
「軽トラの本」
沢村 慎太朗 (著) 2017/05 出版社: 三栄書房 単行本 192ページ
No.4104★★★★★
1)自分のドライバー歴はそれなりに長い。一番最初にハンドルを握ったのは中学生時代だ。我が家に初めにやってきた日産子会社、愛知機械工業の軽トラ・コニー。続いて、ホンダの軽トラTN360が来た。これが私が最初に運転したクルマ。もっとも中学生で自動車免許は取得できない。無免許ではあるが、自宅から地続きの広い農地を走る分には、免許は必ずしも必要とはされなかった(はず)。
2)いとこの女子高生なんか、まもなくの卒業にひかえて自動車教習所に通っていたが、中学生の私のところに、運転を習いにきたもんだ。(エヘン)
3)しかし、実際に私が免許を取ったのは成人して何年も経過してから。十代からサイクリングやヒッチハイクで日本を何周もしてきた自分にとっては、時代のモータリゼーションは無視できない、感謝の対象でしかなかったが、公害などの環境問題に微妙に心動かされ、素直に自動車を運転しようとは思えない時期が長かったのだ。
4)はてさてこの本「軽トラの本」ときた。これまた無駄なトリビアなテーマかな、と思いつつ、自動車というもの、戦後というものを考える時、これまた軽トラの歴史は重要なファクターだったのかも、と思い直した。
5)3・11直後、図書館がダメージを受けて、本など読めない期間が続いていたが、数か月後には図書館も部分的にオープンになった。そのころの雑誌「現代農業」の特集に、軽トラを7~8台並べた比較記事があった。その号まで、軽トラなんて、どれも同じだろう、とタカをくくっていた。
6)しかし、実は、あの同じようなサイズと形状の中に、大きな違いがあったのである。登坂能力、回転半径、リンゴ農家向き、漁師向き、平地の農作業向き、林業用。3・11直後のドサクサの中で眺めたあの特集号を、いずれ再点検しようと思っていたが、この単行本で、そんなことを思い出すことになった。
7)現在は、各社あった軽トラモデルは、淘汰されて、OEMで供給される体制が作られており、スズキ・キャリー、ダイハツ・ハイゼットの二強に続く、ホンダのアクティ。この三台に絞られているという。
8)あれ、スバルのサンバーは? と聞けば、いまやサンバーは生産停止となり、いまやダイハツ・ハイゼットのOEMで供給されているのだとか。軽トラ全般を紹介している本ではあるが、この本の面白いところは、このスバル・サンバーを突出して賞賛しているところ。
9)スバル・サンバーには、実は軽トラ宅配便・赤帽という大口で特殊な顧客があったのだ。この赤帽モデルが、スバル・サンバーを、他の軽トラから一気に引き離して、特殊なクルマへと進化させた。この物語ストーリーが面白い。スバル360の開発秘話に匹敵するほどの圧巻だ。
10)閑話休題。話は変わるが、最近こんなことがあった。ある知人が山の方に住んでいる。務める会社があるわけでもないし、親戚が近くにあるとも聞いていない。大型商業施設があるわけではないのに、なんでまたこのような「不便」ところの賃貸住宅を選んで住んでいるのだろう、といぶかっていた。
11)道も狭いし、彼たちのセンスからすると、もうちょっと街中でもいいのではないか。ずっとそう思っていた。しかし先日、あらためて、リビング側に入らせてもらって、その理由がはっきり分かった。彼らは眺望を買っていたのだ。
12)彼らを訪ねるには、私は山に登っていく、という感覚しかない。慣れない、ちょっと曲がりくねった細い道をハラハラしながら登っていくのは、あまり得手ではない。しかし、彼らは、まったく反対方向を見ていたのだ。彼らのリビングからは広い広い太平洋に面した街並みがすべて見渡せることができるのだ。これには驚いた。
13)全く反対方向に目的があったのだ。私は山を見、彼らは海を見ていた。いやはや、ウロコから目が、いや目からウロコがはがれる思いだった。こちら側からの勝手な判断で決めつけてはいけないのだ。反対側から見直す必要があるのだ。
14)「軽トラの本」。この本を開いて、この<反対側の視点>のことを思った。軽トラは、私にとってはどれもこれも似通った、やたらとチープな小じんまりとしたクルマにしか見えていなかった。しかし、私がもし軽トラのヘビー・ユーザーとなって、視点を変えてみたら、これまでの一般論では理解できなかった世界が開けてくるかもしれないぞ。
15)この頃では、軽トラを改造して、DIYでキャンピングカーを作ろう、という動きがある。私は、あんなちっちゃいクルマ、なんだかなぁ、と批判的だったが、いやいやどうして、いろいろ調べて、<反対側の視点>を持ち得たら、ひょっとすると、私もそのDIYキャンピングカー作りにハマるかもな、なんて思い始まった。
最近のコメント