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2017/03/23

「日本会議の研究」 菅野 完 <2> / 「さとりサマーディにて」<25>

<1>からつづく

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「日本会議の研究」 <2>
菅野 完 (著) 2016/04 扶桑社 新書 302ページ
★★★☆☆
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<24>からつづく

「さとりサマーディにて」 

<25>              目次 
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1)本日、とある人物が国会に証人として登場する。その結果、どのようなストーリーが新たに出来上がるのか、気にならないわけではない。かと言って、そこから、じゃぁ、そこから何が立ち上がるのか、となると、個人的にはあまり躍り上がってはいられないな、と思う。

2)問題点はなにか。
a.幼稚園、小学校、という教育はどうあるべきなのか。
b.個々の私立教育機関とは、どのような経緯で出来上がってきたのか。
c.そもそも教育勅語は、未来に向かっての指針であり得るのか。
d.政治とは何か。右傾化する政治にはどう対処すべきか。
e.忖度(そんたく)した役人たちの、仕事とは何か。政治家の圧力は?
f.未来に向けての国家ビジョン、グローバルな世界平和への道は、どうあるべきなのか。
g.日本という国家、天皇制という統治システムの賞味期限はどのくらい残っているのか。
h.ジャーナリズムはどうあるべきか。
i.これだけのネット社会になり、個人のジャーナリストが、大手メディアに対抗できるようになったのか。
j.過去、生長の家、谷口雅春の業績とその(悪)影響は今でも残っているのか。
k.日本会議という「黒幕」は、それほどの力を持っているのか。
l.その他

3)だらだらと続けていけば、キリがない。この中でも、当ブログとしてはあえて3つのテーマを拾い上げてみる程度だ。
a.幼稚園、小学校、という教育はどうあるべきなのか。
f.未来に向けての国家ビジョン、グローバルな世界平和への道は、どうあるべきなのか。
i.これだけのネット社会になり、個人のジャーナリストが、大手メディアに対抗できるようになったのか。

4)すべての人間は、子供たちだった。地球の子供たちだ。周囲の大人たちは、子供がその子らしくなるのを手伝う程度で十分だ。幼児教育で偏った思想など刷り込むなど、可能な限り避けなければならない。

5)いまだに、地球ビジョンは明確ではない。されど、国家ファースト主義は、終わりにしなければならない。国家主義を強化することによって、軋轢を高め、戦争の危機などを呼び込むことはまったく愚かなことだ。

6)大手メディアの使い方と限界について周知しておくべきだ。今回の菅野完氏の活躍の全貌はまだ明らかではないが、個人ジャーナリズムが有効に働くなら、これは素晴らしいことだ。

7)キーワードは、地球、人間、スピリチュアリティ、だ。加えて、ジャーナリズムも加えておこうか。結局、当ブログとして強い関心を持っているのは、そのタイトルの通り、地球人スピリットであり、作業としてはジャーナル、ということになる。

8)日本を会議するのではなくて、地球を会議すべきだ。国家を優先すべきなのではなく、人間を優先すべきなのだ。押しつけの精神主義ではなく、自由なスピリチュアリティを育むべきだ。個人として発言できるジャーナリズムが存在することは、大事にすべきだ。

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9)テレビが我が家にやってきた頃など、母は、台所仕事で忙しく動きまわっていたが、画面に天皇陛下が登場すると、ちょっと広い農家の部屋を横切って走ってきて、テレビの前に静座して聞き入っていた。

10)教育勅語など、完全に脳に刷り込まれている。95歳の現在でも、おそらく全文を暗唱できるだろう。

11)出兵して戦死・負傷した配偶者に対する補償として、今でも「国家」からの保護を受けているはずだ。彼女にとって国家の存在は大きい。

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12)95歳の老婆の人生はおそらく最終ラウンドである。もし生きていたらちょうど100歳になったであろう父の生きた時代は、あった。その時代はすでに終わりつつある。

13)戦後民主主義で育った私たちの世代には、国家より個人が優先していることは確かなことだ。されど、国家というものが、暗然として存在していたからこそ、優先できた個人主義がある。

14)はてさて、これから育っていく孫たち、名付けてポスト3・11ジェネレーションにとって、国家はどうあるべきなのか。スピリチュアリティはどうあるべきなのか。

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15)私はこの人生で、OSHOを選び取った。瞑想がキーワードで、普遍性を図るならマインドフルネスという言葉でも構わない。ジャーナリズム、とくに個人で参加できる機能は大いに発展進化すべきだと思う。そのリテラシーもみんなで身に着けるべきだ、と思う。

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16)以上のような観点、立ち位置から、今日の国会の証人の発言を注視していたい。

「日本会議の研究」<3>へつづく

「さとりサマーディ」<26>へつづく

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