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2017年4月の58件の記事

2017/04/30

「ソラリス」 スティーブン・ソダーバーグ監督:

 

81odf0rjfxl__sl1500_「ソラリス」
監督: スティーブン・ソダーバーグ 出演: ジョージ・クルーニー, ナターシャ・マケルホーン, ジェレミー・デイビス, バイオラ・デイビス, ウルリッヒ・トゥクール 発売日 2014/03 販売元: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン DVD 時間: 99 分 2002年アメリカ映画
No.3966

 スタニスワフ・レム原作「ソラリスの陽のもとに」を、タルコフスキー監督が映画化した「惑星ソラリス」(1972)のリニューアル版(2002)。

 こちらはカラーが鮮やかだが、前作タルコフスキーの世界も素敵。あの自然の中の田舎の風景が、こちらの作品ではほとんど登場しない。時間もあちらが166分と三時間近いのに、こちらは99分と一時間半強。退屈するようなタルコフスキーの重さもなかなか捨てきれない。

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「インドへの道」 デイビッド・リーン監督:

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「インドへの道」
監督: デイビッド・リーン 出演: ジュディ・デイヴィス, ヴィクター・バナルジー, ペギー・アシュクロフト 発売日 2017/01 販売元: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン DVD 164 分 1984年英国米国合作作品
No.3965★★★☆☆

1)長い長い、重い重い映画。 1924年発表のE・M・フォースターの小説が1984年に映画になった。英国人のお話。インド文化の中での葛藤。結婚や裁判など、いくつかのテーマが織り込まれている。

2)「インドへの道」。そういえば、1977年に最初にインドに行った時、横尾忠則の「インドへ」というエッセイ集があったな。あれで旅立つことを決意したようなものだった。

3)映画の中のインドの風景は、私が訪問した時とほとんど変わらない。おそらくあれから40年経過して、だいぶ変わったんだろうな。

4)最近でも、私は頻繁にインドにいく。一番夢見る機会が多い。ほとんどリアルな体験である。しかし、毎回同じ結論になる。帰国の日が近づいて、準備を始めると、パスポートがない。ああ、いつもいつもパスポートの管理だけはキチンとしておこうと思ってはいるのだが、毎回毎回失敗してしまう。

5)パスポート探しではかなり疲労する。疲れ果て、インドに来たことを後悔し、二度とこんなところに来るものか、と、もう反省する。がっかり来て、もうギャフンだ。

6)その限界になった時、毎回目が覚める。

7)もうインドなんか行くもんかと思いつつ、何回も何回もインドに行くのだから、よっぽど好きなんだろうな。だけど、つねに恐怖が付きまとっている。

8)ああ、インド。ひとつの大きなエネルギーだな。

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「Botapii」植物と暮らしを豊かに。LOVEGREEN<2>

<1>からつづく

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「Botapii」植物と暮らしを豊かに。<2>
2017年5月号 2017/02~03 LOVEGREEN 広告無料雑誌 p37
No.3964★★★★★

1)連休をはさんで、園芸店は花や野菜の苗でいっぱい。肥しもあるでよ。だけど、市民農園のオーナーに言わせれば、連休売っているものは、寒い時期にハウスで作ったものがほとんどだから、むしろ連休が終わって、次の二番苗を買ったこうが丈夫で、むしろ成長も早いとか。だから、連休はぎりぎり見て、品定め。

2)そしてカウンターの側にはありました、この雑誌。平積みにしてあった。もらっていく人は多いのかな。とにかく私は好きです、この雑誌。有料の園芸雑誌くらいの価値がある。きれいだし。

3)この雑誌、実は、今期の新刊ベスト10の中にキチンと入っている。ホームセンターや園芸店でも置いていないところは置いていないので、あればもらう価値は充分ある。

4)今号も気になる記事がいくつもあるが、とにかく写真がきれい。値段によっては有料でも私なら買うかも。広告臭くないところも、すごくいい。

5)創刊して3号目だが、いわゆる3号雑誌にならなければいいな。

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「コンタクト」 監督: ロバート・ゼメキス

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「コンタクト」
監督: ロバート・ゼメキス 出演: ジョディ・フォスター, マシュー・マコノヒー, ジョン・ハート, ジェイムズ・ウッズ, デイビット・モース 発売日 2011/09 DVD 150分 1997年アメリカ作品
No.3963

1)アメリカSFファンタジー映画でも、このくらいのんびりした映画なら私でもついていける。不要なバトルシーンや破壊やディザスター映像は不要だ。

2)この映画においては、人間の「意識」、「意識」を持った機械、そして第三の存在として「宇宙人」の知性を対比させる。さらには、「神」の存在についても問う。

3)これらの選択肢の中で、まずは宇宙人は現代社会においては否定される。科学的に証明されてはいないが、将来においての可能性は残されている

4)神については、人類は、この映画においての表現によれば95%が何らかの形で神を信じている。信じているだけであって、それもまた証明されてもいないし、むしろ否定される過程にある。

5)さて、人類は、機械を使って「意識」を創り出しうるか。それもまた否定はされていないが、現在は不可能とされている。

6)残るのは、そもそも人間が持っている本来の「意識」であるが、これがまた人類は明確な定義をできないでいる。

7)それでもなおかつ、「意識」を理解し、実存的に一体化していると主張する存在もある。

8)実存的に「意識」を理解できない者は、宇宙人や神や、機械を使って、類推し、仮定し、批判し、同意し、信じる。

9)あるいは体得したと主張する者を信じる。

10)おそらくこれらすべての方法が役に立たなくなっている。希望はあるが、可能性はますます遠のく。そして、その他、残されているとされる方法が、長い人類の歴史の中で燦然と輝いている。

11)その方法をなんと名づけようと、人間だれにも備わっている「機能」だとしたら、それを「信じる」必要もなければ、「仮定」する必要もない。とにかく、人間だれもが、その中に体験的に入っていけばいいことになる。

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2017/04/29

「惑星ソラリス」アンドレイ・タルコフスキー監督 <2>

<1>よりつづく 

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「惑星ソラリス」 <2>
監督: アンドレイ・タルコフスキー 出演: ナタリア・ボンダルチュク, ドナータス・バニオニス, ユーリー・ヤルヴェト, アナトーリー・ソロニーツィン, ウラジスラフ・ドヴォルジェツキー 発売日 2013/04 販売元: IVC,Ltd  DVD 時間: 166 分 1972年作品
No.3962

1)「ソラリスの陽のもとに」の映画化。

2)「2001年宇宙の旅」と双璧をなすとされるSF会の歴史的名作。監督はアメリカの鬼才スタンリー・lキューブリックに対する、ロシアの異才アンドレイ・タルコフスキー。

3)最近見た「アイ、ロボット」(監督 アレックス・プロヤス 2004年作品) と比較してみると、この映画の立ち位置がさらに明確になる。人間と機械があるとして、機械が限りなく進化すれば意識を持ちうるのかどうか、というのが一つの問題意識である。それはいわゆるシンギュラリティと言われる進化のプロセスでの目下の関心事である。

4)されど、片方の人間サイドから見ると、限りなく機械的な環境に埋め込まれていった場合、人間がすでに持ち合わせているとされる、意識そのものが問われる。意識とは何か。

5)タルコフスキーの作品のカメラワークは実にのんびりしている。決してハリウッドのアクション映画やパニック映画のようには踊らない。ほとんどが横にゆっくりと動く。カメラワークも長回しだ。

6)今となっては、むしろ近代化の波の中の見本市とさえなてってしまっている「2001年宇宙の旅」よりも、稚拙なセットで、CGなんてなんのことかね、というほどの古風な映画作りが、ロシア人的な感性とも相まって、より意識を浮き上がらせる。

7)この映画には、2003年にハリウッド制作の別作品もあるようだ。二つ並べてみたら、きっと面白かろう。

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「海底2万マイル 」リチャード・フライシャー 監督

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「海底2万マイル」
ベルヌ(原作) リチャード・フライシャー (監督) カーク・ダグラス (出演),    ジェームス・メイスン (出演), 発売日 2009/07形式:  製作者: ウォルト・ディズニー DVD 時間: 127 分
No.3961★★★★☆ 

 畏友・故石川裕人に「ノーチラス」という作品があって、いちど小説で読んだのだった。

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「ノーチラス」 ~我らが深き水底の蒼穹~
石川裕人劇作100本達成記念公演  TheatreGroup“OCT/PASS”Vol.31 2010/07~08 初稿 p120 石川裕人年表
★★★★★

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「海底二万里」
ベルヌ 1983/02 講談社 大型本 国際児童版 世界の名作5
★★★★☆

 石川が自らをアングラ劇団の主催者として、ノーチラス号の船長になぞらえたのは、なかなか妙を得ていると思った。

 船長の最期によって、世界を幸せにする哲学と技術は失われてしまうのだが、石川の最期によって、失われたものはなんであっただろうか。おそらく、彼は自らを大きく広げ、表現し続けたことによって、その多くは記憶されたことになる。

 それを辿りつつ、いまだに彼と一緒に生きている気分の私がいる。

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今日の気分はこの3冊 <27>

 
今日の気分はこの三冊(枚)<26>
 
        今日の気分はこの3冊 目次

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「2001年宇宙の旅」 スタンリー・キューブリック監督 1968年作品

「その男ゾルバ」 マイケル・カコヤニス監督 1964年作品

「禅 ZEN」 高橋伴明監督 2009年作品

つづく

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「図解 マインドフルネス」 しなやかな心と脳を育てる ケン ヴェルニ<4>

<3>からつづく 

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「図解 マインドフルネス」 しなやかな心と脳を育てる<4>
ケン ヴェルニ (著),  中野 信子   (翻訳) 2016/06 医道の日本社 単行本 226ページ
★★★☆☆

1)返却日が迫った。今日返却しようか、明日返却しようか。一日手元に長くおいたからと言って、得られることなどほとんどないが、せっかくまだ一日あるのに返却するのも、なんだかもったいない気がする。一旦手を離れれば、あと半年は再読の機会はこなくなる。まぁ、それでもいいのだが。

2)なぜにこの本にこだわっているのだろう。私が、私のマインドフルネスとして、この本からなんらかの情報なり技術なりを得ようということはもうあきらめている。むしろ今までの固定的に構築されてしまっている自らのスタイルを、脱構築して、さらなる再構築を、狙っているのだ、というこも言えないことはない。

3)しかし、そういった意味でも、この本によって打ち壊されてしまった内なるものなどない。多少なりとも混沌をもたらしてくれたことは事実だ。うわぁ、と思う。わぁ、なんだかなぁ、と思う。だけど、自らの内なるものはある意味頑固、取り乱しようがない。

4)この本に私が求めているとしたら、それは内なるものではなくて、外なるものだろう。一体、アメリカではどんなことになっているんだ。そして、それを日本の一部はどうこの本を受け止めているんだろう。この本に限らず、マインドフルネスとやらのムーブメントに対する、日本文化の動揺や、いかに。

5)比較文化論とまでもいかず、ちょっとした覗き趣味、ちょっとした好奇心、ちょっとした下衆の勘繰りも含まれている。しかし、その決して上等とは言えない悪趣味も、結局はあまり成果を上げなかったようだ。

6)逆に、今後、この本についての感想などを書いたブログなどがあったりすれば、その感想とわが感想を比較してみたりする興味はある。その時はすでに、この本というより、そのブログなりを書いている人と、我が道の比較ということになろうか。

7)自らの道は、それが自らの道といえるならば、別段にあらたに比較したりする必要などまったくないのだが、しかし、自らの道にこだわるあまり、新たなる動きに対して無関心になってはいけない。常に柔らかい態度を持って、ゆるやかに、のびのびと道を歩いていくべきだろう。

8)そういった意味において、いまだ日本におけるマインドフルネスを冠した本は決して多くなく、上記のような思いを巡らすチャンスを与えてくれたことは、とりあえず感謝しておくべきだろう。

9)また、来るべき時期が来たら、この本を手元におき、自らのメモを検証する必要があるだろう。

いつか、つづくもの、としておく。

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2017/04/28

「禅 ZEN」 高橋伴明監督<2>

<1>からつづく 

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高橋伴明「 禅 ZEN」製作委員会 2008 アミューズソフトエンタテインメント DVD 127分
★★★★★

1)道元。ブッダの弟子。仏弟子としてはこれでいいのだろう。OSHOのゾルバ・ザ・ブッダとしてはちょっと、笑いと踊りが不足しているかな。

「道元」 その探求と悟りの足跡 和尚/講話 スワミ・アンタール・ガータサンサ/訳 和尚エンタープライズジャパン 1992年10月
★★★★★

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「その男ゾルバ」 
ニコス・カザンザキス (著),        アンソニー・クイン (出演),    アラン・ベイツ (出演),    マイケル・カコヤニス (監督)    発売日 2016/01  20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 形式: DVD 時間: 143 分

2)すがすがしい映画だ。初心に帰った気分になる。道元!。

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2017/04/27

「アイ,ロボット」 アレックス・プロヤス監督:

51yxagegitl「アイ,ロボット」 
監督: アレックス・プロヤス  出演: ウィル・スミス, ブリジット・モイナハン, アラン・テュディック, ジェームズ・クロムウェル2004年作品 DVD ディスク枚数: 1 販売元: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 発売日 2012/12 時間: 115 分
No.3960★★★★★

1) この映画、話題になったのかどうかも知らないし、一般的に言って、その評価も高いのかどうかもわからないが、私にとってはちょうどいいくらいのストーリーの飛躍で、なんとなくわかった。(というか、後半、例によってすこし眠ってしまったがw)。

2)極端なバトルシーンもなかったし、大破壊のシーンもなかった。それ以上に、このロボットが一体欲しくなった、というところが、高評価の原因だろう。こういうのが一つほしいぞ、NS-51。

3)この前、文房具屋の店頭のポスターに見とれていたっけ。

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4)なんかこの手のロボットを廃物アートでつくってみたいんだよね。もちろんこんなに動きはしないけど、置物にしたら、素敵かと。

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「30代の初老ライフ」 与えられた場所で幸せを見つける衣・食・住のアイデア Kei

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「30代の初老ライフ」 与えられた場所で幸せを見つける衣・食・住のアイデア
Kei   (著) 2016/06 KADOKAWA 単行本: 208ページ
No.3959★★★★★

1)何歳から初老というのだろう。50歳の同級会の時に、女性陣が自らを自虐的に初老と言いだしていたように思う。私の場合は52歳の頃から初老と言いだしたが、ちょっとテラいがあった。あれから10年が経過して、ようやく素直に初老と言えるようになったが、もうすでに真正老人の領域かもな。

2)10代の時から、私は別段に上にも下にも年齢を間違われたくもなかったし、そのままの年齢で生きてきた。だから30代は30代でよかったし、60台の今は60台で何も困ることはない。

3)この著者は、体調や家族環境もあって、30代で到達したライフスタイルを初老ライフと表現したわけだが、わかりやすくはあるが、初老の人々にとっては、ちょっと歯がゆい表現かもな。

