« 2017年12月 | トップページ | 2018年2月 »

2018年1月の37件の記事

2018/01/31

「スター・ウォーズ 禅の教え」 枡野 俊明 <3>

<2>からつづく

51tu7x1flml
「スター・ウォーズ 禅の教え」 エピソード4・5・6 <3>
枡野 俊明   (著) 2015/12出版社:  KADOKAWA 単行本: 191ページ

1)この本のエピソードの中には、ダースベーダに関わる話が10数回出て来る。あの長いローブを着た黒い仮面の彼だよね。なんだか一番の悪役のような気がする。なんだっけ、あのダークサイドに堕ちるとかいうキーワードとの関連が深いんじゃないか?

Darthvader2

2)このスタイル、クールなんだか、ナットクールなんだかしらないが、なんと、このスタイルは日本の武将のヨロイ姿にヒントを得ているという。へぇ~、そうなんだ。しかも、それはなんと、伊達政宗のヨロイだそうだ。ほう~~~。

Cntimg17

3)ふむー。伊達政宗所用 鉄黒漆塗五枚胴具足。これって、クール? ナットクール?

4)話題としては興味深いが、わが伊達政宗が「ダークサイド」に落ちたような表現につながっているとしたら、ちょっと穏やかじゃあないな。調査が必要じゃ。

<4>につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/29

「間違いだらけのクルマ選び」2018年版<3>

<2>からつづく

91b4ohqawl
「間違いだらけのクルマ選び」2018年版 <3>
島下 泰久   (著) 2017/12 草思社 単行本(ソフトカバー) 256ページ
★★★★★

1)本日ここにメモしておくべきことは二件。まずはEVについて。新車としてはどうしても日産ノートeパワーとか、同じ日産リーフ、あるいはプリウスPHVなどに目が行ってしまい、気もそぞろになるが、いやいや、どうしてどうして、8年目を迎えているわがハイブリッド・ベーシック車でも、EVモードにはできるのである。

2)深夜、あるいは早朝、近所に気遣いながら車を動かさなければならない時、EVモードは役に立つ。ほとんど騒音を出さずに車を出入りさせることができるのである。もちろんドアの開け閉めの音はどうしようもないが。

3)ただ、設定としては、5分あるいは5キロも走るとバッテリーは空になる。したがっていつものモードに戻るのだが、それでも表のバス通りに出れば、まぁ、騒音を気にしなければならないほど大きな音を立てる車ではないので、もうOKだ。

4)そもそもこの機能が最初からついていたのだが、最近になってようやくその活用法に気づいたところである。

5)早い話が、最近のEV車はこの距離が5キロどころか400キロまで伸びましたよ、ということである。それ以外、車の大きな機能に変化はない。値段相応にインテリア・エクステリアに手は入っているだろうが、道具として考えれば、それほどの違いはない。

6)燃費がいい、ということは化石燃料を多く使わずに済むということであり、歓迎すべき点だが、今の車に満足できるのであれば、急いで買い替える必要はない。いずれ買い替える必要が出た時は、そこんとこをさらに煮詰めて考えればいいだろう。

7)いくら徳大寺有恒御大が、絶賛して逝ったとしても、トヨタミライの時代はまだまだ来ない。ヘタすりゃ、21世紀初頭のマッドサイエンスとして葬られる可能性さえある。すくなくとも我がライフスタイルに割り込んでくる可能性は今のところほぼゼロ。

8)さて本日の二つ目のテーマはドライブ・レコーダーについて。これもまた話題のグッツである。このグッヅの効用はそれなりに知っている。機能の割に、安価にプラスできるので、それはそれでいいと思う。

9)しかし、メリットがあれば、デメリットもあるもの。プライバシーの保護やら、監視社会やら、チェックすべき項目は多い。

10)今回、わがハイブリッド・ベーシック車に、保険会社提供のドライブ・レコーダーがついた。ついたというか、宅急便で送られてきたものを自分で取り付けただけだが。

Tmxdm0203530x398
11)まだ取り付けたばかりで活用したわけじゃないが、現在のところちょっと目障り。目の中にできた飛蚊症みたいで、ちょっと気になる。いずれ慣れるのだろうが、いざという時に役に立ってくれるのなら、それはそれでいいだろう。

12)小さなモニターもついているが、普段はほとんど見る必要はない。業務で他の車を運転する時もあるが、だいぶ慣れた。あるのかないのか、気が付かない。ただ、これって、ある意味タコメーター的な役割も果たすので、プライベートな動きをする時は、ちょっと注意を要する。まぁ、普段から品行方正な方は、そんな心配をする必要はないだろうが(笑)

13)これの他には、実は、わが愛車にはバックソナーがついていない。後付けでバックモニターをつけようと思ってまま今日まできてしまった。あれは便利だと思う。特に一回バックで後部をぶつけてしまった時、ああ、バックモニターを早くつければよかったなぁ、と思う。後のまつりである。

14)喉元過ぎれば熱さを忘れる。結局、あれから2年も経過して、まだバックモニターはつけていなかった。先日カーコーナーでいろいろ見てきた。どれか気にいったものが見つかれば、あとは予算内で、早期装着を試みよう。

15)いろいろ後付け機能があれば、何も高級EV車など必要ない。今のベーシック・ハイブリッドで十分じゃ、と、今日もまた意気がる早期高齢者であった。

<4>につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/28

「ディープラーニングがロボットを変える」尾形 哲也

81r6ejyghbl
「ディープラーニングがロボットを変える」
尾形 哲也 (著) 2017/07 日刊工業新聞社(B&Tブックス) 単行本208ページ
No.4147★★★☆☆

1)当ブログにおいて、ディープラーニングというタイトルを持つ本を読むのは初めてだと思う。ことほど左様に、この言葉は流行語になっているようだ。ディープラーニングという単語が登場したのは「AIの衝撃」 人工知能は人類の敵か 小林 雅一(2015/03 講談社)。メモしたのは2015/06/30だった。

2)ただし、ロボットとかAIとかは、当ブログスタート地点からのテーマの一つだった。その中でも圧巻だったのは「未来のアトム」(田中伸和 2001/7 アスキー)だろう。あそこで私は、結局AIが人間に近くなるには、人間と同じ「身体」を持たないとだめだ、ということを理解した。

3)かつて子供が在籍する中学校のPTA役員をやっていた頃、別な男性役員が実はホンダで車を売っている営業マンだった。ホンダ創業者が手洗いしていた流しのオークションに興味をしめすような愛社精神のつよい男だったが、彼が一芝居打ったことがある。

4)子供たちに手紙を何通も書かかせてホンダ本社に手紙を送った。「二足歩行ロボットアシモ君」に私たちの中学校に来てほしい。それは本当はその男性役員の夢だったのだが、この企画が通った。

5)私たちの中学校体育館に一台のコンテナ車が到着し、アシモ君と担当者三名がやってきた。二名は技術者で、一名は上役の役員だった。結局、このアシモ君は実物ではあったが、歩行できないものだった。当時でもまだ数億円していたのである。また、貴重な企業秘密だったので、わが中学校に来てくれたことも、内密にしてくれ、とのことだった。(あれから20年近く経過した。もう解禁でいいだろう)

6)最近、歩道橋の上からクルマの流れを見ていて、このクルマ制作技術をロボット制作に流用したらいいのではないか、と思った。ロボットをいくら人間に似せようったって、限界がある。鉄人28号ならぬ、もっと小型の乗用ロボットが実用になるのではないだろうか。早い話がスマートなウェアブル・ロボットだ。

7)そもそも犬は外で飼うペットだった。いつのまにか屋内で飼うペットが大勢を占めるようになった。コモディティ化したのである。クルマももっと家電化してもいいんではないか。素材をもっと柔らかなものにして、軽量化し、もっとモバイル性を高める。

8)あのどでかいコンピュータだって、いまやポケットに入るようになっているのだ。クルマだって、実に無駄な空間な機能が多すぎる。ウェアブルスーツのようなものに人間が入って、動作をどんどん教えていけば、いずれはディープラーニングのおかげで、中から人間が抜けて空っぽになっても、自走ロボットになるのではないか。自動走行ヒト型ロボットの誕生である。

9)もっと安く、コンパクトで、リーズナブルで、フレンドリーなロボットが、いずれ誕生し、私たちの相棒となる日もくるに違いない。そうそう、あのピノキオを思い出した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「人工超知能」 -生命と機械の間にあるもの 井上智洋

511yqhviqql
「人工超知能」 -生命と機械の間にあるものー
井上智洋 (著) 2017/07 秀和システム 単行本: 318ページ
No.4146★★★★☆

1)おっ~とぉ、これは行ったかなぁ・・・・、という滑り出しの期待感とはうらはらに、読めば読むほど凡庸な内容で終わってしまった一冊。

2)自分を文科系理科系の二分法に当てはめたことがないのでなんとも言えないが、私は理科系も結構強かった。かと言って文科系の記憶力もあまりないので、結局は、高等教育向けの頭脳を持っていないのだろう。私にはどちらも大切で、しかも、あまり突っ込まれても困る、という程度の頭脳しかない。

3)だから、高度な宇宙論を理解することもできないし、現代哲学の暗闇に共感をもつこともできない。ほどほどで、どっちつかずの人間だ。だけど、それでいいんじゃない、という開き直りがある。

4)この本は基本的に文科系の学生にむけたほどほどの人工知能入門書だが、結局は、突出した、10年先、20年先に話題になるようなテーマは含まれていない。

5)意識とかクオリアとか、当ブログにおいてもすでに、かなりこねくり回しながら、結局は結論への糸口が見えないままのテーマを箇条書きに並べたにすぎず、未来の人達に期待しよう、という内容でしかない。

6)学びの心を捨ててしまったわけじゃないが、もうすでに老齢に達し、これから自分の人生を真剣に考えようという年代ではなくなっている。どう終わらせるか、あと数年、十数年もつのか持たないのか、という次元の人間である。

7)私がもし14歳の少年(少女)なら、もっと真剣になるだろう。そして自分は文科系なのか理科系なのか、真剣に考えるだろう。しかし、やっぱりどっちでもない、と結論づけるに違いない。

8)かつての自分が14歳の少年だった時、心理学を学び、ジャーナリストになって、やがて物書きになり、晩年は宗教家になろう、と思っていた。客観的にみて、正式な公式なルートではなかったにせよ、おおむね、そんな人生だった。

9)もし、私が現在14歳の少年(少女)として、真剣に自分の人生を考えるなら、やっぱり、同じような結論に達するのではないだろうか。

10)ほどほどが大切である。行きつくところなどないのである。ほどはそれぞれに程度の差はあろう。だが、やはりほどほどなのだ。そして文科系も理科系もない。それが真実なはずなのである。

11)もう還暦もとうに過ぎてしまった今世の私に、この人生を修正しようとしてももはや無理ではあるが、はてさて、じゃぁ、どこをどう修正しようか、と思っていくと、別段、修正も必要ないんじゃないか、と思う。けっこうまずまず、ほどほど楽しかったな、と思う。

