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2017年6月の68件の記事

2017/06/21

2017年上半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10

2016年下半期よりつづく 

2017年上半期に当ブログが読んだ
新刊本ベスト10
 

(本のタイトルをクリックすると、当ブログが書いたそれぞれの作品のメモに飛びます)

第1位
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演劇『ファミリーツリー』名取公演
主催 ファミリーツリー製作委員会 出演 絵永けい 小畑次郎 松崎太郎他 2017/05/27 名取市文化会館 小ホール 上演時間80分

第2位
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「大法輪」
マインドフルネスと坐禅・瞑想
2017/ 04 大法輪閣 雑誌 1934創刊 一般の人へ仏教をやさしく紹介 月刊版

第3位
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「これからインターネットに起こる『不可避な12の出来事』」 今後の社会・ビジネスを破壊的に変える「新たなるデジタル テクノロジー」をビジュアルで読み解く (NEXT VISION(NextPublishing)) <1>
ケヴィン・ケリー (著),      服部 桂   (翻訳) 2016/12 出版社: インプレスR&D ペーパーバック 128ページ

第4位
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「禅」ワイド版
鈴木 大拙 (著),    工藤 澄子 (翻訳) 2017/02 筑摩書房 単行本: 219ページ

第5位
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「如来さまにみちびかれ」 三角定義油揚げとともに
庄司 勝壽 2016/11 ブレインワークス 単行本 161p

第6位
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 「仏像彫刻のすすめ」新装改訂版
松久朋琳 (著) 2016/08 日貿出版社 B5版 単行本(ソフトカバー) 211ページ

第7位
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「騎士団長殺し」第1部 顕れるイデア編 
村上春樹 (著) 2017/02 新潮社単行本: 512ページ

第8位
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「Creativity 創造性」
OSHO (著),    山川 紘矢,    山川 亜希子 (翻訳) 2017/3 KADOKAWA 単行本: 248ページ 

第9位
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「スタンフォード大学 マインドフルネス教室」

スティーヴン・マーフィ重松 (著),    坂井 純子 (翻訳) (2016/06講談社 単行本: 322ページ

第10位
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WIRED(ワイアード)VOL.28」 特集「Making Things ものづくりの未来」
Condé Nast Japan (コンデナスト・ジャパン)   (著),2017/06    WIRED編集部 (編集) 雑誌
WIRED関連リスト 

次点
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「土偶のリアル」 発見・発掘から蒐集・国宝誕生まで
譽田亜紀子 (著),    武藤康弘 (監修),    スソアキコ (イラスト) 2017/03 山川出版社 単行本: 200ページ

2017年下半期へつづく

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2017/06/20

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<68>「現代世界におけるマインドフルネス4」カテゴリについて

<67>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<68>「現代世界におけるマインドフルネス4」カテゴリについて

1)同じタイトルでシリーズ化しているカテゴリとしては、Meditaton in the Marketplaceにつづく長期にわたって続く気配がある。意味的には同じなので、このニュアンスが当ブログに一番似合っているのだろう。

2)書かれた期間は2017/05/21~2017/06/21の一か月間。ひとつのカテゴリを108の記事で駆け抜けた期間としては、当ブログ最短記録である。その理由のひとつには、読書ブログという枠が大きくはずれつつあることにある。

3)読書というよりは、映画や芝居、イベント、それに、日常雑記のメモが多くなってきた。廃物アートの拡大も大きな要因である。

4)今年2017年正月に、今年のやりたいことを三つ上げてみた。一つには薬師如来像の制作であり、二つ目は、「2001年宇宙の旅」を中心としたSF作品群の整理。さらには、OSHO本の翻訳。

5)薬師如来坐像は、まだ途上だが、形にはなってきた。

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6)SF探検隊も、まずまずの過程ではあるが、道半ば。この道で本当にいいのか、というためらいが残る。現在はUFO制作でお茶を濁している。

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7)OSHO本翻訳も、さらに手こずってはいるが、そもそもそちらも翻訳そのものよりも、いかに瞑想を日常化するか、がテーマなのであり、秀麓禅齋における参禅も含め、自宅の瞑想ルームの整備とともにすすみつつある。

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8)今カテゴリの「再読したいこのカテゴリこの3冊」は、次のとおり。

「SF大クロニクル」
ガイ・ヘイリー (編集),    北島明弘 (その他) 2016/02 KADOKAWA/角川マガジンズ
「人工知能のための哲学塾」
三宅 陽一郎 (著)  2016/08  ビー・エヌ・エヌ新社 

「ロボットの歴史を作ったロボット100」
アナ・マトロニック (著),  ナショナル ジオグラフィック (編集),    片山 美佳子 (翻訳)  2017/01 日経ナショナルジオグラフィック社 

9)今カテゴリの中で特筆すべき点は、当ブログ「エッセンス版」を、統合改題して「把不住述懐」としたことだろうか。、まだ安定しないため、仮題としているが、いずれしっかりした姿を持つこととなろう。

10)2017年上半期の新刊書ベスト10も、この記事に続いてアップする。今回は新刊書の材料は豊富だったが、粒は小さかった。

11)次のカテゴリも同じ名前で「5」とする。

<69>につづく

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再読したいこのカテゴリこの3冊「現代世界におけるマインドフルネス4 」編

前からつづく

再読したいこのカテゴリこの3冊
「現代世界におけるマインドフルネス4」

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「SF大クロニクル」
ガイ・ヘイリー (編集),    北島明弘 (その他) 2016/02 KADOKAWA/角川マガジンズ

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「人工知能のための哲学塾」

三宅 陽一郎 (著)  2016/08  ビー・エヌ・エヌ新社 

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「ロボットの歴史を作ったロボット100」
アナ・マトロニック (著),  ナショナル ジオグラフィック (編集),    片山 美佳子 (翻訳)  2017/01 日経ナショナルジオグラフィック社 

後につづく

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2017/06/19

「把不住述懐」<13>

「杷不住述懐」<3>よりつづく 

(仮題)把不住庵日記<7>からつづく   

-----------------------

<12>からつづく 

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「把不住述懐」 「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版

<13>仮題としての把不住述懐   目次

1)家族や日常生活をメモしておこうとするんであれば、特段に項目に分ける必要もないのだが、あとから読んでわかりやすくするためには、やはり三つくらいに分けておいた方がいいだろう。母と孫たちと、植物生活。これはこれで妥当性がある。

2)読書生活もまた、タイトルと読んだ日をメモしておく程度で、特段に困らない。それ以上に項目建てしているのは、こちらもあとで整理しやすくするためであり、個人的な楽しみのためえでもある。特に、感動した本、感動しなかった本。もう一度読みたい本など、日々変わっていく嗜好性のためには、やはり3~4の項目しておくのもよいだろう。

3)もっとも、最近は読書はすこしペースダウンして、演劇や映画、イベントや展示会などについてのメモも貴重な記録となりつつある。

4)さて、当ブログの本目本題である内面の世界。「地球人スピリット・ジャーナル」というタイトルで10数年経過した今、そのタイトルについての、個人的な旅路は、一区切りついてしまっている。要約すれば、地球人スピリットは「把不住」に込めたのであり、ジャーナルは、外面の記録から、内面の確認へと移行しつつある限り、「述懐」としたほうが、より自分の現在の心境にはフィットしている。

5)小さい頃の、ジャーナリストになりたい、というささやかな夢は、このようなブログを通してすでに満足することができている。ただジャーナルというほど、外面世界に興味を持ち続けることは困難になりつつある。むしろ、ツイッター、述懐のほうがふさわしい。

6)したがって、今回より、いちど書きかけていた「把不住述懐」という連続エッセイを、こちらへ合流することとする。そして当然ながら、ひと月半ほどまえにスタートしてしまった「把不住庵日記」は異名同義の記述なので、これもここに合流する。

7)はてさて、実は把不住という名前については、実はそれほど深くは受け取っていない。たまたま、友人たちと遊んだ松島の坐禅堂の名前をいただいてきただけである。とくにその読みが、わがサニヤス名Bhaveshに酷似していたので、Bhaveshの音読み日本語表記としての把不住をお借りしている段階である。(支障があれば、今後、即、御返却させていただきます。<m(__)m>)

8)そしてまた、ジャーナルや、宣言草稿などに含まれていたマニュフェスト的な部分は、今は角を丸め、いずれコンパクトで、インパクトのある内容に凝縮されるまで、静かに内面で温めることとする。

<14>につづく

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OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <C011>Eat and Drink Consciously

<C010>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <C011>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

<付録> 

マインドフルネスを支えるための技法5つ 

5、ちょっと聞いてみなさい

 聴くことは、体と魂の間の深い関わり合いだ。そして、それが瞑想の最も強力な方法として使われてきた要因だ。それは、二つの無限、物質と精神性の間に架かる橋なのだ。

 いつであれ、あなたが座っている時、ちょっと何が起きているか聞いてみなさい。そこは市場があり、雑音と雑踏があるだろう。あなたは列車や飛行機の音を聞く。 

 聴きなさい、ウルさいなあなどと思わず。まるで素敵な音楽を効くかのように聴くのだ。共感を持って。突然、雑音の質感が変わったことに気づくだろう。それはもう気をそらしもせず、邪魔もしない、そしていつの間にか、素晴らしい癒しとなるだろう。ちゃんと聞いたら、市場の雑音さえも名曲となる。 

 つまり、何を聴くかが問題なのではない、あなたが聞くというところがポイントなのだ、何を聴くかではない。 

 あなたが何かを聴くときでさえ、あなたは聴くことそのことのその価値そのものを考えては来なかっただろうが、とても心地よいものとして聴きなさい、まるでベートーベンのソナタでも聞いているかのように。すると気づくだろう、あなたがその質を変容させてしまったことに気づくだろう。それは素敵なものなる。OSHO p247/254

<C012>につづく

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「一番美しく」 監督: 黒澤明 / 「さとりサマーディにて」<30>

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「一番美しく」
監督: 黒澤明 出演: 志村 喬, 清川荘司, 菅井一郎, 入江たか子, 矢口陽子 発売日 2009/12 販売元: 東宝 Blu-ray 時間: 85 分 1944年制作
No.4030★★★★☆
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<29>からつづく

「さとりサマーディにて」 

<30>青春           目次 

---------------------------

1)黒沢映画の1944年版。戦争中である。ここに当時の女工たちの青春がある。

2)SF映画は、最初からフィクションだという思い込みがあり、なかなかその作品の中に入っていかない。ところが戦争時代の映画などは、実態を知らないので、ひょっとするとこういうことが本当だったのだ、というリアリティを感じ取ろうとする心理が働く。

3)この時代、これに近いような環境のなかで、当時の若者たちは生きていたのだ。現在の若者たちどころか、私たち戦後生まれの世代にもとても体験できないような青春があったのだ。

4)青春なんていえるものではなかっただろう。戦争時代だ。

5)映画の中で軍歌が流れてくると、そのいくつかをそらんじることができる自分に驚く。戦争が終わって10年も経過してから生まれた自分なのに、テレビやラジオ、ソノシートなどで、多くの軍歌を歌えるようになっているのだ。

6)20も過ぎて若い時分いはカラオケ酒場にもだいぶ通った。当時の職場の仲間たちと、大声出して、嬌声をあげながら軍歌をたくさん歌ったものだ。だけど・・・・・。

7)戦後民主主義で教育を受けて育った私に、ひと世代前の青春のことになんて、ほとんど思いを寄せることはなかったのだ。分かろうとしても、とても分かり得ない部分が多くあった。

8)このような苦境のなかで青春を送った私たちの親世代、そして、戦争で生き残った人々の中には、長寿を全うしている人たちが多い。どんな人生だったのだろう。聞こうと思っても、聞き出せない、深いストーリーがそれぞれにあるはずだ。

「さとりサマーディにて」<31>につづく

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2017/06/18

「第9地区」 監督: ニール・ブロムカンプ

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「第9地区」 
監督: ニール・ブロムカンプ 出演: シャルト・コプリー, デヴィッド・ジェームズ, ジェイソン・コープ, ヴァネッサ・ハイウッド 2015/12 販売元: ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント Blu-ray 時間: 112分 2009年制作
No.4029★★☆☆☆

1)このSF映画も、誰かのベストSF10に入っていたものの一つ。もう、だいぶ目が慣れてきてしまって、だから、どうした?と、冷めている自分がいる。

2)ひょっとすると、SF映画の見方を間違っているかもしれない。現在は、日本語音声で、英語字幕で見ている。これだと画面から目が離れても、なんとなく見ている気分になる。ながら視聴である。

3)これがいかん。これではいかんのである、おそらく。どうも、日本語吹き替えはリアリティに乏しい。いまひとつこなれていない。むしろ、映画を見るなら、原語で見て、字幕で補助すべきなのだろう。

4)そして、そもそも、きちんと映画と向き合うべきなのだ。

5)そのように、キチンと向き合うことができるようなSF映画を探してくるべきなのだ。そこのところが、まだできない。本当に見たいSF映画を、ぼく一部を除いて、見つけられないでいる。

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OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <C010>Eat and Drink Consciously

<C009>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <C010>Eat and Drink Consciously
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

<付録> 

マインドフルネスを支えるための技法5つ 

4、意識を持って食べ、飲む

 私たちはとても無意識で、自動的で、まるでロボットのように食べている。もし味覚が働かず、なかったとするなら、あなたはただただあなた自身を虐げていることになる。ゆっくりと進めなさい、そして味覚に注意するように。

 食物をただただ飲み込み続けることはやめなさい。あわてず味わい、味そのものになりなさい。あなたが甘さを感じるときは、その甘さになりなさい。そして、それから体全体で味わうことができるはずだ、決して口の中だけではなく、舌だけではなく、さざなみのように体全体に広げていくことができるはずだ。

 なんであれあなたが食べるなら、よく味わい、味そのものになりなさい。味なくして、あなたの感性は消滅してしまうだろう。それらはだんだん感性を失っていく。そして無感性になると、あなたは自分の身体を感じることができなくなり、あなた自身の感じる力を失ってしまうだろう。そして頭の中に取り残されてしまうだろう。

 水を飲むとき、その冷たさを感じなさい。目を閉じて、ゆっくり飲みなさい、そして味わうのだ。冷たさを感じ、その冷たさになるのを感じなさい。冷たさは水からあなたへと伝わり、あなたの身体そのものとなるからだ。

 あなたの口がそれに触れる、あなたの舌がそれに触れる、そしてその冷たさがあなたに伝わってくる。あなたの身体全体で起こることを見ていなさい。そのさざ波が広がるのを見ていなさい、そうするとあなたはその冷たさが体全体に感じるだろう。

 この方法で、あなたの感性は成長していく、そしてあなたはもっと生き生きとし、もっと満足して生きることができるようになる。OSHO 246/254

<C011>につづく

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「こんな本を読んでみたい」<2>

<1>からつづく

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 編集過程に入っていて、こんな連続シリーズを始めようとしていたことを思い出した。

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 しかも、もう一年も放置したまま、忘れていたのだ。

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 なるほど、こういうシリーズもあってもいいだろうな。

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 だけど、もう、こんなにいっぱい本を読もうというモチベーションはどんどん低下してしまっている。

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 たまたま待ち時間ができて、街でぶらつくとすれば、やはり書店となってしまう。

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 もう読まないだろうし、読んでも、だいたい内容が察しがついてしまうようなものは、時間の無駄である。

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 されど、やっぱり読んでみたいなぁ、と手に取ってしまう。美しい花に引き寄せられたリ、きれいな女性に振り返ってしまうのと、同じような現象だ。

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 面白そうなものは、面白いはずだ。

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 だけど、最近は老眼の度数も進んでいるし、一冊の本を読み続ける体力も下がっている。

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 これからは、読む本も厳選したい。

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 さらには、最近は、再読したい本のほうが多い。これ以上、手を伸ばして、どうするんだ?

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 ほどほどのエリアにとどまって、もうすこし深める時期ではござりませんか?

