「宇宙船建造プロジェクト」早坂秀雄 <12>
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「SF大クロニクル」 <2>
ガイ・ヘイリー (編集), 北島明弘 (その他) 2016/02 KADOKAWA/角川マガジンズ 単行本: 576ページ
★★★★☆
SF映画関連リスト 工事中
1936「来るべき世界」 監督 ウィリアム・キャメロン・メンジース ★★★☆☆
1937「失はれた地平線」LOST HORIZON 監督フランク・キャプラ★★★★★
1954「海底2万マイル」監督 リチャード・フライシャー ★★★★☆
1962「僕の村は戦場だった」監督 アンドレイ・タルコフスキー ★★☆☆☆
1968「2001年宇宙の旅」 監督 スタンリー・キューブリック ★★★★★
1972 「惑星ソラリス」 監督: アンドレイ・タルコフスキー ★★★★★
1977 「スター・ウォーズ/エピソードIV 新たなる希望」 監督ジョージ・ルーカス★★☆☆☆
1977「未知との遭遇」 監督 スティーヴン・スピルバーグ ★☆☆☆☆
1979「エイリアン」 監督 リドリー・スコット ★★☆☆☆
1980「スター・ウォーズ/エピソードV 帝国の逆襲」監督:アーヴィン・カーシュナー★★★★☆
1982「ブレードランナー」 監督リドリー・スコット ★★☆☆☆
1984「2010年」 年 監督ピーター・ハイアムズ ★★★★★
1984「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」監督スティーヴン・スピルバーグ☆☆☆★★
1986「エイリアン2」 製作総指揮:ゴードン・キャロル、 ★★★★☆
1986「スター・ウォーズエピソードVI/ジェダイの帰還」 監督リチャード・マーカンド★★☆☆☆
1992「エイリアン3」 監督 デヴィッド・フィンチャー ★★★★★
1993「ジュラシック・パーク」 監督スティーブン・スピルバーグ★★★★★
1995「メイキング・オブ・ジュラシック・パーク」 監督ジョン・シュルソ ★★★★★
1996「スタートレック ファーストコンタクト」 監督ジョナサン・フレイクス★☆☆☆☆
1996「SF映画100年史」(1)SFの父」 ★★★★★
1996「SF映画100年史」(2)スペース・トラベラーズ ★★★★★
1996「SF映画100年史」(3)ロボット ★★★★★
1996「SF映画100年史」(4)エイリアン★★☆☆☆
1996「SF映画100年史」(5)奇妙な科学★★★★☆
1996「SF映画100年史」(6)奇怪な世界 ★★★★★
1996「SF映画100年史」(7)SFヒロイン大集合 ★★★★☆
1996「SF映画100年史」(8)未来社会 ★★★★☆
1996「SF映画100年史」(9)タイム・トラベラーズ ★★★★☆
1996「SF映画100年史」(10)SFヒーロー列伝 ★★★★☆
1996「インデペンデンス・デイ」監督 ローランド・エメリッヒ★★☆☆☆
1997「エイリアン4」 監督:ジャン=ピエール ・ジュネ アメリカ ★★★★☆
1997「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」 スティーブン・スピルバーグ監督
1997「フィフス・エレメント」 監督リュック・ベッソン ★★★★☆
1997「コンタクト」 監督 ロバート・ゼメキス アメリカ作品 ★★★★★ <2>
1997「ガタカ」 アンドリュー・ニコル監督 ★★☆☆☆
1998「UFO・ETの存在証明」 エリア51フィルムの謎 竹本良他 単行本 ★★☆☆☆
1998「アルマゲドン」監督: マイケル・ベイ ★★☆☆☆
1999「マトリックス」 監督 アンディ・ウォシャウスキー ★★☆☆☆
1999「スター・ウォーズ/エピソード1/ファントム・メナス」 監督ジョージ・ルーカス★★★★☆
2001「A.I.Artificial Intelligence」 年 スティーヴン・スピルバーグ ★★★☆☆
2001「ジュラシック・パーク 3」 監督 ジョー・ジョンストン ★★★★★
2002「ソラリス」 監督 スティーブン・ソダーバーグ ★★★★★
2002「スター・ウォーズ/エピソード2 クローンの攻撃」監督ジョージ・ルーカス★★★★★
2002「マイノリティー・リポート」監督スティーヴン・スピルバーグ★★★★☆
2003「マトリックス・リローデッド」 監督 アンディ・ウォシャウスキー★★☆☆☆
2004「アイ,ロボット」監督アレックス・プロヤス★★★★★
2005「スター・ウォーズ/エピソード3/シスの復讐」 監督ジョージ・ルーカス★★★★★+★★
2008「アイアンマン」監督: ジョン・ファヴロー★★★★☆
2008「パッセンジャーズ」監督: ロドリゴ・ガルシア★★★★★
2009「アバター」 監督: ジェームズ・キャメロン ★★★★★
2009「第9地区」監督: ニール・ブロムカンプ ★★☆☆☆
2010「アイアンマン2」監督: ジョン・ファヴローNo.3981★★★★☆
2012「宇宙兄弟」 監督 森義隆★★☆☆☆
2013「ゼロ・グラビティ」 監督: アルフォンソ・キュアロン ★★★★☆
2014「インターステラー」監督クリストファー・ノーラン ★★★★☆
2014「オール・ユー・ニード・イズ・キル」 監督ダグ・ライマン★★☆☆☆
2014「GODZILLA ゴジラ」 監督: ギャレス・エドワーズ★★★☆☆
2015 「スター・ウォーズ」 フォースの覚醒 監督J・J・エイブラムス★★★★☆
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「SF大クロニクル」 <1>
ガイ・ヘイリー (編集), 北島明弘 (その他) 2016/02 KADOKAWA/角川マガジンズ 単行本: 576ページ
No.4006★★★★☆
1)あるとは思っていたが、こんなに分厚い一冊だったとは。これからすこしSF映画を見てみようかな、と思ったが、なかなかいいガイドブックに出会っていない。この本は、こちらの期待に応えてくれるかな?
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「これからインターネットに起こる『不可避な12の出来事』」 今後の社会・ビジネスを破壊的に変える「新たなるデジタル テクノロジー」をビジュアルで読み解く (NEXT VISION(NextPublishing)) <5>
ケヴィン・ケリー (著), 服部 桂 (翻訳) 2016/12 出版社: インプレスR&D ペーパーバック 128ページ
★★★★★
1)私のリクエストによって、近くの図書館に入ったらから、もういつでも読めると思っていたのもつかの間、なんとすでに何人もの追加予約が入ってしまった。人気本だから早く返さなければならないし、他の人が読んでいる間は待たなけばならない。まぁ、それもいいか。
2)いつでも読めるという安心感があると、逆にいつまでも読まないで済ましてしまうのだが、明日返却日となると、もう当分読めなくなるので、まずはまた再読することとなった。
3)しかし、本当にコンパクトな一冊なので、あっという間に読めてしまう。一時間あれば精読できる。今朝またまた精読してみて、実に、いままで見逃していたことがまだまだあった、と痛感した。
4)まずはケヴィン・ケリーはどうして映画「マイノリティー・リポート」や「アイアンマン」に触れたのか、と言えば、つまりコンピュータを操作するためのその振る舞い方にあった。機械とのインタフェースは私などは、現在の13インチラップトップについているくらいのキーボードがベストフィットだと確定してしまっているが、彼は違う。
5)彼はもっともっと、VRやさらには手ぶり身振りまでがコントロール・デヴァイスになると推定している。ほとんど不可避なものとして。
6)それと、同じタイトルなら「インターネットの次に来るもの」よりは、「不可避な12の出来事」の方がはるかに本書のタイトルにふさわしいということが分かった。インターネットでもパソコンでも、最初は異質なものであるが、慣れてしまえば、それが定番として保守的に定着してくれることを期待してしまうものだ。もっともっと柔らかく「不可避」なものを受け入れていく体質を整えていくことは大事だ。
7)本書がこの時期に当ブログに登場したことを、仮に梅田望夫「ウェブ進化論」から12年を経過して、このケヴィン・ケリーに到着したと考えることはなんのやぶさかなことはないが、「ウェブ進化論」には、「ウェブ人間論」という続編があった。ケヴィン・ケリーにも、「人間論」を期待したいしたいところだ。
8)おそらく、それを補完するために当ブログでは大きく「マインドフルネス」というジャンルにスペースを開けているのである。
9)ここにきて、あらためて「編集」ということばを思い出した。雑誌の編集とか、某オヤブンの編集工学とか、あるいは「20世紀エディトリアル・オデッセイ」とか。そういう作業には多いにパソコンやインターネットは役に立ったのだ。はて、これからは。
10)不可避なもの、そしてランダムなもの。おそらく、このケヴィン・ケリーの描く社会は不可避だとして、マインドフルネスという言葉はランダムであるにせよ、そのようなジャンルが立ち上ってくるのは不可避なのだと言える。
11)彼に期待していいことと、個別に別途追加探求しなければならないことがあるのだ、ということを確認した。
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「週刊 鉄腕アトムを作ろう! 」コミュニケーション・ロボット
2017/04 講談社 商品パッケージの寸法: 30.2 x 22.6 x 8 cm 全70冊予定
No.4005★★★★☆
1)書店を歩いていたら、こんなのを見つけた。なるほどな、あり得るな。関与している通信会社や、基盤作成の会社など、私好みなので、う~ん、この組み合わせいいんじゃない、と思う。
2)だけど、いわゆるパーツ組立のこのシリーズ、結局は1年半の年月と20万前後の予算がかかるので、それだけの余裕があるのならば、このシリーズ作成が最優先なのかどうかは、考えてしまう。
3)当ブログがスタートした地点ではカテゴリ名はシンギュラリティがメインだった。そして、「未来のアトム」(田中伸和 2001/7 アスキー)には相当に入れ込んだ。だけど、まだまだだ。
4)小学生の頃、兄の同級生から借りた漫画雑誌で、鉄腕アトムを読んだ。あの頃、アトムの妹ウランちゃんが悪者につかまって、電動のこぎりで縦に真っ二つに切られてしまうシーンがあった。そして、その断面から、泡がふわふわと湧き出てきて、なんと、それが不足していた部分の形になってしまうのだ。ウランちゃんが、二人になってしまう。
5)私はあのページを見ていて、自分の幼い性器が限りなく勃起しているのを感じた。私があのウランちゃんに感じたエロス、そのエロスを、このロボットたちはまだまだ達成しえてはいない。
6)似たようなシリーズで、R2-D2版もスタートしたようだ。
「週刊スターウォーズR2-D2」
ディアゴスティーニ 2017/05
No.4006★★☆☆☆
7)ただ、こちらも投資対効果で言えば、一部の好事家を喜ばせる以上に世界を変える画期的な企画とはまだ思えない。値段が、この10分の1、あるいは100分の1なら、ぜひ欲しい。そんなバカな。それはできない。だから、私はどうしても廃物アートに走ってしまう。
8)そもそもゴミとなってすててしまうような廃物をリサイクルする、そのような知恵が欲しい。
9)電子回路もディスプレイも、まだまだ廃物はある。あの廃物から何かあたらしい命が湧いてこないものか。今日も私の彷徨はつづく。(笑)
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「子供の情景」
監督: ハナ・マフマルバフ 出演: ニクバクト・ノルーズ, アッバス・アリジョメ 発売日 2010/05 販売元: 紀伊國屋書店 DVD 時間: 77 分 2007年制作
No.4004★★★★☆
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演劇『ファミリーツリー』名取公演
主催 ファミリーツリー製作委員会 2017/05/27 名取市文化会館 小ホール 上演時間80分出演 藤原 貢(劇団やんま) 髙橋かつ子(劇団やんま) 知野雅樹 小畑次郎(他力舎) 橋浦あやの(他力舎) 絵永けい 松崎太郎 白鳥英一(鳥屋) 飯沼由和(言言/仙台シアターラボ) 永澤真美 佐々木柊聖 田中美卯(JMC) スタッフ アンダースタディ 土田美代子 舞台 (有)舞台監督工房 照明 アトリエミセイ 音響 本儀拓(KIWI SOUND WORKS) 宣伝美術 三澤一弥 プロデューサー 伊藤み弥
No.4003 ★★★★★★★★★★★★★★★
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「ゼロ・グラビティ」
監督: アルフォンソ・キュアロン 出演: サンドラ・ブロック, ジョージ・クルーニー 発売日 2014/12 販売元: ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント Blu-ray 時間: 91 分 2013年の、
No.4002★★★★☆
1)SF映画と言っても、結局チャンバラやパニック、破壊を中心とした映画がほとんどだ。その中にあっては、この映画は宇宙における生活を中心とした映画で、比較的当ブログの評価は高い。なにせ、当ブログが手を付け始めたSF映画としては割合ごく最近の映画である。
2)ただし、結局は、「2001年宇宙の旅」の宇宙生活を強調したような内容であり、しかも女性を主人公としてパニック風に仕立て上げている。
3)それに、もっとも不満なのは、最後に地球に帰還しても、すぐ泳いだりできるわけないので、その辺が、かなりいい加減な考証と言わざるを得ない。
4)宇宙のシーンを好んでみるのなら、ストーリーを無視して、画像として楽しむのはいいかも。それ以上ではない。
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「ガタカ」
アンドリュー・ニコル (監督) イーサン・ホーク (出演), ユマ・サーマン (出演), 発売日 2015/12 販売元: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント DVD/Blu-ray ディスク枚数: 1 時間: 106 分 1997年のアメリカのSF映画
No.4001★★☆☆☆
1)最近、読書もすこし飽きてしまっているし、動画を見る時間も増えたので、最寄りの図書館から動画を借りてきてみていたのだが、ひとつの図書館での所蔵数は少ない。そろそろ飽きてきたので、もうちょっと選んで見始めてみたい
2)目下の目標は、SF、しかも最新の奴。ビデオテープの奴はもう古い。できればDVDとかブルーレイとか。それで音声では日本語吹き替えで、字幕は英語(言語)で見れるもの。
3)ところがなかなかそうはいかない。まず、最新の映画は図書館には入ってこない。すこし遅れる。そして、遅れて入ってきても最新のものはすぐに予約でいっぱいになる。ずっと待ってまで見るほどでもない。まずは見れるところから始めてみようじゃないか。
4)それにしても、なにかSF映画の良きガイドブックが必要だ。必要だが、まだ調べてもいない。とにかく、ネットで「面白SFベスト10」のようなキーワードで検索して、所蔵してあって、すぐ見れそうなところから始める。
5)誰のおすすめなのか、なんてことは、まぁ、今のところはどうでもいい。誰かが勧めているとすれば、それでいい。誰がベストSFにしたか知らないほうが、後でケチをつける時、楽である。とにかくランダムに見始めよう。
6)これは「残念」ながら20年前の作品。DNA泥棒で宇宙飛行士になろうというお話。あれから20年経過しているが、あまり一般的な話にはなっていない。一部ではそういうこともあるのだろうが、まぁ、思想としては、そうならないだろう。
7)あまり聞きなれないガタカ(GATTACA)という語感は、DNAの型のアルファベットを並べたものとか。AGARTHAにつながるかな、とちょっと色めき立ったが(笑)
8)とにかく、アメリカ映画は、人間を医学的に分解したがるね。
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<10>キリ番 目次
1冊目 2006//03/14 シンギュラリティ
「ウェブ進化論」 本当の大変化はこれから始まる
梅田望夫 2006/02 筑摩書房 ちくま新書
★★★★☆
1000冊目 2008/02/14 スピノザ
「松岡正剛 千夜千冊」
松岡正剛 2006年10月 求龍堂 全集・双書 8冊
★★★★★
1024冊目 2008/03/02 OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2
「The Zen Manifesto; Freedom from Oneself 」
Osho (Author) , Ma Dhyan Sagar (Editor), Qui Zheng Ping (Illustrator), 296 pages Publisher: Rebel Publishing House; 2nd Ed edition (January 1993) Language: English
★★★★★
Vol.2 1000冊目 2010/03/18 ブッタ達の心理学3.0
「THIS, THIS: A Thousand Times This」 The Very Essence of Zen
OSHO 1988/05~06 >OSHO Rebel Pub. House , English Zen Discourse Series
★★★★★
Vol.2 1024冊目 2010/04/03 ブッタ達の心理学3.0
「精神の哲学・肉体の哲学」形而上学的思考から自然的思考へ
木田元 /計見一雄 2010/03 講談社
★★★★★
Vol.3 1000冊目 2013/05/26 Meditation in the Marketplace5 
「メイキング・オブ・ジュラシック・パーク」【完全収録版】 [VHS]
スティーヴン・スピルバーグ (出演), ジョン・シュルソ (監督) 1995/10/21 販売元: CICビクター・ビデオ
★★★★★
Vol.3 1024冊目 2013/06/09 Meditation in the Marketplace5
「For the Children」 子どもたちのために
ゲーリー・スナイダー (著), 山里 勝己 (編集, 翻訳), 高野 建三 (写真) 2013/4/23 新泉社
★★★★★
4000冊目 2017/05/26 現代社会におけるマインドフルネス4
「棺一基」 大道寺将司全句集
大道寺将司(著) 辺見庸(序文・跋文) 2012/04 太田出版
★★★★★
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「棺一基」 大道寺将司全句集<1>
大道寺将司 (著), 辺見庸(序文・跋文) (著) 2012/04 太田出版 単行本: 234ページ
No.4000★★★★★
1)だれかがSNSでこの本を紹介していた。へ~、こんな本が出たのかな、と思った程度だった。
2)当ブログでは足掛け13年程で39百冊以上にメモし続けてきており、まもなく4000冊目を迎えるタイミングである。
3)もともと冊数にそれほどの意味もなく、また映画やDVD、芝居や展覧会なども同じナンバリングに加えているので、厳密な意味などもともとない。
4)されど、単調なモノローグの読書ブログゆえ、道々、それぞれになんらかんかのエピソードもあれば便利なのである。
5)実は、4000冊目の候補として何冊か考えてみたのだが、どうもしっくりこない。そこで、暫定的とは言え、当ブログのエッセンス版をその位置に据えようと、一旦は決意した。
6)本日、図書館でこの本を受け取って、その考えは変わった。ひょっとすると、この一冊こそ4000冊目にふさわしいのではないか。
7)著者については断片的な知識以上、何も知らない。特段に思いを寄せたことはない。この本がどんな本かも知らなかった。句集だったのか。
8)最近、長期、地下に潜っていた活動家が捕捉されたというニュースが流れた。その人物との差さえ、よくわからない程度である。
9)だが、奥付を見て、この本がすでに5年前に出版されていたことを知った。
10)今から、ちょうど40年前に、インドのプーナでOSHOの元でグループセッションを受けた。三日間の「エンライテンメント・インテンシィブ」というセッションである。ひたすら「私は誰か」を言語化し続ける。対面して座ったパートナーは、ひたすら、その話を受容し続ける。
11)単純な自己紹介に始まった一日目など、あっと言う間に過ぎ去り、二日目などは混とんとして、何が何やらわからなくなる。時にはフリークアウトしてしまう参加者もいないわけではない。
12)そして、三日目になると、何事かの終結がやってくる。三日目だ、もう終わる、という多少の安堵もある。そのタイミングで、なにかのひらめきが、どんと落ちてくる。
13)私の場合は、なぜか最後は芭蕉の一句が飛び出してきた。「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」 芭蕉の辞世の句である。なぜだったのか、知らない。私がそんな句を深く覚えていたなんて、知らなかった。愛しているとも知らなかった。だが、私は「私は誰か」の問いかけの最後の答えとして、この句を選んだ。日本語もわからない欧米人相手に、その意味を話しつづけていた。
14)この本の著者は、何かの縁で獄中の人となり、死刑囚として長年自らを問うてきた。この一冊を残して、最近亡くなったのだ。私はまだ読んでいない。
15)この本のタイトルは、彼の一句から取られたものであるようだ。
棺一基 四顧茫々と 霞けり 2007年 大道寺将司 2017/05/24 没 享年70歳
衷心よりご冥福をお祈りいたします。 合掌
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「ピアニストのためのヨガ入門」
深堀 真由美 (著) 2017/01 ヤマハミュージックメディア 単行本: 104ページ
No.3999★★★☆☆
1)検索して行ってみると、こういう本もあるんだな。なるほど、なにかのつながりがでてきそうだ。
2)実際ピアノを弾いていると、とにかく腕が痛くなる。姿勢が悪いのだろう。それでもせいぜい5~10分の練習なのだが。30分も引くと、だいぶ疲れる。腰も痛くなるから、夢中になっていると、かなり体を痛めてしまうかもしれないな。
3)そういった意味では、このようなボディコンシャスなピアノ入門書もあっていいかもね。中身は結局ヨガ本だが。
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「5歳の子どもにできそうでできないアート」: 現代美術(コンテポラリーアート)100の読み解き
スージー ホッジ (著), Susie Hodge (原著), 田中 正之 2017/2 東京美術 単行本: 224ページ
No.3998★★★★★
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「今日から弾ける いきいきピアノ」 趣味で楽しむピアノ・レッスンシリーズ
元吉 ひろみ (著) 2016/02ヤマハミュージックメディア 単行本: 128ページ
No.3997★★★★☆
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<9> Life has no goals, No purpose 目次
1)当ブログのエッセンスを、シンギュラリティ、マインドフルネス、OSHO、と絞り込んでしまうことにすることとしよう。それはそれで必然の流れのように思う。されど、この三つの単語をコロコロと口の中で転がしていても、なんだか、今一つ味気ない。
5)Life has no goals, No purpose。
6)当ブログもこれでいこう。もう、ゴールはないのだ。
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「20世紀エディトリアル・オデッセイ」 時代を創った雑誌たち<3>
赤田 祐一 (著), ばるぼら (著) 2014/04 誠文堂新光社 単行本 224ページ
★★★☆☆
1)図書館の利用も最近はネットから直接予約してしまうので、図書館の棚を見て回るという習慣が亡くなった。それでもたまに幼児用の絵本を借りようと、孫の手をひいて図書館内を移動することもある。そんな時、なんと、最近になってこの本が所蔵されていたことに気づいた。
2)期待していなかったから、なんだかうれしくて衝動的に借りてきた。もう一回精読?と思ったが、書籍の性質上、「精読」とはいかない。でも、やっぱり記念的である。この時期、この書籍と再会するのも何かの縁かな。
3)この本が出版されたばかりの時は、書店の芸術コーナーに平積みされていたりした。街を歩いていて一冊の本を取り上げ、そこに自分が編集した雑誌が掲載されているというのは、不思議な感じでもあり、うれしくもある。そこはひとつの窓口だ。
4)「時空間」。私の人生の中で、こんなに特異な存在になるとはね。やっておくべきだな、やっぱり。
5)この本のこと、またメモしておこうかな。インターネットのない時代、やりたいことは雑誌を通じての編集だったんだよな。その思いを多くの人と共有できそうだ。
6)この本がホール・アース・カタログから始まっていることと、宝島やサブ、跋折羅などを通じて、カウンターカルチャーがネット時代に突入していったことは記憶しておく必要がある。そして、当ブログが今、ケヴィン・ケリーの一冊を最後まで残していることとつながっている。
7)深追い、するかな?
