OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <7>
「Mindfulness in the Modern World」 How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <7>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials) 目次
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あの僧侶はいつも答えていた「はい、できるだけの努力をします」。
もうひとつ朝に彼はいつも思い出していたものだ。どうして朝だったのだろう? 朝はパターンをセットする。朝いちばんに最初の思いがドアとなる。そのためすべての宗教は、二つのことを祈りを捧げる人に要求する。
彼らは言う、もしあなたが一日中、祈りに満ちていれば、それは正しいことだ。しかし、そうでなければ二つのことを教える。ひとつは朝に、ひとつは夜に。朝にはあなたは新鮮で、そして眠りから覚めて、意識が再び上り始める。最初の思考、祈り、瞑想、記憶、それらが一日全体をセットする。
これがドアとなる。というのも物事はチェーンのようにつながっているからだ。もしあなたが朝に怒っていると、一日中、あなたはもっともっと起こるようになる。最初の怒りがチェーンをつくり、二番目の怒りが簡単に続く、三番目はもう自動的になり、あなたはすっかりその中にいる。
そうなると何があなたの周りで起ころうと、怒りだけが創り出される。朝には祈りに満ちていなさい、注意深く、あなた自身に呼びかけ、マインドフルネスでありなさい、それがパターンをセットする。
夜にもまた、眠りに就こうとする時、最後の思考が夜全体のパターンとなる。もし最後の思考が瞑想的であれば、眠り全体が瞑想になるだろうし、もし最後の思考がセックスについてだったら、眠り全体がセックスの夢で台無しになるだろう。もし最後の思考が金銭についてだったら、夜全体が市場での売り買いでいっぱいになるだろう。
ひとつの思考が問題なのではないが、それはチェーンをつくりだし、次から次と同じことが続いてくることになる。
あさにこの僧侶が彼自身に呼びかけたのは、仏教徒は祈りを信ぜず、瞑想を信じるからだ。この違いは理解されるべきだ。私自身は祈りを信じない、私の強調点もまた瞑想にある。
宗教的な人々にいはふたつのタイプがある、ひとつは祈りのタイプで、もうひとつは瞑想のタイプだ。仏教は祈りではなく、注意深く、目覚めていることが必要だという。なぜなら、注意深くあることがあなたに祈りに満ちた状態を与えるからだ。また神に祈ることも必要ない。
あなたが知らないことをどのようにして神に祈ることができるだろう。あなたの祈りは暗闇の中の手探りでしかない。あなたは神聖ちうことを知らない。もしあなたが神を知っているのなら、もはや祈ることは必要ない。
だからあなたはの祈りは単なる暗闇中の手探りでしかない。あなたは自分が知らないことについて誰かに案内しつづけている。それで彼をどのように案内するのかね? あなたの案内はどのように本物で、真実で、どのようにあなたのハートからくることができるだろう?
それは単なる信じることであって、底深くには疑いがある。底深くであなたは神は存在するのかどうかが確かではなく、底深くではあなたは祈りが独り言なのか対話なのかを知らず、そこにそれを聞いて答えてくれのか、あるいはあなたの独り言で、自分に語りかけているだけなのか。この不確かさがすべてのことをぶち壊す。
ブッタは瞑想を強調する。彼は言う「他人は必要ない、あなたは一人であることを知りなさい」。すくなくとも、あなた自身はいる、これは確かなことだ。基本的にあなたの人生があることは確実なことだ。不確かなもの、疑い深いもので、信じることや知識でしか成り立っていないとしたら、どのようにあなたの人生を成立させるのかね?
ただひとつ確かなことは、あなたはいる、ということだけだ。他のことはすべて疑い得る。
私がここで言い続けていることは、あなたはあそこにはいない、ということだ、それは単なる夢だ。あなたはここで私を聞いている。私はここにいないかもしれない、それは夢かもしれない、なぜなら長い間あなたは夢の中にいて、私を聞いてきた。そして夢が起こる時は、それはが本当のことのように見える。
どのようにして夢かそうじゃないかの区別をつけるのかね? どのようにして真実と夢の区別をつけることができるだろう? そこに方法はない。
他のことについてはあなたは確かではない、他のことについて真実かどうかを確かめる方法はない。ただひとつ確かなことは、あなた自身が確かかどうかだけだ、あなたはいる。なぜ? 少なくともあなた自身を疑おうとも、そのあなたはいる、からだ。OSHO p5~7/254 (9~10/198)
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