「デジタル遺品」が危ない そのパソコン遺して逝けますか? 萩原栄幸<2>
<1>からつづく
「『デジタル遺品』が危ない」 そのパソコン遺して逝けますか? <2>
萩原 栄幸(著) 2015/10 2015/10 ポプラ社 新書 164ページ
★★★★★
1)当ブログも利用しているニフティのブログサービス・ココログが、サードパーティのノジマという会社に売却されることになったというニュースが流れた。いよいよ来たな、そう思った。
2)ニフティサーブは、ビッググローブと並ぶ、日本でもパソコン通信の草分けであった。大型電化店から箱入りパッケージを買ってきて、インターネットに参入したあの日が懐かしい。
3)ブログサービスはさまざまあり、最初楽天ブログでスタートした当ブログは、3年程でこちらのココログに移動してきた。機能面での検討がそうさせたわけだが、ニフティがやっているんだから、そうそう間違いはあるまい、という信頼の上でだった。
4)そのニフティはこのところ経営が伸びやみ、またトラブルも頻繁に起こるようになり、ついに売却という憂き目を見ることになったのである。ある意味、いつかは来る現象であろうと、想像はしてきた。しかし、その日がついに来たのだ。
5)そこで当ブログとしての対策は、なんであれ、いつサービスが終了し、あるいはトラブルに巻き込まれて自らの記事が亡くなるかもしれないので、バックアップを取る必要性をいままで以上に強く感じることになった。
6)すでに数千の書き込みがあり、それをバックアップする方法はいくつかあるが、画像が処理されないなどいくつかの問題点も残されている。さらには、自らの書き込みに次から次とリンクを張っているので、それが失われてしまえば、元の木阿弥である。
7)バックアップは当然としても、実は、最近フェイスブックも「やめた」。やめたとは少し衝撃的な表現だが、アップデイトしたアプリがあまりにうるさいので我慢ができなくなって、アプリを削除した、というのが正しい。退会したわけではないので、途中復帰はできるが、どうも時代が次へと向かっている気がする。
8)さらに当ブログにおいて進行中なことは、自らの過去の記事を少しづつ削除し続けているのである。そもそもはあまりにも頻発している誤字脱字の訂正が目的ではあったのだが、過去の記事がどうも気にくわない、時代にそぐわないような気分になることが多いのである。そういうものは、とりあえず、アクセスされないようにし続けている。(決して削除して消してしまったわけではないので、いずれ復活は可能だ)
9)さて、これからが問題だ。単に過去ログをバックアップするだけではだめだ。過去記事をまとめあげ、グレードアップする形でエッセンス化する必要があるだろう。そのためには、もうすこしブログという形式ではなく、ほとんど休眠状態になっている自らのホームページに再録していくのがいいだろう、という結論がでた。
10)最近、つれあいを亡くした友人が、生前妻が遺していたデジタル遺品を削除してあげようとして、自らのブログ記事を全削除してしまう、という事故が起きた。もう気の毒で、かける言葉もないが、これは現実起きえる事態である。書きかけのワープロ文書が消えてしまったレベルではない。ショックすぎる。
11)このような事態から身を護るためにも、まずはバックアップの必要性を今更ながらに痛感するともに、まとめ、再編集の時代が来ているのだろうと思う。
12)エンディングノートとともに、静かにデジタル遺品の整理を始めようと思う。
つづく
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