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2018年2月の34件の記事

2018/02/28

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<70>「Mindfulness in the Modern World vol.6」カテゴリについて

<69>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<70>「Mindfulness in the Modern World vol.6」カテゴリについて

1)当ブログがスタートしたのは、2005年夏。ブログ機能だけ登録したものの、実質的には何をしたらいいのか、見当がつかなかった。

2)2006年春になると「ウェブ2・0」の掛け声のもと、「地球人スピリット・ジャーナル」として、読書を中心としてソロソロと歩きだした。秋以降、ウェブ人間論としての要素も強くなった。

3)2010年までには、ほぼ大概の興味ある範囲の読書は鎮静化し、ほとんど読書ブログとしては終焉しかかった。そこに、突然勃発したのが3・11大災害だった。

4)当時、当ブログは7つのテーマを与えられていた。そのひとつひとつの純化と調和が進み、長期テーマとしては「Meditation in the Marketplace」に収斂していった。ほぼそれから新しいテーマが見つからないまま、約1年間、そこに軸足を置くこととなった。

5)そして3・11にともなう具体的な出来事にともないつつ、2012年秋以降、周囲の友人たちをはじめとする死に直面することとなった。

6)2016年初夏に「把不住」というネーミングに啓発されながら、当ブログが次なる大きなテーマ「Mindfulness in the Modernworld」にたどりついたのは2017年初頭のことである。同時に「把不住述懐」という感触を得た。

7)そして今、2018年春において、外に向けてロータス・フラワーを求めていた視点は、すでに把不住述懐として、クリスタライゼーションに向けて結晶化し始めているということも可能である。

8)Vol.6が書かれたのは、2017/11/01から2018/02/28まで。

9)再読したいこのカテゴリこの三冊は次のとおり。

5

「コンフォルト」 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる
出版社: 建築資料研究社 2018/01  

「WIRED (ワイアード) VOL.30」 / 特集「Identity デジタル時代のダイヴァーシティ 〈わたし〉の未来」
コンデナスト・ジャパン   (著),‎    WIRED編集部 (編集) 2017/12 出版社: コンデナスト・ジャパン雑誌  

「鈴木大拙コロンビア大学セミナー講義」上巻/下巻
鈴木大拙 (著),‎    重松宗育 (その他),‎    常盤義伸 (その他) 2017/11 出版社: オクターブ

10)次なるカテゴリ名は「Mindfulness in the Modernworld Vol.7」となる。このテーマは、表現としてはこれで終わりとする。Vol.8はないだろう。次の次なる「把不住述懐」へ向けての橋渡しの役を果たしてくれるだろう。

<71>につづく

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2018/02/27

再読したいこのカテゴリこの3冊「Mindfulness in the Modern World vol.6」編

前からつづく

再読したいこのカテゴリこの3冊
Mindfulness in the Modern World vol.6

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「コンフォルト」
 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる
出版社: 建築資料研究社 2018/01  雑誌 梱包サイズ:  30 x 23.5 x 1 cm 隔月刊版
★ 

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「WIRED (ワイアード) VOL.30」 / 特集「Identity デジタル時代のダイヴァーシティ 〈わたし〉の未来」
コンデナスト・ジャパン   (著),‎    WIRED編集部 (編集) 2017/12 出版社: コンデナスト・ジャパン雑誌
★★★★★

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「鈴木大拙コロンビア大学セミナー講義」上巻/下巻
鈴木大拙 (著),‎    重松宗育 (その他),‎    常盤義伸 (その他) 2017/11 出版社: オクターブ  単行本: 上246ページ 下320ページ

後へつづく

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2018/02/26

「把不住述懐」<23>ブッタの教えを社会に生かす

<22>からつづく

 

把不住述懐<23>ブッタの教えを社会に生かす

1)録画しておいたテレビ番組の中に、NHKテレビ「こころの時代」で、井上ウィマラという人のプロフィールを見た。その1時間番組の動画あるかなぁ、と思ったが見つけることはできなかった。

2)この名前を含んだオムニバス本を当ブログでもメモはしておいたが、それほど突っ込むところでもなかったので、あまり調べることはなかった。

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3)この番組のことをメモしておくには、この「把不住述懐」の中でメモしておくしかないな、と納得。こまかいことはいずれ機会があれば、メモすることもできるだろう。

4)この人物については、いずれもっと精緻な資料がでてくれば、それと突き合わせて、何事かを吐露することができるだろう。

5)当ブログ現在のカテゴリーはこの記事で終わりだ。

----------------

6)追補
・ウィマラはビマールキルティ、つまり維摩詰からきた名前。
・旅することはよいこととは思うが、あれこれ方向転換を繰り返すことはどうなのかな。
・テレビの60分では十分じゃないけど、それでも、やはりかなり補足が必要な番組だったな。
・1959年生まれとか。詳しい番組内容はここにメモする余裕はないが、なぜにここでNHKが取り上げたかを考えることは、有意義かも。
・小さい時の、光の中の埃と銀河を重ねて感じたという体験は、まぁ自らの体験と重ねて体験できる。
・高校時代にバイクで旅にでる、という行為は、まぁ、こちらも自らの体験と重ねても理解できる。
・「ブッタの教えを社会に生かす」というタイトルは、NHKがつけたものであろうが、少なくともこのような切り取り方がされる、ということは記憶しておく必要がある。(他にどのような切り口があるだろう)

<24>につづく

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「太白の散歩手帖」郡山から二口までの史跡を訪ねて 木村孝文<2>

<1>からつづく

 

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「太白の散歩手帖」郡山から二口までの史跡を訪ねて<2>
木村 孝文 (著) 2001/03 出版社: 宝文堂 単行本: 200ページ
★★★★★

 

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<3>につづく

 

 

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「コンフォルト」 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる<2>

<1>からつづく

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「コンフォルト」 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる<2>
出版社: 建築資料研究社 2018/01  雑誌 梱包サイズ:  30 x 23.5 x 1 cm 隔月刊版
★ 

1)この雑誌のこの号もまた、現カテゴリの再読したいこの三冊の中の一冊だ。初読以来、何度もページを開いた。あれこれイメージが湧いた。だが、メモしたのは一回だけだった。

2)というのも、この雑誌は、インスピレーションを受けながら、さらにクリエイトへとつなげてくれる一冊であるはずだからだ。「

3)祈りの場所をつくる。これがテーマだ。私にとっての言葉としては、瞑想ルームをつくる、ということになる。実は、次なるプロジェクトのための資材はかなり準備済みなのである。いろいろイメージは湧いているが、だが、まだ決定打がない。

4)それに、なんにせよ、寒い。時間がない。もうすこしイメージを熟成させて、春になったら、いよいよ取り掛かるつもりだ。

5)そのためにも、この雑誌をいつも傍らに置き、少しづつ、イメージを拾い集め、より現実化する方向へと、何かが内側で動き出している。

<3>につづく

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「WRED(ワイヤード)VOL.30」 特集「Identity デジタル時代のダイヴァーシティ 〈わたし〉の未来」 <4>

<3>から続く

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「WIRED (ワイアード) VOL.30」 / 特集「Identity デジタル時代のダイヴァーシティ 〈わたし〉の未来」 <4>
コンデナスト・ジャパン   (著),‎    WIRED編集部 (編集) 2017/12 出版社: コンデナスト・ジャパン雑誌
★★★★★

1)いよいよ現カテゴリも終わりに近づいた。再読したいこのカテゴリこの三冊の一冊として、この本は、どうやら残らざるを得ないようだ。残念ながら、この雑誌は休刊が確定している。

2)二代目編集長、若林恵の巻頭エディターレターも好きだった。いつも好感の持てるものだった。その「最終号」のテーマが「アイディンティティ」だ。これもとても好感の持てるものだ。その意気やよし。

3)本当は、もうすこし前に行って欲しかった。もっと深めてほしかった。そして、この雑誌と私の距離がもっともっと近づくのを期待していた。だが、今は、その望みは断ち切られた形となっている。

4)まぁ、しかし、この30号で休刊になったことで、定数は決定してしまったわけだから、ほとんどのバックナンバーを集めてあるので、全体を再読再編集するよいタイミングになることになるだろう。

5)当ブログのカテゴリ名、次はどうするか、実はかなり考えた。すでに「把不住述懐」はいずれスタートすることは間違いない。だが、どうも「Mindfulness in the Modernworld」は現在Vol.6だが、どうもクリスタライゼーションには至っていない。もう少し伸ばしたい。

6)そこで折衷案として「Mindfulness in the Modernworld Vol.7(把不住述懐)」という長いものも検討した。Vol.7はなかなかキリがいい。7まで伸ばすことも悪くはない。だけど、把不住述懐も始まっていることは確かだ。