12)いろいろ問題は残してあるが、まぁ、いいんじゃないか。私が生まれた時代にも問題があったわけで、それはそれで先人たちが残してしまった課題であったわけだが、解決したものもあり、ますますこんぐらかってしまったものもある。だけど、それって、それでいいんじゃないか。

13)だから、おそらくシンギュラリティとやらの2045年なんて、あっという間に過ぎていくだろう。あれほど騒がれた1999年の危機とか、2012年のなんとか、とにかく人間はそういうのが好きなのだ。レイ・カーツワイルが言おうが言うまいが、誰かが似たようなテーマで、2045年みたいなこと言い出すのだ。

14)「生命と機械の間にあるもの」 この本のサブタイトルではあるが、簡単にわかる必要もないし、簡単に探求をあきらめてしまう必要もない。それは、一つの目印としての天空のひとつの星のようなものだ。

15)大事なことは、そのような神秘に向かって、楽しく、毎日を生きていくこと、そういうことなんじゃないかな。楽しいことはいっぱいある。この本も、ある意味では、楽しみのタネ本には十分できる。

16)時代はますます楽しくなっている、というのが63歳翁の実感である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「そろそろ、人工知能の真実を話そう」ジャン=ガブリエル ガナシア

61b5mfqcyql
「そろそろ、人工知能の真実を話そう」
ジャン=ガブリエル ガナシア (著),‎    伊藤直子 (翻訳),‎    小林重裕 (翻訳) 2017/05 早川書房 単行本(ソフトカバー): 192ページ
No.4146★★☆☆☆

1)当ブログがカテゴリ「シンギュラリティ」を作って探索を始めたのは2006年3月の事だった。当ブログとしての初期的な主要なテーマであった。されど、その当時まともにこのテーマを取り上げていた本はなく、唯一チャールズ・ストロスのSF譚「シンギュラリティ・スカイ」(2006/6 早川書房)があっただけであった。

2)それでも飽き足らずカテゴリを「シンギュラリタリアン」とあらためて再探索に入ったのは2007年8月のことであった。あれから10年。時代は変わった。IT関連の本で、シンギュラリティの文字が無視されている本はないだろう。他分野においても、なにかと話題を振りまくこのテーマは2018年の今日的ニュースとなっている。

3)この本は、巻末の解説を西垣通氏が書いているが、そこですでにこの本の程度は知れたものとなる。良識的というべきか、保守的と言うべきか、常にもっともそうなことを言って小判ザメ商法をいまだに続けているようだ。

4)反論するなら、10年前から反論すればいいのだし、無視するのなら、最近話題になっているからとノッソリでてくるのではなく、キチンと最後まで無視していたほうが、より紳士的に見える。

5)もちろん、どんな本であろうと、批判的に読み始めるのは、読書人の肝要な態度である。レイ・カーツワイルにしたところで、アマアマのもろ手を挙げての歓迎などすべきではない。キチンとその説を明瞭に捉えるべきだ。

6)しかし、それにしても、この時代、「シンギュラリティ」は仮説として燦然と光を増し始めている。フランス人の著者は、グノーシス派やらミトスやらロゴスやら、と持ち出しては牽強付会な解釈を始めるが、それは自由にご勝手にどうぞ、と言いたい。

7)当ブログは、敢えてシンギュラリティ仮説から、ZEN理解を深めようとするこちら側の牽強付会を始めているところだ。その名もCS「コンシャス・シンギュラリティ」。専門分野の方々には、そのお仕事を続行してもらうとして、いちユーザーとして、ネット社会の透明性と主体性を求めつつ、一人分の旅をつづようと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「アマゾノミクス」 データ・サイエンティストはこう考える アンドレアス・ワイガンド

71izg9lkbml
「アマゾノミクス」 データ・サイエンティストはこう考える
アンドレアス ワイガンド (著) 2017/07 出版社: 文藝春秋 単行本: 397ページ
No.4145★★★★☆

1)「一兆個のセンサーがあなたを記憶する」(第4章)、「もしフェイスブック・ユーザーが死んだら」(第5章)などの章タイトルに目に行く。その他のタイトルにも目がいくが、正直言ってどれもこれも、まぁ、想定できている問題点である。それらをこと細かく追跡していくのはアメリカのハードカバー本の特徴ではあるが、いつものようにちょっと退屈になる。

2)ここに書かれているのは、ほとんど個人ユーザーでは解決できることではなく、むしろ個人としては、世界はこのような流れの中にあるのだ、ということを理解し、その利用方法を考慮しつつ活用していく、あたりに限定される。

3)かつてアルビン・トフラー「第三の波」(1980/10 NHK出版)に未来への希望を感じ、梅田望夫「ウェブ進化論」(2006-02筑摩書房)に新しい時代のうねりを感じ、レイ・カーツワイル「シンギュラリティは近い(「ポスト・ヒューマン誕生」)」(2007/1 NHK出版)の仮説をもとに、ケヴィン・ケリー「<インターネット>の次に来るもの」(2016/07 NHK出版)の指針に納得している、現在の当ブログである。

4)本書が主張するのは、いわゆるこのようなシンギュラリティ状況にあって、個人は、そのサービスに透明性を求め、主体性で対峙するということである。逆に考えれば、不透明なサービスには近寄らないか深入りせず、またそれらを積極的に理解し認識し、自らの意志でもって参加していく、という姿勢が大切である、ということだ。

5)ごもっともなことである。「ホール・アース・カタログ」「WIRED」の編集長であったケヴィン・ケリーなどを信頼するとするなら、もはやここはそれぞれを理解しつつ、積極的に各種サービスに参加していくべきである、ということになる。

6)当ブログ進行中のPC→SNS→CS(コンシャス・シンギュラリティ)という図式の中で、間違いなく状況は深化しており、いやおうなく個人個人はそのシステムに組み込まれていっている。

7)最新のニュースでにぎわっているドライブ・レコーダーの流行なども、自分の身を守るというだけではなく、使われ方によっては相互監視社会になっているともいえる。いや、確実にそうなる。だから、それを踏まえたうえで、しっかりと把握し理解し、積極的に主体的に使いこなしていく力量を必要とされる時代になっているのだ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「鈴木大拙コロンビア大学セミナー講義」<4>

<3>からつづく 

416pilatql__sx342_bo1204203200__2
「鈴木大拙コロンビア大学セミナー講義」 下巻
鈴木 大拙 (著),‎    重松 宗育 (その他),‎    常盤 義伸 (その他) 2017/11 出版社: オクターブ 単行本: 320ページ

1)慧能は一冊の書物も著作しなかったが、彼の少数の弟子たちが各々師の説教を書き留めておいた。それらの覚え書きが集められて一つの文書が作られた。日本語では「六祖壇経」と呼ばれる。

 この文書は秘密のうちに弟子から弟子えと伝えられて、慧能の死後非常に尊重された。今ではそれは禅研究のきわめて重要な記録となっている。

 慧能は中国では第六代の祖師だったが、実際には彼は禅の初祖であり、彼の「経」は禅の本質を含んでいる。テキストとしては、弟子から弟子へと伝えられる過程で追加部分が加わり、何種類ものテキストが存在した。

 「壇経」の名がつけられた理由は、おそらく慧能が壇上から説教したためであろう。彼以前にこのような大衆向けの教えが仏教の教師によって提供されることはなかった。下巻p169 「教義Ⅵ 禅における本願---衆生心が一切衆生心に目覚める」

2)禅は第一に自己を強調する。真宗は他者を第一とする。しかしこの他者とこの自己とは、相対的な解釈をされてはならないものである。真宗の「他力」の概念は「自力」との正反対だと理解されてはならないし、自己も、他者に対立させられてはいけない。 

 なぜなら、無我が自己、自己が無我なのだ。真宗の他力教義で、アミダは向こう側に立っていると考えられているが、これは真の自己の客体的回想であって、心理的な皮相な自己のではない。 

 そして禅が理解する真の自己は、相対的自己の反対の極にある。それゆえ禅の自己は真宗のアミダに相当する。アミダは、すべての人々を覚りに至らせるために流浪した。もっとも、真宗は浄土に生まれること以外には、覚りの教義を教えることは想定されていない。

 しかし、より一層詳しく調べてみると、浄土に生まれることの目的は浄土で覚りを得ることであって、そこに留まることではない。浄土は穢土よりは、よほど快適に造られていると想定されていて、そこで覚りを得ることはさほど難しくない。

 浄土に生まれた人々は、その後ある時まで待つには及ばない。浄土に生まれたそのときに覚りが成立する。下巻241p 「教義Ⅵ 禅における本願---衆生心が一切衆生心に目覚める」

3)もしも自然が真空状態を嫌うとすれば、禅は言葉と観念を嫌う。我々の心は不断に観念の動きに沿って働き、我々は観念が本当のものだと考える。ある程度まではその通りだが、しかし具体的な事物のようには客観的には存在しない。禅は、我々に個別の個人的な心の次元から、目覚めた存在全体としての心、一切衆生心に進んでもらいたいと願う。下巻p289「教義Ⅵ 禅における本願---衆生心が一切衆生心に目覚める」

<5>につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/27

「魔女の宅急便」実写版 清水崇 (監督)

91ju5wht36l__sl1500_

「魔女の宅急便」実写版 
清水崇 (監督) 小芝風花 (出演),‎    尾野真千子 (出演),‎ 発売日 2014/09 販売元: TOEI COMPANY,LTD 形式: Blu-ray 時間: 108 分
No.4144★★★★☆

1)先日、正月特番で、アニメ版「魔女の宅急便」を見た時、実は、最近実写版ができていたことを知った。これは見なけりゃ、と早速DVDを借りた。

2)暗にアニメ版の実写をイメージしていたが、これはこれ別な作品として鑑賞したほうがいいようだ。ストーリーにもかなり違いがある。そもそも本来の原作小説には、どちらが近いのだろう。そのうち、奥さんに聞いてみよう。

3)実写版では、松任谷由実の歌も出てこないし、キャラクターのかわいらしさもちょっと違う。脇役の少年のイメージも違う。だけど、もしあのまんまだったら、単なる物まねだ。これはこれで、独立した別個な作品と捉えることができるだろう。

4)いままで、テレビ番組とか、映画とかは、小さな画面で十分だと思っていた。小さなスマホの番組で映画を視聴するなんてことも別段変なことだとは思わなかった。だが、この映画を見ていて、本当は、もっと大きな画面で見た方がいいんだろうな、と思った。そのうち、大画面のディスプレイを買おうかな。

