鈴木大拙「禅」ワイド版 <3>
「禅」ワイド版<3>
鈴木 大拙 (著), 工藤 澄子 (翻訳) 2017/02 筑摩書房 単行本: 219ページ
★★★★★
禅は、ある意味では、刹那主義とみられるかもしれないが、これは一般に解釈されている意味とは異なる。禅は、刹那の中に永遠を有するが、他方、刹那主義に永遠はない。
刹那主義者にとっては、流れ去る一瞬一瞬は、ただ流れ去って行くだけで、そこには永遠が伴わない。ゆえに刹那主義は悪い意味で無責任であり、反道徳的である。瞬間の意識に支配されるがゆえに、かれらは自由でもなく、自己の主でもない。
禅はこの心の状態を「住する」心、もしくは、「特定の住するところ」を持つ心、と呼ぶ。「住するところ」を持つ者は囚人であり、桟に縛りつけられ、柵で囲われた人と同じことである。
自由なる前者は、どこにもこのような住処を持たぬ。彼は無限を円周とする円の中に活きる。だから、かれはどこにあっても、つねに実在の中心にいる。かれが実在そのものである。
刹那主義者の生には何の意味もない。それは動物の生、植物の生と同じである-----なるほど、生はたしかにそこにあるが、その生には何の意味もない。なぜだろうか。
刹那主義者は時間に生きながら、永遠に気づかないからである。かれらにとって、一瞬一瞬はただそれだけであって、それ以上の何ものでもない。そして犬が庭で遊び廻るように、かれは刹那を享楽する。かれのよろこびは動物のよろこびであって、そこには何の意味もない。p179「実存主義・実用主義と禅」
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