7)総合的に判断すれば、やはりここはVol.7で行こう。そう決めた。そういう意味では、このWIRED誌のこのテーマをもうすこしひきづってやろうか、という思いもある。

8)記事は、どこがどうということはまだ言えない。だけど、風景がなかなかいい。開いたところのイラストや、そのページの面構え。なかなかいいなぁ。これからもう少し、この号と面を突き合わせてやろう、と思う。

<5>につづく

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「おひとりさまvs.ひとりの哲学」山折哲雄  上野千鶴子,/「さとりサマーディにて」<31>ひとり‎

<30>からつづく

「さとりサマーディにて」 

<31>ひとり           目次 

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「おひとりさまvs.ひとりの哲学」
山折哲雄 (著) 上野千鶴子 (著),‎  2018/01 朝日新聞出版 新書: 216ページ
No.4158★★☆☆☆

1)テレビの朝の宗教番組で久しぶりで思い出した山折哲雄を思い出し、その近著である「『ひとり』の哲学」(2016/10  新潮社)に目を通してしまったものだから、ついこの本にも手を出してしまった。

2)上野千鶴子という方の名前は比較的よく聞く名前ではあるが、ほとんどノーマークである。今ググってみたら、当ブログにおいては、わずかに「世代間連帯」( 2009/07 岩波書店 辻元清美と共著)にそのお名前が登場するのみである。まったく知らない方ではないが、どうも世界観の根本がどこかで違う。共存はできないわけではないだろうが、「連帯」なんて、おそらくできないだろう。言葉の上だけでも無理だ。

3)このお二人の対談、最初はとりあえず読み出してみたのだが、言葉が走りすぎていて、自分にとってのリアリティがどんどん喪失していった。「おひとりさま」を「おふたりさま」でダイアローグというものは、いかがなものか。

4)決して読みにくい本でもないし、テーマがまるっきり面白くわけでもない。されど、そのテーマに寄り添っていくとするならば、すくなくとも一読者としての私の中では、このテーマを、この対談で、ず~と深めていくというのは無理なようだ。

5)どうしてだろう、と考えた。少なくとも、この本を当ブログに単独で登場させることさえ、うっとうしくさえなった。どうしてだろう。

6)思いついたのは、ここで語られているテーマのリアリティは、むしろ当ブログでの連載シリーズ「さとりサーマディにて」の中で語られる方が、ずっとましになるだろう、ということだった。

7)このシリーズ、どうやら、だいぶお休みしていたようだ。半年以上のブランクがある。もちろん、その間に何事もなかったわけではない。むしろ進行している。進行しすぎて、ちょっとブログにさえ書けないような事態が続出していて、どこでどうまとめていいか思いあぐねてさえいる。

8)具体的には、さとりさんは、新しい施設に移り、環境が変わって、良くなった面と、年齢の進行に伴うところの、退歩の面が目に見えて如実になってきたと言える。96歳とは、一般的にはこういう状態だろう。彼女に彼女の24時間があり、365日がある。

9)されど、それはサマディなどというものとの重なりをイメージすることは難しい。サマディという部屋を意味しているならそれでいいのだが、決してまともにさとりサマディなんて言えたものではない。

10)しかししかし、もしありのままを受け入れるという意味でなら、これこそがさとりサーマディなのだ、という事態が現出しているのだ、と、とることもできる。

11)それだけの理解と、飛躍と、神秘への扉が、こちらに要求されるとするなら、この対談集は、まったく意味をなさない。単なる文字列であり、救いはない。

12)この対談に目を通していて、わが意識はどんどん無重力となり、当ブログ現在最人気の一曲のほうが、はるかにリアリティを持って、現前としてきた。

 

<32>につづく

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2018/02/24

「五木寛之の百寺巡礼」 ガイド版 第七巻 東北<3>

<2>からつづく

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「五木寛之の百寺巡礼」 ガイド版 第七巻 東北 (TRAVEL GUIDEBOOK) <3>
五木 寛之 (監修) 2004/12 出版社: 講談社 単行本(ソフトカバー): 220ページ
★★★★★

1)たしかに、秀麓齋にもこの像があるのだ。かなり意味ありげに存在しているので、ひょっとすると伊達藩ゆかり、あるいは伊達政宗そのものの像かと思っていたが、そうではない。これは、大権修利菩薩というのだ。

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2)なるほど、そういうことだったのか。ということは、これは曹洞宗の寺院だからこそあるのであって、他の宗派の寺院にはない、ということになる。

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3)これで、ひとつの謎が消えた。ちゃんとお名前を憶えておこう。大権修利菩薩(だいげんしゅりぼさつ)。

Img_5282_2               大権修利菩薩 秀麓齋蔵

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「がんばっぺ フラガール! 」小林正樹 (監督)

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「がんばっぺ フラガール! 」―フクシマに生きる。彼女たちのいま―
出演: スパリゾートハワイアンズ・ダンシングチーム 監督: 小林正樹 発売日 2012/07 販売元: TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D) 【DVD】 ディスク枚数: 1  時間: 102 分 No.4157★★★★★

1)奥さんが付き合いで長い間コツコツと積み立ててきた旅行資金がいつの間にか、家族で一泊できそうな金額まで達したという。たまには使うのもいいかなぁ、とプラン選定に余念がない。

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2)家族それぞれのスケジュールと、体調と、予算と、それに目的地の決定には、まだまだ時間がかかりそうだ。いくつかのリゾートが話題になるのだが、まだまだ決定しそうにない。その中でも、予算は遥かにオーバーしてしまうのだが、スパリゾートハワイアンズの名前もでた。

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3)そういえば、最近、1年前になって「フラガール」(2006年作品監督: 李相日)というDVDを見た。2006年映画だったが、震災後6年経過後だったが、なんとも感動した。そしてその機会に、双葉郡の獏原人村の満月際で、フラダンスチームがたくさんでていたことに、ようやくつながった。

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4)2006年の「フラガールズ」とは違って、「がんばっぺ!フラガールズ」は、3・11後、半年後の復活劇のドキュメントである。

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5)今度の家族旅行、うまくハワイアンズとうまくつながっていくかどうかは、現在まだ未定だが、この機会にこのリゾート地のエピソードを思い出したことは、グッドタイミングだった。3・11はまだまだ終わっていないぞ。あれから7年後とは言え、まだまだだ。

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6)がんばっぺ、フラガール。がんばっぺ、東北。

11846711_1086789414666505_510316861            photo by  atisha 

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Jesus was a Buddhist Monk BBC Documentary

Jesus was a Buddhist Monk BBC Documentary

No.4156★★★★★

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OSHO「Mindfulness in the Modern World」 <C013>

<C012>からつづく

 

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <C013>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

 

マインドフルネスを支えるための技法5つ 

 

 

 

 

 

 

 

 

1、マインドを変える p243/254

 

2、ゴミを放り出す p243/254

 

3、ここにいる p246/251 

 

4、意識を持って食べ、飲む 246/254

 

5、ちょっと聞いてみなさい p247/254

 

<C014>につづく

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2018/02/23

「把不住述懐」<22>人気記事ランキング

<21>からつづく 

把不住述懐<22>人気記事ランキング

1)以下が、今日現在の当ブログの人気記事ランキングである。結果として読者が選んだアクセス数の多い記事ということになる。

1位:宮澤賢治と幻の恋人 澤田キヌを追って 澤村修治

2位:「ボーイズライフ」1960年代の少年向け雑誌 小学館

3位:「そばにいるね」 [feat. SoulJa] 青山テルマ

4位:「お産の学校」/:/ 私たちが創った三森ラマーズ法<1> 

5位:「ぼけたらあかん長生きしなはれ」 天牛将富<1>

6位:[NHK] サイエンスZERO - 新・瞑想法 マインドフルネスで脳を改善

7位:「 A.K.A. Serial Killer」 略称・連続射殺魔 (1969)足立正生 

8位:「オリンパスOM-1」1970年代国宝級カメラCM

9位:「坐禅和讃」 Osho 白隠禅師を語る<4>

10位:「終末期の密教」 人間の全体的回復と解放の論理 板垣足穂 梅原正紀 編著

2)なるほどなぁ、これはこれでなかなか面白い記事が並んでいるのではないだろうか。順番は、多少異論があるけれど、それにしても、この10の記事のどれも、自分自身としてはなかなか興味あるところである。