4)このライフスタイルはむしろ、何歳代ライフなどと言わないで、マインドフルネス・ライフとでも名付けたほうがいいのではないだろうか。「図解 マインドフルネス」 しなやかな心と脳を育てる(ケン ヴェルニ 2016/06 医道の日本社)なんかより、こちらのほうがよっぽどマインドフルネスな感じさえする。

5)内容はてんこ盛りの満載で、著者は断捨離にぞっこんのようだが、本の内容ももうすこし断捨離して、的を絞ったほうがよりシンプルになったような気がする。

6)私個人は断捨離などが登場する前から、リズ・ダベンポートの「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」(2002/09 草思社)が大好きで、内容はともかく、いつも新鮮な気分になるから、いまでもデスクの脇に置いている。

7)ただどうしても捨てられないものもあるわけで、<捨てるに捨てられないモノ>なんていうシリーズエッセイを書いたりしている。「Aria Pro II TS-500 Thor Sound Guitar 」なんていう電気ギターもそのひとつだったのだが、結局捨てた。なぜ捨てられたのかといえば、それはそもそも粗大ごみから拾ってきたものだからだったかもしれない。でも、今では捨てて失敗したかなぁ、と思う

8)「タイプライター」 <捨て「タイプライター」 <捨てるに捨てられないモノ>シリーズその6 なんてのもあったが、これは当ブログにメモしておいたおかげで、最近、遠い手作りチョコ店を準備している男性にもらわれていった。お店のメニューも手作りしたいのだとか。和文タイプが役立ってほしいなぁ。

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9)結局、捨てられないものも多く、<廃物アート>なんてシリーズを続けていたりする。自分の作ったものとしては、やっぱり五重塔かなぁ。

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10)今作っているものとしては、未完成だが、薬師如来も、結局は廃物アートなんだよなぁ。

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11)この趣味自体が、そもそも初老というよりもむしろ真正老人趣味になっているかな。なんだか、いろいろと連想させてくれるこの本は、それなりに面白い。結構、レイドバックしてるね。

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2017/04/26

OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <11>

<10>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <11>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

 覚えておきなさい。マインドフルで、注意深くありなさい。もしあなたが注意深く、もしあなたの行動がもっともっと目覚めているなら、なんであれあなたは眠りながら行うということはないだろう。社会の努力全体は、あなたをいかに自動化するか、どう機械人形にするか、いいかに完全な機械式にするか、にかかっている。 

 あなたがあなたを自身を効率的な機械ではなく、注意深く生きることを学ぶ時、注意深いことはエネルギーを取り込み、ギアや、ハンドル、ブレーキ、アクセル、クラッチなど、たくさんのことに気づかざるを得ない。 

 あなたが効率的にも、早くも走れないと気づかなければならないことはとてもたくさんある。それでも少しづつ、あなたが効率的になってくると、目覚めている必要がなくなる。唄をハミングしながら、あるいはいろいろ考えながら、パズルを解きながら、車は一人でに走っていく。体は自動的になっていく。もっとあなたは自動的になり、効率的になっていく。 

 社会は効率性が必要なので、あなたをもっともっと自動的にしていく。あなたがおこなう全てにおいて、自動的になる。社会はあなたの目覚めなどにかかずらってはいない、あなたの目覚めはむしろ社会では障害にすらなる。あなたはもっと効率な生産性を求められる。 

 機械はあなたよりもっと生産的だ。社会はあなたに人間として生きることを望んではいない。むしろあなたが機械的な部品であってほしい。だから社会はあなたをもっと効率的で、もっと眠り込んでいてほしい。これが社会があなたを化かしている理由だ。あなたは効率的になる、しかしあなたの魂は失われる。 

 あなたが私を理解できるなら、瞑想技術の努力すべてはあなたを非・自動的にし、ふたたびあなたが注意深く戻り、あなたを機械ではなく再び人間として生きれるように向けられている。 

 はじめにあなたは効率的ではなくなるだろう、だけどそこに構っていてはいけない。最初あなたは乱雑になるだろう。なぜならあなたの中ですべてが自動的にセットされていたのに、すべてが乱雑になり、あなたはは効率的にはできなくなるからだ。 

 あなたは難しさを感じるだろう あなたは無意識の効率性に固定されていたからだ。意識的な効率性にたどり着くには、長い努力が必要とされる。しかし、すこしづつあなたは目覚め、効率的になるだろう。 

もし未来において本当の人間社会の存在が可能であるならば、第一に、まず実行されるべき基本的なことは、子供たちを自動的にしてはいけない、ということだ。もし彼らを効率的にしてしまうことが多少はあったとしても、目覚めとともに効率を高めなさい。子供たちを機械にしてはいけない。 

 多少は時間がかかるだろう、なぜなら二つのこと、効率性と目覚めが学ばれる必要があるからだ。本当の人間社会はあなたに目覚めを与える。多少は非効率であっても、だんだんより効率的になるだろう。そして、あなたが注意深くある時、効率的でなおかつ目覚めていきるようになる。 

 瞑想は最初において脱・自動装置的だ。それからあなたは新しい目覚めとともに働き始める。体は効率的であり、意識は注意深いままである。あなたは機械になる必要はない。あなたは人間のままだ。もしあなたが機械になってしまうなら、あなたはすべての人間性を失ってしまう。 

 この僧侶はこの脱・自動的を行っているのだ。毎日、朝から自分に向かって「目覚めていろよ!」と呼びかけ、「自分を化かすなよ!」といい、「他人に化かされるなよ」と呼ぼかけ続ける。マインドフルネスが獲得されるには、三つの層がある。OSHO  p14~15/254  (15~16/198)

<12>につづく

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2017/04/25

「図解 マインドフルネス」 しなやかな心と脳を育てる ケン ヴェルニ<3>

<2>からつづく

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「図解 マインドフルネス」 しなやかな心と脳を育てる<3>
ケン ヴェルニ (著),  中野 信子   (翻訳) 2016/06 医道の日本社 単行本 226ページ
★★★☆☆

1)地球上にこの本一冊しかなくて、この本のなかからどうしても、知恵ある何事かを、ひとつ探し出さなければならない、としたら、おそらくそれはかなうだろう。何事かを見つけることは可能だ。

2)しかし、それを言い出したら、この地球上におけるどのような本であっても、この地球上の最後の本という条件を与えられば、そのソースにはなりうるだろう。

3)ところが残念ながら、この地球上には山ほどの本がある。一生かかってもよみきれないばかりか、ネット上における情報は日々刻々と倍増し続けている。そのような限定は不可能であり、無意味である。

4)このありふれた情報の海の中にあって、この本と一期一会の出会いをできる人ならば、この本の中には知恵が満載、ということはできるだろう。

5)仏教では、三つの宝があると言われている。仏、法、僧。マインドフルネスという用語を使って表現するなら、マインドフルネスをきわめたひと、存在。それをまずは仏と言っておこう。

6)二つ目は法、テクニックであり、表現されたものであり、伝えることができるものであり、また、生き方そのもの、ということもできる。それを法としておこう。

7)マインドフルネスを実践している人、体得した人、そのような人々がネットワークをつくり、コミュニティをつくり、そのムードを盛り上げていること、それをまずは僧と呼んでおこう。

8)この三つの宝の中で、この本で一番協調されているのは法である。体得した人、究極まで行った人は、別段に紹介されていない。また、新しい動きであり、決してマインドフルネスという区切った形でのコミュニティが紹介されているわけでもない。

9)法と言っても、表現されうるものだけが法ではない。法であるかぎり、表現されなければならないのだが、ついには表現され得ないものも含むからこそ宝と呼ばれているのだから、ややこしい。このややこしい部分までは、この本は表現しきれているとは言えない。

10)現在流通しているマインドフルネスとひょぅげんされるものはアメリカの研究者ジョン・カバットジンの活動とその集積に依存するところが大きい。そのカバットジンは、ベトナム出身の仏教僧テック・ナット・ハン(当ブログ未読)に傾倒するところが大きい。テック・ナット・ハンは、禅僧というよりも南方仏教のビパサナにルーツを持つ。

11)この世にはたくさんの道があり、虹色のように、すくなくとも7つの道があると言われている。様々な道があるばかりか、相反する表現さえ存在する。どの道と出会い、どの道を選ぶのか、どの道を歩くのかは、それぞれの自由にまかされている。

12)そんな中にあって、いくら酷評としているとしても、なぜにその自らの道ならざる道にこだわっているのだろう。さっさと立ち去ってしかるべきではないか。そう自問する。

13)されど、このマインドフルネス・ブーム、その真価を尋ねるために、もうすこしマインドフルネス探訪を続けてみよう。

14)この本は人気本である。今回手元にある期間が過ぎてしまえば、私の手元に戻ってくるまでに、さらに数か月かかってしまうだろう。それまでの数日間、もう少し手元において、ちらちら眺めている。

<4>につづく

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2017/04/24

OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <10>

<9>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <10>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

 しかしながらどの社会もあなたが直接見ることを許さない。それはやってきて勝手に解釈を与え、あなたはそれに化かされる。この僧侶は毎朝言ったものだ。「他人に化かされるな」。そして彼は返答した。「はい、師よ、私は誰にもだまされはしません」。 

 このことは常に覚えておかれるべきだ。なぜなら他人はまわり中にいて、彼らは細部にわたってあなたを化かそうとしているからだ。そして今や他人はかつてないほど強力だ。広告宣伝を通じて、ラジオ放送を通じて、新聞紙を通じて、テレビ放送を通じて、あなたを操作しようとしている。 

 アメリカでは、市場全体がいかにあなたを購買者として化かすかで成り立っている。どのようにあなたが他人のマインドの中に考えを創り出すかにかかっている。さぁ、幸せになろうとしたら、二台の車があなたのガレージに必要だ。アメリカでは二台の車がガレージなくてはならない。誰も、「もしあなたが一台の車で幸せでなかったら、どのようにしてあなたは二台の車で幸せになれるというのかね?」と聞かない。 

 もし一台の車で50パーセント幸せだとしても、あなたはどうして二台の車で幸せになれるというのだろう? 一台の来るmであなたが不幸せなら、あなたは二台の車で二倍不幸になるに違いない。算術は簡単だ。 

 しかし広告宣伝、プロパガンダ、社会全体が他人を操作することで成り立っている。幸せは、市場の中の商品かなにかのようだ。あなたはそれを追い求め、それは獲得するべく強要される。追跡することで幸せになるのだろうか? 幸せは商品ではない。それは物ではない。それは生きることの質、注意深い生き方の結果なのだ。あなたはそれを追いかけることはできない。その道ではない。 

 アメリカの新聞を見ていては、あなたは失い続けるだろう。幸せは金銭を使って追い求めることができるようなものではない。彼らはあなたに何かが失われているような感じを創り出す。そのためあなたはそれを求めて働きだし、金を稼ぎ、買いに走る。 

 そしてその時あなたはあなたがそれを欲しがっていると感じている。しかしその感じは、決して深いものではない。なぜなら、あなたがそれを欲しいと感じる前に、なにか新しい欲しいものがマインドに入ってきて、それから彼らはあなたをあなたの目の前につるすのだ。 

 あなたは丘の上の家が欲しくなる。あるいはあなたが夏の休暇をしなければならないと思う。あるいはヨットが欲しくなる。いつでも何かが魅力的に見えてくる。そしてその時からあなたは幸せになる。彼らはあなたを死ぬまで引っ張り続けるだろう。あなたが死ぬまで、これらの広告宣伝や、プロパガンダが、あなたを引っ張り続けるのだ。 

 この僧侶は正しい。この注意深さはあなたのものになるべきだ。あなたは他人に化かされてはならない。社会すべては搾取のために存在し、他人を搾取し続けている。そしてこの搾取は市場においてのみならず、寺院でも、教会でも、シナゴーグにもある。それはどこにでもある。なぜなら聖職者もまたビジネスマンだからだ。 

 あなたは平和を必要とし、あなたは平和について聞き、「私たちところに来れば、私たちはあなたに平和を上げましょう」という人々がいる。あなたが至福について聞けば、あなたに至福を販売する準備ができている人々がいる。マハリシ・マヘッシュ・ヨギのように西洋で成功した人々がいたとしても、東洋では成功しない。インドでは誰も聞いていない。誰も相手にしない。 

 しかしアメリカでは、すべての種類のナンセンスが聞かれる。あなたが正しいプロパガンダに乗り、すべてが正しい宣伝マンたちに接触するのなら、それはもいいだろう。 しかしマハリシ・マヘッシ・ヨギなどは、まるで内なる静寂を直ちに獲得できるかのように話したり、一週間以内に瞑想を見つけることができるとか、15分間座ってマントラを唱えればあなたは永遠に幸せになれる、と語っている。 

 そしてアメリカ人のマインドは。広告宣伝に毒されていて、すぐに引っかかり、黒山の人垣ができる。その群衆は変わり続けるが、いつでも人だかりができている。そして、何事かが起きているかのように見える。まるで寺院や教会まで店舗になってしまう。 

 瞑想は追い求めることができないばかりか、誰もあなたにそれを与えることはできない。あなたはそれを自ら得なければならない。それは外にある何かではなく、それは何か内なるものであり、成長し、それは内なる覚醒から成長するものなのだ。 

 あなた自身の名前に呼びかけなさい。朝に、夕に、昼過ぎに、眠くなったらいつでも、あなた自身の名前に呼びかけなさい。そして呼びかけるだけではなく、それに答えるのだ。大声で言いなさい。他人を恐れないことだ。あなたは充分他人におびえてきた。彼らはいつもあなたを恐怖の中で殺している。恐れないでいなさい。市場にいても、覚えておきなさい。 

 あなた自身の名前を呼びなさい。「おい、いるかい?」。 そしてそして答えるのだ。「はい、います。師よ」。 

 人々は笑わせておきなさい。彼らに化かされてはならない。体験されるべきことは注意深くあることだけだ。期待したり、人びとに期待されたり、ではない。なぜならこれは彼らの罠の一つだからだ。期待することによってあなたを忠犬にしてしまう。彼らは言う「私たちはあなたに期待している。頼むから忠犬でいてほしい。それだけだ。社会に従えば、社会はあなたに期待するだろう」。 

 これは相互交換だ。あなたはもっと死んでしまえば、社会的はもっと期待するするだろう。あなたがもっと自分を生きるとすれば、社会はあれこれ問題を創り出してくるだろう。 

 キリストはなぜに殺害されたのだろう? それは彼が生きた男だったからだ。彼は子供時代にこう呼ばれていたに違いない。「キリストよ、他人に化かされてるなよ」。そして彼は化かされなかった。だから他人は彼を殺害した。なぜなら彼はゲームの一部ではなかったからだ。 

 ソクラテスは毒を盛られ、そして殺された。マンスールもまた殺害された。そこに牢獄から脱走した人々がいたとして、あなたが何を言ったとしても、彼らを説得することはできない。彼らは牢獄の中には戻らない、彼らは大きくひらかれた空のような自由として知られる。OSHO  p11~14/254  (13~15/198)

