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2018年4月の50件の記事

2018/04/30

「パソコン最強購入ガイド 2018」100%ムックシリーズ<3>

<2>からつづく

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「パソコン最強購入ガイド 2018」<3>
(100%ムックシリーズ)2018/03 出版社: 晋遊舎 ムック 97ページ
★★★★☆

1)IBMブランド時代のシンクパットを使っていたのは、別に好きだったからだけではなく、単に仕事用のお仕着せだったからだ。が、それでも、何年か使っていれば、愛着がわくもので、あれはあれでよかった。

2)だが、すでにIBMはPCから撤退して10数年、今じゃそのブランドは中国製となり、しかも同程度の機種がレノボブランドになってしまった。

3)都市伝説ではあるが、中国製PCはセキュリティにおいて難があるとか、ないとか、の噂をずっと前に聞いた気がする。本当のところはどうなのだろう。

4)HPに比べたら、リーズナブルに思えるが、質感はどうなのだろう。

5)この手のPCは他に何があるんだろう。

<4>につづく

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「パソコン最強購入ガイド 2018」100%ムックシリーズ<2>

<1>からつづく

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「パソコン最強購入ガイド 2018」<2>
(100%ムックシリーズ)2018/03 出版社: 晋遊舎 ムック 97ページ
★★★★☆

1)これがいいかなぁ。なんの拍子にか広告のサイトをクリックしたら、やたらと同じ広告が連続する。これってネット広告の仕組みだからしかたないが、ちょっとからかって、毎回毎回クリックしてやっていたら、もう、毎日狂ったように出て来る(爆)。

2)実際に手にとってみて、あとは値段と大きさと重さと、ブランドの整合性と、いろいろチェックがあるが、くれるというなら、ハイいただきます。

3)これとまずは比較すべきは、ダイナブックのヨガとかいうシリーズだが、とにかく、質感、使用感、タイミング。最後の最後までいくまでには、もうちょっと時間がかかるよ。いろいろ悩んでみるのも、楽しいよね。

<3>につづく

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OSHO ZEN TAROT COMPLETION(完成)

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OSHO ZEN TAROT 

21. COMPLETION(完成) 

 ものごとを最後まで言わないこと——これが禅のやり方だ。これは理解されなければならない。ひじょうに意義深い方法論だ。すべてを言わないということには、聞き手にそれを完成させる機会を与えるという意味がある。

 答えはすべて未完成だ。マスターはあなたにただ方向を与えているだけだ……。あなたが行き着くところにまで行き着いてしまえば、なにが手元に残ったのかがわかるだろう。

 だから、たとえ誰かが禅を知的に理解しようとしても、失敗することになる。それは問いに対する答えではなく、答え以上のなにかだ。それは現実(リアリティ) そのものを指し示している……。

 仏性は遠くにあるなにかではない——あなたの意識そのものが仏性だ。そして、あなたの意識は、世界を成り立たせているものごとをその場で見ることができる。
世界は終わっても、鏡は残る——なにもないことを映しながら
Osho Joshu: The Lion's Roar Chapter 5

解説:

 ジグソーパズルの最後のひとかけが、しかるべき場所、第三の眼の位置、内なる洞察の場に置かれようとしています。果てしなく変化する生の流れのなかにあってすら、これで完成というポイントに行き着く瞬間がときにはあります。

 こうした瞬間に、私たちは絵全体を、長いあいだ気になっていた小さな断片すべてが組み合わされた全体像を読み取ることができるのです。

 仕上げてしまったら、私たちにできることは、この状況が終わることは望んでいないので絶望してしまうか、それとも、感謝して、生には多くの終わりと多くの新しい始まりがあるという事実を受け容れるか、そのどちらかです。

 なんであれ、これまであなたが時間とエネルギーを注いできたそのすべてが、今、終わろうとしています。それを完成させることで、あなたは新しいなにかが始まるためのスペースをきれいにかたづけて準備することになるのです。

 この間合いを両方に——古いものの終わりと新しいものの到来を祝うことに使いましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

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「永平広録を読む」 澤木 興道<2>

<1>からつづく

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「永平広録を読む」<2>
澤木 興道 (著) 2010/05 大法輪閣 単行本: 341ページ
★★★★☆

1)なんとか読み始めようとして、10数ページ来たが、どうだかなぁ。読み物として面白くないわけではない。これはこれでいいだろう。だが、これを私の道とするとなるとどうだろう。それは無理だろう。まったく無理だ。

2)この人、曹洞宗の人だったのか。どちらかというと臨済宗のイメージがあったのだが、どうも違う。道元は道元でそれでいい。峻厳だが、道元だから、と許してしまう(笑)。なのになのに、澤木興道という人は、道元ひいきで、道元一辺倒で、あまりにもひいきのひいき倒しなのではないか?