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「シンギュラリティは近い」エッセンス版―人類が生命を超越するとき レイ・カーツワイル2 016/04 NHK出版
「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則 ケヴィン・ケリー 2016/07 NHK出版
「これからインターネットに起こる『不可避な12の出来事』」 今後の社会・ビジネスを破壊的に変える「新たなるデジタル テクノロジー」をビジュアルで読み解く (NEXT VISION(NextPublishing)) ケヴィン・ケリー 2016/12 インプレスR&D
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「現代によみがえる歎異抄」
高 史明 (著) 2010/12 日本放送出版協会 単行本: 288ページ ビデオ制作2003年 NHK人間講座(一、二、三)全9回放送分(3本)
No.3994~6★★★★☆
1)私はこの本を読んだのではなく、図書館から借りてきたVHSシリーズ「人間講座 現代によみがえる歎異抄」(NHKライブラリー)を3本見たのである。ビデオにリンクを張っておきたかったのだが、他に見当たらないので、まずはこの本を上げておく。
2)当ブログとしては、禅、ZENの系譜と並びたつところの、法然、親鸞、歎異抄、他力、念仏の世界は、最初の最初からいずれは登らなければならなに山であった。
3)玉川信明「和尚(ラジニーシ)の超宗教的世界」(トランスパーソナル心理学との相対関係 社会評論社 2001)など、イレギュラーながら、OSHOワールドを彷徨したあとに玉川が「〈異説〉親鸞・浄土真宗ノート」(2004/04 社会評論社)にたどり着き、結局はこの書を最後の一冊として亡くなっていったことが思い出されるのである。
4)Oshoを通り越して、さらに親鸞にたどり着く、という人もいるのか、という単純な驚きとともに、いずれは親鸞の世界に突入しようと思いつつ、結局は4000冊めぐっても、私自身の道とはならなかった。縁づくことがなかったことで、生涯縁がないのだ、と思う必要はないし、今後、どのようなご縁に巡り合うかわからない。
5)この作家高史明(コ・サミョン)は、在日朝鮮人として日本に生まれ、青年期に政治的な活動などに参加しつつ歎異抄と出会う。その後、日本人女性と結婚して、一人の男子を得たが、中学生になった12歳の時、息子は突然死を遂げる。そのことをきっかけとして、また著者は歎異抄と向かいあうことになる。
6)1977年のOSHOアシュラムにたどり着いた時、私はそのブッダホールで行われていたスーフィーダンスの唄のひとつに、「な~みあみ~だ~ぶ~ぅつ~」というソングが挟まれていたことに驚いた。「エラハ エラハ エラアラハ「(だったかな)、などの言葉とともに、歌われていたのだ。
7)OSHOは何でも取り入れていた。いやそうだだからこそOSHOなのである。
8)昨日、会った彼は、薬師瑠璃光如来は東方の教主だから、今度は西方の教主、阿弥陀様を彫らなければならないね、とアドバイスしてくれた。なるほど~。だから、きょうは阿弥陀様に会っているのかな。
9)本一冊もなかなか読めないだろうが、この内容をビデオ3本でまとめて4時間半で読めたのは、大変有意義だった。これで、なんとか4000冊のうちに親鸞も入れることができたのである。自力作善の人、などとちょっとは珍しい言葉には惹かれるが、やはり万法帰一のとおり、奥に深まれば深まるほど、もうどこにもいけないような神秘の世界でつながっていくことがわかる。
10)このビデオを通して思うことは、どうも死をキーワードにしすぎるところがあるなぁ、というところ。それと涙が多い。生と笑い、これはOSHOにおいては不可欠のものである。生は時には性にさえ通じる。このビデオではひたすら性にはたどり着けない遠いものを感じる。
11)それと、現代によみがえる、の言やよろしく、科学文明の批判的視点の提出は良いのだが、積極的な創造的科学へのサジェッションがやや弱いかな、と思う。
12)加えれば、ZENは世界宗教になりうるが、念仏は、どうかな、というところ。浄土宗、浄土真宗は日本における仏教界の大御所ではあるが、世界に飛び出すことが、本当にできるかな、と思う。宗教性、その深さ、その意味では親鸞に比肩するほどの存在はそう多くはない。それは確かだが、それを世界の人々にうまく料理して提示できるだろうか。
13)深い仏教はなかなかあと回しになる。いまはマインドフルネスのようなお手軽なファストブッディズムがもてはやされている時代だ。この潮流にうまく乗ることはできるだろうか。
14)念仏、法然、親鸞、悪人正機説、南無阿弥陀仏。なるほど、と思う。ただ、当ブログとしては、ここは、シンギュラリティ、マインドフルネス、OSHO、の三大噺で切り抜けていこう、という決断は下ってしまった。
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<8>統合 目次
1)統合となると、ふと思い出されるのは、次の二つのコラムシリーズである。
「地球人スピリット宣言草稿」ーもし僕らが生き続けるならー(2011/11/11~2014/04/21)冊数No.2582~No.3216前後
「来たるべき地球人スピリット」ー読書ブログから見たポスト3・11ー(2014/04/08~2014/05/20)冊数No.3201~No.3243前後
2)よく見ると二つのコラムは時期がわずかな期間だがかぶっている。二年半続いてきた「草稿」は「来るべき」に本質的なモノを見、バトンタッチしてしまったのである。それからの「来るべき」は実に一か月半で、活動を中止してしまっている。ここにどんなギャップがあったのだろうか。
3)今後、この点をもう少し精査してみるが、とにかく、「草稿」は「来るべき」に受け継がれ、さらには「エッセンス版」に到達したと考えることができる。だから今後「来るべき」はこのエッセンス版に統合することする。つまりは、このエッセンス版は2011/11から続いてきた、と考えてもおかしくはない。
4)冊数としてはNo.2582~No.3243前後あたり。やはりインプットだけでは読書ブログもいっぱいいっぱいになり、適当な時期にアウトプットしていかなくてはならないようだ。
5)当ブログが今後No.5000に到達することがあるのかどうか、今のところは定かではないが、とにかく、その数字に向かって、統合=インテグラルする方法で考えていく。その究極にあるのは「ダイジェスト版」の終息であり、この「エッセンス版」の最終版である。
6)ここで上記ふたつのコラムシリーズをざっと速読してみた。ああ、これでいいんじゃないか。なかなか面白い。これ以上うまくなんかそうそう書けない。少なくとも私は読んでいてたのしい。
7)されど、すでに「宣言」は「来るべき」に統合されているし、こで「来るべき」はこの「エッセンス版」に統合させる。統合させる以外に、推進力を失っている。
8)そして通読して思うことは、キーワードとして、シンギュラリティとマインドフルネスを活用しようということである。創造的科学の進化については積極的に対応していくべきだ。それはなにもカーツワイルにこだわる必要はない。技術の進化全部を含め、2017年の今、それらを表現するとすれば、シンギュラリティは適当な言葉である。
9)さらにはマインドフルネスも、まぁ、問題ありの言葉ではあっても、月を指すのが言葉であったとするならば、あまりに指にこだわるのはよくないだろう。月こそ見上げるべきなのだ。ここでもカバットジンにこだわることはないだろう。マインドフルネスという言葉で、多くの人々と共有できる世界が広がればそれでいいのだ。
10)科学をシンギュラリティで表現し、芸術をマインドフルネスで表現した場合、残る意識のスピリットの分野がどうも手薄である。悟りとか大悟とかエンライテンメントに関わる最新の造語は何かないのか。そうは思うのだが、ない。
11)そこでいいことを思いついた。暫定的ではあるが、シンギュラリティをカーツワイルから離れて活用していくように、マインドフルネスをカバットジンから離れて活用していくように、OSHOという単語を、チャンドラ・ラジニーシ・モハンというインド人から離して活用していく方法である。
12)必ずしも、あの肉体、あの個性、あの個人にこだわる必要はない。何事かを表現する時に、例えば、ブッダというものゴータマ・シッダルタという個人から離れて、目覚めること、という意味で、広く使われている。それと同じようにOSHOという言葉を、意識の統合、全体へ解け去る、という意味で使っていこうと思う。
13)だから、このエッセンス版の新しい切り口は「シンギュラリティ・マインドフルネス・OSHO」となる。
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<7>人間性 目次
1)前回の絞り込みを見て、まずは気になるのは地球人とはなんだろう、ということである。いちばんピンとくるのは、宮沢賢治のデクノボーであろう。そして、はやりOSHOのゾルバ・ザ・ブッダという人間性を思い出す。
2)追加するなら、身近なところでの畏友ニュートン(石川裕人)の野糞エピソードも懐かしい。
3)マインドフルネスとメディテーションなら、もうどちらでもいいだろう。指は月を指し示しているだけなら、言葉にこだわるのは良くない。禅でもZENでもディアナでもいい。でも長い間使ってきた言葉としては瞑想(メディテーション)が使いやすいのはもちろんだ。
4)創造的科学の進化には賛成だし、シンギュラリティやらAIやらロボットやらも悪くない。ただ、文字入力にはキーボードが適正サイズであるように、ポインティングがマウスが一番適しているように、おそらく人間サイズというものがでてくる。おそらくスマホは便利だが、適正サイズはパソコンのほうにあるのではないか。
5)そして、スピリットとは、なんだ? 端的に言ったら、ゴータマ・ブッタが行きついたところのもの。広大無辺にして、汲めども尽きぬもの。永遠。不可知の世界。
6)ゾルバとブッタを繋ぐもの瞑想。あるいは、瞑想によって一体化したゾルバとブッダの世界。ゾルバ・ザ・ブッダ。でも、これって安直すぎではないかい? 借りてきたものをただただコピペしているだけだ。それではいけない。私は私の言葉で語ろう。
7)当ブログ4000冊目は、この「エッセンス版」とする。このシリーズはまだまとまっていない。これまで、いくつかのまとめをしようとしたが、まとまらなかった。理由はいくつかある。まとめる力がない。まとめるほどの内容がない。そもそもまとめるものではない。まとめる時期ではない。誰かが(何かが)邪魔している。いやいや、そうではあるまい。
8)そういった意味においては、まとめる力はあるはずだ。まとめるほどの内容もあるはずだ。まとめておいて間違いない。もう時期だろう、時期を過ぎてさえいるかもしれない。もし何かが邪魔しているとすれば、私の無知と怠惰さだけである。
9)無知は仕方ないとして、怠惰だけは駆逐できるだろう。とにかく、前向きにこのエッセンス版と取り組んでいく。前後の整合性はあとから編集することにする。
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「シニア世代に教える最高のピアノレッスン法」
元吉 ひろみ (著) 2013/11 ヤマハミュージックメディア 単行本: 144ページ
No.No.3994★★★☆☆
1)この方はシニアを60歳以上と規定して、初心者であること、自宅にピアノがあることを前提として、シニア世代に対するピアノレッスン教室を開いている方である。
2)ピアノ教室というだけではなく、義母のケガをきっかけとして、シニア世代へのピアノレッスンを思いつき、大学院に入りなおして修士号を獲得し、さらに研究を重ねて博士号をも獲得された方である。少なくとも国内においてはこのジャンルの第一人者と目されている方のようだ。
3)60歳を超えていること、初心者であること、自宅にピアノがあること、という三条件に私はぴったりなので、この方のピアノレッスン教室のまさにその生徒に該当するようだ。されど、この本から私はピアノをスタートすることはできない。この本は指導者のための本である。あるいは、他のなにか別な教則本が必要となる。
4)その面から考えれば、清水クミコの「知識ゼロからの大人のピアノ超入門」(2015/10 幻冬舎)に及ばない。
5)私は今のところ、どこかのピアノレッスン教室に通う予定はない。自宅におけるピアノ独習に徹するものである。だからグループレッスンとか、発表会とかの予定は一切ない。ただ、なにかの集まり、誕生会の会食の時などに、さらっとピアノを弾けるような、そんなジイサンでありたい。
6)私のピアノレッスンは「廃物アート」の一環である。我が家のピアノは廃物と化している。姉は同じように自宅内にあるピアノを業者に引き取ってもらったら、引き取り料と中古価値と比較して、ただで「持っていってもらった」という。たしかに断捨離で、部屋は広くなっていい。だけど、それでいいのか。
7)我が家のピアノは廃物と化している。しかし、今のところ誰も引き取り手はない。弾き手もいない。そこのところが私を悲しく思わせる。この廃物を私は再生したいのである。
8)30年も一緒に暮らしながら、簡単に捨てることができない。それが私の貧乏根性である。断捨離などという言葉で捨てることなどできない。私はピアノを生かそうとしながら、私のなかの古びた完成を、あらたに再生しはじめているようだ。
9)もし同好の士がいたら、何事かをわかちあえる日もくるかもしれない。
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「わが家の宗旨 曹洞宗 日常勤行」
田中 忠弘/企画 坂上 也寸志/演出
1994/10 ビクターエンタテインメント株式会社 VHS 30分
No.No.3993★★★★☆
1)ふーん、こんな動画も図書館に所蔵されているのか、と興味半分で借りてきた一本。曹洞宗の一般的なお経を読経しているお坊さんたちの風景で、特段に有名な寺院での風景とは言えない。よくある感じのお寺の風景である。
2)めずらしい解説もなく、特段に悟りきった風でもない。ごくあたり前のあたり前の資料集のようである。このシンプルさがいい。
3)さて、不思議なものだが、このVHSを見た翌日に、ある人物(お客さん)のマンションを訪ねることとなった。所用はあっと言う間に終わり、あとは雑談。雑談とはいうものの、そちらのほうがかなり価値がある。
4)この方、道元の系譜に関わる大学を卒業しており、僧籍を持っていたわけではないが、各地の坐禅会などに参加している。この4月に定年退職をしたばかりである。
5)会社員時代から存じ上げているわけではあるが、この方、勤務中は、知ってか知らずにか、ちょっとキャラを自分の周りに作りげていたようである。あるいは、この方の本当の顔を知っている周囲の同僚たちはいなかったのではないか。
6)私は、この方と長時間一緒にいたことはなかったし、私もまた自分なりのキャラで生きているので、仕事上、そんなに自分の内面を深くは開示しない。だから、それなりにすれ違いの人間関係ではあった。
7)されど、言葉の端々、雑談の断片から、私たちの行動範囲はかなり重なっていることが感じられていた。おそらくそうだろう、と思ってはいたが、あまり距離は詰めなかった。ほどよい距離間がいいのである。だが、それも彼の退職によって、その距離感は一挙に破られた。
8)彼は離婚を経験しており、幼い長男を事故で失っている。退職後の日常は作務衣で暮らしている。そのうち本山に登って受戒しようと思っているらしい。親戚などの法事などでは、僧侶に代わってお経をあげることなどもあるらしい。
9)各地の坐禅会。そして時間ができてから、毎朝、寺に通って朝坐禅に励んでいるらしい。ある意味うらやましい生活である。
10)あまり細かいことをやめておこう。いずれにしても、このVHSを見た翌日に、その内容にぴったりの人と出会って、あれこれ会話できたのは、不思議な奇縁だな、とそう思ったことだけをメモしておく。
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「ゲーテとの対話」まんがで読破
エッカーマン (著) 2010/08 イースト・プレス 文庫: 188ページ
No.No.3992★★★☆☆
1) 「死ぬ前に後悔しない読書術」(2016/03 ベストセラーズ)で著者の適菜収があまりにこの本の書名を連呼するので、まずは子供向け漫画で、アテをつけてみることに。
2)この漫画で見る限り、ゲーテとは結構功利的で、打算的、利に敏い人物ではないか、と思えてくる。
3)老子に荘子がいたように、釈迦に阿難がいたように、グルジェフにウースペンスキーがいたように、あるいはソクラテスにプラトンがいたように、その弟子筋がいたからこそ、著名な存在として人類史に足跡を残した人物は多い。ゲーテもまたエッカーマンという弟子筋がいたからこそその思想を残せた、というのだろうか。
4)王仁三郎もまた谷口雅春のような書記を抱えていたからこそ霊界物語を残せたのだろうし、大きく言えばキリストもまたその弟子筋たちが伝聞として伝えたものが残ったのだ。
5)考えてみれば、「預言者」のカリール・ジブランもそのような伝聞形式を用いて自らの表現をしたし、そのお手本となるニーチェの「ツラトウストラ」もまたそのような形式を持っている。もっというならヘルマン・ヘッセの「ガラス玉演戯」もまたそのようなものだ。
6)このような、ベースとなる形式は、ひとつうまいことを考えると、もうそれ自体が、なにかを語り出すかのようだ。
7)この漫画を読む限り、まだまだゲーテの本質には迫っていないように思う。それは、文庫なり全集なりで、エッカーマンその人の文章そのものに触っていかなければならないだろうし、また、ゲーテその人の作品そのものまでさかのぼらなければならないだろう。
8)とにかく、あの適菜収という人は、この本との運命的な出会いをしたのだろう。そのことを明記しておけば、当ブログとしては今のところ足りる。
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「知識ゼロからの大人のピアノ超入門」
清水ミチコ (著), 森真奈美 (著) 2015/10 幻冬舎単行本 143ページ
★★★★★
<7>仕上げ?
