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2017/03/01

「マインドフルネスストレス低減法」ジョン・ カバットジン <3>

<2>からつづく


「マインドフルネスストレス低減法」 <3>
ジョン カバットジン (著),    Jon Kabat‐Zinn (原著),  春木 豊 (翻訳)   2007/09 北大路書房 単行本 387ページ
★★★★★

1)なにはともあれ、表紙を開き、1ページ目から最後のページ目まで、一通り風を通し、自分の指で触ってみた。禅(おそらく)を科学的に体験的体系に組み替えた方法ゆえ、いくつかの経緯や、用語、あるいは体験談や、事例などが紹介されているが、必ずしも必読ではない。

2)また実践の書ゆえ、いくつかの有効な瞑想法(いわゆるマインドフルネス?)が紹介されていて、そのいくつかを自らの人生に取り入れようというのでもない限り、そちらも決して必読しなければならないわけでもない。

3)私としては、1944年にアメリカに生まれた理学士カバットジンが、鈴木大拙に啓発され、鈴木俊隆に触れ、その流れを学びつつ、自らのマインドフルネスなるものを開発した、といいう点を確認できれば、もうそれでこの本のほとんどの役目は終わったようなものである。

4)私は、長年、日本の文化から大きな影響を受けてきました。1960年代初期に、まだ学生だった私に初めて日本の禅というものを教えてくれたのは、鈴木大拙でした。その後、鈴木俊隆著"Zen Mind, Beginner's Mind(初心禅心)”に出会い、本格的に瞑想の精神を探求する道に足をふみいれることになったのです。

 13世紀の偉大なる禅師、道元の優れた思想にも大きな影響を受けました。Pxiカバットジン「日本の読者の皆さんへ(1993/06)

5)そして何より驚いたのは、この本において瞑想という言葉が多用されていることである。数えたわけではないが、マインドフルネスという用語より、瞑想という単語がでてくる機会のほうが圧倒的に多いのではないだろうか。

6)なんだ、これだったら、当ブログとしては、わざわざ瞑想という言葉をマインドフルネスという単語に置き換えて再スタートする必要などなかったなぁ、と、ちょっとあきれ顔である。まぁ、それはそれとして、ここんところを抑えておけば、あとは、もうこの本は図書館に返却しても、なんの問題もない。

7)ところが、こんな時期をはずした古い(ごめんなさい)本が、私もずいぶん待たされたが、私の後にすでにたくさんのリクエストが入っている、ということにはびっくりする。昔からこの本は人気があったのだろうか。それとも、急に最近リバイバルしたのだろうか?

8)みんなが待っているとなれば、早く回してやろう、という気持ちと、みんながそんなに期待している本なら、ひょっとすると私がまだ読み残している何かトンでもない秘密が書いてあるのかも、などと、ちょっと浮き足立って、もう一度、めくり直そうかな、と思ったりもする(爆笑)。

9)さてだ。ここまでのところをまとめておけば、その背景と経緯が分かった限り、理解することも、共振することも、それほど難しくないはずで、これはこれでいいだろう。しかし、じゃぁ、それでいいのか、とわがOSHO瞑想法と「比較」したりする。(笑)

10)まず、21世紀における「現代社会におけるマインドフルネス」は、地球上の一地域の文化や伝統を誇張的に基礎とするのは間違いである。あたらしく組み替える必要がある。地球上のどの地域からも、どの階層からも、どのようなチャンネルからも参加しやすいようにする必要がある。そこんところが、カバットジンの世界は弱い。

11)アメリカ人や一部の欧米人、あるいはちょっと進歩的(と自分を思っている)日本人などが、カバットジンを絶賛し採用しようとしているとして、他の地域や、他のチャンネルからの窓口は決して大きくはないのではないか。

12)いわゆるGoogleやAppleなどのITエンジニアたちが採用しているだの、成功哲学的に活用されているだの、というのは、ある種の、ひいき目の誤解である。そのようなセールスプロモーションをするにしても、それでは蛸壺に逃げ帰ってしまうようなものだ。

13)そして、はっきり言って、この程度では、これから25世紀にわたって法輪を回し続けよう、という大きな意図からすれば、この波はあまりにも小さい。しょせん、これまでの波の延命策にすぎないことになる。

14)さて、ここで、先日電話をくれた人(仮にAさんとしておく)を考えてみる。このカバットジンのマインドフルネスとやらと、あのAさんを並べてみる。すると、おそらくAさんは、このマインドフルネスを「笑って」しまうだろう。もう、そんなことは知ってるよ、もうやったよ、と。

15)こうなると、困るのである。瞑想は方法論ではないので、マインドフルネスとしてハウツー化されても、それぞれの受け取り方によって「効き方」が違う。方法論があっても、それを体験しないことにはどうしようもない。そして、体験したからと言って、物理的に、統計的に、その効果が期待できない限り、あとはAさんの心構え次第、ということになる。

16)はてさて、Aさんの場合、必要なのは、治療法なのだろうか、成功哲学なのだろうか、成仏法なのだろうか。おそらく短い電話ではあるが、即断的に判断するなら、やはり治療法でいいのだと思う。何かぴったりした方法があれば、その効果のほどは期待できる。

17)しかるに、その短い電話内容で判断するに、どうやら長期(おそらく10年程度)にわたって、ドクターショッピングをしている可能性がある。そうなると、どうも治療者やセラピスト、医師というものに対する信頼度が薄いようにも思われる。

18)Aさんのハートを、スコンと射貫いてくれる存在とは何か? おそらく、そもそもがご自身が仏教の僧侶であるかぎり、そして神智学協会に関わっており、なおかつOSHOセラピストのカウンセリングを継続的に受けてきたと自称するかぎり、電話の受け手としては、何ができるだろう。

19)まず、電話の受け手としてはギブアップである。これ以上のことはできない。彼にして「あげる」ことができることは、もはやない。されど、さらに気がかりな点は二つある。ひとつは、ひょっとすると、彼はこのブログをどこかで見ている可能性もあるかもしれない、ということだ。そうであれば、電話の受け手としては、何らかの手がかりを残しておいて「あげたい」。

20)二つ目は、私自身が発した対話でなかったとしても、その対話の受け手として、私は、どのようにその機会を「有効」に使えるか、という問題である。特に、その機会を、「私自身」のために、どう使えばいいのだろう。

21)そういう意味において、Aさんと私の間に、カバットジンのマインドフルネスという手法を置いてみる。禅に科学的な見地を加味したということだから、科学といえば、客観性があり、一般性があり、検証性がある、ということである。

22)Aさんについては、万が一ラッキーにもこのブログを見るチャンスがあったら、まずは、このカバットジンのマインドフルネスとやらを、まだ試してみてなかったら、いかがですか、とおすすめしておきたい。

23)そして、私も、おすすめした限りは、いったいどのようなものか、自分なりに理解を深めねばならないと思う。

<4>につづく

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