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2017/04/05

「祈り」 山尾三省<11> / 「終わりなき山河」ゲーリー・スナイダー <6>

<10>よりつづく

祈り
「祈り」 <11>
山尾 三省 2002/09 野草社 単行本: 151p

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<5>よりつづく

終わりなき山河
「終わりなき山河」 <6>
ゲーリー スナイダー (著) 山里 勝己 (翻訳), 原 成吉 (翻訳) 2002/01思潮社 単行本: 297p
★★★★★
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1)三省のこのホワイトアルバム「祈り」を三省人生の代表作とすることはできないだろうが、エッセンス版として長く記憶することは可能だろう。すでに死期も見えて、60有余年の人生の総まとめとして、そのエッセンスをこの一冊に凝縮したと言うことも可能である。

2)明記していない限り、この本が、残された詩を三省の遺志によってまとめられたのか、出版社の意図であったのか、あるいは匿名の編集者が存在するのか、それはまずおいておこう。されど、その二者、三者の意図は、それぞれの立場であっても、ひとつの方向性として、限りなく溶け合っていただろう、と想像することは難くない。

3)つまり、三省という人は、このような詩集を残したいと思っていただろうし、三省を取り囲む人々もこのように三省をおおまかに捉えていただろうし、またあまたある三省読者もまた、このような詩集をだした詩人として三省を記憶することに異存はないだろう。

4)そのエッセンスともいうべきこの詩集に「祈り」とつけたのも秀悦だと思えるし、あまたある三省の詩の中から、この程度の分量に収めたのも、また編集力のなせる技である。

5)しかるに、当ブログとしては、この「祈り」の中に薬師瑠璃光如来を歌い上げている三省にその白眉たる輝きを見るし、その神髄にある実践として、憲法九条を歌い残したことを了とする。よくも悪くも、山尾三省という人は、そういう人であった。

6)もちろん三省にとっての薬師瑠璃光如来とは、必ずしも右手に薬瓶を持ち、左手を施無畏印として掲げている石や木でできた仏像を意味してはいない。その意味するところは、彼がついには生活の場とした南の屋久島の大自然のなかに、その端緒を見つけるとしても、実に三省の自らの中にある「祈り」としての薬師瑠璃光如来であった。

7)三省は悟った人だったのだろうか。その判断はすでに悟っている人にしかできないだろう。悲の人、祈りの人、野に歌った詩人。さまざまな批評があろう。

8)吉福伸逸 (山尾)三省は、気骨のある男ですから、彼の語っている根っこのところには嘘は全然ないんです。ただ、詩人ですから、言葉が紡がれていくときに、彼の操作が入るんです。ぼくなんかは、「またぁ」っていう感じがすることもあるけれど(笑)。「楽園瞑想」2001/09 雲母書房)p126

9)三省の本質を見抜きつつ、吉福のように茶々を入れたくなる人物が存在するのは理解できる。三省は詩人として生きることを望んだし、吉福はトランスパーソナル翻訳者として名をとどめた。ジャズミュージッシャンを志しながら、ついにはセラピストとして晩年を過ごした吉福もまた、悟った人、だっただろうか。

10)そんな愚問に振り回されることなく、人は、祈ることもできるし、人を癒すこともできることは、記憶しておく必要がある。他者としての三省やだれやではなく、この三省の祈りを通して、わが祈りを確たるものとするならば、この詩集もまたわが内なる糧となるのである。

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11)さて、こちらのスナイダーの詩集。あえていうなら、これはスナイダー最大のライフワークとされ言える長詩である。英文、邦訳の違いはあるだろうが、決して読みやすいものでもなければ、実際にポエトリーディングで読まれる場合、8時間もかかるようである。

12)こちらの長詩にも薬師瑠璃光如来が登場し、またチベットのターラー神への敬慕の情が捧げられてはいるが、いずれが多とするよりも、二つの表現をひとつのこととして読み解いていくことも可能である。

13)ナナオ(サカキ) アレン(ギンズバーグ)は人間の中の自然に深く入っている。僕はそう思う。で、ゲーリー(スナイダー)という人は非常にバランスがいい。僕は余りバランスがよくないですよ。僕はコヨーテの方へ行って、人間のことを忘れちゃったりするから(笑)。 「ビート読本」(1992/07 思潮社)p331ナナオ・サカキ インタビュー”「アメリカン・ドリーム”の国で」

14)北米の西海岸を中心として生活するスナイダーではあるが、そこに読み込まれる大自然に対する造指は確たる自信に満ちて、ひとつひとつに足場を確かめながら、しっかりとした足取りで高地を歩く地球VS人間のような、すっきりとした像が立ち上がる。

15)スナイダーもまた詩人としての自らのドラマツルギーを持っているのであり、そのアングルを自ら作り上げてきた人だ。どこからか切り崩していくことも可能であろうし、また、長期にわたって活躍したとは言え、まだまだ存命中の存在である。今後どのような変貌を遂げるかは、まだ定かではない。

16)されど、若くして日本に渡り、禅を学び、自らの北米の住まいの中にもその色を深く取り入れている限り、この長詩の中から、唯一、薬師瑠璃光如来を読み取ることも可能ではある。そしてその中にチベットの菩薩神ターラーを溶け込ませることも可能である。

17)それらはもちろん、外在物としての仏像などではなく、触発された形での、内なる薬師瑠璃光如来であり、ターラー神である。

18)そしてまた、当ブログにおいては、外在物としての、他者としての三省やスナイダーであってはならない。彼らに触発された形での、内なるラピスラズリの素朴な輝きに深い思いをよせるべきなのである。

19)わが内なる薬師瑠璃光如来。 われをして、深く、癒したまえ。静かに、鎮めたまえ。

スナイダー「終わりなき山河」<7>につづく

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