3)これでは、戦争と禅、などと揶揄される禅の宗教性そのものではないか。女性性など、まるでぶっ飛んでいるかに見える。

4)西洋文化にZENとして溶け込んでいく21世紀のZENなどとはとても言えないだろう。1880年6月16日 - 1965年12月21日、昭和を代表する日本の曹洞宗の僧侶である、との紹介だが、1870年11月11日(明治3年10月18日) - 1966年(昭和41年)7月12日)の鈴木大拙などと比較しても、あまりにもイメージが凄すぎる。

5)ボーディダルマとか、他の禅僧などと比較すれば、これはこれでありうるのだろうが、少なくとも、21世紀になってもまだ生きていて、日本の伝統も大切だが、地球人スピリットがもっと大事、などと思っている当ブログにとっては、ちょっと距離がありすぎるのではないだろうか。

6)まだまだ数ページ読んだだけで、そんなに結論づけることはないだろうが、だが、ここらあたりで、よほど好感が湧いてこないと、ここから読む進めることはできないよ。

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2018/04/29

OSHO ZEN TAROT GUIDENCE(ガイダンス)

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OSHO ZEN TAROT 

70. GUIDENCE(ガイダンス)

 あなたがガイダンスを求めなければならないのは、自分の内なるガイドは自分の内側に隠されていることを知らないからだ。あなたはその内なるガイドを見つけださなければならない。それこそ、あなたの観照と私が呼ぶものだ。

 それこそ、あなたの"ダルマ"と私が呼ぶものだ。それこそ、あなたにもともと内在するブッダと私が呼ぶものだ。あなたはそのブッダを目覚めさせなければならない。そうすれば、あなたの生は祝福を、恩恵を降らせるようになる。

 あなたの生は善きことで、神々しさで、素晴らしく輝きを放つようになる。あなたの想像をはるかに超えて——。それはほとんど光のようだ。あなたの部屋は暗い。ちょっと光を持ち込むがいい。小さな蝋燭(ろうそく) ですら役に立つ。

 それで暗闇全体が消える。そして、いったん蝋燭を手にしたら、どこに扉があるのかわかる。「扉はどこだろう?」と考えなくていい。扉はどこだろうと考えるのは、目の見えない人たちだけだ。目のある人たちは、光がそこにあるのだから、考えたりしない。

 「扉はどこだろう」と、一度でも考えたことがあるかね? あなたはただ起き上がって、出ていくだけだ。どこに扉があるのか、少しも考えない。扉を探して手さぐりしはじめたり、壁に頭をぶつけだしたりしない。あなたはただ見るだけだ。そして、思考のかすかな動きすらない。あなたはただ出ていくだけだ。
Osho God is Dead: Now Zen is the Only Living Truth Chapter 7

解説:

 このカードの虹色の翼をもつ天使の像は、私たちひとりひとりが内側に宿しているガイドを表わしています。このガイドがやって来ても、私たちは背後にいる二番目の人物のように、少し信頼が欠けてしまうことが時々あります。それは、私たちが内側からではなく外側からきっかけをつかむことに慣れてしまっているからです。

 あなた自身のもっとも深い実存の真理が、まさに今どこに行けばいいのかをあなたに示そうとしています。そして、このカードが現われたときは、あなたは与えられている内なるガイダンスを信頼することを意味しています。それは囁くように話しかけ、時として私たちは、正しく理解したかどうかわからずに、躊躇してしまうこともあります。

 それでも、示されていることははっきりしています。内なるガイドに従うことで、あなたはもっと全体的な感じが、もっと統合された感じがしてきます。まるで自分の実存の中心そのものから外に向かって動いているかのように——。もし、あなたがそれと共に進んだら、この光線が、あなたの行く必要のあるところへ正確に連れていってくれるでしょう。
Copyright © 2012 Osho International Foundation

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「永平広録を読む」 澤木 興道<1>

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「永平広録を読む」<1>
澤木 興道 (著) 2010/05 大法輪閣 単行本: 341ページ
No.4184★★★★☆

