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2017/02/10

「熊野本宮社 熊野堂十二神鹿踊」<1>

Img_8543「熊野本宮社 熊野堂十二神鹿踊」<1>
熊野堂十二神鹿踊保存会 2005/04 名取市視聴覚センター DVD 20分 名取市図書館所蔵
No.3882★★★★☆

 

 

 

 

 

 

 

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1)だいぶ前、おそらく20年くらい前だったろうか、本宮社を他の用件で尋ねたことがあった。応対に出られた宮司さんは、たしか関東から退職で帰ってきて1・2年目の方であったと記憶する(年代も、内容も定かではない)。

 

2)本宮社は、現在の地より500メートルほど西の小館というところにあったらしいが、新宮社が東街道に面していて、こちらが中心になってきたために、三社が合祀され、新宮社は熊野神社と称するようになり、本宮社もその西に移転してきた、との歴史があるようだ(経緯を確認する必要あり)。

 

3)名取熊野三社には諸説あり、そもそもは、閖上浜にゆりあがった仏像ご本尊様を、拾った漁師が高館山に奉納したという説があり、その名前も年代も二通りあるようである。その古いほうは719年ということである(要確認)。最初は羽黒飛竜権現と言って、現在の名取熊野那智神社の中の、小滝に位置する場所に祀られたようだ。

 

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4)その後に名取老女伝説があり、老女の碑がある周辺には、小さな熊野三社のネットワークが存在する。この下余田地区は、閖上浜と高館山の中間位置にあり、その小さなネットワークが、高館山に拡大して展開された、と見る考えもあるようだ。

 

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5)羽黒飛竜権現には、やがて熊野那智神社が勧請されて改称され、その位置関係から、熊野本宮社、熊野新宮社が勧請された、と見ることも可能のようである。(個人的には、この羽黒「飛竜」権現にきわめて深い関心がある)。

 

6)断片的な情報ではあるが、この羽黒飛竜権現には、奥殿、紹楽寺の聖観世音院があるとのことであるが、名称や関連も含め、キチンとした学習、検証が必要である。紹楽寺にも、浅からぬ縁を感じる。

 

7)さて、この熊野堂十二神鹿踊だが、しかおどり、と読むのだろうか、やはり、ししおどり、と読むのだろうか。十二神という地名は熊野神社の東の位置に存在しているのは知っていたが、このような踊りが保存されていたということは、このDVDで初めて知った。

 

8)十二神とは、仏教を守護するガードマンたちではなく、12の社のことのように説明もあれているが、定かではない(検証を要する)。また、熊野神社の経緯から考えると、716年にあったという羽黒飛竜権現伝説よりもはるか後世に外地から伝わった芸能であるように思うのだが、はて、どうだろう。

 

9)「踊り手は世襲制で家督に限定されている」などという表記を見ると、近くに生まれながら、家督ではない私などは、なんだかつまはじきされたような気分になる(ただし、私もまたどこかの旧家の婿養子にでも縁組すれば、家督になれた可能性もあるので、ここであまりグチは言わないでおこうw)。

 

10)この踊りを見ていて、グルジェフが探求してきたスーフィーたちのスクールを思い出した。このような形で(無形文化財として)、ひとつの事実が、神秘が、密かに、長時間に分かって伝承されてきたとするなら、それはそれで、大変貴重な記憶情報となるだろう。

 

11)このような名取熊野文化に触れることによって、私の中の深い集合的無意識の世界がどんどんつながっていくようだ。

<2>につづく

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