「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版<8>統合
<8>統合 目次
1)統合となると、ふと思い出されるのは、次の二つのコラムシリーズである。
「地球人スピリット宣言草稿」ーもし僕らが生き続けるならー(2011/11/11~2014/04/21)冊数No.2582~No.3216前後
「来たるべき地球人スピリット」ー読書ブログから見たポスト3・11ー(2014/04/08~2014/05/20)冊数No.3201~No.3243前後
2)よく見ると二つのコラムは時期がわずかな期間だがかぶっている。二年半続いてきた「草稿」は「来るべき」に本質的なモノを見、バトンタッチしてしまったのである。それからの「来るべき」は実に一か月半で、活動を中止してしまっている。ここにどんなギャップがあったのだろうか。
3)今後、この点をもう少し精査してみるが、とにかく、「草稿」は「来るべき」に受け継がれ、さらには「エッセンス版」に到達したと考えることができる。だから今後「来るべき」はこのエッセンス版に統合することする。つまりは、このエッセンス版は2011/11から続いてきた、と考えてもおかしくはない。
4)冊数としてはNo.2582~No.3243前後あたり。やはりインプットだけでは読書ブログもいっぱいいっぱいになり、適当な時期にアウトプットしていかなくてはならないようだ。
5)当ブログが今後No.5000に到達することがあるのかどうか、今のところは定かではないが、とにかく、その数字に向かって、統合=インテグラルする方法で考えていく。その究極にあるのは「ダイジェスト版」の終息であり、この「エッセンス版」の最終版である。
6)ここで上記ふたつのコラムシリーズをざっと速読してみた。ああ、これでいいんじゃないか。なかなか面白い。これ以上うまくなんかそうそう書けない。少なくとも私は読んでいてたのしい。
7)されど、すでに「宣言」は「来るべき」に統合されているし、こで「来るべき」はこの「エッセンス版」に統合させる。統合させる以外に、推進力を失っている。
8)そして通読して思うことは、キーワードとして、シンギュラリティとマインドフルネスを活用しようということである。創造的科学の進化については積極的に対応していくべきだ。それはなにもカーツワイルにこだわる必要はない。技術の進化全部を含め、2017年の今、それらを表現するとすれば、シンギュラリティは適当な言葉である。
9)さらにはマインドフルネスも、まぁ、問題ありの言葉ではあっても、月を指すのが言葉であったとするならば、あまりに指にこだわるのはよくないだろう。月こそ見上げるべきなのだ。ここでもカバットジンにこだわることはないだろう。マインドフルネスという言葉で、多くの人々と共有できる世界が広がればそれでいいのだ。
10)科学をシンギュラリティで表現し、芸術をマインドフルネスで表現した場合、残る意識のスピリットの分野がどうも手薄である。悟りとか大悟とかエンライテンメントに関わる最新の造語は何かないのか。そうは思うのだが、ない。
11)そこでいいことを思いついた。暫定的ではあるが、シンギュラリティをカーツワイルから離れて活用していくように、マインドフルネスをカバットジンから離れて活用していくように、OSHOという単語を、チャンドラ・ラジニーシ・モハンというインド人から離して活用していく方法である。
12)必ずしも、あの肉体、あの個性、あの個人にこだわる必要はない。何事かを表現する時に、例えば、ブッダというものゴータマ・シッダルタという個人から離れて、目覚めること、という意味で、広く使われている。それと同じようにOSHOという言葉を、意識の統合、全体へ解け去る、という意味で使っていこうと思う。
13)だから、このエッセンス版の新しい切り口は「シンギュラリティ・マインドフルネス・OSHO」となる。
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