3)ここから敢えて、現在の当ブログのテーマに最も近い記事を三つ上げるとすれば、

6位:[NHK] サイエンスZERO - 新・瞑想法 マインドフルネスで脳を改善 

10位:「終末期の密教」 人間の全体的回復と解放の論理 板垣足穂 梅原正紀 編著

9位:「坐禅和讃」 Osho 白隠禅師を語る<4>

ということになろうか。

4)個人史的にエピソード展開できそうなのは

2位:「ボーイズライフ」1960年代の少年向け雑誌 小学館

8位:「オリンパスOM-1」1970年代国宝級カメラCM

4位:「お産の学校」/:/ 私たちが創った三森ラマーズ法<1> 

5)作品評価的記事は

1位:宮澤賢治と幻の恋人 澤田キヌを追って 澤村修治

7位:「 A.K.A. Serial Killer」 略称・連続射殺魔 (1969)足立正生 

3位:「そばにいるね」 [feat. SoulJa] 青山テルマ  

となる。

6)そして敢えて、三つの要素をそれぞれに含んでいる記事となれば、

5位:「ぼけたらあかん長生きしなはれ」 天牛将富<1>

ということになろうか。

7)書き手の志向と、読者の志向はそれほど離れていない。もちろんどれも自分の書いた記事なのでいきなり離れてしまうはずはないが、読み手にできれば読んでほしいと思えるような記事が並んでいるので、まずまず書き手と読み手のコミュニケーションは成り立っていると言えるだろう。

8)個人史的エピソードとは言え、世代的な共通性があり、時代性を反映しているともいえる。共通の話題となり得るだろう。

9)作品評価的記事としては、これもまたかなりの傾向性があり、好き嫌いがはっきりしそうなテーマたちである。書き手としての個性がはっきりでそうな作品を選ぶことが大事ということか。

10)逆に言えば、最も関心あるテーマを選ぶ場合、時代性、共通性、個性、が大事ということになる。つまり、どういう時代なんだ? 何がみんなの共通項なんだ? そしてそこで、どう生きているんだ? ということになるだろう。

11)総合的に言って、結局

5位:「ぼけたらあかん長生きしなはれ」 天牛将富<1>

にアクセスが長期にわたって集中しているということも理解できる気がする。

<23>につづく


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「把不住述懐」<21>「Mindfulness in the Modern World」<C012>

<20>からつづく  

把不住述懐<21>Mindfulness in the Modern World

<C011>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <C012>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

1)久しぶりにこの本に戻ってきた。いつも手元にあり、何度も手に取ったことはあったが、なかなか本文を読む雰囲気にならない時期があった。今回は、断片的ではあるが、本文を読み、いくつかの気づきのキーワードを見つけた。

2)「未来は過去の副産物だ」というセンテンス。最近は、日本歴史や郷土史などの、ちょっと古色紛然たる世界に足を踏み入れている段階。そこに対置されているものは確かに「未来」だった。

3)過去も未来もない。今ここだ、とあらためて喝棒を受ける。

4)OSHOの講話の中にマインドフルネスというキーワードを見つけて進んできたこのカテゴリシリーズ、決して最近の風潮に迎合している内容ではない。そもそもOSHOの言葉そのものはすでにほとんど30年前に終了している。現在は残された言葉の再生、リバイバルだ。

5)最近の出版物をどうして読まないの、とクレームを受けたことがある。たしかにその言い分はわからないでもないが、言葉が言葉として、最近の雰囲気の中で翻訳されていると、どうもOSHOのイメージが薄まっている感じがしないわけでもない。

6)どうせ最近出版されたものなら、あえてOSHOの雰囲気がより残っている英語版を読むほうが楽だ。もっとももともとヒンディー語で語ったOSHOのレクチャーが最近になって英語版になりさらに邦訳されるというプロセスのものも、ないわけじゃないが、どうもそのプロセスが長すぎる。こちらのマインドがごそごそと動きだす。

7)そもそもこのカテゴリー名のシリーズは、この小冊子を自ら邦訳してやろうという野望のもとにスタートしたわけだが、どうもそのワークの進展ははかばかしくない。ほとんど頓挫の状態だ。むしろ、私の場合は、このまま英語のまま読み切ってしまったほうがいいのかもしれない。

8)把不住にとっての述懐は、見事にMindfulness in the Modern Worldにつながっているはずだ、という見込みがある。かなり接近している。そんなことがリアリティとして徐々にまた現実化してきた。

9)そんなことが、この本にようやく戻ってきた要因だろう。現カテゴリもあと10数個の記事の余裕が残されているだけだ。なるべく、この雰囲気にチューンインしていこう。

把不住述懐<22>につづく

Mindfulness in the Modern World<C013>につづく

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2018/02/22

「ノスタルジア」 監督: アンドレイ・タルコフスキー<2>

<1>からつづく

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「ノスタルジア」<2>
監督: アンドレイ・タルコフスキー 出演: オレーグ・ヤンコフスキー, エルランド・ヨセフソン, ドミツィアナ・ジョルダーノ 発売日 2015/03 販売元: KADOKAWA / 角川書店 形式: Blu-ray 時間: 126 分 1983年 イタリア・ソ連合作映画
★★★★★

1)深夜放送の特番で再放送していた。録画していたものをちょこちょこと、飛ばし飛ばししながら、また見ている。

2)タルコフスキーという名前で録画しておいたものだが、以前に見たことをよく覚えていなかった。灯油をかぶって自殺する男のシーンになって、ああ、すでにこの映画は見ていたのだ、と思い出した。

3)決して好みという分野ではないが、やはり熱烈なファンの言葉を聞いたりすれば、よくよく見ておいてやろう、などと思う。ふむふむ。ヘタなチャンバラものよりはいいが、まぁ、正直言って退屈。

4)ストーリーは当然あるのだが、それはあってもなくてもいいような、もの。ストーリーを借りた、ワンシーンずつのつなぎと考えたほうがいいようだ。一枚一枚のシーンの隙間の中で、こちらの意識の隙間の乱雑さが、目についてくる。

5)今回は(も)、一気に見れない。ブツブツに切りながら、飽きたらやめ、時間ができてその気になったら、また短時間見る、というサイクルで見つ続けている。ふむふむなるほどな。

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2018/02/19

「百寺巡礼」 第七巻 東北 五木 寛之 <2>

<1>からつづく

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「百寺巡礼」 第七巻 東北 <2>
五木 寛之 (著) 2009/03 講談社 文庫: 280ページ 単行本 2004/12
★★★★★

1)思えばこの巻に登場する寺院の大半はかつて参拝している。一度ならず数回訪れている寺院もある。まだ訪れていない寺院もまた、周囲の風景がどことなくつながって行って、すでに参拝済みのような気分になる。

2)しかしまた、逆に、かつてすでに参拝済みとしてしまっている寺院には、さてこのような云われ因縁があったのかと、新たに知らされ、自分は一体何を見てきたのやら、とあきれてしまう場面にもたびたび出くわした。

3)私たちのこころのふるさとはどこにあるのか。
それを探しに今日も旅に出る。
百寺巡礼。
日本列島の北から南まで、
二年間に百の寺を訪ねる旅。
旅の終わりに何が見えてくるのか。
風に吹かれて、今日も寺への道を歩く。
表紙見返し

4)テレビ番組でも毎回流れるキャッチフレーズ的なナレーションである。どこか良いようでもあり、どこか引っかかる言葉の流れでもある。番組として、連載記事として、シリーズ単行本として、あるいはガイドブックのムックとして、数を重ねる口実に使われているだけではないか、とさえ思える。

5)こころのふるさと、とは何か。それをなぜに旅に探さなければならないのか。なぜ百寺なのか。神社じゃだめか。なぜ日本列島なのか。なぜ二年間なのか。二年がたてば旅は終わるのか。言い出したら切りがない。まんまと引っかけられているわが好奇心に気づき、ヒヤッとする。

6)地球人としてのスピリチュアリティとは何か。
それを探しに今日も書を手にする。
読書ブログ。
図書館から借りだした四千冊を、
十数年に渡って読み、書き綴る、日々。
その終わりに何が見えてくるだろう。
ちょっとした好奇心にかられて、今日も図書館に足を運ぶ。

7)百寺巡礼のキャッチコピーをお借りして、当ブログのスタート地点を言葉にすれば、以上のようなセンテンスになるだろうか。最初の最初はこれほど明確ではなかったが、おそらく300冊とか400冊目あたりになった時は、そのような心境であったことは確かだ。

8)当然最初は十年間とか、四千冊などという具体的な相はなかった。結果としてそうなったというだけだ。そして、「旅の終わりに」見えてきたものは、確かにある。旅は終わりに近づいているのだ。いや、終わったと言っても言い過ぎではない。あるいは、終わらせなければならない。

