「ノスタルジア」 監督: アンドレイ・タルコフスキー<1>
「ノスタルジア」<1>
監督: アンドレイ・タルコフスキー 出演: オレーグ・ヤンコフスキー, エルランド・ヨセフソン, ドミツィアナ・ジョルダーノ 発売日 2015/03 販売元: KADOKAWA / 角川書店 形式: Blu-ray 時間: 126 分 1983年 イタリア・ソ連合作映画
No.4027★★★★★
1)タルコフスキーを特徴づけるもの。
・長廻し。俳優は長い演技を強いられる。演戯力が問われる。
・視点が、実際の身長に会わせた高さに固定されている。立ったままで見ている。
・シンメトリーが多用される。見ようによってはすべてがシンメトリーだ。このシンメトリーが、心理的な深さを生み出す。ただし、いわゆる日本的な、悟り臭さがない。むしろカトリック的な重さへとつながる。
・モノトーン。ほとんど色に逃げない。色のない世界である。必然的に、心理は一点に集中されていく。
・アップも、望遠もない。ただただ芝居の舞台を見ているような気分になる。芝居よりもなによりも、日本の伝統演芸のような雰囲気さえある。
・ふと気づいてみれば、音楽も実にゆったりとしたシンプルな流れである。
2)タルコフスキーは黒沢明に敬意を払っていた、と。七人の侍。雨月物語。当ブログでも、黒沢明に舵を切ってみようか。
3)重厚で、暗い。重苦しい。この重さが、本当は好きだった。すくなくとも、アメリカンなジャンクなSF映画とは対極にある。ただ、1983年にして、この重さなのか? バブリーな日本じゃぁ、この重さは、どう受け止められたのか。
4)映画という手法がなかったら、他にタルコフスキーはどのような表現をしただろう。これはおそらく、演劇でも、絵画でも、文章でもなかっただろう。あえていうなら、音楽か。ありは彫刻家。
5)いやいや、映画という手法があったればこそ、タルコフスキーというジャンルができたのだろう。まさにうってつけである。あるいは、映画という表現を、タルコフスキーは、その可能性を大きく広げた。あるいは、深めた。
6)この情感から、たやすくありふれた宗教的な抒情に持っていってしまっては、いかにも安手のあてがいものに堕してしまう。長々と、ゆっくりと、ひっぱり、深める。
7)アクションも、特撮も、CGも、クラッシュも、デザスターも、ない。小気味よいほどの、タルコフスキーである。
8)タルコフスキーには、他にも著名な作品が数種ある。受け取り手としては、もう一歩踏み出さないと、残りのそれらを見ることができない。踏み出させてしまう、威力がある。
9)早急な、安易な結論を提示しない。それでいて、この甘さ、スイートさは、どこから醸し出されるのか。
10)タナトスに大きく傾いた世界観である。その断末魔に、湧き上がる、最後のエロス。そんな感じが漂う。
11)この情景。被写体となる、この情景、この町、この家、この部屋、この村、この野原、このロケーションがあってこその、タルコフスキーだ。
12)そして、水、がタルコフスキーを特徴づける。水の動きがタルコフスキーを促し、タルコフスキーの波長を拡張する。
13)「自然はシンプルだ。原点に戻れ」。意表をつく展開。結末にちかづく。
14)左右のシンメトリー。ジョウゲのシンメトリー。前後、奥行きのシンメトリー。そして一点。さらには、消滅。
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