1)近くの禅寺に参禅するようになって一年が経過した。月一回の早朝坐禅と、みんなの寺子屋での土曜午後坐禅。月二回だが私の大事な暮らしのリズムになってきた。この間、休まざるを得なかったのは一回だけ。割と参加率はよい。

2)本寺の書棚には、飯沼勇義の「知られざる中世の仙台地方」があったのには、我が意を得たりと思ったが、寺子屋のほうでも、さりげなく待合にいつも数冊の本がおいてある。別段にお勧め、というほどでもないのであろうが、じつに素晴らしいインテリアになっている。

3)先週は、澤木興道師の新刊本がさりげなく一冊カウンターにおいてあった。澤木興道。ビックネームである。禅をたしなもうとするのなら、おそらくこの方の名前を聞くチャンスは何度も訪れるに違いない。

4)とはいうものの、よく分かっていない。特に当ブログにおいてはまったく触れてはこなかった。伝統禅と、新しい時代のOSHO禅の違い、という衒いもあり、古臭く見えるようなものは避けてきた、というべきか。

5)されど、アラ還も過ぎてしまった私も、すでに古臭い人間の部類になってきた。そうそう古臭いものを嫌うものでもない。このあたりに何らかの活路を見つけていくのも悪くないのではないか。

6)早速、その新刊本をわが図書館に見つけようとしたが、残念ながらなかった。まだ未入庫である。もっともすでに50年前以上に亡くなられた方である。新刊と言っても、古書の焼き直しとか、復刊であったりするだろう。いずれそちらも読むとして、今回は、何十冊もあるこの方の著書の新し目の一冊をとりよせてみた。

7)ハマれば一冊に留まらず、追っかけが始まるだろう。まずは一冊、お試しである。

<2>につづく

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「イラスト やさしい家庭菜園」板木 利隆<1>

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「イラスト やさしい家庭菜園」<1>
板木 利隆   (著) 1987/01 家の光協会 単行本: 182ページ
No.4183★★★★☆

1)わが業界人T氏は、10数年前に、体調を崩したご兄弟の名跡をついで、転業してきた方である。そろそろベテランの領域に入る年齢ではあるが、わが業界では、まだまだ若手とさえ考えられている。

2)そのT氏、実は前職はタネ屋さんだったのである。タネ屋さんとは、どういう業態を持っているのか寡聞にして知らないが、10代から修行していただけあって、相当にくわしい。当然であろう。

3)自宅にも倉庫を改造したオフィスがあり、先日、一緒にお茶しようと立ち寄り、内部を拝見した。思ったよりも広かった。自分で改造したとか言っていたが、わが業種のオフィスとしては充分である。

4)本やビデオが壁の棚に積み上げられていたが、その中に「男はつらいよ」48作シリーズがあったのは我が意を得たり、と納得した。その他、DVD映画の類がたくさんあり、うらやましくも思ったが、その趣味の広さにビックリした。

5)植物や園芸、作物関係の本がたくさんあった。これにもビックリしたが、考えてみれば、前職がタネ屋さんなのだから、当たり前といえば当たり前なのだ。

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6)帰り際に、一冊の本と、タネを一袋くれた。そうそう、このタネ、「ビックリジャンボ」、彼一押しの作物なのである。紹介されたのは2年程前。へぇ~、そうなのか、と昨年探したが見つけることができなかった。今年は実は、そんなことも忘れていた。

7)わが市民農園、実は4年目くらいになるのだが、結構脱力していて、さぁやるぞう、という情熱は下火にはなっているが、そして地味にはなっているが、割と淡々と現実化しているのである。

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8)いちご、ほうれん草、からし菜、長ねぎ、じゃがいも、玉ねぎ、などなどが、小さな畑を彩っている。先年のグラスジェムコーンを初めてとして、お隣さんなどからのもらいタネが結構ある。分け合っていただくのは大変ありがたいが、私のほうからはまだ、お上げするほどのものが何もない。いずれ、私も逆の立場になってみたいものだと思う。

9)今年は、ビックリジャンボの成長記録でもつけてみようかな。

<2>につづく

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2018/04/28

OSHO ZEN TAROT  MIND(心)

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OSHO ZEN TAROT 

34.MIND(心)