<11>につづく

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「2012」ローランド・エメリッヒ(監督

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「2012」
監督: ローランド・エメリッヒ出演:  キウェテル・イジョフォー, ジョン・キューザック 発売日 2010/03 販売元: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント  DVD 時間: 158 分 2009年アメリカ制作
No.3958★★★★★

1)「2012」と言っても、映画「2001年宇宙の旅」や「2010年」との連作ではない。いわゆるマヤ暦における最終年2012年をテーマにしている。以前はこの年が地球最後の年などとささやかれ、終末論の特異点のような取り扱いがされていた。特にこの映画が公開された2009年あたりまではその「期待感」がピークに達していた。

2)しかし、ある意味では2011/03/11が、その2012を前倒ししたような形になってしまった。もちろん、世界は破滅しなかったし、人類は滅亡したわけではない。されど、人類は、もう一度、自らの生き方を再確認する必要に迫られた。

3)あらかじめこの映画を見ていた人は、3・11の時には、この映画を思い出したかもしれないし、3・11を体験してしまった人の中には、この映画を見る事ができない人もたくさんいることだろう。

4)何もなかったら、たんなるパニック映画のエンターテイメントだが、どこか預言的なシンクロニシティがない、とは決して言えない。そして、このような状況が、今後、地球上のどこかで次々と起こる、ということも決して否定はできない。

5)こんな局面で、あの3・11の自分の体験を書いておくのもなんだが、あの揺れている数分間、私はずっと手にコーヒーカップを握って立っていたのだ。100人のプロのリスクマネージャーたちとの会議。新築の高層耐震ビルの4階、窓にはブラインドが下ろされていたので、外の恐ろしい風景を見ずにすんだ。大きな会議室だったので、棚から落ちてくるようなものは一切なかった。

6)ただ、部屋を仕切っているアコーディオン・カーテンが、部屋の壁に押し開けられていたのだが、それだけが、まるで大きな扇子のように、閉じたり開いたりしていた。正直言って、私はあの地震でまったく怖い想いをしなかった。

7)津波だって、すぐ足元まで来ていたのに、気づかずにいた。死体だって、結局は一人も見る事がなかった。守られていたと言えば守られていたのだろう。車も無事、家も無事、家族も無事。仕事は忙しくなってしまったが、この時のために、この仕事をしていたのだった、と思うほどだった。

8)原発事故の放射能だって、爆心地から数十キロであるにも関わらず、なぜか風向きや地形によって最小限の被害にとどまった。あの災害で、たくさんの人々がたくさんの体験をした。口では語り切れない。

9)今後も、どうなるかなんて、本当はわからない。だけど、どのような状況であるにせよ、人生において、人類において、生命、地球、もっと大きな世界において、そして自分自身にとって、本当に大事なものは何かを、更に考えさせられる機会となった。

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OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <9>

<8>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <9>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

 三番目に、あの僧侶は、忘れるなよ、決して他人に化かされるな、と言った。他人は常にあなたを化かし続ける。あなたが自分を化かすだけではなく、他人もまたあなたを化かし続ける。どのように他人はあなたを化かすのだろう? 社会全体、文化、文明、これらは陰謀の塊なのだ。 

 これがどの社会も反逆者にしたがわず、大衆迎合する理由なのだ。どの社会も反逆的な考え方に従わない。なぜ? なぜなら反逆的な考え方は人々をすべてのことがゲームである、ということに気づかせてしまうからだ。そして人々がすべてのことがまったくのゲームであることに気づいてしまうと、彼らは危険なものとなる、彼らは社会を超えていこうとするからだ。 

 社会は催眠的地平で成り立っており、群衆は催眠的な要素の一つである。あなたは生まれる、しかしあなたが生まれる時は、ムスリムでもなければ、クリスチャンでもない、そうは成り得ないだろう、なぜなら意識はどんな宗派にも属することはできないからだ。 

 意識はすべてに属しており、分派になりようがない。子供はシンプルだ、ヒンドゥーや仏教、ジャイナなどのすべてのナンセンスに対して真っ正直だ。子供は純粋な鏡なのだ。しかし、社会はたちまち子供に対し働き始め、型をはめようとする。子供は自由に生まれる、しかしたちまち社会は彼の自由を壊し始める。型が与えられる、パターンだ。 

 もしあなたがヒンドゥー家族に生まれれば、あなたのパターンはヒンドゥとして教育され始める。いまや彼らは催眠的環境を作り始める。誰もヒンドゥではないのに、子供は純粋だ、彼は化かされ得る。子供はシンプルだ。彼は自分がヒンドゥだというパターンを信じるだろう。ヒンドゥというばかりではなく、ブラフミンというだけではなく、デシャスタ・ブラフミンだ。階級のなかの階級、まるで中国の箱のように、箱の中の箱。 

 そうして彼は空の小さな部分、ヒンドゥになる。変えはブラフミン、その中のより小さな箱デシャスタだ。これがずっと続けられる。社会は彼をより小さな箱の中に押し込め続ける、そうなると、彼はデシャスタ・ブラフミンとして生きていかなければならないだろう。 

 彼の人生全体はこの箱ととともに生きていくだろう。彼は自分の周りにこの箱を持ち続けるだろう。この箱は墓穴だ。彼はこの箱から出てこなければならない。その時ようやく彼は本当の意識とは何かを知るだろう。 

 こうして社会は概念を与え、先入観を与え、定義や哲学、宗教の仕組みを与える。そうなると彼は直接見る事ができなくなる。いつも社会が遠し眼鏡となる。あなたはあなたが何かを良いという時、そこにあなたは何を見ているのだろう? 

 それはあなたの感性なのか、それは本当に良いものなのか、それとも社会の単なる通念なのか? 何かが悪いとして、それはあなたが見たうえでの結論なのか、それとも社会があなたにそれは悪いと教えたものなのか? 

 見てみなさい! ヒンドゥは牛糞を見て、世界で可能な限りもっとも神聖なものと考えている。世界で他の誰も、牛糞を世界でもっとも神聖なものだと考えたりはしないだろう。牛糞は糞かなにかだ。だけどヒンドゥだけは牛糞は世界で最も神聖だと考えている。 

 彼らはそれを幸せそうに食べる。それを食べるのだ! 世界の誰も8億人のヒンドゥが化かされているとは信じないだろう。しかし彼らは化かされている。ヒンドゥの子供がパンチャムリタを与えられると、五つのことの特別な詰め合わせが与えられる。 

 この五つのことの中で、ひとつは牛糞だが、他には牛の尿もある。これは難解だ。誰もこれが正しいなんて信じることはできない。しかし彼らは自身の偏見を持っている。あなたの偏見をおろして、直接見なさい。OSHO  p9~11/254  (12~13/198)

<10>につづく

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2017/04/23

「アバター」 監督: ジェームズ・キャメロン

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「アバター」
監督: ジェームズ・キャメロン 出演: サム・ワーシントン, ゾーイ・サルダナ, シガーニー・ウィーバー, スティーヴン・ラング, ミシェル・ロドリゲス 公開2009年 販売元: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン DVD 時間: 162 分
No.3957★★★★★

1)そもそも小説や映画というもの自体が、バーチャルなものであるが、足に障害を負った元・海兵隊員が、科学自術を使って、別な生命体(だろう)に入って融通無碍の動きを獲得する。その意味では、「マトリックス」と同じような基礎テーマである。

2)「セカンドライフを読む。」(ティム・ゲスト 2007/11 エンターブレイン)の中では、バーチャル・ーム・セカンドライフのに夢中になっているのは体に障害を持つ若者たちだった。

3)最近、高齢者の交通事故が話題になることが多いが、ある70歳のご老人がこういっていた。「最近、歩くのは大変だけど、クルマの運転なら大丈夫。どこでも行けるわ。車がないとどこにも行けない」。うーん、そういう時代だ。

4)この映画、バーチャルリアリティや、恐竜、CG、アクション、バトル、恋愛譚と、なんでもありのエンターテイメント映画に仕上がっている。ストーリー性もあり、まぁまぁ、こんなものかな、と思うが、後半のバトルシーンの連続は私の好みではない。もうちょっと、のんびりと見させてくれないかなぁ。

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「如来さまにみちびかれ」 三角定義油揚げとともに 庄司 勝壽

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「如来さまにみちびかれ」 三角定義油揚げとともに
庄司 勝壽 2016/11 ブレインワークス 単行本 161p
No.3956

1)図書館の新刊コーナーに入っていた一冊。そうでなければ出会うことはほとんどなかったでだろう。調べてみると県内の図書館の半分には在庫されているが、ネットではほとんどなんの情報もない。出版元のブレインワークス社のHPでさえ新刊にもかかわらず、何もないというのは、ちょっとかわいそうかな。

2)「如来さまにみちびかれて」というタイトルなら他にもいろいろありそうだ。だが、「三角定義あぶらげとともに」とくれば、知る人ぞ知る、ググッとくるサブタイトルである。ここで「さんかくじょうぎ」と読んでしまう人にはますますわからないであろう。

3)仙台市の山岳地帯にある西方寺は、近年パワースポットとかで若者世代にも人気の観光地で、その門前に揚げたてのアツアツの三角形の油揚げを食べさせるお店がある。そこの社長のお話である。

4)当寺には、平重盛の重臣である肥後守・平貞能(たいらのさだよし)が、壇ノ浦の戦い後に当地に隠れ住んだとされる平家落人伝説が残る。貞能が安徳天皇と平氏一門の冥福を祈って阿弥陀如来を安置し、また改名して「定義」(さだよし)と名乗った。この「定義」を「じょうぎ」と音読みして[6]、当地では阿弥陀如来を定義如来と称し、当地もまた「定義(じょうげ)[6]」「上下(じょうげ)」と呼ばれるようになった。wikipedia  

5)「定義如来 西方寺五重塔建立の軌跡」(1986/10 阿部建設五重塔建立記録刊行委員会)という本を思い出した。合わせて読んだら関心倍増。

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6)地元の私たちとしては、ジョウゲさんに行ったら、揚げたての三角あぶらげを食べて、お土産に3枚~5枚、買って帰るのは定番コースとなっているが、影にはこういう秘話があったとはね。

7)中学校も満足に出ることもなく、すぐに一人で山に入って一か月一人で炭焼きをするような生活をしていたという。営林署に務めて下草刈りをしている時代のお話は、どこか若い時代のゲーリー・スナイダーさえ連想した。

8)その後、家業の副業であった油揚げ店を基礎として、三角油げを販売することを思いつく。されどすぐに成功に結び付いたわけではない。さまざまな葛藤があり、行商や店頭販売を重ねながら、今日の成功を勝ち取った人なのだった。

9)妹の歌手の庄司恵子さんがラジオ等で話題にしたことも大きな助けになったという。

10)本としては、結論が中ほどにあり、後半はやや冗漫な感じもしたが、この出版元が必ずしも出版社としての専業でないところが影響しているのであろうか。おそらく影のライターが聞き取りで書いているのだろうが、まぁ、ちょっと稚拙な雰囲気を持っていることさえ、なぜかこの本の魅力の一つになっている。

11)決して、表面的なマーケティングでできた地元の名産品ではないのだ。生活の中で、必死に暮らした人々の中から生まれてきた名産なのである。今度、ジョウゲさんに行った時は、それと知って、もうすこしゆっくり味わいながらいただこう。もし同行の人がいたら、この話教えてあげようかな。

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「亡国のイージス」福井晴敏原作 : 阪本順治監督

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「亡国のイージス」
原作 福井晴敏 監督: 阪本順治 出演: 真田広之, 寺尾聰, 佐藤浩市, 中井貴一, 勝地涼 発売日 2005/12 販売元: ジェネオン エンタテインメント DVD 時間: 127 分
No.3955★☆☆☆

1)今をときめくイージス艦だが、この原作はすでに10数年前に書かれたもの。某工作員とか、秘密兵器だとか、現在の世界情勢に対応して見ることもできないわけではないだろうが、まったく関心がない。

2)例によって、この作品を見ながら寝てしまったので、この手のストーリー物のファンである奥さんが結論まで見続けたので、そのストーリーを翌朝聴くことができた。

3)この手の作品を一生懸命作っている人々がいるんだなぁ、ということを認識。

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2017/04/22

「80日間世界一周」ジュール・ヴェルヌ原作 マイケル・アンダーソン監督

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「80日間世界一周」 

ジュール・ヴェルヌ(原作) マイケル・アンダーソン (監督) デビッド・ニーブン (出演),    カンティンフラス (出演), 2015/12/16 販売元: ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント  DVD 時間:  182 分
No.3954★★★☆

1)突っ込みどころ満載jの作品だが、今更どうのこうの言ってもしかたない。この作品の原作は1872年、145年前の出版なのだ。テレビもインターネットもない時代なら、この作品は驚愕の絶賛をあびたことだろう。気球、蒸気船、大陸鉄道、を使って世界の旅をする。

2)フランス、スイス、スペイン、インド、香港、と来て、明治5年の日本風景も活写される。この当時の世界感覚で日本を見るのも面白い。これが日本かとも思うが、やはり世界から見たら、これが日本なのだ。

3)アメリカ大陸では、先住民、ネイティブ・アメリカンの平和のパイプを吸い、バッファローの群れに蒸気機関車が足を止められる。

4)いやはや、DVD2枚の三時間を超える作品だが、コメディというか、パロディというか、エンターテイメントとして見る分には、結果的には面白いね。

5)こうして、世界が一つにまとまめてみることができた、ってことか。

6)現在「オンザロード1972」を書いていて、その参考に覗いてみた一枚、いや二枚だった。

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「2010年」 監督:ピーター・ハイアムズ<5>

<4>からつづく 

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「2010年」 <5>
監督:ピーター・ハイアムズ  1984年製作 米113 min 日本公開1985年

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「その男ゾルバ」 ニコス・カザンザキス アンソニー・クイン<6>

<5>からつづく

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「その男ゾルバ」<6> 
ニコス・カザンザキス (著),      アンソニー・クイン (出演),    アラン・ベイツ (出演),    マイケル・カコヤニス (監督)    発売日 2016/01  20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 形式: DVD 時間: 143 分

 

ბერძენი ზორბა / Zorba the Greek

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2017/04/21

「柔らかヒューマノイド」 ロボットが知能の謎を解き明かす細田 耕

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「柔らかヒューマノイド」 ロボットが知能の謎を解き明かす
細田 耕 (著) 2016/05 出版社: 化学同人 (DOJIN選書70) 単行本(ソフトカバー)208ページ
No.3953★★☆☆

1)かつて当ブログがスタートした時点でかなり夢中になった本に「未来のアトム」(田中伸和 2001/07 アスキー)がある。かなりの大冊だったが、四つに組んで読みふけった。その時の結論からすれば、人工知能は身体を獲得しなければならない、という結論だった。

2)だから、本当は「2001年宇宙の旅」のHALのように、目としてのカメラと声としてのスピーカーしか存在しない人工知能というのは、中途半端な人工知能ということになる。

3)もちろん宇宙船ディスカバリー全体をHALの身体と考えることもできるが、永遠に進化しつづけ、柔軟な対応を繰り返し得るのは、もっと明確な身体を持つ必要がある。それはロボットとかサイボーグとか、ヒューマノイドと言われるものとなるのだろう。

