「新瞑想法入門」 OSHOの瞑想法集大成<6>ナタラジ瞑想
「新瞑想法入門」OSHOの瞑想法集大成 <6>
OSHO /スワミ・デヴァ・マジュヌ 1993/01 瞑想社 /めるくまーる 単行本 507p
★★★★★
踊りのなかに消え去りなさい
エゴ自我の中心である踊り手を忘れ、踊りそのものになりなさい。それがこの瞑想法だ。
「あなた」が踊っているのをすっかり忘れ、自分が踊りそのものだと感じるほど深く踊りなさい。区別、分裂は消えなければならない。そうしてはじめて、踊りは瞑想となる。
踊りと踊り手のあいだに区別があれば、それは一種の体操だ。健康的でいいものだが、霊的精神的とは言いがたい。それはただの踊りにすぎない。踊り自体はいいものだし、それはそれですばらしい。踊った後には、新鮮で若々しく感じる。だが、それはまだ瞑想ではない。踊り手が消え去らなければならない、踊りしか残らなくなるまで----。
さて、それではどうするか?全面的に、徹底的に踊りのなかに入り込むことだ。というのも、徹底的に入り込まないかぎり、あなたは分裂したままだからだ。脇に立って自分の踊りを見ていれば分裂は残る。
あなたが踊り手で、しかもあなたが踊っている。だとしたら、踊りはただの行為あるいは演技だ。あなたが行なっているものにすぎない。それはあなたの存在そのものではない。だから、徹底的に没入し、踊りのなかに溶け込んでしまいなさい。傍らに立っていてはならない。傍観者であってはならない。没入するのだ!
ナタラジ瞑想
「踊りをひとりでに流れさせなさい。それを強いてはならない。むしろ踊りに従い、踊りが起こるにまかせなさい。それは為すことではなく、起こることだ。お祭り気分のままでいればいい。あなたは深刻なことをしているのではなく、ただ遊んでいるにすぎないのだ。
自分自身の生命エネルギーと遊び、生体エネルギーと戯れ、そのエネルギーが自然に動くのを受け入れている。ちょうど風が吹き、川が流れるようにーあなたは吹いて、流れている。それを感じなさい。そして、遊び心を持ちなさい。この〈遊び心〉という言葉をつねに覚えておきなさい。
私にとって、これはまさに基本的なことだ。インドでは、創造のことを神のリーラー神の遊び-----と言う。神は世界を創造したのではない。それは神の遊びだ」OSHO
ナタラジは、全面的な踊りとしての瞑想です。
3つのステージからなり、全部で65分です。
●第一スレージ(40分間)
目を閉じたまま、とりつかれたように踊ります。無意識
の層が、自分を完全に乗っ取るにまかせます。動作を
コントロールせず、また起こっていることの傍観者であ
ってもいけません。ただ、踊りのなかに全面的に入り
込みましょう。
●第二ステージ(20分間)
目を閉じたまま㌧すぐに横たわります。静かに黙っ
て、じつとしています。
● 第三ステージ(5分問)
祝福のなかで踊り、楽しみましよう。 p152
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