「死について41の答え」 OSHO 伊藤アジータ<10>
「死について41の答え」 <10>
OSHO(著), 伊藤アジータ(翻訳) 2015/01めるくまーる 単行本 456ページ
★★★★★
( これは15 March 1988/03/15に、meeraの質問に答えたOSHOの応答です。本書358pと同じ原文ですが、訳者の違いにより、若干訳文の差異があります。SNSに流れてきた文章ですが、興味深いので、掲載しておきます。)
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愛するマスター、私は過去2カ月間、病院において、がんで死にゆく妹の世話をしていました。彼女を愛し、介護をしました。昏睡に陥った最後の数日間も、私はあなたの講話を聞かせ続けました。でも私は彼女に瞑想を伝えることができなかったと感じています。彼女は死に直面することを拒んだのです。愛するマスター、私には不思議です。あれだけの激痛と苦しみを味わいながらも、最後の瞬間には大きな微笑みが彼女の顔に広がったのです。彼女の微笑みと、私が瞑想を伝えようとした試みについて、コメントをお願いします。
ミーラ、あなたの質問はとても重要な問題を提起している。それは、もし人が偶然、・・・偶然ということについてはあとで説明しよう・・・がんのような激しい苦しみのうちに死ぬ場合、がんの苦しみがその人を無意識にさせないということだ。
死の直前、肉体が魂から離脱するとき、神秘家、瞑想者だけに起こるような途方もない体験をするのだ。神秘家、瞑想者にとっては偶然ではない。彼らは準備をしている。瞑想は彼らが無意識に死なないよう、死に備えさせる。
通常のケースでは人は無意識に死ぬ。つまり、肉体から離れたということ、死んではいないということがわからない。なくなったのはその人自身と肉体の繋がりだけだ。意識は実にか細い。魂からの肉体の離脱が一筋の意識を壊してしまう。しかし瞑想者は何度も、自分の肉体から離れて立つという、同じ状況を意識的に通るのだ。つまり、瞑想者は何度も意識的に死を体験し、死がやって来たとき、それは何も新しい体験ではないということだ。瞑想者はいつも笑いながら死んだ。
あなたは妹に瞑想を教えようとした。それは難しい。苦しんでいる人にあなたの話はナンセンスだったろう。しかし、いよいよ死に際し、その直前に肉体の離脱が起こり、彼女は悟ったに違いない。「あらまあ、自分は肉体だと思っていたけれど、それが私の苦しみだったのね。この自己同化が私の苦しみだったんだわ」と。さあ、肉体は離れ、糸が切られた。そして彼女は微笑んだ。
当然、あなたはこれに戸惑っただろう。彼女は死と闘い、苦しみと闘い、瞑想を教えようとするあなたに耳を貸さなかったのだから。それなのに彼女はとても瞑想的な状態で逝った。それは偶然起こったのだ。
生において最も重要なことは、自分が肉体ではないと学ぶことだ。それは、痛みや苦しみからあなたを自由にするだろう。
苦しみが消えるという訳ではない。痛みやがんが無くなるという意味ではない。それはあるだろう。だが、あなたは同化しなくなる。ただの観察者になるのだ。そして、もし自分の肉体を、まるで他人のもののように見ることが出来るなら、あなたは途方もなく重要なことを達成したことになる。人生は無駄ではなかった。人間にとって可能な、最も偉大な教えを学んだことになる。
私自身の取り組みでは、瞑想はあらゆる学生、あらゆる退職者の必須科目であるべきだ。瞑想を教える大学やカレッジがあるべきだ。病院は、特に、死にゆく人々のための部門を設けるべきだ。死ぬ前に瞑想を学べるようになっていなければならない。何百万もの人々が満面の笑みを浮かべ、喜びを持って、死ぬことができるだろう。
そうなれば、死は単に解放だ。あなた方が肉体と呼ぶ、その檻からの解放だ。あなたは肉体ではない。それが、あなたの妹が最後の瞬間に理解したことだ。彼女は自分の誤解について微笑んだに違いない。そして、自分が死に抵抗したことを微笑んだに違いない。彼女は、瞑想を学ぼうとしなかったことに対して、微笑んだに違いない。彼女の微笑みは、多くの苦痛も含んでいる。だから、あなたが不思議がったことも私にはわかる。
忘れないように。彼女の微笑みはあなたにとって途方もなく意味深い体験になるかもしれない。あなたへのギフト、計り知れない価値のギフトをくれたのだ。彼女は一言も語ることができなかった。時間がなかった。だが、その微笑みはすべてを語っていた。