9)今見えている相は三つ。時間であり、空間であり、存在だ。もちろん、かなり具体性を伴った、緊急性を帯びたそれぞれの三つの相だ。

10)なんだ、まだ絞り込めていないのか、とも思うが、3・11前後の七つの相に比べたら、はるかに簡略化され、より具体化されている。相互に関連しているのは当然のこととして、ひとつひとつがはるかに隔たっているとも言える。

11)私ひとりの視座はほぼ固まっている。固まらざるを得ない。そしてそこから、その一点から広がり、湧き出るものがある。それは広く、高く、深く、あるいはどこかで無限性へと接触する。

12)この書を括りながら、またまたいつものように付箋をたくさん張り付けてしまった。その中から、重要と思える部分を抜き出しておこうか。手間がかかるとするなら、そのページの画像を張り付けておこうか。しかし、今夜はどうも面倒だ。手作業で行う旅とは別の次元に、書を閉じたあとの私の想いは漂っている。

<3>につづく

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「永平寺の般若心経 回向」

「永平寺の般若心経 回向」

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2018/02/18

「把不住述懐」<20>把不住述懐

<19>からつづく  

把不住述懐<20> 把不住述懐

1)これから書こうとしていることは、本来、編集日記に書き込む内容だ。だがしかし、ちょっと長文になりそうだ。最近の当ブログの編集日記は長文が似合わない。ワンセンテンスにまとめてしまっている。でも、今日はちょっと長い。

2)現在の「Mindfulness in the Modern World vol.6」も残すところ、10数個の記事になった。当然、次のカテゴリ名を考えるタイミングになってきた。本来、vol.7と続けていきたいところだが、どうも、次なるカテゴリ名「把不住述懐」が浮上してきている。

3)今のところはまだわからない。読書ブログとしての記録機能も実は必要なのであり、まったくこれまでの機能が不要になったり、終焉してしまっているわけではない。

4)でも、まったくフォーマットを変えて新しいブログを別個立ち上げるべきタイミングでもあると思う。このところずっとタイミングを狙っているのであるが、まだ踏ん切りがつかない。

5)まもなく7年目の3・11がやってくる。このタイミングがチャネルを大きく変えるべきタイミングなのではないか。あるいは意図的にステージを大きく変えるチャンスなのではないか。

6)2006年3月に「地球人スピリット・ジャーナル」は、「Mindfulness in the Modern World」というより明確なテーマを拾った。そしてそこからさらに「把不住述懐」へと結晶化してきた、はずだ。 当ブログ12年後の結論と言ってもいい。あるいは、結論としたい。

7)2006年3月にスタートした当ブログは、2011年3月当時、七つのテーマを抱えていた。七つのテーマはそれぞれ具体的な相を与えられていた。あれから7年。それぞれに昇華が進んだ。一つ、二つ、それぞれの相は、ほとんど一つの相に集約された。禅。

8)7年サイクルも、やがて10番目のサイクルに入る。集約であり、終焉であってもおかしくない。命の運びは天が決めるものゆえ、自らではどうにもしがたいものがあるが、常に決意はしておかなければならない。

<21>につづく

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「五木寛之の百寺巡礼」 ガイド版 第七巻 東北<2>

<1>からつづく

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「五木寛之の百寺巡礼」 ガイド版 第七巻 東北 (TRAVEL GUIDEBOOK)
五木 寛之 (監修) 2004/12 出版社: 講談社 単行本(ソフトカバー): 220ページ
★★★★★

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<3>につづく

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「中島誠之助先生、日本の美について教えてください。」<2>

<1>からつづく
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「中島誠之助先生、日本の美について教えてください。」 <2>
中島誠之助 (著) 2017/04 祥伝社 単行本: 256ページ
★★★★★

1)何千年ものあいだ、日本人は植物というものの生命力に身も心もゆだねてきたんじゃないですか。日本人の日常の生活、衣食住に対しての感性の根源がある。そこに不思議な力が宿ると考えられたものが、神なんでしょうね。

 ただ一本の木があって、あるいは森というものがあれば、その空間が神の宿る場になるわけです。神は木霊(こだま)であって見えません。形がない。

 ですから日本の神社っていうものは、空間なわけですね。多くは森であって、飲本の木であって、その植物の力にいだかれるようにして、やがて石に神が宿る、あるいはもっと人間らしく建物をつくって神をお迎えしようとなっていったのでしょう。p108「木の文化」

2)西行しかり、芭蕉しかり、先人たちの築きあ げた文化や思考の跡をもう一度実感しながら、噛みしめながら旅を続けていくというのが、一般的な日本人の旅人の姿なんですよね。再確認の過程に新たな発見があるんですよ。p174「日本人の旅のやり方」

3)「鑑定品に値段をつける番組に出ているくせに何なんだ」とおっしゃるかもしれないけれど、あれは美術や歴史をテーマにしたエンターテイメントなんです。だから面白おかしくつくってあるわけなんです。

 ものの向こうに見える持ち主の人間ドラマなんであって、美とは何かを追及する教養番組ではありませんよ。心の余裕のある人が笑って楽しむものなんです。p202「売るといくらくらいしますか」

4)東北地方に残されているみ仏たちもそうですが、いずれも部材を寄せたものではなく、一木でつくられたものです。クスノキとか、ケヤキとか、あるいはカヤやサクラの木でつくられたものもあります。

 もとは霊木だったんでしょうね。み仏の姿をこの特別な木にノミで彫り出していくんです。道ばたの石も拝めば信心になるとは言いますが、素材の段階から拝まれる対象だったわけです。p234「金剛仏から木彫仏へ」

5)あんまりマニアックになっちゃいけないんですね。人間ってものはね、ともすればマニアックになりがちなもんですが、昔はそれでよかったですよ。見るからにあの人はお医者さんだ、あの人は絵描きだ、あの人は骨董屋だ、あの人は見るからに物好きな収集家だとかって。

 だけどいまは見るからにそういう職業だっていう人、いないんじゃないですか。

 ですからね、私の和装もテレビ用の衣装なんです。家にいるときも、近所を歩くときも洋服ですよ。書斎も洋室ですしね、自分ひとりかしこまってお茶を点てて、すすっているなんて日常生活はしたことないんです。ヒマさえあれば、趣味の登山をしてますしね。

 がっかりされた方、ごめんなさいね。p245「完成を高めるには、何をすればいいんでしょうか。」

6)エンターテイメントであれ、演技であれ、この人の本は、最初から最後まで読ませる力がある。それは柔らかい語り言葉で綴られているからだ。「そうですねえ」というような、彼独特の口調がそのまま展開されている。そこがいいのだろう。

7)それと、保守本流というか、日本文化の主流を決して見逃していない。あちこち傍流に色目を使いながら、キチンと合流地点へと流れていく。もちろん、時には反語的に、疑問を呈したり、否定をしたりする。だが、そこにキツさがない。柔らかく、聞く者の耳を潤す。

8)学者さんの全うな学説には、それなりの正当性があり、かしこまって傾聴すべき知識が詰まっているのだろうが、自分にとっては不要なこともかなり多い。ところがこの人の言葉には隙間は多いが、聞く人にとって、柔らかく自ら考える余地を与えてくれる優しさがある。

9)中島誠之助センセイ。力道山やタイガーマスクに通じる、正当なエンタテイメントである。それもこれも、実力と努力あってのことである。

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2018/02/17

「中島誠之助先生、日本の美について教えてください。」<1>

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「中島誠之助先生、日本の美について教えてください。」<1>
中島誠之助 (著) 2017/04 祥伝社 単行本: 256ページ
No.4155★★★★★

1)「お宝鑑定団」を見始めて、もう20年近いかな。別段に予定していて見ているわけではないのだが、偶然チャンネルが合うと、つい最後まで見てしまう。あの番組の面白さの要素は、さまざまあるが、まずは、このセンセイが鎮座していることも、大きな要素に違いない。

2)この男性が言うと、すべてが本当の思えてくる。番組の中に登場している時間はそう長くはないのだが、なかなかの存在感だ。

3)ただ、この眼鏡にちょび髭、和服に曲がり尺、なんて風情を見ていると、すっかりこのスタイルが決まっているようだが、一説には、普段はこのちょび髭の付け髭をはずして、Gパンで白いベンツを動かしたりしているとか、いないとか。

4)番組にはそれとなく台本がありシナリオがあり、演出も当然あるわけだが、まぁ、それはそれと理解した上で、番組を楽しむことはできる。

5)おそらく20年間欠かさず鑑定団を見続けても、日本の美について詳しくなどなれるはずはない。あまりにも範囲が広すぎるし、番組もまた、毎回目新しい材料を探してこそ番組が成り立つのだ。バラバラだ。あっちこっちいい加減だ。