1)自分ではそれなりに上達していると思う。なんとか最後まで弾くことはできる。だが、何度やっても、結局はどこかでミスキーがある。リズムや全体性は、言うに及ばない。早く仕上げて、次のステップに行きたいのだが、そうはなかなか行かない。
2)動画の撮影の仕方もなかなかうまくいかない。ちゃっと画像に入っていなかったり、最も大事な録音もこれでいいんだろうか。さらには、雑音や、自分で動くときに出す音に無造作すぎる。公開するようなものではないではないか。(でも、これも記録としてメモしておこう)
3)あるSNSで知り合ったLさんが還暦だとか。そうか、そういう年代なんだな。今度はLさんに向けて、演奏してみようかな。
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「大法輪」マインドフルネスと坐禅・瞑想 <4>
2017/ 04 大法輪閣 雑誌 1934創刊 一般の人へ仏教をやさしく紹介 月刊版
★★★★★
1)大法輪。1934(昭和9年)創刊のこの雑誌、同居していた父方祖父が定期購読していたので、身近な雑誌だった。だが、もちろん自分の愛読書になることはなかったし、気にしたこともなかった。
2)だが、いつだったか高校生の頃、縁側のひだまりの中で、一冊だけ開いてみた記憶がある。その時、脳裏に残ったのは「仏教論争、どっちが負けても釈迦の恥」という言葉。誰かが、投稿なり、出稿の中でこの言葉を書いていたのだろう。
3)幅広い派生を誇る仏教ゆえ、さまざまな支流がある。それらのどの流れに属している存在であっても、自らの正当性を主張するのには妥当性がある。さらには、他派との軋轢の中、様々な論争が生まれてきたのは仕方のないことだったであろう。
4)されど、どの流れにあっても、ブッダを源流としているかぎり、その論争のどちらに勝敗がついたとしても、結局的には、勝ったのもブッタの支流だとしても、負けたのもブッタの支流なのだから、負けちゃったら、結局ブッタの恥だよね、ということだ。
5)もっというなら、仏教においては論争なんて必要ない、ということだ。ブッダは論争を好まない。ブッダと論争はなじまない。そういう思いはずっと続いてきた。
6)この雑誌で、マインドフルネスを特集したことは注目に値する。おそらく日本の仏教界が示すであろうマインドフルネスに対する姿勢を余すことなく表現しきっている。無視することはおかしい。されど、迎合することもさらにおかしい。
7)各人各様の反応の集録したこの特集は、すでに売れきれており、発行されたばかりなのに、中古本市場でも高値を読んでいる。そうあってしかるべきだろう。要再読。
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<6>三つずつに絞る 目次
1)そしてさらにはそれぞれのジャンルから、三つずつ抽出してみた。
科学
「ブログ・ジャーナリズム」
「シンギュラリティ」
「One Earth One humanity」
芸術
「地球人として生きる」
「Meditation in the Marketplace」
「Mindfulness in the Modernworld」
意識
「地球人スピリット」
「地球人スピリット宣言草稿」
「来るべき地球人スピリット」
2)ここに残されて表されてきたのは、同義反復のような、現実であった。私はなんであれ、当ブログを通じて、この周辺を、この10数年、うろうろと動き回っていたのである。エッセンス版というなら、もうここに絞っていくしかないのである。私はこれを言いたかったのだし、これを言うしか、このブログには他になんの目的もないのだ。
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<5>意識、あるいは4000冊目 目次
1)あと10冊メモすれば、当ブログとしては4000冊目の記録となる。本以外に、映画や音楽、芝居などをメモしてきた限り、正確な4000冊目ではないが、おおよそその周辺にあることは間違いない。
2)その記録に向かって、果てその4000冊目とやらは何が来るだろうと、自分でも興味深々だったのだが、当ブログとしては何を持ってきても4000冊目にはふさわしくないだろう。たった一冊に当ブログを象徴させることはできない。OSHOの本であっても、どんなにまれな本であっても。
3)むしろここは観念して、敢えて「地球人スピリット・ジャーナル」ダイジェスト版を提示するのが、もっとも正しい誠実さだ、と思えるようになってきた。
4)そこで敢えて、66ほどに重なったカテゴリ名だけでも整理してみようと思った。当ブログにおけるカテゴリ名は、必ずしも純粋な分類にはなっていない。その時期に最も関心のあったテーマをカテゴリ名としてその期間を切り取ってきたのだ。それらを敢えて、科学、芸術、意識の三分類してみようとした。あるいは既知、未知、不可知、の意味も重ねている。サイエンス、アート、コンシャスネスと、英語で洒落たとしても同じことである。
5)ざっくり分類してみると、意外や意外、圧倒的に科学に分類されるものが少なかった。そして純粋に意識へと純化されたカテゴリ名も決して多くなかった。敢えていうなら、芸術と目された範囲に半分以上のカテゴリ名が分類されたのである。
6)それはある意味妥当なことであった。上と下と、中と外と、ちょうど中間にいようとすると、真ん中、中間にいることで全体であろうとしているわけだから、当然と言えば当然だ。そうならざるを得ない。
7)しかしながら、ここは敢えて、分量的に三分してみることにした。
科学
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「土偶のリアル」 発見・発掘から蒐集・国宝誕生まで
譽田亜紀子 (著), 武藤康弘 (監修), スソアキコ (イラスト) 2017/03 山川出版社 単行本: 200ページ
No.No.3991★★★★★
1)どことなく、先日目を通した一冊が思い出された。

「月と蛇と縄文人」シンボリズムとレトリックで読み解く神話的世界観<2>
大島 直行 (著) 2014/01 寿郎社 単行本: 280ページ
2)ついでのOSHOの動画をひとつ思い出した。
OSHO:Making Love --A Sacred Experience
(日本語の字幕付きです。字幕が表示されない時には、画面の右下の「字幕」表示のためのアイコンをクリックして日本語表示を選択してください。それでも表示されない時は「設定」でJapaneseないし「日本語」を選択してください。)
3)当ブログ「廃物アート」の中の縄文<木>偶で、縄文土偶と言えば、遮光器土偶で決まりだと思っていたのだが、どうやらそうでもなさそうだ。
このマップを見る限り、遮光器土偶はごく一部なのだ。
4)そしてまた、縄文文化を遮光器土偶で決まりとした千葉ホツマへのあらたなる疑問も湧いてくる。で、あったとしてもやはり遮光器土偶は、縄文晩期に登場するのだから、弥生時代の日本の黎明期にバトンタッチする存在としては、実に象徴的である。
「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩<2>
千葉 富三 2009/7/1 文芸社 ハードカバー 1227ページ
5)この本の実に興味深いところは、いままで土偶と器を関連付けて考えてこなかったが、年代順に、器と土偶を並べて画像を張り付いているところ。なるほど~~。晩期になればなるほど、器というよりUFOに見えてきたりする(笑)
6)女性らしいキラメキが随所に感じられる一冊である。
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「芸術と科学のあいだ」
福岡伸一 2015/11 木楽舎 単行本(ソフトカバー): 320ページ
No.No.3990★★★★★
1)この本、確かに面白い。芸術と科学とはいうものの、ほとんどが各章の短いエッセイが中心。しかも面倒な科学噺ではない。むしろアートに関するものが多いのだが、そのアートは各章の扉に小さく切り取られたカラー画像が一枚だけ。
2)小さいくせに一枚一枚がかなりなインパクトである。メガトン級。フェルメールに関する章は再読したいかな。
3)タイトル「芸術と科学のあいだ」に、なにかイチャモンつけたい。なぜに芸術が先にくるのか。どうして後から科学が来るのか。
4)科学、芸術、意識。この三本柱を旨とする当ブログとしては、芸術と科学だけ取り出されては、なんとも片手落ちな感じ。なにかで埋めたい。
5)ここまでコンパクトにスマッシュを決められてしまうと、あとは、ひとつひとつ禅語でもくっつけて、「意識」とするしかないかもしれない。
6)でも「科学と芸術と意識のあいだ」では、ちょっと間延びする。
7)「ひとつとしての、科学、芸術、意識」。う~ん、これでもバラバラだ。
8)そして、最初から、キチンとこの三つを並べて一つの作品を構成したら、おそらくちゃんとしたタイトルが生まれるだろう。サブタイトルとして「科学、芸術、意識」だ。
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「いのちの環」 「白鳩」 「日時計」<10>
生長の家 2017/05 日本教文社 小冊子 p66
No.No.3987~3989★★★☆☆
1)もうほんとにやめようと思うのだが、ウォーキングの途中にあるので、ついついいただいてしまう。自由にお取りください、となっているのだから、いただいて、そしてキチンと読めば、失礼にはならないかな。
2)いただいたとしても、今回からはメモしないでおこうと決めていたのだが、どうも気になって、またメモすることになってしまった。
3)この記事の中の水素自動車ミライに対する感性は、当ブログとはかなり近い。研究すればするほど、著者のおっしゃっていることが正論のように思う。
私としては「ミライ」よりも「リーフ」が好きである。こういう言い方が個人的過ぎるならば、燃料電池車よりも電気自動車が好きだと言おう。理由は、前者よりも後者の方が自然エネルギーと親和性があり、エネルギーの分散利用にもつながると考えるからだ。 p69
4)ミライについては、当ブログもいろいろ感じてきた。

「未来のクルマができるまで」 世界初、水素で走る燃料電池自動車 MIRAI岩貞 るみこ (著) 2016/06 講談社 単行本: 176ページ
その開発話には感動した。

「なぜ、トヨタは700万円で『ミライ』を売ることができたか?」-技術革新のメガトレンドが市場構造を変える
井熊 均 (著), 木通 秀樹 (著) 2015/09 日刊工業新聞社 単行本: 176ページ
提灯記事ばかりではなく、真向からの否定もある。

「『走る原発』エコカー」危ない水素社会
上岡 直見 (著) 2015/07 コモンズ 単行本 134ページ
ドイツ車に追いつけとばかり、日本車にエールを送ってきた徳大寺有恒は、ミライを見て、日本車はようやくここに到達した、とミライを見届けてこの世を去っていった。本当か? 単に、その役を押しつけただけではなかったか。

「2015年版間違いだらけのクルマ選び」
徳大寺 有恒(著), 島下 泰久(著) 2014/12 草思社 単行本: 256ページ
5)この雑誌の記事においては、新幹線の開発話にも「ケチ」をつけている。まぁ、おそらくコピーライターの勇み足の部分もあるのだろうが、確かに「カイハツ」をやめられない科学的勇足も、戒められてしかるべきだろう。リニアモータカーなんて、本当に妥当性があるのか。必要性があるのか。経済界とマッドサイエンスの末路ではないのか。
6)エコロジカルな視点は確かなようだが、はてさて、この人、宗教界のリーダー足り得るのか。他人事ながら、心配になってくる。
7)科学に対する「意識」の在り方。注目には値する。
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「大法輪」マインドフルネスと坐禅・瞑想 <3>
2017/ 04 大法輪閣 雑誌 1934創刊 一般の人へ仏教をやさしく紹介 月刊版
★★★★★
1)私の中では、ゴータマ・ブッタが回した法輪が速度を失い、Oshoによって新たなる2500年の法輪が回り始めたのを「見た」ことは確かなことなのだが、それをあまり口に出して言ったことはない。でも、最近はもっと言おうかな、と思うようになった。だって、それは本当のことだから。少なくとも私にとってはね。
2)歓迎されて彼らとともに一ヶ月間その行に参加しているうちに、私の中では一つの理解が起こった。日本山の出家者たちはオレンジ色の衣を着るが、それは美しくもまぶしいが夕焼けの美しさであり死体を焼く炎のまぶしさだ。
OSHOのサニヤシン達もオレンジを着るが、それは朝日のまぶしさであり、誕生に伴う鮮血の鮮やかな美しさだった。仏教はその使命を終えつつあり、最後の法華経を奉じる彼らがインドに沈もうとしていた。その時水平線上からかすかに新しいOSHOの光が上り始めたのだ。
法華経や大集月蔵経にあるように、日の国・日本の仏法を月国・インドに返すために、1931年、藤井日達上人はインド・ボンベイに渡った。こうしてインドの誕生した仏法は中国・日本に渡り、二千五百年の後に日達上人によって再びインドに帰ったのである。この年、ボンベイの北部ウチワダでOSHOは最後の肉体を持って誕生した。
仏足山でうちわ太鼓を叩きながら「南無妙法蓮華経」を唱えていた満月の夜、私はひとつの不思議なビジョンを見た。地球、月、太陽が一直線に並び、その延長線上に私は立っている。それは私とOSHOと日達上人のことであり、時に私23才、OSHO46才、日達上人92才、この数字の中に合わせ鏡の様に共振するエネルギーが存在していた。彼らは私の父であり、祖父でもあった。「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992
3)さて、マインドフルネスという観点から日蓮宗を考えた場合どうなるのだろう。その疑問にすこしでも答えてくれているのが、この雑誌特集にある「南無妙法蓮華経とマインドフルネス」(日蓮宗釈迦寺住職・影山教俊)という文章だろう。雑誌6ページにわたるちょっとした囲みものだが、最後にこうある。
4)唱題による瞑想体験がマインドフルネスである。この体験を仏教文献から読み取ると、唱題による成仏(仏界)は、それはスピリチュアル(不可思議)なことがらだから意識化できない。だから「信じる」ことで無分別の意識状態を誘導せよ、と信ずることの安らぎ状態(これを「以信代慧」という)を強調する。
さらに唱題によるマインドフルネスは、慈愛の意識(菩薩界)までが、意識化の対象になるという。まさにこの慈愛の意識状態に気づくことによって、私たちは成仏(仏界への「気づき」)を志向し、成仏への信行が生まれるのである。
これが伝統的な仏教の営み、「行学二道」「行学一体」の世界である。p107「南無妙法蓮華経とマインドフルネス」「結語にかえて」
5)なにはともあれ、この部分とリンク張っておけば、この雑誌の役目は終わる。
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<1>からつづく
「寅さん語録」 寅さんが教えてくれる今を生きるための50のメッセージ<2>
轟 夕起夫 イソガイ マサト 2017/03 出版社: ぴあ 単行本: 151ページ
★★★★★
1)調剤薬局に風邪薬をもらいに行って、待ち時間5分の間、手にしていた本。あんまり気になったので、図書館から借りだした。この手のきっかけで当ブログに一時代を切り開いた本に、「悪役レスラーのやさしい素顔」(ミスター高橋 2015/03 双葉社)がある。
2)そもそも私は寅が嫌いだった。フーテン、という言葉使いが嫌いだった。ヒッピーとかフーテンとかいう言葉は自尊の言葉であったり、侮蔑の言葉だったりした。私はテレビでこの映画の前作となる「泣いてたまるか」シリーズの大ファンだったので、受けに入って映画化したこと自体、反発した。
3)
主題歌だって、ずっと覚えていて、オレの主題歌だったんだ。テレビ番組だったのは中学生の頃だが。
5)高校卒業して、オレ自体がフーテンみたいになってしまってからは、この言葉使いが大嫌いだった。当時のヤクザ映画も大嫌い。横尾忠則がなんぼ健サーン、と叫んだとて、私は見向きもしなかった。
6)ところが、それら10数年もして、なんとか定職にもついて、家族も増えた頃、たまに仕事時間にサボってサウナ風呂にいくようになった。そしてそのサウナ休憩室で、初めて寅の映画を見たのだ。私はハマった。あの時の夏のスノコのシーンがいまだに忘れられない。
7)あれからテレビで再放送やるときは、焼酎をひっかけながら、必ず見た。残念ながら、映画館でみるという習慣は一回も身につかなかった。やはり寅はテレビだろう。
8)それこそ今世紀になったころに、寅全作品48作を一挙に放送したことがあった。あの時私は全部自前のDVDに録画した。録画すること自体大変な作業で、その後、整理していなかった。
9)おととしの春の連休に、エコビレッジ構想が頓挫して、一週間まるまんま一人で自宅にごろ寝する事態になった。この時思い出して、寅全作品を再視聴して、整理した。いやぁ、よかった。酒量も増えた。
10)最近もまたテレビでやっている時がある。必ず見る。だけど、悲しい。だって、もう寅はいないからな。寅だって死ぬんだ。寅だって、老いるんだ。あの日本の古い風景がますます涙を誘う。もう、全作48作を一挙にみよう、なんて無謀なたくらみはもうしないだろう。
11)最後の10作くらいは、寅の老いが見えて、ちょっと悲しすぎたなぁ。それがまたいいのだが。一番好きな作品と言ったら、最初の10作くらいかな。ミヤコ蝶々がでてくる二作がいいかもしれない。あと宇野重吉がでてくる奴もいい。
12)渥美清は、山頭火のファンだったとか。寅ではなくて、山頭火をやりたかったんだ、彼は。でも、寅を演じきった。エライと思う。ありがとう。
13)この本にでているアフォリズムは全部好き。でもやっぱり御前様のあのお言葉がサイコーでしょう。
14)私はもう積極的に寅を見たいとは思わない。この本も借りてまではみない。でも、今度、あの調剤薬局に水虫の薬でももらいに行ったとき、やっぱり5分間くらい手にとるんだろうな。面白いから。
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「遅読家のための読書術」 情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣
印南 敦史 (著) 2016/02 ダイヤモンド社 単行本(ソフトカバー): 208ページ
No.3986★☆☆☆☆
1)この本、0点。星なら一つ。面白くないわけじゃない。ほとんどが同意だからだ。同じようなテーマで書いたら、私はまったく著者と同じよう本になるんじゃないかな。だから0点。私にとっては、まったく「ため」にならない。まったくその通りだ、と同意の連続。
2)若干、目読の速度が落ちたのは最後の著者が小さい時に事故にあって、数週間意識を失っていた時のことが書いてあったところ。そういえば、ほとんど私はメモしてこなかったが、実は私にもツールド東北のような自転車レースを見に行って、観客の自転車にぶつかって、意識を失い、自宅に担ぎ込まれたことがあったのだ。
3)それと2歳の頃に、コンクリートの床に落ちて、この時も意識を失ったらしいこと。これらのことは、あまりにも幼少の時のことなので、よく覚えてはいないのだが、まったく忘れてしまっているわけじゃない。8歳の時の、風呂場の鏡事件に、なにかつながっていくのかな、と思った。
4)とにかく、評価はしないが、この人のこの本は、まったく賛成。私が書いた本、とウソついても、バレないかも(笑)
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「死ぬ前に後悔しない読書術」
適菜 収 (著) 2016/03 ベストセラーズ 単行本: 224ページ
No.3985★★☆☆☆
1)「死ぬときに後悔すること25」(大津 秀一 2009/05 致知出版社)と通じるものがあるかな、と手に取った一冊。この手の本、読まないわけではないが、おそらく再読はしないし、精読などもサラサラしないだろうな。
