「『ひとり』の哲学」山折 哲雄
「『ひとり』の哲学」
山折 哲雄 (著) 2016/10 出版社: 新潮社 新潮選書 単行本 237ページ
No.4150★★★★★
1)NHKテレビ「こころの時代」~宗教・人生~ 「ひとりゆく思想」山折哲雄、という番組を見た。ふむふむなるほど、と思うところ多かった。でも不可解なところも多かった。その不可解なところが、この書でだいぶ氷塊した。
2)テレビ番組では触れることのなかった道元や日蓮などついて、かなり大きな柱として触れている。あるいは、彼らがないことにはこの書は成立しないほどだ。
3)そもそも山折という人の書にほとんど触れたことがない。この度検索してみると、膨大な書があり、とても追っかけなどする気は起こらなかった。追っかけをするタイミングでもなくなっている。
4)高名なこの方を追っかけしようと思い立たない理由は、きっと、この博学な大学者ぶりにあるかもしれない。この方に何事を反論しようと、すべて言いくるめられてしまうだろう、という嫌悪感がある。めんどくせー。
5)だから、反論というよりも、まずは断片的な感触だけを記しておく。
6)親鸞をきっかけとして登場する「悪」。道元などをきっかけとして登場する「無」。どちらも必要とされる。当ブログがやや収斂しつつある道元は、どうも悟りすまして、なにかが不足している気がする。それが「悪」だ。鈴木大拙も西田幾太郎も避けて逃げた「悪」。
7)OSHOのゾルバ・ザ・ブッダの、ブッダは当然「無」を表すとして、ゾルバこそ「悪」を表しているのではないか。鎌倉時代の教祖たちを引き合いに出すまでもなく、現代社会のマインドフルネスとしては、ゾルバ・ザ・ブッダ、で決まりだろう。少なくとも当ブログとしては、それでOKだ。
8)ここで著者がしているのは比較宗教学ならぬ、比較教祖学的で、いかにも学者らしい態度だが、そこんところが、逆に彼のネックとなる。後半な知識は、一朝一旦に身に付いたものではなく、生まれから経歴そして高齢となったその生涯の中で、着実に積み上げられたものだ。だからこそ、どこか鼻もちがならない、知識臭がついて回る。
9)藤田 正勝「日本文化をよむ」 5つのキーワード (2017/08 岩波書店)と併読していると、なかなか興味深い共通点が浮かびあがる。藤田の方は著者自身の個人情報が不足して、やや空論めいてくるが、山折のほうは、逆に個人周辺情報が溢れすぎて、ややウルサイ感じもする。
10)だが、もともとは、「新潮45」に連載された記事が元となって加筆された本らしいので、読みやすいことは読みやすいのだが、若干読者にこびているような気がしないでもない。この人を好きになるのはどうしたらいいだろう。
11)外国、アメリカや欧州における禅=ZENの活動風景が、部分的に紹介されているが、そちらのほうに、むしろ興味を惹かれるのはどうしたことだろう。日本の祖師方を徹底的に分析してその有用性を活写しておきながら、結局は現代日本の仏教界を、葬式宗教と切って捨てる。その心意気はよしとする。だが、あなた、あなた自身は、どうするん?
12)個人、自立、ひとり、といいつつ、その鋭い視線は、現代日本仏教界の、組織宗教性に埋没している人々への批判として注がれているのだろう。もちろん、指導層についても。しかし、この方は、決してアウトサイダーとして、それらを批判しているわけではない。批判できないなら、そんなエエカッコシーをしなくてもいいのにな。
13)これだけ分かっていつつ、結局、わがハートをぐらぐらと根源から揺さぶってくれないのは、なにゆえなのか?
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