「人工超知能」 -生命と機械の間にあるもの 井上智洋
「人工超知能」 -生命と機械の間にあるものー
井上智洋 (著) 2017/07 秀和システム 単行本: 318ページ
No.4146★★★★☆
1)おっ~とぉ、これは行ったかなぁ・・・・、という滑り出しの期待感とはうらはらに、読めば読むほど凡庸な内容で終わってしまった一冊。
2)自分を文科系理科系の二分法に当てはめたことがないのでなんとも言えないが、私は理科系も結構強かった。かと言って文科系の記憶力もあまりないので、結局は、高等教育向けの頭脳を持っていないのだろう。私にはどちらも大切で、しかも、あまり突っ込まれても困る、という程度の頭脳しかない。
3)だから、高度な宇宙論を理解することもできないし、現代哲学の暗闇に共感をもつこともできない。ほどほどで、どっちつかずの人間だ。だけど、それでいいんじゃない、という開き直りがある。
4)この本は基本的に文科系の学生にむけたほどほどの人工知能入門書だが、結局は、突出した、10年先、20年先に話題になるようなテーマは含まれていない。
5)意識とかクオリアとか、当ブログにおいてもすでに、かなりこねくり回しながら、結局は結論への糸口が見えないままのテーマを箇条書きに並べたにすぎず、未来の人達に期待しよう、という内容でしかない。
6)学びの心を捨ててしまったわけじゃないが、もうすでに老齢に達し、これから自分の人生を真剣に考えようという年代ではなくなっている。どう終わらせるか、あと数年、十数年もつのか持たないのか、という次元の人間である。
7)私がもし14歳の少年(少女)なら、もっと真剣になるだろう。そして自分は文科系なのか理科系なのか、真剣に考えるだろう。しかし、やっぱりどっちでもない、と結論づけるに違いない。
8)かつての自分が14歳の少年だった時、心理学を学び、ジャーナリストになって、やがて物書きになり、晩年は宗教家になろう、と思っていた。客観的にみて、正式な公式なルートではなかったにせよ、おおむね、そんな人生だった。
9)もし、私が現在14歳の少年(少女)として、真剣に自分の人生を考えるなら、やっぱり、同じような結論に達するのではないだろうか。
10)ほどほどが大切である。行きつくところなどないのである。ほどはそれぞれに程度の差はあろう。だが、やはりほどほどなのだ。そして文科系も理科系もない。それが真実なはずなのである。
11)もう還暦もとうに過ぎてしまった今世の私に、この人生を修正しようとしてももはや無理ではあるが、はてさて、じゃぁ、どこをどう修正しようか、と思っていくと、別段、修正も必要ないんじゃないか、と思う。けっこうまずまず、ほどほど楽しかったな、と思う。
12)いろいろ問題は残してあるが、まぁ、いいんじゃないか。私が生まれた時代にも問題があったわけで、それはそれで先人たちが残してしまった課題であったわけだが、解決したものもあり、ますますこんぐらかってしまったものもある。だけど、それって、それでいいんじゃないか。
13)だから、おそらくシンギュラリティとやらの2045年なんて、あっという間に過ぎていくだろう。あれほど騒がれた1999年の危機とか、2012年のなんとか、とにかく人間はそういうのが好きなのだ。レイ・カーツワイルが言おうが言うまいが、誰かが似たようなテーマで、2045年みたいなこと言い出すのだ。
14)「生命と機械の間にあるもの」 この本のサブタイトルではあるが、簡単にわかる必要もないし、簡単に探求をあきらめてしまう必要もない。それは、一つの目印としての天空のひとつの星のようなものだ。
15)大事なことは、そのような神秘に向かって、楽しく、毎日を生きていくこと、そういうことなんじゃないかな。楽しいことはいっぱいある。この本も、ある意味では、楽しみのタネ本には十分できる。
16)時代はますます楽しくなっている、というのが63歳翁の実感である。
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