2)著者は1975年生まれの作家、哲学者、だとか。今更こんな「若造」の話、と一笑に付してしまいそうだが、まぁすでに42歳の一端の大人なのだし、一笑に付すのは、あまりに「大人げ」ない。まずは耳を貸そうじゃないか。
3)この本を読んだ当ブログとしては、まずはおっしゃるようにエッカーマン「ゲーテとの対話」くらいは続きで手にとろうと思う。当ブログは、すでに4000冊弱の本をメモしてきた。だからどうした、と言われればそれだけのことだが、ジャスト4000冊目に何が来るだろうと、興味津々というところ。あと残り十冊あまりの本の傾向はこの「ゲーテとの対話」に向けて進んでいくことになるだろうか。
4)そもそも雑読・濫読・乱読癖がなければ、この手の本には手が伸びないわけで、私は乱読は避けて通れないと思う。もちろん精読している本もあることはあるが、著者がいうような精読ではなさそうだ。
5)しかし、読書くらい、人にどうのこうのと言われたくはないだろう。各人自由でいいんじゃないかい。ご本人自体が、自由に読んでいるわけだし。死ぬ前に後悔云々は、まぁ、出版社の編集者のアドバイスもあるだろうな。本としては売らなければならないしね。
6)本は捨てる派らしいが、蔵書は200冊ほどあるとか。私は本は図書館で借りる派だが、蔵書はいまだに数千冊ある。全部必要かと言われればホントは必要ないが、資料としては、いつ必要になるかわからないからなぁ。
7)この方の言いたいことは、おそらく価値ある古典を繰り返し精読せよ、ということと理解して、そう遠くあるまい。私はこの本を再読はしない。
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「大人を黙らせるインターネットの歩き方」<1>
小木曽 健 (著) 2017/05 筑摩書房 新書: 208ページ
No.3984★★☆☆☆
1)こちらもそれなりに練ったタイトルをつけてはいるが、どうも納得はしない。この本で想定されている大人より、私はさらに年配で保守的であると推測されかねないが、いやいやどうして、そうでもない。おそらく、私の周りの大人は、それほどわからずやでもないよ。
2)著者はグリーの社員らしいから、立場上、子供寄りの発言をする必要があるのだろうが、まずはネット・リテラシーを普及させようという態度はそれでいいと思う。ただし、ネットの本当の真価や危険性は、まだまだ未知数なので、断定的に子供たちの人気取りをして、口実ばかりを与えるのはどうかな。
3)個人的には、あの吹き出し型のメール機能だけは好きになれないので、使わない。本当に必要な打ち合わせ時間の変更とか、急用の確認などはSMSでもいいし、もちろん通話でも十分だ。
4)子供たちに口実を与えているというより、口答えされた大人たちが、この本を読んで反省する、という狙いがあるのかもしれないが、それもなんだか姑息だな。私は個人的には、そのような成長期にある子供たちの環境に直接の責任が発生しない年代になっているので、すこし肩の荷が軽いし、ああ、オレの問題じゃないや、と思いがち。
5)本当は、真剣にそのことについて考えて、いろいろ話し合って、お互いの考え方をすり合わせしておかなくてはならないことは多いよね。現役世代のみなさん、ご苦労さん。
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「スマホ世代のためのパソコン入門」
村松茂 (著) 2017/03 秀和システム 単行本: 143ページ
No.3983★★★☆☆
1)「デジタルネイティブ」(三村忠史他 2009/01 日本放送出版協会)などという本がでた時は驚いたものだが、あれからすでに8年。あの時生まれた子供は小学三年生。当時小学一年生だった子供たちはすでに高校生になっているのだ。
2)パソコンだって家庭に普及するのが数割だった時代があったが、今や、おそらく普及率約100%だ。スマホのほうがさらに多い。子供がネットに触れるのはパソコンよりスマホのほうが早くなっているのだ。
3)だがしかし、著者のいうようにスマホだけですべてが完了するわけではない。パソコンのようがはるかに便利で標準であることはまだまだある。そのような世代に向けてのパソコン入門書ではあるが、ほとんど同量の説明が書いてあり、スマホがいまいち使えないというシニア世代にとっても便利な一冊と言えるだろう。
4)この本においてはほとんどタブレットには触れられていないが、スマホ、タブレット、パソコンで三兄弟(三姉妹)となるのであり、今のところはこの流れは変えられない。ひょっとすると、タブレットは次第に影が薄くなってくるかな。
5)私は根っからのラップトップ支持者でがあるが、ワイヤレスマウスのいい奴に当たっていない。今のところワイヤ付マウスだ。ここんとこ、なんとかしなくちゃ。別にワイヤがあってもいいのだが。
6)それと、iTuneの設定がいまいちだ。スマホとパソコンの接続がいまいち面倒くさくて完了していない。レンズについては、もうこれがなければ、ブログが成立しないほどだ。もちろん仕事でも大活躍。記録用としてもスマホとパソコンの連携は不可欠。
7)内容としては凡庸な内容の一冊だが、スマホ世代のためのパソコン入門、という言葉使いが記念碑的で秀抜。
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「アラビアンナイト シンドバッドの冒険」
出演: 黒柳徹子, 木下秀雄, 滝口順平 発売日 2016/11 DVD 時間: 81 分 1962年作品
No.3982★★★★☆
1)借り出すまでは、てっきりディズニーものだと思っていたが、れっきとした日本ものだった。手塚治虫とか北杜夫、黒柳徹子などの名前が見える。なんと1962年作品である。
2)そういえば、この頃、親戚のいとこから、シンドバッドの冒険の絵本をもらったことがある。見終わったあとの古本だったが、思えば、この映画のブームで出版されたものだったかもしれない。
3)最近の映画は、CGや特撮で、あまりにも突飛過ぎて、私なんぞはちょっと嫌気がさす時があるのだが、私のスピードなら、むしろこの50年前以上のアニメのほうがぴったりくるようだ。
4)アラビアンナイト、つまりイスラム圏の話だし、もっともっとこの世界は知りたいけrど、yっぱりこの映画も初めてとして日本化されすぎたイスラム世界だろう。でも、なにも知らないよりいいか。
5)81分という長さもちょうどいいね。というか、この長さに慣らされてしまったのかな。最近の映画は長いのが多すぎる。緩慢といえば緩慢、オーソドックスなハッピーエンドも、笑えるが、まぁ、この時代の作品としては秀作だったんだろうな。このくらいで時代が止まってくれたほうがよかったのかもなぁ。w
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「知識ゼロからの大人のピアノ超入門」
清水ミチコ (著), 森真奈美 (著) 2015/10 幻冬舎単行本 143ページ
★★★★★
<6>Happy Birthday あと一週間
1)私がピアノの前に座ると奥さんは、すぐに戸締りに走る。できるだけ近所迷惑には加担したくない。その気持ちはわかるがなぁ? 台所仕事をしながら、評価は辛口だ。ゆっくり弾いたほうがきれいに聞こえるよ、というアドバイスは素直に聞いておこう。
2)親戚にあるピアノは、もっと新しく、もっと高級なピアノのはずなので、さっそく借りてみたが、実はそちらも長い間使っていないらしく、調律は滅茶滅茶。なるほど、むずかしいもんだな。この状態なら、わが家のピアノの状態でも、なんとかごまかしながら使っていくしかない。
3)自分ではなんとかイケてる気になっているのだが、どうも声が出ない。それにキーがまったく合っていないんじゃないかい? もうなんでもいいや、こうなったら、恥も外聞もない(笑)
4)あと一週間でなんとかなるだろう。そして、そのあとは新しい目標をみつけなくては・・・・。この本にある中では、ユーミンの「卒業写真」なんてところに目が行くのだが、楽譜を見るとクラクラする。アルペジオだとか。まぁ、楽しんでいこうじゃないか。もともと知識ゼロからの超入門じゃけん。
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<67>「現代世界におけるマインドフルネス3」カテゴリについて
1)当ブログにおける108記事づつのカテゴリ分けはほとんど意味をなさなくなっている。すくなくとも現在進行形の「現代世界におけるマインドフルネス」カテゴリは、3から4、そして5越えをするだろう。そして、そのままフェードアウトしても構わないと思っている。現在としては最後のテーマと考えても悪くない。
2)このカテゴリを通り過ぎる間に、個人的なライフスタイルに大きな変化があった。6人家族だったのが、2人家族に戻ったのだ。半分の家族が近くに分派した。もちろん、スープの冷めない距離なので、2+2+2というような内容のライフスタイルではあるが、それでも人口密度は下がった。
3)ということは、私が動画再生機器などを独占できる時間が増えたことを意味する。図書館からランダムに動画を借りてきて視聴することが多くなった。今はあまりにランダム過ぎて、ちょっと無テーマすぎる。そのうち、もっと精査して、積極的な攻撃的な視聴をする予定。
4)いわゆる当ブログにおける「廃物アート」もかなり進行中である。自由にできる時間が増えたことと関係している。材料もテーマもまだまだある。そのプロセスには納得している。されど、将来的には、そのスケールを原寸大化して、よりクオリティの高いものにしたい。
5)新刊本も割りと多く目を通した。例によって玉石混交だが、次につながる読書もできた。旧本の再読もそれなりに面白い。
6)書かれた期間は、2017/04/01~2017/05/21。今となっては、期間を区切ったり、記事数を区切ったりすることの意味は薄れてしまったが、「意味が薄れてしまった」ということを記録しておくこと自体、意味深い。
7)「再読したいこのカテゴリこの3冊」は次の通り。もうこの企画もすでに時期を逸しているかもしれない。本に限定すべきなのか、映像も含めていいのか。廃物アートのように次のアクションにつながる分野を重視すべきなのか。今回はとにかく、感動したことをベースとして、敢えて映画を選んでみた。映画は外国物より、日本映画が面白かった。これではカテゴリにつながらないのではないか、とも思ったが、「現代世界」という部分にはつながってくるのではないか、とちょっと辛い口実。
「パッチギ! 」 監督, 脚本 井筒和幸 2005年作品
「フラガール」李相日監督: 2006年作品
「禅 ZEN」 高橋伴明監督 2008年作品
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「Mindfulness in the Modern World」 How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <17>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials) 目次
★★★★★ 工事中
ポーランド人の法皇は今、また旅に出ている。昨日、私はカソリックの国での彼の写真を見た。彼は地球にキスをしていた。彼はニュースメディアに「この歓迎に何を思われますか?」と質問されていた。
彼は言った。「温かった。だが、度が過ぎるほどではなかった」
さぁ、この男は何かを期待していたに違いない。彼は温かさだけでは満足しない。彼は歓迎の式典に度が過ぎるほどのことを期待していたに違いない。そして彼が「温かい」という時、あなたはそれが生ぬるいのだということをはっきりさせておくべきである。彼はできる限りそれを誇張したのだ。
温かい歓迎式典が生ぬるいのであれば、もっとあなたは何が欲しいのか? ホットドック? それは生ぬるいだろう。温かい歓迎式典で十分だ。しかし私には何が問題なのかわかる、それは生ぬるくどころか、詰めたくさえあったのだろう。
今年この男はカソリック上院議会にあたる会議を呼びかけ、世界中のカソリック世界の司教や高位の聖職者 緊急課題について決議した。何を持って緊急課題というのかあなたは気づいているべきである。避妊は罪である。妊娠中絶は罪である。これ新しい罪である。これはこれまで取り上げられることはなかったが、神と直接つながることは罪であるとした。 OSHO p29~/254 (p26~/198)
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「アイアンマン2」
監督: ジョン・ファヴロー 出演: ロバート・ダウニー・Jr., グウィネス・パルトロウ, ドン・チードル, スカーレット・ヨハンソン, ミッキー・ローク 発売日 2013/12 販売元: ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray] 時間: 125 分
No.3981★★★★☆
1)アイアンマンって早い話が鉄・人のことだよね。鉄人28号、って発想は外れているどころか、まったく当たっていたってことにもなりうる。金田正太郎少年が操縦席に乗っていようが、もっと成長してマッチョになって、スーツを着ようが、発想としては、そう変わりはない。
2)映像技術やCGが進化して、さまざまなシーンが細かくなったとしても、元の発想は、前々成長しておりませんな。
3)かつての少年漫画は、勧善懲悪で、勝ち負けがはっきりしていた分、よけいなことを考えないで済んだかも。
4)個人的にはこのような少年漫画のなれの果てにいつまでも付き合っている気はないが、このようなものが延々と引き継がれているのだなぁ、ということの確認にはなった。
5)思ったのだが、かたや、シンギュラリティとしてのクラウドなAIがあったとして、かたやマインドフルネスの生身の人間のスピリチュアリティがある。その中間において、これらのウェアブルなロボットが存在してくることはありうるのだろう。
6)されど、いつまでもボクシングだか柔道だかしらないが(剣道の場合もある)、いつまでも戦うことだけ競いあうのもどうなんだかなぁ。
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<1>よりつづく
「道元禅入門」セミナー正法眼蔵随聞記<2>
飯田 利行 (著) 1966/08 講談社 ミリオン・ブックス 新書 240ページ
★★★★★
1)著者は、博士号を持つ研究者でありながら、実際に大学や高校で教鞭をとる実践的な教育者でもある。中盤は、実際に教育にあたっている高校生を対象としたような対話形式で、道元禅を学んでいく。
2)「現代に生きている正法眼蔵隋聞記」p13とか「若き現代人にもっとも感銘をあたえた正法眼蔵隋聞記解説十章」p77とか、「道元禅は現代人にどんな生き方を語るか」p147などのタイトルは、現在当ブログが進行している「現代世界におけるマインドフルネス」カテゴリのタイトルと、まったく同じ問いかけとなる。
3)すでに50年も前の一冊であり、半世紀も経てば「現代」の意味の捉え方がまったく違ったものになる。例えば、4当5落の受験戦争を乗り切って「良い」大学に入りさえすれば、あとは「良い」会社に入ることができて人生安泰じゃ、というような俗説さえ流れていた50年前の日本とは、2017年の「現代」日本は、まったく違っている。
4)会社自体が存続の足元を崩しつつ、生涯雇用など夢となり、過剰労働、過労自殺などのニュースが日々流されている。グローバル経済の中で、ネット社会はどんどん拡大し、「日本」社会などという小さな枠組みは、ほとんど意味をなさなくなっている。
5)もっとも、7~800年前の道元禅師が生きていた時代に比較すれば、50年前だって、明らかに別社会となっているのだが、それでもなお、この21世紀においても、脈々とその生命を維持している道元禅は、ある意味見事である。
6)ゴータマ・ブッダが生きた時代の「現代」、達磨が生きていた時代の「現代」、道元が生きていた時代の「現代」、50年前のビートルズが来日した時代の「現代」、そして、もはやインターネットの次が模索されている時代の2017年の「現代」。おそらく言葉は一つだが、持っている意味はまったく違っている。
7)出家、ディアナ、禅、マインドフルネスと、表現は変化しても、意味するところは同じである。この対比の中で、見つめられているのは、変化をし続ける世界の中で、生きていく「変わらぬ」自分とは誰か、である。
8)衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水をはなれて氷なく 衆生の外に仏なし 衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり… 白隠禅師「坐禅和讃」
つづく
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「アイアンマン」
監督: ジョン・ファヴロー 出演: ジェフ・ブリッジス, グウィネス・パルトロウ, ロバート・ダウニーJr., テレンス・ハワード 発売日 2015/08/28 販売元: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント DVD/Blu-rayの仕様 ディスク枚数: 1 時間: 125 分
No.3980★★★★☆
1)ケヴィン・ケリーが著書でこの映画に触れていなければ、このような映画あることすら知らないでいるだろうし、ましてや見ようなどとは思わないだろう。
2)例によって、焼酎をひっかけながらのながら見ないで、結局は、完読(完観?)しないで寝てしまった。最後までチラ見していた奥さんの感想は、まるで仮面ライダーね、だった。私なら、鉄人28号、っていったかもしれない。鉄腕アトムよりも、鉄人28号だね。
3)この映画、続編があって、2がある。っていうか、今その2を見ながら、このブログを書いている。
4)正直言って、これらのロボットを作ってみたいな、と思っているんだよな。だけどわが廃物アートでは作れない。廃物アートではいかにもカッコ悪いから、最近はリサイクルアートと言いなおそうかな、と思っている。でも、結果的には廃物アートと言ったほうがカッコいいかも。
5)シーンのひとつひとつは興味深いところもいろいろある。だけど、アメリカのハリウッドファンのような目でこの映画を見ることはできない。いずれそうならないとは言えない。まずはこのような映画あるのだ、というパーツを集めておいて、少しづつ組立て直してみよう。
6)結局は、ケヴィン・ケリーの「積極性」にほだされてのことなのだが。
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「マイノリティ・リポート」
監督: スティーブン・スピルバーグ 出演: トム・クルーズ, コリン・ファレル, サマンサ・モートン, マックス・フォン・シドー, スティーヴン・スピルバーグ 発売日 2003/05/23 販売元: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 特別編 [DVD] 時間: 146 分
No.3979★★★★☆
1)ケヴィン・ケリーの本のどこかにこの映画のタイトルが書いてあった。どういう脈絡なのか。
2)Agathaという名前がひとつのキーワードになっている。気になる。
3)ブルーと黒の基調が一貫している。ちょっと変わった映画ですね。
4)音声を日本語、字幕を英語で見る。
5)スケルトンの機器が多い。現在、メタル系の造形をしているが、いずれスケルトン系の造形をしてみたい。
6)「4億円があったら、あの木を買う?」と妻が問う。買わないだろうな。買ってもしかたない。なぜ4億円なの? 宝くじが4億円だからだとか。でも、4億円なんかじゃ、オレの夢はかなわない。いや、本当のことを言えば、オレの夢を達成するには、一円もいらないんだ。
7)4億円あったら、5000万であの木を買って、あとの残りでクルーズ船で世界一周でもするかな。あら、そんなの私はやりたくない。
