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2017/04/20

OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <8>

<7>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <8>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

 西洋哲学の父デカルトは、疑うことから始めた。彼は、疑うことができない何ものかを探すために、すべてを疑うところから始めた。実人生の基本において疑うことできないものだけを探し始めたからだ。 

 信じることができないものごとを真実なる人生の基礎とはできない。この基礎は沈みつつあり、あなたはその砂の上に家を建てようとしている。そこで彼はすべてを疑った。神は容易に疑い得る。世界は疑い得る。それはまるで夢のようなものだ。そして他のものは・・・・ 

 デカルトは全てを疑った。そして突然彼は、自分自身を疑うことはできないことに気づいた。それでは矛盾するからだ。 

 もしあなたがあなた自身を疑うとすれば、それは、疑いを持っている自分自身がいるということを信じなければならないからだ。あなたは、あなた自身についてだまされていると言うことはできるが、しかしだまされている誰かがいることになる。自分を疑うことはできない。 

 マハビーラは神を信じなかった。彼は自分だけを信じた。というのもそれだけが確かなことだからだ。あなたは確実に成長できる。あなたは不確実に成長することなどできない。確実性がある時、そこに信頼がある。不確実なものがあるとき、そこには信仰があるだろう。しかし、信仰の影にはいつも疑いがある。 

 たくさんの有神論者が私のところに来た。彼らは神を信じる、しかし彼らの信仰は表面的なものだ。彼らをちょっと突っ込み、ちょっと押し、彼らをちょっと揺すると、彼らは疑い深くなり、畏れ始める。もしあなたがそんなに疑いのなかにあるなら、どんな種類の宗教があり得るだろう。何か疑うことができないものが必要だ。 

 信じることを強制することはできるだろうが、強制されて信じたは間違った信じ方である。あなた自身を説得し強制することはできるだろうが、それでは助けにならない。というのもあなたの説得やあなたの強制は、いつでもあなたのもので、心は揺れ続ける。だからこそ、仏陀やマハヴィーラは瞑想を強調した。 

 瞑想は全く違った技術だ。信じることは必要ない。他に移る必要もない。あなたは一人そこにいる。しかしあなたはあなた自身に気づいていなければならない。それはあの僧侶がやっていたことだ。 

 彼はラムの名前を唱え続けたりはしない、アラーを唱え続けたりはしない。彼は彼自身の名前を呼び続ける、そう自分自身の名前だけだ。なぜなら他のすべて確かではないからだ。彼は彼の名前を呼ぶ。「そこにいるかい?」。 そして彼はどんな神の答えなど待ってはいない。彼は彼自身に答える。「はい、師よ。私はここにいます」。 

 これこそが仏教徒の態度だ。あなたはひとりでここにいる。もしあなたが眠りこけていたら、あなた自身を呼び覚まし、答えなければならない。それは独り言だ。どんな神からの答えも待っていてはいけない。そこにはあなたに答えるものなどいない。 

 あなたの質問は空っぽな空に消えていくだろう、あならの願いなど聴かれることはないだろう。それを聴く人などいない。だからこの僧侶は馬鹿げて見えるが、真実ではある。すべての他の祈りを上げるひとたちは、この僧侶より馬鹿げてみえる。この僧侶のより確かなことは、彼自身に呼びかけ、彼自身が答え続けていることだ。 

 あなたはもっと自分自身に注意深くすることができる。教えてあげよう、あなたの名前はマントラなのだ。ラーマとかアラーとか唱えず、あなた自身の名前を唱えなさい。何回でも、あなたが眠くなったら、どんな時でも煮詰まったなあと感じたら、あなた自身に呼びかけなさい。「おい、いるかい?」と。そしてあなた自身が答えるのだ。 

 誰か他の人の答えを待ってはいけない。あなたに答える人など誰もいない。答えなさい、「はい、私はここにいます」と。そして決して声を出して答えてはならない。それを感じなさい。「はい、私はここにいます」。 

 そして、そこに注意深くいなさい。その注意深さの中で、思考は止まり、その注意深さの中でマインドはたちまち消え去る。そしてそこにマインドがない時、そこに瞑想がある。マインドが止まった時、瞑想が存在の中に入ってくる。 

 瞑想とはマインドによって行われるものではないことを覚えておきなさい。それはマインドの不在だ。マインドが引き下がった時、瞑想が起こる。それはマインドから起こってくる何かではない。それはマインドを超えた何かだ。 

 いつであれあなたが注意深い時、マインドはない。だから私たちはあなたの眠気はあなたのマインドだ、と断定することができる。あなたの不注意さはあなたのマインドだ。あなたの夢遊病はあなたのマインドだ。あなたは、酔っ払いのように動く、あなたが誰であるかわからないまま。どこに行こうとしているかわからないまま。なぜあなたは行こうとしているかを知らないまま。OSHO p7~9/254  (10~12/198)

<9>につづく

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