« 「フィフス・エレメント」監督リュック・ベッソン | トップページ | 「残の月」 大道寺将司句集 »

2017/06/03

「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版<11>千の花 散らして残る 小枝かな 把不住

<10>からつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版

<11>千の花 散らして残る 小枝かな 把不住   目次

1)当ブログが「ウェブ進化論」から始まった、ということは大きな決定事項だった。もしこの小さな新書に出会わなければ、当ブログは存在しなかっただろうし、また、私個人の人生も大きく別の道を歩み始めていたことだろう。

2)そういった意味においては、日々毎日が、選択肢に富んだ、可能性満載の日々であるということでもあり、いつでもどこでも、あらゆる方向に人生は変わっていく可能性があるということでもある。

3)しかしながら、「ウェブ進化論」で始まってしまった場合、結局1000冊目として、「松岡正剛 千夜千冊」にたどり着くのは必然であったようにも思われる。ネットにおける可能性の追求、そして当時の活躍していた人々、そして「千」に関わる一冊としては、もうこの本しかないだろう、という登場の仕方だった。

4)しかし、当ブログは当ブログなりに企みがあった。1クールを1000とせずに1024としたところに、我が個性を感じる。1000を超えて、1024を1クールとした場合、私の場合は、OSHOを登場させないわけにはいかないのである。

5)ここで毎回気になることではあるが、当ブログ、と表現するところと、私、と表現するところに、どんな違いがあるのだろう。私は当ブログの主筆(というか一人しかいない)であるかぎり、私と当ブログは一体なのであり、特段にその言葉を使い分ける必要はないのではないか。いつもそう思う。今後、峻別する時期が来るとして、今は混同したまま進める。

6)OSHOを集約するに、「ZEN MANUFEST」は、位置的に間違った選択ではない。されど、この一冊で何事すべてを代行させるわけにはいかない。ここでこの一冊を持ってきたのは象徴的な意味においてである。私はOSHOが大好きだよ、と、まずはそう言っておきたい。それを超えるものはまだ見つけていないよ、ということだ。

7)しかし、後でわかることだが、OSHOは超えて行かれなければならない。OSHOに留まることができない、またはOSHOに留まらせてくれないのが、またOSHOの仕組みなのである。

8)Vol.2における1000冊目がOSHOの「THIS, THIS: A Thousand Times This」であったことは、まぁ、ちょっとしたダジャレではある。たくさん、という意味をOSHOは千とひとつ、という単語を使って表すことが多かった。その意味でも、このタイトルが1000という言葉を含んでいたことは、1000冊目としては採用しやすかった。

9)されど。Vol.2における1024冊目は、木田元の「精神の哲学・肉体の哲学」であった。そもそも私は(当ブログは)、心理学の徒であり、宗教の徒でありつつ、哲学の徒でもあった。だから、ひそかな哲学への思いがどうしても顔をのぞかせてしまう。その意味では、木田元は、ひとつのメルクマールではある。

10) Vol.3において、3・11に突入した。一時フェードアウトしようとしていた当ブログはここで、大きく変化した。数え上げればきりはないが、とにかく、何かを創造しようという機運が高まってきたのは本当だった。「チキンの骨で恐竜を作ろう」は、大きな転機をもたらした。

11)Vol.3の1000冊目として選んだ「メイキング・オブ・ジュラシック・パーク」は当ブログとしては、かなり大きな挑戦だった。多少のてらいを含みつつ、この動画を選んだのは、それまでの固定化しつつある当ブログのフォーマットを作り直したい、という気持ちも込められていた。

12)そして3・11後に立ち現れた宮沢賢治や山尾三省、あるいはアントニオ・ネグリなどの好印象を差し置いて、一つの人間像としてはゲーリー・スナイダーがとてもカッコよく見えた。 「For the Children」 は編集本ではあるがコンパクトであり画像も多く象徴的な意味もあったので、VOL.3の1024冊目となった。

13)しかし、ここにきて、もうVolの分け方に意味を失った当ブログは、最初の最初からの通し番号で冊数を勘定することとなった。集束の過程に入ったのである。

14)1000冊の本はいらない。一冊があればいいだろう。1000の言葉はいらない。一つの句があればいいだろう。そんな思いから、短歌や俳句のことが気になり始めた。把不住と名前を借りて、五七語をいじり始めたところである。

15)そんな折り、出会ったのが「棺一基」だった。詠み人は、誰でもよかったのだろう。しかし、当ブログにおいては、この人が4000冊目に来た。それはまた、新たなる象徴的な意味を持っていた。

16)今後、5000冊目に向けて、プロセスとしての1000冊など、本当は意味がないものとなろう。5000冊目において、おそらく、一句、残されるはずだ。その一句をならしめるために、これからの1000冊が存在することになろう。たどり着けばの話だが。

<12>につづく

|

« 「フィフス・エレメント」監督リュック・ベッソン | トップページ | 「残の月」 大道寺将司句集 »

05)現代世界におけるマインドフルネス4」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版<11>千の花 散らして残る 小枝かな 把不住:

« 「フィフス・エレメント」監督リュック・ベッソン | トップページ | 「残の月」 大道寺将司句集 »