8)可処分所得が今の二倍あって、日常的にやらなければならない義務が二分の一だったら、私は何をするだろう。まぁ、それで十分だな。いや、だから、今で十分なんだ。
9)可処分所得が今の4倍あって、やらなくてはならない日常的な義務が四分の一だったら。ああ、そんなことは考える必要ない。そんな設定は必要ないのだ。
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「知識ゼロからの大人のピアノ超入門」
清水ミチコ (著), 森真奈美 (著) 2015/10 幻冬舎単行本 143ページ
★★★★★
<5>Happy Birthday 弾き語り
1)連休の子供の日に思い立って、二週間。平均すればやはり1日30分ほどの練習量にはなろうか。今月末の孫の誕生日に間に合わせようと、一生懸命練習中。
2)メロディはなんとか弾けそうになってきたので、あとは練習して落ちついて弾けば、なんとかなるかな。
3)さて、ようやく弾き語りとやらを始めようとしているところだが、早い話が、CとGとFの三つのコードを弾くだけではないか。ギターなら、おそらく簡単に押さえられるのだが、ピアノだと、そうはいかない。
4)この辺は基本中の基本だからなぁ。あせらずに行こう。
5)ここまで来るといろいろなことが気になってくる。たとえば、すぐに腕が痛くなるのは姿勢が悪いからだろう。ここにきて初めて椅子の高さの調節を始めた。
6)それと、調律の必要性。これはもう、どうしようもないな。いずれなんとかしなくっちゃ。
7)こんな動画アップするのもどうかと思うが、まぁ、あとで見てこの程度でしたなぁ、と確認するための記録。これ以上上達しなかったら、どうしよう( ;∀;)
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「Mindfulness in the Modern World」 How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <C006>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials) 本文目次
★★★★★ 工事中
1)マインドフルネスを冠する本が店頭に多く並んでいることをブログに書いて、他のSNSでそのリンクをシェアしたところ、Lさんより、次のようなレスをいただいた。
>この手の本が毎年、何十冊も出版される。しかも、以前いたNHKが出版。
>呆れる。
>瞑想は、何の効果があるのか知らない。知っているのは、何の効果も得られず、宗教の
>お題目も同じ。
2)ふむ、なるほどな。それに対する咄嗟の私の返信は、次のようなものだった。
>効果もなければ、功徳もない、と、道元は言ったとか。ただ座れと。
>座ること自体が目的であり、ゴールである。
>まさに禅問答ですね。
3)ネットのオープンスペースにおけるダイアローグは私の得手とするところではない。いつもなにかのきっかけでそのようなチャンスはあるのだが、いつもいつも私は手短に片づけてしまう。ひとつは質問者の真意が正確にわからないことが多くあり、また私が言わんとすることが、はて、その方への返信として必要なのかどうかわからないことが多いからだ。
4)だがしかし、今回はどうも、落ち着きがわるい。決して反論でもなければ対話でもない。ただ、このようなカウンターに対して、私はなんと答えるのだろう、と関心が湧いてきた。この方のおっしゃっていることも妥当性がある。それはそれで、私にとっては何の問題もない。されど、それは私の意見や率直な人生感ではない。なぜ、そうなのか、自分で興味を持った。
5)ふと考えてみる。もっとも一番最初に、どんなことがあったのだろう。三月末生まれの私、8歳になって三日目、4月1日のエイプリルフールの日に、父親が亡くなった。それまで隔離病棟で6年間も闘病していた末に亡くなったので、私はほとんど父親と触れ合った記憶がない。それでも常に10人を超えるような大家族の中で暮らしていたので、寂しいとか、悲しいとか体験はまったくしたことはなかった。
6)しかし、小学三年生の私にとって、人生の最初の疑問、「死」とは何か、という問いかけが生まれた。愛してくれた父が亡くなった寂しさとか、そのゆえに生活が困窮したとか、そいうことではない。単純に、それまでもずっといなかったわけだし、これからも側にはいないのだが、ただ、その「お父さん」と言われる存在が「死んだ」という。それはどういう意味なのだろうか。
7)私の生家のお寺は曹洞宗を離脱した単立寺院だったが、経典や式典などは曹洞宗のものを流用していることが多かった。その中の経典、「修証義」の中の一説が、やたらと心に響き、頭にこびり付いた。
生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし。
8)それと前後して、ある時、別棟としてあった風呂場で手鏡で自分の顔を見ていて、あれ、これは誰だろう。この顔は私だ。この顔を持った私もいずれは死ぬのだ、そう考えつつ、手鏡を持ったまま外に出た。私の顔が映ったまま、その背景は雲が流れる青空が映っていた。
9)その時、かすかに私の意識はかなり遠くまで飛んでいったように思う。表現的には地球を離れてはるかな宇宙まで飛んでいってしまったようだった。時間にしたら、ほんの瞬間だろう。距離にしても、風呂場の入り口からほんの10メートルも離れてはいなかった。されど、人生の一番最初の大きな体験と言えば、今でもあの風景を思い出す。
10)修証義の経文も、別段暗記したわけでもなく、普段は8歳なり9歳なりの普通の子供であったと思うが、何かの折にまたこの経文をみんなで読む法事などがあると、あ、また出てきた、と、気になることは、確かに気になるのだった。
11)私自身が瞑想という言葉を知ったのはいつだったのか、はっきりとは覚えていないが、10代のうちに知っていたことは間違いない。高校一年の時に、友人が路上で求めたミニコミの中に「瞑想」という言葉があり、これもまた、かなり強い印象を与えてくれた。
12)高校を卒業して、政治活動などを一緒にしていた仲間たちと共同生活をするようになった時、近くには、ニーチェを日本に最初に紹介したとされる高山樗牛ゆかりの「瞑想の松」という景勝地があった。バス停の名前も瞑想の松だったし、バスの行く先も「瞑想の松」循環だった。言葉としては、当たり前に、私たちの生活に、瞑想、という単語がしみ込んできていた。
13)そして、そのまま日本一周のヒッチハイクの旅に出る時、私は自分の手書きの名刺を作り、そこには、瞑想三昧社と記していた。今でもそうなのかもしれないし、あるいは当時の流行りだったのかもしれないが、とにかく私の中の価値基準のかなり高い位置に、「瞑想」という言葉はランクされた。
14)そうこうしているうちに、私はミニコミ「存在の詩」を通じて、21歳の時にOSHOの瞑想に出合うのであり、それからずっと、私はこの還暦越えまで、瞑想という単語をごくごく身近に感じながら生きてきたのであった。
15)別段に信心深いとか、功徳があったとか、何かが分かったわけではない。まぁ、ごく当たり前の日本人として、ああ、ここまで生きてきてしまったな、というだけである。事故に遭遇したり、大病を患ったりしたが、不思議といまだに生を永らえているのは、必ずしもなにかのおかげだったと確定できるものではないが、守られているのかもなぁ、と思う時はある。
16)私は小学校時代の早い時代からずっと新聞部に属することが多く、長じてジャーナリストになりたい、と夢を記したこともあったが、あの学園紛争の最中に過ごした高校時代に、その夢は色さめたものとなり果てていた。
17)あれ以来、私にはなりたいと思うものがなくなってしまった。自らの生命を維持するための仕事としては、なにかかにかの業務をこなしてはきたのだが、自分の理想とするものは、職業とか、なになにの為というものではなくなってしまった。
18)日本国民には三つの義務があるという。教育(受ける、受けさせる)の義務、勤労の義務、納税の義務。日本国民のひとりとしては、義務教育を受け、日本人として働き、自らの露命をつなぎつつ、余剰があれば納税をしてきた。
19)でも、日本という国家を支えるための自分を、最大限の目標と考えることはできなかった。敢えていうなら、今は地理的に日本というエリアに住んでいる地球人としてのひとり、在日地球人、程度のこことであっただろう。何か、別の「大義」があるはずだ。
20)今は、グローバルな思考が流行っているし、インターネットも大好きだ。国境を越えた友人もいくらかいる。エコロジーを考えたり、ボタニカルなワークに汗を流す。だが、それはそれ、多少規模が違ってきているだけだ。
21)外側ではなく、内なるもの。そんなことを考える時、あの修証義の一説が、また思い出される。
生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし。
22)私の人生も中盤を過ぎ、後半戦である。師と仰いだOSHOはすでになく、先輩同輩たちも次から次へと、亡くなっていく。私とて、いつまでこの生活を続けているのやら、わかったものではない。もちろん、そんなこと、あの8歳の時から、分かっているはずである。
23)で、人生、生きていることの、最大のテーマは一体なになのだ、という時、私は、スティーブ・ジョブズのように世界一の企業を作ることでも、100メートルを何秒で走り抜けることでもないと、考えている。自分の身の在り方は、ごく当たり前でいい。与えられたものを、大事に、有効活用しつつ、失敗したり、間違ったり。まぁ、とにかく普通でいい。
24)ただ、私は物事の中に埋没し、風景のひとつになりたいと思っているわけではない。私は私として存在していることを常に確認しつつありたい。ある人は、音楽を大切に思うだろう。ある人にとっては政治かもしれない。ある人にとっては、何かの発明とか、発見とか、具体的な目標があるのかもしれない。
25)しかし私にとって、私を私とさせているのは「瞑想」というキーワードである。私がそのワザに優れているとか、習熟しているとか、理解しているなどということは、ほとんどない。怠け者で、人生なにごとも60点合格主義で、特段に誰かに褒められた記憶もなければ、まぁまぁ、失敗は多々あったが、つまはじきされて、村八分になってしまうほどではなかった。
26)しかし、私は私であるな、と自覚できるとすれば、この人生、ずっと「瞑想」というワークでささえられてきたな、と実感する瞬間である。
>瞑想は、何の効果があるのか知らない。知っているのは、何の効果も得られず、宗教の>お題目も同じ。
27)そうつぶやく人がいることは知っている。それは間違ってはいない。間違っているとか、間違っていないとかの問題でもなさそうだ。しかし、私はその意見を採用しない。瞑想は、なんの効果があるのか知らない。そもそもあんまり効果を求めてこなかったからなぁ。でも、何の効果もなかったとは言えない。
28)私は時に南無妙法蓮華経と唱える。インドやスリランカでばかりか、国内でもお世話になった日本山妙法寺の人々と共にいるように思えるからだ。たまにオムマニパドメフムとも唱える。なんの効果があるかは知らないが、私の中のチベットの古層が震えだす。だからどうした。でも、なんだか、ありがたい気持ちになるのは本当なんだよなぁ。
29)私は瞑想という言葉を愛してきた。もちろん禅も、ZENも好きだし、まぁ、一歩譲って、最近はマインドフルネスとやらの言い回しにも慣れようと思って、一生懸命使っている。他の人の意見がさまざまあることは知っている。まったく無関心な人たちがいることも知っている。
30)当ブログは、現在「現代社会におけるマインドフルネス」というカテゴリ名で走っている。当面これでいくつもりだ。このテーマが、当ブログの最終テーマになったとしても、それはそれで納得できるなぁ、と今の私は思っている。
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「巨大災害」 MEGA DISASTER 地球大変動の衝撃
NHKスペシャル 発売日 2015/03 NHKエンタープライズ DVD-BOX 時間: 278 分
No.3978★★★★☆
「第1集 異常気象 暴走する大気と海の大循環」(2014年8月30日)
「第2集 スーパー台風 海の異変の最悪シナリオ」(2014年8月31日)
「第3集 巨大地震 見えてきた脅威のメカニズム」(2014年9月20日)
「第4集 火山大噴火 迫りくる地球規模の異変」(2014年9月21日)
第5回「第5集 日本に迫る脅威 激化する豪雨」(2014年11月15日)
Ⅱ
「第1集 極端化する気象 海と大気の大変動」(2015年9月5日)
「第2集 大避難 命をつなぐシナリオ」(2015年9月6日)
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「これからインターネットに起こる『不可避な12の出来事』」 今後の社会・ビジネスを破壊的に変える「新たなるデジタル テクノロジー」をビジュアルで読み解く (NEXT VISION(NextPublishing)) <4>
ケヴィン・ケリー (著), 服部 桂 (翻訳) 2016/12 出版社: インプレスR&D ペーパーバック 128ページ
★★★★★
1)ケヴィン・ケリーが取り上げた12のキーワードは動詞(ing)である。ここが彼の発想の秀抜なところである。つまり、個人において行動がとれる。すぐ参加できる点である。
2)それに比して当ブログが三つにまとめようとした、人工知能(シンギュラリティ?)、ブロックチェーン、マインドフルネス、においては、三つ目はともかくとして、最初の二つは、個人としては、じゃぁ、どうしたらいいの、と戸惑うことになる。
3)個人で人工知能を作れるわけでもなく、パソコンで将棋やチェスをしましょう、という話でもなさそうだ。ブロックチェーンにしたところで、じゃぁ、すぐにでもビットコインを購入しましょう、という話でもないだろう。じゃぁ、どう関わっていくの?
4)そこで、便宜上、ケヴィン・ケリーが抽出した12のキーワードを、当ブログの三つのジャンルに振り分けてみることにした。
COGNIFYING(コグニファイング) =認知していく
INTERACTING(インタラクティング) =相互作用していく
RIMIXING(リミクシング) =リミックスしていく
FILTERING(フィルタリング) =フィルターしていく
まず、この4つは、当ブログのジャンルでいくところの人口知能の方に向いているだろう。つまりは、現在のインターネットの行きつく先としてのデータの海化の方向である。つまり統合だ。
5)それに対して次の4つは、敢えて言えばブロックチェーンが目指しているところの、個別化だ。
FLOWING(フローイング) =流れていく
ACCESSING(アクセシング) =アクセスしていく
SHARING(シェアリング) =シェアしていく
TRACKING(トラッキング) =追跡していく
ブロックチェーンは新しい技術だ。ポスト・インターネットの呼び声が高い。ただまだ本当の実力は発揮されていない。今のところはビットコインのような活用法しか取り上げられていないが、いずれは、例えば、インターネットにおける地球大統領の選挙の投票権のような、決して複製されず、ゴマかされもしない個別性を峻別する方向へと向かうに違いない。
6)それに比するところの敢えて、次の4つは、なんと呼べばいいだろう。
BECOMING(ビカミング) =なっていく
SCREENING(スクリーニング) =スクリーンで表現していく
QUESTIONING(クエスチョニング) =疑問を生んでいく
BEGINNING(ビキニング) =始まっていく
当ブログとしては、敢えてこの4つをマインドフルネスと対応させている以上、より人間の普遍性に対応した表現にしておきたい。無とか永遠とか、意識化とか。この部分は、当たり前の人間本来の姿でもあり、また、IT技術に対応するための、新しい捉え方としての人間性としておこう。
7)シンギュラリティという言葉は、どの分野にも当てはまるのだが、あえて期日をあと何十年後と区切っていることによって、やや今日からいますぐ始めるジャンルとしてはやや遠いように感じられる。
8)つまりだ。とにかくクラウド=インターネットは統合化と進んでいくわけだし、ある意味、積極的にオープンに参加していく方向にある。そのためにはITリテラシーを高め、決して閉鎖的にならずに、必要なものを必要なだけオープンに、フレンドリーに開放していく必要があるのだ。これを統合化と呼んでおこう。
9)それに対して、象徴としてはスマホ=SNSとしておくが、全体性というよりも、個別化が重要とされる分野が確かにある。私のモノ。私が拠って立つべき位置。私が私であるための根拠。存在。これは今後急速に姿を現してくる。統合や全体化に対して、必然的に不可欠なものとして登場しないではいられないのだ。これを個別化、としておく。
10)それに対する人間としての普遍性。これは、おそらく今のIT技術では、数値的にはとらえられていない部分だ。敢えていうなら、答えられない部分。新しい疑問。神秘性。ここんところは、図地反転し、今のインターネットでは無理な部分、としておこう。あえて意識と呼んでおこうか。
11)つまりだ。ケヴィン・ケリーの12のキーワードをわかりやすく三つに振り分ければ、当ブログなら、統合化、個別化、意識化、とすることになる。そしてもっとも大事なことは、決して尻込みせずに、積極的に前に歩いていこう、ということになる。
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「マインドフルネス瞑想の基本」 DVD ブック
長谷川洋介 (監修) 2017/02 エイ出版社 ムック: 79ページ
No.3976★★★☆☆
1)ひさしぶりに街にでて、大き目の書店に入って、実にビックリした。入り口の週刊誌やビジネス雑誌が並んでいるコーナーに特別棚で並べられていたのがこの本である。黄色でもあるし、実に目立つ。内容などは、正直言って開いてみるほどのこともないのだが、まぁ、DVD付というのも、それとなくそそってはくれる。
2)は~ん、そうなのか。最近はブームなんだな。次から次と、この手の本が登場する。どんだけ出ているのだろう。さっそく書店の検索機で「マインドフルネス」を抽出してみたら、出るわ出るわ、なんと250冊!! そのほとんどが書店内部に在庫してあるのだ。
3)よ~し、と、いつもの好奇心で、一枚一枚プリントアウトして、全部見てやろうと思ったが、50枚までプリントして、いい加減いやになった。ほとんどが同じような内容だし、逆に言えば、深みのあるものはほとんどない。とにかく、これは「ブーム」なんだよ。
4)例によって出版社サンガあたりが受けに入っているな、と粗製乱造の傾向があるように思ったが、ほとんど目立った出版社から類似の本がでている。ほぉ~~。いつもの当ブログなら、よし、全部見てやろう、とするところだが、今回は、やめた。個人的にはもう、そういう行動は意味がない。わたしゃ、OSHOで十分じゃけんね。

「はじめてのマインドフルネス」ストレスに負けない! 心のストレッチ NHKまる得マガジン
熊野 宏昭 (その他) 2017/01 NHK出版 ムック: 72ページ
No.3977★★★☆☆
5)さらに驚いたのは、NHKからも数種のマインドフルネス本がでていて、しかもその中には、どうやらNHKで放送した番組のテキスト本もあったということだ。へぇ~、これはテレビで見てもいいかなぁ、と思ったが、すでにこの2~3月で放送終了していた。そのうち再放送するかも。
6)よくよく見ればNHK放送テキストも、ありとあらゆるジャンルが数限りなく出版されており、なんだかなぁ、という気もする。とにかく、ちょっとでも読者層がつくのであれば、なんでもだしてやろう、という邪心が見え見えで、だからどした!、と恫喝したくなるw
7)春だしなぁ、この手の本も売れるんだろうなぁ、と思っては見たが、必ずしも、春向けの本だけではない。数年前までさかのぼれば、マインドフルネス本とて、そう多くはないのだが、この一年程度に絞ってみると、季節に関係なく、とにかく次から次と出版されているようだ。雑誌の類の特集たるや、もう完全におっかけきれない。