偶然の瞑想状態と洗練された瞑想状態の違いを説明するような、神秘家の物語がある。あなたの妹の微笑みは、偶然だった。彼女は準備したわけではない。偶然を待つことはない。備えることができるのだ。
ある偉大な禅僧が、弟子たちに宣言した。
「わしは今日死ぬ。邪魔するなよ」
弟子たちは言った。
「邪魔するものですか。しかし、いやはや!こんなふうに突然、死の宣言をする人なんていやしません。とても素晴らしいことをお話しになっていたと思ったら、いきなり死ぬだなんて!」
禅僧は言った。
「わしは疲れた。煩わせないでくれ。だから、邪魔をするなと言っているのだ。ひとつだけ、頼む。わしに死に方を
教えてくれ」
弟子たちは尋ねた。
「しかし、どんな死に方を?死にたいのなら死ねばいいでしょう」
禅僧は言った。
「普通の死に方では死にたくない」
弟子たちは尋ねた。
「普通の死に方とは?」
禅僧は答えた。
「普通、人は寝床に横たわって死ぬだろう。99.9%の人はそれを選ぶ。それは彼らの選択だ。わしはそんな大衆に迎合したくない。ちょっと考えて、オリジナルなアイディアをくれないか。死ぬのは、毎日じゃない。一度きりなのだ!独自な死に方で死ぬことが、絶対に相応しいのだ。わしは独自に生きてきた。人と同じように死ねるか?」
弟子たちは困ってしまった。どんな独自の死に方があるだろう?あるものは言った。
「座って死ぬこともできますね。人々は寝て死にますが」
禅僧は言った。
「たいして独自とは言えん。寝ると座るではあまり違わんし、しかも、今まで多くの聖者が蓮華座で死んだではないか。わしはそれはやらん。何かないのか・・・お前らはわしの弟子じゃろう!」
弟子たちは答えた。
「こんなことを聞かれるとは、思いもしませんでした。」
誰かが言った。
「座位が独自ではないとおっしゃるなら、立って死ぬのはどうですか?」
禅僧は返した。
「少しはましだな」
ところが、別の者が異議を唱えた。
「立位で死んだ聖者もいると聞いておりますが」
老聖者は言った。
「困ったもんだ。その聖者さえいなければ。さあ、もう一度考え直そう。今度は異議を唱えたお前が提案する番だ。
わしは立位に決めた。なのにお前は、それはオリジナルではないと言う」
異議を唱えた者が言った。
「オリジナルとは、逆立ちで死ぬことです。」
禅僧は、「オリジナルな思考ができる弟子を持って嬉しいぞ。善処しよう」と言うと、逆立ちをして死んだ。
さて、弟子たちは困惑した。あらゆる儀式は死んだ人が寝た状態で行うようになっていたからだ。こんな先例はなかった。まず、寝床に戻さなければならないが、それは本人が反対だった。彼を怒らせることになるだろう。彼は死んだ後でも罰するような男だ。「これはだめだ。おまえたちはまた、普通のやり方をしておるぞ」と言うかもしれない。
ある者が提案した。
「最善の策は、近所に住む僧侶の姉だ。僧侶より年上だ。彼女を呼ぶのがいいだろう。いずれにしろ、弟の死を知らせなくてはならないのだから。彼女にどうしたらよいか、言ってもらおう」
姉はやって来て、実姉であることを証明した。彼女はこう言ったのだ。
「ばかもの!生涯、何ひとつまともにできなかった人騒がせな奴だ。こうじゃない。起き上がって、寝床で横になれ!」
言い伝えによると、死人は起き上がり、寝床に横たわると、姉が言った。
「さあ、目を閉じて、死ぬがいい」
そして彼女は留まらず、立ち去った。
深い瞑想状態の人にとって、生はゲームであり、死もまた同じだ。
姉が去ると、死んだ聖者は片目を開けて尋ねた。
「あいつ、行ったか?3歳年上だからって、いつも酷い目にあったさ。しかし、もういい。わしは普通に死ぬさ」
禅僧は目を閉じ、死んだ。さて、もはや、僧侶は生きているのか、死んでいるのか、弟子にとってはさらに難しい状況になってしまった。そこで、弟子たちは彼をつねったり、目を開けてみたりした。「生きてますか?それとも、逝ったんですか?」・・・彼は本当に死んでいた。弟子たちは、急ぐこともない、30分ぐらいしたらまた目を開けるかもしれないと、しばらく待ってみた・・・しかし、老人は本当に死んでいた。
瞑想者は、このように死ぬべきだ。喜びと、遊び心と共に、深刻にならずに。生は遊びであるべきだ。そして、死は、さらなる遊びであるべきだ。OSHO
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