「マイトレーヤ」 The buddha lord maitreya<12>
<11>よりつづく
「マイトレーヤ」 <12> The buddha lord maitreya.
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 1988/3 瞑想社 地方・小出版流通センター 単行本 p221
★★★★★
1)いつもは漠然と見ている弥勒菩薩半跏思惟像であるが、普段イメージしている像は二つのタイプに分かれているようである。この「マイトレーヤ」の後表紙に描かれていたのは、奈良斑鳩の中宮寺の弥勒菩薩のようである。
2)それに対するこちらの像は京都広隆寺の弥勒菩薩。仮に広隆寺タイプとしておく。この二つのタイプはちょっと目にはほとんど同じものように見えるのだが、よく見れば違いがいくつかある。
3)すぐ気がつくのは、頭の形である。片やミッキーマウスの耳のようなものが頭頂に二つついている中宮寺タイプに対し、広隆寺タイプは冠をかぶっていて、宝冠弥勒とも呼ばれているらしい。それと、足の高さ、つまり座位置が中宮寺のほうが高い。
4)そして、大きな違いの一つに、中宮寺タイプは光背があるということだ。私はデッサン人形をいじっていて、いつの間にかこの裏表紙に書いてあるのは広隆寺タイプだとばかり思っていたのだが、あらためて確認すると、実は中宮寺タイプだった。
5)この二つを模写するにあたって、私は造形的に広隆寺タイプのほうが簡単かなぁ、とは思っていたのだが、はて、どうするか。よくよく見れば、足の形、体の傾き、手の位置などに、微妙な差があることが分かった。
6)ここはいずれ二体制作するとして、今回は座面の関係もあるし、光背だとさらにひと手間かかってしまうので、広隆寺タイプで行こうと思う。
7)さて、いろいろいじっているうちに、わがデッサン人形・弥勒菩薩半跏思惟像も次第に形を現し始めた。かなり稚拙なものではあるが、私にとってのマイトレーヤ像はこれで十分だ。何万円、何十万円もするようなイSムのフィギュアなど必要ないし、本当は好きではない。このような「遊び」が、私は欲しい。
8)そして、この像を見ながら、なにか見たことあるような風景を思い出していた。造形が素晴らしく、ひょっとして意識さえ宿っているかもしれない弥勒像(本当は宿っていない)。簡単な遊びに満ちたデッサン人形マイトレーヤ。それに比すると、たしかに五感は、ひょっとすると超越してしまっているかもしれないが、そしてたしかに穏かになって来ているとは言え、いまだにはっきりと「意識」を持っている存在。
9)これらの存在の違いとは一体なんだろう。そして、私は「単なる」物質としての像に何かの「意識」を求めようとするよりも、キチンとした「意識」をいまだに存続して保持している存在にこそ、思いをよせるべきなのかもなぁ、と思った。
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