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2017/05/22

マインドフルネスと坐禅・瞑想 「大法輪」特集<3>

<2>よりつづく

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「大法輪」マインドフルネスと坐禅・瞑想 <3>
2017/ 04 大法輪閣 雑誌 1934創刊 一般の人へ仏教をやさしく紹介 月刊版

1)私の中では、ゴータマ・ブッタが回した法輪が速度を失い、Oshoによって新たなる2500年の法輪が回り始めたのを「見た」ことは確かなことなのだが、それをあまり口に出して言ったことはない。でも、最近はもっと言おうかな、と思うようになった。だって、それは本当のことだから。少なくとも私にとってはね。

2)歓迎されて彼らとともに一ヶ月間その行に参加しているうちに、私の中では一つの理解が起こった。日本山の出家者たちはオレンジ色の衣を着るが、それは美しくもまぶしいが夕焼けの美しさであり死体を焼く炎のまぶしさだ。 

 OSHOのサニヤシン達もオレンジを着るが、それは朝日のまぶしさであり、誕生に伴う鮮血の鮮やかな美しさだった。仏教はその使命を終えつつあり、最後の法華経を奉じる彼らがインドに沈もうとしていた。その時水平線上からかすかに新しいOSHOの光が上り始めたのだ。 

 法華経や大集月蔵経にあるように、日の国・日本の仏法を月国・インドに返すために、1931年、藤井日達上人はインド・ボンベイに渡った。こうしてインドの誕生した仏法は中国・日本に渡り、二千五百年の後に日達上人によって再びインドに帰ったのである。この年、ボンベイの北部ウチワダでOSHOは最後の肉体を持って誕生した。 

 仏足山でうちわ太鼓を叩きながら「南無妙法蓮華経」を唱えていた満月の夜、私はひとつの不思議なビジョンを見た。地球、月、太陽が一直線に並び、その延長線上に私は立っている。それは私とOSHOと日達上人のことであり、時に私23才、OSHO46才、日達上人92才、この数字の中に合わせ鏡の様に共振するエネルギーが存在していた。彼らは私の父であり、祖父でもあった。「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992

3)さて、マインドフルネスという観点から日蓮宗を考えた場合どうなるのだろう。その疑問にすこしでも答えてくれているのが、この雑誌特集にある「南無妙法蓮華経とマインドフルネス」(日蓮宗釈迦寺住職・影山教俊)という文章だろう。雑誌6ページにわたるちょっとした囲みものだが、最後にこうある。

4)唱題による瞑想体験がマインドフルネスである。この体験を仏教文献から読み取ると、唱題による成仏(仏界)は、それはスピリチュアル(不可思議)なことがらだから意識化できない。だから「信じる」ことで無分別の意識状態を誘導せよ、と信ずることの安らぎ状態(これを「以信代慧」という)を強調する。

 さらに唱題によるマインドフルネスは、慈愛の意識(菩薩界)までが、意識化の対象になるという。まさにこの慈愛の意識状態に気づくことによって、私たちは成仏(仏界への「気づき」)を志向し、成仏への信行が生まれるのである。

 これが伝統的な仏教の営み、「行学二道」「行学一体」の世界である。p107「南無妙法蓮華経とマインドフルネス」「結語にかえて」

5)なにはともあれ、この部分とリンク張っておけば、この雑誌の役目は終わる。

<4>につづく

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