「慶応大学マインドフルネス教室へようこそ! 」
樫尾 直樹 (著) 2016/12 国書刊行会 単行本: 156ページ
No.3977★★★★☆
8)大学の名前を冠したマインドフルネス本もある。以前読んだ「スタンフォード大学 マインドフルネス教室」(スティーヴン・マーフィ重松 2016/06 講談社)はなかなかの良書だったので、こちらの慶応大学とやらの一冊も、実は期待していたのだが、実際に手にとってみると、たいしたことはなかった。
9)しかしまぁ、還暦超えのジイサンが、いまさら、18歳向けのビギナー本にケチつけていてもしかたないのだ。とにかくこのような傾向が一般社会で起きているのだ、ということは、大きな意味において、歓迎すべきことだと、思う。
10)おそらく、数あるこの手の本の中には、かなりな良書もあるに違いないが、とにかく今回の当ブログにおいては、積極的な追っかけはやめておく。そのような行為は、もういわゆるマインドフルネスから遠ざかる行為になってしまうことだろう。各人、それぞれ、数冊の本と出合えば、もう、十分であるはずである。
11)瞑想をマインドフルネスと言い換えたとしても、それはそれでいいじゃないか。瞑想という言葉だって、決して十分とは言えない。メディテーションという単語だって、決して正当なものとは言えない。禅だって、ZENだって、あるいはディアナだって、本来の意味に到達するための、入り口ぐらいに考えておけば、マインドフルネスという「流行」に、それほど目くじらを立てるほどではあるまい。
12)ある時期、ヨガとか、カウンセリングとか、セラピーとか、あるいは癒しとか、さまざまな「流行」があったわけだが、ひとつひとつ見れば、一過性の底の浅いブームでしかなかった場合も多かった。それでも、一定程度の人々を「救い」続けていることは間違いない。
13)この手の世界に「ハマる」人々はいつの世でも必ずいる。手を変え、品を変え、さまざまなアプローチが出没する。まぁ、それはそれでいいじゃないか。いわくいいがたしを、いわんとするのだから、それぞれ各人に任せておけよ。
14)ちょっと気になる部分としては、おそらく瞑想やメディテーションという単語の対応としてマインドフルネスがブームになっているわけだが、それに付随するところの、サマディやエンライテンメント、大悟やさとり、覚醒、といった表現に対応する単語が、すくなくとも日本語的カタカナ表現としては、まだ一般化されていないようだな、というところあたり。
15)IT社会のテクノロジーが進むだけ進んで、シンギュラリティの未来すら現実化しつつある2017年において、しっかり個としての人間観をつかむためのマインドフルネスがクローズアップされているのなら、それはそれで正当であるし、また不可欠でもある。
16)全体としては、当然であるし、よいことだ、と、ひとりごちて書店をあとにした。(ちょっと疲れたけど)。
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「これからインターネットに起こる『不可避な12の出来事』」 今後の社会・ビジネスを破壊的に変える「新たなるデジタル テクノロジー」をビジュアルで読み解く (NEXT VISION(NextPublishing)) <3>
ケヴィン・ケリー (著), 服部 桂 (翻訳) 2016/12 出版社: インプレスR&D ペーパーバック 128ページ
★★★★★
1)予想にたがわず、なかなか啓発される一冊である。まずAI(人工知能)について。
固定化したものが液状化する世界が来ることで、すべてがきちんとした順序で、より学習し適応し変化していくものになることを指している。 それらはすでにAI(人工知能)と呼ばれている物事の裏側で機能しており(後略) p20「COGNIFYING(認知していく)」
2)ただ、ケヴィン・ケリーたるゆえんは、その後の発想による。
AIという言葉は、人工知能(Artificial Intelligence)という言葉ではなく、人間とはまったく違う発想をする知能として、異星人的知能(Alien Intelligence)の略と考えるべきだろう。p31同上
3)まさに慧眼。当ブログでは現在、廃物アートの一環として、余った金属系ゴミでUFOを制作中である。
廃物アートのパロディフィギュアとしても、どこか発想が違い、構造体なども、重力ありきの地球上の建築物などとはまったく違う。たとえば同じ廃物アートでも、五重塔などの、大地があり中心があり、そこから天に向かって一本の心柱が直立している、という基本が成立していない。きわめて違和感が湧き上がってくる構造になっている。
4)現在の地球人がもっている頭脳は、自分たちの環境の中で必要になった発達を遂げただけであって、もっと違った発想があってもいい。それは異星人的とまでは言わなくても、もっと違った社会や人生観に支えられた社会なら、まったく別な頭脳(知性)が発達した可能性がある。それをいまや人類はAIとして体験しつつあるのである。
5)二つ目のブロックチェーンについても、すぐに見つかる。
どんなことでもシェアすることで共同作業をすれば、いままで考えられなかったようなことまでより大きな規模で実現できるようになり、この星全体が新たな共同体となる。
そうした中で注目されるのはブロックチェーンで、仕組みは少々難しいが、中央を介さずに利用者同士のネットワークでやりとりができるものだ。この仕組みを使えば不特定多数の何十億人もの人がつながって、決済をしたり共同作業をしたり、つまり信用を交換することが可能になる。p66「SHARING(シェアしていく)」
6)人工知能でのキーポイントが「異星人的」であったなら、こちらのブロックチェーンにおけるキーポイントは「星全体の新たなる共同体」というところであろう。
7)さらに三つ目のマインドフルネスについては、単語としては見つけることができなかったが、次の部分が対応するだろう。
多くの質問は答えられることで、新たなる倍の疑問を生み出す。その結果、質問の増加につれて倍の速度で新たな疑問が生まれていく。それは無知だ。つまり実際に起きているのは無知の増加なのだ。
しかしそれはいいことだ。無知はこの不確実で加速していく社会で、新しいチャンスや利益を生み出す源泉だからだ。答えが安くなる一方で、いい質問はより難しく貴重だが価値あるものになっていく。p114「QUESTIONING(疑問を生んでいく)」
そして、こうも付け加えている。
これからの社会では、これまでのように効率化を目指すのではなく、非効率なオープンでクリエイティブなものにこそ可能性を見出すべきだろう。 p115同上
8)以上の観点から、当ブログがこの本を恣意的に、三つにまとめるとしたら、AI、ブロックチェーン、マインドフルネス、とピックアップすることに、それほどの齟齬はないと思われる。ただ、この本にはシンギュラリティは登場しなかった。つまり、どうもシンギュラリティは集結点の意味合いが強すぎるようだ。それに反し、この本の12原則の12番目は、BIGINNING(始まっていく)で終わっている。意味深い。
9)この本ではさらに映画「マイノリティー・リポート」や映画「アイアンマン」なども引用されている。これらの映画についても、近々見てみよう。
10)この本の翻訳・編集者は、ケヴィン・ケリーの前々著である「テクニウム」(2014/06 みすず書房)の併読も進めている。当ブログとしては少々重いが、いずれ再読するとする。
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「これからインターネットに起こる『不可避な12の出来事』」 今後の社会・ビジネスを破壊的に変える「新たなるデジタル テクノロジー」をビジュアルで読み解く (NEXT VISION(NextPublishing)) <2>
ケヴィン・ケリー (著), 服部 桂 (翻訳) 2016/12 出版社: インプレスR&D ペーパーバック 128ページ
★★★★★
1)このビジュアル本、元本の「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則 ケヴィン・ケリー(2016/07 NHK出版)精読についで、書店の店頭における立ち読みだったが、今回、図書館の蔵書となったので精読できることになった。
2)しかしながら、あの12個の法則とやらをひとつひとつ正確に思い出すことができない。だいたい12にまとめなければならないとなれば、13でも18でも30でも構わないのである。もっと簡潔にまとめてくれることはできなかったのだろうか。
3)そもそもケヴィン・ケリーは、インターネット社会の稀有な存在と見られながらも、その経歴や年齢から、当ブログとしては、かなり感情移入しやすい人物である。ただ、インターネット関連と区切られてしまうところに限界もある。
4)この本の主旨は、いろいろあるが、まずは積極的に前に進もう、というものである。もうそれでいいじゃないか。そして、あの12の法則とやらを、本文を無視した形で、当ブログがまとめるとしたら、三大噺として、おおよそ三つにまとめてしまうだろう。
5)ひとつは、パソコン→インターネットの次に来るものとして衆目を集めているブロックチェーン。ふたつ目は人工知能などの集約としてのシンギュラリティ、そして、それを支えるところのマインドフルネス(瞑想)とやらが三つ目にくるだろう。当ブログならそうまとめざるを得ない。
6)されど、この本はそうはまとまっていない。上の三つのテーマについてはそれぞれに触れられてはいるが、決してそこにフォーカスはしていない。なにゆえ、そうなのか。
7)基本的に、ケヴィン・ケリーは解説者でもなければ、ジャーナリストでもない。現状を後追いするところの研究者でもない。むしろイノベーター中のイノベーターと目されていて、いまだ現れていない曖昧模糊としたものを、すくいあげようとする存在である。あるいはその存在の誕生を促進し、助産婦のような仕事をなそうという立場の存在なのである。または、周囲からそう期待されている。
8)だから、当ブログとはかなり視点が異なってくる。おそらく同時代に生きている同世代の人間として、それほど相対的志向性はかわらないのだ。されど、彼の軸足はコンテナにあるべきだ、と「強要」されており、彼もまた敢えてその期待を裏切ろうとはしていない。されど、当ブログの軸足は、コンシャスネスにある。ここんとこが大きく異なっている。
9)そこんとこをキチンとわきまえたうえで、再読を開始することとする。
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「The Back Country」 奥の国 <6>
Gary Snyder (著) 1968 ペーパーバック: 150p 出版社: New Directions; New版 言語 英語,
★★★★★

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「The Back Country」 奥の国 <5>
Gary Snyder (著) 1968 ペーパーバック: 150p 出版社: New Directions; New版 言語 英語,
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「道元禅入門」セミナー正法眼蔵随聞記<1>
飯田 利行 (著) 1966/08 講談社 ミリオン・ブックス 新書 240ページ
No.3974★★★★★
1)そろそろクールビズの夏が近づいてきたので、まずは扇風機を出そうかなと天上階の物置スペースに上がった時、段ボール箱の中から見つけてきた一冊。私にとっては懐かしい、思い入れ深い一冊である。
2)実は、この本、当時同居していた父方の祖父の蔵書の一冊である。この祖父の読書の仕方は実にユニークであった。新聞記事にせよ、雑誌にせよ、このような新書、単行本にせよ、読書する時は、まず老眼鏡をかけ、右手に15センチほどのプラスチックの直線定規と、赤青両用の色鉛筆を持つのである。

3)そして、導入部や重要箇所に、キチンと定規を使って赤鉛筆で傍線を引きまくるのだ。さらには、章立てなどの右ページ肩には、目印のインデックス用両面シールを張る。だからもう、この本は誰の本なのかはすぐわかるが、さらに読了とすると、最後のページにその本を購入した経緯などを記しておくのだ。

4)これは1966年11月の読書だから、私は中学一年生、ビートルズが来日した年のことである。祖父はすでに70歳を超えていたはずだ。祖父の読書はすべからくこのスタイルである。戦記物、地元学、宗教モノ、新聞の切り抜き、グラビア雑誌。ことごとくこのスタイルである。
5)小さい時は、なかなか怖くてその書棚をいじることはできなかったが、祖父が亡くなって、私も成人したあとは、割とその書棚をいじった。その中でも、特に当時気になった本は借りて来て、目を通した。キチンと返却したつもりなのだが、その中でも何冊かは結局返却せずに私の手元に残ってしまっているものも数冊ある。その中の一冊がこの本だ。
6)私には祖父が二人いる。父方と母方、通常は当たり前のことだが、この二人には結構共通点が多かった。それぞれにそれなりの中核農家の主で、信仰心に厚かった。神社仏閣を愛し、それぞれに地域の役員などをこなしていた。
7)不思議と言えば不思議なのだが、この二人に共通するのは、跡取りである長男を40代で病気で亡くしていることである。老齢になっても正業に精を出さなければならなかった。それぞれに大家族の中で、人生を生き切った。
8)それぞれにその旦那寺は曹洞宗の道元禅の系譜にあったが、私の生家でもある祖父の家系の旦那寺は、戦後(だとおもうのだが)宗派を離脱して単立寺院となった。その経緯はいろいろ言われているが、それでも使っている経典とかは曹洞宗のものである。
9)この祖父が私の名前をつけてくれた、らしい。小さい頃は、お坊さんみたいな名前だな、と子供たちにからかわれたことがあったが、自分では全然そう思わなかった。青年時代は、親戚筋から、近くの寺の養子にならないか、という声がかかったこともある。次男であるがゆえにそういう申し出もあったのだろうが、そういえば、あのお寺も曹洞宗だった。
10)思えば、そういう縁で結ばれているのであれば、私が僧籍に入るということもあり得たのかもしれないが、浅はかにも今思うのであって、私がその道を選んだとしても、おそらくいわゆる「三日坊主」で終わったかもしれない。
11)さまざまな経緯があったにせよ、私には素直に僧籍に入るような道はなかった。ひとつには、やはり生家の旦那寺が(縁は深かった)戦争協力責任を感じて宗派を離れたこと、もっとグローバルな仏教を求めて当時のスリランカ仏教界との縁を深めていたことに起縁するかもしれない。
12)省略するが、私は、1978年4月にスリランカの仏足山にて、2500年のゴータマ・ブッタの法輪が、今あらたにOSHOによってその法輪が新たに転ぜられたことを見た。だから、正確に言えば、いわゆる言われるところの宗派の中にはなく、またその血脈というものにも属していないことになる。
13)ゴータマブッタの大覚、達磨大使の偉業、7~800年前の道元禅の発祥から今日に至るまでの伝統には、感謝して余りある。その縁をいただいていることに、何の不足があろうか。されど、だからそれゆえに、私のOSHOに対する態度と、自らの道を生きる態度に、さらなる意気込みを感じてしまうのである。
14)当寺において今日はじめて首座を請いて、払子をもっての説法を行わせた。首座よ、修行者の少ないことを気にしてはいけない。まだ初心の身であることを顧慮してはならない。汾陽の雲水はわずかに六七人、羽山の雲水は十人に満たなかった。されどみな仏祖の道を行じられた。
叢林が盛んであるというのはこのことをさすのだ。竹に石があたるひびきを聞いて道を悟った香厳禅師、桃の花を見て心を明らめた霊雲禅師の故事を考えてみよ。竹じたいになにも利純だとか迷悟のの別があるわけではない。
花に色のよしあしとか賢愚があるはずがない。花は毎年咲くけれど、それを見る人がみな悟れるわけではない。竹はいつでも響くけれども、その音を聞く者が、みんな道をさとるわけでもない。
ただ長い修行の努力により、つとめて道をおさめる縁をえて道を悟り心を明らめるのである。以上は竹のひびきが、ただするどいだけではない。また花の色がことによかったのでもない。
よしんば竹のひびきがすぐれていても、竹だけでは音がしない。瓦かけがあたるという縁をまってひゞきを起こすのである。花の色が美しいといってもただひとりでに咲くのではない。春風をえて咲くのである。
道を学ぶ縁もやはりこのようである。このさとりは、だれにも具わっているけれども、仏道を行ずることはみんなの力によらなければならない。だから、今、心を一つにして、坐禅に志を集中して、身をもって道をたずねもとめよ。
玉は磨くことによって器となり、人はねり磨くことによって人物となる。どんな玉でもはじめから光らない。どんな人間でも初心からすぐれるわけがない。必ず磨き、練れよ。自分を卑下して道を学ぶことに手ごころを加えてはならない。 p90 道元「正法眼蔵随聞記」
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「The Back Country」 奥の国 <4>
Gary Snyder (著) 1968 ペーパーバック: 150p 出版社: New Directions; New版 言語 英語,
★★★★★
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「華氏451」 <2>
原作 レイ・ブラットベリ 監督: フランソワ・トリュフォー出演: オスカー・ウェルナー, ジュリー・クリスティ, シリル・キューザック, アントン・ディフリング 1966年アメリカ作品 DVD 時間: 112 分 販売元: ジェネオン・ユニバーサル
1)最近、何と指定せずに、図書館の視聴覚コーナーからいきなり借りてきて映像を見るときがある。市全体としてはかなりの量がそろっているのだが、単独の図書館としてはそれほど所蔵DVD類は多くない。もっと何かをみたいのだが、とにかくSFっぽい奴を選んできて見ることになる。
2)これもなんだか、SFだかなんだか確定しないまま、とにかく見ることに。見始めてから、奥さんが、また見るの? とおっしゃる。え? 初めてみるんだよ、と言ってはみたが、あれみたかなあ、とあやふやな記憶。
3)一通り見終わったあとに、ブログを書こうと自分のブログをググって、すでに見終わって、ブログもすでに8年前に書いていたことが判明した。見ていて書こうとしたこともほとんど同じような内容だった。ほんとにまぁ・・・・
4)SFもそろそろ系統立てて、興味深いところから見始めるべきだな。シンギュラリティへ向けてのSF談義だ。
5)追伸。ついでだから、前回もメモしておかなかったことについて一言書いておく。実は小説版は、それこそこの映画がでた中学一年生の頃、ニュートン(石川裕人)から借りて読んだのだった。ところが、自分では全然内容を覚えていない。借りたけど読んではいない、という認識だったのだが、今回のこちらの映画版のこともあるし、認識をあらためた。読んだけど、覚えていない、が正解のようだ。
6)つまり、私はかなりニュートンから借りてSFのみならず、たくさんの本を読んだのだ。しかし、どうも記憶に残っていない作品が多いようだ。ひとつには、ニュートンの好みと、私の好みがそれほどしっくりは来てはいなかったのだ。一体ニュートンは何を読んでるの、という野次馬根性が先に立っていたのかもしれない。
7)ちなみ、村上春樹の「1Q84」が流行っていた頃、ちょっとだけ彼に聞いたことがあった。村上春樹は好きか、と。彼は「同じ村上なら村上龍のほうが好きだ」と答えた。私も同感のような気がしたが、村上春樹はほとんど読破したが、村上龍は、私の場合「群像」で新人賞を取った当時の「限りなく透明に近いブルー」を読んだだけで、終わってしまっている。
8)まぁ、いろろ椿事もあるものだ。
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<11>よりつづく
「マイトレーヤ」 <12> The buddha lord maitreya.
