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2017/03/22

「オン・ザ・ロード1972」<4>旅

<3>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p
★★★★★

<4>旅                 目次 

1)旅と言って、最初に思い出すことは、小学三年生の時のことだろうか。8歳。あの頃から、小さな自我が成長し始めるのだ。

2)3月29日に8歳になって、3日後の4月1日に、6年間療養していた父親が隔離病棟で亡くなった。葬式は4月8日。新学年の始業式と同じ日だったが、始業式に出てから葬式にでた。そんな日でも、学校を休むのは我が家では許されなかった。

3)私側からすると、どうせなら私が7歳のうちに父の死があったほうがカッコよかったようにさえ思っている。多くの宗教家が7歳で父と死別という体験をしている。だから私は、8歳になって3日目に父が亡くなった、と表記することがよくある。

4)この前後、私は、私自身の死を体験した。このことについては別な記事で書いておいた。

5)小学校三年の時の担任は松本ミヨコ先生。やさしい、静かな先生だった。胸を病んで休んでいたスズキ先生の代用教員として私たちを一年間担当していただいた。この年、この一年間だけで、しかも私のクラスだけで、私の父と同じ病気でクラスメイトの父親4人が亡くなった。とにかくあの病気は、この年が最後で、これ以降は死病ではなくなった。

6)畏友・故石川裕人を意識したのもこの学年だ。学芸会で最初選ばれていた主役の立場を、結局は彼に奪われ、私は村の子供3になった。大笑いだ。野球チームを作り、試合みたいなことを始めたのもこの時代だ。実は私は野球というものがよく分かっていなかった。テレビもない、ラジオでだって試合など聞いていなかった。ただただ竹バットを振って、ゴムボールを打っていた時代だ。

7)新聞部というものがあることを知ったのも、小学三年生の時だった。この時は模造紙に油性マジックペンでニュースを書き出したものをクラスや廊下の壁に張り出す。それだけの事だったが、松本先生に褒められたことがとてもうれしかった。後日談だが、これから20年後に、偶然松本先生のご自宅を訪問してしまったことがある。一目見て先生だとわかったが、先生もまた、すぐ私の名前を思い出してくれたのはうれしかった。

8)この年、わが家には町の親戚の家から中古テレビがやってきた。白黒で、ガチャガチャ回すチャンネルで、もちろん真空管がいっぱい。プロレスも自宅で見ることになった。自宅に最初にきたテレビでみたのは、NHKドラマ「ポンポン大将」。桂小金治主演の、墨田川のポンポン舟が舞台だった。

9)この年、私たちは、自宅の大人たちの自転車を持ち出して、自転車部隊なるものを作成した。3~4人、時には7~8人で、学校の放課後とか土曜日の午後とか、街のあちこちを走り回った。中古の子供自転車を買ってもらうものもいたが、私なんぞは大人自転車を三角乗りした。ハンドルの前に荷台のついた運搬車を運転できるものはいなかった。

10)大体は友人宅を訪問していたのだが、時には海を目指したり、山を目指したりした。海に釣りに行く、と言った時、前日は許していたのに、当日になって家族が強く止めに入り、結局は友人宅まで自転車で行って、中止を伝えた。

11)山に行くときは結局、許しもなにも、ただただ、山を目指したのだ。山、と言っても、私たちにとっては、一番近いのは高舘山だった。海は閖上浜だが、海よりかは山のほうが近く見えた。

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12)通称高舘山、名取熊野那智神社。3・11以降、閖上浜と同様、これほど人の口の上るとは思っていなかった山である。あの頃まで、あの山の向こうに東京があると思っていた。方向としては、そちらは山形であるのだが、地形や地図なんて、ぜんぜんわかっていなかった。

13)自転車で数人の小学三年生が、この山を目指した。採石場があり、ボンボンと音がした。山に登り、自転車も押し上げたはずだ。山の上から、海を眺めた。私の生まれたところは平たんな田園地帯で、ほとんど何もないようなところだったが、海と山はすぐそこにあった。この高館山から見えるのが閖上浜だ。

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13)思えばこれが私の原型だ。ここから始まって、ここに戻ってきた。私の旅の始まりはあの8歳の時の自転車部隊だっただろう。そして、私の旅の終着点は、この、この場所に戻てきたのだろうか。

<5>につづく

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