「大人を黙らせるインターネットの歩き方」小木曽 健<2>
「大人を黙らせるインターネットの歩き方」<2>
小木曽 健 (著) 2017/05 筑摩書房 新書: 208ページ
★★☆☆☆
1)図書館の開架棚から衝動的に借りてきた10冊のうちの一冊。一回読んだことあるなぁとお思って最後までパラパラしたが、やっぱり出版直後に目を通してメモしておいたのだった。今回は、前回メモしたことを読まずに今回なりの感想をメモしておこう。
2)タイトルで「大人」と括られる世代はおそらくPC世代のことであろう。それに対するSNS世代からの反論のバックボーンを作ってあげようというSNSの一つであるGREE社員のマニュアル集だ。
3)当ブログにおいては①PC(パーソナル・ネットワーク)、②SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービスに続いておこる現象を、③CS(コンシャス・シンギュラリティ)と仮に名付けて試論をつづけてきた。
4)ここにおいては、このGREE社員は②SNS世代のティーチャーになろうとしているわけだが、来るべき③CS世代から見れば、なんと旧態な、と嘲笑さえされかねない内容が展開されている。
5)当ブログとしては③CS時代はすでに到来していると認識している。単語としては人工知能AIや特異点シンギュラリティ、自動車の自動運転などのキーワードが縷々論議されているが、ゆるやかに、そして急速に間違いなく③CSは進行しているとみる。だから、過渡的な②SNSに拘泥しているよりも、次なるステップに視点を移しているところである。
6)①PC時代においては、ゲーム先行で、PC自作などというマニアもいたが多数派ではなかった。ただPCの普及がインターネットを急伸させ、メールなどが進攻してSNSフォーマットが形成されてきた。今や②SNS時代においては、かつてのアイコンだったPCはスマホにとって代わられた。
7)されど、②SNS時代において、スマホを自作しようなんてする奴はいない。できない。スマホはほとんどブラックボックス化しており、メーカー以外にはほとんどいじれなくなっている。もし自作しようとすれば、プログラミングだろうしアプリの制作程度にとどまる。されど、それとてユーザー全体からみれば、ごくごく少数派にとどまるだろう。
8)さて、③CS時代においては、プログラミングやアプリさえ自作しようと思う人はいなくなるだろう。なぜなら、CS時代において基礎となるものは膨大なビックデータであり、計量や制作が不能な画像や複合情報となるからだ。結果として集まるもので、最初から意図しては作れない。
9)①PC時代において新たに開かれた地平はフリー(自由)というキーワードだった。②SNS時代においてはオープン(開放)だろう。そして③CS時代においての重要視点はサッチネス(ありのまま)ということになるだろう。ビーイング(ある)と言うこともできるが、いずれ来るべき時代が言葉を選択するだろう。
10)①パーソナル(個人)から②ソーシャル(社会性)から向かうべきは③コンシャス(意識)である。①コンピュータは②ネットワーク化して、③シンギュラリティに至る。その時、私たちがもっとも恩恵をうけるメリットを象徴しようとすれば、①フリー、②オープン、③サッチネス、となる。
11)今、①PC世代であれ、②SNS世代であれ、③CS世代に向かってメッセージを送るとすれば、人間、いかにして意識的であるか。いかに人間、統合的であるか。いかにありのままの自分の人生を謳歌するか、を強調することに留意すべきである。
12)①PC世代に対して②SNS世代が反論するなんてスタイルはもう古い。いまやデジタル・ネイティブから、シンギュラリティ・ネイティブが誕生しつつあるのだ。人間、いかに意識的に、ありのままの自分を生きるのか。そういうことを真剣に問いかけ、学ぶ時代なのである。
13)そういうことを、現GREE社員に求めるのは、無理なのであろうか。もっと先を見越した教育者たらんとする姿勢が欲しい。
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