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 1988/3 瞑想社 地方・小出版流通センター 単行本 p221
★★★★★
1)いつもは漠然と見ている弥勒菩薩半跏思惟像であるが、普段イメージしている像は二つのタイプに分かれているようである。この「マイトレーヤ」の後表紙に描かれていたのは、奈良斑鳩の中宮寺の弥勒菩薩のようである。
2)それに対するこちらの像は京都広隆寺の弥勒菩薩。仮に広隆寺タイプとしておく。この二つのタイプはちょっと目にはほとんど同じものように見えるのだが、よく見れば違いがいくつかある。

3)すぐ気がつくのは、頭の形である。片やミッキーマウスの耳のようなものが頭頂に二つついている中宮寺タイプに対し、広隆寺タイプは冠をかぶっていて、宝冠弥勒とも呼ばれているらしい。それと、足の高さ、つまり座位置が中宮寺のほうが高い。
4)そして、大きな違いの一つに、中宮寺タイプは光背があるということだ。私はデッサン人形をいじっていて、いつの間にかこの裏表紙に書いてあるのは広隆寺タイプだとばかり思っていたのだが、あらためて確認すると、実は中宮寺タイプだった。
5)この二つを模写するにあたって、私は造形的に広隆寺タイプのほうが簡単かなぁ、とは思っていたのだが、はて、どうするか。よくよく見れば、足の形、体の傾き、手の位置などに、微妙な差があることが分かった。
6)ここはいずれ二体制作するとして、今回は座面の関係もあるし、光背だとさらにひと手間かかってしまうので、広隆寺タイプで行こうと思う。
7)さて、いろいろいじっているうちに、わがデッサン人形・弥勒菩薩半跏思惟像も次第に形を現し始めた。かなり稚拙なものではあるが、私にとってのマイトレーヤ像はこれで十分だ。何万円、何十万円もするようなイSムのフィギュアなど必要ないし、本当は好きではない。このような「遊び」が、私は欲しい。
8)そして、この像を見ながら、なにか見たことあるような風景を思い出していた。造形が素晴らしく、ひょっとして意識さえ宿っているかもしれない弥勒像(本当は宿っていない)。簡単な遊びに満ちたデッサン人形マイトレーヤ。それに比すると、たしかに五感は、ひょっとすると超越してしまっているかもしれないが、そしてたしかに穏かになって来ているとは言え、いまだにはっきりと「意識」を持っている存在。

9)これらの存在の違いとは一体なんだろう。そして、私は「単なる」物質としての像に何かの「意識」を求めようとするよりも、キチンとした「意識」をいまだに存続して保持している存在にこそ、思いをよせるべきなのかもなぁ、と思った。
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「知識ゼロからの大人のピアノ超入門」
清水ミチコ (著), 森真奈美 (著) 2015/10 幻冬舎単行本 143ページ
★★★★★
<4>レッスン三日目
1)ピアノも恥ずかしがって、ちっちゃくなって弾いていては今いち面白くない。ペダルを外して、大きく響かせてこそ和音が聞こえて来て、夢中になり始めるのだ。
2)子供たちが小学生の頃、ピアノ教室に通っていた頃は、一日30分は練習しましょう、と言われていたらしい。ところが、自分でやってみると、30分なんて、あっという間に過ぎ去る。夢中になっていると、一時間、一時間半はあっという間だ。
3)二時間程度になると、さすがに腹が減る。コーヒーを飲みたくなるし、大体において手が痛くなる。ゴチゴチになる。
4)でも、そんなに時間が経過しなくても、後ろのマンションのベランダから、布団を叩く音が大きく響いてきたりする。う~~ん、あれは布団を日干ししているのか、私への拍手なのか? あるいはその反対なのか( ;∀;)
5)仕方ないので、やはり一日何分間と時間を決めて、しかも音量も控えめにしたほうがよさそうだ。電気的キーボードもあったはずなのだが、幼稚園に通い始めた女の子の孫が、オモチャにしているらしい。
6)でもやっぱり生ピアノのほうが、なんだか挑戦する価値がありそうだ。部屋をしっかり閉め切って、(そういえば、今日はカーテンを閉めるの、忘れてた)、静かに(って、形容矛盾だが)ピアノを弾き始めるのがいいようだ。
7)それに、できれば雑音ではなく、ちょっと耳に入っても苦にならない程度に腕を上げるしかないんだな。
8)奥さんに、ピアノが飽きたら、そのうち「知識ゼロからの男の料理超入門」という本でも見つけてくるよ、と言ったら、超入門の前に、まずは「お片付け」編から入ったら、と言われた。なるほどね、いつも食い散らかしっぱなしだ。
9)「知識ゼロからの大人のピアノ超入門」も、まずは「お片付け」編の基礎からやり直しだな。みなさんに迷惑をかけないで生きていくことを、まずはまなばなくっちゃ( ´艸`)
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「ウェブ進化論」 本当の大変化はこれから始まる<47>
梅田望夫 2006/02 筑摩書房 新書 249p
★★★★☆
1)現在36歳。離婚話を契機に山の中で一人暮らしを始めた画家。それまでの蓄えで食べているが、画業では安定せず、街に降りて、週何回かの絵画教室で指導する。仮にこのような男性が2017年の現在、あるいは2010年頃に存在したとして、この男性が、インターネットに関心もなく、ケータイも持っていない、ということはあり得るだろうか。
2)村上春樹の最新作「騎士団長殺し」(2017/02 新潮社)に振り回されて、せっかくのゴールデンウィークの長い休みを棒に振ってしまった腹いせに(爆笑)、この文庫本に手が伸びた。
3)当ブログの三題噺には、コンテナ、コンテンツ、コンシャスネス、という三コン論というものが存在した。この小説は、コンテンツ、あるいはコンシャスネスに特化していて、ほとんどコンテナ論を無視している。そこが一読者としての私が強く違和感を感じた部分であった。
4)「ウェブ進化論」は、当ブログが拠って立つ礎のひとつとなってくれている本である。アルビン・トフラーの「第三の波」(1980/10 日本放送協会出版局)と、「<インターネット>の次に来るもの」(2016/07 NHK出版)の間にあって、極めて重要な位置を占めている一冊である。
5)11年前に出たこの本、今読んでみても、総論としてはうなづけるところが多い。まさに衆目が注視する中で登場した一冊だったと言える。著者の梅田望夫は、そのあと杳として存在を消してしまったが、いまだにあの衝撃の中で、当ブログは続いていると言っても過言ではない。
6)もちろん各論的にはすでに11年の間にさまざまなことが違った方向に動き出している。そもそもが3・11という大災害が読み込まれていなかったし、原発の動向、オバマという黒人大統領の出現と退場、そしてトランプという次なる出演者。スマホについても、ほとんどこの本には書かれていない。だが、日本の家電業界の集落は、すでにこの本で預言済みであったと言える。
7)モンスター・サイエンスといえば、大型ジェット機コンコルドを思い出す。確かに高速で飛ぶジェット機は制作できるが、市場からは消えていった。原発も、いずれはモンスター・サイエンスの最たる代表として、人類史のワースト欄を飾ることになろう。
8)ネット社会も、スマホの登場で、ある種の一局面に到達しているように見える。大型コンピューターから小型卓上型パソコン、そして今やポケットの中のスマホの時代である。その性能たるや、かつての大型コンピュータを凌駕する。ただ、これ以上のものが必要とされるのかどうかは微妙な時代になってきた。
9)この本でも取り上げられているグーグルもかつては情報中心の経営だったが、いまや自動運転という技術、あるい「モノ」づくりに走り始めている。このままいくと、日本の家電業界のみならず、自動車業界もすっぽり持っていかれてしまうこともありうる。
10)そして、おなじ兆候としては、いわゆるマンドフルネスとやらの流行の兆しがあることである。昔から言われてきたことでもあるし、この「ウェブ進化論」と対になっていた「ウェブ人間論」(2006/12/15 新潮新書)でも議論されていることではあるが、コンシャスネスの部分がどうしても必要となる。
11)レイ・カーツワイル「シンギュラリティは近い」(エッセンス版 2016/04 NHK出版)もまた、ある意味においては、このコンテナ、コンテンツ、コンシャスネスの三コン論に、大いに示唆をあたえている一冊である。
12)いずれにせよだ。「騎士団長殺し」のように、コンテナ論を排除して、いきなりコンテンツ論から、コンシャスネス論に入ろうとするのは、ちょっと以上に無理があるだろう。もうすこしマトモなバランスが必要だ。科学的な構想もしっかり基礎として重要視すべきである。
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「騎士団長殺し」 :第2部 遷ろうメタファー編 <7>
村上 春樹 (著) 2017/02 新潮社 単行本: 544ページ
★☆☆☆☆
1)申し訳ないが(別段、誰にあやまる必要もないのだが)、最後の6分の1は飛ばし読みになった。読まなかったと言ってもいい。ただページをめくっただけだ。
2)謎かけをするだけしておいて、最期の帳尻を合わせるために、あれこれ算段したからとして、それが読む者のハートを撃ち、感動を与えることができるのだ、と作者は思っているのであろうか。
3)トヨタ・プリウスだ。ジャガーだ、ボルボだ、ミニクーパーだ、とやたらと実名を出して、リアリティを演出しておきながら、結局は、イデアだとかメタファーだとかで、逃げる。この手は汚い。
4)この小説家がノーベル文学賞を受賞できない理由がわかった気がする。仮に将来に渡ってノーベル文学賞とやらを受賞したとしても、私はノーベル文学賞とはなんとつまらないものだろう、と結論づけるだろう。すくなくとも、佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞した時以来、ノーベル賞なんて関心を持っていない。
5)世界遺産に、どこぞの島は対象になって、その遥拝所は除くとか、付け加えるとかのニュースをやっていた。アホらしい。地球全部を世界遺産にすればいいじゃないか。ここだけは価値があって、ここ以外は価値ないよ、という態度は、そもそもの世界遺産構想に反する。
6)ノーベル賞を贈るなら、地球人全部に贈ればいい。キミは価値があって、キミは価値ないよ、なんて、言えるわけないじゃないか。誰もがノーベル賞以上の価値がある。爆弾屋の遺産がなければ生きていけないなんて地球人は、地上には一人もいないはずだ。
7)一体全体、秋川まりえの父親はどうなったのか。読み飛ばしたところにでも書いてあったのだろうか。それとも、第3部、第4部への伏線として、単に仕込んでおいただけなのだろうか。おそらく、私はもうこれ以上、この小説には付き合うつもりはないので、仮に続編がでたとしても、読まないだろう。
8)多少は名が売れたのであろう作家の、妄想的な文章にリアリティをもたらすために、最後の最後あたりに3・11のことがチラッと書いてあったりすることすら、腹ただしい。取り組む姿勢というものが、まったく違う。
9)私はそもそも、あまり期待しないで、だからね、期待しないんだよ、ということを証明するために、わざわざこの小説を読むことにした。だが、他の読者のことはわからない。少なくとも、うちの奥さんがこの小説を読まないことになっても、ぜんぜん笑わない。読む必要などないと思う。どうだった?と質問されれば、ふん、と言ってやろう。
10)あとは、読むか読まないか、途中で放り出すか、出さないかは、ご自分次第だろう。すくなくとも、私は勧めない。
おわり
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「騎士団長殺し」 :第2部 遷ろうメタファー編 <6>
村上 春樹 (著) 2017/02 新潮社 単行本: 544ページ
★★★★★
1)第2部も残り3分の1あまりを残すところとなった。まぁ、ここまでの率直な心境をメモしておこう。
2)はてさて、作者はこういうストーリーを練り上げることに日々のエネルギーを費やしているとして、はてさて、そういう日常って、本当に楽しいのだろうか。こういう作品を仕上げて、何が彼に見返りとしてあるのだろう。
3)もし、人生がこのように込み入ったものとして、わざわざ込み入った話を作る必要などあるのだろうか。一歩下がって、仮に人生はかなり込み入ったものだとして、私などは自分の人生の「なぜ、どうして」で手一杯だ。自分の人生をていねいに追っかけていたほうが、さまざまな謎解きがあって面白い。
4)私は小説読みではないが、ちょっと無理してもとりあえずこの作家の小説には目を通している。ところが私とまるで反対の嗜好を持っている、小説好きの奥さんは、いつもいつもこんな込み入った話ばっかり読んでいるのだろうか。おそらく違うと思う。
5)奥さんはもっともっとごくありふれた、ありそうだけどウソの話を読んでいるのだ。そういうこともあるのかもしれない程度のことのウソだ。ところがこの小説は、誰が考えてもウソだ。現実的に生活していて、一定程度の世の中で生きている限り、これは誰が考えてもウソの世界なのだ。少なくともうちの奥さんは、このような小説が「好きだ」とは言わないのではないだろうか。
6)こんなにまで精力を傾けて妄想を書き連ね、自分で妄想しているばかりか、多くの人の(少なくとも初版本分130万人の)時間を奪って、一体何をしようとしているのだろうか。おそらく、今回配本になった二冊の6分の5まで読んだところで、私にはわからない。
7)人生は謎に富んでいるものですよ、と言いたいのだとすれば、そんなことはとっくにわかってらい、と一蹴したい。そして、目下、自分の人生の謎解きで忙しい。他人の(しかもウソの)謎解きなどに付き合っていられるかい、と、ちょっといらだってくる。
8)しかしまぁ、おそらく今日の午後には読み終わるであろうこの小説は完読しておくことにする。オレだって、たまには小説とやらを読むときもあるんだぜ。好きじゃないけどな、と、カッコつけるために。
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「知識ゼロからの大人のピアノ超入門」
清水ミチコ (著), 森真奈美 (著) 2015/10 幻冬舎単行本 143ページ
★★★★★
<3>ハッピーバースデイ・トウ・ユー
1)一番小さい孫は、この月の末に3歳になる。誕生日にもらいたいプレゼントが毎日変わる。テレビのCMを見て、オモチャやら、お菓子やら、なんでも、誕生日にあれ欲しいんだぁ、ということになる。本当は何がほしいだろう。全部は、ダメだよ。
2)ということで、今月末まで、おじいちゃんからのプレゼントとして、この曲を準備しておこう。
3)なんともまぁ、こんな感じだ。もうすこしマトモになったら動画をあげようと思っていたが、今日のレッスンはこれまでじゃ。そのうち少しづつよくなる・・・・、かもな。(;^_^A
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「続・彫刻刀で楽しむ仏像」[釈迦如来・聖観音菩薩] <26>
関侊雲(監修), 河合宏介(写真) 2013/6/5 スタジオタッククリエイティブ 単行本 176ページ
★★★★★
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「杜の都の名木・古木」 仙台市保存樹木 2017年版
仙台市百年の杜推進課 022(214)8392 2017/04 単行本 A6 106p 仙台柳生「かやの木 薬師様保存会」資料集
★★★★★
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「騎士団長殺し」 :第2部 遷ろうメタファー編 <5>
村上 春樹 (著) 2017/02 新潮社 単行本: 544ページ
★★★★★
1)ようやく(笑)、第2部のちょうど真ん中に差し掛かった。ここまで読んできた限り、どうも、この第2部で終わるような雰囲気を感じない。通常であるなら、起承転結で、起、承、と来て、ここらですでに転が完全に終わっていて、あとはただただ結に向かって転がり込んでいくはずだ。
2)ところが、どうもそんな雰囲気がない。これではまるで、起がようやく終わって、承を延々と続けているかのようだ。この作者は、わざと様々な要素を取り入れて、第3部、第4部へと、人びとを連れ去っていくつもりなのかもしれない。
3)一年後か二年後に、この二冊の続編が発表されるのかもしれない。初版130万部だという。とてつもない数字だ。日本人口の1%。少なくとも1%の国民が「所有」する数字だ。図書館のように、100倍にも2倍にも読者層を獲得するとしたら、国民の数パーセントは少なくともこの本に目を通すことになるのだ。
4)そして、そのようなコアな読者が話題を提供し、周囲の善良な他の国民が、その談義に巻き込まれる。発表された年に限らず、何年もかけて、この作品について談義がされていくのだ。
5)ここまで読んできて、確かにドストエフスキーがでてきたが、まな板に乗っていたのは、「カラマーゾフの兄弟」ではなくて、他の作品だった。いや、カラマーゾフの兄弟も、やがては出て来るのかもしれない。今のところはわからない。
6)そしてクリフォード・ブラウンも出てきた。ビリー・ホリディーと並んで。そうなのか。ビリー・ホリディーなら、ずっと前から聞いている。たしか伝記なども一冊か二冊、読んだ記憶がある。ずっと前に。
7)クリフォード・ブラウンは、彼女と並んで、ずっと前から知っておくべき存在だったのかもしれない。ジャズは、まぁ、遠巻きにしてみてきただけだから、知らなくてもいいだろう。知らないことがたくさんある、ということを知ることも、また良いことだ。
8)冗漫さが魅力なのか、それはやっぱり邪魔なのか。読む読者によって、お好みはまちまちだろう。
9)いずれにせよ、第3部と第4部は完成していないだろうし、少なくとも書店の店頭にも図書館にも存在しない。書き下ろしなので、どこかの文芸雑誌に先立って連載されている、ということもない。とにかくあとこの第2部の残り半分を読めば、まぁ、私は解放される。
10)今日か明日には読み終わるだろう。なんだか、まるまんま私の連休を奪ってしまった小説だった。
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「騎士団長殺し」 :第2部 遷ろうメタファー編 <4>
村上 春樹 (著) 2017/02 新潮社 単行本: 544ページ
No.3973★★★★★
1)下巻(というか第2部)の3分の1ほどを読んだ。いい加減まだまだ長い。
2)最近テレビを見ていたら、防虫剤のCMで、住宅ローンはなかなか減らないよ、というセリフがあった。今の私の心境は、この防虫剤と同じようなものだ。なかなか終わらないからいいのか、早く終わってほしいのか。多少、複雑ではある。
3)あまりにもたくさんのテーマがありすぎて、いい加減にしてよ、というのが本当のところ。まず結論を一番最初に言っちゃて、その次にテーマを三つくらいにしぼれよ、と言いたい。そうしたら、適当に飽きたところで、やめてしまえばいいのだから。
4)ところが、この小説は、例によって、可笑しなポルノを交えながら、延々と謎解きの紐解きでつないでいく。別段、そんなに推理小説みたいにしなっくてもいいじゃないか、正直そう思う。
5)ここまで読んできて、いよいよなのだろうが、奥まった人物たちの「秘密」が少しづつ開示されていく。特に気になるのは、ある種の宗教団体で、どうやらインドに関わりがありそう、というくだり。訴訟があったり、社会的な問題を起こしたりと、いうプロフィールだけは登場したが、はてさて、これからどういう展開になることか。
6)ネタバレまではいかないにせよ、どこかで誰かが、ドフトエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」との関わりをほのめかしていたので、そちらの作品の三枚組DVDも実は借りてきているんだよね。でも、今のところ、あんまり関係なさそうなのだがなぁ・・・。
7)それと、暫定的に、前編、後編と言ってきたが、実は、第1部、第2部、となっているのだ。ひょっとすると、これって例の村上春樹商法で、結果的に第3部、第4部と展開していくことになるのかねぇ~~~~? 正直言って、小説が苦手な私には、苦役だなぁ。
8)だったら、読まなければいいじゃん。と自分でも思う。でもなあ、そうすると、話題に乗っていけなくなるかもしれないし。一応、知らんぷりして、ああ、読んだよ、と言ってみたいしなぁ。複雑。
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「知識ゼロからの大人のピアノ超入門」
清水ミチコ (著), 森真奈美 (著) 2015/10 幻冬舎単行本 143ページ
★★★★★
<2>ねこふんじゃった
1)ピアノに無防備に挑戦しようとわが姿勢に、まったく根拠がないわけではない。ひとつには小学2年生の頃、カワイだかヤマハだかのオルガン教室に通ったことがある。ほんの数回通っただけだが、いまだにドミソ・ドファラ・シレソの和音が刷り込まれているのだ。
2)二つ目は、若い時分には、ギターが弾けないことには女性にモテなかったので、とりあえず、C Am Dm F Em G7とかのコードは押さえられるようにはなったのだ。どうかすると、アルペジオで「禁じられた遊び」くらいは、今でも、いきなりギターを渡されても、つっかかりつっかかりしながらも、なんとか思い出すかもしれない。
3)そして三つ目には、パソコンのキーボードを叩く時、かつてのワープロ専用機は、文字配列がバラバラだったので、見ながら二本指で打っていたものだが、パソコンが普及し、文字盤が基準化された時、思いついてタッチタイピングを覚えようとしたことがある。
4)あの時、なんと思いもよらず、ほぼ一か月でモノになったという成功体験がある。オレは指先が器用なのだ、という自負が、ピアノのキーボードだって、にたようなものだろう、と思い込ませる。
5)さてまずは「誰でも弾ける」という「ねこふんじゃった」に挑戦である。このピアノ、自分で弾き出して気が付いたのだが、かなり音律がズレてしまっている。和音や、とりあえず一曲弾こうという段になると、さすがの私でも気が付いてしまう。
6)しかしまあ、プロに調律とか頼むのは後日として、まずは自分の指の動きを調律しようではないか。やってみると、なんとも指が重い。パソコンのキーボードを長く叩き続けてきたので、その癖がついてしまっている。あるいは、動かすところが決まってしまっている。
7)まぁ、両手使いで一時間の練習では、まずはこんなものだね。
7)あとは、姿勢とか指の使い方とか爪の切り方といろいるあるんだろうなぁ。
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「続・彫刻刀で楽しむ仏像」[釈迦如来・聖観音菩薩] <25>
関侊雲(監修), 河合宏介(写真) 2013/6/5 スタジオタッククリエイティブ 単行本 176ページ
★★★★★
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「知識ゼロからの大人のピアノ超入門」 <1>
清水ミチコ (著), 森真奈美 (著) 2015/10 幻冬舎単行本 143ページ
No.3972★★★★★
1)この連休に、あの小説にさえハマらなかったら、他にも結構やりたいことはあったのだ。その準備はいくつかしておいた。しかし、あと数日で連休も終わってしまう。せめて、準備だけはしておいたのだ、ということをここにメモしておこう。どうせ、すべてが連休で完結するわけがない。ひとつのスタートにすぎないのだから。
2)ピアノのことを考えていたは、一貫した「廃物アート」のひとつとしてなのだ。子供たちが、幼稚園や小学校時代に習ったピアノ。特段に愛されたという経験もなしに、やがて廃物となってしまう大型家財である。
3)先年、やはり廃物と化したピアノを、姉が業者に引き取ってもらったらしい。条件は、廃棄処分にすると有料になりますが、多少活用させてもらうという口実で、プラマイゼロ、つまり、ただで、「もっていかれてしまった」のだ。これって、わたし的には、納得がいかない。
4)つまり車でもそうだが、15年15万キロの中古車でも、オーナーにとってはあと半年車検があるから、有料で引き取ってもらいたい、と思う。その気持ちはわかるし、「これは部品取りにしかならないから」という口実に、反発を感じる気持ちはわかる。
5)しかし、今の私なら、すなおに業者の言葉にしたがう。なんせ、不良整備の車に乗っていて、事故なんか起こしたら、目も当てられない。車はモノとしての存在ではなくて、移動するというコトとしての必要財なのだ。
6)ところで、古ピアノはどうだ。確かに調律されていない古ピアノをガチャガチャされたら、聴いている者たちにとっては「事故」となりかねないが、連休の他に誰もいない自宅で、カーテンを深く降ろしてキーボードを叩く限り、「被害」は最小限に納まるだろう。
7)大人のピアノ。この手の教則本はいろいろありそうだが、まずは手元にあったお手軽なものを一冊使ってみよう。イメージとしては、目標をいくつか立ててみた。①ビートルズの何曲かを弾いてみたい。②クリスマスソングも何曲か。③本格的なクラシックかジャズを(ずいぶん大雑把な分類ではあるが)、せめて一曲。こんなところでどうだ。
8)ところが、この本が目標にしているのは次のような内容だ。
有名メロディを弾いてみよう!