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 だいたいにおいて、読んでも、ケチをつけるばかりで、ちっとも感動しなかったり、文句ばっかり言っているのでは、健康にも悪いはずだ。

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 もうそこそこにしようよ。

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 書店を一年前にぶらついて、一回目のリストにも出しておきながら、また今日もリストアップしてしまった本もあるでは、あ~りませんか。

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 もう、ぶらつくことさえ、すこし押さえてはいかがでしょうか。

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 新しい雰囲気、新しい時代の潮流を感じようとするのは、たしかに良いことですが。

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 それに、図書館の書棚の前をぶらついているよりは、新鮮なのはわかる。

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 書店は、古本がないのは、たしかに不足である。

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 書店と図書館、それにネット。バランスよく利用するのがいいだろうな。

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 アウトプットがないと、インプットだけでは、消化不良になるよ。

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 かなり、曲がり角を感じるね。

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つづく

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2017/06/17

OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」<C009> Be Here

<C008>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <C009>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

<付録> 

マインドフルネスを支えるための技法5つ 

3、ここにいる

 あなたが意識として成長すると、世界もまたそれにともない変化を始める。直接的に行うべきことは何もなく、すべての変化はほとんど自動的に起こってくる。ただひとつの必要とされる努力は、もっと意識的であることだけだ。

 あなたが行っていることすべてをもっともっと意識的に始めてみなさい。歩くなら、意識的に歩く、あなたのすべての注意深さを歩くことに向けなさい。あなたがまったく意識を忘れて歩くときと、高いレベルの意識を歩くことに向けるときでは、大きな違いがある。

 その違いは根源的なものだ。その違いは外から見てはわからないだろうが、内側においては別な次元への本当の動きとなるだろう。

 ちょっとやってみなさい、例えば、あなたが手を動かすとき。あなたは確かに機械的に動かすことはできる。でも、それを最大の意識をもって、ゆっくり動きを感じながら、そして内側からあなたがどのように動いているか、見ていなさい。

 ちょっとしたこの仕草だけで、あなたは神聖なるものの戸口に立ち、ひとつの奇跡が起こる。これこそ科学の範疇ではいまだとらえ切れていない最大の神秘のひとつなのだ。あなたが決断すれば、手は動きから次の動きへとあなたの決断についてくるだろう。

 これは奇跡だ、意識が動きとつながるということだけではなく、動きが意識にしたがい始めるのだ。そのつながりはまだ見つかってはいない。これは魔法だ。これは物事を超えたマインドの力であり、この魔法はすべてのことについて言える。

 一日中、ナニをするにしても、意識なしではやらないように。そうすれば、このちょっとした仕草で、あなたの中に偉大な瞑想が湧き上がってくるだろう。これこそが全存在へと動いていく神聖なる道なのだ。

 さぁ、歩きなさい、座りなさい、聴きなさい、あるいは話しなさい、注意深さを持って。OSHO p246/251

<C010>につづく

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2017/06/16

「七人の侍」監督: 黒澤明 出演: 三船敏郎

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「七人の侍」
監督: 黒澤明 出演: 三船敏郎, 志村喬, 稲葉義男, 宮口精二, 千秋実 発売日 2009/10 販売元: 東宝 形式: Blu-ray 時間: 207 分 1954年制作
No.4028★★★★★

1)タルコフスキーが黒沢明に影響を受けていて、しかもこの七人の侍を、毎回映画を作るときは見るとのこと。せっかくタルコフスキーの、淡々とした世界を楽しんでいたのに、またチャンバラの世界に逆戻り。

2)ただ、スターウォーズのような無駄なチャンバラではない。生きるための必然のチャンバラだ。

3)1954年映画。私がうまれた年だ。その頃、こんな映画を作っている人たちがいたんだな。

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「さとりサマーディにて」<29>/「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」<70>

<28>からつづく

「さとりサマーディにて」 

<29>ひ孫たちとの対話           目次 

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<69>からつづく 

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<70>ハッピーばあさん  目次
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1)オッピさん、と、ひいおばあさんを呼ぶ地方がある。私の地方ではそれほど長生きの人達は多くなかったので、そういう呼び名はなかった。

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2)でも、いつの間にか、長寿の人々も増えてきて、この地方でもオッピさん、という呼び方が定着してきている。そして我が家ではピーばあちゃんが昂じて、ハッピーばあさん、が愛称になっている。

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3)3・11後に生まれた子供たちにとっては、この人がどういう人で、どのような人生を送ってきたのか、なんてことは、まったくわからない。だけど、何かのDNAの近さは感じるようだ。

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4)こうして触れ合うチャンスは、そうそう長くはないだろう。それは運命だから仕方ない。されど、触れ合えるうちは、触れ合っておくに限る。絶対その感触は残る。お互いに。

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5)命の交流がある。

「さとりサーマディにて」<30>につづく 

「プレムバヴェシュの孫たちとの会話」<71>につづく

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OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 OSHO <C008>

<C007>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <C008>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

<付録> 

マインドフルネスを支えるための技法5つ 

2、ゴミを放り出す

 眠りに入る前に、ジベリッシュを始めなさい。30分間のジベリッシュは、あなたを素早く空っぽにするだろう。通常の方法でやったら、何回も何回も反芻して、一晩中かかるだろう。でもそれは30分間で終わらせることができる。

 ジベリッシュ、異言は、ベットに坐ってやる最良の技法だ。明かりを消して、舌を動かし始めなさい。何が来ようと、その音に従い、続けなさい。言葉の種類は気にすることはない。文法も、あなたが何を言おうとしているのかも、気にすることはない。もっと意味のないものになれば、もっと助けになる。

 それはマインドのガラクタを放り出し、雑音を放り出す。それがなんであれ、始めて、続けてみなさい。ただ単に話しているのだが、情熱的に、まるであなたの人生すべてかかっているようにしゃべりなさい。。

 あなたはまったくナンセンスなことをしゃべり続けるだろうが、そこにはあなたの他は誰もいない。それでも情熱的に、誰かと情熱的に話しているかのように、30分間それをやれば、あなたは夜全体を十分に眠ることができるだろう。

 マインドは雑音を集め、あなたが眠ろうとする時も続けている。それは今や習慣になってしまった。それを止める方法が分からなくなっている、それだけだ。スイッチのオンオフが働かなくなっている。この技法は役立つ。この技法はエネルギーを解放するするだろう。あなたは空っぽになり、眠りに落ちる。

 これが夜の間に起こる夢と寝言の事の次第だ。マインドは次の日のために空っぽになろうとしている、準備しなければならないのだ。あなたはこの過程を完了させる方法を忘れてしまったのだ。そしてあなたは、起きていようと努力し、努力するだけ、眠るのが難しくなってくる。

 つまりこれはいかに眠りに入るかという問題ではない。そんなことは試みてはならない。レットゴーをどう試みることができるだろう。それはハプニングなのだ。あなたにできることは、ただ、それがいかに容易におこるような環境をつくるか、それだけなのだ。

 明かりを消し、快適な布団、使いやすい枕、そして過ごしやすく室温を調整しなさい。そして、30分ほど真剣に情熱的な独り言、情熱的なナンセンスに入っていきなさい。 

 音声はやってくるだろう、一言出れば、次々と言葉は続くだろう。だんだんあなたは中国語やイタリア語、フランス語やなんやらあなたが知りもしない他の言語を話し始めるだろう。それは、とても美しい。

 あなたがすでに知っている言語は、あなたを空っぽにするためには役に立たない。なぜならあなたが知っている言語は、すべての表現を追いかけることができないからだ。あなたは多くのこと怖がりはじめるだろう、あなたは何を言っているのか? これは言っていいことなの? 道徳的? あなたはあなたが語っていることに罪悪感を感じたりし始めてしまう。

 しかし、あなたが単に音として語っているならば、あなたは自分が語っていることを知ることがないが、あなたの動作や情感が、きちんと正しい仕事をするだろう。OSHO p243/254

<C009>につづく 

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2017/06/15

「ノスタルジア」 監督: アンドレイ・タルコフスキー<1>

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「ノスタルジア」<1> 
監督: アンドレイ・タルコフスキー 出演: オレーグ・ヤンコフスキー, エルランド・ヨセフソン, ドミツィアナ・ジョルダーノ 発売日 2015/03 販売元: KADOKAWA / 角川書店 形式: Blu-ray 時間: 126 分 1983年 イタリア・ソ連合作映画
No.4027★★★★★

1)タルコフスキーを特徴づけるもの。

・長廻し。俳優は長い演技を強いられる。演戯力が問われる。
・視点が、実際の身長に会わせた高さに固定されている。立ったままで見ている。
・シンメトリーが多用される。見ようによってはすべてがシンメトリーだ。このシンメトリーが、心理的な深さを生み出す。ただし、いわゆる日本的な、悟り臭さがない。むしろカトリック的な重さへとつながる。
・モノトーン。ほとんど色に逃げない。色のない世界である。必然的に、心理は一点に集中されていく。
・アップも、望遠もない。ただただ芝居の舞台を見ているような気分になる。芝居よりもなによりも、日本の伝統演芸のような雰囲気さえある。
・ふと気づいてみれば、音楽も実にゆったりとしたシンプルな流れである。

2)タルコフスキーは黒沢明に敬意を払っていた、と。七人の侍。雨月物語。当ブログでも、黒沢明に舵を切ってみようか。

3)重厚で、暗い。重苦しい。この重さが、本当は好きだった。すくなくとも、アメリカンなジャンクなSF映画とは対極にある。ただ、1983年にして、この重さなのか? バブリーな日本じゃぁ、この重さは、どう受け止められたのか。

4)映画という手法がなかったら、他にタルコフスキーはどのような表現をしただろう。これはおそらく、演劇でも、絵画でも、文章でもなかっただろう。あえていうなら、音楽か。ありは彫刻家。

5)いやいや、映画という手法があったればこそ、タルコフスキーというジャンルができたのだろう。まさにうってつけである。あるいは、映画という表現を、タルコフスキーは、その可能性を大きく広げた。あるいは、深めた。

6)この情感から、たやすくありふれた宗教的な抒情に持っていってしまっては、いかにも安手のあてがいものに堕してしまう。長々と、ゆっくりと、ひっぱり、深める。

7)アクションも、特撮も、CGも、クラッシュも、デザスターも、ない。小気味よいほどの、タルコフスキーである。

8)タルコフスキーには、他にも著名な作品が数種ある。受け取り手としては、もう一歩踏み出さないと、残りのそれらを見ることができない。踏み出させてしまう、威力がある。

9)早急な、安易な結論を提示しない。それでいて、この甘さ、スイートさは、どこから醸し出されるのか。

10)タナトスに大きく傾いた世界観である。その断末魔に、湧き上がる、最後のエロス。そんな感じが漂う。

11)この情景。被写体となる、この情景、この町、この家、この部屋、この村、この野原、このロケーションがあってこその、タルコフスキーだ。

12)そして、水、がタルコフスキーを特徴づける。水の動きがタルコフスキーを促し、タルコフスキーの波長を拡張する。

13)「自然はシンプルだ。原点に戻れ」。意表をつく展開。結末にちかづく。

14)左右のシンメトリー。ジョウゲのシンメトリー。前後、奥行きのシンメトリー。そして一点。さらには、消滅。

<2>につづく

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「 僕の村は戦場だった」 監督 アンドレイ・タルコフスキー

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「僕の村は戦場だった」
監督: アンドレイ・タルコフスキー 出演: ニコライ・ブルリャーエフ, ワレンティン・ズブコフ, エフゲニー・ジャリコフ発売日 2013/12 販売元: IVC,Ltd.(VC)(D) 形式: Blu-ray ディスク枚数: 1 時間: 95 分 1962年制作 ソ連映画
No.4026★★☆☆☆

1)30歳タルコフスキーのデビュー作。これをSF映画史の中で見ようという試みだったが、これはSF映画とは言えない。かと言って、ファンタジーでもノンフィクションでもない。ヒューマンポエムというか、これは、タルコフスキーというジャンル、と言っていいのかも。

2)ロシア語というのは不思議なものだ。プーチンがしゃべっているような気がしてくる。

3)淡々と、抑揚のない、長回しのカメラワークが延々と続く。カメラアングルもほとんど平面的。これがいい。

4)タルコフスキー。かなり決定的だね。

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「普門寺だより」第108号 ぼくの頭陀袋(リュックサック) <1>

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「普門寺だより」108号
単立法人普門寺 1977/02 東光印刷㈱ A4 4ページ
No.4025

1)自分としては断捨離のつもりで整理しているのだが、これまでも、何回かのフィルターを通してしまっているので、残っているのはかなり濃縮されている情報である。

2)それにしても、このタイミングで、このコピーがでてくるかなぁ~~~。

3)今回は、急ぎにつき、ここに画像として張り付けておくにとどめる。自分としては記念碑的な大事な文章なので、文字起こしは、次回の仕事とする。

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つづく

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「造形工房プラスアップ」<2>/ 石川裕人作・演出『方丈の海』<6> 

<1>からつづく

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「造形工房プラスアップ」 <2>

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<5>からつづく

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「方丈の海」 <6>
石川裕人 TheatreGroup“OCT/PASS” Vol.35  2013/10/11~14 せんだい演劇工房10-BOX box1 上演台本 152p 追悼公演編 


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1)なんとなく後ろ髪引かれたので、ちょっとだけ検索してみた。するとなんと、仙台メディアテークとか、「方丈の海」まで登場してきた。おやあ、ひょっとすると、あの海から上がってきた怪物カイコーの着ぐるみは、この工房で作られたのかもしれない。

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2)小桜の引いてきた荷車を何気なく見ている小節。
幌の中を見ながら後ずさる。
カイコーが出てくる。
カイコーの足にはロープがつながっているので逃げられないようになっている。

小節 なんだー?

小桜 カイコーだよ!!
石持 こいつがカイコーか、
小桜 これを社長に見せたかったのさ。
石持 (苦笑いして) これが半漁人だって? インチキっぽいなぁ、
小桜 だからいいんじゃないですか、

    カイコー、何か手に持っているものを小節に差し出そうとしている。

カイコー ウミノソコ、アオキフカキウミノソコ、ニマンヒロ(尋)フカク、コレヲ、
小節 (そろそろと受け取り)
     それは何かの骨だった。
     石川裕人作「方丈の海」台本p79

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3)撮影禁止の演劇ゆえ、画像は少ないが、スタッフの方の画像をお借りしてみました。<m(__)m> ただ、私の記憶では、上演のタイミングで、このカイコーの衣装は変化していたので、これは違うかもしれない(汗)。

K2

4)なんせ、演劇という多くの人々が関わる総合芸術ゆえ、さまざまな紆余曲折があったにちがいない。

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5)詳細不明なまま検索を続けているが、この工房のおそらく代表者は、岸浪清史(1966年生まれ)という方のようである。もしそうだとすると、この方には「夢幻魔人 サイコハンタ- D」(1991)という自主製作作品があることになる。図書館には所蔵されているようなので、ひょっとすると近日中に見ることができるかもしれない。  

6)以上、今日の書き込みはすべて未確認情報。もし勘違いだったら、あら~、ごめんなさいm(__)mで、すぐ訂正する予定です。誰か正確なこと知っていたら、おしえてね。

つづけ、なくっちゃぁーーー

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追伸 不思議なことは続くものだ。さっき散歩していたらオクトパスの女優さんシュクリさんに声をかけていただいた。 早速昨日からの疑問をぶつけてみたら、やっぱりこのページに貼らせていただいたカイコーは、OCT/PASSスタッフのライヒさんが作ったものだった。その現場を見ていたという。

ただし、これは2014年作品なので、2012年作品の時は、ひょっとすると岸浪氏の製作だったかもしれない、とか・・・・。 探検は続く-------

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「宇宙兄弟」 監督 森義隆/「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」<69>

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「宇宙兄弟」

森義隆(監督) 小栗旬 (出演), 岡田将生 (出演),   発売日 2012/12 販売元: 東宝 スタンダード・エディション DVD 時間 129 分 2012年作品
No.4024
★★☆☆☆

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<68>からつづく 

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  • 1)う~ん、残念。見始めたところで、緊急の呼び出し電話。頓挫して戻ってきてみると、すでに残り数十分しか見ることができなかった。

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    2)でも、奥さんがしっかり見ていてくれた(爆笑)。この手の映画は好きなんだよね、彼女。そこで、大体のストーリーを聞くことができた。

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    3)このDVDを見ることになったのは、誰かのベストSF10リストの何位かに入っていたから。でなかったら、こういう作品を見る機会はないよね。もともとコミックだし、TVのアニメだったらしい。それが人気で実写化された。

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    4)わがSF的モチベーションでは、このDVDを繰り返しみようとは思わないけれど、この作品の話を聞いて、そういえば一年ほど前に、幼い孫兄弟を連れてJAXAの施設に遊んだことを思い出した。

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    5)映画の中の宇宙兄弟は、小さい時に、どちらかがUFOを見た時に、宇宙飛行士になりたいと、思ったそうだ。

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    6)おお、わが家の孫たちも、爺さんのUFOを見て、将来的に宇宙兄弟にならないとも言えないな。

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    7)近くにこういう施設があるというのはイイね。

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    8)ちいさい時に、こういう施設を見ることが、大きく影響する、ということもあるかもね。

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    2017/06/14

    「造形工房プラスアップ」<1>

    1)街をウォーキングしていると、なんと怪しげな作業をしているオジさんが・・・。

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    2)オジさんと言っては失礼か。私よりかは20歳は若そうなお人だ。なにか不思議なものを造っている。

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    3)なんのオブジェだろう?

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    3)実は、これ、ヒーロー物の着ぐるみのパーツなのだそうだ。

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    4)おお、なにやら、本物だよ。

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    5)全国各地のヒーロー物で、ローカルだから、こちらではほとんど知っている人はいないという。

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    6)なんだ、なんだ? ここらで行ったら、「未知ノ国守 ダッチャー」みたいなものらしい。

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    7)残念ながら、この方は、ダッチャーは作っていないらしい。

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    8)ちゃんとした工房で、部分的だが、撮影を許可してくれた。

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    9)はぁ、いろいろあるんだね。

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    10)発泡スチロールではないけど、発砲ナントカが材料で、軽くしないと、着ぐるみにはならないらしい。Img_0794

    11)当ブログは漠然とメタル系の実寸大ロボットを作りたいなぁ、と思っているのだが、なんだか参考になるかもね。

    Img_0795

    12)オジさんにそう言ってみたら、メタル系のほうが絶対面白いですよ、とか。わがUFOの画像を見せたら、男のロマンですね、ときた。分かってくれて、ありがとうございます。

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    13)こんな近くで、こんなことを仕事にすることができている人がいるんですなぁ。うれしい。

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    14)わが廃物アートの、次のプロジェクトが少しづつ見えてきたぞ。

    <2>へつづく

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    OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 OSHO <C007>

    <C006>からつづく 

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    「Mindfulness in the Modern World」
    How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <C007>
    OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  本文目次
    ★   工事中

    <付録> 

    マインドフルネスを支えるための技法5つ 

    1、マインドを変える 

     いつであれ、あなたがいつのまにか長い習慣になってしまっているマインドを変えようとするなら、まず呼吸が一番だ。マインドの習慣は呼吸のパターンに結びついている。呼吸のパターンを変えてみなさい、すると直ちにマインドも自動的に変わるだろう。試して見なさい!