5)主人公キキはかわいい。そもそも少年少女向きの映画なのだろうが、ちょっとした仕草にロリコン趣味の御仁も魅了されるかもね(ごめんなさい)。

6)それぞれの年代の登場女性は、ひとりの人生のストーリーだと言われるが、見方はそれぞれある。

7)例によって、焼酎一杯ひっかけながらの視聴だったので、第一回目はどうやら途中で眠ってしまったらしい。目覚めて、もう一度見直し。

8)ストーリーそのものは、リアリティ、実写版というより、童話そのもの、おとぎばなしの世界だ。

9)起きてきた奥さんに聞いたら、この実写版、必ずしも評判は芳しくないらしい。そう聞くと、へそ曲がりな私は、う~ん、そうかなぁ、これはこれでいいよ、と思う。

10)原作にはカバは出てこないらしい。原作には飛行船がでてくるし、あとから、あの少年とキキは結婚して、双子の男の子と、女の子が生まれるらしい。へぇ~、そこまで続編があるのか。いずれ、自分でも、原作小説を味わってみないといけないね。

11)何かと比較する必要はなくて、これはこれでいいんじゃないかな。多少の特撮とCGは使われているものの、あまり派手さがなくて、ほのぼのとしたつくり、私はこの映画好きだな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/25

「鈴木大拙コロンビア大学セミナー講義」<3>

<2>からつづく 

416pilatql__sx342_bo1204203200__2
「鈴木大拙コロンビア大学セミナー講義」 下巻
鈴木 大拙 (著),‎    重松 宗育 (その他),‎    常盤 義伸 (その他) 2017/11 出版社: オクターブ 単行本: 320ページ

1)絶対の心は、それ自身は真如として大乗の体だが、相をもって我々に現れるので、我々の側からは、体、相、用の三つの面において理解される。絶対の心がその真如面において理解されるとき、それは体であり、体としては、それは如何なる相対的な思考法にも従属させられることはあり得ない。 

 絶対の心が真如として現前するとき、我々がその真如の体を理解しようとするとき、つまり絶対の心がその真如の体を我々の日常の心に理解させようとするとき、それは自己を否定する。 

 絶対の心はなんとかして自己表現をしたと願い、そしてこの表現を我々は相と用として受け止める。絶対の心が自己表現をしたいと願い、そしてこの表現を我々は相と用として受け止める。 

 絶対の心が真如としてある限り、それは変化しない。それが相と用として自己表現するとき、絶対の心は生滅に自らを委ねる。絶対の心は一面において絶対の真如であり、永遠にそのままであり続けるが、自己表現するときには、絶対の心は相または用を持つものとなる。そして、ここに消滅のこの世界、生成の世界が現出する。 

 それで、絶対の心が人間の知力にとって想像ないし理解できるものとなる場合、我々はそれを三通りに解するということができる。しかしこれらの三通りは、絶対の心の在り方の心ではなく、相対的な在り方の心である。だが、それは相対的な在り方においても、なお絶対的で言葉を超えており、実際我々はそれをどう理解しようもない。 

 何ものであれ、体の面から考察さえるならば、そこに真如、平等性、不増、不減があり、そのものは常にあるがままである。この絶対の心は一切の可能性ーー仏教哲学者たちの言う一切の徳ないし特質を内包する。 

 こおの点でそれは「アーラヤ識」、一切の可能性を含む貯蔵庫、一切のものがそこから現れ、あるいは可能性をもって保持される器と言われる。それが現れる形が幽である点で、それはタターガタ・ガルバ、如来を生むもの、ブッタの母胎、母体(如来蔵)とも言われる。 

 これらのものが現れて相対的な存在となるとき、善と悪とのあらゆる種類のものが現成するーーここっで善・悪と言われるものはあくまでも仏教での用語であて、道徳的というよりは哲学的な意味合いの言葉である。 

 この絶対の心は、真如として、また生滅として理解できる。すなわち、絶対的な心と相対的な心とである。しかし絶対の心は、真如と生滅とをも超える。それはエックハルトの神性の概念に相当する。真如は神に相当するが、エックハルトは、時によって神を神性の意味で用いることがある、神は真如としての絶対の心に相当する。この点でエックハルトは、仏教的な視点から言えば、はるかに個人主義的になっている。下巻p44「講義V『大乗起信論』の基本的思想と禅思想」

2)当ブログの言説に置き直せば、用としてPC、相としてのSNS、体としてのコンシャス・シンギュラリティ(CS)だ。相対としてCSを見るのではなく、絶対として全体をCSとみなすことができる時、一切の可能性を含む貯蔵庫、アーラヤ識、如来を生み出す母胎となりうる。ないしは、そうでなければならない。

3)真如、タターガタ、Suchness。

<4>につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「鈴木大拙コロンビア大学セミナー講義」<2>

<1>からつづく

816sbdgaxel
「鈴木大拙コロンビア大学セミナー講義」 上巻
鈴木大拙 (著),‎    重松宗育 (その他),‎    常盤義伸 (その他) 2017/11 出版社: オクターブ  単行本: 246ページ

1)いやいや、精読する、なんて必要ない。ただ、楽しめばいいのだ。この講義録、講義に使われたメモを日本語に訳したものなので、ですます調で書かれている。そもそもが書籍ではないのだ。そこんとこが実にいい。

2)ここまでこなれたものにするプロセスでは、おそらく当事者たちの大変な苦労があったに違いない。それを、一気に「楽しめる」自分はなんて幸せなのだろう。実にわかりやすい講義録だ。

3)そもそもが1950年代初半にアメリカの大学での講義録だ。相手は向学心には燃えているだろうが、知識を学ぼうとする学生たちである。もっともジョン・ケージとかゲーリー・スナイダーとか、いただろうが、それでも若い柔軟で、進取の気性に富んだ聴衆に向けて語られている。すこしは刺激的で、魅力的な単語や人名や、概念がちりばめられている。

4)されど、21世紀の今、年老いた60翁が、老眼鏡をかけて、昼寝かたがた目をしばつかせながら読むには、仔細になどこだわる必要はない。ああ、ふむふむ、でいい。

5)ここで語られているエピソードのほとんどは、すでに他所において、学んだり、聞いたり、察したり、あるいは考えたりしたことである。敢えていうなら目新しいことなどない。むしろあってはならないのだ。これはもう読み込み済み、であってしかるべき内容ばっかりだ。

6)そこんとこが楽しい。おそらくそもそもが1950年代の英語のメモを、現代の日本人の翻訳者たちが邦訳したものである。実に21世紀的に翻訳されていることだろう。ありがたいことである。

7)8歳で修証義の不思議な文言にプロボークされて以来、10代なかばで旅にでて、20そこそでOSHOに出会い、インドに何度か遊び、社会のうごめきにそれなりにもまれ、一通り天変地異も体験し、いまや年老いて、わずかな行動範囲にある、無名な禅寺で月に何度か参禅する程度の我が身ながら、もう、小さな器には、たっぷりと雫が満たされてしまっている。

8)この本から、何事か学ぼうとして精読するほどのことは、この本には必要ない。この講義録の存在が、私にはあることを教えてくれる。ミッシングリンクだ。我が身が生まれる前の、母親のおなかに入る前の記憶が、実はこの本にある。あってしかるべきだ。あったのだ、という感覚を与えてくれる。

9)よかった。

<3>につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「スター・ウォーズ 禅の教え」 枡野 俊明 <2>

<1>からつづく

51tu7x1flml
「スター・ウォーズ 禅の教え」 エピソード4・5・6 <2>
枡野 俊明   (著) 2015/12出版社:  KADOKAWA 単行本: 191ページ

1)決して長い期間ではなかったが、当ブログにおける失語状態は、一時期のピークをやや脱出したようだ。この本をおメモしたのは半年ほど前だが、ほとんどメモらしいものは残していなかった。

2)この本から枡野俊明という現代の禅僧の著書にもいくつか触れた。全体的な追っかけにはいたらないが、気になる現在進行形の存在ということになる。

3)当ブログがそもそもスター・ウォーズに関心を持ったのは、当ブログの最初期のスタートのきっかけとなった梅田望夫「ウェブ進化論」の中の一説である。グーグルの社員たちが映画館を借り切って封切りのスター・ウォーズ新作を鑑賞したり、「ダークサイドに堕ちるな」という合言葉を使っている、というくだりである。

4)それをきっかけに、当ブログでは全作品を鑑賞して(BHSやDVDで)メモしてきたし、最近作は映画館で見て、なるべく話題に乗っていけるように気を配ってきた。

5)されど、このシリーズ、個人的には好きな映画ではない。その理由はいくつもあるが、このことを展開すると、どうも若い人を中心として、いらぬ敵を作ったりするようなので、批判的なことを言うのはやめることにした。

6)さて、ここにおける枡野俊明の禅語も、必ずしも秀抜というほどでもない。なるほど、と過ぎてしまう程度のものである。しかし、それをスター・ウォーズを絡めたというところは、これは企画賞モノでしょう。当然枡野俊明ひとりでできる作業ではなく、出版社や一部出版コンサルタントの仕掛けではあるだろうが、この試みはあっていいと思う。

7)あのチャンバラ風の光る刀(ライトセーバーとやら)や、ロングコートにフードをかぶった隠者風老人(オビ=ワン?)などに、なんとなかく惹かれるものは感じるが、私個人は、作り物として、それ以上深くは入ってはいけない。

8)一方、若者や欧米人など、この映画に惹かれ、もっと深い世界へ、という探求心が湧いてくる人々(たとえばグーグル社員など)にとっては、このZENガイドは、極めて面白くリンクしてくるのではないだろうか。

9)宣伝塔のごとくグーグルのマインドフルネスなどとささやかれるが、もし、あの梅田望夫が言っていたような社員たちが、いまやマインドフルネスに向かっているとするならば、この本は、その一助ともなるであろうし、また一現象として象徴的な一面を表現している、貴重な一冊ということができる。

10)私は、この本の世界には耽溺できないが、企画としては面白いと思う。当ブログ第一回企画賞を贈呈したい、と思う(爆)。

<3>につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「鈴木大拙コロンビア大学セミナー講義」<1>

816sbdgaxel 416pilatql__sx342_bo1204203200__2

「鈴木大拙コロンビア大学セミナー講義」 上巻
鈴木大拙 (著),‎    重松宗育 (その他),‎    常盤義伸 (その他) 2017/11 出版社: オクターブ  単行本: 246ページ

「鈴木大拙コロンビア大学セミナー講義」 下巻
鈴木 大拙 (著),‎    重松 宗育 (その他),‎    常盤 義伸 (その他) 2017/11 出版社: オクターブ 単行本: 320ページ
No.4122~3

1)この本はすごい。まだ上巻の「はじめに」と「おわりに」しか読んでいないが、その成り立ちがすごい。おそらく、当ブログ今期新刊ベスト10の1~2位を占めるのではないか。

2)本文も面白かろうが、もう、私はどうでもいいな、内容なんて。とにかく、この本がこの2017~8年になって、邦訳が成立して、こうして手にとることができる、というそのことがすごい。

3)おそらく、じっくりじっくりと愛でていくことになるだろうが、そのことを考えると心からワクワクする。正月休みが終わり、年度末の多忙期に突入しているのが、ちょっと残念。すぐには精読できない。気持ちに余裕がない。