6)だがしかし、よくよく考えてみれば、別段にそんなに詳しくなる必要などない。専門家になるわけでもないし、知識などあちこちバラバラでもいいのだ。

7)それに、別段、いまさら中島センセイに教えてもらうほどでもないのだが、でもなぁ、それはそれとして、番組をもうすこし楽しく見るためにも、センセイにレクチャーを受けてみるのもいいかもな。

<2>につづく http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/2-06a0.html

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「五木寛之の百寺巡礼」 ガイド版 第七巻 東北

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「五木寛之の百寺巡礼」 ガイド版 第七巻 東北 (TRAVEL GUIDEBOOK)
五木 寛之 (監修) 2004/12 出版社: 講談社 単行本(ソフトカバー): 220ページ
No.4154★★★★★

1)テレビ番組があり、単行本があり、そしてこのガイド版の写真集があるということは、かなり手の込んだ企画モノということになるが、まぁ、面白いから、この企画、許しておこう(笑)。

2)断片的な知識も、縦、横、繋いでいると、かなりざっくりではあるが、ひろがりのある世界が展開していくことがある。別段に、そのメッシュを細かく細かく詰めていこうなどとは思っていないが、ここんとこは知りたいなぁ、と思っているパーツに、思わぬめっけものの情報があったりする。

3)あせらず、あわてず、ちょこちょこ、あちこち蚕食していくのが楽しい。

<2>につづく

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    「百寺巡礼」 第七巻 東北 五木 寛之

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    「百寺巡礼」 第七巻 東北
    五木 寛之 (著) 2009/03 講談社 文庫: 280ページ 単行本 2004/12
    No.4153★★★★★

    1)最近の楽しみはテレビの深夜放送を録画して、あとから空き時間にゆっくり見ることだ。その中に、「五木寛之の百寺巡礼」がある。偶然に録画したものだが、すっかり気に入って次回も次回もと、10回ほど録画した。見終わったあとはすぐ消してしまうのだが、かなり印象に残っているお寺もある。

    2)このシリーズはテレビ番組でもあるらしいが、それらが何冊かの単行本となっているのだ。テレビのナレーションと似通った文章がつづられてはいるのだが、やはりニュアンスはちょっと違う。それぞれ視て読めば、ステレオ効果があがるというものだ。

    3)シリーズ第七巻は東北である。その中には松島瑞巌寺が含まれている。かなりざっくりした紹介だったが、テレビ番組の瑞巌寺もみた。いや、ざっくりしているところがいいのだ。別段に、そのことに精通する必要はない。ざっくりと言っても、知らないことがたくさんある。

    4)松島の雄島についても触れている。当ブログでわが雅号を把不住と勝手につけてしまった理由はこの雄島にある。この辺を、これからざっくり、ざっくりと、触れていきたいものだ。

    5)百寺巡礼とまではいかないまでも、これまでいくつかのお寺さんにはお世話になってきた。最初から巡礼などと洒落たものではないが、人生の時々、旅の時々で、ずいぶんとお寺さんにはお世話になってきたのだ。

    6)仏教史だとか、その奥深さだととか、本当はまぁ、どうでもいいのだ。ざっくり、ざっくりで間に合う。ただ、そんなことを少しづつしていると、いつかジグソーパズルのパーツが、カキっとハマる時があるから面白い。

    7)五木寛之もこのシリーズの当時はだいぶダンディでシャキっとしているが、ごくごく最近は、かなりの老齢な雰囲気になっている。なかなか、人生を感じる。

    <2>につづく

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    2018/02/15

    「そばにいるね」 [feat. SoulJa] 青山テルマ

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    「そばにいるね」 [feat. SoulJa]
    青山テルマ 2008/1  収録アルバム: そばにいるね 収録時間:  5:02
    No.4152★★★★★

    1)SNSのどこかの記事に、 日本における黒人差別の話が展開されていた。その一例として、楽天の野球選手とか、歌手としての彼女の名前がでていた。

    2)ああ、そうだよね。彼女がいたよね。あの歌好きだった。だけど、あれからあまり聞かないなぁ、どうしているんだろう、とちょっとググってみた。

    3)結局、あの曲はヒットして、テレビしか知らないが、私ですら口ずさめるくらいに一般的になったんだ。他にもたくさん曲はあるらしいが、ヒットしたのはあの曲が一番。あの年、彼女は紅白歌合戦にもでたんだ。

    4)あれから十年も経過しているのか。いい歌だな。その後も彼女はブラウン管から消えたのではないようだが、私の目にはほとんど触れていない。その前も幼児番組のお姉さん役もやっていたらしい(彼女はそのことを黒歴史と言っているとか)。

    5)このソウルフルな歌、他の誰かが歌ったのではヒットしなかったのかな。彼女だからヒットしたのかな。彼女の存在がこの歌の価値を際立たせているのだろう。癒される。よくよく聞くとバックの音楽がいい。さまざまな楽器が邪魔にならないし、キチンと歌が聞こえる。歌詞が分かるのである。

    6)心に響いてくる。

    7)他の彼女の曲も何曲か聞いてみたが、この歌が一番良かった。聞きなれているせいもあるだろうし、彼女のキャラクターが一番光っているのだろう。この歌を超える曲がまたまた出て来てヒットするかもな。そうなると、いいね。

     

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    2018/02/14

    「坐禅和讃」 Osho 白隠禅師を語る<4>

    <3>からつづく

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    「坐禅和讃」 Osho 白隠禅師を語る<4>
    スワミ・プレム・ラジヤ/ スワミ・アナンド・ヴィラーゴ/訳 1990/3 瞑想社

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    2018/02/11

    「ブロックチェーン技術の未解決問題」松尾真一郎 他

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    「ブロックチェーン技術の未解決問題」
    松尾真一郎 他  (著) 日経BP社 2018/01 単行本: 216ページ
    No.4151★★★☆☆

    1)最近見知った動きに、ブロックチェーンを語ったマルチ商法がある。それだけブロックチェーンは一般人にも知られる存在になったわけだが、まだまだ目新しい話題なので、関心を集めつつ、実は、よく分かられていない分野なのである。

    2)もうすこし言えば、ブロックチェーンよりも、仮想通貨と言ったほうが一般受けする。仮想通貨を語って、実はマルチ商法を展開しているわけで、しかも投機的なセールストークが展開される。その箔付けのためにブロックチェーンやら、(株式)上場の話で、1万円がすぐにも100万円にもなるような誤解を招かせる。

    3)ああ、まずいだろう。そういう語り商法、私ゃ大嫌いだな。嘘つき! そう罵りたくなる。ことほど左様に、ブロックチェーンはまだまだ問題ありの技術でありながら、新登場した新価値として、詐欺的行動にさえ利用されている。くわばらくわばら。

    4)ブロックチェーンそのものが大きな価値を生み、利益を出しているという報道も多数されているので、その恩恵を大いに受けている人々もいるに違いないのだが、そうなると、それは仮想通貨というより、仮想資産といったほうがよく、通貨としての利便性や、管理者を存在させないという可能性が直接功を奏している、という報道はそれほど多くない。

    5)インターネットの次に来るものとして、ブロックチェーン技術を高く評価する人々も多くいるが、ケヴィン・ケリーのように、かならずしも突出してこのことだけを評価していない人も多いので、当ブログとしては、以前模様眺めである。

    6)新しい技術がその完成度を高めていくにはそれなりの時間とプロセスが必要なので、このような本を、理解できるかどうかはともかくとして、それとなく目を通しておいて、その「未解決問題」がまだまだ存在しているのだ、ということも、キチンと視野に入れておきたい。

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    2018/02/10

    「『ひとり』の哲学」山折 哲雄

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    「『ひとり』の哲学」
    山折 哲雄 (著) 2016/10 出版社: 新潮社 新潮選書 単行本 237ページ
    No.4150

    1)NHKテレビ「こころの時代」~宗教・人生~ 「ひとりゆく思想」山折哲雄、という番組を見た。ふむふむなるほど、と思うところ多かった。でも不可解なところも多かった。その不可解なところが、この書でだいぶ氷塊した。

    2)テレビ番組では触れることのなかった道元や日蓮などついて、かなり大きな柱として触れている。あるいは、彼らがないことにはこの書は成立しないほどだ。

    3)そもそも山折という人の書にほとんど触れたことがない。この度検索してみると、膨大な書があり、とても追っかけなどする気は起こらなかった。追っかけをするタイミングでもなくなっている。