     いつであれひとつの判断がやってきて、あなたが古い習慣に入っていこうとする時、ただちに息を吐きなさい。まるでその判断を一緒に吐き出すように。深く息を吐きだしなさい、胃袋から引っ張り出して、空間に投げ出すように、まるで判断全体が投げ出されているかのように、視覚的に感じなさい。

     それから、新鮮な空気を吸いなさい、二回、あるいは三回。

     そしてなにが起こっているか見るのだ。あなたは完全な新鮮さを感じるだろう。古い習慣を持ち続けることはできないだろう。

     だから、まずは息を吐くことから始めなさい。吸うことからではなく。あなたが何かを入れようとするならば、息を吸い込みなさい。もしあなたが何かを外に投げ出したいのなら、息を吐くことから始めなさい。

     そして、直ちにマインドがどんな影響を受けたか見て見なさい。あなたは直ちにマインドがどこか他のところに行ってしまい、新しい息がやってくるのが分かるだろう。あなたは古い雰囲気ではなくなり、古い習慣は繰り返されないことだろう。

     これはすべての習慣について当たっている。もし、あなたが煙草を吸うなら、煙草を吸いたい衝動がやってきたら、すぐに深く息を吐き、その衝動を追いやりなさい。

     新鮮な空気を吸い込むことで、あなたはすぐにその衝動が去ってしまったことを知るだろう。

     これは、とても、とても重要な内なる変化の技法に成り得るだろう。OSHO p243/254

    <C008>につづく

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    「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版<12>

    <11>からつづく

    「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版

    <12>連載エッセイについて   目次

    1)現在、当ブログで進行している連載エッセイはおおよそ次のようなものである。

    ① 「わがボタニカルライフ」
    ② 「プレムバヴェシュ孫たちとの対話」
    ③ 「さとりサマディにて」

    ④ 「今日の気分はこの3冊」
    ⑤ 「再読したいこのカテゴリこの3冊」 
       (「こんな本を読んでみたい」)追記2017/06/19
    ⑥ 「地球人スピリット・ジャーナル」ダイジェスト版
    ⑦ 「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版

    ⑧ 「オン・ザ・ロード1972」
    ⑨ 「シリーズ ありがとう」

    ⑩ 「ホワイトアルバム 転生魂多火手伝」 
    ⑪ 「把不住庵日記」(仮題)
    ⑫ 「杷不住述懐」
    ⑬ 「地球人スピリット宣言草稿」

    2)①~③は、自らの日々や家族の風景をまとめたものであり、今後も日常風景が続いていくかぎり、描写は続いていくだろう。

    ④~⑦は、当ブログが読書ブログである限り、その時々に合わせて、自らをまとめ続けていかなければ、まったくまとまりのつかないものとなってしまうだろう。

    ⑧~⑨は、過去の記録を再現しておこうというもので、積極的に展開しないことには消滅してしまう運命にある。⑨についてはほぼ命脈がつきている感じだ。

    残る⓾~⑬は、今後一番力を入れていきたいところであり、意味がダブってしまっている部分が多くある。特に⑪と⑫などは、ほとんど同じ意味になってしまっており、後で自分で気づいて苦笑い、というところである。今後この二つは統合されることになろう。

    残る⑬こそは、10年前に当ブログが自ら選んだブログ名に導かれてきたところのエッセンスをこそ吐き出す局面であるが、はてさて、その進行や、いかに。

    3)「意識と瞑想をめぐる読書ブログ」というキャッチフレーズもそろそろ書き換える時期に来ている。そもそも、今後も読書は五月雨式に続くとして、ほかに映画や演劇、コンサート、イベントなどが入ってきており、当ブログを読書ブログと規定することはすでに難しくなっている。

    4)そしてまた、「めぐる」とはなにか。読書を読みながら探し回ってきたのは事実だが、もうめぐって、一巡、二巡してしまった感がある。今後は「めぐる」は落ちるだろう。

    5)さらには、「意識と瞑想」と並列して語ってきたが、それはキーワードとしては並列で可能だろうが、本質としては、意識と瞑想は並列なものではない。弓矢に例えるなら、的と弓、というくらいに峻別されるべきものである。

    6)ただしくは「意識に向かう瞑想ブログ」的なキャッチフレーズに移行すべき時期にきているのである。

    7)今後、当ブログは、読書というよりも、⓾~⑬に連なる表現をさらに開示していくことが求められよう。

    <13>につづく

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    2017/06/13

    「アルマゲドン」 監督: マイケル・ベイ

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    「アルマゲドン」
    監督: マイケル・ベイ 出演: ブルース・ウィリス, ビリー・ボブ・ソーントン, リヴ・タイラー, ベン・アフレック, ウィル・パットン 発売日 2011/08 販売元: ウォルト・ディズニー・ジャパン DVD/Blu-ray 時間: 151 分 1998年作品
    No.4023★★☆☆☆ 

    1)え~と、なんでこの映画を見ることになったんだっけ? ここから哲学へつなぐ? 違うな。シンギュラリティへの道筋? それも違う。おそらくいわゆるSF映画史の年表をつなぐために、穴埋めで見ることになってしまったんだった、きっと。

    2)舞台がNASAだったりするから、画像そのものにはリアリティがある。だが、制作年代に大きく影響を受けたのか、結局、宇宙からの飛翔体で地球が絶滅に瀕している、という設定。もちろん、いつかはこのような状況にはなるだろうけど、・・・・。

    3)当ブログとしては、この映画から何を読めばいいのだ? アルマゲドンって、ハルマゲドンをもじっただけだよね。この世の終わりか?

    4)基本的に、敵味方に分かれてのチャンバラごっこがないのがいい。CGも少なめで、実写版の特撮が、トロくて(笑)、なんだかいい。あまり大事に捉えずに、物語として楽しめれば、それでいいのだろう。

    5)どこか、お笑い的で、シリアスに突っ込み過ぎていない。これって有名スターがでていて、動員数を稼ごうとしていたのかな。

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    「さとりサマーディにて」<28>ご不満

    <27>からつづく

    「さとりサマーディにて」 

    <28>ご不満           目次 

    1)さとりさんに、またひ孫がひとり生まれた。今度は男の子だ。おそらく、見渡したところ、この子が最後のひ孫になるかもなぁ。

    2)家族や親せき、その周りの縁者たちの誕生日を記憶して、すぐ出すことが得意だった、別名さとりコンピュータも、実は最近、バグが目立ち始めている。ひ孫どころか、孫の名前が出てこない。誕生日ではなく、名前そのものが出てこなくなりつつあるのだ。

    3)どうかすると、自分の子どもの名前だって、耳が遠くなったせいもあるが、聞き返すことがある。その人、誰だっけ。
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    4)長期に滞在する施設としては三つ目の施設に引っ越したが、どの施設でも、長短ある。いろいろな条件にマッチするのはなかなか大変だ。特に病気ではないのだから、病院にいることができない。リハビリと称する整体も、お休みになってしまった。

    5)そのことがご不満なご婦人のために、わが友人が遠いところ、直接出向いてくれることとなった。何度か通っているうちに、よくなってくれればいいなぁ。

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    6)年齢が年齢だけに、大幅な改善はあまり期待できないそうだが、それでも、彼女の希望どおり、体をさすってやることすら、整体の心得のない家族にはなかなかうまくできない。やはりここは、経験と技術のある専門家にお願いするしかない。

    7)食事やらサービスやら、自らの体調やら、なにかかにかの不調がでてくる毎日だが、家族としては、とくに私としては、とにかく60点合格主義の介護で、なんとか日々を送ることとする。

    8)見晴らしもよく、日当たりも、風通しもよい部屋に逗留していながら、ほぼ失明している彼女の目には、この眺めは見ることができないのだ。

    9)たまに車いすで玄関までいくが、外気が強すぎる時もあるみたいだ。デリケートに、真綿に包まれている、彼女であるのだが・・・。

    <29>つづく

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    「新瞑想法入門」 OSHOの瞑想法集大成<6>ナタラジ瞑想

    <5>よりつづく

     

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    「新瞑想法入門」OSHOの瞑想法集大成 <6>
    OSHO /スワミ・デヴァ・マジュヌ 1993/01 瞑想社 /めるくまーる 単行本 507p

    踊りのなかに消え去りなさい

     エゴ自我の中心である踊り手を忘れ、踊りそのものになりなさい。それがこの瞑想法だ。
    「あなた」が踊っているのをすっかり忘れ、自分が踊りそのものだと感じるほど深く踊りなさい。区別、分裂は消えなければならない。そうしてはじめて、踊りは瞑想となる。

     踊りと踊り手のあいだに区別があれば、それは一種の体操だ。健康的でいいものだが、霊的精神的とは言いがたい。それはただの踊りにすぎない。踊り自体はいいものだし、それはそれですばらしい。踊った後には、新鮮で若々しく感じる。だが、それはまだ瞑想ではない。踊り手が消え去らなければならない、踊りしか残らなくなるまで----。

     さて、それではどうするか?全面的に、徹底的に踊りのなかに入り込むことだ。というのも、徹底的に入り込まないかぎり、あなたは分裂したままだからだ。脇に立って自分の踊りを見ていれば分裂は残る。

     あなたが踊り手で、しかもあなたが踊っている。だとしたら、踊りはただの行為あるいは演技だ。あなたが行なっているものにすぎない。それはあなたの存在そのものではない。だから、徹底的に没入し、踊りのなかに溶け込んでしまいなさい。傍らに立っていてはならない。傍観者であってはならない。没入するのだ!

     

    ナタラジ瞑想

     「踊りをひとりでに流れさせなさい。それを強いてはならない。むしろ踊りに従い、踊りが起こるにまかせなさい。それは為すことではなく、起こることだ。お祭り気分のままでいればいい。あなたは深刻なことをしているのではなく、ただ遊んでいるにすぎないのだ。

     自分自身の生命エネルギーと遊び、生体エネルギーと戯れ、そのエネルギーが自然に動くのを受け入れている。ちょうど風が吹き、川が流れるようにーあなたは吹いて、流れている。それを感じなさい。そして、遊び心を持ちなさい。この〈遊び心〉という言葉をつねに覚えておきなさい。

     私にとって、これはまさに基本的なことだ。インドでは、創造のことを神のリーラー神の遊び-----と言う。神は世界を創造したのではない。それは神の遊びだ」OSHO

    ナタラジは、全面的な踊りとしての瞑想です。
    3つのステージからなり、全部で65分です。

    ●第一スレージ(40分間)
    目を閉じたまま、とりつかれたように踊ります。無意識
    の層が、自分を完全に乗っ取るにまかせます。動作を
    コントロールせず、また起こっていることの傍観者であ
    ってもいけません。ただ、踊りのなかに全面的に入り
    込みましょう。

    ●第二ステージ(20分間)
    目を閉じたまま㌧すぐに横たわります。静かに黙っ
    て、じつとしています。

    ● 第三ステージ(5分問)
    祝福のなかで踊り、楽しみましよう。 
    p152

     

    <7>につづく

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    (仮題)把不住庵日記<6>瞑想ルーム

    <5>からつづく

    (仮題)把不住庵日記

        目次

    <6>瞑想ルーム

    1)把不住とは、ちょうど一年前、友人たちと松島に遊んだ時、出島で出会った庵の名前である。おそらく、はふじゅう、と読むのであろうが、私は勝手に、ばべしゅう、と読んだりする。

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    2)なかなか見晴らしのよいところで、俳人芭蕉にちなんで、一句こしらえたりした。

       「千年万年 記憶めざめよ 友のある」  把不住

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    3)咄嗟に思いついた五七語の俳号にこの名前をお借りし、帰宅後、さっそく我が家の瞑想ルームにもこの名前を拝借することとしたのだった。

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    3)ゲストルームやらキッズルーム、時には一時的物置になったりするスペースであるが、多目的ゆえ、事務所になったり、カウンセリングルームにもなったりする。

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    4)今回スタートしたばかりのこのエッセイシリーズ、瞑想ビューローでは、いまいち落ち着きが悪いので、改題しよう。把不住だけでも収まりが悪いので、庵をつけることとした。まだ、仮題ではあるが・・・。

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    5)最近、秀麓禅齋「みんなの寺子屋」に通うことも続いているので、わが家でもしっかり瞑想することとしよう。

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    6)通常、禅堂のホトケ様は文殊菩薩だと聞いているが、わが家のホトケ様は、廃物アートのオンパレードである。五重の塔に、薬師如来、弥勒菩薩に、阿修羅像というところだ。

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    7)なに、ちょっとしたスペースがあればそれでいいのだ。我が家のキッズルーム転じて、瞑想ルーム。しばしはこれでいこう。

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    8)万事60点合格主義の我流ゆえ、これもまた、ちょっと大きな意味の廃物アートのひとつ、と言えないこともない。

       「廃物に 身隠しており 夏庵」   把不住

    「把不住述懐」地球人スピリットジャーナル・エッセンス版<13>につづく

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    2017/06/12

    {Oshoの瞑想・研究実践会」OEJ Books

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    {Oshoの瞑想・研究実践会」
    OEJ Books from 2014/11 amebaブログ
    No.4022

    1)久しぶりに「OSHO」をキーワードにして検索してみた。ビッグデータを基に、その時々で刻々変わり、また検索サイトでも結果は大きく違う。いつも常連さんで出て来るサイトもあれば、新顔さんもある。

    2)このサイトは、二年程前にできたもののようだ。著者はOEJ Booksとある。OEJは長いことOSHOの本を出版してきた会社だ。そもそもはラジニーシ・エンタープライズ・ジャパン(REJ)として1980年代初頭にスタートしたものだが、EをパブリケーションズのPにしてRPJと称した時代もあったようにも思うが、記憶が定かではない。

    3)1989年にOSHOが名前を現在のものにしたタイミングでOEJとなった。OSHO ENTERPRISE JAPAN。その間、株式会社として担当する経営者は何度か変更になったが、こののところ長い間担当してきたサニヤシンカップルから委託されて、OAU(OSHO ART UNITY)が後続を引き受けた、と聞いている。

    4)OAUもまたそのスタートは1980年代にスタートした活動歴を持っている。もともとの発想はサニヤシンたちが経営していたユニティというプログラマーたちの会社が母体となったようだが、早いうちに似たような名前で、OSHOの版画シルクスクリーンの展示販売に特化した形で正式にスタートした。ユニティ→アート・ユニティ→OSHOアート・ユニティと変化したはずだ。

    5)それらの歴史については、他の誰かが詳しく書くだろう。いずれにせよ、そこからスタートして、OSHOから派生したセラピーや、類似コンセプトのセラピストによるセミナーなどを手広く展開してきた。カラーボトルを使ったセラピーグッズなどの販売元にもなってきた。

    6)そもそもは、いずれも巨大資本による強力なマーケティンブによる営業ではないので、営利に疎いボランティア精神にあふれた担当者たちが、その道を楽しみつつ、汗水たらして展開してきたマーケット・プレイスである。

    7)今はOAUとOEJは、合併こそしないものの、おなじ運営人に任されているようで、今後の展開で、より社会に根付いたムーブメントが展開されていくものと、期待されている。

    8)今回の検索で、このサイトを見つけて、実に誠実にOSHOを反映したページ作りに関心した。そしてまたサイト説明も的確である。

    9)Oshoのの語る禅や瞑想、マインドフルネスについて紹介し、研究実践していくためのヒントを提供しています。

    10)禅も瞑想も、マインドフルネスも、実は一つのことであり、あえて三つも書かなくていいのだが、あえてそう書くところに意味がある。とくにマインドフルネスについては、当ブログでも苦慮しているところではあるが、間口は広いに越したことはない。

    11)Oshoの表記についても、さまざまある。規定は特にないようだが、Osho、OSHO、和尚、オショーなど、さまざまに表記されているが、当ブログとしては最近、このOが気に入っており、二つ目のOもイイなぁと思い、OSHO、と表記するこにしている。

    12)「研究実践していく」ことはとても重要に思えて、最近はまさにそのとおり「Osho瞑想・研究実践会」を再スタートしたい、とおもっていたところだ。このページ、おおいに参考にさせていただこう。

    13)このサイト、残念に思うことは、紹介ブログが150くらいあるのに、当ブログはリンクされていないこと。がっかり来たが、実はこのサイトの紹介ブログは全部amedaなのだった。(笑)。当ブログはココログですが、チャンスがあったらリンク張ってくださいね<m(__)m>→担当者様

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    2017/06/11

    「マイトレーヤ」 The buddha lord maitreya<14>

    <13>よりつづく

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    「マイトレーヤ」 <14> The buddha lord maitreya.
    OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 1988/3 瞑想社 地方・小出版流通センター  単行本 p221

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    つづく

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    「その男ゾルバ」N・カザンザキス<7>再読一気読み

    <6>よりつづく

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    「その男ゾルバ」 <7>
    ニコス・カザンザキス (著), 秋山 健 (翻訳) 1967/08 恒文社  単行本: 387p

    1)再読一気読みシリーズ第三弾。ゾルバ。

    2)私はこの本を通読したことはあったのだろうか。残っている付箋を見る限り、私はこの本を通読したことになっている。しかし、何日かに分けて、あるいは飛び飛び読んだに違いない。しかも、何年も、何十年もかけての話だ。

    3)この本は今から35年ほど前、京都で瞑想センター会議があった時、立ち寄った名古屋のバクタから、二冊あるから、と一冊分けてもらった本である。

    4)当時瞑想会に参加していた年上の男性が、ゾルバの映画があるよ、と教えてくれた。それから、何年か経過して、深夜映画でゾル場をやった。それは放送時間に合わせて2時間ほどに短縮されたものだったが、VHSテープで何回も見た。