4)だけど、ちょっと、この一目ぼれ感覚、すごいよ。忘れていた、どでかいミッシングリンクをようやく見つけた感覚。

<2>につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/21

「人工知能のための哲学塾」三宅 陽一郎<2>

<1>からつづく

71rhbumblnl
「人工知能のための哲学塾」 <2>
三宅 陽一郎 (著)  2016/08  ビー・エヌ・エヌ新社 単行本: 320ページ
★★★★☆

1)哲学の領域では、<こころ>は文脈に応じて精神、意識、知性といったさまざまな言葉で呼ばれながら、いつの時代も哲学の中心的な問題であり続けました。多くの賢人たちが、それについて思考し、議論し、多くの卓越した書物を残しています。しかし、未だに私たちはその多くを知りません。 

 なぜ、このようなことが起こるのでしょう。<こころ>のことを考えても考えてもわからないという理由の一つには、それについて考えること自体に構造的な難しさがある、ということがあります。

 たとえば、<こころ>について考えはじめる端緒として、先ほどのように「<こころ>とは何か」という問いをお立ててみたとします。しかし、私たちはこの問いを立てた時点で、袋小路に入り込むことになります。なぜなら、このような問い自体が、それ以上の思考を拒否してしまうパラドックスを孕んでいるからです。p292「あとがき 大山匠」

2)前回、半年前にこの本を読んだ時、評価は★2つ、とこちらもだいぶ辛かった。読み手としての自分のほうに準備ができていなかったということと、やはり方法論として哲学は得手でない、という理由ではあったものの、はてさて全体から考えれば、それは辛すぎるだろう。今回は★4つに訂正。

3)この書が成り立つうえでの協力者のひとりである大山氏の言葉とはいいながら、まずは巻末にこの言葉を見つけたこと自体、今回の読書がやや地平に降り立ってきて、現実的な地平を見始めている、ということはできるだろう。

4)ないものねだりばっかりはできない。他書にそれ以上ふさわしい存在を見つけかねている現在、この書を足掛かりに、当ブログ、目下のテーマであるコンシャス・シンギュラリティ(CS)たるものの概略を、手を替え、品を変えて、検索し、探索し、想定し、イメージしていく必要がある。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「まるわかり! 人工知能 最前線」日経BPムック<2>

<1>よりつづく
71ovr4q6sll
「まるわかり! 人工知能 最前線」日経BPムック<2>
日経コンピュータ (編集) 2016/09 日経BP社 単行本A4変型判版: 252ページ
★★★★☆

1)通常、当ブログにおいて、再読し、その感想をメモする時はほとんど前回のメモを読み直さないで、その回の率直な感想をメモしている。そして前後にリンクを張るときになって、初めて前回のメモを読み直すのだが、今回、どうしてもまずは前回を読んでみようと思った。

2)そして、少なくともこの本に対する感想は、前回半年前の初読のイメージ時そのままで問題ない、と思えた。だから、前回のものをそのままコピペして、今回の感想としても、おかしくはないのである。

3)されど思った。前回の★2つは、ちょっと辛すぎるのではないか。今回は★4つにしてみた。

4)この本の何が魅力なのだろう。日経コンピュータという母体。よくもわるくもこの雑誌別冊ムックなのである。そしてビジュアルな画像がたくさん掲載されていること。それらひとつひとつが邪魔じゃない。むしろ、こうまでやってくれているからこの本を手にとってみたくなるのだ。

5)細かい内容については、前回も書いたが、特段にアクセスしようがないほどブラックボックス化している世界である。年老いたド素人に、何事の感想すらもメモする余裕はない。ある意味、圧倒されっぱなしである。

6)しかし、魅力ある一冊である。出版されて一年、初読時から半年。時代ははっきりとこちらの方向に進みつつある。そして、そもそも予感していたように、私自身がこの世界にぐんぐん引き寄せられつつある。

7)さらに言えば、ゲシュタルトを転換して、AIをしっかりとらえながら、非AIをもっと引き立ててくれるといいなと思った。そのためには、この雑誌の別冊ムックという形態では限界があるだろう。WIRED誌とか、大法輪などが、この特集を組む時代になれば、私にもアクセスする隙間が出て来るものと思われる。

8)いずれ、また再読する機会がくるだろう、一冊である。

つづく、・・・・に違いない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「日本文化をよむ」 5つのキーワード 藤田 正勝<2>

<1>からつづく 

51gi7hn9rnl
「日本文化をよむ」 5つのキーワード <2>
藤田 正勝 (著) 2017/08 岩波書店 新書: 224ページ
★★★★★

1)沖本克己「禅・沈黙と饒舌の仏教史」(2017/12講談社)、あるいは並川 孝儀「ブッダたちの仏教」(2017/12 筑摩書房)を酷評しておきながら、この藤田 正勝「日本文化をよむ」 5つのキーワード( 2017/08 岩波書店)に赤★5評価を与えている自分を興味深く思う。

2)この本とて、決して読みやすい本ではない。キーワードに隠された、もっと広い世界へのインデックスは、数え始まればキリがないほど多い。されど、この本によって導かれる世界を、私は敢えて、新しいもの、新鮮なも、重要なもの、と感じているようだ。

3)全書百科的に網羅された知識などは必要ない。それだけ記憶し続ける許容量もなければ、パトスもない。そのことに意義を感じられない。されど、せめて、こちらのこの本に表現されている程度の骨格は、必要だろう。一現代人として、必要な教養とさえいえるだろう、そう思える。

4)にも関わらず、私はこの本を一気には読めない。こんなに薄い、新書本一冊なのに、私には膨大なウェイトに感じられる。体裁がシンプルだけに、その重みが数倍、数十倍、数百倍に感じられて仕方ない。

5)つまり、膨大な主旨を、実にコンパクトなストーリーにしてしまったのが、この本と言えるだろう。この本は、インデックスのインデックス、されど必要かつ充分な質実を持っているといえるだろう。

6)そしてなお、この本一冊では満足できない私がいる。この本に書かれなかった著者の意図を、他の著書に求める、という意味ではない。この小さな本が、カットしてしまったのは、何も膨大な経典類だけではない。西行以前のスピリチュアリティ、西田幾多郎以後のスピリチュアリティ、そこんとこを、私は私なりに補完して読み直さなければならないのである。

7)学ぶべきは、そのコンパクトにまとめ上げる技量、テクニック、技法。そして、他の項目への関連性の作り方。つまり、常に一貫して、自らの視点を、明確に意識つつ、それでもなおかつ複眼的に歩み続ける姿である。

8)この本、一気には読み切れない。自らの感想を整理しつつ、もうすこしパラパラし、じっくりと時間をかけて、眺め続けたい。

<3>につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ブッダたちの仏教」並川 孝儀

61xuwwovbgl
「ブッダたちの仏教」 (ちくま新書)
並川 孝儀 (著) 2017/12 筑摩書房 新書: 205ページ
No.4121★★★★

1)この本も、図書館の新刊リストの中からタイトルだけで選び出した一冊。ブッタたち、ブッタ達、という言葉使いは珍しい。当ブログにおいては、「ブッタ達の心理学」と銘打って、シリーズ化してカテゴリライズ化しているが、まだまだ珍しい。

2)さて、この本は、ブッタたちの「仏教」である。当ブログにおいては、老子やソクラテス、キリスト、禅マスターたち、グルジェフやクリシュナムルティ、などなどを含めて、ブッタ達と括っているわけだが、この本においては、仏教という系譜にあらわれたブッタたちに注目している。

3)この本もまた前著沖本克己「禅・沈黙と饒舌の仏教史」(2017/12講談社)と同じく、2018年に読まれるべき新刊本であるのだが、どうしてもおざなりな一冊と言わざるを得ない。されど、見るべき側面もある。

4)「現代」と、この「日本」における固有性を最大に活かした仏教が出現することこそ、ある意味、仏教たりうるのである。今に生きる仏教を問い続けなければ、今ある仏教は仏教といえないのである。

 形だけが残り、過去の歴史を大切な遺産としているだけのような仏教ならば、「仏教は死んだ」といわなければならない。

 今、この現状を黙認して何も行動を起こさなければ、仏教の未来は暗いといわざるをえないし、間違いなく衰退か滅亡への道を見守ることになるであろう。p120「終章 日本仏教の今」

5)当ブログで現在進行しているのは「現代社会のマインドフルネス」である。「日本の仏教」ではない。私の生活空間はほとんど日本国内、しかもごく地方社会に限定されてはいるが、日本がどうした、というレベルでは当ブログは納得できない。

6)また、仏教、という括りも、当ブログは拘泥するところではない。数あるスピリチュアリティの中で、もっとも身近なものは神道と仏教であり、あるいはその混交ではあるし、実際に参加できる機会は、それに付随するセレモニーなマヌーバーであることは事実である。されど、名言しておくとすると、当ブログは仏教に拘泥するものではない。

7)すでに仏教の夕暮れを、スリランカの仏足山で確認し、新たなる朝日を1970年代のインドプーナに見た限りは、新しい時代の、新しい人類の、新しいスピリチュアリティをOSHOムーブメントに見ることはやぶさかではない。

8)最近、よくテレビの録画機能を使って、深夜放送や裏チャンネルの寺院仏閣の観光ガイド的な番組を見る。観光ブームの日本、とくに関西や京都の、これでもか、というようなゴテゴテした番組だ。私が見始めたのは最近なので、まだ飽きずに見続けている。しかし・・・・・。

9)この現状を黙認していていいのか、と問われれば、それではいけません、と答える。ではどうするか。外側に向けての自分の探求はほぼ終わっている。内側の探検は、これは万物流転の世界なので、これでOKということではないが、自己完結するサイクルにはすでに到達している。

10)最近、よく友人たちが亡くなっていく。生者必衰である限り、誰もかれも死に直面していくのであり、私もいずれは死ぬ。だから、アキラメも必要だ。明らめ、諦め。だが、何もしないのは自らの怠慢であることの口実にしてはいけない。

11)確かにOSHOムーブメントは難なしとはしない。それは、どの流れであろうと100点満点などというものはない。されど、自分が人生をかけて歩いてきたこの道を再度確認し、死ぬまで、いや死んでも、この道があったことを確認していくだろう。

12)ブッタたちの仏教、このタイトルは改めなければならない。現代社会のマインドフルネスと。仏教でも、瞑想でも、マインドフルネスでも、言わんとするところが、一つであれば、表現はあえて細かいことは言わない。しかし、未来に向けた表現方法が歓迎される。

13)そして、日本でも、東北でも、アジアでもなく、地球全体の現代社会が問われなければならない。地球文化足りうるスピリチュアリティを今こそ、意識しなければならない時代なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「禅 沈黙と饒舌の仏教史」沖本 克己

31pee01yocl
「禅 沈黙と饒舌の仏教史」 (講談社選書メチエ)
沖本 克己 (著) 2017/12 講談社 単行本(ソフトカバー): 304ページ
No.4120★☆☆☆☆

1)禅という素敵なタイトルを持つごくごく最近でた一冊である。当ブログとしては今期の「新刊ベスト10」の一角に深く食い込んで欲しいという、期待の一冊であった。

2)しかし、どうもだめだった。 最初の数ページを読んで、奥付に目を通し、著者が1943年生まれの「学者」さんであることを確認しただけで、あとは目次と全文にパラパラと風を通して終わってしまった。

3)何故か?