    4)高名なこの方を追っかけしようと思い立たない理由は、きっと、この博学な大学者ぶりにあるかもしれない。この方に何事を反論しようと、すべて言いくるめられてしまうだろう、という嫌悪感がある。めんどくせー。

    5)だから、反論というよりも、まずは断片的な感触だけを記しておく。

    6)親鸞をきっかけとして登場する「悪」。道元などをきっかけとして登場する「無」。どちらも必要とされる。当ブログがやや収斂しつつある道元は、どうも悟りすまして、なにかが不足している気がする。それが「悪」だ。鈴木大拙も西田幾太郎も避けて逃げた「悪」。

    7)OSHOのゾルバ・ザ・ブッダの、ブッダは当然「無」を表すとして、ゾルバこそ「悪」を表しているのではないか。鎌倉時代の教祖たちを引き合いに出すまでもなく、現代社会のマインドフルネスとしては、ゾルバ・ザ・ブッダ、で決まりだろう。少なくとも当ブログとしては、それでOKだ。

    8)ここで著者がしているのは比較宗教学ならぬ、比較教祖学的で、いかにも学者らしい態度だが、そこんところが、逆に彼のネックとなる。後半な知識は、一朝一旦に身に付いたものではなく、生まれから経歴そして高齢となったその生涯の中で、着実に積み上げられたものだ。だからこそ、どこか鼻もちがならない、知識臭がついて回る。

    9)藤田 正勝「日本文化をよむ」 5つのキーワード (2017/08 岩波書店)と併読していると、なかなか興味深い共通点が浮かびあがる。藤田の方は著者自身の個人情報が不足して、やや空論めいてくるが、山折のほうは、逆に個人周辺情報が溢れすぎて、ややウルサイ感じもする。

    10)だが、もともとは、「新潮45」に連載された記事が元となって加筆された本らしいので、読みやすいことは読みやすいのだが、若干読者にこびているような気がしないでもない。この人を好きになるのはどうしたらいいだろう。

    11)外国、アメリカや欧州における禅=ZENの活動風景が、部分的に紹介されているが、そちらのほうに、むしろ興味を惹かれるのはどうしたことだろう。日本の祖師方を徹底的に分析してその有用性を活写しておきながら、結局は現代日本の仏教界を、葬式宗教と切って捨てる。その心意気はよしとする。だが、あなた、あなた自身は、どうするん?

    12)個人、自立、ひとり、といいつつ、その鋭い視線は、現代日本仏教界の、組織宗教性に埋没している人々への批判として注がれているのだろう。もちろん、指導層についても。しかし、この方は、決してアウトサイダーとして、それらを批判しているわけではない。批判できないなら、そんなエエカッコシーをしなくてもいいのにな。

    13)これだけ分かっていつつ、結局、わがハートをぐらぐらと根源から揺さぶってくれないのは、なにゆえなのか?

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    2018/02/08

    「9055 4月始まり NOLTY ポケットカジュアル1(ネイビー)」

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    「9055 4月始まり NOLTY ポケットカジュアル1(ネイビー)」
        日本能率協会

    1)手帳を買った。約30年間、業界対応の専用手帳を使っていたために、他の手帳市場がどうなっているのか、まったく気が付かなかった。今回その業界手帳が廃版となり、あらたなる定番を求める必要が発生したのだ。

    2)まず購入の時期。11月頃から書店などの店頭に並び始める手帳はほぼすべて1月始まり。4月始まりは2月頃になってようやく店頭を飾る。種類もいっぱいあるが、まずはこれまで使い続けてきたタイプにより近いものを探す必要がある。

    3)いろいろ悩んでもしかたない。とにかくサイズで選ぶ。すると売り上げ1位と2位と表示されているタイプがヒットした。なるほど、一般的にはこのサイズなんだな。いままで使ってきたものと値段の大差はない。

    4)1位と2位の差はほとんどない。あえていうなら索引のところがギザギザに切れていて、より複雑な構成のものが2位。シンプルなほうが1位で、その分、値段がちょっとだけ安い。

    5)結局は、売上1位の売れ筋商品を一冊ゲット。まずまずの満足である。

    6)大きさがほぼ同じであること。厚さがほぼ同じであること。それと、巻末に年齢早見表がついているのがいい。これは必要である。それと、大安とか仏滅とかいう六曜、これも実は必要。崩れてきたとはいうものの、まず友引に葬式を上げるところは少ない。大安の日曜日となると、結構行事がはいる。

    7)さらには、後半のグラフや白紙の部分が多いところが良い。咄嗟の時にメモ用紙がなくて困ることがある。白紙の部分であれば、走り書きも可能だ。しおりの紐も二本ついているのは、なるほどなぁ、と思う。いままでは一本しかついていなかった。それで特段に困ったということはなかったが、二本あれば、それなりに使い道はある。

    8)かんたんな仕組みだが、ペンフォルダーがついているのもいい。いちいちペンを探さなくてはならない時もおおい。特に私のようなせっかちな人間は、手元にペンを持っていないことも多い。ちいさなペンをここに備えておけばいいのだ。

    9)あえてマイナス点を言えば、表紙はブラックが良かったのだが、店頭にはネイビーブルーしかなかった。それと、一週間が月曜始まりであること。いままでは日曜日始まりを使ってきたので、ちょっと使い勝手で慣れるまで時間がかかりそう。

    10)考えてみれば、土日と連続してつづく行事も多いのだから、月曜始まりで、土日で終わるのが能率的であるのかもしれない。

    11)それと、ひと月の区切りに空白がない。一週間の中で、月の区別がなく、一ページにつながっている。これはそれでもいいのかもしれないが、一か月単位でものごとを考えてきた業界人としては、ちょっと違和感を感じそう。

    12)まぁ、それにしてもまずまずである。とにかく手帳がないことには仕事はできない。todoリストなど、ITアプリでもあることはあるが、面倒だし、誰かに見られることもありうる。ネットで共有なんて気は私にはサラサラない。

    13)手頃なサイズでポケットに入れやすく、なくさない程度に側にいつもいてくれる相棒が必要なのである。

    14)来年以降もこの型式をものを使っていく予定。うまく順応してくれるかな?

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    「ニュー・アース」 エックハルト トール <6>

    <5>からつづく 

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    「ニュー・アース」意識が変わる 世界が変わる <6>
    エックハルト・トール (著),    吉田 利子 (翻訳) 2008/10 サンマーク出版 ハードカバー 336ページ

    1)このニュース、どこに書こうか考えたが、ここに記しておくことにする。

    2)「地球人のためのスピリチュアルレッスン VastStillness」YouTube チャンネルクローズのお知らせ。なにか意味ありげなニュースである。

    3)地球人のためのスピリチュアルレッスンVastStillnessでは、2010年2月より約8年間の間YouTubeチャンネルを通して、世界的に著名な賢者・マスターたちの悟り・真理の教えに日本語字幕をつけた動画を配信してきました。アップした動画は500本以上、チャンネル登録者も42000名となり、日々これらの動画はどなたかの目に触れ、魂に触れ、意識の目覚めに作用する働きを続けてきました。しかし、この度2018年2月1日を持ちまして当チャンネルのアカウントはYouTubeより停止処分を受け、クローズされることになりました。今日は、この件に関するご報告と今後の活動について、簡単にお伝えしたいと思います。HPから

    4)このサイトに興味を持ったのは、友人がSNSで紹介していたから。それはサイトというよりエックハルト・トールの講話の紹介だった。その時、このサイトが当ブログと近似なタイトルを持っているな、と感じた。当ブログは2006年3月スタートだから、イメージとしてはこちらが元祖となる(笑) 別に真似されても構わない、登録商標でもないのだから(爆) どこか親近感を持っていたのはたしか。

    5)詳しくはアクセスしたことないが、どうやら中年のアメリカ帰りの女性が、あちこちのスピリチュアル・マスターたちの講話動画を探してきて、お得意の翻訳の文字幕をつけてアップしている。しかもそれを見た視聴者を中心に参加者を募集したセミナーなどを行っているようにも思える。

    6)それはそれで構わないのだが、ただ、私自身はエックハルト・トール以外のマスターたちの動画をそれほど面白いと思ってみたことはない。まぁ、そういう試みもあるのか、という程度で、長く時間を割いたことはない。

    7)2016年の秋、バシャールの動画が約100本以上全面的に削除されるということがあり、またこの8年間の間には、著作権の厳しいOSHOの動画削除を始め、他にも数十本は削除されてきていましたが、それでも成り行きにまかせて、その時々「これだ!」と思う動画を選び配信し続けてきました。著作権に関しては、できる範囲でオリジナル動画のYouTuberさまへ連絡をし許可あるいは事後報告をしてきましたが、ここ数年間は、個人的同意では済まない厳しいコンピューターのチェックが入り、今回のような結果となりました。HPから 

