「道元禅入門」セミナー正法眼蔵随聞記 飯田利行 <1>
「道元禅入門」セミナー正法眼蔵随聞記<1>
飯田 利行 (著) 1966/08 講談社 ミリオン・ブックス 新書 240ページ
No.3974★★★★★
1)そろそろクールビズの夏が近づいてきたので、まずは扇風機を出そうかなと天上階の物置スペースに上がった時、段ボール箱の中から見つけてきた一冊。私にとっては懐かしい、思い入れ深い一冊である。
2)実は、この本、当時同居していた父方の祖父の蔵書の一冊である。この祖父の読書の仕方は実にユニークであった。新聞記事にせよ、雑誌にせよ、このような新書、単行本にせよ、読書する時は、まず老眼鏡をかけ、右手に15センチほどのプラスチックの直線定規と、赤青両用の色鉛筆を持つのである。
3)そして、導入部や重要箇所に、キチンと定規を使って赤鉛筆で傍線を引きまくるのだ。さらには、章立てなどの右ページ肩には、目印のインデックス用両面シールを張る。だからもう、この本は誰の本なのかはすぐわかるが、さらに読了とすると、最後のページにその本を購入した経緯などを記しておくのだ。
4)これは1966年11月の読書だから、私は中学一年生、ビートルズが来日した年のことである。祖父はすでに70歳を超えていたはずだ。祖父の読書はすべからくこのスタイルである。戦記物、地元学、宗教モノ、新聞の切り抜き、グラビア雑誌。ことごとくこのスタイルである。
5)小さい時は、なかなか怖くてその書棚をいじることはできなかったが、祖父が亡くなって、私も成人したあとは、割とその書棚をいじった。その中でも、特に当時気になった本は借りて来て、目を通した。キチンと返却したつもりなのだが、その中でも何冊かは結局返却せずに私の手元に残ってしまっているものも数冊ある。その中の一冊がこの本だ。
6)私には祖父が二人いる。父方と母方、通常は当たり前のことだが、この二人には結構共通点が多かった。それぞれにそれなりの中核農家の主で、信仰心に厚かった。神社仏閣を愛し、それぞれに地域の役員などをこなしていた。
7)不思議と言えば不思議なのだが、この二人に共通するのは、跡取りである長男を40代で病気で亡くしていることである。老齢になっても正業に精を出さなければならなかった。それぞれに大家族の中で、人生を生き切った。
8)それぞれにその旦那寺は曹洞宗の道元禅の系譜にあったが、私の生家でもある祖父の家系の旦那寺は、戦後(だとおもうのだが)宗派を離脱して単立寺院となった。その経緯はいろいろ言われているが、それでも使っている経典とかは曹洞宗のものである。
9)この祖父が私の名前をつけてくれた、らしい。小さい頃は、お坊さんみたいな名前だな、と子供たちにからかわれたことがあったが、自分では全然そう思わなかった。青年時代は、親戚筋から、近くの寺の養子にならないか、という声がかかったこともある。次男であるがゆえにそういう申し出もあったのだろうが、そういえば、あのお寺も曹洞宗だった。
10)思えば、そういう縁で結ばれているのであれば、私が僧籍に入るということもあり得たのかもしれないが、浅はかにも今思うのであって、私がその道を選んだとしても、おそらくいわゆる「三日坊主」で終わったかもしれない。
11)さまざまな経緯があったにせよ、私には素直に僧籍に入るような道はなかった。ひとつには、やはり生家の旦那寺が(縁は深かった)戦争協力責任を感じて宗派を離れたこと、もっとグローバルな仏教を求めて当時のスリランカ仏教界との縁を深めていたことに起縁するかもしれない。
12)省略するが、私は、1978年4月にスリランカの仏足山にて、2500年のゴータマ・ブッタの法輪が、今あらたにOSHOによってその法輪が新たに転ぜられたことを見た。だから、正確に言えば、いわゆる言われるところの宗派の中にはなく、またその血脈というものにも属していないことになる。
13)ゴータマブッタの大覚、達磨大使の偉業、7~800年前の道元禅の発祥から今日に至るまでの伝統には、感謝して余りある。その縁をいただいていることに、何の不足があろうか。されど、だからそれゆえに、私のOSHOに対する態度と、自らの道を生きる態度に、さらなる意気込みを感じてしまうのである。
14)当寺において今日はじめて首座を請いて、払子をもっての説法を行わせた。首座よ、修行者の少ないことを気にしてはいけない。まだ初心の身であることを顧慮してはならない。汾陽の雲水はわずかに六七人、羽山の雲水は十人に満たなかった。されどみな仏祖の道を行じられた。
叢林が盛んであるというのはこのことをさすのだ。竹に石があたるひびきを聞いて道を悟った香厳禅師、桃の花を見て心を明らめた霊雲禅師の故事を考えてみよ。竹じたいになにも利純だとか迷悟のの別があるわけではない。
花に色のよしあしとか賢愚があるはずがない。花は毎年咲くけれど、それを見る人がみな悟れるわけではない。竹はいつでも響くけれども、その音を聞く者が、みんな道をさとるわけでもない。
ただ長い修行の努力により、つとめて道をおさめる縁をえて道を悟り心を明らめるのである。以上は竹のひびきが、ただするどいだけではない。また花の色がことによかったのでもない。
よしんば竹のひびきがすぐれていても、竹だけでは音がしない。瓦かけがあたるという縁をまってひゞきを起こすのである。花の色が美しいといってもただひとりでに咲くのではない。春風をえて咲くのである。
道を学ぶ縁もやはりこのようである。このさとりは、だれにも具わっているけれども、仏道を行ずることはみんなの力によらなければならない。だから、今、心を一つにして、坐禅に志を集中して、身をもって道をたずねもとめよ。
玉は磨くことによって器となり、人はねり磨くことによって人物となる。どんな玉でもはじめから光らない。どんな人間でも初心からすぐれるわけがない。必ず磨き、練れよ。自分を卑下して道を学ぶことに手ごころを加えてはならない。 p90 道元「正法眼蔵随聞記」
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