「ブッダたちの仏教」並川 孝儀
「ブッダたちの仏教」 (ちくま新書)
並川 孝儀 (著) 2017/12 筑摩書房 新書: 205ページ
No.4121★★★★☆
1)この本も、図書館の新刊リストの中からタイトルだけで選び出した一冊。ブッタたち、ブッタ達、という言葉使いは珍しい。当ブログにおいては、「ブッタ達の心理学」と銘打って、シリーズ化してカテゴリライズ化しているが、まだまだ珍しい。
2)さて、この本は、ブッタたちの「仏教」である。当ブログにおいては、老子やソクラテス、キリスト、禅マスターたち、グルジェフやクリシュナムルティ、などなどを含めて、ブッタ達と括っているわけだが、この本においては、仏教という系譜にあらわれたブッタたちに注目している。
3)この本もまた前著沖本克己「禅・沈黙と饒舌の仏教史」(2017/12講談社)と同じく、2018年に読まれるべき新刊本であるのだが、どうしてもおざなりな一冊と言わざるを得ない。されど、見るべき側面もある。
4)「現代」と、この「日本」における固有性を最大に活かした仏教が出現することこそ、ある意味、仏教たりうるのである。今に生きる仏教を問い続けなければ、今ある仏教は仏教といえないのである。
形だけが残り、過去の歴史を大切な遺産としているだけのような仏教ならば、「仏教は死んだ」といわなければならない。
今、この現状を黙認して何も行動を起こさなければ、仏教の未来は暗いといわざるをえないし、間違いなく衰退か滅亡への道を見守ることになるであろう。p120「終章 日本仏教の今」
5)当ブログで現在進行しているのは「現代社会のマインドフルネス」である。「日本の仏教」ではない。私の生活空間はほとんど日本国内、しかもごく地方社会に限定されてはいるが、日本がどうした、というレベルでは当ブログは納得できない。
6)また、仏教、という括りも、当ブログは拘泥するところではない。数あるスピリチュアリティの中で、もっとも身近なものは神道と仏教であり、あるいはその混交ではあるし、実際に参加できる機会は、それに付随するセレモニーなマヌーバーであることは事実である。されど、名言しておくとすると、当ブログは仏教に拘泥するものではない。
7)すでに仏教の夕暮れを、スリランカの仏足山で確認し、新たなる朝日を1970年代のインドプーナに見た限りは、新しい時代の、新しい人類の、新しいスピリチュアリティをOSHOムーブメントに見ることはやぶさかではない。
8)最近、よくテレビの録画機能を使って、深夜放送や裏チャンネルの寺院仏閣の観光ガイド的な番組を見る。観光ブームの日本、とくに関西や京都の、これでもか、というようなゴテゴテした番組だ。私が見始めたのは最近なので、まだ飽きずに見続けている。しかし・・・・・。
9)この現状を黙認していていいのか、と問われれば、それではいけません、と答える。ではどうするか。外側に向けての自分の探求はほぼ終わっている。内側の探検は、これは万物流転の世界なので、これでOKということではないが、自己完結するサイクルにはすでに到達している。
10)最近、よく友人たちが亡くなっていく。生者必衰である限り、誰もかれも死に直面していくのであり、私もいずれは死ぬ。だから、アキラメも必要だ。明らめ、諦め。だが、何もしないのは自らの怠慢であることの口実にしてはいけない。
11)確かにOSHOムーブメントは難なしとはしない。それは、どの流れであろうと100点満点などというものはない。されど、自分が人生をかけて歩いてきたこの道を再度確認し、死ぬまで、いや死んでも、この道があったことを確認していくだろう。
12)ブッタたちの仏教、このタイトルは改めなければならない。現代社会のマインドフルネスと。仏教でも、瞑想でも、マインドフルネスでも、言わんとするところが、一つであれば、表現はあえて細かいことは言わない。しかし、未来に向けた表現方法が歓迎される。
13)そして、日本でも、東北でも、アジアでもなく、地球全体の現代社会が問われなければならない。地球文化足りうるスピリチュアリティを今こそ、意識しなければならない時代なのである。
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