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2018/01/21

「人工知能のための哲学塾」三宅 陽一郎<2>

<1>からつづく

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「人工知能のための哲学塾」 <2>
三宅 陽一郎 (著)  2016/08  ビー・エヌ・エヌ新社 単行本: 320ページ
★★★★☆

1)哲学の領域では、<こころ>は文脈に応じて精神、意識、知性といったさまざまな言葉で呼ばれながら、いつの時代も哲学の中心的な問題であり続けました。多くの賢人たちが、それについて思考し、議論し、多くの卓越した書物を残しています。しかし、未だに私たちはその多くを知りません。 

 なぜ、このようなことが起こるのでしょう。<こころ>のことを考えても考えてもわからないという理由の一つには、それについて考えること自体に構造的な難しさがある、ということがあります。

 たとえば、<こころ>について考えはじめる端緒として、先ほどのように「<こころ>とは何か」という問いをお立ててみたとします。しかし、私たちはこの問いを立てた時点で、袋小路に入り込むことになります。なぜなら、このような問い自体が、それ以上の思考を拒否してしまうパラドックスを孕んでいるからです。p292「あとがき 大山匠」

2)前回、半年前にこの本を読んだ時、評価は★2つ、とこちらもだいぶ辛かった。読み手としての自分のほうに準備ができていなかったということと、やはり方法論として哲学は得手でない、という理由ではあったものの、はてさて全体から考えれば、それは辛すぎるだろう。今回は★4つに訂正。

3)この書が成り立つうえでの協力者のひとりである大山氏の言葉とはいいながら、まずは巻末にこの言葉を見つけたこと自体、今回の読書がやや地平に降り立ってきて、現実的な地平を見始めている、ということはできるだろう。

4)ないものねだりばっかりはできない。他書にそれ以上ふさわしい存在を見つけかねている現在、この書を足掛かりに、当ブログ、目下のテーマであるコンシャス・シンギュラリティ(CS)たるものの概略を、手を替え、品を変えて、検索し、探索し、想定し、イメージしていく必要がある。

つづく

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