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2017/06/10

「プロフェット(予言者)」<10> ジブラーン 小林薫訳 再読一気読み

<9>よりつづく 

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「プロフェット(予言者)」<10>
ジブラーン (著)小林薫(翻訳) 1972/06 ごま書房 単行本 228p 
★★★★★

1)再読・一気読みシリーズ第二弾。OSHO「私が愛した本」を読んだ限り、出てこざるを得ないのが、この本である。OSHOが130冊ほど抽出した本の約10冊がカリール・ジブランの本である。その中にあってももっとも代表作なのがこの本であり、他を凌駕する。

2)この「プロフェット」には邦訳がすでに10数種あり、それぞれ特徴があるが、私はもっともこの1972年に発行された小林薫訳を好んで読む。邦訳が各種あるということは、いずれがベストであると決めかねるということでもあるが、この本もまたベストな邦訳とはいいがたい。

3)されど、私の手元には数種の邦訳があるものの最も長く私の手元にあり、また邦訳としては最も古いという意味で、いつも手がでるのはこの邦訳である。

4)あらためて再読・一気読みしてみれば、いずれもまた読み残し、勘違いがあり、あらたな感慨を呼び起こしてくれる。とにかく、もっとも傑出しているのは、その情景であろう。幾年か前にその城塞にたどり着いた預言者が、故郷から迎えにきた船で帰ろうとしている。それを惜しんで、村人たちが最後の教えを乞う。

5)質問と答えは、いくつかの箇条書きになっており、それはそれでわかりやすいスタイルである。情景としてはまるで老子が山の関所で乞われているようでもあるし、ソクラテスが、死の淵で言葉を残している風でもある。もちろん山上の垂訓や、ニーチェのツラトウストラを連想する。

6)OSHOはこのスタイルを愛した。故郷からの迎えの船とは、死をも意味している。最後の言葉。エッセンス。煮詰まったアフォリズム。

7)オルファリースの町の、アル=ムスタファーの残した言葉は時に甘美でうるわしく、時には適度な痛みをともなった刺でもある。されど、集まった村人たちの心を癒すには十分な質と量を持っている。

8)書かれた年代、1900年代初頭ということもあり、最初はアラビア語で発表されたものが、ジブラン晩年に英語に自ら翻訳したということもあり、またその英語本を1970年代に邦訳したという意味で小林訳もかならずしも、痛いところに手がとどくような言葉使いにはなっていない。しかし漢字にカタカナで外来語のルビを振るなどの表現法は、読む者にイメージのふくらみを感じさせる。

9)この本から何か人生の規則のような規範のような決まりきったルールのようなものを取り出そうというのは無理であるし、意味がない。ここにある詩情をこそ楽しめば、この本はベストな読み方をされた、ということになろう。

10)扱いやすく、広がりがあり、老若男女、みなで共有しやすい一冊である。

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