4)この本はその延長線上にあり、最近情報を伝えてくれる。だが、一個人とした場合、その技術の進歩を楽しみにすることはできるが、もう何をどう取り組んでいいかまったくわからないことになる。

5)最近のオモチャ類はともかくとして、ほんの小さい時からロボットを作ってみたい、と思っていたことは確かである。されど、いつもすぐにその可動部分の動力について考え始まると、すぐに頓挫してしまったことを思い出す。

6)さて、わが廃物アートもいろいろな変遷を経て、現在はまたロボットを作れないかなぁ、と思う時がある。まずスターウォーズのロボットたち。c-3poはつくれないものだろうか。

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7)そう思って、近くの100円ショップからデッサン人形を求めてばらしてみたりする。

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8)だがそう簡単にはいかない。頭部だけでも作れないかと発泡スチロールで骸骨を作ってみる。

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9)かつてはティラノザウルスとかプテラノドンとかも実際にチキンの骨でつくってみた。

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10)だけど、もっと金属質なものをつくってみたい。

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11)実際、材料は結構あつまってきているんだよ。

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12)せっかく作るんだから、なんとかハイクオリティのものにならないだろうか。

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13)なにか楽しいことないか、子猫ちゃん。

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14)リアリティにつづく、なにか。

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15)現実生活へとつづく、柔らかヒューマノイド。

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「プレ・シンギュラリティ」 人工知能とスパコンによる社会的特異点が迫る「エクサスケールの衝撃」抜粋版 

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「プレ・シンギュラリティ」 人工知能とスパコンによる社会的特異点が迫る 「エクサスケールの衝撃」抜粋版
齊藤 元章 (著) 2016/12 PHP研究所 単行本(ソフトカバー): 254ページ
No.3952★★★☆☆ 

1)1968年、北陸地方生まれの医師にして、スーパーコンピュータ開発者。WIRED誌などにも登場している。「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則 ケヴィン・ケリー2016/07)でもそうだったが、自らの幼い時代の背景を開陳しており、そこにシンパシーがひきつけられる。

2)本書の主旨は至って簡単で、世界を開くのはスーパーコンピュータで、「シンギュラリティは近い」エッセンス版―人類が生命を超越するとき (レイ・カーツワイル 2016/04)が主張する2045年の特異点の前に、2030年前後に前特異点ともいうべきものがやってくるとする。

3)それがもたらす変化は素晴らしいことがたくさんあり、その図柄をたくさん提出するが、それらは妄想と紙一重の世界。確実なものとは言えない。そのスーパーコンピュータを開発するのは日本でしかない、と強調する。もちろん、それは自分が作るのだ、と豪語する。

4)そのビジョンが素晴らしければ素晴らしいほど、すっかり魅了されるが、本を閉じてみると、そのビジョンとはかけ離れた現実、そして決してそちらには向かっていない世界の風景にギャフンとなる。

5)下手すりゃ、スーパーコンピュータですらマッド・サイエンスとして座礁しかねない危機にあるのであり、また、それでは、本当の意味でのインターネットやシンギュラリティとは反する部分も多くある。

6)集中と分散。全体と個。たくさんの矛盾がある。一人の人間として生きるには、はて、スーパーコンピュータの到来をひたすら待ち続けることはちぐはぐなものとならないか。

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2017/04/20

「さとり世代」 盗んだバイクで走り出さない若者たち 原田 曜平

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「さとり世代」 盗んだバイクで走り出さない若者たち
原田 曜平 2013/10 角川書店 新書: 243ページ
No.3951★★★☆☆ 

1)さとり世代、という言い方があるらしい。お、おもしろそうだな、と思ってこの本を取り寄せた。そして奥付をみてびっくりした。もはや三年半以上も前の本なのである。ガーン、私はこんな言葉、こんな世代論があることは、まったく知らなかった。

2)そして思った。そもそも、ほとんど一般的には知られていない世代論なんて、あんまり意味がないんじゃないか。私は私なりに、それなりにアンテナを張って生きている人間なのである。もちろん先端ではないが、ラガードでもない。まあまあ、マジョリティだろう。

3)そのマジョリティが知らない世代論なんて、私は認めない。あるいはそんなの知らなくていい。確かにネーミングは面白いが、それは面白さだけであって、あまり意味を持っていないのではないか。

4)著者は1977年生まれの博報堂の男。ふむふむ、だとしてももはや40男なのか。ああ、時代は流れているな。

5)最初の方の結論は、結局このさとり世代を決定づけているのは二つ。ひとつは長引く不況。そしてもうひとつはSNSの発達。特にLINEときた。

6)LINEについては、私は私なりにけっこう早くアプリをインストールした。しかし私向きではないとすぐに判断したので、使っていない。

7)かつてはパソコンは役立たない一部のマニアのただの函のように言われていた。はやく、パソコンで仕事をする時代が来ないかなぁと期待していた。そんな時代はすぐにやってきた。そして、いまやパソコンがなければ仕事はできない時代となった。

8)パソコンどころか、仕事をする上では、タブレットやスマホを要求するようになってきた。さまざまなアプリもどんどん投入されている。しかし、私は、もしLINEを使わないのであれば、仕事が遂行できない時代が来たならば、さっさと仕事をやめようと思う。もはやぎりぎりのところに来ているのだ。

9)私はもうひとつ、最近のはやりで、「なんとかGO!」とかいう奴も大嫌い。というか、まったくやったことがない。同年配でも、意外とこのアプリに夢中になっている奴も多くいる。ええ~~、そうなの~~、と私は顔をそむける。

10)ゲームだって、私の好みは単純にボードゲームをオンラインで、見知らぬ相手とやるだけだ。体感速度や反射神経を競うようなゲームはもともと大嫌い。古い男でござんす。

11)この本、最初は面白いかなあ、と思って読み始めたが、どんどん流し読みになってしまった。

12)私は別に、バイクを盗みもしなかったし、バイクで走るのも別段に魅力を感じなかったが、この本のサブタイトル「盗んだバイクで走り出さない若者たち」とバランスをとるために、尾崎の動画を張り付けておこう。

13)私は、中年になったり、還暦をむかえそうになった尾崎を見たかったが、それはかなわなかった。

14)段階の世代とかベビーブーマーと言われた第二次世界大戦後の世界代の世代論ほどの広がりを、このさとり世代とやらは持ちえない。不景気にあえぐ日本の、やたらとスマホが流通した、LINEつながりのジェネレーションを、揶揄的にマーケッター達が勝手に名付けたにすぎない。

15)所詮、世代論なんて皮相なものだ。

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OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <8>

<7>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <8>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

 西洋哲学の父デカルトは、疑うことから始めた。彼は、疑うことができない何ものかを探すために、すべてを疑うところから始めた。実人生の基本において疑うことできないものだけを探し始めたからだ。 

 信じることができないものごとを真実なる人生の基礎とはできない。この基礎は沈みつつあり、あなたはその砂の上に家を建てようとしている。そこで彼はすべてを疑った。神は容易に疑い得る。世界は疑い得る。それはまるで夢のようなものだ。そして他のものは・・・・ 

 デカルトは全てを疑った。そして突然彼は、自分自身を疑うことはできないことに気づいた。それでは矛盾するからだ。 

 もしあなたがあなた自身を疑うとすれば、それは、疑いを持っている自分自身がいるということを信じなければならないからだ。あなたは、あなた自身についてだまされていると言うことはできるが、しかしだまされている誰かがいることになる。自分を疑うことはできない。 

 マハビーラは神を信じなかった。彼は自分だけを信じた。というのもそれだけが確かなことだからだ。あなたは確実に成長できる。あなたは不確実に成長することなどできない。確実性がある時、そこに信頼がある。不確実なものがあるとき、そこには信仰があるだろう。しかし、信仰の影にはいつも疑いがある。 

 たくさんの有神論者が私のところに来た。彼らは神を信じる、しかし彼らの信仰は表面的なものだ。彼らをちょっと突っ込み、ちょっと押し、彼らをちょっと揺すると、彼らは疑い深くなり、畏れ始める。もしあなたがそんなに疑いのなかにあるなら、どんな種類の宗教があり得るだろう。何か疑うことができないものが必要だ。 

 信じることを強制することはできるだろうが、強制されて信じたは間違った信じ方である。あなた自身を説得し強制することはできるだろうが、それでは助けにならない。というのもあなたの説得やあなたの強制は、いつでもあなたのもので、心は揺れ続ける。だからこそ、仏陀やマハヴィーラは瞑想を強調した。 

 瞑想は全く違った技術だ。信じることは必要ない。他に移る必要もない。あなたは一人そこにいる。しかしあなたはあなた自身に気づいていなければならない。それはあの僧侶がやっていたことだ。 

 彼はラムの名前を唱え続けたりはしない、アラーを唱え続けたりはしない。彼は彼自身の名前を呼び続ける、そう自分自身の名前だけだ。なぜなら他のすべて確かではないからだ。彼は彼の名前を呼ぶ。「そこにいるかい?」。 そして彼はどんな神の答えなど待ってはいない。彼は彼自身に答える。「はい、師よ。私はここにいます」。 

 これこそが仏教徒の態度だ。あなたはひとりでここにいる。もしあなたが眠りこけていたら、あなた自身を呼び覚まし、答えなければならない。それは独り言だ。どんな神からの答えも待っていてはいけない。そこにはあなたに答えるものなどいない。 

 あなたの質問は空っぽな空に消えていくだろう、あならの願いなど聴かれることはないだろう。それを聴く人などいない。だからこの僧侶は馬鹿げて見えるが、真実ではある。すべての他の祈りを上げるひとたちは、この僧侶より馬鹿げてみえる。この僧侶のより確かなことは、彼自身に呼びかけ、彼自身が答え続けていることだ。 

 あなたはもっと自分自身に注意深くすることができる。教えてあげよう、あなたの名前はマントラなのだ。ラーマとかアラーとか唱えず、あなた自身の名前を唱えなさい。何回でも、あなたが眠くなったら、どんな時でも煮詰まったなあと感じたら、あなた自身に呼びかけなさい。「おい、いるかい?」と。そしてあなた自身が答えるのだ。 

 誰か他の人の答えを待ってはいけない。あなたに答える人など誰もいない。答えなさい、「はい、私はここにいます」と。そして決して声を出して答えてはならない。それを感じなさい。「はい、私はここにいます」。 

 そして、そこに注意深くいなさい。その注意深さの中で、思考は止まり、その注意深さの中でマインドはたちまち消え去る。そしてそこにマインドがない時、そこに瞑想がある。マインドが止まった時、瞑想が存在の中に入ってくる。 

 瞑想とはマインドによって行われるものではないことを覚えておきなさい。それはマインドの不在だ。マインドが引き下がった時、瞑想が起こる。それはマインドから起こってくる何かではない。それはマインドを超えた何かだ。 

 いつであれあなたが注意深い時、マインドはない。だから私たちはあなたの眠気はあなたのマインドだ、と断定することができる。あなたの不注意さはあなたのマインドだ。あなたの夢遊病はあなたのマインドだ。あなたは、酔っ払いのように動く、あなたが誰であるかわからないまま。どこに行こうとしているかわからないまま。なぜあなたは行こうとしているかを知らないまま。OSHO p7~9/254  (10~12/198)

<9>につづく

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2017/04/19

「いのちの環」 「白鳩」 「日時計」<9>

<8>よりつづく 

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生長の家 2017/05 日本教文社 小冊子 p66 
No.3948~3950★★★☆☆ 

1)蓄電池のあるある生活、いいなぁ、と思う。エコ生活は、生かし合いの心を持つことから。いいなぁ、と思う。手づくりは楽しい♪ いいなぁ、と思う。だけど、それって、他の何かの雑誌に載っている記事であるならば、それはそれでいい。しかしながら、この団体のこの雑誌に載っているべきことなんだろうか?

2)いまや、この団体はこのようなテーマが主テーマになっていて、「宗教はなぜ都会を離れるのか?」などという、まるで団体全体が森の生活を始めるような雰囲気を売り物としているようだ。

3)それはそれでいい。それで構わない。確かに初代、二代目、三代目となって、宗旨が変わっていくのは構わないだろう。しかし、それって、あまりにも変わりすぎだろう、と昔からこの団体にそれなりに関心があった内外の人々が眉唾になるのはしかたないだろう。

4)むしろこの団体は、かつてはもっと過激な右的な言行で知られてきた。今をときめくナントカ会議とやらの主要メンバーは、この団体から派生したとも考えられている。もっと本音があるはずだ。

5)そしたら、ほらやっぱり衣の袖からヨロイが見え隠れしてくる。

Sr004「日時計24}No.86 p42

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「いのちの環」No.86 p34

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「白鳩」No.86 p52

6)でも、ここまで目を通す限り、最初のイメージとはかなり違っている。あえていうなら、むしろ左的な発想におもいっきり転換しているようだ。

7)団体の長である谷口雅宣監修として「なぜ安倍政治ではいけないのか?」というサブタイトルを持ったブックレットもあるようだ。もっとも、極めて右の人々も安倍某を批判しているわけだから、これらの言行だけでは究極の判断はできないが、あまりあちこち宗旨変えされるのは、ちょっと困るなぁ。

8)もし本当に宗旨を入れ替えるなら、一回「武装解除」して、まったく新しいムーブメント団体に変身したらいいのではないだろうか。あちらが勝手に宗旨替えしても、こちらの「武装解除」がなかなか進まない。つまり、余計な疑心暗鬼がなかなか解消されないのだ。

<10>につづく

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「図解 マインドフルネス」 しなやかな心と脳を育てる ケン ヴェルニ<2>

<1>からつづく

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「図解 マインドフルネス」 しなやかな心と脳を育てる<2>
ケン ヴェルニ (著),  中野 信子   (翻訳) 2016/06 医道の日本社 単行本 226ページ
★★★☆☆

1)虚心坦懐にページを開くのだが、まったく読み進めることができない。素敵な画像が見開きページで何枚も挟まれているので、そこでは目が留まるが、だからと言って、そのページがこの本全体の主要なページではない。

2)この本のどこが、私の心をつかんでくれるだろう。これから数日まだ私の手元に滞在するだろうが、はてさてその短い時間の中で、なにか幸運が向いてくるだろうか。

3)とにかく、ぎりぎりまで努力してみよう。

<3>につづく

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2017/04/17

「10年間で読んだ本ベスト10」<25>今日の気分はこの10冊

<24>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」
<25>今日の気分はこの10冊  目次 

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 前回までの10冊とは、微妙に違っている。
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2016/05/15
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2016/05/26

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2016/05/27

 定番化している本もあるし、他に包括されてしまった本もある。

つづく

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2017/04/16

「図解 マインドフルネス」 しなやかな心と脳を育てる ケン ヴェルニ<1>

91mqoxwruvl「図解 マインドフルネス」 しなやかな心と脳を育てる<1>
ケン ヴェルニ (著),  中野 信子   (翻訳) 2016/06 医道の日本社 単行本 226ページ
No.3947★★★★☆