 これがあなたの頭の状態だ―自転車のハンドルとペダル、それに、あなたが手あたり次第に集めてきた奇妙なものがいくつも見える。こんな小さな頭なのに……もはや、住む余地もない! しかも、そのがらくたがあなたの頭のなかで動きつづけている。

 あなたの頭はくるくる回りながら、はたを織っている―それがあなたを忙しくさせているのだ。自分の心のなかをどんな種類の思考が巡っているか、ちょっと考えてごらん。

 いつの日かちょっと坐り、自分の扉をすべて閉めて、半時間のあいだ自分の心をよぎることをすべて書きとめてごらん。そうすれば、あなたは私の言っていることがわかるし、自分の心のなかで進行していることに驚くだろう。

 それは背景にとどまりつづけ、絶えずそこにあり、雲のようにあなたを取り巻いている。この雲があっては、あなたは現実を知ることなどできない。スピリチュアルな洞察を得ることはできない。この雲は落とされなければならない。

 そして、それを落とすというあなたの決断だけで、それは消えてしまう。あなたがそれにしがみついているのだ——。雲はあなたには関心がない。それを覚えておくがいい。Osho The Sun Rises in the Evening Chapter 9

解説:

 心(マインド)はもともと従者なのだということを忘れて、その心に私たちの生を任せてしまうと、こうなってしまいます。頭はいろんな装置でいっぱいになり、口は怒鳴りちらし、この主張と意見の工場によってまわりの空気はすっかり汚染されています。

 「でも、ちょっと待って」とあなたは言うでしょう——「私たちが人間なのは、心があるからだ。心こそ、あらゆる進化の、あらゆる偉大な真理の源なのだ」と。もし、あなたがそう信じているのなら、ある実験をしてみましょう。

 自分の部屋に行き、扉を閉め、テープレコーダーを回して、「自分の心にある」ことをすべて口に出して言わせてみるのです。どんな検閲も監修もせずに、それがすべて出てくるのをほんとうに許しきったら、どっと吐き出されるゴミの多さにあなたは驚いてしまうでしょう。

 「雲のペイジ」は、誰かがどこかで「ヘッド・トリップ」に嵌(は)まっていることを教えています。よく見て、それが自分ではないことを確かめましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation

 

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2018/04/27

「マンガでわかるグーグルのマインドフルネス革命」サンガ編集部

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「マンガでわかるグーグルのマインドフルネス革命」
サンガ編集部 (著),       方喰正彰   (著),    . (編集),    花糸 (イラスト),    荻野淳也 (その他) 2017/05 出版社: サンガ 単行本: 187ページ
No.4182★☆☆☆☆

1)だいぶ前にリクエストしておいた本だが、私の番になるまでずいぶん時間が経過した。ひとまずの注目本、人気本と言っても悪くないだろう。されど、その本をようやく手にした一読者としての感想はどうだろうか。

2)マンガ? グーグル? 革命? サンガ編集部? 一番大きなキーワードはマインドフルネスである。それにくっつける接頭語や接尾語として、ふさわしいだろうか?

3)そもそもマインドフルネスという言葉、マインドフルネスという実態について、決して親和性を持って立ち向かっているわけではない。その本質やいかに、とやや批判的、やや懐疑的に眺めている当ブログの立場からとしては、粉飾されればされるほど、なんだかなぁ~、という気持ちが強くなってくる。

4)最初の最初からそんなにいかがわしく思うなら、なにも期待せずに、さっさと他のことに興味を移したら、と自分でもいぶかしくなる(笑)。

5)しかしまぁ、このようにチェックしておくことも、いずれは必要になることもあるだろう。気ままに、適当に、探りを入れておくことも、まったく必要がないとは言えない。

6)すくなくとも、私には必要ない本だが、このような本が存在し、このような本を読む人もいるのだ、ということを認識しておくことも必要だろう。まぁ、とにかく、メモだけは残しておく。

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「維摩経」長尾 雅人<3>

<2>からつづく 

「維摩経」 <3>
長尾 雅人 1973/10  中央公論社 文庫本 186p
★★★★☆

1)文殊(もんじゅ)はモンジュシュリー、舎利弗(しゃりほつ)はシャリープトラー、摩訶迦葉(まはかしょう)はマハーカーシャッパ、阿難(あなん)はアナンド。では、維摩詰(ゆいまきつ)は、となると、これはビマールキルティーとなる。いずれもビックネームである。