    5)最初、ゾルバ・ザ・ブッダとOSHOが言った時、どれほどまでにゾルバを理解していたことだろう。

    6)その後、ノーカット版のビデオを探し、最近ではDVDで見てきた。ゾルバと言ったら、映画の主人公、アンソニー・クインがあまりにも強烈に脳裏に焼き付いてしまった。適役中の適役だろう。

    7)だけど、今回再読一気読みしてみて、思った。私の中では、決してゾルバはアンソニー・クインだけではなかった。友人だったり、住み込みで働いていた男性であったり、旅で出会った労働者だったり、人生の中で、私は何人ものゾルバに出会ってきたのではないか、と思った。

    8)さらには、この本自体が、すでにゾルバ・ザ・ブッダではないか、と思った。紙の虫の若さの中に、主人公の非ゾルバ的な部分は、実は私の中にも多く潜んでいることを改めて痛感した。さらには、様々な事件の中で、私もまた、ひとりのゾルバであったことも分かった。

    9)この小説はかなり長い。映画に含まれていない部分もかなりある。されどストーリーとしては映画のあのままでいいのではないか。お手軽にゾルバに会いたくなったら、DVDで二時間半のゾルバに会いに行けばいいのだ。

    10)そして、もっと深くゾルバと友達になりたかったら、私なら10時間か15時間かかるけれど、本を紐解けばいいのだ。そこには、アンソニー・クインも、ブブリナも、作家の主人公もいて、そしてOSHOもいる。

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    SPRING AND ASHURA「The Back Country 奥の国」 Gary Snyder <7>

    <6>からつづく

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    「The Back Country」 奥の国 <7>
    Gary Snyder (著) 1968 ペーパーバック: 150p 出版社: New Directions; New版 言語 英語,
    ★★★★★

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    つづく

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    2017/06/10

    「プロフェット(予言者)」<10> ジブラーン 小林薫訳 再読一気読み

    <9>よりつづく 

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    「プロフェット(予言者)」<10>
    ジブラーン (著)小林薫(翻訳) 1972/06 ごま書房 単行本 228p 
    ★★★★★

    1)再読・一気読みシリーズ第二弾。OSHO「私が愛した本」を読んだ限り、出てこざるを得ないのが、この本である。OSHOが130冊ほど抽出した本の約10冊がカリール・ジブランの本である。その中にあってももっとも代表作なのがこの本であり、他を凌駕する。

    2)この「プロフェット」には邦訳がすでに10数種あり、それぞれ特徴があるが、私はもっともこの1972年に発行された小林薫訳を好んで読む。邦訳が各種あるということは、いずれがベストであると決めかねるということでもあるが、この本もまたベストな邦訳とはいいがたい。

    3)されど、私の手元には数種の邦訳があるものの最も長く私の手元にあり、また邦訳としては最も古いという意味で、いつも手がでるのはこの邦訳である。

    4)あらためて再読・一気読みしてみれば、いずれもまた読み残し、勘違いがあり、あらたな感慨を呼び起こしてくれる。とにかく、もっとも傑出しているのは、その情景であろう。幾年か前にその城塞にたどり着いた預言者が、故郷から迎えにきた船で帰ろうとしている。それを惜しんで、村人たちが最後の教えを乞う。

    5)質問と答えは、いくつかの箇条書きになっており、それはそれでわかりやすいスタイルである。情景としてはまるで老子が山の関所で乞われているようでもあるし、ソクラテスが、死の淵で言葉を残している風でもある。もちろん山上の垂訓や、ニーチェのツラトウストラを連想する。

    6)OSHOはこのスタイルを愛した。故郷からの迎えの船とは、死をも意味している。最後の言葉。エッセンス。煮詰まったアフォリズム。

    7)オルファリースの町の、アル=ムスタファーの残した言葉は時に甘美でうるわしく、時には適度な痛みをともなった刺でもある。されど、集まった村人たちの心を癒すには十分な質と量を持っている。

    8)書かれた年代、1900年代初頭ということもあり、最初はアラビア語で発表されたものが、ジブラン晩年に英語に自ら翻訳したということもあり、またその英語本を1970年代に邦訳したという意味で小林訳もかならずしも、痛いところに手がとどくような言葉使いにはなっていない。しかし漢字にカタカナで外来語のルビを振るなどの表現法は、読む者にイメージのふくらみを感じさせる。

    9)この本から何か人生の規則のような規範のような決まりきったルールのようなものを取り出そうというのは無理であるし、意味がない。ここにある詩情をこそ楽しめば、この本はベストな読み方をされた、ということになろう。

    10)扱いやすく、広がりがあり、老若男女、みなで共有しやすい一冊である。

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    「私が愛した本」 OSHO<85>再読一気読み

    <84>からつづく

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    「私が愛した本」 <85>
    OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p


    1)久しぶりに、この本を再読一気読みした。ネットが発達してブログ機能が出来、「ウェブ進化論」に出会い、ブログを始めて、当時オープンになりつつあった図書館ネットを活用し、読書を始め、読書ブログとして始動し始めた。

    2)読書を始めてみれば、生涯の師であるOSHO本も当然視野に入ってきて、やがてこの「私が愛した本」が、当読書ブログの中心位置を占めるようになった。

    3)この本には煌めくような本が百数十冊紹介されており、そのほとんどをチェックした。一部本として存在しないタイトルも二・三あった。現在の手持ちと図書館ネットで確認して手にしたのは百冊程度。あとの数十冊はその存在すら確認できなかった。

    4)それでも、当ブログとしては、この一冊を中心として数年過ごしてきたわけだから、もうある地点から卒業の気分が強かった。大体わかった。それを今後どう生かすのか。そんな流れで、他の本にも手を伸ばしはじめた。

    5)OSHOは文中で自分は生涯で10万冊以上の本を読んだと豪語している。当時50歳くらいの人物が生涯という場合、おそらく45年くらいの間だろうが、10万冊÷45年とすると、一年間に2200冊あまり、それを365日で割ると、一日約6冊のペースということになる。

    6)当ブログにおいては、約10年強で4000冊あまりをメモしてきた。つまり一日一冊のペース。この6倍に読書量を増やすことは考えられないし、おそらくその必要性も感じられない。

    7)ある種の実験の意味も含めて、流し読みを続けたが、最初100冊でさえ読めるとは思わなかった。1000冊に届いた時は本当にビックリした。花火を上げたい気分だった。

    8)2000冊に届いた時も本当にビックリした。目標を大きく一万冊に上げてみた。だが、すぐにその愚かさを知った。冊数を追いかけるだけなら、このインターネットの時代いくらでも追いかけることは出来るが、それでは内実は伴わない。

    9)3000冊に到着した時は、もう冊数を勘定する意味を失ってきた。現在もナンバリングは続けているが、いつフェードアウトするか自分でもさだかではない。むしろ再読本も増え、この本のように何十回も読み直し、メモし続けている本もあるので、ブログの記事数をカウントした方がより実態に属しているのではないか、とさえ思う最近である。

    10)さて、今回、あらためてこの本を再読、一気読みしてみて、実に読み落としの多いことに気づくことになった。何度も何度も目を通している本ではあるが、随所に新しい発見がある。また、すでに紹介された本のほとんどを読んだと思っていたのだが、むしろほとんど読んでいないような気がし始めた。

    11)OSHOが最も強調しているカリール・ジブランにしても、はて、私は読んだのだっただろうか、と不確かな気分になる。OSHOの読み方と私の読み方の違いが浮き彫りになっている形だ。OSHOはOSHOの読み方がある。読み方がある、というよりも、OSHOがあって、その反映として本というものが鏡になっているのであり、ここに書かれているのは、OSHOそのものの姿であった。

    12)つまり、一読者としてのOSHOや私の読書感想というものではなくて、生き方そのものが提示され、その時、私は私なりの生き方をまざまざと見せつけられる、ということになる。

    13)読んでいて、平穏な気持ちになるような本ではない。自分を見せられ、かき回され、余ゴミを浮き上げてくれる効果がある本である。

    14)すでに有名なOSHOのいくつかの間違いがこの本にはある。カミュをマルセルと言ったり、マルパと他のタントラ・マスターを言い違えたり。それもまた愛嬌であり、この本を資料集として読むのではなく、OSHOそのものを味わうという意味では、まったく損傷がないばかりか、新たなる愛情が湧いてくる。

    15)8歳にして父の死に際し、生死の問題につきあたり、十代にして瞑想が探求のキーワードになった。21歳の時、編集取材の途上で「存在の詩」にであい、自分の編集作業を投げ出した。2年後にインドに渡りOSHOのサニヤシンとなった。それまで、どこの師にも組織にも靴を脱がなかった私だが、一度はどこかの師につかなければならないだろうと感じていた。

    16)小さい時から29という数字に縁を持っていた私は、29歳の時に、近くの河原で瞑想していて、ひとつの得心を得た。それは、OSHOを生涯の師とさせていただこう、ということだった。

    17)56歳と7か月。この数字もまたわが人生においてはマジックナンバーだった。この時から7つのことが次々と起こった。そして7つ目はあの3・11だった。そしてあれからさらに7年が過ぎ、私は今、七のサイクルの9番目にいる。

    18)多くの詩人やマスター達、そして58歳で肉体を離れたわがマスターよりもさらに長く生き延びていることになる。平均寿命にはまだまだ遠いが、それでも周囲の友人知人たちのなんと旅たちの早いことか。叔父叔母たちも次々と天寿を全うして去っていく。

    19)いつ尽きるかわからないわが生命であるが、残された日々を数えることはもうやめよう。残され今日一日が最後の日なのである。今日私がやりたいこと、やるべきこと、やれることを、キチンと生きていこうと思う。

    20)私は今日、この本を、再読、一気読みしたかった。

    21)そして今から40年前に、OSHOから手渡された「OSHO SVAGAT MEDITATION CENTER」の意義を、新たにする。

    つづく

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    2017/06/09

    「人工知能のための哲学塾」三宅 陽一郎<1>

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    「人工知能のための哲学塾」 <1>
    三宅 陽一郎 (著)  2016/08  ビー・エヌ・エヌ新社 単行本: 320ページ
    No.4021★★☆☆☆

    1)死に際して、何かやり残したことはないか、と問われれば、ない、と答える時と、ある、と答える時があるだろう。それはタイミングの問題だ。ない、というのが本望であり、すでに終わっている、と表向きは答えておきたい。

    2)されど、もしあると答えるとすれば、それは本音であり、あれもやりたかった、これもやりたかったの連続であることは間違いない。やりたいけどできない。能力的に。資力的に。時間的に。方向的に。そんなことは山ほどある。

    3)そんなやり残したことの中に、もうちょっとまともなプログラムをもうひとつふたつ作りたかったな、という思いと、いわゆる哲学なるものを、もうすこしレイヤーを一段深めたかった、ということがある。

    4)プログラムで言えば、例のポケットコンピュータのBASIC言語をちょっと復活してみようかな、という思いと、型式が古くなって天井階で眠っている何台かの旧いPCに最新のリナックスを入れてみようかな、という程度で、もう大きな野望はなにもない。

    5)哲学で言えば、デカルトから始まって、ニーチェ、フッサールや、ハイディガー、ウィトゲンシュタイン、デリダ、ガタリ、などなどを漠然と押さえておけばそれでいいだろう。そもそもはソクラテスやプラトンからスタートすべきなのだが、どうも現代西洋哲学は、暗い。

    6)月のない夜に、窓のない家の中で、目の見えない人が、その部屋にいない、黒い猫を探している。そう表現したのはOSHOだが、人生最初の最初からそういわれてしまうと、もう苦労して哲学しても、その後になにもないのでは救われない。だから哲学はしない。そう早々と結論づけたわが人生だった。

    7)この本、図書館の新刊コーナーで見つけたのだが、なかなかに興味深い。その本の前を素通りできない魅力を放っている。されど、わが志向性のなかにうまく取り入ってくれるだろうか。

    8)この本においては、哲学と人口知能の間に、ゲームやそのキャラクターづくりが挟まっている。ゲームに関心あるならばこの本は面白かろう。だが、将棋やオセロ、麻雀などのボードゲーム以上に関心のない私には、ゲーム上のキャラづくりには縁遠い。

    9)この本、面白かろうが、この本を読み解くには時間がかかる。リンク先からさまざまな資料を集めていろいろ取り入れたくなる。それには能力だけではなく、体力も気力も、時間も必要となる。

    10)わが人生においては、もっと優先順位があるのではないか、と考えて思い直すのは、そもそも読解力がないから、その言い訳にすぎないのだが、ほかにもやりたいこと、やらなければならないことはあるので、そちらを優先することにする。

    11)最近は、十数年前に開きかけた本「哲学の冒険」をまたチェックしている。この本では10本のSF映画と哲学が関連づけられていて、その映画群を見るのに10年かかったということである。それでもまだ見ていない映画もある。なにはともあれ、わが哲学ロードはこちらが先だ。

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    「哲学の冒険」『マトリックス』でデカルトが解る <2>
    マーク・ローランズ /石塚あおい 2004/12 集英社インターナショナル /集英社

    12)あちらがどう展開するかにもよるが、うまく転がすことができれば、いずれこちらの「人工知能のための哲学塾」なるものも、再度開いてみることにしよう。

    <2>につづく

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    「廃物アート」<18>知識ゼロからの大人のピアノ超入門

    「廃物アート」

    <18>知識ゼロからの大人のピアノ超入門    目次

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    2017/06/08

    「シンキング・マシン」 人工知能の脅威ーコンピュータに「心」が宿るとき ルーク・ドーメル

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    「シンキング・マシン」 人工知能の脅威ーコンピュータに「心」が宿るとき
    ルーク・ドーメル (著),    新田 享子 (翻訳) 2017/03 エムディエヌコーポレーション 単行本: 272ページ
    No.4020★★☆☆☆

    1)「コンピュータに『心』が宿るとき」。このサブタイトルを見て、すぐに連想するのは、レイ・カーツワイルのスピリチュアル・マシーン コンピュータに魂が宿るとき」(2001/05 翔泳社)。

    2)「シンキング・マシン」と、「スピリチュアル・マシーン」を比較した場合、明らかにスピリチュアル・マシーンのほうが高度であることがわかる。心が宿る、より、魂が宿るほうが、はるかに重く大きなテーマであることは間違いない。

    3)しかし、それにしても、この本においても、レイ・カーツワイルにも触れているし、シンギュラリティを意識して書いているわけだから、ここまで本歌取りするかな。心が宿る、というコピーは日本独自のもののようだ。

    4)もっとも「スピリチュアル・マシーン」のほうとて、原題はThe Age of Spiritual Machines: When Computer Exceed Human Intelligenceだから、必ずしも魂が宿る、とは言っていない。インテリジェンス(知性)を超える、と言うにとどめている。この辺りは翻訳者の田中三彦のワザが光っている、と言うべきか。あるいは、先走っていると、いうべきか。

    5)おそらく、ここまでのシンギュラリティ追っかけを10数年間してきて、まず一読者として言えることは。シンキング・マシーンとしてコンピュータが「思考」を持つことはあり得るだろうが、人間のような魂を持つことはあり得ないだろう、というところ。

    6)魂やスピリチュアル、という言葉の概念を大きく変えれば、微妙になってはくるが、実際に現在のところでは、思考はデジタルに置き換えることは可能であるだろうが、魂はあり得ない、ということになる。

    7)だから、言ってスピリチュアル・マシーンまでだ。コンピュータは、スピリチュアル・ヒューマン足り得ない。機械には持ちえないからこそ、魂がある。魂があるからこそ、人間足りうる。

    8)ただはっきり言って、現在においても、一見するとすでに魂を失い、心を失ってしまっている生物としての人間は数多く存在するので、人間だれもが、魂を持っているとはいいがたい。あえていうなら、人間は魂を回復するポテンシャルを持ってはいるが、見失っている者のほうがはるかに多い、ということになる。

    9)あえて当ブログではレイ・カーツワイルのシンギュラリティ仮説に賛成するかと言えば、シンギュラリティによって、さらに人間の可能性があらわになってくるということだ。機械に任せることができるものがあれば、それは機械にやってもらったほうが、効率もよく、精度も高く、経済的で、人類の利益に帰すことが多い。

    10)洗濯機は、女性の過重労働から解放した。自動車や飛行機は、人類の移動に寄与した。通信はコミュニケーションの円滑さをより促進した。シンキング・マシーンは、計算や理論的結論付けなどに、多いに役立ってくれるだろう。

    11)この本においては、結論としては、極めて懐疑的にまとめられている。わからない、予測できない、ということである。その通りだと思う。そんなこと最初から分かっているのだ。予測できないからこそ、レイ・カーツワイルは、現在のところまでのデータをもとに仮説を立てた。そして、あれから20年近く経過して、その仮説が真実味を帯びてきた、ということだ。

    12)だが、今後どうなるかなんて、だれにもわからないのだ。

    13)ただ、分かっていることは、私は最長でもあと数十年でこの世に居なくなるし、ひょっとすると明日すら保証はされていない、ということだ。その間に、私という魂は、機械によっては置き換えることはできないだろう。

    14)当ブログにおいて、暗躍している転生魂多火手において、仮に未来生があるとするならば、何世か重ねたあと、その結論を見ることになるかもしれない。そして、その時、この当ブログの書き込みを何等かの形で見つけるかもしれない。その時のために、現状をメモし続けておく。

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    「まるわかり! 人工知能 最前線」日経BPムック<1>

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    「まるわかり! 人工知能 最前線」日経BPムック<1>
    日経コンピュータ (編集) 2016/09 日経BP社 単行本A4変型判版: 252ページ
    No.4019★★☆☆☆

    1)極めて刺激的な内容だ。図書館の新刊コーナーにあれば、かならずこの手の本には手が伸びる。見逃したくない。

    2)されど、読み始めてみて、そこに展開されるストーリーや宇宙観に関心はあれど、わが人生、わが肉体とどのようなつながりがあるのか。この本の内容をどのようにわが物とすることができるのか。

