いずれ復活は可能だ)
9)さて、これからが問題だ。単に過去ログをバックアップするだけではだめだ。過去記事をまとめあげ、グレードアップする形でエッセンス化する必要があるだろう。そのためには、もうすこしブログという形式ではなく、ほとんど休眠状態になっている自らのホームページに再録していくのがいいだろう、という結論がでた。
10)最近、つれあいを亡くした友人が、生前妻が遺していたデジタル遺品を削除してあげようとして、自らのブログ記事を全削除してしまう、という事故が起きた。もう気の毒で、かける言葉もないが、これは現実起きえる事態である。書きかけのワープロ文書が消えてしまったレベルではない。ショックすぎる。
11)このような事態から身を護るためにも、まずはバックアップの必要性を今更ながらに痛感するともに、まとめ、再編集の時代が来ているのだろうと思う。
12)エンディングノートとともに、静かにデジタル遺品の整理を始めようと思う。
つづく
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