「道元禅入門」セミナー正法眼蔵随聞記 飯田利行 <2>
<1>よりつづく
「道元禅入門」セミナー正法眼蔵随聞記<2>
飯田 利行 (著) 1966/08 講談社 ミリオン・ブックス 新書 240ページ
★★★★★
1)著者は、博士号を持つ研究者でありながら、実際に大学や高校で教鞭をとる実践的な教育者でもある。中盤は、実際に教育にあたっている高校生を対象としたような対話形式で、道元禅を学んでいく。
2)「現代に生きている正法眼蔵隋聞記」p13とか「若き現代人にもっとも感銘をあたえた正法眼蔵隋聞記解説十章」p77とか、「道元禅は現代人にどんな生き方を語るか」p147などのタイトルは、現在当ブログが進行している「現代世界におけるマインドフルネス」カテゴリのタイトルと、まったく同じ問いかけとなる。
3)すでに50年も前の一冊であり、半世紀も経てば「現代」の意味の捉え方がまったく違ったものになる。例えば、4当5落の受験戦争を乗り切って「良い」大学に入りさえすれば、あとは「良い」会社に入ることができて人生安泰じゃ、というような俗説さえ流れていた50年前の日本とは、2017年の「現代」日本は、まったく違っている。
4)会社自体が存続の足元を崩しつつ、生涯雇用など夢となり、過剰労働、過労自殺などのニュースが日々流されている。グローバル経済の中で、ネット社会はどんどん拡大し、「日本」社会などという小さな枠組みは、ほとんど意味をなさなくなっている。
5)もっとも、7~800年前の道元禅師が生きていた時代に比較すれば、50年前だって、明らかに別社会となっているのだが、それでもなお、この21世紀においても、脈々とその生命を維持している道元禅は、ある意味見事である。
6)ゴータマ・ブッダが生きた時代の「現代」、達磨が生きていた時代の「現代」、道元が生きていた時代の「現代」、50年前のビートルズが来日した時代の「現代」、そして、もはやインターネットの次が模索されている時代の2017年の「現代」。おそらく言葉は一つだが、持っている意味はまったく違っている。
7)出家、ディアナ、禅、マインドフルネスと、表現は変化しても、意味するところは同じである。この対比の中で、見つめられているのは、変化をし続ける世界の中で、生きていく「変わらぬ」自分とは誰か、である。
8)衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水をはなれて氷なく 衆生の外に仏なし 衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり… 白隠禅師「坐禅和讃」
つづく
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