    3)素晴らしい経済理論や世界情勢、宇宙体験などとともに、もはや自分とのアクセスをはるかに超えてしまっている世界には、そろそろ手をつけるべきではないのではないか、と反省する。

    4)AIとか言われててもせいぜい自動運転技術が進んだクルマを次に買うかどうか悩む程度で、そのクルマを私がつくるわけではない。私は運転するだけだ。しかも今よりももっとたやすくなっているはずだ。

    5)だけどよく考えてみれば、クルマに何を期待するのか。A地点からB地点に移動する。それだけのことではないか。A地点からB地点に移動するだけなら、今でも十分できているし、今後さらに活動範囲が広がるとも思えない。むしろ、年齢的には地域限定で狭まっていくに違いないのだ。免許だって返却する日がくるかもしれない。

    6)インターネットが社会に及ぼした影響は計り知れない。すべてを変革した。その一連でAIとか騒がれいるが、インターネットの一環としてならAIを考えることもできるが、インターネットを超えるものとしては、捉えることができない。

    7)このムックには刺激的な画像もたくさん含まれている。このロボットなどわが廃物アートで、形だけでも作ってみたいな、と思う。

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    8)あるいは、こちらにも火星探査機の画像が掲載されていた。

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    9)形だけなら、それをなぞる意味で、廃物アートとして組み立ててみることは可能だろう。しかし、目に見えない回路の世界となると、まったく無理だ。35年前に取得した携帯コンピュータ資格4級程度の頭脳では、どうにもならない。むずかしいことは専門家にまかせておこう。

    10)第5章には「AIがヒトに取って代わる日」という特集があり、「シンギュラリティ前夜--AIと共に歩む人類--」とある。刺激的な内容ではあるが、おざなりな紹介の仕方、という見方も成り立つ。

    11)当ブログとしては、人間が人間足り得るのは、知能としてではなく、意識としてである、という主張する流れとともに、AIやいわゆるシンギュラリティの進化過程に触覚を伸ばしながらも、そこではない、人間が人間であるための、理由を見つめていこうと思う。

    <2>につづく

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    「完全版 自給自足の自然菜園12カ月」 野菜・米・卵のある暮らしのつくり方 竹内 孝功他

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    「完全版 自給自足の自然菜園12カ月」 野菜・米・卵のある暮らしのつくり方
    新田 穂高 (著),    竹内 孝功 (監修) 2016/03 出版社: 宝島社 単行本: 191ページ
    No.4018★★★★★

    1)廃物アート派生のにわか農業では、一年を通じてモチベーションを維持するのはなかなか大変である。春先になって、大そういえば畑仕事が楽しそう、となるが、秋口から雪の降る厳冬期となると、畑にでていくのも億劫である。それではいけない。

    2)ヘルマン・ヘッセも「庭仕事の愉しみ」(1996/06 草思社)でも言っているではないか。畑仕事は春になる前、秋冬から考えておかなければならないのだ。

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    3)わが市民農園を始めるにあたって、参考にさせていただいたのは、斎藤進という方の「もっと上手に市民農園」4.5坪・45品目 小さな畑をフル活用(2012/3 農山漁村文化協会)という本。実に啓発された。小さな畑のイメージがつかめなかったのだが、この本は、市民農園のコツを掴んで上手に教えてくれている。この方も計画なくして成功なし、とまでおっしゃっている。

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    4)ああ、それなのにそれなのに。わが熱しやすく冷めやすい精神は、夏のカンカン照りの暑さに参って畑に行かなくなる時期を境に、冬に向けて情熱が極端にさめていくのである。だから、秋野菜には成功したことがない。秋冬の使い方が上手ではないので、結局春も慌て気味で、技術も深まっていくことがない。これではいけない。

    5)仕事の特殊事情があったり、突発的な体調の変化があって、なかなか畑仕事までエネルギーが行かなかったことは仕方ないとして、やはりここは、しっかりと12か月のイメージを掴んでおく必要があるのであ~~る。

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    「1㎡からはじめる自然菜園」竹内 孝功

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    「1㎡からはじめる自然菜園」
    竹内 孝功   (著) 2015/09 学研プラス 単行本: 128ページ
    No.4017★★★★★

    1)以前、市民農園で5坪のエリア二つを借りて、自然農をしている人がいた。わが市民農園では、他の畑に影響があるからと除草剤や化学薬品は禁じられている。だから有機農法とかとは相性がいいのだが、無除草、というところは小さなエリアに隣接しているユーザーにとっては迷惑なのだ。

    2)たしかにこちらの女性もライ麦を植えて畑を耕していた。他のエリアの人々は日々通うので、除草されている。もちろん5~10坪程度のものはそんな負担ではない。ところが、除草していない畑があると、隣の人は、時には苦情を管理人に言ったりするらしい。

    3)最近、あの自然農の女性の姿が見えなくなって、ライ麦も見えなくなってしまったが、どうしたのだろう。ひょっとすると、この市民農園には向かなかったのかもしれない。

    4)私もまた、5坪の市民農園では、有機農法やぼかし肥料などを意識して、活用しているが、無除草となると、ちょっと木が引ける。こまかく目が届くので、やはり1㎡からと言われても、もう、むりだろうな。

    5)猫の額のようなわがガーデンライフでも無理だろう。やはり草は抜いてしまう。そのほうが早い。だけれども、隣接地に気をつかう必要がないクラインガルテンでは状況が違う。そちらがなかったら、私はやはり自然農まで頭はまわらなかっただろう。

    6)しかしまた、著者がこのようにして、難しそうな自然農を、より手っ取り早く始められるように紹介してくれているのはありがたい、と感じる。

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    「育ちや味がどんどんよくなる自然菜園で野菜づくり」竹内孝功

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    「育ちや味がどんどんよくなる自然菜園で野菜づくり」
    竹内孝功 (著) 2014/06 家の光協会 単行本: 112ページ
    No.4016★★★★★

    1)そもそもが、ものでも、空間でも、時間でも、無駄になっているのであれば、それを有効活用しようという、わが廃物アート。その延長戦上にあるかぎり、仮に畑を借りて農作物を作り始めたとして、アートとしてどこまでクオリティを高めていけるのかは定かではない。

    2)すべてにおいて60点合格主義が限界となる。まぁ、こんなもんでいいだろう、という明らめというか、諦念というか、まぁまぁ主義が顔を出す。使われていなかったものが、使われ出した、捨てる直前のものが再利用された。その程度で満足しているのが実情である。

    3)それが、以前そのものが持っていた質を乗り越えていく、なんてことはなかなかイメージできない。そこが、まあ現在の限界である。

    4)それではいけない。時間とともに、経験とともに、「どんどんよくなる」ことにエネルギーを振り向けていく必要がある。

    5)現在はあまりに守備範囲を広げ過ぎているので、また以前のようにターゲットを絞り込んでいくつもりだが、農業やボタニカルは最後まで残る大事な柱である。心して学んでいきたい。

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    「これならできる!自然菜園」 耕さず草を生やして共育ち 竹内 孝功

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    「これならできる!自然菜園」 耕さず草を生やして共育ち 
    竹内 孝功   (著) 2012/08 農山漁村文化協会 単行本(ソフトカバー): 176ページ
    No.4015★★★★★

    1)自転車で10分の市民農園なら、行く気になれば毎日でも行けるが、片道小一時間のクラインガルテンには、週一がせいぜい、月二回だとすでに優等生。どうかすると、月一通うのも難儀になってくる。

    2)ましてや、雨や強風、かんかん日照りの日もある。せっかく行ったとしてもせいぜい数時間の稼働時間である。その間にやらなければならないことはたくさんあるのだが、夏の繁茂期にはほとんどが除草に時間を取られる。これにはまいる。

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    3)さらには、除草もかねた管理機も探しているところだが、現在未修理ということで使うことができない。わが廃物アートとしては、この管理機も修理してやろうと思っているところだが、まだ、そこまでいかない。

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    2)除草に時間を取られず、管理機もいらない、不耕起農業のことは聞いてはいたが、実際には自分の空間では無理であろうと思っていた。それに、自宅よりさらに数十キロ原発に近づいていくクラインガルテンに未来はあるのか?

    3)ところがあったのである。なんと、わがクラインガルテンのほんのおとなり、数百メートル離れたところで、その自然農をやっていた人がいたのだ。これは驚きだった。

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    4)わがクラインガルテンは現在のところ50坪。拡大すると500坪まで拡大が可能だが、彼女の場合は、御連れ合いさんと一緒に、なんとその3倍の広さの畑を回しているのである。これにはますます驚き。

    5)わがクラインガルテンの発想は、どこかわが廃物アートと通じるところがある。農業がやりたくてやりたくて仕方ない、というレベルではない。畑があるのに空っ畑になっている。それはもったいないでしょう、というレベルである。だから、最初の最初は、正直言って農法などあまり関係ないのだ。農薬有機農法という理想はもちろんあるが、それが簡単ではないことも十分聞いて知っている。

    6)耕さず草を生やして共育ち、このコピー、なかなかいい。わがクラインガルテンには理祖的に思える。ここまで切り替えるには、さまざまな条件があるだろうが、まずは今年でやめようかな、と思っていたわがクラインガルテンには朗報である。

    7)先日お隣のKさんに聞いたところでは、まずはライ麦で土地を柔らかくするところから始めてみようかな、と思う。さらには、どうも私にはまだ農業としての成功体験がないので、収穫のイメージがない。食べておいしく、あげて喜ばれる、というところまでは行っているが、収穫する、換金する、収入になる、というイメージがまったくない。ここんところが問題だ。

    8)何をつくりたいのか。どう販路を求めるのか。その辺のイメージを掴めば、わがクラインガルテンは、大きく飛躍する可能性がでてきた。

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    「コンパニオンプランツで 失敗しらずのコンテナ菜園」 竹内 孝功

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    「コンパニオンプランツで 失敗しらずのコンテナ菜園」
    竹内 孝功   (著) 2012/03 家の光協会 単行本: 112ページ
    No.4014★★★★★

    1)先日お知り合いになった不耕起農法=自然農のKさん、彼女の推薦の方の本である。この本のタイトルを見て、あれ、以前当ブログでも読んだかな、と思ったが、メモはなかった。このタイトルだけでは不耕起農法の方だとは察しはつかない。

    2)それにしても、3・11以降に一年に一冊づつくらいのペースで本を出されているのはすごい。それ以前までは雑誌等で活躍されていたのだろうか。

    3)「失敗しらずの」というタイトルが、ちょっと息苦しい。こちらは失敗ばかりか、これが失敗かどうかすら気づかない。成功というものを知らないから、失敗にも気づかないレベルである。コンパニオンプランツなどは、ここから見上げれば上級の上級である。いずれひとつづつ学ばせていただくとして、とにかくこのような方がおり、このような本があるのだ、ということを確認した。

    4)竹内孝功と書いて、たけうちあつのり、とお読みする。一見では読めないし、覚えておくのも難しい。下記、関連リストを作っておく。

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    竹内孝功関連リスト

    「コンパニオンプランツで 失敗しらずのコンテナ菜園」 2012/03 家の光協会

    「これならできる!自然菜園」 耕さず草を生やして共育ち 2012/08 農山漁村文化協会

    「育ちや味がどんどんよくなる自然菜園で野菜づくり」 2014/06 家の光協会

    「1㎡からはじめる自然菜園」 2015/09 学研プラス

    「完全版 自給自足の自然菜園12カ月」 野菜・米・卵のある暮らしのつくり方 2016/03 宝島社

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    「いつまでもデブと思うなよ」 岡田斗司夫 <8>

    <7>よりつづく
    いつまでもデブと思うなよ
    「いつまでもデブと思うなよ」 <8>
    岡田斗司夫 2007/08 新潮社 新書 223p
    ★★★★☆

    1)部屋の中が散らかってくると、いつも思いだすのはリズ・ダベンボードの「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」(2002/09 草思社)であるし、体調が思わしくなくなってくると、やはりいつも筆頭にもい出すのは、この岡田斗司夫の著書である。

    2)二書とも、内容はもう頭に打ち込まれているので、敢えて再読する必要はない。されど、それが実行に移されていないからこそ、現状が発症しているわけだから、打ち込まれている内容を表面化すればいいわけなのである。

    3)わかっちゃいるけどやめられない。それが本音である。身につかない。身になっていない。理想や解決法はあっても、そこまで行っていない。だからこそ、こうなってしまっているのである。

    4)現在、体調は一部医師のメディカルコントロール化にあるわけだから、心配し過ぎる必要はないのであるが、日々の生活の中で、自らが留意しなければならない点がいくつかある。反省点をまずは列挙しておく。

    ・万歩計の電池が切れてからだいぶ経つ。ポケットにいつも入れていたとしても、電池交換をしなかったら、データはとれてませんよ。まずは、電池交換をどうぞ。それだけだよ。

    ・体重計に乗っていないでしょう。ほらごらんなさい。基準値よりオーバーしちゃってるでしょ。今なら、まだ基準まで戻れる。これ以上増やさないように、まずは体重計に乗る習慣をとりもどしましょう。

    ・食事も喰い改めないとね。暴飲暴食をしていないのはわかるけど、貰い物があることいいことに、ついつい食べ過ぎているのは事実。たまには一色抜くくらいで、軽い食事にもどしましょう。油もの、塩分、甘いもの、ちょっとした覚醒が必要ですよ。

    ・酒もねぇ。飲み過ぎていないことは知っているが、立て続けに贈りものがあったりして、ついつい要もないのに、飲んでいる。これじゃぁいけない。飲むと食欲増進になるからなぁ。ここは要チェック。

    ・万歩計が作動していないことと関連しているけど、ウォーキングがたらなくなってますね。その分サイクリングがちょっと増えてはいるけど、必要な運動量にはなってません。ラジオ体操も悪くはないが、やはり継続的な有酸素運動が必要ですよ。たまにはスイミングも復活したら、いかがですか。

    ・ストレッチ運動、テレビ体操、坐禅、マインドフルネス。体全体を動かす機会を増やして、畑仕事で一部しか使わない体全体をほぐしましょう。

    5)とかなんとか、自分でもキチンと把握して指導はできるはずなのですが・・・・。とにかく、またここあたりから再スタートですね。

    <9>つづく

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    「WIRED(ワイアード)VOL.28」 特集「Making Things ものづくりの未来」

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    WIRED(ワイアード)VOL.28」 特集「Making Things ものづくりの未来」
    Condé Nast Japan (コンデナスト・ジャパン)   (著),2017/06    WIRED編集部 (編集) 雑誌 WIRED関連リスト
    No.4013★★★★★

    1)ようやく来た。隔月刊になったから定期予約したのに、また季刊に戻って、なおのこと、その変更のために、今回は間4か月あくことになってしまった。通常なら、この間に二冊なければならないのだよね~。

    2)されど、やはり待っていただけのことはあって、インパクトは強い。ものづくり、とやらではあるが、その志向性は、他で言われている言葉遣いとはちょっとちがう。表紙もなんだか、いつか見たことあるような、ないような。

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    3)以前では、Vol.14の特集「死の未来」でも登場してくれた、わが廃物アートの頭骨。

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    4)WIREDで言われているところの、ものづくり、は、当ブログでいうところの廃物アートとどこかでつながっている。「捨てない経済」北欧発「リペア・エコノミクス」への挑戦。Repair、Reuse、Reinovention。当たり前のことであるのだが、WIREDで取り上げられると、新たな意味を持つ。

    5)この雑誌はいろいろ書いてあるが、まずは豊富に収容されている画像をパラパラとめくる。一枚一枚の写真から、多くを啓発されることがしばしばある。どちらかといえば欧米、西欧の写真が多いのだが、それが日本的風景にさらされ、日常的に慣例的に埋没していく自分の感性を、ふたたび刺激する。

    6)文章はまず、巻頭にあるエディターズ・レターを読む。創刊直後を除いて、編集長は若林恵が担当している。この一文が好き。この雑誌のこの号を決定づける。けっして外国かぶれしていない。ある意味、西欧的イノベーションを背景にしながら、ゴリゴリの日本的心情を吐露する。もちろん、日本的WIRED風感性、ということだが。

    7)今回は、夏目漱石の「夢十夜」に触れている。当ブログでも先日触れたところではあるが、じつにこの「ものづくり」の神髄に触れている。当ブログの廃物アートも、特段に最初から目的物があるわけではない。木なり、金属片なり、発泡スチロールなり、まずはある。それらが、何事かを主張している。捨てないでくれ。私を外に出してくれ。

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    8)別段に、かの世に傑出した仏師になぞらえるわけではないが、私にも、ものたちの声が聞こえる。

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    9)ものを見た時、最終形にたどり着くかどうかはわからない。それは定かではない。されど、なにかが動き出す。

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    10)最近の、もの、はこれ。もう使わなくなったから捨ててね、と頼まれた孫たちのベビーカート。

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    11)私は無謀にもここから、ロボットを作ろうとしている。ロボットの声が聞こえる。外に出してくれ、と。ここから火星探知機くらいは連想してしまうのだが、どうもそれでは満足しようがない。

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    12)はてさて、どのような顛末になってしまうのか~~。乞うご期待。

    13)ということで、毎号、私はこのWIRED誌の刺激には感謝している。

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    2017/06/07

    ロボットの歴史を作った「ロボット100」アナ・マトロニック他

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    「ロボットの歴史を作ったロボット100」
    アナ・マトロニック (著),  ナショナル ジオグラフィック (編集),    片山 美佳子 (翻訳)  2017/01 日経ナショナルジオグラフィック社 単行本: 224ページ
    No.4012★★★★★ 

