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2017/04/14

「オン・ザ・ロード1972」<7>遠い世界に

<6>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p
★★★★★

<7>遠い世界に                 目次 

1)そもそも、このコラムは1972年の80日間ヒッチハイク日本一周のエピソードについて書く予定なのだが、現在はまだ1950年代から60年代の説明に終始していつ段階である。目的まで、もう少しのステップが必要だ。

2)旅がテーマなのだが、私にとっては、旅とはやはり非日常なのだ、ということを強調したい余り、前段に時間がかかっている。

3)地域密着型の家系ゆえ、親戚筋は多いとしても、ほとんどが徒歩か自転車程度で行き来できる範囲に散らばっていた。そんな私にとって、最初の大きな旅と言えば、小学校6年時代の修学旅行であっただろう。隣県の観光施設を観光バスで回る程度のことで、しかも一泊程度で、それが旅であるのかどうかは、定かではない。

4)1964年に東京オリンピックがあり、1966年6月にはビートルズが来日した。私たちは中学校1年生。この当時、石川裕人と同じクラスだった。彼と私の文章がたまたま学校誌に残っていて、私は遠足について書いていた。彼は夏目漱石について書いている。私たちにとっては、旅とは実に遠いものだった。

5)しかし、時代は次第に高度成長とやらの波の中で、どんどん変化していく。10代の少年たちとて、無関係でいられるワケがない。フォークソングブームがやって、きて旅をテーマにした歌もどんどん歌われた。

6)高校生になって、69年、70年。そしてこの70年、高校二年生の時の秋休みの5日間に自転車で、仙台から福島を通って新潟に行き、佐渡島に渡って、スルメをかじり、山形経由で、かえってきた、あの自転車での旅が、私にとっての最初の旅だった、と言えるだろう。

6)道路の整備、車の普及、高度経済の波、そして、少年から青年へ。時代は、私をして、旅へ、旅へと、誘い出していたことは間違いない。

<8>につづく

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