「禅 沈黙と饒舌の仏教史」沖本 克己
「禅 沈黙と饒舌の仏教史」 (講談社選書メチエ)
沖本 克己 (著) 2017/12 講談社 単行本(ソフトカバー): 304ページ
No.4120★☆☆☆☆
1)禅という素敵なタイトルを持つごくごく最近でた一冊である。当ブログとしては今期の「新刊ベスト10」の一角に深く食い込んで欲しいという、期待の一冊であった。
2)しかし、どうもだめだった。 最初の数ページを読んで、奥付に目を通し、著者が1943年生まれの「学者」さんであることを確認しただけで、あとは目次と全文にパラパラと風を通して終わってしまった。
3)何故か?
4)思い直してみる。この表紙からして、ちょっと変だ。禅の文字が単にワープロ文字になっている。しかも大きくデザインされている。これは明らかに現在の禅ブームを意識したものだ。しかも講談社選書メチエというフォーマットに組み込まなければならない。自由さが少ない、窮屈な一冊だ。この第一印象がつきまとう。
5)現在、現代を意識するなら、禅の他に、ZEN、AI、未来、などのキーワードが組み込まれなくてはならない。されど、この書には、その自由さがない。自由さがない姿勢に、禅が語れるはずがない。
6)例えば今再読中の藤田正勝「日本文化をよむ」 5つのキーワード(2017/08岩波書店)と出会った時のような爽快感がない。ああ、今自分が読むべき本はこの本だった、という納得感が、まるでない。
7)そういった意味においては、著者が悪いわけでもなく、本として出来が悪いわけでもあるまい。ただ、一読者としての出会いのタイミングが悪いのだろう。いずれ読み直す時が来るかもしれない。しかし、今じゃない。
8)この本には独創性がない。辞書としては使えるかもしれない。されど、辞書として使うなら、もっと優れた書があふれている。この書に頼る必要はない。ありきたりのことを再編集してあるに過ぎない。
9)余った食材で、コックや裏方が、まかない飯として食するのなら、それはそれでいいだろう。しかし、腕の立つシェフなら、一工夫も二工夫もあってしかるべきだ。これじゃぁ、余った食材が残飯になっただけ、という感じがしてならない(言い過ぎ、ごめんなさい。でも本音)。
10)禅を語るなら、そして2018年の、この平成30年に出す本なら、これではダメだ。私の感性は、受け付けない。
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