    1)鉄腕アトムが中心だから、日本の本だと思うが、もともとはアメリカの本。タイトルもRobot Takeover: 100 Iconic Robots of Myth, Popular Culture & Real Lif 。当然、表紙も違う。

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    2)このところ、書店に行ってもこの手の本や模型が目立つ。パソコン、スマホ、と来て、次はロボットでしょう、という試行錯誤が各方面で続いているようだ。人工知能では、なかなか個人では作れないが、ロボットなら、身近で、なんだか親しみやすい、ということだろう。

    3)かくいう当ブログでも、空飛ぶ円盤に続いて、次なる廃物アートはロボットに挑戦しよういかな、と考えている。

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    4)阿修羅像や弥勒菩薩座像の制作もまだ途上だが、結局は、ロボットにつながるイメージを模索していると言える。

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    5)ここからロボットというと、どうもC-3POを連想する。

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    6)ロボットというか、宇宙服という意味では、遮光器土偶も関連してくるかもしれない。あるいは、当然、人体そのものにも。

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    7)いずれにせよ、わが廃物アートは、廃物あってのスタートだから、どんな廃物が今後集まってくるかによて、最終形は大きく変わってくるだろう。現在のところ骨格となるのは、廃棄寸前の古いベビーカート二つである。

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    8)この本、なかなか興味深い。「2001年宇宙の旅」のHAL2000を最高峰としているのは当然としても、「インターステラー」の評価も高い。この映画は見直さないといけないかも。ソニーのロボット犬アイボや、トヨタの二足歩行ロボット・アシモ、お掃除ロボット・ルンバにも言及しているが、この本、日本向けに編集され直されている可能性があるので、世界標準とはいいがたい。

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    9)集まってくる材料によっても、火星探索車(マース・ローバー)になたりするかもしれない。だが、もっとポピュラーなほうがいいと思う。一目見て、ああ、あれね、と言ってもらえるような普遍性があると、よりリアリティがでてくるだろう。

    10)どっちみち、ロボットとは言え、わが廃物アート、中身はゼロだから、動かないし、AIなんかからは程遠いからなぁ。

    つづく

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    2017/06/06

    「パッセンジャーズ」監督: ロドリゴ・ガルシア

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    「パッセンジャーズ」
    監督: ロドリゴ・ガルシア 出演: アン・ハサウェイ, パトリック・ウィルソン, デヴィッド・モース, ダイアン・ウィースト, クレア・デュヴァル 発売日 2010/04/21 販売元: ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント 形式: Blu-ray ディスク枚数: 1  時間: 98 分 2008年制作映画
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    1)誰かのベストSFのリストに入っていたので、SF映画として見始めたのだが、全然、SFっぽくない。って、これはSFではないのかもしれない。しかし、私はむしろこっちのほうが好き化も。主人公は女性セラピストだ。うん、これでいい。

    2)グループセラピー風景や、セラピストとして遭遇するアクシデンタルな環境は、よくわかる。起きそうなことだ。

    3)最後までみて、やっぱりこれはいわゆるSF映画ではないと思うが、考えようによってはSF映画に入れていいと思う。少なくとも私は好きです。若干、「シックスス・センス」に似ているが。

    4)チャンバラや、クラッシュ、破壊、殺し合いの映画よりずっといい。

    5)私はむしろ、この手の映画をもっと見るべきなのかもしれない。「ソラリス」とか「コンタクト」とかにも似てるな。

    6)美人のセラピストの映画はいいな。

    7)メイキングを見ていて、自分も一クライエントとして、ディープなセッションを受けたい、と思った。

    8)映画を作るような、みんなでクリエイティブな仕事をするのもいいね。なんだか、この映画を見て、すべてがポジティブになっていくのを感じる。

    9)タルコフスキーにも通じるものがあるし、ある意味{2001年宇宙の旅」でも、この心理劇は通じている。

    ーーーーーーーーー

    10)あとでよく調べてみるが、よく似たタイトルで「パッセンジャー」という映画がこの2017春に封切されていて、そちらは完全なSF映画風である。私は勘違いして、こちらの映画を見てしまったようだ。だが、私にとってはよい勘違いであった。ラッキー。

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    「哲学の冒険」 『マトリックス』でデカルトが解る<2>

    <1>からつづく 

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    「哲学の冒険」『マトリックス』でデカルトが解る <2>
    マーク・ローランズ /石塚あおい 2004/12 集英社インターナショナル /集英社 単行本 356p
    ★★★★★

    1)今回、現在進行形のテーマの一つとしてシンギュラリティに再取組みを始める際、頭の片隅にあったのがこの本である。10年前、それこシンギュラリティ・カテゴリーで進行している際に、この本にぶち当たった。この時はまだ映画そのものを見ていなかったので、深読みは避けた。

    2)今回でも、まだ映画を見ること自体は充分ではない。これまで見たのは、「マトリックス」、「マイノリティー・リポート」、「インデペンデンス・デイ」、「エイリアン」、「スターウォーズ」、「ブレードランナー」である。見ていないのは「フランケンシュタイン」、「ターミネーター」、「シックス・デイ」、「インビジブル」の4本。近日に見ることにしよう。

    3)今日はまず第2章「マトリックス」を読んだ。ふむふむ、そういうストーリーだったのか、といまさらながらに認知。フィクションとしては、もうどうでもいいや、という感じはするが、著者が一生懸命なので、ふむふむここからデカルトに持っていくのか、と、まずはなるほど、とつぶやいてみる。

    4)まぁ、しかし、哲学者としての著者は、デカルトから、ニーチェにいき、さらにウィトゲンシュタインに行って、ということになる。それなら、何もこの現代の映画を持ち出すほどのこともないではないか、とは思うが、まぁ、SF映画と哲学をくっつけてみるのも、面白いかな、と思わせてはくれる。

    つづく

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    「SF大クロニクル」 ガイ・ヘイリー他<5>

    <4>よりつづく

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    「SF大クロニクル」 <5>
    ガイ・ヘイリー (編集),    北島明弘 (その他) 2016/02 KADOKAWA/角川マガジンズ 単行本: 576ページ
    ★★★★☆

    1)1996年に出たVHS10巻セット「SF映画100年史」においてそれぞれジャンルは10に分けられている。

    SFの父
    スペース・トラベラーズ
    ロボット
    エイリアン
    奇妙な科学
    奇怪な世界
    SFヒロイン大集合

    未来社会 
    タイム・トラベラーズ
    SFヒーロー列伝 

    2)このジャンル分けが完璧でないことは当然としても、まずは当ブログはヒーローやヒロインに特段の関心があるわけではない。またエイリアンや宇宙旅行にもほとんど無関心。敢えていうなら、奇妙な科学、奇妙な世界、未来社会、それにロボット、あたりだろうか。

    3)奇妙な、と付くと、どうもマッドサイエンスを連想してしまうし、ロボットというとヒーローやヒロインともつながってしまいそうだ。敢えていうなら、一番関心あるのは、未来社会、だろう。

    4)さて、こちらの「SF大クロニクル」には35ほどのジャンル分けがある。もうこれじゃぁ、ジャンルとは言えない。映画ひとつひとつが一つのジャンルになっているほどに小分けされている。ひとつひとつここに書くほどの意味はない。あえて抜き書きするなら、未来史、文学劇SF、サイエンス・ファンタジー、ソフト(ソーシャル)SF、未知の現象、ユートピア・フィクション、驚異の旅、あたりだろうか。

    5)そもそも当ブログがSF史に関心を持つのは、シンギュラリティ関連だから、まずは未来史は残るだろう。戦いや破壊は好まず、平和な調和を好むとするならば、サイエンス・ファンタジーや、ユートピア・フィクションが最後に残ってくるに違いない。

    6)ファンタジーなら、最初からそのジャンルを探していけばいいのだし、実際、今後その冒険もやろうと思っている。しかし映画の数はそう多くはないと思われる。ユートピア・フィクションというのも、どうもそもそもがユートピアがフィクションなのだから、過剰装飾に思われる。ここは「SF映画100年史」と合わせて、未来社会=未来史、あたりに照準を定めていこうと思う。

    つづく

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    2017/06/05

    「SF大クロニクル」 ガイ・ヘイリー他<4>

    <3>よりつづく

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    「SF大クロニクル」 <4>
    ガイ・ヘイリー (編集),    北島明弘 (その他) 2016/02 KADOKAWA/角川マガジンズ 単行本: 576ページ
    ★★★★☆

    1)わが廃物アートの<21>空飛ぶ円盤は、本当は円盤ではなくて、宇宙船を作りたかったのである。そしてそれも、あの「2001年宇宙の旅」の「ディスカバリー号」だったのだ。

    「2001年宇宙の旅」予告編 投稿者 cmuploader

    2)しかし何とどう何処から手をつけて行けばよいのか判断つかず、それに、一般にはあまり一目で分かってくれる人は少ないだろう。そこで結局はUFOになったのだった。

    3)この本には、それぞれの映画などでにでてきた有名な宇宙船の名前と形と大きさが書いてある。著作権の問題もあるのか、画像は輪郭ばかりで、キチンとした画像にはなっていない。それでも、このリストは貴重なものである。

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    4)漠然と、似たようなイメージを持っているのだが、大きさや形、それぞれに実にユニークな姿を持っていることがわかる。ここから逆算して、次なる廃物アートのプロジェクトが立ち上がるかもしれない。

    <5>につづく

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    「わがボタニカルライフ」 <38>不耕起農法

    <37>からつづく 

    「わがボタニカルライフ」

    <38>不耕起農法

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    1)エコビレッジの試行錯誤の後、5坪の市民農園、50坪のクラインガルテンときたが、昨年は体調がいまひとつ人畑一体とならずに、はて、今年はどうなってしまうのか。

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    2)今年は、どちらかというと縮小気味に考えていた。大体の自分の能力とその趣味にあてることができる時間と労力、資力がだんだんと見えてきたからだ。とくに体力と気力の限界がわかってきた。

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    3)自転車で10分の市民農園ではナス&キュウリ程度に抑えて、クルマで小一時間かかるクラインガルテンは、今年限りで来年は無理かなぁと思い始めていた。

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    4)そんな時知り合った素敵な女性がなんと、わがクラインガルテンのすぐそばで不耕起農法を続けておられることを知るに及んだ。

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    5)この方は先日お伺いした、みんなの放射線測定室「てとてと」のスタッフの方であった。この地域は、原発事故の震源地から決して遠くない位置にあり、わがクラインガルテンの線量も気になるところではあったが、彼女は、震災後、この地を借り増して自然農を続けているという。

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    6)農法一つ一つが興味深いのだが、その参考とされているのは川口由一さんの農法だという。いわゆる自然農法というのだろうか。川口さんの講演はかつてスピリット・オブ・プレイスでの講演も拝聴していたし、実は、当ブログでも3・11直前の2011/02/14、写真集「自然農に生きる人たち」 耕さなくてもいいんだよ(新井由己 2008/04 自然食通信社)を通じて、話題になったところであった。

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    7)偶然見かけた彼女に、畑を案内していただきながら、ひとつひとつの工夫に感心した。この4~5ha(約1万5千坪)の畑を、御主人の有機農業と組み合わせて耕作しているのだとか。直販を中心とした販路もしっかり確保されているようだ。

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    8)彼女には、最近の参考になる本としては、竹内孝功(たけうちあつのり)氏の一連の著書を推薦していただいた。わがクラインガルテンではいきなり自然農というところまではいかないが、この秋にはライ麦でも植えてみようかな、と思う。これだと、先行き不安だったわがクラインガルテン、来年も続いていくかな・・・?

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    つづく

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    「廃物アート」<21>空飛ぶ円盤

    「廃物アート」

    <21>空飛ぶ円盤    目次

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    「知識ゼロからの大人のピアノ超入門」 清水ミチコ他<8>本番 / 「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」<68>

    <7>からつづく

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    「知識ゼロからの大人のピアノ超入門」 
    清水ミチコ   (著),    森真奈美 (著) 2015/10 幻冬舎単行本 143ページ
    ★★★★★

    <8>本番

    ---------------------------

    <67>からつづく 

    -------------------------------
    1)そもそも当ブログは、まだ見ぬ孫たちへ残すものと仮定してスタートしたのだった。その後、本当に孫たちが生まれ、その4人の孫もすくすくと育っているのである。一番若い孫もすでに3歳の誕生日を迎え、対話と言えばすで対話として成立する時節となっている。ありゃ、これは驚きじゃ。
    2)されど、彼らにとってこちらがプレムバヴェシュであることは認識しておるまい。たんにおじいちゃんであろう。おじいちゃんはこの人で、この人がどのような名前を持っているかどうか、あるいはどういう歴史を持った人間かは、まぁ、そこまでは察する必要はない年代である。

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    3)こちらとて、誕生日にあれこれが欲しい、とかつぶやかれても、トミカのミニカーの名前もわからず、戦隊モノのスーパーヒーローの名前も知らない。何をねだられているのか、わからない。具体的なプレゼントはおばあちゃんに任せるとして、おじいちゃんは、今回、廃物アートの一環として、ピアノ奏者となって、一曲プレゼントトすることにしたのである。

    4)孫にとっては、誕生曲よりも、「ねこふんじゃった」のほうがいいらしく、毎回アンコールはそちらの曲である。まぁ、アンコールがないよりはいいだろう。

    5)おじいちゃんは、老いて、まだまだ元気で、新しいことに挑戦する意志があるよ、ということを示そうとしているわけだが、そのうち、おじいちゃんは、生きて元気でいるだけでいいよ、と言われる時代が来るにちがいない。

    6)すでに何人もの友人を冥府に送り、自らも日々老いを感じる日々である。肉体があっても、元気じゃない日が、近づいていることは間違いない。死刑囚として独房に入っている身ではないにせよ、棺一基が待っていることはまちがいない。その時、四方がもうもうと霞んでいるのかどうか、それはまだわからないが、その可能性が消えてしまっているわけではない。

    7)されど、まだまだ、孫との対話というほどの成熟したコミュニケーション環境にはないので、まずは現状維持で、ピアノ曲でも練習しようかな、と思った最近だった。

    8)この本、とても参考になった。さて孫の誕生日も過ぎたことだし、次の曲、と思ったところだが、まずはこの本は一旦閉じておく。そして、ちょっと視野を広げて、次に取り組むべき曲を探そうと思う。

    「知識ゼロからの大人のピアノ超入門」廃物アートへつづく

    「プレムバヴェシュの孫との対話」<69>につづく

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    「さとりサマーディにて」<27>次のステップ

    <26>からつづく

    「さとりサマーディにて」 

    <27>次のステップ           目次 

    1)前回の書き込みから2か月が過ぎた。この間、病院からの退院、元のホームへの帰還、そいて介護級数が5になり、新しい特老施設へと移動と、なかなか忙しい日々であった。

    2)このシリーズが始まった時は、かなり体調も安定していて、本人の気分もだいぶよかった。タイトルどおりしずかな日々へと続いていけばいいなぁ、という思いがあったが、決してそうはならなかった。

    3)95歳という年齢を考えれば、仕方ないことだが、コミュニケーションもややつらいものになりつつある。

    4)この間、身近でなくなった親戚や知人がすでに何人もいるのだが、彼女の心理的動揺を考慮して、伝えなくなっている。こちらに隠し事があるもので、言葉の端々には気を遣う。

    5)最近、14人目のひ孫が生まれたし、孫二人がマイホームを獲得したので、そのようなオメデタイことは伝えるようにしている。

    6)孫、ひ孫の名前や誕生日を的確に記憶していて、かつてさとりコンピュータと揶揄されたその記憶力も最近は衰え気味である。誕生日の記憶にも狂いが生じ、名前の書き順なども、何度も確かめるように聞き返すことが多くなった。

    7)さまざまな会話も結局は自分の体調がおもわしくないので、こちらの話を聞いているというよりは、自分の体調の不調を口にすることが多い。会話としてはなりたたないことも多くなった。

    8)新しい施設に移って、うまくその環境に慣れてくれるだろうか。本人にとって、良い点と、悪い点があるらしい。目はほとんど見えず、耳は片方だけがやや聞こえる程度。自分で歩行するどころか、自分でベットに座ることも、起き上がることもできない。そもそも、足を組み替えたり、体を左右に自力で動かすことができなくなっている。排便はもちろん大小どちらも自力ではできない。

    9)徐々に体力が失われていったので、家族としては急に驚くことはないのだが、以前と比べれば、かなり変貌していることに代わりはない。

    10)施設のスタッフにお願いしつつ、家族も頻繁に訪問を繰り返している。どの方法がいいのか、さまざま対処しながら、まずは60点合格主義を基本として、老老介護で共倒れにならないように、もっともよいだろうという方法を取り続けている。

    11)このシリーズのタイトル通りに物事は進んでいくのか。あるいは、改題を迫られているのか。

    12)まずは、新しい施設に早くなじんで欲しいと願っている家族たちである。

    <28>につづく

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    (仮題)瞑想ビューロー日記<5>五七語

    <4>からつづく

    (仮題)瞑想ビューロー日記

        目次

    <5>五七語

    1)ある時から、五七語を始めた。数は多くない。されど、自分としてはかなりの挑戦だ。

    2)号もある。実は友人たちと徘徊した時に、訪れたお堂の名前があまりに気に入ったので、そのまま借りてしまった。(失礼になるなら、いずれお返しいたします。<m(__)m> )

    3)五七語もさまざまある。俳句、短歌、連歌、都都逸、川柳、などなど。自分の文章はどちらかというと散文的なので、詩情を的確にまとめてくれるものがいい。その意味では俳句がいい。短歌だと、散文的で、どうもいつもの自分の文章と変わりなくなる。