1)この本も人気本である。リクエストから手元に来るまで何か月もかかった。私のあとにもすでに十数人のブッキング・リストが積みあがっている。さっさと読んで、さっさと次の人に譲ろう。

2)最近、近くのお寺が、別院として町の中に小さな「みんなの寺子屋」なる施設を作ったことを知った。そこで坐禅会が行なわれた。前々から気になっていたので、参加してきた。これからも機会があったら、ぜひ参加してみたい。

3)しかし、一体、このギャップはなんだろう。日本においては禅や坐禅の文化は、長い年月、命脈を保っている。釈迦牟尼仏陀が初代だとすると、菩提達磨は29代目、道元禅師は52代だとか(異説あり)。指導にあたった和尚さんは91代目にあたるとか。いずれにせよ、とてつもない血脈である。

4)この本、読めばそれなりに興味深いのだが、もしこの本が日本人による日本人向けの本だったら、おそらく私は目もくれなかったであろう。この手の本は昔から流通しており、それらの本と比較した場合、特段に突出しているわけでもないばかりか、時には的を外した表現になっている点も多々ある。

5)しかし、この本がどこかの西洋人によって書かれたものであり、またその読者層が西洋人を想定しているのだ、とするなら、なるほど、瞑想や禅というものを彼らはこのように理解しているのか、という意味では興味深いものとなる。

6)そしてさらに、この本が日本人向けに邦訳されて、日本人読者によって読まれている、という風景を考えると、ちょっと違和感を感じないわけではない。

7)当ブログは現在、「現代社会におけるマインドフルネス」はどうあるべきなのか、を追いかけている。そして、インド→中国→日本、における、ディアナ→禅那→禅、の系譜に感謝しつつも、その伝統というものに支えられてしまうところに、ある種の弱さを感じてもいる。

8)もし、ZENが地球人のスピリチュアリティに成り得るのだとしたら、やたらと伝統にこだわる姿勢は、必ずしも褒められたものではない。むしろ、このような西洋発の、科学的視点とやらを加味したとするマインドフルネスの試みも、注目すべきではあろう。

9)されど、このいわゆるマインドフルネスとやらの系譜はまだまだ曖昧であり、今後どのようなどんでん返しになるか、不明な点も多い。

10)伝統として言えば、仏、法、僧、の三つの宝とされるもの、それが、マインドフルネスと言われるものの中ではまだまだ明確ではない。単に技法が独り歩きしているかのようである。マインドフルネスとやらで、たどり着いた人はいるのか。その確立された方法論はあるのか。それを支えるコミュニティはどのようにサポートされているのか。

11)ないものねだりをしてばかりではなんだが、ひるがえって、わがOSHOの系譜はどうなっているのだろう。

まずは、かつての釈迦牟尼(ゴータマ・ブッタ)からの系譜については、敬意を表しつつも、決してそこに拘泥はしない。

12)技法においても、ある意味、伝統に背くものがあったとしても、決して排除はしない。あるいは積極的に新しい現代的なものを取り入れていく。

13)そして、コミュニティについても、OSHOコミュニティも、あるやなしやも含めて、確たるものとはいいがたい。そうあるべきなのか、どうあるべきなのか、も含めて、曖昧模糊としていると言っても、過言ではない。

14)だから、現在のところ、当ブログにおいては、禅宗(好みでいえば道元ゆかりの血脈)、マインドフルネス(カバット・ジンあたりからの新しい動き)、そしてOSHO(と言われているものの、本来、こちらも多様な評価がある)、の三つの動きに注目していきたい。

15)当ブログが見るところ、大きな意味において、この三つに齟齬はない。ひとつのものを三つの方向から見ているだけであり、見ているものは同じものだ。だから、個々人においては、自らが入りやすく、実行しやすいところから始めて構わない。

16)ZEN、OSHO、Mindfulness、それらを味わって、自ら体感し、体験し、体現してこその実存であろう。

17)そのような視点から言えば、この本は決して無視はできないが、この本に盛り込まれなかったことはたくさんある。そしてまた、この本が言おうとしていたことを表現するなら、もっとコンパクトに、もっと小さく、ポータルに、パーソナルにもできるのである。

<2>つづく

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「仙台の名木一目で」市、8年ぶりガイド本改訂 河北新報

「仙台の名木一目で」市、8年ぶりガイド本改訂 河北新報 2017/04/15 仙台柳生「かやの木 薬師様保存会」資料集
No.3946★★★★☆

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「杜の都の名木・古木 仙台市保存樹木」 2017年度版 <1>

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「杜の都の名木・古木」 仙台市保存樹木 2017年版<1>
仙台市百年の杜推進課 022(214)8392 2017/04 単行本 A6 106p 仙台柳生「かやの木 薬師様保存会」資料集
No.3945★★★★★

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<2>につづく

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2017/04/15

みんなの寺子屋 「坐禅会」

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「オン・ザ・ロード1972」<8>自転車

<7>からつづく

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「オン・ザ・ロード1972」
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p
★★★★★

<8>自転車                 目次 

1)生まれて物心ついて、気づいた時に、わが家には自転車が二台あった。ひとつは農作業や搬送などに使われる運搬車というものだった。そもそものボディが頑丈で、しかも前のタイヤはリヤカーと同型の太いタイヤが使われていた。

2)というのも、ハンドルの前に大きくて頑丈な荷台があり、そこに荷物を積んで運ぶのである。当時の米の俵は60キロあった。つまり、現在スーパーなどで流通している30キロ詰めの袋の二倍。通常、おんな子供ではとてもとても運転操作はできなかった。

3)もう一台は、軽快車。いわゆる標準の自転車よりも細身のボディが使われており、スポーティだった。いつも乗っているのは、町の議員などをしていた祖父で、当時としては相当におしゃれな自転車だった。

4)地区の家々に、自転車はほとんどなく、今のマイカーよりも希少価値があった。1960年代の前半のことである。家庭内にはほとんど機械類はなかった。あるとすれば、ミシンである。そもそもミシンとはマシンのことで、もともとはソーイング・マシーンが正式な名称である。しかるに、家の中にはマシンは一つしかなかったので、ミシンと言えば、だれでも分かった。

5)だが、それだって、最近、お嫁さんでやってきた若い女性のいる家庭に限られていて、わが家にはなかった。昭和34年、正田美智子さんは皇太子と結婚した。今や、皇后から上皇后となるお方である。あの頃から、日本の高度成長が始まった。

6)私が中学生になったのは昭和41年。自転車は珍しいものではなくなっていた。我が家にも上の姉兄達用の自転車がいろいろ揃うようになってきた。でも、どうしたことか、私に回ってくるのは、いつも上の姉兄たちが使ったあとの、おさがりだった。

7)小学校より中学校のほうが自宅に近かった。通学するのは10数分ほどの距離なのだが、朝起きるのが遅くなった。飯をかっこんで遅刻ギリギリに学校に駆け込むのがいつもの私のスタイルだった。

8)本当は自転車通学は許されない距離ぎりぎりだったのだが、遅刻なりそうになると、中古のボロボロの自転車を持ち出して、始業ベル直前に校門に飛び込んだ。そんな風景が毎日の風景になってしまった。

9)そんな事情がだんだんと公になり、毎日毎日、ぎりぎりに飛び込んでくる私の自転車こぎ風景を、朝掃除の準備にかかっている全校生徒が廊下や教室の窓から見ていて、みんなで囃した。あの頃、いつの間にか、私の中古自転車はニックネームをもらい、なんと、それはロールスロイス、というものだった。由来は確かではないが、自転車屋の息子ススム君のネーミングだった。

10)高校生になると、学校までは徒歩と国鉄の列車を使うことになった。ディーゼル車と蒸気機関車がほとんどで、それこそあの煙をかぶりながら、デッキのマドを開いて手すりにすがって満員列車に飛び込んだ。片道ほとんど1時間かかった。

11)しかし、これもまた遅刻ギリギリに駅に飛び込むので、乗り遅れることが多くなり、それが判明すると、今度は列車に乗り込むのをあきらめて、一気に自転車でパイパス沿いに猛ラッシュすることになる。それでもちょうど一時間かかるので、どちらでも同じ時間がかかったことになる。

12)バスケットクラブにいる間は体力温存のために列車通学をしていたが、二年生になると新聞部に移籍したので、自転車で通学することが多くなった。この時使っていたのは、3学年上の兄のおさがりのサイクリング車。セミドロップハンドルがカッコよかった。

13)このおさがり自転車が私の最初の旅の伴侶となる。ドン・キホーテにとってのロシナンテ、という役どころだろうか。

つづく

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2017/04/14

「これからインターネットに起こる『不可避な12の出来事』」 今後の社会・ビジネスを破壊的に変える「新たなるデジタル テクノロジー」をビジュアルで読み解く (NEXT VISION(NextPublishing)) ケヴィン・ケリー<1>

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「これからインターネットに起こる『不可避な12の出来事』」 今後の社会・ビジネスを破壊的に変える「新たなるデジタル テクノロジー」をビジュアルで読み解く (NEXT VISION(NextPublishing)) <1>
ケヴィン・ケリー (著),      服部 桂   (翻訳) 2016/12 出版社: インプレスR&D ペーパーバック 128ページ
3944  

1)基本的には、「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則 ケヴィン・ケリー(2016/07 NHK出版)と同内容。ただ、あちらがやや、ややこしい内容だったとするなら、こちらはコンパクトに図解入りとなった簡略版と言えるか。

2)講演時に使ったビジュアルな画面を中心にまとめてある一冊。

3)二冊とも、ちょっとテラッったタイトルとなっていて、内容を本当に的確に伝えているかどうかは不明。もうちょっと別なタイトルでもよかったのではないか。みんなの注意を惹く、という意味では、これもしかたないのかな。

4)12の法則、12の出来事、と抽出してはあるが、基本的には、変化は来るけれど、積極的に関わっていこう、という内容。

5)別段に12に区切る必要はないのだろうが、それはそれでいいだろう。この内容で説得力を持ってしまうのは、ケヴィン・ケリーその人の持つカリスマ性のオーラのせいだろう。

6)このダイジェスト版を本当に理解したいとするなら、「<インターネット>の次に来るもの」 は必読となるし、あちらが面倒くさくて読みたくない、となれば、こちらのダイジェスト版を読めば、それはそれで十分だろう。

7)このようなまとめ方が上手であるからこそ、そのカリスマ性が発揮されるのだ、という逆説でもあるか。

<2>につづく

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「オン・ザ・ロード1972」<7>遠い世界に

<6>からつづく

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「オン・ザ・ロード1972」
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p
★★★★★

<7>遠い世界に                 目次 

1)そもそも、このコラムは1972年の80日間ヒッチハイク日本一周のエピソードについて書く予定なのだが、現在はまだ1950年代から60年代の説明に終始していつ段階である。目的まで、もう少しのステップが必要だ。

2)旅がテーマなのだが、私にとっては、旅とはやはり非日常なのだ、ということを強調したい余り、前段に時間がかかっている。

3)地域密着型の家系ゆえ、親戚筋は多いとしても、ほとんどが徒歩か自転車程度で行き来できる範囲に散らばっていた。そんな私にとって、最初の大きな旅と言えば、小学校6年時代の修学旅行であっただろう。隣県の観光施設を観光バスで回る程度のことで、しかも一泊程度で、それが旅であるのかどうかは、定かではない。

4)1964年に東京オリンピックがあり、1966年6月にはビートルズが来日した。私たちは中学校1年生。この当時、石川裕人と同じクラスだった。彼と私の文章がたまたま学校誌に残っていて、私は遠足について書いていた。彼は夏目漱石について書いている。私たちにとっては、旅とは実に遠いものだった。

5)しかし、時代は次第に高度成長とやらの波の中で、どんどん変化していく。10代の少年たちとて、無関係でいられるワケがない。フォークソングブームがやって、きて旅をテーマにした歌もどんどん歌われた。

6)高校生になって、69年、70年。そしてこの70年、高校二年生の時の秋休みの5日間に自転車で、仙台から福島を通って新潟に行き、佐渡島に渡って、スルメをかじり、山形経由で、かえってきた、あの自転車での旅が、私にとっての最初の旅だった、と言えるだろう。

6)道路の整備、車の普及、高度経済の波、そして、少年から青年へ。時代は、私をして、旅へ、旅へと、誘い出していたことは間違いない。

<8>につづく

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2017/04/13

「せんせい」もうひとつの被爆・入市被爆 五十嵐めぐみ 他

61ikjbthfl「せんせい」
大沢豊監督 五十嵐めぐみ他出演 発売日: 1988/08  販売元: ビデオメーカー VHS 103分
No.3944★★★★★  

1)この作品に関する情報は極端に少ない。図書館から借りだした資料のなかで、おそらく一般に公開された映画作品としては、一番情報がない。ようやくVHSの作品を見つけたが、これはユーザー出品の中古品だ。私が見たのはDVD作品。

2)時代設定は1972年。この年に私もまた長崎へヒッチハイクしていったことがある。こういう時代だったんだなぁ。

3)40人ほどいるクラスの子供たち、学年は小学校6年生。ちょうど、私たちにとっては、越前千恵子先生のような存在。

4)長崎の原爆被爆を扱っている。文部省推奨作品。

5)今となっては、ヒロシマ、ナガサキ、とともに、フクシマも、世界に通じる名前になってしまったが、殺人兵器としては、やはり、原爆の被害のほうが、はるかに悲惨だ。

6)原子爆弾を国家存立の礎にしようとする勢力がいまだにある。無差別に人間を殺す兵器の下で、どれほどの苦しみが、繰り返されてきたのか。

7)重い重いテーマの作品である。

8)フクシマとて、決して忘れてはいけない大惨事なのだ。

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「オン・ザ・ロード1972」<6>線路

<5>からつづく

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「オン・ザ・ロード1972」
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p
★★★★★

<6>線路                 目次 

1)前回、汽車に乗ったのは小学校6年になってから、と書いたが、線路そのものの思い出は他にいくつかある。

2)おそらく6歳ころの記憶。長町から秋保温泉にかけての秋保電鉄というものがあった。田んぼの中を走る一両編成のディーゼル車だ。途中で下車して西多賀国立病院に入院していた父親に面会した。

3)父親が入院する時は、ハイヤーで布団を積んでいったような記憶があるが、当時はハイヤーなんて珍しかった。面会には市営バスで長町まで行き、そこから秋保電鉄に乗った。往復するだけでも一日行事だった。

4)物のない時代で、裏庭のニワトリ小屋から卵を取ってきて新聞紙に包み、イチジクを砂糖で甘く煮て、甘露煮にしたものをお見舞いに持参した。父親は、長期療養中ゆえ、ほとんど何もプレゼントしてくれたことはない。

5)唯一覚えているのは、病室の入院患者友達に編んでもらったというビニール針金で編まれた、小さな小箱である。同じものが兄にもプレゼントされ、年長だった姉には、この二倍の大きさで赤と白のツートンカラーで編まれていた。