2)あの法隆寺の五重塔にも東の入り口には維摩詰の像が祀られている。日本仏教の基本の基本と言っても過言ではない。初めて維摩経を解いたのは聖徳太子だ。

3)サニヤス名をビマールと付けてもらって、なにかの不足を感じたか、自らビマールキルティーと改名した友人がいる。

4)私もまたBhavshという英語表記を、把不住などと、不遜にも日本語表記にしたりしているのだから、他の人の話題には触れにくい。

5)されど、それをきっかけに、これらのスピリチュアリティ上の大きな存在に縁を感じて、再び学び始めるのも悪くない。

6)わが友ビマールキルティよ、一緒に維摩経を学び直してみるのも悪くないな。始めようか。

 

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OSHO ZEN TAROT THE OUTSIDER(アウトサイダー)

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OSHO ZEN TAROT 

72. THE OUTSIDER(アウトサイダー)

 だから、あなたは、自分はアウトサイダーだと感じている。これはいいことだ。これは一時的な地点だ。今度は、痛みと惨めさで自分を満たしてしまわないように気をつけなければいけない。

 今となっては、神はもうそこにいないのだから、いったい誰があなたを慰めてくれるかね? あなたにはどんな慰めも必要ない。人間は大人になった。男であるがいい、女であるがいい。そして、自分自身の足で立つことだ……。

 存在とつながる唯一の道は、内側に向かうことだ。というのも、そこで、その中心で、今でもあなたはつながっているからだ。あなたは母親と肉体的にはつながりを断たれてしまった。その断絶は、あなたをひとり立ちした個人にするために絶対に必要なことだったのだ。だが、あなたは宇宙から切り離されているわけではない。

 宇宙とのあなたのつながりは、意識のつながりだ。それを見ることはできない。だから、あなたは大いなる覚醒、油断のなさ、観照をもって、深く降りて行かなければならない。そうすれば、そのつながりが見つかる。ブッダがそのつながりだ!Osho God is Dead: Now Zen is the Only Living Truth Chapter 3

解説:

 このカードの幼い子どもは、門の一方の側に立ち、門の向こうを見ています。彼はとても幼く、通り抜けられないと信じ込んでいるために、門を縛っているチェーンには鍵が掛かっていないのを見ることができません——ただ開ければいいだけなのに。

 「とり残された」、あるいは締め出されたと感じるときはいつでも、この、幼い無力な子どもだという感覚が湧いてきます。この感覚は、もっとも早い幼年期の体験に深く根づいているのですから、驚くほどのものではありません。

 問題なのは、それがあまりにも深く根づいているために、私たちの生において、テープのように何度も何度も繰り返し再生されてしまうことです。

 あなたには今、そのテープを止めるチャンス——とにかく自分は受け容れられ招き入れられるには「充分」ではないのだと考えて、自分を苦しめることをやめるチャンスが訪れています。この感覚の過去の根を認め、古い痛みを去らせましょう。

 そうすれば、門を開け、自分がもっともそうなりたいと望んでいたものへと入って行くにはどうすればいいのかがわかる明晰さがもたらされます。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

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2018/04/25

「パソコン最強購入ガイド 2018」100%ムックシリーズ<1>

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「パソコン最強購入ガイド 2018」 <1>
(100%ムックシリーズ)2018/03 出版社: 晋遊舎 ムック 97ページ
No.4181★★★★☆

1)またまた、パソコン環境を更新しなければならないタイミングとなった。2年前だったか、3年前だったか、最後のPCを買えた時は幸せだった。ほぼ希望どおり、予算もあるし、コスパも考えなければならない。スタイルもあるし、性能もある。ブランドもあるし、他のPCとの相互関係性もある。その点では合格点だった。

2)さて、今回もねらい目は同じである。同じではあるが、同じPCは買えない。すでに同じ製品は流通していないし、周辺機器へのアクセス方法も違っている。他社の商品ラインナップも変わっている。その中で、さて、自分の「安くて良いPC THE BEST」をどう選び出せばいいのか。

3)決して急いでいるわけではない。いずれやってくるXデーに間に合えばいいので、その時にベスト機が定まっていればいいのだ。だが・・・・、今のところまだ見つかっていない。

4)まず、今回の目標は二つ。ひとつは、同じブランドであること。お好みのブランドがあるのだ。そしてPCとしての機能はそれほど、大きく違ってはいない。ただ、ノートPCであって、ヒンジの部分が360の可動性が欲しいのである。そしてタッチパネルができて、軽いPC。それがない。