    4)皮肉やパロディが好きな自分としては、俳句も悪くない、と思うが、皮肉やパロディは、他の方法で表現することができる。別段にあたらしい形式をあえて借りる必要はないのではないか。

    5)そう思って、俳句を選んだのだが、これがなかなか難しい。散文ではカタカナを適当に混ぜることに粋を感じる。されど俳句ではカタカナは深みを呼ばない。だから漢字や故事を含めることが必要となる。そこを学ばなくてはならない。そこが自分にとってはチャレンジングだ。

    6)そして、もっとも直面しているのが季語。どうやら季語をまとめた本があるらしいので、それを使えばいいだけのことなのだが、普段の自分の詩情に季語が乏しいことに驚く。エコロジカルな感覚が、まだまだ弱い。

    7)いずれ季語本を用意するとして、今は、ただただ、字数を五七五でまとめることだけしている。その故、今は俳句とは呼ばない。単に五七語と呼んでいる。

    8)五七語で気になるのはホツマツタエが五七語でまとめられていること。なぜなのか。そこんとこを考えたりするのも面白い。

    9)当面、五七語を重ねていく。そしていずれは季語も入ってくるだろう。

    10)「五七語の 季語を探して 六月の朝」   把不住

    <6>につづく

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    (仮題)瞑想ビューロー日記<4>テレビ体操

    <3>からつづく

    (仮題)瞑想ビューロー日記

        目次

    <4>テレビ体操

    1)朝起きて、まずはヨガで体をほぐします。そういうのはなんとなくカッコいい。それを生活に取りいれることができれば、素敵だろう。

    2)だが、わがライフスタイルでは、テレビ体操がその役目を果たしつつある。自己流のヨガは、時間がまちまちになりやすい。続かない。だけど、テレビ体操なら毎日時間が決まっている。量も、質も、一定である。ここがいい。

    3)毎日々々、体調は違う。もっとやりたい時もあれば、やりたくない時もある。やりたくない時はやらない。そして、きょうはやりたくないんだな、ということは記憶しておく。調子がいい時もある。そのような時はすこし早めに外にでて、かるいウォーキングや庭掃除をする。

    4)ヨガは、体と心をつなぐもの。呼吸に重きをおいている。それなりチェックポイントがある。本来の意味においては、長年しっかりと努力していく必要がある。それが邪魔になる時もある。

    5)ラジオ体操やテレビ体操は、あまりあれこれ言われない。ほとんど適当に自分に合わせて体をほぐすだけである。実際、これでいいのではないか。

    6)アラ還超えは、日々体が硬くなる。どんどん痛みが増す。曲がらない、動かない、遅くなる。実に体に関しては自信が減っていく。そんな時、あまり面倒なことを言われずに、テレビの前で体操するのは、楽でいい。

    7)思えば、いろいろやった。ウォーキング、スイミング、ストレッチ、太極拳、ウェイトリフティング、自転車、体振、あれやこれや。長続きしたものもあったし、思い付きのまま消えたものもある。されど、年齢を重ねると、次第々々に体は動かなくなる。いずれは止まる。

    8)そんなことを考えていると、テレビ体操は適当でいい。ヨガをやっているよ、と自分に言い聞かせながら、今日もテレビ体操で間に合わす。(笑)

    <5>につづく

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    (仮題)瞑想ビューロー日記<3>坐禅会

    <2>からつづく

    (仮題)瞑想ビューロー日記

        目次

    <3>坐禅会

    1)月一の早朝坐禅会のあと、茶粥をいただきながら、思った。主宰者は同じだが、別院における土曜午後の坐禅会もまた月一であり、生活のリズムになりつつある。

    2)生活に坐禅を取り入れる、という意味ではかなり恵まれた環境にある。伝統ある施設における正当な指導者。開放性、清潔性、自由性。至近性。

    3)恵まれている。されど、恵まれていればいるほど、人はより深みへとまた何かを求め始める。只管打坐。ただ坐る。それでいいのだが、そう簡単にいかないのが、人間の常である。

    4)その伝統性、正当性、自由性、とみられるそのものに瑕疵はないのか、と、チェック機能が働きだす。

    5)伝統性。凝縮の過程におけるクリスタライゼーションが残した伝統でありながら、そのガラパゴス性、不変性、が逆に足かせとなってはいないか。

    6)正当性。伝統が培う優れた指導者たち。その設備、そのシステム、そのネットワーク。具体性、現実性。うらやましい限りである。されど、と思う。そこに瑕疵はないのか。

    7)その問いは問いとしては存在しない。それを解決するための活動はなにもない。されど、我が感性は、どこまでその流れについていけるのか。そのことと、わが生命が一体化するのかしないのか、今はわからない。

    8)わが内なるものとして、より素直な形での思いの中に、まだ形が凝固しない瞑想ビューローという仮称が存在する。

    <4>につづく

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    (仮題)瞑想ビューロー日記<2>目次

    <1>からつづく

    (仮題)把不住庵日記

        目次

    <2>目次

    6)瞑想ルーム   NEW 2017/06/13
    5)五七語
    4)テレビ体操
    3)坐禅会 
    2)目次 
    1)はじめに 

    <3>につづく

    「把不住述懐」地球人スピリットジャーナル・エッセンス版に統合しました。2017/06/19

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    (仮題)瞑想ビューロー日記<1>はじめに

    (仮題)瞑想ビューロー日記

        目次

    <1>はじめに

    1)思うところあって、このシリーズをスタートする。

    2)タイトルは仮題とする。そのうち正しいタイトルを獲得することだろう。

    3)本来は瞑想センター日記となるべきところのシリーズである。されど、どうもこのタイトルはしっくりこない。瞑想センターというコンセプトは、毎日複数の人々が瞑想ができるインフラがある、ということを意味する。現在、それがない。それに、いままで長い間使われてきた言葉であり、よけいなイメージがついている恐れがある。

    4)ふと頭をよぎったのが、瞑想の松ビューローという言葉だ。これは十代の頃、共同生活体雀の森をスタートする時、最初に仮称としてついていた名前である。瞑想の松とは、ニーチェを日本に紹介した高山樗牛ゆかりの松がある地名である。この地で私たちのコミューン活動はスタートした。されど、瞑想に特化したものではなかった。

    5)瞑想の松は地名であるため、ちょっと重すぎる。今回はその地名とは特段の関係はない。

    6)ビューローとは、ドイツ語で事務所、という意味だが、ツーリスト・ビューローは旅行案内所と翻訳されている。やや硬い感じのある言葉である。

    7)実態に合わせれば、現在は瞑想オフィス的なニュアンスでスタートしているわけだが、これもまたしっくりくることではない。そこで、まずは瞑想ビューローという言葉でスタートする。

    8)その思いに付随して去来する出来事や日々の変化をこのシリーズにメモしていくこととする。

    <2>につづく

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    2017/06/04

    「宇宙船建造プロジェクト」早坂秀雄 <14>

    <13>からつづく


    NASAが資金提供を申し出た「宇宙船建造プロジェクト」反重力推進で宇宙に飛び出そう!<14>
    早坂秀雄 2007/10  徳間書店  単行本  197p 
    ★★☆☆☆

    夏至近し 廃物アート 空を飛ぶ
    把不住

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    つづく

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    「SF大クロニクル」 ガイ・ヘイリー他<3>

    <2>よりつづく

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    「SF大クロニクル」 <3>
    ガイ・ヘイリー (編集),    北島明弘 (その他) 2016/02 KADOKAWA/角川マガジンズ 単行本: 576ページ
    ★★★★☆

    1)実に大冊である。厚さにして4~5センチ、重さにしてノートパソコン一台分はあるかというような、アートにカラーページ満載の百科全書派の一冊である。この本なら、とりあえず現在の私のガイドにはうってつけだ。

    2)最近になって、SF回帰を強めているのは、なにはともあれ、映画でもみようかな、という機会が増えたこと。手元の資料や、手っ取り早く最寄りの図書館から借りだすのだが、結局はSF映画をキチンと見ていなかったな、という反省がある。

    3)そして、二つ目には、当ブログが最近シンギュラリティ回帰を強めていることだろう。そもそも科学に関する読み込みは弱い。もうしこし幅を広げようという意図の元、未来へとつながるSF映画でもないものか、と漁ることになる。

    4)SFと言ってもジャンル別にすると、極めて多様性がある。結局は、一作一作がそれぞれのジャンルの代表作である、とでも言っていいくらい、ジャンルがありすぎる。これではいけない。

    5)まずSF映画と言えば、「2001年宇宙の旅」で決まりでしょう、という断定がある。しかし、それでいいの、という揺らぎもある。そのちょっと早めの断定を確定するためには、もうすこし幅を広げてみて、やっぱりな、という腹に落ちるような納得にしたい。

    6)「2001」を超えるようなシリーズを超えるようなSF映画はあるのか。「ジュラッシク・パーク」シリーズも面白かったし、「スターウォーズ」シリーズも、まあまあ最近その興味深い点に気づいた程度。でも、それぞれがあまりにもキャラが立っていて、比較検討するようなものではない。どちらもどちらなのだ。

    7)結局、自分は何がすきなの?ということが一番大事だ。

    8)SFとはいうものの、決して未来的ではない。すでに20世紀の遺物と化している部分もある。シンギュラリティに向けて、真に役立つSF映画はあるか。

    9)そんな思いを明日につなげてくれるという意味では、この「SF大クロニクル」は、実に有用な一冊である。

    <4>につづく

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    2017/06/03

    「超相対性理論入門」 清家 新一

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    「超相対性理論入門」
    清家 新一 (著) 1972 大陸書房 単行本 270ページ
    No.4010★★★★☆

     

     

     

     

     

     

     

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    空飛ぶ円盤で思い出すのは、清家新一氏。かつて僕は彼の研究所を尋ねたことがある。1972年のことだから、すでに44年前のことだ。

    氏は昭和11年4月生まれだから、当時、36歳くらいの青年学者だった。東京大学数物系大学院修士課程卒で重力研究所所長、かつ『超相対性理論』の著者をたずねて、愛媛県宇和島市の自宅までヒッチハイクで行ったのだ。当時の僕は18歳。

    彼は突然訪ねた僕を丁重に迎えてくれて、超相対性理論を説明してくれた。こちとら分かるわけはない。おもむろに、現在製作中であるという「空飛ぶ円盤」を見せてくれた。

    それは、アルミの洗面器をさかさにして、なにかコイルか何かを貼り付けたものだったと記憶している。まもなく完成するということで、すでに英国では完成しているとのことだった。

    その英国での証拠として、実際に空飛ぶ円盤が浮遊している下で、英国の研究員たちが乱舞している写真を、確か3枚で500円で買った(売りつけられた?)記憶がある。

    この写真は、多分、今でも、僕のアルバムをすみからすみまで探せば、きっと出てくるかもしれない。

    でも、それは、当時の僕には、空飛ぶ円盤というより、空飛ぶコンドーム、あるいは空飛ぶペッサリーに見えた。今なら、さしづめ、空飛ぶ越前クラゲか。

    帰り際に、物陰から、ひっそりと、二人のなりゆきを心配そうに眺めていた細い体の、氏のご母堂の姿が、いまだに目に焼きついている。

    あの円盤、どうなったのだろう。

     

     

     

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    最初に未確認飛行物体を見たのは、中学三年生の時。冬場の補習授業が終わって、友人たち数人と校門の近くまで来た時に、ふと、誰かが空を見上げたら、ほぼ頭上を西の空から北東の方角に向かって、光る飛行物体が浮かんでいた。その場にいた10人くらいが見上げ、わあわあ騒ぎ出した。誰かが「UFOだ!」って叫んだが、誰も本気にはしなかった。

    でも面白がって、騒いでいると、その物体は、夕日が反映して微妙に光り、ゆらぎ、そこから、仰角にして5度くらい移動した時に、ひゅんと、消えてしまった。その時間1分くらい。確かに夕焼け雲はでていたが、物体がいたところは、青空(というか晴れたほぼ夜空)だった。

    飛行機ではない。人工衛星ではない。気象観測の風船が割れたのかもしれないし、方角的に考えて、北朝鮮から飛んできたスパイ用マシーンだったかも。

    まぁ、いずれにせよ、僕らにとっては、Unidentified Flying Objectではあったな。

     

    古い女性の友人が、やはり中学生の頃、学校の帰りに海岸線を自転車で走っていたという。
    その時、何気に海の方を見ると、すっかりアダムスキー型のUFOが一緒に走っていたという。

    「ああ、あれがUFOかぁ・・」と、そのまま、それ以上の感慨のないまま帰宅してしまったらしい。

    お互い成人してからその話を聞いたのだけど、きちんと科学的マインドを持った女性だし、人格的に嘘をいうような人ではなかったので、僕は彼女の言葉を今でも覚えている。

     

    そうそう、もうひとつ思い出した。だいぶ前のことだが、ある、市内の中学校に通っていた女子生徒が、ある雨の日の夕方、赤青黄の光が乱舞する光景(物体)を偶然目撃したという。そういう話を母親から聞いたので、さっそくその子に実際にあいインタビューしたことがある。

    結局は雨に煙っていて、信号機の光でも蜃気楼のような形でどこかに反射かなんかしたのだろう、ということで、一件落着した。

    しかし、あとから考えると、その見た場所というのが、市内の中心地からやや離れているものの、大変広い敷地を有する森林公園のすぐ側だったことが、ちょっと仲間内で話題になった。

    つまり、情報通(?)によると、その森林公園の地下には、かつて戦争時代に、巨大な防空壕が作られており、戦後の宅地ブームでも、そこだけは開発から逃れ続けてきたという。これは、まんざら信憑性のない話ではない。

    しかし、そこから仲間内の話はエスカレートして、その公園は、現在UFOの基地化しており、地下はさらにアガルタへとつながっているという話に及んだ。

    これはさすがに確かめようがなかったが、まぁ、そういう土地柄だけに、なんの予備知識のない女生徒の話ではあったが、あんまり一笑に付すこともできないね、という結論になった。

    それにしても、UFO話になると、毎回のように中学生や若い世代がキャラクターとしてでてくるのは面白い。 Bhavesh

    ---------------------------------

     

    mixi 「アガルタ」コミュ 「アガルタとUFO」トピ 2005/12の書き込みからの転載

     

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    「残の月」 大道寺将司句集

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    「残の月」 大道寺将司句集
    大道寺 将司 (著),    福島 泰樹 (著) 2015/11 太田出版 単行本: 176ページ
    No.4009★★★★☆

    1)
    「棺一基」から三年
    隔絶された病舎で
    癌と闘いながら詠んだ四百九十句
    十七文字に刻まれた
    加害の記憶と悔悟、獄中からの観照 
    表紙帯

    2)「残の月」と書いて、のこんのつき、 と読む。

    「縮みゆく残の月の明日知らず」 大道寺将司 2014年 p134

    3)前句集「棺一基」をめくっていて、ふと思った。

    棺一基 四顧茫々と 霞けり」 2007年 大道寺将司 2017/05/24 没 享年70歳

     境遇とか、ご本人の真意などまったく無視して、もし私がこの句をつくるとするなら、

    「霞てし 四顧茫々と 棺一基」 把不住

    とするのでないだろうか。文法はまずは無視するとして、棺がひとつあって、廻りが茫々としている、というより、周囲が茫々としていても、確実なのは棺一つである、と考えた方が、よりわが心境に近い。

    4)棺とは、もちろん死を意味するわけだが、象徴としての棺であっても、実際は、棺にさえ入れてもらえない人もたくさんいたのだ。自らの死を「棺」と象徴させることができるのは、ある意味、幸せなことなのではないだろうか。

    5)この句集の第一句は

    「凍みる地に撒かれしままの放射能」 大道寺将司 2012年 p6

    で始まる。獄中の独房にあって、隔絶の世界にいるようにも思うが、実際はニュース源としては新聞や書籍、ラジオ、手紙などを通して、私たちの塀の外にいる人間と、それほど変わらない環境にあるのかもしれない。

    6)もちろん、ネットは使えないだろうし、電話、あるいはクルマなどを使って現地に行くことなどはできないだろう。しかし、今、この句集にあたっていると、塀の内外をそれほど意識しなくても良いのではないか、とさえ、思ってしまう。

    7)「縮みゆく残の月の明日知らず」 この句もまた、獄中の孤独だけが生み出しうる句ではないのではないか。病舎にいて、日々闘病のベットにいる身なら、その感は、一層厳しいものではあるだろうが、詠み人知らずとして淡々と読み下すなら、これは、誰にでもある句境ではなかろうか。ましてや、アラ還超えの私など、実に当たり前だとさえいえる。

    8)この句集には2012年かr2015年までの4年間の句500句が編集されている。前句集と合わせて、2000。その一句一句が著者の日々の記録だとして、その一期を一句にまとめる、ということは、不可能ではない、と、まずは想定してみる。

    9)この句集の後の二年間。著者はどんな句を残していたのだろう。

    10)「千の句を 散らして逝きし 五月かな」 把不住

    つづく

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    「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版<11>千の花 散らして残る 小枝かな 把不住

    <10>からつづく

    「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版

    <11>千の花 散らして残る 小枝かな 把不住   目次

    1)当ブログが「ウェブ進化論」から始まった、ということは大きな決定事項だった。もしこの小さな新書に出会わなければ、当ブログは存在しなかっただろうし、また、私個人の人生も大きく別の道を歩み始めていたことだろう。

    2)そういった意味においては、日々毎日が、選択肢に富んだ、可能性満載の日々であるということでもあり、いつでもどこでも、あらゆる方向に人生は変わっていく可能性があるということでもある。

