「ケルアック」 ガリマール新評伝シリーズ イヴ・ビュアン / 「ホワイトアルバム」転生魂多火手伝<9>
「ケルアック」 (ガリマール新評伝シリーズ)
イヴ・ビュアン(著), 井上大輔(翻訳) 2010/06 祥伝社 単行本 400ページ No.3917★★★★★
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<8>からつづく
「ホワイトアルバム」 転生魂多火手伝
<9>ダルマバムス 目次
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1)パラパラめくって終わりにしようと思っていた一冊だが、途中まできた段階で、一杯メモしておくことが出てきたしまったので、とりあえず途中下車。
2)ギンズバーグの信じる宗教は愛であり、一つだけの文化を拠り所とすることなく普遍性を奉じていた。ユダヤ教の知識を渉猟しつくし、革命を説く書物を読み漁り、そしてケルアックの最初の読者としてケルアックの作品に触れて本人と対話し、挙げ句の果てには天啓を受けたかのように東洋に目覚めた。
1954年のある日、ギンズバーグがスートラのすばらしさをケルアックに力説すると、ケルアックは高度な仏教書の知識を披歴した、というエピソードが残っている。ケルアックは、二元論を超越する仏教の理論をもすでに知っている独学の博識だった。p99「ビートジェネレーション」
3)1950年代前半の彼らの交わりが活写されている。
4)この二人が同志として友情をすり減らしても、ギンズバーグは最後までケルアックを見捨てることはなかった。この二人が同志として絆を結び、飽きることなく意見を交わしたことからビートジェネレーションは生まれたのだ。
結局のところ、ビートジェネレーションとは、ケルアックとギンズバーグの二人の間での現象だったのかもしれない。ビートジェネレーションを誰も顧みることのない溝から神秘の高みにまで引き上げたのはこの二人だったのだから。
精神的な探索を含めた二人の実人生が二人の文学に先行した、と考えても間違いないだろう。少なくとも、ビートジェネレーションにおいて実人生と創作の二つは切り離せない。p100 同上
いわゆるここがこのムーブメントのコアだ。カーネルだ。
5)政治思想の面においては、表立って批判することはなかったものの、ギンズバーグははっきりとケルアックと袂を分かった。革命は行き詰って敗北する運命にあるということも、愛はもともと呪われているいう悲観論も、ギンズバーグは信じていなかった。
アメリカの没落を高らかに歌い上げるギンズバーグは、マルクス主義的な反体制派に属していた。規範化された”システム”の理想を糾弾し、精神を支配しようとする権力への従属や欲望の日常的な抑圧を拒否するさまざまは人びとが大同団結したグループである。
ギンズバーグは執筆と非伝統的な政治活動への参加を通して政治にコミットした。p103 同上
6)当ブログにおいてギンズバーグはほとんど登場してこなかったが、D追跡プロジェクトを継続する限り、ケルアックもギンズバーグも重要人物となる。それもこれも、結局はスナイダーへとつながる系譜からかもしれない。
7)バロウズは植物楽の知識に基づき、植物の力を借りて精神の可能性を極めるための独自の探求を一人で続けていた。だが、ケルアックとギンズバーグが系統する仏教には懐疑的な態度を示し、仏教を「西洋文明には向かない精神的ドラッグ」と呼びさえした。
1952年、バロウズは中央アメリカを訪れることを考えた。目的はグアテマラを探検し、アマゾンまで行き、そして状況しだいではパナマに落ち着くことだった。1953年、伝統の薬草アイアワースカを探して、バロウズはエクアドルの首都キトへと旅立った。p108 同上
8)バロウズとなると、さらに当ブログとはかなり距離感がでてきてしまう。ただ、1952年、53年という時代は、こういう時代だったのだ、ということを理解するには需要なポイントである。また、現在マインドフルネス旋風が吹き荒れるアメリカではあるが、60数年前の仏教理解は、全米的にこの程度であったのだろう。
9)ビートジェネレーションはダダイズムになろうとしたわけでもなければ、シュールレアリスムになろうとしたわけでもない。まして、排他的な一派の形成や思想的テロとは無縁である。そもそも、彼らは自分たちの存在を存続させようということも考えていなかった。
