飯沼勇義「3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ」<11>/さとりサマーディにて<20>
「3・11その日を忘れない。」 ―歴史上の大津波、未来への道しるべ <11>
飯沼 勇義 (著) 2011/06 鳥影社 単行本 208p
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さとりサマーディにて
<20>忘れる 目次
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1)「あの地震津波の時、どうしていたの?」 リハビリの担当者から聞かれて、覚えていないようだった、とその様子を見ていた家族は言う。耳が聞こえにくくなっているのか、地震津波という意味が、今一つわかっていないのか。
2)それとも、やっぱり忘れてしまったのだろうか。当時、自宅の介護ベットからいきなり車に乗せられて、長時間避難していたことを、よもや忘れてはいないのだろうが、それ以降、自分の身に起きている事態が数々のエピソードが多すぎて、どれがどれやら脈絡がなくなってしまっているのか。
3)もともと、さとりコンピュータとニックネームがついている彼女のこと、物覚えは悪くない。最近、あの「せん妄」とやらで、一週間の記憶がすっ飛んでしまってはいるが、決してクラッシュしているわけではない。
4)さて、自分もまた、自分のブログの中の、この「3・11その日を忘れない。」の過去記事にアクセスが集まったことで、この本のことを思い出した。もう6年前のことだ。決して忘れてしまったわけではないが、記念日のように3・11だけを思い出すわけではない。
5)あの日以来、毎日が3・11である、と言っても過言ではない。忘れようったって、忘れるわけにいかない。別に記念日などを設ける必要など、感じない。
4)最近、仕事関連で、小さなバッチを配られた。別に必要でもないが、なにはともあれ、胸に付けてみる。「3・11 2011 JAPAN 私たちは、忘れない」。
5)ラジオ番組では福島の寺の住職、玄侑宗久氏は、かなり込み入った感情の中で、このように話していたように聞いた。
6)「あれから6年。仏教でいえば7年忌にあたるわけだが、いまだに家族が亡くなったことを認めない人たちもいる。亡くなっていない、と信じている。それも必要かもしれない。しかし、もし亡くなったと認めて、6年が経過し、日々、供養などをしていれば、それなりに自らの中で物事が整理され、納得できる次元のこともあるのではないか。時には忘れることも必要だ。
7)上記の聞き取りは不正確だ。正しい意味は聞き取れないかもしれない。しかし、もし彼がそのように言ったとするなら、それはそれで、私なりに納得がいきそうな言葉だと思った。
8)3・11、その日を忘れない。それはその通りだ。しかし、ナニを忘れないのか。3・11とは何であったのか。自らの家族を亡くした、何か大事なものを失った、という強烈な思いだけを「忘れない」のは、実は、ひとつの執着なのかもしれない。
9)もし、あの日のことはあの日のことだ、と理解納得し、あれから仮に6年、7周忌を迎えたとして、次第次第に、前向きに、新しい事態に対応し始めることも大切なのかもしれない。
10)それぞれの体験の中、もちろん、一括してまとめることなどできない。誰に対して、ナニをいう、と言う問題ではない。
11)しかし、私についていえば、もちろんあの日のこと、あの日に起きたさまざまなこと、その要因、その結果、さまざまな波及、そして精神的体験、などなど、大きく、私の人生の中でも、もっとも大きな出来事として記憶されていくことになる。
12)そしてまた、逆説的ではあるが、あの事を特異なこととして執着し続けることに、ある意味決着をつけることも必要なのでないか、と思う。
13)中学生の頃、2学年年下の初恋の人が、卒業式に「いつまでも、忘れないでね」とサインしてくれた。「もちろん、忘れるもんか」と思った。でも、それは、よくあるような結果になってしまって、疎遠になってしまった人の存在を「忘れる」ことができなかったら、私の人生など、もっと滅茶苦茶になってしまって、いただろう。
14)一つの、昔の麗しい出来事の記憶として、忘れることはできないが、しかしまた、その記憶とはちょっと違う次元に、そのことを忘れてしまって、次の恋に向かっていくことが、必要だった(はずだ)。初恋が成就した人以外は、きっと、私の意見には多少なりとも賛成してくれるだろう。
15)さとりサマーディにいて、いろいろなことを「忘れて」しまうことは、それはそれでいいのではないか。
16)では、忘れていけないこと、つねに意識のアンテナを立て続けるべき、そのこととは、なんだろう・・・・。
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