    8)ここにOSHOという単語が飛び込んできて、なるほど~、と考えた。

    9)当ブログにおいては、動画を独自でアップすることも、Youtubeを張り付けることも少ないが、4000冊以上の本の表紙を張り付けている。ほとんどはアフェリエイト付きの版元公認の画像だからなのか、これまで同種のクレームは一件もない。それほどアクセス数が多くないからかもしれない。

    10)もちろんOSHOの動画も多種張り付けてきたが、動画削除などのクレームなどはあるわけはない。とりあえずOSHOのサニヤシンであり、OSHOセンターの活動の一種のニュアンスの中で活動しているわけだから、容認の範囲にあるのだろうか。

    11)ただ、「地球人のためのスピリチュアルレッスン VastStillness」の中にOSHO動画が他のマスターたちと並列されているのを見たら、私自身はあまり気持ちのいいものではない。私自身にとっては、誰か、他のなにかと並列されてしかるべき存在だとは思えないからである。

    12)しかし、これは予期せぬ出来事ではなく、常に「その時」と隣り合わせであることを受け入れつつやってきた行動の行き着いたひとつの分岐点です。実際、バシャールの動画が多く削除された時点で、Youtubeによる字幕付き動画配信の限界、強い制約を感じ、いつかは全部消えてなくなる時が来ると思っていましたので、今「その時」が来たのです。ですから、今回のアカウント停止は、「うすうす感じ取っていた変化」が明確な形・出来事としても現れてきたということです。HPから 

    13)スピリチュアル・マーケットのウィンドウ・ショッピングをどこまで続けるのか。旅行代理店の店頭で、いつまでパンフレット集めをしているのか。それはそれで個人差があり、趣味性もあるので、一概に批判されるべきことではない。しかし、通常なら、いずれ飽きてくるのだ。おなかも空いてくるだろう。今日のランチはこれだ、と一品決定せざるを得なくなるのは当然だ。

    14)他のメニューについては知らないが、ことOSHOについては、他の品目と並列しておくことに危険性を感じないわけではない。そのものが危険ということではないのだが、例えば、北半球と南半球の二つの目的地のトラベル・カタログを見続けて、どこにも行けない可能性もないとは言えないからだ。どこにも行かない、という結論もあるが、それは自己の深まりを示しているとは言えないことも多い。

    15)返す刀で我が身を思うに、それは、私自身が当ブログに対する評価でもあるべきだ。最近そろそろ「地球人スピリット・ジャーナル」というタイトルは終わりだな、とたびたび痛感することと無縁ではあるまい。

    16)正直言って、当該HPサイトに特段の思い入れがあるわけではないが、時期が時期だっただけに、他山の石として、我が身を振り返る、いいシンクロニシティを呼んでくれたと思う。

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    2018/02/07

    「禅宣言」 OSHO<14>

    <13>からつづく

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    「禅宣言」<14>
     OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03  市民出版社 単行本 541p

    1)西洋と東洋が対峙するために、まずは日本文化をまとめようとか、禅をマインドフルネスと呼び直して、まずは間口を広めようとか、他の精神的潮流と比較検討してみようとか、その手の試みは、少なくとも当グログでは、もう必要ない。必要ないというより、もはや手遅れ、というべきか。

    2)落ち着くべき地点に落ちてきたというべきだろう。そもそもの予定通りの結果である。

    3)2006年に地球人スピリット・ジャーナルとしてスタートした当ブログもいよいよ本格的な終焉を迎えている。継続すべきは把不住述懐としてプレスタート済みである。

    4)必ずしも十全ではなかった、当ブログにおける禅も、次第次第に姿を整えつつある。あとは、それぞれに時期が来るのを待つだけである。

    5)カテゴリ名も、そろそろMindfulness in the modern worldから把不住述懐に移動しつつある。

    6)AIとかシンギュラリテイとかは、借景としては面白い。おおいに楽しみたい。されど、すでに動かないものは動かない。

    7)いよいよクリスタライゼーションが始まる。そして、連続的なブロッサム。連続的な開花。

    8)震災から7年が経過した。このタイミングを大いなるきっかけとしたい。

    9)7年サイクルのほぼ最後の仕上げ。

    10)把不住述懐

    <15>につづく

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    「日本文化をよむ」 5つのキーワード 藤田 正勝<4>

    <3>からつづく

     

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    「日本文化をよむ」 5つのキーワード <4>
    藤田 正勝 (著) 2017/08 岩波書店 新書: 224ページ
    ★★★★★

    1)NHKテレビ「こころの時代」~宗教・人生~ 「ひとりゆく思想」山折哲雄、という番組を見た。ふむふむなるほど、と思うところ多かった。

    2)結局、日本の宗教者たちは晩年の最後になると、親鸞に集約していくことが多い。山折もまたこの番組において、多く親鸞に触れる。法然、一遍、西行などにも触れるが、深く親鸞を語る。

    3)西行、親鸞、芭蕉、あるいは、西田幾太郎にも話は及ぶが、弥陀の本願、親鸞と同じ86歳となった山折は、深く親鸞に触れる。

    4)彼は確か、日本山妙法寺山主の藤井日達上人の伝記をまとめた人だったと思っていたが、ここでは南無妙法蓮華経はでてこない。ひたすら南無阿弥陀仏だ。ふむふむ。

    5)しかし、結局は、無であるという。空ではなく、無であると。

     

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    6)現在の当ブログの心情を一文字としてあらわすなら、今のところ、禅、しかない。南無妙法蓮華経でも、南無阿弥陀仏でも、無、でも、空でもないだろう。おそらく、これは世界語としては通じない。

    7)世界語としてはZENなら通じる。しかもそこには方法論が含まれている。日本文化、日本精神に最後の最後まで拘泥するのではなく、地球人スピリットの究極としては、ZENがふさわしい。

    8)もちろんMindfulnessも決して排除するものではない。その意味が概略的に通じるならそれでいい。されど、Mindfulnessはまだまだ世界語にはなっていない。すくなくとも、東洋では言葉としてその意味を網羅的には言い表していない。

    9)藤田正勝、山折哲雄、それぞれに、西行→親鸞→芭蕉→西田幾多郎に触れていることは興味深い。おそらく、この線は崩れない。されど、少なくとも山折は、この番組では道元、禅には触れていない。

    10)もっとも山折は単独で道元を語った本もあるので、まったく視野に入っていないわけではない。あらためて見て見れば、膨大な著述物がある山折である。それは当然であろうが、日本文化ではなく、地球文化、人類精神に開くとするなら、親鸞=南無阿弥陀仏では、弱い。

    11)ZENでなくてはならない。当ブログは当面、その路線でいく。

     

    <5>につづく

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    2018/02/05

    「青葉の散歩手帖」―高松から定義までの史跡を訪ねて木村 孝文

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    「青葉の散歩手帖」―高松から定義までの史跡を訪ねて
    木村 孝文 (著) 2002/02 出版社: 宝文堂 単行本 254ページ
    No.4149★★★★☆

    1)太白区につづいて、青葉区についてもある。なんと、聞けば、若林区、泉区についてもあるらしい。4冊シリーズ。ああ、これは、現在の段階ではギブアップだな。全部目を通したりしたら、ヘタすりゃ、わが記憶容量は完全オーバーフローし、廃棄処分が必要になるかもしれない。

    2)これは再読するチャンスをキチンと精確に設定しないと、トンデモないことになるぞ。ある意味、それぞれの地元の人々にとっては常識的なことなのだろうが、これを網羅的に俯瞰することなど不可能。

    3)とにかく縁のあるところから、断片的に、ちょこちょこ手を付けていくに限るな。当ブログ的には読み進めることはできない。行きすがりのモノ好きな好奇心など、一気にぶっ壊してしまう危険なシリーズである。くわばら、くわばら。

    4)出直します _| ̄|○

    つづく

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    「太白の散歩手帖」郡山から二口までの史跡を訪ねて 木村孝文<1>

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    「太白の散歩手帖」郡山から二口までの史跡を訪ねて<1>
    木村 孝文 (著) 2001/03 出版社: 宝文堂 単行本: 200ページ
    No.4148★★★★★

    1)「こんな本あるよ」と家族が教えてくれた一冊。へぇ~こんな本があるのか。しかも中学校図書館に。出版社は地元の宝文堂。たしか、閉店か倒産かしたのだった。入手もなかなか難しくなったのかな。

    2)一読しようと思ったが、一読できない。完全にどのページでもストップする。この本まるまんま暗記する必要がある。抜き書きしようと思ったが、そうするなら、全ページ抜き書きしなければならない。

    3)せめて気になったページを画像で残そうかな、と思ったが、それも無理。これはまるまんま一冊手元において、事あるごとに参考していくに限る。

    4)すでに十数年前に出版された本。書いた人は1922年生まれの男性。生存されているとすれば、すでに90歳代後半。かなり時代がズレているかな、と危惧したが、トンデモない。きわめて今日的に書き綴られている。

    5)これは再読必死。

    <2>につづく

     

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    2018/02/04

    「Journal of Financial Planning」特集 フィンテックが変える 金融とFPの未来<5>

    <4>からつづく

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    「Journal of Financial Planning」特集 フィンテックが変える 金融とFPの未来<3>
    日本版FPジャーナル 2016年9月号(第200号) 日本ファイナンシャル・プランナーズ協会 会報 p96
    ★★★★☆

    〇LINE使ってる?