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6)おそらく就学前だったと思うのだが、一時期手元にあったが、なくなっていた。ところが仕舞いのいい兄が長年補完してくれていて、大人になってから戻ってきたものである。唯一の父の遺産。これに私は何をいれたらいいのだろう。

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7)この空っぽの函を見るとき、私はいつも中学時代の初恋のことを思い出す。ようやくカード交換ができるようになったとき、あの人はクリスマスプレゼントをしてくれた。プレゼントと言っても、かなり簡素なもので、郵送されてきた。それは小さく折りたたまれた紙袋だった。「これにみんなからもらったプレゼントをいれてね」とプリントしてあった。

8)ブッタは王舎城に還ったとき、息子ラーフラに唯一渡したものは、托鉢碗ひとつだった。それは実に質素ではあるが、ブッタのすべての愛が詰まった遺産だった。その所以を知っているから、私は、それになぞらえて、この父からの唯一のプレゼントを今でも宝物として大事にしている。

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9)姉弟それぞれにプレゼントされた小箱には父の直筆で名前が書いてあった。この名前は父が私に残した一回だけの書である。生きていたら、今年100歳になったであろう父だが、45歳で、小中学生の子供三人を残して旅立った。

10)線路と言えば、もうひとつ、市電の路面電車を思い出す。街の中に連れていってもらうというのも、ほんとうに回数が少なかったが、年に一度の七夕祭りには、必ず連れていってもらった。七夕の仕掛け七夕などもすごかったが、私には、路面電車がとても興味深かった。

11)あの頃、路面電車の信号機は手動だった。大きく曲がる通りの角には、UFOのような見張り台が、電柱の上にような位置に取りつけてあり、踏切番のような職人たちが、人通りと車と人を裁いていた。

<7>につづく

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OSHO 「Creativity 創造性」 <1>

Oc2「Creativity 創造性」 <1>
OSHO (著),    山川 紘矢,    山川 亜希子 (翻訳) 2017/3 KADOKAWA 単行本: 248ページNo.3943  

つづく

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2017/04/12

「パッチギ! 」 監督, 脚本 井筒和幸

51jjza6kfql「パッチギ! 」
監督, 脚本 井筒和幸 出演: 塩谷瞬, 高岡蒼佑, 沢尻エリカ, 楊原京子, 尾上寛之他 2004年制作 2005年公開  DVD ディスク枚数: 1 販売元: ハピネット・ピクチャーズ 発売日 2007/04 時間: 119 分
No.3942 

1)タイトルの「パッチギ」は朝鮮語(韓国語)で「突き破る、乗り越える」ならびに「頭突き」の意、とか。wikipediaより。

2)シリア・アラブ共和国、朝鮮民主主義人民共和国、アメリカ合衆国、中華人民共和国、ロシア連邦、日本、大韓民国、・・・・・・・

3)50年前も、21世紀の今日も、基本的には、なんにも変わらんのかなぁ・・・・

4)原子爆弾、実験、ICBM、大陸間弾道ミサイル、先制攻撃、

5)あれから50年も経ったのになぁ・・・・

世界は、愛で変えられる。

We Shall Overcome Someday!

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和文タイプライター「パンライター マック Mシリーズ」

<初出>からつづく

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「パンライター マック」
Mシリーズ 
日本タイプライター 1981年発売 カタログ価格115000円
No.3941 

◎カタログ

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◎カタログ2

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◎取り扱い説明書

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◎文字索引

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◎文字索引標準配列用

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◎全景

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2017/04/11

「Journal of Financial Planning」特集 フィンテックが変える 金融とFPの未来<3>

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「Journal of Financial Planning」特集 フィンテックが変える 金融とFPの未来<3>
日本版FPジャーナル 2016年9月号(第200号) 日本ファイナンシャル・プランナーズ協会 会報 p96
★★★★☆

1)と、ある人物からメールが送信されてきた。

2)★★★

3)この話、どこにくっつけておこうかな、と思ったのだが、私もファイナンシャル・プランナーの端くれ、大枠的には金融業に分類される業界で生きている人間ゆえ、いちおうこの会報に関連して書いておく。

4)金は欲しい。金が100倍になったらうれしい。でも、4月末までに参加しないとこの話はなくなってしまう、という話には絶対に乗らない。一生付き合っていくような友人関係には絶対に持ち掛けない。

5)ビットコインの話もずっと前から聞いていた。たしかに何倍かになった人物も知っている。されど、☆☆倍とかいう風に区切ることは絶対にできない。一部儲ける立場の人間がいて、大部分は損する仕組みになっている。

6)ビットコインも、「儲かる」というところで行ってはならない。フィンテックも「100倍」とかで動いてはならない。

7)当ブログでも、ビットコイン(仮想通貨)関連リスト  を作って、それなりに追っかけてきた。しかし、この点については、当ブログとしてはかなり保守的だ。

8)おととし、となりの畑のお嬢さんから一本のトウモロコシをもらった。もちろんタダで。そのトウモロコシを昨年畑にまいたら、数十本収穫できた。

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9)それを販売したら、なんと、一万倍になった。まさに一粒万倍である。正確にいうと、元手がゼロなので、もうけは一万倍どころではない。無限大なのである。もちろん、種の分は保存しておいたので、今年も作付けする予定。

10)儲け話はどこにでもある。何倍に増やすかは、その人の努力しだい、運しだいであろう。

11)だけど、数百円、数千円の種を買って、畑にまいても、虫に食われ、カラスにつつかれ、ハクビシンに食われ、雨風にやられ、日照りで水不足、一切の苦労が水の泡、ということも体験する。これは100分の1どころか、破綻である。ゼロどころか、肥やし代、畑代、労働分が、すべてマイナスになる。

12)それも仕方ないのだ。

13)そういうこと全体を、全部楽しめるなら、その100倍とやらのゲームに参加することもいいだろう。公営ギャンブルなどにもそのようなチャンスがあるだろう。宝くじにも、そういう可能性があるだろう。そういう夢を追いたい人は、追ってください、というしかない。

14)知人には、新卒でパチンコ店に就職し、キチンと子育てをしてマイホームを早々とゲットした実に働き者の若者もいる。おじいさん、おとうさん、その息子と、三代続いて競輪の選手、という家族も知っている。競艇の選手で、実に堂々とした人生を送っている素敵なカップルも知っている。正月に呑んだ勢いで、実は宝くじで大当たりした、ということを白状してしまった叔父さんがいた、と話していた友人もいる。

15)儲けることはいいことだ。悪いことではない。みんなどんどん儲けて、愚図なこちらまで回してほしい。おごってくれ。

16)だけど、私は絶対に最初から100倍になるセミナー、なんてものに参加はしない。いくら友人の勧めでも参加しない。魅力を感じない。

17)政府は、IR法案とやらの成立に夢中である。IRとはなんだろう。インテグレイト・リゾート施設の略号でもあろうか。統合的娯楽施設。まぁ、賭場だね。余っているカネで遊ぶのはいいんじゃないかな。だけど、100倍儲かった時のことばかり考えていてはいけない。100分の1になり、ゼロになり、マイナスになった時のことも、キチンと考えておかなければならない。

18)株式投資だろうが、ネットトレードだろうが、生活資金を投入したりしてはいけない。

19)あまりにもややこしい話なので、私はこのメールには返信しないことにした。なんとかセミナーとやらも参加はしない。参加しなくて後悔なんてしない。

20)フィンテックの名前の意味は、いわゆる金融の仕組みが変わるということで、たしかに現金がカード払いになって、職種がなくなってしまった業界もたしかにある。だが、その分、別な職業が増加している。

21)貨幣がなくなると言っても、それが100倍の儲けになる、という話ではない。そもそもが貨幣の代わりにブロックチェーンなどの情報が代替するというだけのことだ。そのことで、得られることもあり、失われることもある。

22)昔からいうではないか。裸で生まれて、裸で死んでいく。なんぼカネがあっても、結局は持っていけないのだ。そんな夢みたいなものを追っかけているよりも、本当にもっと大事なことがあれば、そちらに勢力をそそぐのが本当だと、思うがな、友よ。

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2017/04/10

OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <7>

<6>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <7>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

 あの僧侶はいつも答えていた「はい、できるだけの努力をします」。

 もうひとつ朝に彼はいつも思い出していたものだ。どうして朝だったのだろう? 朝はパターンをセットする。朝いちばんに最初の思いがドアとなる。そのためすべての宗教は、二つのことを祈りを捧げる人に要求する。
 

 彼らは言う、もしあなたが一日中、祈りに満ちていれば、それは正しいことだ。しかし、そうでなければ二つのことを教える。ひとつは朝に、ひとつは夜に。朝にはあなたは新鮮で、そして眠りから覚めて、意識が再び上り始める。最初の思考、祈り、瞑想、記憶、それらが一日全体をセットする。 

 これがドアとなる。というのも物事はチェーンのようにつながっているからだ。もしあなたが朝に怒っていると、一日中、あなたはもっともっと起こるようになる。最初の怒りがチェーンをつくり、二番目の怒りが簡単に続く、三番目はもう自動的になり、あなたはすっかりその中にいる。 

 そうなると何があなたの周りで起ころうと、怒りだけが創り出される。朝には祈りに満ちていなさい、注意深く、あなた自身に呼びかけ、マインドフルネスでありなさい、それがパターンをセットする。 

 夜にもまた、眠りに就こうとする時、最後の思考が夜全体のパターンとなる。もし最後の思考が瞑想的であれば、眠り全体が瞑想になるだろうし、もし最後の思考がセックスについてだったら、眠り全体がセックスの夢で台無しになるだろう。もし最後の思考が金銭についてだったら、夜全体が市場での売り買いでいっぱいになるだろう。 

 ひとつの思考が問題なのではないが、それはチェーンをつくりだし、次から次と同じことが続いてくることになる。 

 あさにこの僧侶が彼自身に呼びかけたのは、仏教徒は祈りを信ぜず、瞑想を信じるからだ。この違いは理解されるべきだ。私自身は祈りを信じない、私の強調点もまた瞑想にある。 

 宗教的な人々にいはふたつのタイプがある、ひとつは祈りのタイプで、もうひとつは瞑想のタイプだ。仏教は祈りではなく、注意深く、目覚めていることが必要だという。なぜなら、注意深くあることがあなたに祈りに満ちた状態を与えるからだ。また神に祈ることも必要ない。 

 あなたが知らないことをどのようにして神に祈ることができるだろう。あなたの祈りは暗闇の中の手探りでしかない。あなたは神聖ちうことを知らない。もしあなたが神を知っているのなら、もはや祈ることは必要ない。 

 だからあなたはの祈りは単なる暗闇中の手探りでしかない。あなたは自分が知らないことについて誰かに案内しつづけている。それで彼をどのように案内するのかね? あなたの案内はどのように本物で、真実で、どのようにあなたのハートからくることができるだろう? 

 それは単なる信じることであって、底深くには疑いがある。底深くであなたは神は存在するのかどうかが確かではなく、底深くではあなたは祈りが独り言なのか対話なのかを知らず、そこにそれを聞いて答えてくれのか、あるいはあなたの独り言で、自分に語りかけているだけなのか。この不確かさがすべてのことをぶち壊す。 

 ブッタは瞑想を強調する。彼は言う「他人は必要ない、あなたは一人であることを知りなさい」。すくなくとも、あなた自身はいる、これは確かなことだ。基本的にあなたの人生があることは確実なことだ。不確かなもの、疑い深いもので、信じることや知識でしか成り立っていないとしたら、どのようにあなたの人生を成立させるのかね? 

 ただひとつ確かなことは、あなたはいる、ということだけだ。他のことはすべて疑い得る。 

 私がここで言い続けていることは、あなたはあそこにはいない、ということだ、それは単なる夢だ。あなたはここで私を聞いている。私はここにいないかもしれない、それは夢かもしれない、なぜなら長い間あなたは夢の中にいて、私を聞いてきた。そして夢が起こる時は、それはが本当のことのように見える。 

 どのようにして夢かそうじゃないかの区別をつけるのかね? どのようにして真実と夢の区別をつけることができるだろう? そこに方法はない。 

 他のことについてはあなたは確かではない、他のことについて真実かどうかを確かめる方法はない。ただひとつ確かなことは、あなた自身が確かかどうかだけだ、あなたはいる。なぜ? 少なくともあなた自身を疑おうとも、そのあなたはいる、からだ。OSHO     p5~7/254  (9~10/198)

<8>につづく

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2017/04/09

「フラガール」李相日監督:

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監督: 李相日 出演: 松雪泰子, 豊川悦司, 蒼井優, 山崎静代, 池津祥子 2006年作品 発売日 2008/02/08 販売元: ハピネット DVD 120 分
No.3940



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Blue Moon Rave Party @ 「獏原人村満月祭2015」 "太鼓と精霊のお祭" <4>
2015 7/31 18:00 - 8/1 6:00  ―EVENT PLACE―  獏原人村 ( 福島県川内村  )

 ヘェ〜、漠でフラダンスか。ましてや地元の教室の皆さんの参加だ。マサイもPTA役員とか積極的にやって、地元と打ち解けてるからな〜。

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 最近はフラダンスが人気で、どこにも教室があるんだな、と、思いつつ、アレっと気付いた。

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 そういえば、常磐ハワイアンセンターが、日本におけるフラダンスの立役者だったのではなかっただろうか。

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 時代のエネルギー政策の転換で、地元の大きな産業だった常磐炭鉱の縮小に伴い、就業の場を確保するために、炭鉱の熱源を活用したのがハワイアンセンターだった。

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 また、石炭産業の低迷とともに、この地に原発がやってくることになったのだ。そして、自然豊かな東北でありながら、開放的な風土が、バク原人のような自由な生き方を受け入れる地盤となっていたのではなかっただろうか。

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 そう思ってくると、楽しいフラダンスも、とても意味深いものに、思えてきた。

11846711_1086789414666505_510316861            photo by  atisha 

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「家で死ぬということ」 DVD

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「家で死ぬということ」 完全版
出演: 高橋克典, 渡辺美佐子, 西田尚美, 山口紗弥加, 庄野崎謙 発売日 2012/07/27 販売元: NHKエンタープライズ DVD 時間: 98 分
No.3939★★★★☆

1)家と言っても、合掌造りの歴史ある住まいである。そこを長い間ひとりで切り盛りしてきた限り、そこで死にたい、と思うは、当然であろう。

2)私はおそらく、新築の近くの大病院で死ぬのがいいかな、と思っている。看病にきてくれるひとも楽だし、お見舞いに来てくれる人にも案内しやすい

3)だけど、そう簡単に予定通りにはならない。事故で死ぬかもしれないし、津波のように、誰にも看取られずに、肉体さえ発見してもらえないかもしれない。

4)そんな時、やはり家で死ぬというのはぜいたくだなぁ。

5)うちのお年寄りは、もう家に戻ってくるということはおそらくできないだろう。ひとつひとつの介護ができない。本人には覚悟してもらう以外にない。

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「蟹工船」 山村聰 (監督) DVD

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「蟹工船」
監督: 山村聰 出演: 森雅之, 日高澄子, 中原早苗 製作者: 小林多喜二, 伊福部昭 形式: Black & White, Dolby 言語: 日本語 1953年制作 形式: DVD
No.3938★★★★☆

