「把不住述懐」<18>年末
1)近年、年末に訃報がとどくことが多くなった。家族葬が増え、知らずにいた友人たちの動向が、年末の喪中のハガキで知らされることが多くなったからかもしれない。
2)それにしても、3・11震災直前より続いているこの動向は、もはや代えがたく、これがわが年代の実態ということでもあろう。
3)今年も大事な友人たちを亡くしてしまった。あまりにも突然であったり、実に若すぎて惜しい人材を、失ってしまうことは、あまりに心痛む。
4)修証義にあるとおり、「無常忽ちに至るときは国王大臣親昵(しんじつ)従僕妻子珍宝たすくる無し、唯独り黄泉に赴くのみなり」・・・・・である。
5)友として誰にも助けにならないということは、どんな友にも助けてもらえないということでもある。厳然としてその事実が存在し、しかも日々その事実は現実味をもって迫ってくる。
6)「門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」 と歌った一休の警句を心にうかべながら、年末に、新年のための正月飾りをしつらえる。
7)クリスマスが終われば、年賀状を書き、門松を準備するのは毎年の習わしであるが、今年がその最後のチャンスであるかどうか、さえ、本当は誰にも分かっていないのである。
8)一日一日が大事な一日であることを痛感しつつ、今年も最後の日を送る。
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