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2017/02/21

OSHO 「瞑想―祝祭の芸術」<10>

<9>からつづく

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「瞑想―祝祭の芸術」 <10>
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 1981/03 めるくまーる 単行本 440ページ

 瞑想は心(マインド)で始まるが、それはほんとうの瞑想ではない。瞑想に向かって進めるように、まずは心(マインド)から始めなさい。そうすれば、心(マインド)が止滅し、あなたが心(マインド)を超えたとき、ほんとうの瞑想が始まる。

 だから、まず心(マインド)から始めなければならない。なぜなら、私たちがいまいるところは心(マインド)のなかだからだ。心(マインド)を超えるためためでさえ心(マインド)を使わなければならない。

 だから、心(マインド)は絶対に積極的(ポジティブ)には使わないこと。それをネガティブに使ってごらん。そうすれば、あなたは瞑想を成就するだろう。

 もし心(マインド)を積極的(ポジティブ)に使おうものなら、あなたはますます投影を生み出すだけだ。だから「積極的(ポジティブ)な思考」とはすべて、徹底的に反瞑想的なものだ。ネガティブな思考こそが瞑想的なものであり、否定こそが瞑想の方法なのだ。

 否定するものがなくなり、当の否定者しか残らないような地点まで、否定しつづけてゆきなさい。そうすれば、あなたは純粋になり、あるがままの存在を知るに至る。それ以前に知っていたものは、ことごとく心(マインド)の想像、夢想、投影に過ぎないのだ。p379 OSHO「心象化の技法

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