1)この映画にはコメントを残しておきにくい。1953年、私が生まれる前の年の作品。高校生時代に小説を読んで途中で挫折した。

2)今この映画を見てもコメントはしにくい。私の生まれた頃の労働者というものは、こういう環境にすくなからずおかれていたのはたしかだ。農村においても、これに似た風景が図ったわけじゃない。

3)社会主義的蜂起を促すような映画でありつつ、なかなか厳しい結末である。現在でも、本質的に、このような環境に置かれている人々は、地球上には多くいるし、社会がどのように進化しても、ずるい奴はずるい。

4)身近にも、わざわざこのような労働環境に入り込んで、「団結」を呼びかけようとする人物は少なからずいる。その気持ちが分からないわけではないが、その人々がそのような活動をすることも、決して私の邪魔ではないが、少なくとも私の道ではないんだな、といつも思う。

5)この映画の監督が、あの「ただいま11人」の温厚そうな父親、山村聡だったとは。

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「楢山節考」 木下惠介生誕100年 DVD / 「さとりサマーディにて」<26>

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「楢山節考」木下惠介生誕100年
出演: 田中絹代, 高橋貞二, 望月優子, 宮口精二, 伊藤雄之助 監督: 木下惠介 1958年作品販売元: 松竹  形式: Color, Dolby, Widescreen 言語: 日本語 [DVD]      ディスク枚数: 1  時間: 98 分
No.3937★★★★★

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<25>からつづく

「さとりサマーディにて」 

<26>              目次 

1)私の人生の中で、一番最初に見た記憶のある映画。いわゆる姥捨て山伝説だが、なんと、ちびっこプロレスとの二本立てだったことだけは覚えている。

2)1958年作品だから、私は少なくとも4歳になっていた。私たちの小さな町にできた小さな映画館で観たのだが、おそらく新作として上演されたわけではなくて、二番館、三番館だったのだろうからおそらくもうちょっとあとに見たのだろう。

3)だが、小学校に入る前の記憶だから、5~6歳になっていたのだろう。あの時の記憶ではないが、近くの里山での子供の日のイベントで、おなじく姉たちに連れられて公園での宝さがしをした思い出がある。

4)あの時は怖かったな。近道をしようと、増田川の鉄橋を小学生たちがみんな渡っていったのだ。未就学児の私だけは怖くて、四つん這いになって渡った記憶がある。

5)町はずれの映画館だったのだが、あれからあの建物はスーパーマーケットに改装された記憶があるので、当時としては相当大きな建物だったのだろう。で、その前は何だったのだろう。映画館のために新築されたものだったのだろうか。

6)当時、私たちの町には、小さな書店も二店しかなかった。一つはかなり離れたところにあり、近くの店も決して大きくはなかった。本を買った記憶はなくて、初売りに姉兄たちが、バトミントンセットを買ってきた、記憶だけが残っている。

7)この映画、あらためて見てみるが、漠として記憶はほとんどない。むしろビックリするのはカラー映画であることだ。私の記憶は白黒でしかない。当時は、まだテレビもなく、雑誌の類の写真もほとんどが白黒だった。真空管のラジオもガーピーで、あまりよく聞こえなかった。

8)あれから60年あまり、時代はずいぶん変わってしまったものだ。同時にみた、ちびっこプロレスとの二本立て、とは一体どうしてそうなってしまったのだったろうか。当時、チビッコプロレスも人気ではあった。

9)ごく最近になって、この映画を見た時のことを姉に話してみたが、当時まだ小学生の中学年だったはずの姉がいうには、映画には何回も連れて行った、と。そうかなぁ、そんな覚えはないぞ。

11)小学生になる頃には、学校の体育館で夏休みなどのに映画鑑賞会などが始まり、「楽しい風船旅行」とかの映画などを毎年見せてもらった記憶がある。小学生高学年になるころには東京オリンピック準備のためのテレビ放送も始まり、時代もだいぶ開けるようになった。

11)深沢七郎については何も知らなかったが、高校生になったころ、「話の特集」によく出ていて、小説家というよりも今川焼屋で世渡りをしていたように思う。

12)「キネマ旬報「オールタイムベスト・ベスト100」日本映画編(1999年版)」では同位55位。名作ではある。

13)「富士フイルム社のカラーネガフィルムが、長編劇映画で初めて使用された」とされているが、なるほど、基本は白黒映画の撮影の仕方のように思える。もともと白黒映画で、あとからCGで色を付けたのかと思った。

14)楢山。楢山、という固有名詞というよりも、楢が茂っている山のことだ。ごく当たり前の雑林山だ。70歳になると、口減らしのために、楢山様にいく。70歳になったら、私もまた口減らししなければならないだろうか。

15)、95歳になってホームに入っている母を思うように訪問できないでいる自分にとって、時にはホームは姥捨て山か、などと思ったりもするが、決してそうではない。まさか、楢山老人ホームなんてのはないだろうな、と思ったが、なんとサービス付き高齢者向け住宅 ならやま、なんてのは存在するようだ。

16)人生最初に見た映画が、この映画だったなんて、なんだか凄いな。

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2017/04/08

「植物男子ベランダー」<5>

<5>よりつづく

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「植物男子ベランダー」 <5>
NHKBSプレミアム 番組リスト目次

1)この季節になると、この番組を思い出す。今年もやるのかな、と期待はしたが、どうもそのような情報を掴むことができない。もう終わりなのかもしれない。

2)今となっては、なんとも懐かしい、いとおしい番組であった(過去形になってしまった)。イレギュラーな形ではあるのだろうが、その過去番組の断片は見ることができるので、いずれまた再視聴の情念が再燃することになるだろう。

3)ところで、今回ググっていて、この番組のパロディのひとつをさらに見つけてしまった。

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4)なんとなく漠然と見ていたこのポスターだが、なんとなく記憶が刺激された。ひょっとするとMen in BluckとかMatrexとかのポスターをもじっているんじゃないかい? そう思ったら、やっぱりあった。

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5)こりゃぁ、パクリというよりも、完全なるパロディなのだろう。元を知っている人には最初っからの笑いのネタなのだろうが、今更になってわかる私のようなものには、なるほど~、と大発見、といういことになるのであった。

6)映画も見ずに、テレビドラマなどさらに見ないアラ還ライフでは、まぁ、しかたないとは思うが、もうすこしこういうところにも感性を磨いておかないとね。

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7)色調で言えば、むしろこっちのほうが元ネタか? よく見れば(よく見なくても、最初っから、直観でわかれよ)、バックの文字が縦に流れるモチーフは、まんまそのままパクリだね。最初っから、こっからピンとこないといけなかったんだね。

8)私のおくさんの旧姓は、いとう、だし、わたしのファーストネームは、せいこう、だから、もし万が一、私が彼女の家に養子にでも入ったら、私も、いとうせいこう、を名乗っていたことになったはず。身近に感じてはいたけれど、あんまりその世界観には入り込まなかった。

9)でもこの番組で、すっかりはまってしまったな。彼には「見仏記」なるシリーズもあって、当ブログの現在の進行と、もろにかぶるのである。しかし例によって私には私なりのテライがあるので、ちょっと手にしただけでその本をめくってはいない。

10)最近、こんな動画を見ただけである。「奈良・国宝 室生寺の仏たち」 仙台市博物館特別展 2014/07/04~08/24 仙台市博物館 いとうせいこう+むうらじゅん トークショー

11)この辺で、すなおにこの名前的にニアミスしている男に胸襟を開いて、見仏記とやらに突入するかな?

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2017/04/06

OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <6>

<5>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <6>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

 「酔いから目を覚ませ!」の意味は、あなたは何をしていて、なぜあなたはそれをしているのかを覚えている、ことである。そしてそれがうまくいったとして、あなたはどこに着くだろう?

 これはパラドックスだ。何時であれ誰かが馬鹿げたゲームに成功したところで、すべてのことがナンセンスであったことに初めて気づくことになる。成功しなかった者だけがゲームを続け、成功した者は突然どこにも到着していなかったことに気づく。アレキサンダーに聞いてみなさい。ナポレオンに聞いてみなさい。何を得たのかを。

 アレキサンダーについて言われていることだが、彼が死につつある時、宮廷の官吏たちに言いつけた。「私の遺体を町の通りに運んでいく時は、私の両手を外に出してほしい。隠してはならない」。 これはちょっと聞いたことがない。この方法ではだれも搬送されない。

 宮廷の官吏たちは理解できなかったので、尋ねることにした。「それはどういう意味ですか? それは普通のやり方ではありません。通常は体を全部蓋います。どうしてあなたは両手を外に出したいのですか?」 

 アレキサンダーは答えた。「私は私が空っぽの手で死んでいくことを知ってもらいたい。すべての人がそれを見るべきだ。そして誰もふたたびアレキサンダーになろうとなどすべきではない。私はたくさんのものを得たが、いまだに何も得ていない。たしかに私の宮殿は偉大だが、私はまだ貧しいままだ」。

 あなたはたとえ皇帝であったとしても一人の乞食として死ぬ。まるですべて夢のように見える。ちょうど朝には夢が壊されてしまうように、すべての皇帝暮らしが消えてしまう。宮殿すべてが消滅し、死が目覚めてくる。

 これが死によって残される真実なのだ。消えてしまうものは夢でしかない。これは定理なのだ。そしてあの僧侶が「宵から目をさましなさい!」と言い続けるとき、彼はこれを意味しているのだ。死を思い出しなさい。馬鹿げていてはいけない。

 あなたはまるであなたは死になどしないように続けている。あなたのマインドは「死はいつでも他人に起こる、私には起こらない、それはいつであれ他人に起こる現象であって、私には起こらない。

 死につつある誰かを見ているときでさえあなたは「私は彼とともに死ぬ。彼の死は象徴的なものだ。同じことが私にも起こりつつある」とは考えもしない。もしあなたが、自分も死につつあるのだということを理解できるなら、あなたはそのゲームをそんなに夢中になって遊ぶこおとができるだろうか、そんな無価値なものに自分の人生全部を捨て去ることができるだろうか?

 あの僧侶が、朝になると「酔いから覚めなさい!」と自分に呼びかけるのは正しかった。いつであれ、あなたがふたたびゲームを始めるなら、あなたの妻と、あなたの夫と、店で、市場で、政治の場で、目を閉じて、あなた自身によびかけてみなさい。 「酔いからさめなさい!」 OSHO     p3~5/254  (8~9/198)

<7>につづく

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ムラ・ナスルディン/ ナスレッディン・ホジャ物語<4>

<3>よりつづく
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「ナスレッディン・ホジャ物語」<4>―トルコの知恵ばなし
護 雅夫 (翻訳) 1965/03 平凡社 文庫: 310p
★★★★★

1)このところ、なぜか当ブログのこの本に関する記事へのアクセスが増えている。その理由は不明ながら、いつかはまた再読したいな、と思っていたことだし、今回あらためてもうすこし読み込んでみるのもいいな、と思った。

2)OSHO講話(邦訳)ではムラ・ナスルディンという呼称で有名な存在ではあるが、それより以前の1965年の段階ではすでにナスレッディン・ホジャという名前を与えられていたのであった。その辺の経緯ももうすこし読み解きながら、今回はもうすこしそれぞれの逸話を読んでいきたいと思う。

3)実は、そう思うようになったのは、当ブログで進行中の「ホワイト・アルバム」転生魂多火手伝と、この本が、まったく無縁とは思えない部分もあるからである。ダイレクトに登場させるには、ちょっと早すぎるのだが、いずれのために、ちょっとづつ準備していこう。

4)関連ある逸話のいくつかが見つかれば、もうけものだ。

つづく

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「いのちの環」 「白鳩」 「日時計」<8> / 「日本会議の研究」菅野 完<5>

<7>よりつづく 
S_2「いのちの環」 「白鳩」 「日時計」<8>
生長の家 2017/04 日本教文社 小冊子 p66 
No.3934~3936★★★☆☆ 
--------------------------------

<4>からつづく

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「日本会議の研究」 <5>
菅野 完 (著) 2016/04 扶桑社 新書 302ページ

★★★☆☆
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1)あの教団の小冊子をいただき始めてから、なんと今回で8回になってしまった。そもそもは突然トラブったマイカーの買い替えの必要に迫られ、車探しをしたときに始まった。完全電気自動車がまな板にあがり、その電源をどうするか、となった時、近くのこの教団の施設が充電施設を無料で開放していることが分かったのだった。

2)結局は、マイカーのトラブルは大きなものにならずに簡単な修理で終わることができ、現在の中古ハイブリット・ベーシックを当面は乗り継いでいくことになり、この施設を利用させていただく機会は失われた。でも、その機会にこの教団への関心が再燃したのであった。

3)出口王仁三郎の弟子筋にあたるこの教団の開祖には、一歩ひいて警戒させるなにかがあった。少なくとも私には、ダイレクトにこの教団を叩く意志はなかった。知り合いにその教えに触れているものもいたし、わがOSHO瞑想会にも、元この教団の参加者が継続的に参加していたこともあった。その程度の縁ではあったが、遠巻きにして何かの関心を惹き付けられることは何度かあった。

4)さて、「日本会議の研究」の著者である菅野完(すがのたもつ、とよむらしい)は、今回の森友学園騒動で、すっかり名を挙げたが、なるほどこういう性格の人か、すこしリアリティを持って身近な感じがするようになった。

5)また、日本会議のもととなった、この教団の青年部の草創のメンバーである一水会の某も、結局は、こちら同郷の出身でもあり、なにかかにかの縁が生まれるものである。ほほう、と思いつつ、それぞれに、みんな生きているんだなぁ、とちょっと納得してしまうことになる。

6)私はあまりあの騒動には巻き込まれたくないのだが、それでも、結局は、それほどおたがい目くじらを立てて怒鳴り合ったり、ウソをつきまくったりしなければいけないものだろうか、と、ちょっとげんなりするところがある。

7)なにかもっと、なごやかに、正直に、全うに人生を送れないものなのだろうか。そんなことを思ったりする。

「いのちの環」 「白鳩」 「日時計」<9>につづく

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「終わりなき山河」ゲーリー・スナイダー <7>

<6>よりつづく

終わりなき山河
「終わりなき山河」 <7>
ゲーリー スナイダー (著) 山里 勝己 (翻訳), 原 成吉 (翻訳) 2002/01思潮社 単行本: 297p
★★★★★

1)タイトルにこそ「終わりなき」の文字が踊るが、図書館の本は「終わりなき」借り出し期間というわけにはいかない。ましてや、他の図書館から転送されてきた一冊ゆえ、二週間で返却期限となってしまう。

2)この本を借りだしたのは二回目だが、まだまだ読み切れた感はない。何度もめくる必要があるだろうが、おそらく何度読んでも「終わりなき」読書となる気配がある。それもそうだろう、若くして活躍を始めたスナイダー、87歳の現在も活躍中なのだから、今後まだまだ追加された長編詩となる可能性があるのだ。