    ☆LINEを登録したのは早いよ。だいぶ前だ。だが、どうもシステム的に好きになれない部分があるし、それに必要ないからね。

    〇LINEは最初韓国から始まって、最初は何百万だかの登録料を払って始めたそうだね。ところが今や、その人たちは毎月何百万というバックがあるらしい。

    ☆ふ~ん。IT社会ではそういうことはいくつか聞くよね。だが、もうかっている人はごくごく一部でしょう。我々のところに来るときには、もうそういううまみはなくなっている。

    〇現在でもそういう話はいろいろあるんだよね。

    ☆そういえば、去年話のあったク〇ーバーコインはどうなった? 

    〇そうそう、あの繋がりで新しい話が影で始まっているんだよね。

    ☆(業務停止命令をくらって、口座も凍結されて、まだ懲りていないのかな~)あの時、私が参加したら、私は大損したよね。

    〇そう? 出資した分を返金してもらえばいいだけでしょう。私たちは、税金を何百万ほど払わなくてはならないくらいバックはあるよ。

    ☆(ふ~ん、うそだかほんとだか調べようがない)。基本、私は最初から参加する気はないけどね。そもそもあれはブロックチェーンではないよね。コインを語ったマルチ販売だよ。その収入はブロックチェーンのもうけではなく、早い話がネズミ講だよ。

    〇ネットなんかじゃ詐欺だとかパッシングされているが、じゃぁ、誰が損したんだろう? 損した人なんかいないんじゃない。

    ☆ブロックチェーンには興味あるけど、ねずみ講には触りたくないんだ。誰にも紹介したくないし、そもそも、そういうことに携わっているというだけで、私は周囲の信頼を失う。

    〇自分はそういうこと最近この2年くらい前に知っただけで、よくわからないことは多いんだよなぁ。

    ☆あれはコインと言っているけど、仮想通貨じゃないよ。自社のHPでポイントと言い直しているけど、とにかく他の仮想通貨のイメージを借りているだけで、語り商法だと思う。そもそも現在の仮想通貨といわれているものも、仮想資産と言ったほうがいいようで、使うというより、投資的感覚で携わっている人おおいよなぁ。

    〇確かに。でもそれもいいんじゃない。

    ☆アントニオ・ネグリ+マイケル・ハートは「<帝国>」(2003以文社)の中で、<帝国>に対峙するべきマルチチュードは、自ら憲法と武器と貨幣を獲得すべきだと語っている。そういう意味では、私は貨幣にも関心を持っている。

    〇なるほど面白いね。武器については、よくわからないけど。

    ☆やがて国家を超えていかなければ人類の未来はないわけだけど、バランスのいい中で、貨幣の可能性のひとつとしてブロックチェーンを見ているよ。ダイレクトにビットコインに象徴されるような現在の仮想通貨ってわけじゃないけど。

    〇ク〇-バーコインも今月2月15日に上場されれば、通貨として流通するようになるよ。

    ☆そういう曖昧な言葉づかいは私たちFPは許されない。上場って、どういうこと? 業務停止を食らって、口座を凍結されている団体が株式上場できるわけないじゃない。

    〇株式上場なんて言ってないよ。マーケットキャップに上場される、ってことだよ。

    ☆ほらほら、そういう曖昧な言葉遣いが危ない危ない。人に誤解をさせるような言い方が多すぎる。そもそもマーケットキャップなんて言葉は一般的じゃないし、仮にそのリストにアップされたからと言って、ク〇ーバーポイントの価値が100倍も上がるわけがないじゃない。そういうセールストークは危ないよ。

    〇ああ、そうかもしれないね。

    ☆私は早いものは好きで、ブロックチェーンも、仮想通貨もだいぶ前から関心を持って見つめている。だが、自分が飛びつくのはずっと後なんだ。決して衝動買いはしない。レイトアダプターの位置づけだよ。それでいい。

    〇なるほどね。結局、金もうけは金が好きな人のところに集まってくる。

    ☆ケビン・ケリーは「<インターネット>の次に来るもの」 (2016/07 NHK出版)の中で、結局は、今ある最先端のものを取り入れて、自らのものにしていくことでしか、未来は見えてこないと言っている。そういった意味においてはブロックチェーンも受け入れている必要が発生するんだけど、最先端のものはそのことだけじゃない。彼は他に十数個のテーマを上げている。その一つとしてブロックチェーンも考えていく必要はある。

    〇この年になって、まもなく67歳になるけど、自分がこんなことに熱くなるなんて数年前までは思っても見なかったよ。出会いがそうさせたんだな。人生に熱くなれることがあることはうれしい。

    ☆それは良かったね。お互いまだまだ人生は長い。

    〇また、そのうち会いたいね。

    ☆そうだね。なんかまた楽しいことがあったら、教えて頂戴。またね。

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    2018/02/01

    「日本文化をよむ」 5つのキーワード 藤田 正勝<3>

    <2>からつづく 

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    「日本文化をよむ」 5つのキーワード <3>
    藤田 正勝 (著) 2017/08 岩波書店 新書: 224ページ
    ★★★★★

    1)ふと思った。この本を読むことと、OSHO「私が愛した本」1992/12 OEJ)を読むことは、ある意味類似している。あるいは極めて類似している。あるいは、対峙し、互いに内包し、反発し、否定し合い、相図形を成し、あるいは、まったく異次元、ねじれの位置関係を維持することさえできる。

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    2)類似点。まず互いに世界精神を信じていること。そして自らの地域性を熟知していること。OSHOは一気に世界精神の地点から人類史を俯瞰する。藤田は世界精神を誕生させるために自らの地点を日本の歴史に立脚点を見つめ、来るべき世界精神に対峙させる。

    3)まったくの相違点。OSHOは自らを語り、自らの視点からずれようとしない。藤田は、自らの生身の人間性をさらけ出さず、ひたすら対象物としての、日本文化に焦点を当て続ける。

    4)相図点。互いに歴史上の著作物を中心としながらも、それを生み出した人間像に迫る。そして、その精神性に共通項を見つめようとする。しかし、OSHOは最初から地球大の精神性を俯瞰するのにも関わらず、藤田はまずは日本列島に退却する。しかもわずか1300年ほどの時空間にとどめる。

    5)対峙点。何のためにそれぞれの書を表したか。OSHOは、独り言として、あるいは少数の弟子たちのためのつぶやきとして、無造作に語る。藤田は、世界に向けて、何かの大きなものに組み込まれtがるかのようなインターフェイスを含ませながら思考する。

    6)補完しあう点。OSHOのつぶやきはある意味杜撰。あまりにも大雑把なイメージをつぶやいているに過ぎない。日本文化さえ含んでいる内容も、インスピレーションに富んではいるが、十分とは言えない。対する藤田は、日本文化に対して、精緻かつ慧眼なポイントを摘出しまとめ上げている。ただ、藤田の世界精神については、(おそらくは)次書を待たなければならない。これは序章であり、試論に過ぎない。世界精神についてはOSHOのビジョンが役立つだろう。

    7)まったくねじれている点。OSHOは結局は外側の世界についてはある意味放棄している。責任を取らない。藤田は対象物の内面を語りつつ、自らの内面は語らない。むしろ世界精神、世界文化の未来に向けての提言をしたがっている。

    8)つまり、当ブログにおいて、この二冊の本を読み進めるにあたって、OSHOと藤田が手を取り合うことなどは別段に期待していない。むしろ、私自身が私自身の表現物としての当ブログの中で、際立って起立しあい、際立ちあって、融合し、互いの起爆剤となって、わが内なるものに刺激をあたえてくれるものであれば納得できる。

    <4>につづく

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