5)単にまだ探し出していないのか、やっぱりないのか。そこんとこ、これから何か月かかけて、探していこうと思う。

<2>につづく

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「週刊ダイヤモンド」 11年ぶり大改定 保険を見直せ! <1>

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「週刊ダイヤモンド」 11年ぶり大改定 保険を見直せ! <1>
2018/04 ダイヤモンド社 2018年 4/28・5/5 合併号 雑誌
No.4180★★☆☆☆

1)この手の雑誌を購入することはなくなったなぁ。昔は毎号毎号各誌を買い揃えていたものだが、最近はとんとそういう傾向はなくなった。店頭で見つけても、手に取って開くことも本当にまれになった。

2)何が面白くないのだろう、と思う。いつからそうなったのだろうと思う。確実に何かが変わってしまっているのである。

3)各社比較販売は禁止と言われながら、雑誌はこれでもか、と比較検討。雑誌の記事は顧客に提供してはいけないと言われ、まるで見てはいけないもののオンパレードのようにさえ見えてくる。

4)目標を持って、右肩上がりの時代にはそれなりに面白かった。利のある記事も多かった。大変ためになった、と思う時もあった。なるほど~、という納得感もあった。

5)だけど、最近はどうだろう。確かに良薬は口に苦し、ある意味、褒め殺しされるよりはいいのだ、と思うことができれば、いいのだろうか。

6)今回、この号を手に取ったのは、業界の友人が話題にしていたからだ。なるほど読んでみようと思った。パラパラしたのだが、本当の意味で自分に関連がありそうなところもあることはあったが、ごく一部だ。店頭の立ち読みが終われば、それで終わり。

7)たしかに業界の、ああでもない、こうでもない、という情報はあふれている。だけど、ピンポイントで、これこそは、というこちらを喜ばしてくれる楽しいニュースはない。下手すりゃ、私はうつかしら、と言うほど、落ち込む内容が多い。

8)それでもやっぱり生きていかなければならない。つらいことも多けれど、前に歩いていかなければならない。

<2>につづく

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OSHO ZEN TAROT TRUST(信頼)

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OSHO ZEN TAROT 

29. TRUST(信頼)

 いずれ取り去られてしまうものを求めて自分の生を無駄にしてはいけない。生を信頼するがいい。信頼して初めて、あなたは自分の知識を落とすことができる、自分の心(マインド)を脇に置くことができる。

 そして、信頼と共に、なにか途方もないものが開け放たれる。そうなったら、この生はもはや普通の生ではない。それは神で満たされ、あふれるようになる。

 ハートが無垢で、いくつもの壁が消えたとき、あなたは無限と橋渡しされている。そして、あなたは幻惑されてはいない。あなたから取り去ることのできるものはなにもない。取り去ることのできるものには、取っておくだけの価値はない。

 そして、取り去ることのできないものであれば、それが取り去られてしまうことをなぜ怖れなければならないのかね? それは取り去ることができないのだ。そんなことはありえない。自分のほんとうの宝を失うことなどありえない。Osho The Sun Rises in the Evening Chapter 9

解説:

 今こそバンジー・ジャンパーになるときです。紐を結ばずに!そして、なにかを取っておいたり、秘密の安全ネットを張ったりしない、絶対的信頼というこの質こそが、「水のキング」が私たちに要求するものです。

 ジャンプして、未知なるものへ入っていけるとなったら、考えただけでも死にそうなくらい怖いのですが、それでも、この上なく愉快な感じがします。そして、信頼を量子的(クォンタム) 跳躍(リープ)のレベルにまでもってくると、私たちはもはや念入りな計画を立てたり用意したりはしません。

 「いいだろう、これから自分がなにをするのかわかっているのだから、信頼しよう。ちょっと片づけ、スーツケースに荷物を詰めて、持って行こう」などとは言いません。そうではありません。

 次になにが起こるのか考えもせずに、私たちはただジャンプします。その跳躍、そして虚空を自由に落ちていくときの、そのスリルが肝心なのです。Copyright © 2012 Osho International Foundation