なぜなら、そもそもビートジェネレーションなど存在していなかったのだから。ビートジェネレーションというのはあくまでも一つの表現、言葉のあやに過ぎず、ケルアックが二つの単語を組み合わせて何気なく述べたところ、ギンズバーグがこれに飛びついて記録したのである。バロウズはビートジェネレーションを認めようと(しなかった)。p123 同上
10)そもそも論として、このようなことはよく起こる。
11)バロウズ、ギンズバーグ、ケルアックというばらばらな三人の運命が交錯し、その結果、それまで見たこともない天街が静かに爆発したのだ。
芸術家にありがちな軽い誇大妄想の現れとして派手な高揚感を表出したことは何度かあるが、三人は将来に全く展望がないまま、互いに書いたものを回し読みした。だが、彼らの著作は思いがけず衝撃をもたらすことになる。エネルギーと洞察と力強さにあふれた作品だったからだ。p125 同上
12)こういうこともよくある。
13)(ニールは)1953年の中盤から東洋哲学、特に仏教と道教に興味を持ち始めていたケルアックとの会話はまったくかみ合わない。幸い、サンホセの図書館には東洋思想に関する書籍が山のようにあり、その中でもドワイト・ゴダールの「仏教の聖書」はケルアックの愛読書となった。
彼は仏教の経典の中でも特に金剛経と六祖壇経に興味を持ち、禅の公案を考えたり、俳句を作ったりした。だが、ニールはケルアックの仏教思想を理解しようとしないため、議論は常に平行線を辿り、二人の間には再び険悪な雰囲気が漂った。p173 「西海岸(ウェストコート)」
14)当ブログとしては、「金剛経」と「六祖壇経」はOshoとの関連の中で、すでにメモしてある。
15)ゲーリー・スナイダー(「ダルマ行者(バムス)」ではジェフィー・ライダーとして登場する)は一風変わった男で、1930年にオレゴンで生まれ(22年生まれのケルアックより8歳年下ということになる)、子供時代を西海岸北部の山の中で過ごした。
そのためスナイダーは、自然や動植物、そして白人がやって来る前からアメリカに住んでいたネイティブアメリカンの末裔に対して深い敬意を抱くようになった。
厳格で学識豊かなスナイダーは、東洋文化と東洋言語をリード大学とカリフォルニア大学バークレー校で学び、友人のフィリップ・ウォーレンと同様に、仏教の教えを実践する詩人として活躍していた。後にスナイダーは詩人としてピュリッツアー賞を受賞することになる。
スナイダーは行動的な無政府主義者で、非常に過激な一面を持っていた。その結果、ベトナム戦争反対や環境保護の運動の最前線に立って闘うことになる。自分の私生活と、宗教的および政治的な信念や行動を切り離すという選択肢はスナイダーにはなかったのだ。
加えて、スナイダーは手先が器用で力仕事も巧みにこなし、その肉体は今まさに放たれんとする弓のように引き締まっていた。威厳溢れる容貌と知性、そして豊富な知識はケルアックを魅了した。
シェラ山中を歩くゲーリー・スナイダーを見て、ケルアックは寒山や李白といった風狂詩人のなんたるかが理解できるようになり、スナイダーの中に若くたくましいブッタの姿を見出すに至った(「ダルマ行者(バムス)」は寒山に捧げられている)。
ゲーリー・スナイダーはケルアックを愛と慈悲の化身である菩薩に喩え、ケルアックに自分なりのスートラを書くように促した。それを受け、一年後の1956年5月、当時住んでいたミルヴァレーにあるコテージの庭でケルアックは傑作「黄金永劫の書」を書き上げた。p179 同上
16)「黄金永劫の書」=The Script of the Golden Eternityは「ジャック・ケルアック詩集」アメリカ現代詩共同訳詩シリーズ(1992/01思潮社)とされるが、当ブログでは未確認。
17)(1956年)日本に旅立つスナイダーを祝うために、出発の前には大勢を集めて連日連夜パーティが行なわれたが、これは後のハプニングの先駆けであった。ここでスナイダーは仏教について滔々と語り、独学でただ好き勝手にアジアについて学んでいたケルアックに強い衝撃を与えた。
このパーティーで、ケルアックは当時大いに持て囃されていた哲学者アラン・ワット(ママ)をスナイダーから紹介された。ワットは後に、禅とビートジェネレーションをテーマとした書物を書くことになる。p183 同上
18)ここでようやく当ブログのこれまでの流れにつながってくる。アラン・ワッツ(と当ブログでは表記してきた)は、Oshoお好みの人物である(「私が愛した本」はワッツに捧げられている)。
19)ちょっと長くなり過ぎた。後半は次回に譲る(と書いたが、結局、後半はあまり面白くなかったので割愛する)。
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