「一流の老人」山﨑 武也 (著)
「一流の老人」
山﨑 武也 (著) 2018/01 出版社: 幻冬舎 単行本: 229ページ
No.4160★★★☆☆
1)昨日、小中学校の同級生の葬儀に参列してきた。同級生同士でのカップルだっただけに、もっと同級生が参列しているかな、と思ったが、私が判別できたのは100人の中の数人。その友人たちの顔も、正直言って、しわだらけだったり、白髪だったり、後ろ姿がやや曲がっていたりで、う~~ん、老人だなぁ、と思った。
2)会葬御礼のハガキを見て、びっくり。享年が書いてある。え~、そんな年齢になっていたの? って、同級生ゆえ、自分だって、その年齢なのだ。立派な老人じゃないか!
3)立派な老人、とはどういうことなのだろう。派を立てたわけだから、派閥の長みたいな人生を意味しているのだろうか。それとも、自分はまだ老人とは思っていないのに、すでにキチンとした老人の範疇に嵌っていた、ということなのだろうか。多分後者だろう。
4)「立派な老人」と「一流の老人」は、どのように違うのだろう。立派な老人、という場合、老人という言葉には、多少のマイナス要素を引きずっているように思われる。老人にはなりたくない、老人とは認めたくない、老人とは言わせない。そんなボーダーラインがあるようなのだ。
5)では、一流の老人とはなんだろう。二流、三流の老人、なんているんだろうか。老人という場合、ここでは、なにか老人の中にプラス要素を見つけているようだ。そのプラス要素を徹底的に磨いた人を、一流の老人というに違いない。きっとそうだろう。
6)この立派と一流の対比において、例えば、立派な病人VS一流の病人、なんて図式が成立するかもしれない。立派なひきこもりVS一流のひきこもり、なんてのはどうだろう。りっぱな泥棒(行為)VS一流の泥棒、なんてのはどうだろう。
7)こうしてみると、老人という言葉には、それほど大きな付加価値はなさそうだ。だが、そもそもピカピカの言葉ではなくて、やや常にマイナス要素を含んでいるようである。それをどう認知し、あるいは磨いていくのか。
8)一流の老人、と言った場合、当ブログでは、いわゆる「レムリアの古老」を思い出す。こここそが、当ブログの理想形である。はてさて、レムリアの古老VS一流の老人、という図式は成立するだろうか。
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9)読み終わって見れば、特段にめずらしいことが書いてあるわけではない。1935年に広島で生まれた東大卒の、元ビジネスコンサルタントが、平均寿命より(ということは80代なかば)長寿となって、何事かを書かれている、ということである
10)それを一流というかどうかわからないが、多数ある著書の中には「一流の条件」や「一流のマナー 二流のルール 三流の不作法」というタイトルの本もあるので、この人のキャッチフレーズが「一流」なのかもしれない。
11)かと言って、この本だからこそ知り得た、というものはほとんどない。むしろスギ様のあの歌のほうが勝っているのではないか、と、二流OK、三流満足の当ブログとしては、ひとり思うのである。
12)考えてみれば、いつの間にか当ブログもこの手の本を手に取ることが多くなった。これまでも類書をずいぶん書き込んできたのではないだろうか。そのうち、見直して、一覧リストでも作ってみようかな。
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