<84>からつづく
「私が愛した本」 <85>
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p
★★★★★
1)久しぶりに、この本を再読一気読みした。ネットが発達してブログ機能が出来、「ウェブ進化論」に出会い、ブログを始めて、当時オープンになりつつあった図書館ネットを活用し、読書を始め、読書ブログとして始動し始めた。
2)読書を始めてみれば、生涯の師であるOSHO本も当然視野に入ってきて、やがてこの「私が愛した本」が、当読書ブログの中心位置を占めるようになった。
3)この本には煌めくような本が百数十冊紹介されており、そのほとんどをチェックした。一部本として存在しないタイトルも二・三あった。現在の手持ちと図書館ネットで確認して手にしたのは百冊程度。あとの数十冊はその存在すら確認できなかった。
4)それでも、当ブログとしては、この一冊を中心として数年過ごしてきたわけだから、もうある地点から卒業の気分が強かった。大体わかった。それを今後どう生かすのか。そんな流れで、他の本にも手を伸ばしはじめた。
5)OSHOは文中で自分は生涯で10万冊以上の本を読んだと豪語している。当時50歳くらいの人物が生涯という場合、おそらく45年くらいの間だろうが、10万冊÷45年とすると、一年間に2200冊あまり、それを365日で割ると、一日約6冊のペースということになる。
6)当ブログにおいては、約10年強で4000冊あまりをメモしてきた。つまり一日一冊のペース。この6倍に読書量を増やすことは考えられないし、おそらくその必要性も感じられない。
7)ある種の実験の意味も含めて、流し読みを続けたが、最初100冊でさえ読めるとは思わなかった。1000冊に届いた時は本当にビックリした。花火を上げたい気分だった。
8)2000冊に届いた時も本当にビックリした。目標を大きく一万冊に上げてみた。だが、すぐにその愚かさを知った。冊数を追いかけるだけなら、このインターネットの時代いくらでも追いかけることは出来るが、それでは内実は伴わない。
9)3000冊に到着した時は、もう冊数を勘定する意味を失ってきた。現在もナンバリングは続けているが、いつフェードアウトするか自分でもさだかではない。むしろ再読本も増え、この本のように何十回も読み直し、メモし続けている本もあるので、ブログの記事数をカウントした方がより実態に属しているのではないか、とさえ思う最近である。
10)さて、今回、あらためてこの本を再読、一気読みしてみて、実に読み落としの多いことに気づくことになった。何度も何度も目を通している本ではあるが、随所に新しい発見がある。また、すでに紹介された本のほとんどを読んだと思っていたのだが、むしろほとんど読んでいないような気がし始めた。
11)OSHOが最も強調しているカリール・ジブランにしても、はて、私は読んだのだっただろうか、と不確かな気分になる。OSHOの読み方と私の読み方の違いが浮き彫りになっている形だ。OSHOはOSHOの読み方がある。読み方がある、というよりも、OSHOがあって、その反映として本というものが鏡になっているのであり、ここに書かれているのは、OSHOそのものの姿であった。
12)つまり、一読者としてのOSHOや私の読書感想というものではなくて、生き方そのものが提示され、その時、私は私なりの生き方をまざまざと見せつけられる、ということになる。
13)読んでいて、平穏な気持ちになるような本ではない。自分を見せられ、かき回され、余ゴミを浮き上げてくれる効果がある本である。
14)すでに有名なOSHOのいくつかの間違いがこの本にはある。カミュをマルセルと言ったり、マルパと他のタントラ・マスターを言い違えたり。それもまた愛嬌であり、この本を資料集として読むのではなく、OSHOそのものを味わうという意味では、まったく損傷がないばかりか、新たなる愛情が湧いてくる。
15)8歳にして父の死に際し、生死の問題につきあたり、十代にして瞑想が探求のキーワードになった。21歳の時、編集取材の途上で「存在の詩」にであい、自分の編集作業を投げ出した。2年後にインドに渡りOSHOのサニヤシンとなった。それまで、どこの師にも組織にも靴を脱がなかった私だが、一度はどこかの師につかなければならないだろうと感じていた。
16)小さい時から29という数字に縁を持っていた私は、29歳の時に、近くの河原で瞑想していて、ひとつの得心を得た。それは、OSHOを生涯の師とさせていただこう、ということだった。
17)56歳と7か月。この数字もまたわが人生においてはマジックナンバーだった。この時から7つのことが次々と起こった。そして7つ目はあの3・11だった。そしてあれからさらに7年が過ぎ、私は今、七のサイクルの9番目にいる。
18)多くの詩人やマスター達、そして58歳で肉体を離れたわがマスターよりもさらに長く生き延びていることになる。平均寿命にはまだまだ遠いが、それでも周囲の友人知人たちのなんと旅たちの早いことか。叔父叔母たちも次々と天寿を全うして去っていく。
19)いつ尽きるかわからないわが生命であるが、残された日々を数えることはもうやめよう。残され今日一日が最後の日なのである。今日私がやりたいこと、やるべきこと、やれることを、キチンと生きていこうと思う。
20)私は今日、この本を、再読、一気読みしたかった。
21)そして今から40年前に、OSHOから手渡された「OSHO SVAGAT MEDITATION CENTER」の意義を、新たにする。
つづく
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