OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <4>
「Mindfulness in the Modern World」 How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <4>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials) 目次
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瞑想は、断続的にできるものではない。それは絶え間なく続く努力なのだ。すべての瞬間、人は注意深く、気づいていて、瞑想的であるべきなのだ。しかし、マインドはトリックを楽しむ。朝には瞑想してそれを脇によけてしまう、そして寺院に行って祈り、そして忘れてしまう。
そしてあなたはまったく非瞑想的になって、無意識的になってこの世界に戻ってくる。まるで催眠術にかかって歩いているようだ。こんな努力はするものではない。一日の23時間も非瞑想的なのに、たった一時間だけ瞑想的jになることができるのかね?
それは不可能だ。突然一時間だけ瞑想的になるなんて不可能だ。あなたは自分自身を単にだますことができるだけだ。
意識は継続だ、それは川の流れのように、継続的に流れている。もしあなたが瞑想的であったとするなら、一日中瞑想的であるべきだし、すべての瞬間・・・・そしてあなたが一日中瞑想的であるときにだけ、開花があなたに訪れる。それまでは何も来ない。
この禅の小話は理屈に合わないように見えるが、とても意味深い。マスターは、僧は彼自身を呼び続ける、これこそが瞑想の意味するところだ、あなた自身を呼び続ける。彼は自分自身の名前を呼び続ける。
彼は「おい、いるかい?」と聞く、そして彼は自分に「はい、いますよ」と答える。この努力、目覚めているための最高の努力。
あなたもこれを使うことができる。これはとても助けになるだろう。突然、通りを歩くとき、あなたは自分に呼びかける。「おい、いるかい?」 突然、思考が止まり、あなたは答えなければならない。「はい、私はここにいます」。あなたの思考が止まった時、あなたは集中し、瞑想的になり、注意深くなる。
この自分への呼びかけは技法だ。眠りに入りながら、夜の光を消して、あなたは突然呼びかける。「おい、いるかい?」 そして闇の中で、注意深さがやってくる。あなたは小さな炎となり、内側のあなたに答える。「はい、ここにいますよ」。 OSHO
p1~2/254 (6~7/198)
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