4)思い直してみる。この表紙からして、ちょっと変だ。禅の文字が単にワープロ文字になっている。しかも大きくデザインされている。これは明らかに現在の禅ブームを意識したものだ。しかも講談社選書メチエというフォーマットに組み込まなければならない。自由さが少ない、窮屈な一冊だ。この第一印象がつきまとう。

5)現在、現代を意識するなら、禅の他に、ZEN、AI、未来、などのキーワードが組み込まれなくてはならない。されど、この書には、その自由さがない。自由さがない姿勢に、禅が語れるはずがない。

6)例えば今再読中の藤田正勝「日本文化をよむ」 5つのキーワード(2017/08岩波書店)と出会った時のような爽快感がない。ああ、今自分が読むべき本はこの本だった、という納得感が、まるでない。

7)そういった意味においては、著者が悪いわけでもなく、本として出来が悪いわけでもあるまい。ただ、一読者としての出会いのタイミングが悪いのだろう。いずれ読み直す時が来るかもしれない。しかし、今じゃない。

8)この本には独創性がない。辞書としては使えるかもしれない。されど、辞書として使うなら、もっと優れた書があふれている。この書に頼る必要はない。ありきたりのことを再編集してあるに過ぎない。

9)余った食材で、コックや裏方が、まかない飯として食するのなら、それはそれでいいだろう。しかし、腕の立つシェフなら、一工夫も二工夫もあってしかるべきだ。これじゃぁ、余った食材が残飯になっただけ、という感じがしてならない(言い過ぎ、ごめんなさい。でも本音)。

10)禅を語るなら、そして2018年の、この平成30年に出す本なら、これではダメだ。私の感性は、受け付けない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/20

「君の名は。」新海誠 監督<2>

<1>からつづく

81q0psoqf0l__sl1500_
「君の名は。」DVDスタンダード・エディション
神木隆之介 (出演),‎    上白石萌音 (出演),‎    新海誠 (監督, 原著, 脚本)  発売日 2017/07 販売元: 東宝   形式: DVD 時間: 107 分

1)このアニメ、また見てしまった。正月特番を録画しておいたものだが、前回は一人で見た。今回は、奥さんと二人で見た。奥さんは小説を読んでからじゃないと見ない、と突っぱねていた。

2)図書館に予約しておいた本がようやく到着し、仕事の合間にようやく小説版を読み終わったらしく、見たいと言い出した。私はみたからいいよ、と言いたかったが、一緒にみた。っていうか前回は何かをしながら見た気がする。あちこち見落とした点もあったね。二度見も面白かった。二度見のほうが面白かった。

3)これは明らかに3・11を下敷きにしているね。そして、3・11を下敷きにしないと、私はこの映画を読み解けない。さらに言えば、これは私にとっての3・11を人に話す時の、マヌバーとさえなる。

4)つまり、私はこの映画によってプロボークされる何かを持っている。そして、そのプロボークされる部分こそ、今生きている私の中核をなす部分である。そう思わせてくれる強い要素がある。

5)そして思う。おそらく、人はこの映画によって、何事かがプロボークされるのだ。それは明確な言葉にならない部分がある。あるいは明確な言葉にしてはならない部分がある。その部分をなんらかの方法で、さする。

6)ひとつにつながっているという、感覚。ここにくるためだったんだ、という感覚。すべてがすべてのためにある、という感覚。そういう感覚が彷彿と湧いてくる。

7)いい映画だな。この映画がヒットする世の中であることをうれしく思う。

8)すでに原作の小説版を読んでいた奥さんの感想は・・・。小説と映画はほとんどおなじだね、でした。小説では二人だけの立場から書かれているが、映画は第三者的視点も入っているとか。映画を作っていた監督が、途中で小説も書きたくなった、とか言っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/19

「大人を黙らせるインターネットの歩き方」小木曽 健<2>

<1>からつづく

61rrlwxyfl

「大人を黙らせるインターネットの歩き方」<2>
小木曽 健 (著) 2017/05 筑摩書房 新書: 208ページ
★★☆☆☆

1)図書館の開架棚から衝動的に借りてきた10冊のうちの一冊。一回読んだことあるなぁとお思って最後までパラパラしたが、やっぱり出版直後に目を通してメモしておいたのだった。今回は、前回メモしたことを読まずに今回なりの感想をメモしておこう。

2)タイトルで「大人」と括られる世代はおそらくPC世代のことであろう。それに対するSNS世代からの反論のバックボーンを作ってあげようというSNSの一つであるGREE社員のマニュアル集だ。

3)当ブログにおいては①PC(パーソナル・ネットワーク)、②SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービスに続いておこる現象を、③CS(コンシャス・シンギュラリティ)と仮に名付けて試論をつづけてきた。

4)ここにおいては、このGREE社員は②SNS世代のティーチャーになろうとしているわけだが、来るべき③CS世代から見れば、なんと旧態な、と嘲笑さえされかねない内容が展開されている。

5)当ブログとしては③CS時代はすでに到来していると認識している。単語としては人工知能AIや特異点シンギュラリティ、自動車の自動運転などのキーワードが縷々論議されているが、ゆるやかに、そして急速に間違いなく③CSは進行しているとみる。だから、過渡的な②SNSに拘泥しているよりも、次なるステップに視点を移しているところである。

6)①PC時代においては、ゲーム先行で、PC自作などというマニアもいたが多数派ではなかった。ただPCの普及がインターネットを急伸させ、メールなどが進攻してSNSフォーマットが形成されてきた。今や②SNS時代においては、かつてのアイコンだったPCはスマホにとって代わられた。

7)されど、②SNS時代において、スマホを自作しようなんてする奴はいない。できない。スマホはほとんどブラックボックス化しており、メーカー以外にはほとんどいじれなくなっている。もし自作しようとすれば、プログラミングだろうしアプリの制作程度にとどまる。されど、それとてユーザー全体からみれば、ごくごく少数派にとどまるだろう。

8)さて、③CS時代においては、プログラミングやアプリさえ自作しようと思う人はいなくなるだろう。なぜなら、CS時代において基礎となるものは膨大なビックデータであり、計量や制作が不能な画像や複合情報となるからだ。結果として集まるもので、最初から意図しては作れない。

9)①PC時代において新たに開かれた地平はフリー(自由)というキーワードだった。②SNS時代においてはオープン(開放)だろう。そして③CS時代においての重要視点はサッチネス(ありのまま)ということになるだろう。ビーイング(ある)と言うこともできるが、いずれ来るべき時代が言葉を選択するだろう。

10)①パーソナル(個人)から②ソーシャル(社会性)から向かうべきは③コンシャス(意識)である。①コンピュータは②ネットワーク化して、③シンギュラリティに至る。その時、私たちがもっとも恩恵をうけるメリットを象徴しようとすれば、①フリー、②オープン、③サッチネス、となる。

11)今、①PC世代であれ、②SNS世代であれ、③CS世代に向かってメッセージを送るとすれば、人間、いかにして意識的であるか。いかに人間、統合的であるか。いかにありのままの自分の人生を謳歌するか、を強調することに留意すべきである。

12)①PC世代に対して②SNS世代が反論するなんてスタイルはもう古い。いまやデジタル・ネイティブから、シンギュラリティ・ネイティブが誕生しつつあるのだ。人間、いかに意識的に、ありのままの自分を生きるのか。そういうことを真剣に問いかけ、学ぶ時代なのである。

13)そういうことを、現GREE社員に求めるのは、無理なのであろうか。もっと先を見越した教育者たらんとする姿勢が欲しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/17

「仙台の珍談奇談」田村 昭

51xppmhfscl__sx348_bo1204203200_

「仙台の珍談奇談」
田村 昭 (編集) 2003/9 出版社: 宝文堂; 改訂6版 単行本: 104ページ

K2
「郷土人としての仙台の珍談奇談 (2)」
田村 昭 (編集) 1995 出版社: 宝文堂 単行本: 109ページ

K1
「仙台の珍談奇談 (3)」
田村 昭 (編集) 1993 出版社: 宝文堂 単行本: 67ページ
No.4107~9★☆☆

1)仙台のボランティア観光ガイドの研修を受けていると言ったら、家族が探してくれた本。あれ、一度くらいは目にしたはずだが、当ブログにはメモしていなかったようだ。まぁ、とうブログとの整合性はあまり高くない。前回はパスしてしまったのだろう。

2)今回においても、決して長期間耽溺するような本でもなさそうだ。むしろこういう本に引っかかり引っかかりしているからこそ、当ブログの深化は遅いのだ、と反省さえしている。

3)そうは言っても、いずれはまたこれらの一連のお話しに戻るやもしれない。そのためにも、ここにメモだけ残しておく。

4)どうもこれらのシリーズに一本筋が通っていないものを感じる。いや、一本筋はある。つまり「仙台」と「珍談奇談」だ。仙台はまぁ、いいだろう。仙台に住んでいるのだし、もっと足元の仙台を知ってやろう、とするのは当然のことだ。

5)しかるに、「珍談奇談」に拘泥する気は今はない。史実として興味深いことにはキチンと注目しておきたいが、珍しいとか、奇妙だ、というだけでは、長逗留は禁物だ。もちろん、「仙台」にしても、エスノセントリズムで、変な自慢話に拘泥するだけなら、御勘弁願いたい。

6)されど、出版年からして、地元の小さな出版社が、少部数の本を出版し続けて、その文化活動を支えようという志には、座布団を一枚差し向けたい。資料的な価値、というだけでは資料としては残らないこともある。おもしろおかしく記録するところに、やがていずれは誠の花が咲く、ということもあるやもしれない。

7)今回は、冷やかし半分の通りすがりだったが、いずれもっとまともな遭遇を願いたいシリーズである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「坐禅和讃」 Osho 白隠禅師を語る<3>

<2>からつづく 

Photo
「坐禅和讃」 Osho 白隠禅師を語る<3>
スワミ・プレム・ラジヤ/ スワミ・アナンド・ヴィラーゴ/訳 1990/3 瞑想社

1)なかなかいいですね、この一冊。前回、この本に触れたのはわずか数か月前だった。あれからずっと手元において眺めている。短くて、コンパクトで、ズバリの一冊。

2)坐禅和讃なんていうと、なんだかカミシモを着たような、窮屈な感じがするが、実際は、OSHOは白隠の瞑想の歌、と紹介している。その程度のものだ。

3)特殊な翻訳者による特殊な翻訳をしているが、今となっては、むしろこのくらい「クセ」があってもいい。雑味のない、濾過され過ぎた透明感より、色とりどりの景色が見えるような文章もいいもんだ。