    3)しかしながら、「ウェブ進化論」で始まってしまった場合、結局1000冊目として、「松岡正剛 千夜千冊」にたどり着くのは必然であったようにも思われる。ネットにおける可能性の追求、そして当時の活躍していた人々、そして「千」に関わる一冊としては、もうこの本しかないだろう、という登場の仕方だった。

    4)しかし、当ブログは当ブログなりに企みがあった。1クールを1000とせずに1024としたところに、我が個性を感じる。1000を超えて、1024を1クールとした場合、私の場合は、OSHOを登場させないわけにはいかないのである。

    5)ここで毎回気になることではあるが、当ブログ、と表現するところと、私、と表現するところに、どんな違いがあるのだろう。私は当ブログの主筆(というか一人しかいない)であるかぎり、私と当ブログは一体なのであり、特段にその言葉を使い分ける必要はないのではないか。いつもそう思う。今後、峻別する時期が来るとして、今は混同したまま進める。

    6)OSHOを集約するに、「ZEN MANUFEST」は、位置的に間違った選択ではない。されど、この一冊で何事すべてを代行させるわけにはいかない。ここでこの一冊を持ってきたのは象徴的な意味においてである。私はOSHOが大好きだよ、と、まずはそう言っておきたい。それを超えるものはまだ見つけていないよ、ということだ。

    7)しかし、後でわかることだが、OSHOは超えて行かれなければならない。OSHOに留まることができない、またはOSHOに留まらせてくれないのが、またOSHOの仕組みなのである。

    8)Vol.2における1000冊目がOSHOの「THIS, THIS: A Thousand Times This」であったことは、まぁ、ちょっとしたダジャレではある。たくさん、という意味をOSHOは千とひとつ、という単語を使って表すことが多かった。その意味でも、このタイトルが1000という言葉を含んでいたことは、1000冊目としては採用しやすかった。

    9)されど。Vol.2における1024冊目は、木田元の「精神の哲学・肉体の哲学」であった。そもそも私は(当ブログは)、心理学の徒であり、宗教の徒でありつつ、哲学の徒でもあった。だから、ひそかな哲学への思いがどうしても顔をのぞかせてしまう。その意味では、木田元は、ひとつのメルクマールではある。

    10) Vol.3において、3・11に突入した。一時フェードアウトしようとしていた当ブログはここで、大きく変化した。数え上げればきりはないが、とにかく、何かを創造しようという機運が高まってきたのは本当だった。「チキンの骨で恐竜を作ろう」は、大きな転機をもたらした。

    11)Vol.3の1000冊目として選んだ「メイキング・オブ・ジュラシック・パーク」は当ブログとしては、かなり大きな挑戦だった。多少のてらいを含みつつ、この動画を選んだのは、それまでの固定化しつつある当ブログのフォーマットを作り直したい、という気持ちも込められていた。

    12)そして3・11後に立ち現れた宮沢賢治や山尾三省、あるいはアントニオ・ネグリなどの好印象を差し置いて、一つの人間像としてはゲーリー・スナイダーがとてもカッコよく見えた。 「For the Children」 は編集本ではあるがコンパクトであり画像も多く象徴的な意味もあったので、VOL.3の1024冊目となった。

    13)しかし、ここにきて、もうVolの分け方に意味を失った当ブログは、最初の最初からの通し番号で冊数を勘定することとなった。集束の過程に入ったのである。

    14)1000冊の本はいらない。一冊があればいいだろう。1000の言葉はいらない。一つの句があればいいだろう。そんな思いから、短歌や俳句のことが気になり始めた。把不住と名前を借りて、五七語をいじり始めたところである。

    15)そんな折り、出会ったのが「棺一基」だった。詠み人は、誰でもよかったのだろう。しかし、当ブログにおいては、この人が4000冊目に来た。それはまた、新たなる象徴的な意味を持っていた。

    16)今後、5000冊目に向けて、プロセスとしての1000冊など、本当は意味がないものとなろう。5000冊目において、おそらく、一句、残されるはずだ。その一句をならしめるために、これからの1000冊が存在することになろう。たどり着けばの話だが。

    <12>につづく

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    2017/06/02

    「フィフス・エレメント」監督リュック・ベッソン

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    「フィフス・エレメント」
    リュック・ベッソン (監督) ブルース・ウィリス (出演),    ゲイリー・オールドマン (出演),  発売日 2013/04  販売元: 角川書店    ディスク枚数: 1枚 時間: 126 分 1997年フランス・SFアクション映画
    No.4008★★★★☆

    1)この映画、古い映画(1997年)だからか、あるいはフランス映画(それにしても音声は英語)だからか、一観客としての私の好感度は高い。なぜだろう。

    2)極端なバトルも出てこないし、これでもかというCGも出てこない。そこがいいのであろうが、まずは、この「フィフス・エレメント」というタイトルでもうすでに80点を獲得している感がある。

    3)五番目の元素。木火土金水で言えば、水ということになるが、地水火風で言えば、碁盤目の元素は「空」ということになるはずである。その東洋の真理を、西洋のSF映画は知ってか知らずか(知らないわけがない)、その秘密を捻じ曲げ、具象化し、戯画化し、西洋的一般的理解の中に落とし込もうとする。

    4)いまから20年前の映画を今頃見ながら、どうのこうのというのはちょっとルール違反のような気もするが、とにかく1997年の頃なら、私は立ち上がったばかりのインターネットに夢中で、映画などに見向きもしなかったなぁ。

    5)もし、たら、はいまさら禁句だが、それでも封切でこの映画を見るような心境や環境があったとして、この映画をどう見ただろう。

    6)どこか衣装もスターウォーズを連想させるところもある。別にスターウォーズのファンではないが、とりあえず全編に目を通したので、目が慣れている。それにファンの多いらしい映画をたとえにすれば、話題を共有しやすい。

    7)それに、多少のオチャラケやおふざけ、ジョーク、コメディ、ユーモア、パロディも欲しいんだな、一観客としては。まじだけではSFは面白くない。その点、この映画はそちらもほうにも努力しているかに感じる。

    8)見終わってみれば、バトルも銃撃戦もバトルも流血もあり、パニックと、そしてわずかに添えたようなヒューマンな人間関係、ほとんどお決まりコースの映画だった。

    9)人々がこのようなカタルシス映画を見て、晴れ晴れとして映画館からでてくるのだろうか。高倉健のヤクザ映画を見て、健さんになった気分で映画館をでてきた人々のように。なんのはけ口もないよりはいいのか。

    10)でも古代の謎を解くかのようなストーリーは、まぁまぁ、ゆるせるかな。

    11)五つ目の元素は、愛、かよ。(笑)

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    「棺一基」 大道寺将司全句集<3>

    <2>からつづく
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    「棺一基」 大道寺将司全句集 <3>
    大道寺将司 (著),    辺見庸(序文・跋文) (著) 2012/04 太田出版 単行本: 234ページ

    1)句は、この本においては1996年に始まり、2012年に終わっている。独房における孤独な感慨が連綿と続くが、病舎に移された直後に、彼もまた3・11を体感する。

    揺れ動く壁鳴りやまぬ浅き春

    数知らぬ人呑み込みし春の海

    瓦礫選る女濡らして島帰る

    斑雪人を助けし死者の辺に

    加害者となる被爆地の凍返る

    ”ありがと”と亡き母に女児辛蝦夷咲く

    暮れ残る桜の下の津波後

    地震止まず看護師の声裏返る  p173~4

    2)著者は、病舎の壁や看護婦以外、3・11のことについて、どのようにして知り得たのであろうか。自分の足で現地に行ったのではないことが確かである限り、それはおそrかう新聞やラジオ、テレビ(もしそれが許されているのなら)で知り得たことであろう。

    3)そしてまた、被災地にあって、後日、自らの足で、自転車で、クルマで、何度か現地と通り過ぎたとは言え、波ひとつ私は目撃はしていないのだ。地震とて、「揺れ動く壁」などは体験していない。新築の耐震ビルに、守られていた。揺れたのはせいぜい、壁に付けてあったアコーディオンカーテンくらいだった。

    4)情報を、メディアと通じて得ていた、という意味では、彼と同じような3・11の体験をしているのである。逆に言えば、3・11に限らず、一般家庭生活と、独房と、それぞれの境遇は違っていても、時代を体験する、ということは、それほど大きな違いはないのかもしれない。

    つづく

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    2017/06/01

    「オール・ユー・ニード・イズ・キル」監督ダグ・ライマン

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    「オール・ユー・ニード・イズ・キル」
    ダグ・ライマン (監督) トム・クルーズ (出演),    エミリー・ブラント (出演),  発売日 2015/06 販売元: ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント  形式: Blu-ray   時間: 113 分 2014年作品
    No.4007★★☆☆☆

    1)大体において、このタイトルがどうも気に入らない。なんでこんな映画をみる羽目になっているのだろう。誰かのベストSFリストの何位かにランクされていたのだ。だから見ているのだが、ふーむ、これが私の見なければならないSFの一つなのだろうか。

    2)最近、暴力も、バトルも慣れてはきた。多少のことでは根を上げなくなったが、どうもハリウッド映画には心底慣れることはない。

    3)だけど、このモバイルスーツなどに目を見張ったりするのは、わが廃物アートでロボットを作ってみよう、というプロジェクトが立ち上がっているからかもしれない。

    4)聖昨年度が新しい故か、見ていると画像がわりとすんなり入ってくる。違和感が少ない。ただし、今回も、焼酎を飲みながらソファーでみていたため、エンディングを見ずに寝こけてしまった。ごめんなさい。

    5)桜坂洋による日本のライトノベル『All You Need Is Kill』が原作だとか。なるほど、なにか他の作品と違うとすれば、その辺が関係しているかも。

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    「宇宙船建造プロジェクト」早坂秀雄 <13>

    <12>からつづく


    NASAが資金提供を申し出た「宇宙船建造プロジェクト」反重力推進で宇宙に飛び出そう!<13>
    早坂秀雄 2007/10  徳間書店  単行本  197p 
    ★★☆☆☆

    <14>につづく

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    「棺一基」 大道寺将司全句集<2>

    <1>からつづく
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    「棺一基」 大道寺将司全句集 <2>
    大道寺将司 (著),    辺見庸(序文・跋文) (著) 2012/04 太田出版 単行本: 234ページ

    1)著者には少なくとも3冊の著書があるようだ。しかも句集としては、この「全句集」の3年後に「残(のこん)の月」が出ており、本当に晩年の句を探すとするならば、後者をまずは読むべきであろう。またその後者の句集がでた二年後に病没したとしたら、いわゆる辞世の句なるものは、まだ発表されておらず、これから出る新たな句集に含まれているのかもしれない。

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    2)それでも、当ブログとしては、栄えある4000冊目に選出したかぎり、この「棺一基 四顧茫々と 霞みたり」(2007年)を、第一句として記録しておきたい。

    3)というのも、個別的にこの句人を追いかけているわけではなく。当ブログ10数年の歩みの中で、「ウェブ進化論」から始まって、「松岡正剛 千夜千冊」 、Osho「The Zen Manifesto; Freedom from Oneself 」 、Osho「THIS, THIS: A Thousand Times This」木田元他「精神の哲学・肉体の哲学」、DVD「メイキング・オブ・ジュラシック・パーク」 、そして、ゲーリー・スナイダー「For the Children」 を通り越して、ようやくこの句集にたどり着いたとするならば、その著者のライフスタイルや人生、感慨というより、俳句という表現形態に、極めて納得するものがあったのだろう。

    4)棺一基。人、いずれは死ぬということで言えば、確かに棺一基に向けての道筋でしかない。そして、たくさんの人々や、出来事、学びや出会いの数々があったとして、自己という敷居に居る限り、煎じ詰めれば、たとえ話とは言え、独房に入っているのと、似ていないこともない。

    5)四顧。四顧とは周囲のことである。おそらく、四方の他に、上とか下とか、すべてがまるで霞んでいるに違いないのだ。人生そのものが、よくよく考えてみれば、まさにその通りである。茫々と霞んでいるのである。

    6)されど、そのことを、たった17文字で表すのは難しい。この句人にしてこの句あり。この句人がいてこそ、この句の意味が際立ってくるにしても、どの人生、どの人においても、本来、「棺一基 四顧茫々と 霞みたり」であるのではないだろうか。

    7)この方は、刑死とならず病死となったらしい。そこまでの数十年の日々、この世において、どのような人生を送ったのか。残された句からその日々を推測することは可能である。されど、壁の外にいる私たちにしても、もし日々煮詰めた人生を送るとするならば、一句、一句に純化された感慨が記録されていくに違いない。

    8)当ブログ4000冊目にして、当ブログはこの一句に出会った。それはこの句集に集められた1500の、一句一句を味わうことに目的はない。むしろ、その長き独房の日々を一句に込める凝縮力、その力をこそ学びたい。

    9)そして、おお、この句こそは、という一句が吐けたら、当ブログとしては、本望のほとんどが叶えられた、ということができるであろう。

    10)「棺一基 四顧茫々と 霞みたり」 詠み人があればこそ、この句の真の意味が立ち上がってくるとは言え、詠み人知らずとして、意味を勝手に自由に解釈するとするならば、この句は、誰にでも当てはまる、人生のエッセンスなのではないだろうか。

    <3>につづく

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    「20世紀エディトリアル・オデッセイ」 時代を創った雑誌たち 赤田 祐一 +ばるぼら <4>

    <3>よりつづく 

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    「20世紀エディトリアル・オデッセイ」 時代を創った雑誌たち<4> 
    赤田  祐一 (著), ばるぼら (著) 2014/04 誠文堂新光社 単行本 224ページ
    ★★★☆☆

    1)この本とても面白いと思うのだが、まずは通読する必用がある。はやく通読して、概略をメモしようと焦れば焦るほど暗礁に乗り上げる。

    2)まず第一には、文字が小さいこと。面白い文章もあるようなのだが、どうも読めない。虫眼鏡を使っても読み切れない。スマホのルーペ機能を使っても目が疲れてだめだ。つまりだ、この本は、編集者による編集者のための本なのに関わらず、失敗編集の一例なのではないか。

    3)なぜに文字が小さくなりすぎるか。情報を満載しすぎるのである。なぜにそれほどに情報を満載jにする必要があるのか。それでは編集の意味がないではないか。取捨選択せず、とにかく並べようというのは、編集の意図に反する。

    4)この本、最初の最初から「ぼく自身のための雑誌カタログ」(p004赤田祐一)とおっしゃるのだから、他人がどうのこうのいう必要はもともとないのかもしれない。されど、近くの公立図書館に入り、老眼の度の深化が著しい我が細目にも止まってしまうとするなら、無関心ではいられない。

    5)ましてや、自らの関係者が作った本も並び、また、私自身が作った雑誌が掲載されているとするならば、嬉しさが80%以上。無断掲載されていることにやや引っかかりがあるものの、所詮雑誌とはそんなもの、とアキラメはつく。

    6)されど、この雑誌には、「私自身のための雑誌カタログ雑誌」とするには、雑味が多すぎる。まず、エログロナンセンスな雑誌は、私は必要ない。あとアメリカン・コミックも、大型書店で手にとる程度であったので、それほど思い入れはない。

    7)それと、誰もが知っているような大型出版社からマスメディアとして発刊されていたような雑誌も、正直、おととい来い、なのである。ロックやジャズや、一つのジャンルに深入りしたような、しかも私の趣味ではない方向の雑誌も、オフして構わない。

    8)さぁ、そこまでくれば、このカタログに登場する雑誌は、この10分の一になるだろう。そうとなれば、文字の大きさも10倍とは言わないまでも、すくなくとも、すでにアラ還超えをはたしている我が老眼にも、もうすこし配慮されることになることは間違いない。

    9)そしてだ、結局は、ベースのベース、基本中の基本は「ホール・アース・カタログ」に行く突くとするならば、それはそれ、それでもう結論は出てしまっているのである。

    10)時にネット上では、ビニ本、裏本の大特集、大カタログのようなものを見かけることがある。あの文化も今となっては、かなり限定された。5年とか10年とか、短い期間のあだ花だったのである。それらを、分散しないように(笑)いまカタログとしてまとめておくのも、志のある御仁にはやりがいのある仕事であると思われる。

    11)しかあれど、当ブログとしては、網羅性も必要と認めつつ、やはりそこにフィルターをかけ、集約し、ここだ、というポインティングも必要であろうと思う。

    12)そう言った意味においては、「ホール・アース・カタログ」と「宝島・全都市カタログ」と我が「時空間」がどのように扱われているのか、そこが分かれば、まぁ、それで十分なのである。

    13)銀河系の中の度の位置に太陽系があり、その太陽系の中の何番目に地球は位置しているのか。その辺あたりまで絞り込めれば、もう十分である。されど、そこまで絞り込んだ時、はて、その銀河系は、宇宙全体のどの位置あたりに存在するのかも、分かっていたい。

    14)だから、雑味の多い一冊ではあるが、雑味が多いからこそ価値ある一冊といわなければ、このカタログが登場した意味がない。

    15)少なくとも、私は自分が関わったり作ったりした雑誌が、このカタログに関連づけられたことは光栄に思う。

    つづく

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    今日の気分はこの3冊 <29>

     
    今日の気分はこの三冊<29>
     
            今日の気分はこの3冊 目次 

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    「SF大クロニクル」ガイ・ヘイリー (編集),    北島明弘 (その他) 2016/02 KADOKAWA/角川マガジンズ
    ★★★★☆

    「棺一基」 大道寺将司全句集
    大道寺将司 (著),    辺見庸(序文・跋文) (著) 2012/04 太田出版 単行本: 234ページ

    「20世紀エディトリアル・オデッセイ」時代を創った雑誌たち<3> 
    赤田  祐一 (著), ばるぼら (著) 2014/04 誠文堂新光社 単行本 224ページ

    ★★★☆☆

    <30>につづく

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