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「戦国武将を育てた禅僧たち」小和田哲男<3>

<2>よりつづく


「戦国武将を育てた禅僧たち」<3>
小和田哲男 2007/10 新潮社 全集・双書 221p
★★★★☆

1)この本はなかなかに面白い。だいぶ前に仕込んだシステムが10年を経過して、ようやく動き出した、と言うべきか。

2)この本を読みこなすには、まだまだ準備が足りない。面白ところだけ抜き出しては置いたが、全体を読むには、この本をさらに包括する戦国時代を挟む大きな歴史観が必要となる。

3)禅と儒教とのからみなど、実に興味深い。各武将たちの活躍の影には、必ずと言っていいほど、そのコンサルタントがいたのだ。サムライとZENの絡みは、現代のビジネスマパーソンとマインドフルネスの絡みなど、比較して考えてみるのも面白いかもな。

4)伊達藩の初代から三代目までの菩提は瑞巌寺にある。その後、四代以降は大年寺にある。だが、その黄檗宗であった大年寺は、幕末から明治期の廃仏毀釈のなかで、伊達家が神道に帰依したので、大年寺は衰退した。

5)現代には現代を活動する現代人がおり、それを育てる現代のZENがまた必要なのであった。

5)伊達藩はその長い歴史のなかで、多くの古代遺跡などを復活させたが、伊達藩そのものを復活させるには、また別の、新たなエネルギーが必要となるのであった。

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「Cal(キャル)」「小屋」Vol.15「小屋」のある毎日

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「Cal(キャル)」「小屋」のある毎日
Vol.15 2017年 05 月号 雑誌   2017/03 徳間書店; 不定版
No.4179★★★☆☆

1)Fujisanは、既刊の雑誌をチラ見やタダ見ができるアプリないしはサイトである。時には、私もチラチラ見る。大体において、世の中に、ましてやこの日本の中に、これほどの種類の雑誌があるのか、とビックリする。

2)この「Cal(キャル)」も、店頭でも見かけるが、おそらくほとんどは気にもしたことのない雑誌である。このサイトで見てから、店頭でも手に取って立ち読みすることもあった。

3)Calとは、Californiaの略称から取ったネーミングかな、と思うが定かではない。いつもはアメリカ西海岸の風景の取材が多い。今号は「小屋」がテーマだ。

4)当ブログにおいても、「小屋」がメインテーマの時期があった。「山の椒」を「Ya Man Osho」と読み替えて、かなり入れ込んだ。当ブログにもだいぶ書き込んでおいたが、今は、訳あって、アクセス不能にしている。

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5)もう終わってしまったプロジェクトだが、だいぶ楽しかったので、そのうち、当ブログの記事だけで再解禁しようかなとも思う。

6)ただ、なんとなく、「小屋」の時代は、終わったな。「方丈記」の鴨長明にしても、「森の生活」のヘンリー・デイヴィッド・ソローにしても、決して森に留まったわけではない。小屋にいたのは、人生の時期としたならば、ほんの一時期だったのである。

7)小屋を終の棲家とするむきもあるだろうが、私はそうしない。私には私の家がある。そう思うようになった。

8)だけど、「小屋」に遊ぶことはたのしい。これからも、だれか友人たちの「小屋」にでも誘われたら、私は必ず行くと思う。

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2018/04/23

OSHO ZEN TAROT けち(THE MISER)

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OSHO ZEN TAROT 

71. けち(THE MISER)

 けちになるやいなや、あなたは生の基本的な現象——広がること、分かち合うことに対して閉じてしまう。

 ものに執着しはじめるやいなや、あなたは的を外してしまう——あなたは外しているのだ。

 というのも、ものが的なのではなく、あなたが、あなたの最も奥深い実存が的だからだ——素晴らしい家ではなく、素晴らしいあなた、多額の金ではなく、豊かなあなた、多くのものではなく、開かれた実存、無数のものに通用する実存だ。Osho Ancient Music in the Pines Chapter 2

解説:

 この女性はまわりに要塞を築き、自分の宝だと思い込んでいる持ち物すべてに執着しています。実際には、彼女は自分を飾るひじょうに多くのものを——生きものの羽や毛皮もいっしょに ——蓄め込んでいるために、結果として自分を醜くしています。

 私たちが執着しているもの、そして、自分たちの持ち物はとても貴重だから要塞で守らなければならないと感じていること、それをよく見ることをこのカードは促しています。

 その宝はかならずしも多額な預金や箱に満ちあふれている宝石とはかぎりません―自分の時間を友人たちと分かち合って過ごすことや、自分の愛をほかの誰かに表現するリスクを負うことのような、単純ななにかでもありえます。