3)返却にあたって、ちょっとググってみたら、なんとこのリンク先の「なか見!検索」 は、全文ではないが英語版の原著のかなりの文章が読めるのであった。

4)その中にあって、邦訳では「瑠璃色の空」p74~82)と表現されている詩は、原文では「The Blue Sky」と書かれるにとどまっていた。しかし、浄瑠璃世界と邦訳された部分は、PURE AS LAPIS LAZULI と表現されており、薬師瑠璃光如来はAZURE RADIANCE TATHAGATA であった。

5)ちなみに、AZURE RADIANCE TATHAGATA で検索してみると、いわゆる日本的な薬師如来像ではなく、チベット密教的な仏画や仏像が出て来る。思えば、私自身がインドで求めた仏像により近いイメージである。

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6)日本における薬師瑠璃光如来の右手は上に掲げて手のひらを見せた「施無畏」印が象徴的だが、チベット仏教におけるAZURE RADIANCE TATHAGATA の右手は、下に垂らして、大地に触れている。これは「降魔印」と言われている。

7)さて、ここででてくるTATHAGATA は 、当ブログの裏テーマである「アガータ」問答につながってくるわけで、このリンクは、それこそ終わりなきサイクルへと還っていくのである。

8)「終わりなき山河」を何かの絵画や、スナイダーの長編詩に求めるというのも、どんなものであろうか。当ブログにおける「終わりなき」ものは、何かの外的な存在に求めるのではなく、おそらく内的なものへと向かうことになるだろう。

9)簡単に神秘と言ってしまうアナログな割り切れない世界。それは外にも広がり、内にも満ち溢れる。このスナイダーの長編詩ひとつ読み切るだけでも大変なものだが、決してそれは、そこに終わりなきものの終点としておいてはならないだろう。

10)スナイダーが見た終わりなきものは、当ブログにおける終わりなき旅へと溶け込んでいくことだろう。

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「秘仏開帳」 特別拝観の古寺・名刹をゆく DVD

51vmvznkqpl「秘仏開帳」 特別拝観の古寺・名刹をゆく
NHKエンタープライズ DVD *収録時間:約94分 NHKスクエア限定商品
No.3933★★★★☆

1)都合30ほどの全国各地の秘仏が紹介されている。いわゆる秘仏というのは、完全に秘されているわけではなく、ある日時を区切って開帳されているようだ。

2)ある意味、仏像の保存のためでもあろうし、また、その価値を高めるために、貴重な機会というものを演出している面もあるのだろう。

3)しかし、それにしても、これだけのいわゆる秘仏というものを一気に拝観するというのも、どんなものなのだろう。

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「薬師寺」 白鳳の大伽藍と至宝 DVD

51mdxfsjqzl「薬師寺」 白鳳の大伽藍と至宝
2008/04 NHKエンタープライズ DVD ディスク枚数: 1 時間: 54 分
No.3932★★★★★

1)「薬師寺再興」白鳳伽藍に賭けた人々(寺沢龍 2000/09 草思社)は面白かった。ちょっと癖のある坊さんと思えていた髙田好胤の印象がガラリと変わった。その薬師寺についてNHKが作った番組をまたこうしてDVDで見るのはなかなか重厚な快感がある。

2)今となってはだいぶ印象が変わった。何度も見たいDVDだ。

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2017/04/05

「祈り」 山尾三省<11> / 「終わりなき山河」ゲーリー・スナイダー <6>

<10>よりつづく

祈り
「祈り」 <11>
山尾 三省 2002/09 野草社 単行本: 151p

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<5>よりつづく

終わりなき山河
「終わりなき山河」 <6>
ゲーリー スナイダー (著) 山里 勝己 (翻訳), 原 成吉 (翻訳) 2002/01思潮社 単行本: 297p
★★★★★
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1)三省のこのホワイトアルバム「祈り」を三省人生の代表作とすることはできないだろうが、エッセンス版として長く記憶することは可能だろう。すでに死期も見えて、60有余年の人生の総まとめとして、そのエッセンスをこの一冊に凝縮したと言うことも可能である。

2)明記していない限り、この本が、残された詩を三省の遺志によってまとめられたのか、出版社の意図であったのか、あるいは匿名の編集者が存在するのか、それはまずおいておこう。されど、その二者、三者の意図は、それぞれの立場であっても、ひとつの方向性として、限りなく溶け合っていただろう、と想像することは難くない。

3)つまり、三省という人は、このような詩集を残したいと思っていただろうし、三省を取り囲む人々もこのように三省をおおまかに捉えていただろうし、またあまたある三省読者もまた、このような詩集をだした詩人として三省を記憶することに異存はないだろう。

4)そのエッセンスともいうべきこの詩集に「祈り」とつけたのも秀悦だと思えるし、あまたある三省の詩の中から、この程度の分量に収めたのも、また編集力のなせる技である。

5)しかるに、当ブログとしては、この「祈り」の中に薬師瑠璃光如来を歌い上げている三省にその白眉たる輝きを見るし、その神髄にある実践として、憲法九条を歌い残したことを了とする。よくも悪くも、山尾三省という人は、そういう人であった。

6)もちろん三省にとっての薬師瑠璃光如来とは、必ずしも右手に薬瓶を持ち、左手を施無畏印として掲げている石や木でできた仏像を意味してはいない。その意味するところは、彼がついには生活の場とした南の屋久島の大自然のなかに、その端緒を見つけるとしても、実に三省の自らの中にある「祈り」としての薬師瑠璃光如来であった。

7)三省は悟った人だったのだろうか。その判断はすでに悟っている人にしかできないだろう。悲の人、祈りの人、野に歌った詩人。さまざまな批評があろう。

8)吉福伸逸 (山尾)三省は、気骨のある男ですから、彼の語っている根っこのところには嘘は全然ないんです。ただ、詩人ですから、言葉が紡がれていくときに、彼の操作が入るんです。ぼくなんかは、「またぁ」っていう感じがすることもあるけれど(笑)。「楽園瞑想」2001/09 雲母書房)p126

9)三省の本質を見抜きつつ、吉福のように茶々を入れたくなる人物が存在するのは理解できる。三省は詩人として生きることを望んだし、吉福はトランスパーソナル翻訳者として名をとどめた。ジャズミュージッシャンを志しながら、ついにはセラピストとして晩年を過ごした吉福もまた、悟った人、だっただろうか。

10)そんな愚問に振り回されることなく、人は、祈ることもできるし、人を癒すこともできることは、記憶しておく必要がある。他者としての三省やだれやではなく、この三省の祈りを通して、わが祈りを確たるものとするならば、この詩集もまたわが内なる糧となるのである。

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11)さて、こちらのスナイダーの詩集。あえていうなら、これはスナイダー最大のライフワークとされ言える長詩である。英文、邦訳の違いはあるだろうが、決して読みやすいものでもなければ、実際にポエトリーディングで読まれる場合、8時間もかかるようである。

12)こちらの長詩にも薬師瑠璃光如来が登場し、またチベットのターラー神への敬慕の情が捧げられてはいるが、いずれが多とするよりも、二つの表現をひとつのこととして読み解いていくことも可能である。

13)ナナオ(サカキ) アレン(ギンズバーグ)は人間の中の自然に深く入っている。僕はそう思う。で、ゲーリー(スナイダー)という人は非常にバランスがいい。僕は余りバランスがよくないですよ。僕はコヨーテの方へ行って、人間のことを忘れちゃったりするから(笑)。 「ビート読本」(1992/07 思潮社)p331ナナオ・サカキ インタビュー”「アメリカン・ドリーム”の国で」

14)北米の西海岸を中心として生活するスナイダーではあるが、そこに読み込まれる大自然に対する造指は確たる自信に満ちて、ひとつひとつに足場を確かめながら、しっかりとした足取りで高地を歩く地球VS人間のような、すっきりとした像が立ち上がる。

15)スナイダーもまた詩人としての自らのドラマツルギーを持っているのであり、そのアングルを自ら作り上げてきた人だ。どこからか切り崩していくことも可能であろうし、また、長期にわたって活躍したとは言え、まだまだ存命中の存在である。今後どのような変貌を遂げるかは、まだ定かではない。

16)されど、若くして日本に渡り、禅を学び、自らの北米の住まいの中にもその色を深く取り入れている限り、この長詩の中から、唯一、薬師瑠璃光如来を読み取ることも可能ではある。そしてその中にチベットの菩薩神ターラーを溶け込ませることも可能である。

17)それらはもちろん、外在物としての仏像などではなく、触発された形での、内なる薬師瑠璃光如来であり、ターラー神である。

18)そしてまた、当ブログにおいては、外在物としての、他者としての三省やスナイダーであってはならない。彼らに触発された形での、内なるラピスラズリの素朴な輝きに深い思いをよせるべきなのである。

19)わが内なる薬師瑠璃光如来。 われをして、深く、癒したまえ。静かに、鎮めたまえ。

スナイダー「終わりなき山河」<7>につづく

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2017/04/02

OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <5>

<4>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <5>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

 それからその僧はこういった「酔いから目を覚ませ!」。誠実に、真実になりなさい、ゲームに夢中になっていてはいけない。彼は彼自身に呼びかけた。「酔いから目を覚ませ!」。 そして繰り返し答えた。「はい、できる限りの努力をします」。 

 私たちの人生全体がまったく馬鹿げたことに取り込まれている。あなたは自分の時間やエネルギーをどんなにか無駄にしているか気がついていないし、ついには人生を無駄にしてしまうことに気づいていない。 

 下水管にながされようとしている。すべてが無駄になる。ただ死がやってくるときになってあなたは目が覚め、注意深くなる。私は何をしていたのだろう? 人生で私は何ができたのだろう? 大きな可能性が失われつつある。なんと馬鹿げたことに取り込まれていたのだろう? あなたは酔いから目を覚まさなかった。あなたは、あなたがしてきたことにの中には反映されてなかったのだ。 

 人生はただ過ぎ去るものではなく、あなたの中の深いどこかにたどり着くためのものだ。人生は表面的なものではない。それは周辺部分だけではない。それは中心なのだ。そしてあなたはまだその中心にたどり着いていない。 

 酔いから目を覚ましなさい。すでに十分時間を無駄にした。注意深く、そしてあなたがやっていることを見てみなさい。金探しをしてる? それは最後には、まったくもって、役に立たない。それはまたもやゲームに過ぎない、マネーゲームだ。 

 他の人より金を持っていると、あなたは気持ちいいだろう、もし誰か他の人がもっと持っていれば、あなたは気分を害する。それはゲームだ。だけど、その意味はなんだい? それからあなたは何を得ようとしているのかね? もし世界中の金をかき集めたとしても、死の瞬間には、ひとりの乞食となって死んでいく。 

 世界中の富のすべてであってもあなたを裕福にはできない。そのゲームはあなたを豊かにしない。酔いから目を覚ましなさい。 

 あるものは権力や地位を追いかけ、あるものはセックスを追いかけ、他のものは何か別なものを追いかけるだろう。すべてはゲームに過ぎない。あなたの存在そのものの中心に到達しないかぎり、すべては単なるゲームなのだ。 

 上っ面だけにゲームは存在しており、上っ面は本物ではない。上っ面は単なる波にすぎず、その波の中でかき乱され、流されるだけだ。あなたはあなた自身へと碇を下すことができない。 

 これがあの僧侶が「酔いから目を覚ませ!」と呼びかけなければならなかった理由だ。彼は言い続けた、「ゲームにかまけていてはならない、十分だ、もうあなたは十分遊んだ、これ以上何事にもかまけていてはならない。 

 人生を碇を下すことに使いなさい、人生を根を張ることに使いなさい、人生を聖なるものへと到達する可能性に賭けてみなさい。あなたは寺院の外側にちょこんと座っている。あなたを開けて入れてくれるように、ドアをノックしてみなさい。 だけどあなたにはゲームに夢中になって、そこから離れる時間がない。OSHO  

p2~3/254  (7~8/198)

<6>につづく

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「Botapii」植物と暮らしを豊かに。LOVEGREEN <1>

「Botapii」植物と暮らしを豊かに。 <1>
創刊号 4月号 2017/02~03 LOVEGREEN 広告無料雑誌 p33 p37
No.3930~31★★★★★

Bo

1)春だなぁ。まだ風は冷たいが、日差しはもう春爛漫だ。畑にはすでに消石灰を撒いておいたので、今日は肥しを好き込んで、ジャガイモを植え付けてきた。今年こそ、うまくいってほしいなぁ。

2)園芸品をそろえるために、近くのホームセンターにいくと、レジ近くにこの雑誌がおいてあった。広告のフリーペーパーとはいえ、かなりしっかりした作りだ。有料雑誌にも劣らないような内容だ。

3)正直言って、文章はあまり読む気はないのだが、写真がいっぱい入っているグラビア雑誌つくりなのだ。眺めているだけで、うれしい。

4)この雑誌、これで終わるのかな。それとも、ずっとつづくのかな。つづくのであれば、ずっともらってきたいなぁ~~。

<2>につづく

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2017/04/01

OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <4>

<3>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <4>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

 瞑想は、断続的にできるものではない。それは絶え間なく続く努力なのだ。すべての瞬間、人は注意深く、気づいていて、瞑想的であるべきなのだ。しかし、マインドはトリックを楽しむ。朝には瞑想してそれを脇によけてしまう、そして寺院に行って祈り、そして忘れてしまう。

 そしてあなたはまったく非瞑想的になって、無意識的になってこの世界に戻ってくる。まるで催眠術にかかって歩いているようだ。こんな努力はするものではない。一日の23時間も非瞑想的なのに、たった一時間だけ瞑想的jになることができるのかね? 

 それは不可能だ。突然一時間だけ瞑想的になるなんて不可能だ。あなたは自分自身を単にだますことができるだけだ。

 意識は継続だ、それは川の流れのように、継続的に流れている。もしあなたが瞑想的であったとするなら、一日中瞑想的であるべきだし、すべての瞬間・・・・そしてあなたが一日中瞑想的であるときにだけ、開花があなたに訪れる。それまでは何も来ない。

 この禅の小話は理屈に合わないように見えるが、とても意味深い。マスターは、僧は彼自身を呼び続ける、これこそが瞑想の意味するところだ、あなた自身を呼び続ける。彼は自分自身の名前を呼び続ける。

 彼は「おい、いるかい?」と聞く、そして彼は自分に「はい、いますよ」と答える。この努力、目覚めているための最高の努力。

 あなたもこれを使うことができる。これはとても助けになるだろう。突然、通りを歩くとき、あなたは自分に呼びかける。「おい、いるかい?」 突然、思考が止まり、あなたは答えなければならない。「はい、私はここにいます」。あなたの思考が止まった時、あなたは集中し、瞑想的になり、注意深くなる。

 この自分への呼びかけは技法だ。眠りに入りながら、夜の光を消して、あなたは突然呼びかける。「おい、いるかい?」 そして闇の中で、注意深さがやってくる。あなたは小さな炎となり、内側のあなたに答える。「はい、ここにいますよ」。 OSHO

p1~2/254  (6~7/198)

<5>につづく

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