「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版<7>
<7>人間性 目次
1)前回の絞り込みを見て、まずは気になるのは地球人とはなんだろう、ということである。いちばんピンとくるのは、宮沢賢治のデクノボーであろう。そして、はやりOSHOのゾルバ・ザ・ブッダという人間性を思い出す。
2)追加するなら、身近なところでの畏友ニュートン(石川裕人)の野糞エピソードも懐かしい。
3)マインドフルネスとメディテーションなら、もうどちらでもいいだろう。指は月を指し示しているだけなら、言葉にこだわるのは良くない。禅でもZENでもディアナでもいい。でも長い間使ってきた言葉としては瞑想(メディテーション)が使いやすいのはもちろんだ。
4)創造的科学の進化には賛成だし、シンギュラリティやらAIやらロボットやらも悪くない。ただ、文字入力にはキーボードが適正サイズであるように、ポインティングがマウスが一番適しているように、おそらく人間サイズというものがでてくる。おそらくスマホは便利だが、適正サイズはパソコンのほうにあるのではないか。
5)そして、スピリットとは、なんだ? 端的に言ったら、ゴータマ・ブッタが行きついたところのもの。広大無辺にして、汲めども尽きぬもの。永遠。不可知の世界。
6)ゾルバとブッタを繋ぐもの瞑想。あるいは、瞑想によって一体化したゾルバとブッダの世界。ゾルバ・ザ・ブッダ。でも、これって安直すぎではないかい? 借りてきたものをただただコピペしているだけだ。それではいけない。私は私の言葉で語ろう。
7)当ブログ4000冊目は、この「エッセンス版」とする。このシリーズはまだまとまっていない。これまで、いくつかのまとめをしようとしたが、まとまらなかった。理由はいくつかある。まとめる力がない。まとめるほどの内容がない。そもそもまとめるものではない。まとめる時期ではない。誰かが(何かが)邪魔している。いやいや、そうではあるまい。
8)そういった意味においては、まとめる力はあるはずだ。まとめるほどの内容もあるはずだ。まとめておいて間違いない。もう時期だろう、時期を過ぎてさえいるかもしれない。もし何かが邪魔しているとすれば、私の無知と怠惰さだけである。
9)無知は仕方ないとして、怠惰だけは駆逐できるだろう。とにかく、前向きにこのエッセンス版と取り組んでいく。前後の整合性はあとから編集することにする。
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