4)この本、どこのどの部分がいい、という問題ではなく、全部いい。抜き書きなど必要ない。今となっては、瞑想の歌よりも、座禅和讃がよくなっているともいえるし、いや瞑想の歌もいい、と思える。バイリンガルだ。どっちもいい。

<4>につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/15

「仙台藩ものがたり」河北新報社編集局<2>

<1>からつづく

51g7gzcek8l
「仙台藩ものがたり」
河北新報社編集局 (編集) 2002/06 単行本: 240ページ
★★★★☆

1)かつて若い20歳前後の時は、北山五山の一角である資福寺・覚範寺の境内裏手に住んでいたこともあり、その五山の名刹・輪王寺で坐禅を組んでいた。インドから帰ってきて、輪王寺を訪れた時、私にはその境内が「血塗られた」ような臭いがしたような気がして、近づけなくなった。

2)その後、瞑想会の仲間である僧侶にさそわれたりして、若林・林香院、青葉区・活牛寺、あるいは名取・慶蔵院などで指導を受けた。旅の先々で一食一泊の恩義にあずかったお寺さんの思い出も多い。現在は、名取の秀麓齋の指導を受けている。

3)年末に、縁があって、北山・輪王寺を訪ねた。坐禅の時間にはちょっと早かったせいもあり、連れもあったので、庭園を散歩するだけにとどまったが、その印象は実に一変したものだった。40数年間にこれほどの手が入れられ、さらに歴史を重ねておられることに頭が下がる思いだった。

4)名取市観光物産協会指導による名取市観光ボランティアガイド研修終了とほぼ同時に、仙台市観光国際協会主催による観光ボランティアガイド研修にも参加している。過日は、観光ルーブルバスを利用した、市内実地研修だった。

5)瑞鳳殿、青葉城、大崎八幡神社の先輩ガイドの指導を仰ぎ、ガイドされる側の身になって、仙台という町を眺めてみた。貴重な体験ではあったが、この三つの史跡が伊達藩ゆかり、まだに伊達政宗抜きには語れないことに愕然とした。

6)本来どこかさけてきた道筋である。血なまぐさい、政治の、経済の、荒々しい世界とは距離を置いておきたいという気持ちとは裏腹に、最近は、いやいや今こそはそこを通っていかなければ、何事もできないぞ、という気持ちも湧いてきた。

7)この本は、伊達藩、ではなく仙台藩と銘打っているあたりに、どこか複眼的で、広角な視野をもって、私たちの地元に光を当ててくれる。決して私たちの日常の生活圏にとどまらない「仙台藩」の広域性を教える。山形、福島、岩手をはじめ東北一円はもとより、北海道、関東、京都、九州、朝鮮半島、欧州・スペインにまで、史実をもとに詳しい縁付けをする。

8)このガイドブックを基に、視野を広げていくことはもちろんできるが、逆に言えば広過ぎて、はてさて、夢の道筋に眠りこけてしまうのではないか、とさえ思えてくる。逆に、もう少し焦点をしぼり、自らの足元から、次に歩むべき道を見つけなければならない。

9)いくつかの視点は定まった。だがこの本は2002年に出た本であり、2011年の3・11の出来事は盛り込まれていない。あの災害があればこそ、いまふたたび問い直されなければならない点も多い。

10)古代から現代、未来にむけての時代の流れの中で、たどたどしいながら、いくつかのミッシングリンクを手繰り寄せながら、つたない一人旅がつづく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/14

「Discover Japan 」 京都の定番

51agwr0uovl
「Discover Japan (ディスカバー・ジャパン)」 京都の定番
ディスカバージャパン編集部 (編集) 2015/10 出版社: エイ出版社; 2015年 10月号 月刊版雑誌
No.4106★★★

1)若い時、時間もあり、あちこち旅した時は、神社仏閣は年取ってからにしよう、と後回しにしていた。なるほど年を取ってみると、神社仏閣に関心は高まってきたが、時間もなければ、旅をする機会も減った。なかなか日本全国の神社仏閣をお気軽に探訪するわけにもいかない。しかたがないので、雑誌や本でも見てみるか。

2)最近は結構テレビの録画機能を使って、深夜番組や裏番組を見る事が多い。神社仏閣や京都というキーワードで録画しておく。それをあとからゆっくり見るのである。これがなかなか面白い。

3)数年前に比べたら、結構知識も増えてきた。知識というほどでもないが、感覚と言うか、あらすじと言うか、大枠がだんだん見えてきた。これをもうすこし続けてみよう、と思う。

4)ただ、基本的にはどうも納得いかないことがある。そもそもが神社仏閣そのものに究極の関心があるわけではないし、京都が大好きだ、というわけでもない。何が私をしてひきつけるのか。そこんとこを知るために、もうすこし探訪してみよう。

5)この号、ちょっとだけど、松島についてのページもあった。ほっとした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ゲド戦記」 アニメ版 DVD <2>宮崎吾朗監督

<1>からつづく

4959241981042
「ゲド戦記」 <2>
岡田准一(OKADA JUNICHI)/手嶌葵(TESHIMA AOI)/菅原文太(SUGAWARA BUNTA) 宮崎吾朗(MIYAZAKI GORO) 2007/07/04 ウォルト・ディズニー・ジャパン DVD 115分
★★★☆☆

1)正月特番の録画していたリストの中から再生してみる。前回DVDでみたのはすでに6年前。印象はいくらか変わっただろうか。

2)率直にいって、予備知識ほとんどなしにいきなり見たら、それなりに面白いと思う。いつものことだが、この手を映画は最後までなかなか見切れない。ほとんど15分くらいのところで、気分が別なところに行く。

3)この映画、約2時間だから、まぁ前半1時間ほど見たのだから、わが評価としては上々であろう。それなりに面白かった。だが、後半は持続しなかった。もうひとつなにかもっと展開があってもいいんじゃなかろうか。こじんまりとまとまりすぎたかな。

4)ふだんはこじんまりとまとまった作品が好きなはずなのに、またまた変なことを言う。

5)巨大な作品群を作り続ける作家の息子であるという立場は、どんなものだろう。息子の立場で作った作品はそう多くなさそうだ。まったく無名で終わる人もいるなかで、七光りを得て、日の目を見る作品を作れたのだから、それはそれでいいのか。

6)龍と、聖なる老人と。そのモチーフだけですでに意味あるストーリーが生まれてきそうだが、そこに魔法とか魔女とか刀とか、定番のアイテムを絡ませる。そして、そこから何なんだ?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/11

「若者がうらやましがる老人になってやろう」帯津 良一

5193n6ghkpl
「若者がうらやましがる老人になってやろう」
帯津 良一 (著) 2017/12 出版社: 海竜社 新書: 240ページ
No.4105★☆☆

1)オビツ病院とか、オビツ先生とか、知る人ぞ知る名医の誉れある方と存じてはいたが、今回初めてその方に触れる。まずは貝原益軒の著書から始まる流れだが、最初の最初っから、深みがありながらも、すっかりくつろいだ一冊だ。

2)この本のタイトルはおそらく編集者がマーケットを考えてつけてくれたものであろうが、本の骨子としては、そのテーマは間違ってはいない。その通りだ。だが、私は、若者がうらやましがる老人になってやろう、という言葉自体は好きではない。

3)自らを「老人」と規定し、そこに「若者」を対峙させる。あまりに露骨すぎるなぁ。当ブログのアクセス数の稼ぎ頭「ぼけたらあかん長生きしなはれ」天牛将富の唄には賛同する。

勝ったらあかん負けなはれ
いづれお世話になる身なら
若いもんには花持たせ
一歩さがってゆずりなさい

というセリフの逆説的な痛快な感性のほうが好きかも。

4)老人になったら、大事なものは、生活費、健康、いきがい、だという。納得。生涯を通じて、私の生活費は、もうこれで十分という時代はちっともなかったが、人生なにごと60点主義、ちょっと足らないくらいがちょうどいい。女房殿には不評だが、まずは、まずまずの生活費を得れることに努力しよう。

5)健康も、若い時代に余命半年を宣告されながら、なんと還暦まで生き延びたこの体。生きてるだけで丸儲けの根性で、生き抜こう。無病息災ならぬ、一病息災でいいではないか。健康一本やりの居士たちが、意外と短命だったりする。ぬるぬると、なんとか元気だけは維持していこうじゃないか。

6)いきがい。これがもっとも大事だな。これもまた、実はけっこうそのヒントをつかんでいる気がする。ライフワークと言えるほどではないにせよ、そのことに自分の人生がすべて詰まっているような、そんな何かがつかめるといいな。

7)この本、書き手が医学博士とやらだから、かなりあらたまって読み始めた一冊だが、ちっとも肩の凝るところはなかった。かなりの自然体だ。酒や性についても、かなりおおらかな自説をお持ちの方だ。学ぶこと多し。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/10

「コンフォルト」 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる<2>

<1>よりつづく

Photo
「コンフォルト」 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる <2>
出版社: 建築資料研究社 2018/01  雑誌 梱包サイズ:  30 x 23.5 x 1 cm 隔月刊版
★ 

1)店頭で一目ぼれし、帰宅して精読、の予定だったが、この本の読書が進まない。ブログもすでにタイトルをつくってすぐ本文を書けるようにしておいてからほぼ一か月が経過してしまった。なぜか・・・・?

2)実際に、私は個人的に「祈りの場所をつくる」が現在進行形のテーマだ。材料もそろっている(はず)。空間もある。いずれスタートしよう、と準備はしているのだが、進まない。

3)正月だったせいもある。特に三が日や松の内は、家全体、町全体が祈りの場となる。象徴としては神社だろうが、どことなく荒事は控えめにせざるを得ない。寒かったせいもある。体が思ったように動かない。できればソファーの上でぬくぬくしていたい。

4)でもそれだけでもなさそうだ。読書だけなら進めることができるだろうに、それがその通りにならない。一つには、またまた読書志向はITやAI、シンギュラリティの方に振られ、そっちの読書が中心になってしまった。

5)いや、もちろん禅や鈴木大拙などの本もだいぶ読んだ。だが、この「コンフォルト」にとりかかるきっかけがなかなか作れなかった。なぜか。

6)この本は、結局は、建築家向けの雑誌なのである。建築家たちが祈っているわけではない。他者が祈る場をつくってあげようという雑誌なのだ。だから、その祈りにムラがある。自らが祈ろうというアートではない。言ってみれば職人さんたちの参考書なのだ。施主に合わせて、こんなもんもつくれますよ、というサンプル集に堕しているのではないか。

7)ただ、サンプル集でも構わない。私がそれを参考にして、私自身の祈りの場を作るのだ。いろいろな意見を聞くのはよいことだ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/08

「軽トラの本」沢村 慎太朗

51rvjuhb2l
「軽トラの本」
沢村 慎太朗 (著) 2017/05 出版社: 三栄書房 単行本 192ページ
No.4104★★★

1)自分のドライバー歴はそれなりに長い。一番最初にハンドルを握ったのは中学生時代だ。我が家に初めにやってきた日産子会社、愛知機械工業の軽トラ・コニー。続いて、ホンダの軽トラTN360が来た。これが私が最初に運転したクルマ。もっとも中学生で自動車免許は取得できない。無免許ではあるが、自宅から地続きの広い農地を走る分には、免許は必ずしも必要とはされなかった(はず)。

