マインドフルネスと坐禅・瞑想 「大法輪」特集<2>

「大法輪」マインドフルネスと坐禅・瞑想 <1>
2017/ 04 大法輪閣 雑誌 1934創刊 一般の人へ仏教をやさしく紹介 月刊版
★★★★★
1)ざっと60ページ以上の特集を通読してみれば、これはこれ、実に全うな日本仏教界のマインドフルネスとやらへの反応、感応ということになる。これはこれでよい。マインドフルネスと表現されているものに対する雑感が、まぁ、全体として、一般的な意見を代弁してくれているようだ。
2)個別にひとつひとつメモしておこうかな、と思ったが、結局はまずは有体のよくある意見なので、あえて抜き書きするほどのこともない。こんなもんだろう、と思う。
3)そしてさらに思う。OSHOサニヤシンたる私は、なぜにこの日本仏教界に留まることなく、インドまで若くして足を延ばすことになったのだろう。縁は異なもの味なもの。日本仏教というガラパゴス化した文化層圏にはとどまりたくなかった自分がいるのであろう。
4)ことし正月に今年一年でやりたいことを三つ上げておいた。
①OSHO「現代世界のマインドフルネス」の通読と素訳。
②樹齢1300年カヤの木の間伐材で薬師瑠璃光如来坐像の制作。
③映画「2001年宇宙の旅」シリーズの完読、精読。
5)①については、現在のところ4か月経過して、まだ10分の1程度の進行だが、準備期間の長さも配慮すれば、まずまずの経過。おそらく年内には達成するだろう。
②については、50%の進行度合い。完成度を高めなければこれでもいい、というところまできている。むしろそこから派生するところの弥勒座像や阿修羅像へと思いは広がっている。
③については割と難儀しているが、2001シリーズだけではなく、SF全般、特にソラリスやタルコフスキーあたりまで進展しているのは、我ながら興味深い。この分野のキーワードはシンギュラリティだ。
6)マインドフルネスという言葉使いについて考えていて、パーマカルチャーという単語があることを思い出した。パーマカルチャーもまた、原型としては日本の伝統的な農家のライフスタイルを基礎としているのだ。マインドフルネスもまた、さまざまな流れを受けながら、日本ガラパゴス仏教の再編成といえないことはない。
7)それを「迎え撃つ」ところのガラパゴス日本の、どこか滑稽な、どこか頓珍漢な、どこかずっこけな面が見えてくる。
8)世は世界宗教を求めているのである。地域に平安をもたらす文化宗教や、国家の礎となるような支配力としての宗教が求められているのではない。この限られた地球という空間における、生物としての人間の精神性をつなぎ合わせるところの、世界宗教が必要なのだ。
9)イスラム圏を今、マインドフルネスでもって鎮静できるか。唯物共産圏をマインドフルネスで説得できるか。流民化する第三世界の人々に施無畏の心を想起しえるのか。暴走する欲望の塊、資本社会を良導する力はあるのか。いわゆるマインドフルネスに課せられた課題は多い。
10)されど、いわゆる一つのムーブメントとしてのマインドフルネスとやらにだけ、それを期待することは酷である。そしてさらには、かつて何千年として命脈を繋げつつも達成できなかった。むしろ、かつてこれまでなかった形でのスピリチュアリティをこそ模索、進行させることこそが目下の課題なのではないか。
11)この雑誌を読みながら、ガラパゴス日本仏教界にも、アメリカ・カバットジン・マインドフルネスにも、敬意を表しつつも、やはり可能性はわがOSHOに軸足を置いていくことによってこそ未来は開けると、そう思った次第である。
12)蛇足ながら上の①②③については、実はOSHOと実に整合性がいい。マインドフルネスではサポートできないものもあるし、ガラパゴスブッディズムでは、方向ちがいと怒られそうだ。しかし我が道はむしろ①②③を優先する。それをサポートしてくれるのは私にとってOSHOしかない。
<3>につづく
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