「ジャズメン死亡診断書」小川 隆夫 / 「ホワイトアルバム」 転生魂多火手伝 <3>
「ジャズメン死亡診断書」
小川 隆夫 (著) 2017/02
シンコーミュージック 単行本: 312ページ
No.3905★★★★★
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「ホワイトアルバム」 転生魂多火手伝
<3> 目次
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1)このところゆえ(何ゆえかは、そのうち分かるはずなのだが)あって、仏像を彫刻刀で彫ったりしている。そんな折、某SNSで、仏像フィギュア会社のコマーシャルが流れてきた。
3)動画もいいが、音楽もいいじゃないか。なんていう曲だろう。スマホのSiriに聞いたら、これはクリフォード・ブラウンというジャズメンの曲らしい。ふ~~ん。
4)いい時代である。このジャズメンはほかにどんな曲を演奏しているのだろう。どんな人なのだろう。そんな疑問を持つなら、すぐ調べることができる。私のように音質にうるさくない、というかほとんどわからない人間には、ネットで調べれば、限りなくいっぱい曲を聴くことができるのである。
5)彼には「チェロキー」という曲がある。チェロキー? って、ここで、すこし引っかかった。黒人らしいミュージッシャンのチェロキー? ここで完全に引っかかった。ちょっと調べてみよう。ググってみて、驚いた。彼は1930年生まれだったのだ。なんで驚いたかは、これもわけがある。
6)そしてもっと驚いたことには、彼は交通事故で死亡しているのだ。え~~~~。これで完全にハマった。でも、死んだのは1956年。ちょっと年代がずれている。しかし・・・・。かなり文化圏がかぶさっている。え、誰と?
7)1956年6月26日の早朝、トランペッター、クリフォード・ブラウンは、ペンシルベニアのターンバイクで交通事故死を遂げる。同乗者はマックス・ローチ(ドラムス)と組んでいたクインテットのメンバーでピアニストのリッチー・パウエルと夫人のナンシーである。3人はフィラディルフィアから次の公演地シカゴに向かう途中だった。
雨上がりの道を、パウエル夫人の運転する車がスリップし、道路から飛び出したことによる悲劇だった。ブラウンは25歳、バド・パウエル(ピアノ)の実弟であるリッチーは24歳---このふたりのメンバーを失ったブラウン=ローチ・クインテットは崩壊し、ジャズ界では大きな財産を失うことになる。p22「天才トランぺッターの早すぎる死」
7)1930/10/30~1956/06/26のクリフォード・ブラウンに比べれば、1931/?~1953/03/21と推定されているDの人生は、もちろん同じとは言えない。ましてや、1954/03以降にまだブラウニーが生存して大活躍中だったとすれば、なおのことだ。
8)されど、東海岸に黒人として生まれ、若くして交通事故で亡くなったという共通項は、かなりの類似性を見せる。Dはチェロキーとの混血だったが、ブラウニーには「チェロキー」という曲が残されている。
9)ミュージッシャンとしての道を歩き始めた50年6月、ブラウンは自動車3台を巻き込む事故に遭遇する。この世を去ったのも交通事故だし、6年後の同じ月というのも嫌な符号だ。
このときは1年間入院するほどの大けがだった。トランペットもしばらくの間は吹くことができず、ピアノを弾いて気持ちを紛らわせていた。この間、何度も見舞いに来たのがガレスビーで、彼の励ましもあって、ブラウンは翌年復帰を果たす。ただしこの事故で肩を痛めたことから、この世を去るまで反復性肩関節脱臼に悩まされることになった。p13同上
10)キチンと符号するものではないが、不思議とまつわる交通事故の影。
11)同時代の多くのミュージッシャンと違い、麻薬にもいっさい手を出さなかった。p14同上
12)ジャズやミユージッシャンといえば、話題にとなりそうなところだが、この一説は好ましい人物像を強調する。
13)「クリフォードはドラッグとまったく無縁で、アルコールもたしなむ程度だった。彼を手本にすることで、わたしはその悪癖から立ち直ることができた。」(ソニー・ロリンズ)p25 同上
14)ブラウニーが名をなすのは、53年以降のことである。
15)97年に、事故の現場となったターンバイクを訪れたことがある。そこは緩い下りカーヴが右に曲がっていくところだ。どうしてこんなところで事故が? と思うほどありきたりの道路だが、店頭演奏を終えた深夜から未明にかけて、運転していたパウエル夫人は疲れきって、ほんの少しの判断ミスをしたのかもしれない。当時は雨のせいで路面も揺れていた。ブラウンとパウエル、そしてパウエル夫人の3人がこの場所で若い命を散らしたのかと思うと、わけのわからない感慨が込み上げてきた。p33小川 隆夫
16)このことに関連する事項については、「クリフォード・ブラウン 天才トランペッターの生涯」(ニック・カタラーノ 2003/07 音楽之友社)が追加情報をくれるだろう。
17)さて、この時代のDについて、これまでつかめてきたわずかな情報の中に、ゲーリー・スナイダーや、ジャック・ケルアック「ザ・ダルマ・バムズ」(2007/09 講談社)、「オン・ザ・ロード」(当ブログ未記録)などとの関連がかすかに見える。
18)また、この時、ブラウニーはどんな車に乗っていたのかも興味深い。
赤のフォード
1965年のヴァリアント
グリーンのシトロエン
19)かつては、こんな車をイメージしてきたが、今後の調査の結果、もっとわかってくるかもしれない。
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