2)いとこの女子高生なんか、まもなくの卒業にひかえて自動車教習所に通っていたが、中学生の私のところに、運転を習いにきたもんだ。(エヘン)

3)しかし、実際に私が免許を取ったのは成人して何年も経過してから。十代からサイクリングやヒッチハイクで日本を何周もしてきた自分にとっては、時代のモータリゼーションは無視できない、感謝の対象でしかなかったが、公害などの環境問題に微妙に心動かされ、素直に自動車を運転しようとは思えない時期が長かったのだ。

4)はてさてこの本「軽トラの本」ときた。これまた無駄なトリビアなテーマかな、と思いつつ、自動車というもの、戦後というものを考える時、これまた軽トラの歴史は重要なファクターだったのかも、と思い直した。

5)3・11直後、図書館がダメージを受けて、本など読めない期間が続いていたが、数か月後には図書館も部分的にオープンになった。そのころの雑誌「現代農業」の特集に、軽トラを7~8台並べた比較記事があった。その号まで、軽トラなんて、どれも同じだろう、とタカをくくっていた。

6)しかし、実は、あの同じようなサイズと形状の中に、大きな違いがあったのである。登坂能力、回転半径、リンゴ農家向き、漁師向き、平地の農作業向き、林業用。3・11直後のドサクサの中で眺めたあの特集号を、いずれ再点検しようと思っていたが、この単行本で、そんなことを思い出すことになった。

7)現在は、各社あった軽トラモデルは、淘汰されて、OEMで供給される体制が作られており、スズキ・キャリー、ダイハツ・ハイゼットの二強に続く、ホンダのアクティ。この三台に絞られているという。

8)あれ、スバルのサンバーは? と聞けば、いまやサンバーは生産停止となり、いまやダイハツ・ハイゼットのOEMで供給されているのだとか。軽トラ全般を紹介している本ではあるが、この本の面白いところは、このスバル・サンバーを突出して賞賛しているところ。

9)スバル・サンバーには、実は軽トラ宅配便・赤帽という大口で特殊な顧客があったのだ。この赤帽モデルが、スバル・サンバーを、他の軽トラから一気に引き離して、特殊なクルマへと進化させた。この物語ストーリーが面白い。スバル360の開発秘話に匹敵するほどの圧巻だ。

10)閑話休題。話は変わるが、最近こんなことがあった。ある知人が山の方に住んでいる。務める会社があるわけでもないし、親戚が近くにあるとも聞いていない。大型商業施設があるわけではないのに、なんでまたこのような「不便」ところの賃貸住宅を選んで住んでいるのだろう、といぶかっていた。

11)道も狭いし、彼たちのセンスからすると、もうちょっと街中でもいいのではないか。ずっとそう思っていた。しかし先日、あらためて、リビング側に入らせてもらって、その理由がはっきり分かった。彼らは眺望を買っていたのだ。

12)彼らを訪ねるには、私は山に登っていく、という感覚しかない。慣れない、ちょっと曲がりくねった細い道をハラハラしながら登っていくのは、あまり得手ではない。しかし、彼らは、まったく反対方向を見ていたのだ。彼らのリビングからは広い広い太平洋に面した街並みがすべて見渡せることができるのだ。これには驚いた。

13)全く反対方向に目的があったのだ。私は山を見、彼らは海を見ていた。いやはや、ウロコから目が、いや目からウロコがはがれる思いだった。こちら側からの勝手な判断で決めつけてはいけないのだ。反対側から見直す必要があるのだ。

14)「軽トラの本」。この本を開いて、この<反対側の視点>のことを思った。軽トラは、私にとってはどれもこれも似通った、やたらとチープな小じんまりとしたクルマにしか見えていなかった。しかし、私がもし軽トラのヘビー・ユーザーとなって、視点を変えてみたら、これまでの一般論では理解できなかった世界が開けてくるかもしれないぞ。

15)この頃では、軽トラを改造して、DIYでキャンピングカーを作ろう、という動きがある。私は、あんなちっちゃいクルマ、なんだかなぁ、と批判的だったが、いやいやどうして、いろいろ調べて、<反対側の視点>を持ち得たら、ひょっとすると、私もそのDIYキャンピングカー作りにハマるかもな、なんて思い始まった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/07

「ラスト サムライ」監督: エドワード・ズウィック<1>

71fkb7uzsul__sl1000_
「ラスト サムライ」<1>
出演: トム・クルーズ, 渡辺謙, 真田広之, 小雪, ティモシー・スポール 監督: エドワード・ズウィック  販売元: ワーナー・ホーム・ビデオ 2003年のアメリカ映画 形式: DVD 時間: 154 分
No.4103★☆☆

1)当ブログにおいてはこの映画のストーリー云々は、あまり大きな話題ではない。フィクションとか、映画とかは、ある種どうでもいいのだ。ただ、大きな括りにおけるサムライというものの捉え方に問題がある。

2)もし、禅をテーマとするなら、おそらくサムライは一度は研究しておかなければならない。しかるに、当ブログにおいては、戦いとか、殺し合いとかは、興味はないのだ。できれば避けて通りたい。無関係でありたい。できるなら、それで一貫したい。

3)しかし、そうはいかんだろう。禅が禅であるために。禅がサムライと、どんな繋がりがあるというのか。どんなゲシュタルトを結んでいるのか。そこんとこ、じっくり、これから潜行していかずばなるまい。

4)当ブログにおける、感情移入できるサムライや刀は、藤沢周平の小説に登場する、江戸時代の下級武士の、町道場の竹刀裁き等レベルに拘泥したままだ。それ以上の、戦いとか、命のやり取りとかは、必要ない。

5)されど、それに比するものを際立たせる意味において、その図地は、おのずと必要とされるに違いないのだ。

6)ヨロイ、カブト、シロ、カタナ、ブシ、サムライ、ブシドウ・・・・・。本来通るべき道をより明確にするために、反語として、これらを視野に入れなくてはならない時期が来ている。避けて通るために、あえて、直視する。

7)本当に、それらを、直視できるか。そこんとこが、当ブログにとっての、課題である。

<2>につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/06

「2001年宇宙の旅」監督: スタンリー・キューブリック 

<※※>からつづく

71lzet125l__sl1500_
「2001年宇宙の旅」 
監督: スタンリー・キューブリック キア・デュリア (出演),‎    ゲイリー・ロックウッド (出演), 1968年制作アメリカ映画 形式: DVD 販売元: ワーナー・ホーム・ビデオ 時間: 148 分
★ 

1)1978年インドで見て以来、何度も見ている映画なのだが、またまた見てしまった。正月特別番組の放映。何度も何度も見ているはずなのに、なんだか画像が新鮮。ひょっとするとこのバージョンは、リニューアルされたものかもしれない。

2)そして、眠くなる。寝てしまうのだ。

3)この映画、これまで何度みたことだろう。何回見ても飽きない。いつかまた見るだろう。DVDも持っているので、見ようとするなら、すぐ見れるが、この放送で見たバージョンのほうが目新しく感じるのはなんでだろう。

4)実に今日的な課題になりつつある。HALの反乱。AIが熱く語られる今日、「スターウォーズ」の最新版なんかより、この50年前に作られた映画のほうがはるかに今日的課題を提示している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「コンフォルト」 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる<1>

Photo

「コンフォルト」 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる<1>
出版社: 建築資料研究社 2018/01  雑誌 梱包サイズ:  30 x 23.5 x 1 cm 隔月刊版
No.4102★ 

1)近くに新しいブックストアができた。近隣では最も大きいかもしれない。本だけじゃなく、映像や小物、その他のグッズが集合された施設だが、それでも書店の部分だけでも相当に大きい。

2)いまさら書店巡りも飽きてはいるのだが、この正月にオープンした施設ならば、見ておきたい。話題のひとつには加えておきたいからなぁ。だけど、特段に欲しい本もない。あっても、せいぜい店頭でパラパラとめくって終わりだ。表紙を見て回って、それで終わり。

3)でも、それって、なんだか寂しい。そんなに枯れてしまったのか。この世はそんなに魅力のない世界になってしまったのか。なにか、一冊ぐらいは、これは欲しい、と思うような本があってもいいのではないか。

4)そんな気持ちになって、広い店内をぶらぶらウォーキングしながら、見つけたのがこの一冊。隔月刊雑誌なれど、このような本が存在していたことさえ知らなかった。建築分野の本らしいが、一般には広く読まれてはいないだろう。

5)新店舗ゆえ、試打球をいろいろ打ってくる。その中の一冊だろう。そうそう売れる本ではないだろう。発行部数だって、そう多くはあるまい。それに、今回の特集は、バックナンバーの中でも異色なのではないか。

6)特集・祈りの場所をつくる。

7)自分の言葉に直せば、瞑想ルームをつくる、だ。もっとも瞑想ルームなんてのは、基本、空間があればいい。なるべく余計なものを排除して、広々とした空間があればいいのだ。だけど、それだけでいいのか。何かの「飾りつけ」は必要ないのか。

8)この本は、その問いに対する、それなりの答えを準備している。古臭く言えば、神棚であり、仏壇だ。それって、おそらく古い日本家屋ならほとんどどの家にもあった。いや、神棚や仏壇こそ、日本家屋を古臭く見せている原因だった、ということもできる。

9)神の在り方だって、ホトケの在り方だって、この現代社会では新しい存在様式を要求されている。すでに21世紀も20パーセントが過ぎようとしている。平成と言われる時代も、もうすぐ終わるのだ。現代的な、現代人に見合った、「祈り」の場が必要だろう。

10)それを「つくる」ヒントをこの本は、いくつか提示している。

<2>へつづく

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「間違いだらけのクルマ選び」2018年版<2>

<1>からつづく

91b4ohqawl
「間違いだらけのクルマ選び」2018年版 <2>
島下 泰久   (著) 2017/12 草思社 単行本(ソフトカバー) 256ページ
★★★★★

1)この本、売れているんだか、売れていないんだか? まぁ、気になるところだけ立ち読みしようと思っていたのだが、店頭では売り切れと言われてしまう。図書館にはまだ入っていないし、おそらく入っても取り合いになって、私の番まで相当の時間がかかってしまうだろう。

2)場末の本屋で一冊だけ残っていたので、衝動買い。読みたいことは読みたいんだよねぇ。昔なら絶対買ってバックナンバーを揃えていたものだが、最近は、できれば蔵書は増やしたくないという路線で、ほとんど立ち読みか図書館で間に合わせてきたのだ。

3)AnyWay 今回は購入したのだから、ゆっくり読み倒してやろうじゃないか。そう勢い込んで読むのだが、本当に読みたいページはそれほど多くない。読みたいページだって、自らの感性&意見を確認する程度に納まり、必ずしも新しい体験というほどもない。