●右手「運命」と「ツラトゥストラ」
●タンタタ・タンタン「正露丸」のテーマ
●3連符「水戸黄門」のテーマ
●指くぐり「トロイメライ」
●4分の5拍子「ゴジラ」メインタイトル 表紙見返し
名曲でステップアップ・レッスン!
●懐かしい癒しのメロディ「家路」
●ゆったり気持ちを込めて弾き語り「アメージング・グレース」
●永遠の名局でスター気分を味わおう!「ムーン・リバー」
●魅力の秘密は付点のリズム「卒業写真」
●J-POPを楽しく弾こう!「チェリー」 裏表紙見返し
9)こちらの目標とは微妙に(いやかなり)違っているが、まぁ、それはそれでいいだろう。
10)このピアノの由来とか、現在どのようになっているとか、他のいくつかのエピソードは後日のこととする。なにはともあれ、ここにメモしておけば、あの年のあの連休から始めたんだよな、というスタートの目印にはなるだろう。
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「騎士団長殺し」:第1部 顕れるイデア編 <3>
村上春樹 (著) 2017/02 新潮社単行本: 512ページ
★★★★★
1)まもなく上巻が終わる。なるほど、こうして「プロの嘘つき」たちは、自らのショウバイを展開しているわけだな。これでは、どうしても下巻まで手を伸ばさなくてはならなくなる。
2)連休中に他にやりたいこともあったが、考えてみれば、そちらへの作用もまずまず良い影響を与えてもいるようだ。

3)本質的に具象化できないイデアなのに、自らの姿を現すことをあえて希望するイデア。そのムズムズした、春から夏に向けての、左足や、右足の小指あたりの、あの水虫菌のように、その存在を誇示したがる。
4)こういうちょっとポルノっぽい表現を多く含む作品は、今、これを読んでいるんだ、なんて言いたくないような作品であることには違いない。さらっと、他人に気づかれないうちに、さっさと読んでしまうに限る。
5)せっかく我が家にやってきたこの作品、私以外の他の家族が、しかも複数が読みたいと言っているので、私の借りている間に目を通してみたいと言っている。されど、彼女らも、なかなか忙しい。本格的にこの作品に取り組むには、もうちょっと時間がかかりそうだ。
6)最初は、そのことも考慮して、下巻はちょっと余裕あるタイミングで借り出そうと思っていたが、もう、そんなことはどうでもいいや。読みたいと思うなら、自分で新たに予約して、あと何か月か待って、読めばいい。
7)少なくとも、この作品を読んで、家族間で批評しあう、なんて状況だけはさけたい。いつか誰か他の家族が、読んだことある? なんて切り出したら、さらっと、うん読んだよ、と言って、他の話題に移っていくだけの、余裕がほしいな、私自身は。
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「騎士団長殺し」:第1部 顕れるイデア編 <1>
村上春樹 (著) 2017/02 新潮社単行本: 512ページ
★★★★★
1)上巻3分の2ほど読み進めた。例によってハルキワールドである。車。ジャガーや、プジョーやカローラワゴン。スバルフォレスターや、ミニクーパー。インフィニティのリムジン、そしてわがプリウスなどなど。小道具として彼の小説には欠かせないアイテムたちである。
2)ファッションについては、私はまったく関心がないのだが、どうやら次から次と書き込まれる女性陣のみならず登場する男性たちのファンションも、こまかい説明が続く。この辺が、女性にも人気がある所以だろう。
3)それにまた次から次とつづくポルノグラフィー。まぁ、いいかげんにしろよ、と思いつつ、全部読み飛ばしたりするわけでもないのだから、人並みに私もすっかり彼の術中にはまっているといえる。
4)それにクラッシックやらオペラやら、読む者の気を惹きそうなことなら、なんでもやってくる。ひとつひとつがバラバラだ。そもそもクラシックなどに関心のない私などは、以前は、ひとつひとつ登場する歌曲を聞きながら読んだが、あとになっても、そんなことはすぐ忘れてしまうので、後付けでそういう知識を身につけてもなぁ、とあまり追っかけないことにした。
5)井戸と梯子ってのも、定番アイテムだ。だからどうした、と言いたいが、ハルキワールドでは、何かの意味がこめられているようでもあり、そうでもないようである。
6)かなりの長編なので、いい加減飽きてくるのだが、その飽きてくるようなタイミングで、いろいろなエピソードを盛り込んでくる。仏教やら、田舎情報やら、食べ物やら、絵やら、音楽やら、犯罪やら、不思議な無意識やら、もう、なんでもありだ。
7)下手すりゃ、冗漫すぎてバラバラになってしまいそうなのだが、このまま下巻まで読まそうと、昨夜はあの手この手を仕掛けてくる。しょうがない、付き合ってやるか。
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「騎士団長殺し」:第1部 顕れるイデア編 <1>
村上春樹 (著) 2017/02 新潮社単行本: 512ページ
No.3971★★★★★
1)発売日に店頭で見かけ、読む気もないまま図書館にブッキングしたあとは、すっかり忘れていた。すでに数百人の予約があり、図書館にはまだ数冊しかの納入されていなかったので、私の番が来るには半年か一年かかるはずだ。そう思って油断していた。
2)その後、蔵書は10倍に増え、なんとあっと言う間に(と言っても二か月がかかったか)私の番がやってきた。しかも、なんと、この連休のタイミングに合わせたようにだ。順番予約をしたので、前編を読み終わるタイミングにちょうど後編が来てくれればいいな、という希望をよそに、なんと数日のズレでやってきてしまったのだ。
3)この連休、何をしようかなぁ、といろいろ考えていた。去年の連休は、五重塔から薬師瑠璃光如来坐像の制作に取り掛かっていた。おととしの連休は、山田洋二監督「男はつらいよ」全48作の録画ビデオ整理のために、再視聴でブログにメモした。その前の年は、断捨離で、家の中を整理していたな。
4)さて、今年はどうしようかな。ビデオ三昧で「カラマーゾフの兄弟」3枚組も準備してあるし、OSHOのZENディスコースシリーズも再読したいし、畑仕事もなぁ。木刻で作りたいものも、実は数体アイディアがたまっている。どれにしようかな、と思っているさきに、この小説が飛び込んできた。
5)すでに私の後ろにもたくさんの人々が(数百人)が待っている。家族も、私が読んだあとでいいからと、借り出し期間中に読むことを希望している。後編もあるしなぁ。ここは諦めて、この連休は村上春樹と向き合うか。
6)まだ100ページまではいかないが、もうつまらなかったら、さっさとやめようと思っていたのだが、なかなかやめることができない。さすが、村上春樹だぜ。やめよう、やめようと思っているうちに、ついつい読まされて、どうやら、この小説のテーマの入り口までたどり着いてしまったようだ。これじゃ、気になってやめるわけにはいかないな。
7)観念した。
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「禅」ワイド版<1>
鈴木 大拙 (著), 工藤 澄子 (翻訳) 2017/02 筑摩書房 単行本: 219ページ
No.3970★★★★★
1)善書である。禅書にして善書である。
2)1966年に亡くなったDT.SUZUKI。その前年に出たこの一書はそもそもは英文で書かれたものの翻訳まとめである。邦訳にあたり最晩年の大拙自身が前文を書いている。大拙の総まとめといえる一冊。この本を読んだら、大拙を読んだことがある、と言えるだろう。
3)OSHOは大拙について、人類の精神史上、比類のない大業を成した、と表現しつつ、大悟はしていない、とぶった切っている。よく読めば、その「限界」を知ることもできる。問題は、大拙でもなければ、もちろん禅でもない。わたくし、そのものだ。
4)当ブログ、進行上、この本で3970冊目。記念碑的4000冊目に向けて、どのような経過をたどるだろうと、われながら興味深々だったが、この本を読んでいて、OSHO・ZENシリーズに、一気に気持ちが傾いた。
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「大法輪」マインドフルネスと坐禅・瞑想 <1>
2017/ 04 大法輪閣 雑誌 1934創刊 一般の人へ仏教をやさしく紹介 月刊版
★★★★★
1)ざっと60ページ以上の特集を通読してみれば、これはこれ、実に全うな日本仏教界のマインドフルネスとやらへの反応、感応ということになる。これはこれでよい。マインドフルネスと表現されているものに対する雑感が、まぁ、全体として、一般的な意見を代弁してくれているようだ。
2)個別にひとつひとつメモしておこうかな、と思ったが、結局はまずは有体のよくある意見なので、あえて抜き書きするほどのこともない。こんなもんだろう、と思う。
3)そしてさらに思う。OSHOサニヤシンたる私は、なぜにこの日本仏教界に留まることなく、インドまで若くして足を延ばすことになったのだろう。縁は異なもの味なもの。日本仏教というガラパゴス化した文化層圏にはとどまりたくなかった自分がいるのであろう。
4)ことし正月に今年一年でやりたいことを三つ上げておいた。
①OSHO「現代世界のマインドフルネス」の通読と素訳。
②樹齢1300年カヤの木の間伐材で薬師瑠璃光如来坐像の制作。
③映画「2001年宇宙の旅」シリーズの完読、精読。
5)①については、現在のところ4か月経過して、まだ10分の1程度の進行だが、準備期間の長さも配慮すれば、まずまずの経過。おそらく年内には達成するだろう。
②については、50%の進行度合い。完成度を高めなければこれでもいい、というところまできている。むしろそこから派生するところの弥勒座像や阿修羅像へと思いは広がっている。
③については割と難儀しているが、2001シリーズだけではなく、SF全般、特にソラリスやタルコフスキーあたりまで進展しているのは、我ながら興味深い。この分野のキーワードはシンギュラリティだ。
6)マインドフルネスという言葉使いについて考えていて、パーマカルチャーという単語があることを思い出した。パーマカルチャーもまた、原型としては日本の伝統的な農家のライフスタイルを基礎としているのだ。マインドフルネスもまた、さまざまな流れを受けながら、日本ガラパゴス仏教の再編成といえないことはない。
7)それを「迎え撃つ」ところのガラパゴス日本の、どこか滑稽な、どこか頓珍漢な、どこかずっこけな面が見えてくる。
8)世は世界宗教を求めているのである。地域に平安をもたらす文化宗教や、国家の礎となるような支配力としての宗教が求められているのではない。この限られた地球という空間における、生物としての人間の精神性をつなぎ合わせるところの、世界宗教が必要なのだ。
9)イスラム圏を今、マインドフルネスでもって鎮静できるか。唯物共産圏をマインドフルネスで説得できるか。流民化する第三世界の人々に施無畏の心を想起しえるのか。暴走する欲望の塊、資本社会を良導する力はあるのか。いわゆるマインドフルネスに課せられた課題は多い。
10)されど、いわゆる一つのムーブメントとしてのマインドフルネスとやらにだけ、それを期待することは酷である。そしてさらには、かつて何千年として命脈を繋げつつも達成できなかった。むしろ、かつてこれまでなかった形でのスピリチュアリティをこそ模索、進行させることこそが目下の課題なのではないか。
11)この雑誌を読みながら、ガラパゴス日本仏教界にも、アメリカ・カバットジン・マインドフルネスにも、敬意を表しつつも、やはり可能性はわがOSHOに軸足を置いていくことによってこそ未来は開けると、そう思った次第である。
12)蛇足ながら上の①②③については、実はOSHOと実に整合性がいい。マインドフルネスではサポートできないものもあるし、ガラパゴスブッディズムでは、方向ちがいと怒られそうだ。しかし我が道はむしろ①②③を優先する。それをサポートしてくれるのは私にとってOSHOしかない。
<3>につづく
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「それでも愛(ひとつ)であるから」 永遠に在りて在るもの (上) (下)
MARTH (著) 2017/4 株式会社コンフォート 単行本(ソフトカバー)CD付 207ページ
No.3968~9★★★★☆
1)贈本である。個人的なブログである当ブログにも、年に何冊か贈本がある。ほとんどは現物が届く。多く印刷したから、と手渡ししてくれたり、郵送してくれたりする。新刊を紹介だけして、買って読んでくれ、という人もいる。もちろんハガキの新刊案内はちょこちょこ飛込んでくる。
2)しかし、今回は電子書籍として全ページが読めるスタイルでの贈本である。あらま、電子本なのか、と思ったが、実はキチンとした印刷物でもあるらしく、CD(コンパクトデスク)付きで、おそらくネットでも購入できるのだろうし、一部店頭にも並ぶのだろう。結構なお値段である。
3)CDの音楽も、全部なのかどうかはまだよくわかっていないが、ちゃんと聞けるようになっていた。
4)へぇ~いいなぁ。これからもこういう贈本はどんどん受け付けてしまおう。当ブログは本文にメアド付きでレスしてもらえれば、メアドは公開されずに届くので、今後もぜひ各方面からのアクセスに期待する(なんちゃってw)
5)でも、よくよく考えてみた。仮に送ってもらったURLを私が意図的非意図的を問わず公開してしまったとしたら、誰もがこの本をネットで無料で読めてしまうことになる。管理には気を付けなければね。もちろん、当ブログは道義に反したことは好みではない。
6)さて、贈本ではあるが、当ブログは必ずしも他者に対する紹介で書きつられている読書ブログではない。見られてしまっても仕方ないレベルの個人の覚書である。決して引きこもっているわけではないが、積極的に公開用に開かれているものではない。
7)ダイジェストは書いていない。そもそも本をダイジェストすることは得手ではないし、ダイジェストそのものはネットをググれば、大体理解できるようになっている。当ブログがさらに屋上屋を築くような真似をしなくてもいいだろう。
8)だから当ブログとしては、贈本であったとしても、あまりオベンチャラなことを書いておくことは好みではない。あとで自分で読んでみて、ああ、あの頃はああだったな、程度のことが類推できる程度にはメモし続けている。
9)だから、ここではっきり言ってしまおうかな。あまりマジに取られるのも困るが、この手の本(書籍)はあまり個人的な好みではない。個人的には、ノンフィクションのような、ちょっと夾雑物が混入しており、あれこれ雑談できるような本が好きなのである。
10)この本の巻頭には、たしか「フィクション」として取られてもいい、というような表現があったと思う。いくつかのレイヤーのある言葉だが、まったくフィクションを排除するわけではないが、あまりにも綺麗に濾過されたものは、口当たりがいいかもしれないが、結局あとで思い出してみると、印章が薄くなっている場合が多い。
11)この本の中では、いくつかの言葉が特徴的に使われている。タイトルにもあるような愛(ひとつ)とか、あるいはスピリットなどという語も、カッコの中に入れられたリして、多重な意味を負わせられている。
12)もっとも引っかかるのはワンネスという言葉だろう。当ブログでは、この言葉をほとんど使わない。引用文としてはあり得るだろうが、自らの好みではない。ところが、ある流れの中では、この語を特徴的に繰り返す共同性もある。あまりにもこの語が連発されると、ふむふむ、これはあの流れなのかな、と邪推することになる。
13)MARTHという著者名もなんとよぶのかわからない。マルス?マース? まぁ、なんでもいいや、MARTH でいいんだね、きっと。どうやら中年の男性らしい痕跡があるが、それとて、どうでもいいことなのだろう。すくなくとも中性性が演出されており、より無名性にかけている。まぁ、目印としてこの5文字を使えばそれでいいのだろう。
14)全体的な内容については、読む人それぞれがその印象を大事にすればいいことだろう。当ブログとしては、ことさらここに抜き書きしておくことはない。一連の詩のように読んで、感じるところがあれば、そこに感銘を寄せればいいだろう。軽やかにスキップして忘れてしまうことも、ひとつの手ではあろう。
15)私には、この本や、出版社、著者の意図が、まだひとつわからないので、まぁ、もうすこし時間をかけて、その辺を感じてみよう。というのが当ブログのスタイルである。
つづく・・・・・・・かもなぁ・・・・・
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「大法輪」マインドフルネスと坐禅・瞑想 <1>
2017/ 04 大法輪閣 雑誌 1934創刊 一般の人へ仏教をやさしく紹介 月刊版
No.3967★★★★★
1)「大法輪」。本誌としては当ブログ初登場である。ググッてみても、連載記事を一冊にした本であるとか、他の単行本の出版元としての登場以外は、実に初めてである。
2)幼い時代、同居していた祖父が愛読していた本で、どうも旧態依然というイメージがずっと付きまとい、面白いだろうな、という直観はあるものの、自らの道としてこの本を読むなんてことは、まったく考えてもみなかった。
3)しかし、今回図書館の蔵書をマインドフルネスの単語で検索してみると、なんと直近の特集号としてこの本にぶち当たったのである。なかなか読み応えがありそうだ。そもそも西洋、とくにアメリカあたりで現在流行していると言われるマインドフルネスとやらについては、ひとこともふたことも言いたい。
4)そういった意味で言えば、ことこのテーマについての私は、おそらく「日本人」として、立ち位置を「大法輪」のほうに置くに違いない。そういった視点から、まずはこの特集を精読してみようではないか。
5)パラパラとめくってみて、まず目についたのは、「イSム」の広告。
6)販売店としては「大法輪閣美術部」とはなっているものの、モノはイSムそのものだ。あらら、もはや私もこの世界にどっぷりハマる時代になっているのだなぁ。この広告を見ていて、やっぱり欲しいなと思ったのは阿修羅と弥勒像。ただ買うのは芸がないから、自分で作ってみることにした。

7)まだまだぎこちないが、ひとつひとつ関節を調節して行けば、いつかは弥勒になるだろう。なに、美しく飾ることが目的なのではない。弥勒を理解することがテーマなのだ。
8)それと、ざっとこの特集をめくってみて、まずは気になったのは、当ブログにとっては「天敵」(大爆笑)とさえいえる香山リカが書いていること。何をおっしゃっているのやら、とまずはめくってみたが、割とマトモ。というか、外敵侵略(笑)にあたっては、ここは呉越同舟で、昨日の敵は今日の友、とでもいうような心情が私の中で働くのかな?w
9)アメリカあたりで、マインドフルネスとやらが流行っているようだが、ことそのテーマについては、こちらが本家だろう、変なことを言っているが、どうも気になるな、ってあたりが、「大法輪」の本音であろうし、この特集の立ち位置だろう。
10)まずはそういうイメージでこの特集に目を通していってみよう。
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