4)とにかく今号のキモは、EVだろうし、ノートeパワーだろうし、新型リーフだろう。プリウスPHVはまずまずだとしても、あのデザインは足かせになってしまっている。軽自動車、1Box、スポーツカー、外車、縁がない。金と趣味の幅があれば、二台三台持ちも悪くはないだろうが、こちとら、趣味と実益と経済性が一体となった、たった一台があればいいのだ。

5)今回は本誌でも日産ノートeパワーが最大評価されている。そのことについて異論はないが、はてさて、自分が現在所有するベーシックハイブリット(7年目)を捨ててまで、車両入替しよう、という気にはなれない。本格的なEVではないよね。

6)新型リーフも、値段がネック。買って買えないわけじゃない(無理して言っている)が、そこまで買わなければならないほどの魅力満載なのか? スタイル、ブランド、大きさ、付加価値の部分で、いまいち納得感がない。

7)アクア、フィット、デミオ、スズキなんとか?、なんだかなぁ・・・・・。私しゃぁ、現車をあと最低でも4年乗るつもり。できれば、ディラーがいうようにあと10年だって乗ることは可能だ。たしかに後方部のキスマークはちょっと気になるが、なに、あれは業務上のもらい傷。自分がつけたわけじゃない。修理代はもらったが、修理は自分でリペアして、その保証代は冬タイヤとノートパソコンになってしまった(笑)。

8)私のクルマは、多少傷ついていて、ちょっと汚れていて(だって畑仕事にもいくんだし)、目立たないほうがいいんだ。燃費も伸びてるし、まだまだ走行距離も多くない。できれば本気にあと10年乗るぞ。そう粋がるのだが、いつかは乗り換えるだろう。構えていなくても、突然のサドンデス、というコトもありうる。自動車情報は、やはり常にブラッシュアップしておきたい。

9)だがしかし、やっぱり、この号には、私が乗りたい、買いたい、今すぐにでも欲しい。女房を質に入れても買う、というクルマはなかった。現車のベーシックハイブリットが人生最後のクルマになるとは、実は思っていないが、結構古稀を迎えた先輩連中が免許を返上しているのを見ると、でもなぁ、そろそろ仕上げのクルマにツバをつけておかないとなぁ、と思う。

10)ノートじゃちょっと見劣りするが、eパワーじゃなくて、PHVになったら考えてもいいな。新型リーフは、コンセプトとして、まだ煮詰めが甘い。プリウスPHVは、あのスタイルで×。

11)となると、敢えてここで新たな投資(浪費?)をするよりも、現車をもっと長く乗って、愛でていくほうがいいように思う。(手の届かないブドウは渋い)

<3>につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「魔女の宅急便」宮崎駿 (監督)

71x5yz8xbhl__sl1000_ 
「魔女の宅急便」
崎駿 (監督)    1989年制作 形式: DVD 販売元: ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社   DVDディスク枚数: 2 時間: 102 分
No.4101 ★★★★★

1)ジブリ作品でいったい一番何が好き?と尋ねられたら、すぐ思いつくのがこの魔女の宅急便。一番好きだな。分かりやすく、面白い。ユーミンの音楽がかかったりする。

2)はてさて、正月特番を録画で見ながら、え~、魔女の宅急便って、こういう映画だっけ? こういうシーンあったんだっけか、と、とても新鮮に見た。

3)1989年作品か。リアルタイムで映画館で見たわけじゃないが、当時小学生だった子供たちとテレビやビデオで何回も繰り返し見たはずだが、いつも何かをしながらの、ながら見だったので、たくさんのシーンを見逃しているのだろう。(今回もブログを書きながらの、ながら見ではあるが)。

4)角野栄子原作か。そういえば、図書館主催の角野栄子講演会に行って、サインをもらったこともあるし、そこそこのファンかなぁ、と思っていたが・・・・・。

5)ググってみると、当ブログでは、「魔法と猫と魔女の秘密」魔女の宅急便にのせて  正木晃 2003/3 春秋社、なんて本も読んでいるんだなぁ。(2007/.03/31記) そんな影響もあるのかな。少なくとも先日みたスターウォーズの最新作よりは、こちらのほうの嗜好性にあっている。

6)なになに、実写版もすでにあるのかぁ。 貸し出し中ではあるが、わが最寄りの公立図書館にも在庫があるようだ。早速、予約。

7)やっぱり、ところどころ印象深く覚えているシーンがある。森の中の少女画家の家のシーンとか、おばあちゃんとパイを焼くところとか。男の子もなかなかいいじゃん。でも、民放の録画じゃ、後半あたり、映画を見ているのかコマーシャルを見ているのかわからないくらい、ブツブツになってくる。

8)ラストシーンはやっぱり強く強く印象に残っている。やっぱ、いい映画だな。見ようによっては、9・11にも、3・11にもつながってくる。阪神淡路震災にさえ。1989年だからこそ、ファンタジーとして、この映画を作ることができたのかもな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/04

「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」

<第7作>よりつづく

61kvouydpl__sl1000_
「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」
原題:Star Wars: The Last Jedi)は、2017年公開のアメリカ映画 シリーズ第8作
No.4100 ★★☆☆☆ 

1)今、なにか書き残しておくことは、ちょっとしんどい。正月のにぎわいの中で、人込みをかき分けながら見に行くほどの作品なのか?

2)親兄弟や、マスター弟子、恋人たちのミニマムな構造を基礎としながら、銀河の統制を考えるなんて、あまりにも荒唐無稽。さらに、そのために、これだけの破壊を繰り返すのは、納得できるものではない。

3)夢の中の一シーンだとするなら、そんなみ目くじらを立てるほどのこともないが、だが、あれほどまでの大げさな仕掛けを準備をするのは、やはり理解できない。

4)帰宅した今、いいことは何もかけない。すこし時間が経過したら、何か付け加えることができるようになるかも。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「君の名は。」新海誠 監督<1>

81q0psoqf0l__sl1500_
「君の名は。」DVDスタンダード・エディション <1>
神木隆之介 (出演),‎    上白石萌音 (出演),‎    新海誠 (監督, 原著, 脚本)  発売日 2017/07 販売元: 東宝   形式: DVD 時間: 107 分
No.4099★ 

1)この頃は文字を追うのがつらい。老眼という目の衰えを感じて久しいが、思い付きでかけた老眼鏡も度が進み、どうやら合わなくなっていることが原因のひとつではあるらしい。しかしそれだけではない。

2)当ブログを始めて10数年、とりあえず図書館を活用して、読みたいなぁと思っていた本を4000冊読めば、もう十分。読みたいと思う本もそれほどなくなった、ということもある。再読しようと思っていた本もいろいろあったが、そのタイミングが来てみれば、それほど再読にも力が入らない。

3)最近は、文字の大きい本とか、漫画コミックとかに手を出しては見るが、どうも力が入らない。文章を読んでくれるアプリなども使ってはいるが、どうも、ちょっと違うだろう、という思いが強くなる。

4)「君の名は?」。ああ、あのマキコ巻きとかで流行った、昔の映画? いやいや違うらしい。最新のアニメらしい。だいぶ流行ったとか。ああ、じゃぁ、私も映画館へ、と言ったら、若い連中に、ちょっとクスッと、笑われた。

5)そうかぁ、まだまだ好奇心は残っていて、いろいろスターウォーズとか、若い連中に人気の話題には乗っていこうと思っているんだがなぁ。まぁいいか。もともとアニメは好きじゃないし。

6)でもなぁ、数年前に見たピクサー「カーズ」のような例もあるしなぁ。幼児向けのアニメなんか、何なんだぁ、と興味半分に覗いたのがきっかけで、涙が流れるほどハマった例もあるし。油断は禁物。

7)正月のオチャラケ番組は嫌いだ。だけど、ヒマだし、やっぱりテレビ番組を録画して、好きで、面白そうな番組だけをCM飛ばしで見ることにしている。その中に、この映画もあったんだよね。

8)きのうも「タイタニック」なんてのを見た。ああ、パニック映画ねぇ、そのくせ、ずいぶん長いのう、なんて、冷やかし半分で見始めたが3時間だかの長編を一気に見てしまった。いやはや、エンターテイメント、だなんて、バカにしちゃぁいけないよ。いきなり引っ張られる。

9)このアニメ、2016年制作だから、3・11をしっかり読み込んでいることは間違いない。ハリウッドでも実写版の話がでているという。このアニメが、どれだけの評価を受けたのか、私は実はよく知らない。されど、このアニメが、私の中にある何かをプロボークしたことも事実である。

10)私の背筋を伸ばし、立ち上がり、踊り出す作用をしたことは間違いない。

<2>につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/03

「把不住述懐」<19>suchness

<18>からつづく  

把不住述懐<19> suchness

Photo

<20>につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/01

「コンタクト」 監督: ロバート・ゼメキス<3>

<2>からつづく

71hbsiu1l1l__sl1000_
「コンタクト」 <3>
監督: ロバート・ゼメキス 出演: ジョディ・フォスター, マシュー・マコノヒー, ジョン・ハート, ジェイムズ・ウッズ, デイビット・モース 発売日 2011/09 DVD 150分 1997年アメリカ作品

1)お正月向けのオチャラケ番組はちっとも見る気にならないので、深夜などに放映される特別番組や映画などを録画しておいて、暇なときに見ることになる。訪問客がいなくなれば、のんびりすごす時、録画ビデオは大いに息抜きになる。

2)「コンタクト」はすでに見た映画だが、だからこそ録画してもう一度見ようと思った。いわゆるSFやファンタジーなどはたくさんあるが、私の胸深く感動させてくれるものはそう多くはない。ほとんどが、見ながらあくびがでてくるものが多い。その中にあって、この作品は、なぜか、他の作品とは一線を画していると思えてきた。

3)1997年の映画である。今から20年前。まだパーソナル・コンピュータも一般的ではなく、ネットワークの揺籃期であった。また20世紀の世紀末、という時代の足音が聞こえている頃でもあった。

4)ストーリーはSFだから、もちろん荒唐無稽だが、余計なチャンバラやバトルシーンがない。そこにエンターテイメントの基礎をおいていない。主人公の微妙な心理的な葛藤を基礎としている。日本の北海道などがでてくるが、また、そこが親近感を持たせるのであろうか。

Img_5114

5)飾りつけに日本趣味的なところもあるし、あの「2001年宇宙の旅」のアーサー・C・クラーク的なストーリー展開もある。そんなところが、私を呼ぶのであろう。

6)おそらくこの映画で解決する科学的課題など、なにもないだろうが、チャンバラやキャラクターの創作への方向に傾くSF作品のような滅茶苦茶な展開にならないところがうれしい。

7)なんのエビデンスもなく、証言台にたつ主人公に、どこか話題の科学者オボカタさんが二重写しになる。

8)この延長線上にある映画なら、もっと見てみたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

a happy new year 2018

Blog

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年12月 | トップページ | 2018年2月 »