 もし私たちが分かち合うのを拒否したら、ふさがれ、使われずに澱んでしまう井戸のように、私たちの宝は色あせて価値を失ってしまうのです。

 あなたがなににしがみついていようとも、それを持って行くことはできないことを覚えておきましょう。握り締めている力をゆるめて、分かち合いがもたらす自由と広がりを感じましょう。Copyright © 2011 Osho International Foundation 

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「戦国武将を育てた禅僧たち」小和田哲男<2>

<1>よりつづく


「戦国武将を育てた禅僧たち」<2>
小和田哲男 2007/10 新潮社 全集・双書 221p
★★★★☆

1)前回12年前この本を開いたのは、どのようなタイミングだったのか。おそらく「禅と戦争」 禅仏教は戦争に協力したか  ブラィアン・アンドルー・ヴィクトリア著 光人社 2001/05 原著1997)を読んだタイミングだったと思う。

2)しかし厳然とした歴史を見る限り、戦争と禅は、深く相互に関わってきたことは事実である。それでこそ当ブログはその歴史的禅から距離を置きたがった心理があった。

3)従来の禅が武士たちの世界で発達した男性的な禅であるのに対して、OSHOの禅は現代の知的に発達した、柔和な、一方で脆弱な人類にふさわしい女性的な禅でもあります。 

 もしかするとそれは、より母系制的な傾向を持った、平和で理解力に富んだ未来の社会を志向しているのかもしれません。プラブッダ「究極の旅」p8「21世紀の禅」

4)1975年ごろ、インドに渡る前に参禅していた仙台・輪王寺に、一年後に帰国して参拝した時、とてつもない血なまぐさいものを感じて、それ以降、まったくいけなくなってしまったことがある。

5)21世紀においてはマインドフルネスと言う名の禅が横行しており、その功利性ばかりか、女性性なども強調される時代になってきている。これはこれで意義深いことであろう。

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「心が強くなるマインドフルネス」 PRESIDENT WOMAN(プレジデント ウーマン)<2>
2017年11月号 プレジデント社 雑誌

6)現在、当ブログは伊達政宗おっかけを初めており、その墓所である瑞鳳殿の観光ボランティアガイドとして関わりつつある。これからどんな展開になるか楽しみである。関連のあるページを張り付けておく。

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<3>につづく

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「渥美清・生誕90年」~知られざる寅さんとの闘い~

      

「渥美清・生誕90年」~知られざる寅さんとの闘い~
朝日テレビ ドキュメンタリー 2018年4月21日(土) 放送

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No.4178★★★★★

1)寅の本心はそれなりに分かっていたつもりだが、あらためてこのようなドキュメンタリーの新作が出ると、やっぱり面白く、新発見も多い。

2)田所康雄→渥美清→車寅次郎。

3)高倉健の映画の端役で、獣医や交番の所長などにもでたけれど、ほとんど寅に専念した渥美清。

4)生きていれば、今、90歳か。やっぱり生きていても、この年齢で寅を演じていることはないだろう。

5)あの時、ああいう形で引退するしかなかったのだろう。尾崎放哉とか、山頭火とか、役者として演じてみたい役どころはあったのだろうが、やはり観客が要求したのは寅だった。

6)渥美清 享年 68歳。

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2018/04/22

OSHO ZEN TAROT  SCHIXOPHERENIA(精神分裂症)

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OSHO ZEN TAROT 

59.SCHIXOPHERENIA(精神分裂症)

 人間は分裂している。精神分裂症は人間の普通の状態だ——少なくとも今は。

 原始的な世界ではそうではなかったのだろうが、何世紀にもわたる条件付け、文明、文化が人間を群衆にしてしまったのだ——わかれた、分裂した、相反する群衆……。

 だが、この分裂は人間の本性に反しているのだから、どこか奥深いところに隠された統一が依然として生き延びている。

 人間の魂(ソウル)はひとつであり、条件付けはすべて、せいぜい人間の表層を破壊するだけだからだ。

 だが、中心は触れられずに残っている―人間が生きつづけていられるのはそのためだ。 だが、その生は地獄になってしまった。

 禅の全努力は、この精神分裂症を落とすにはどうすればいいのか、この分裂した人格を落とすにはどうすればいいのか、人間のこの分割された心(マインド)を落とすにはどうすればいいのか、どうすれば分割されず、統合され、中心に定まり、結晶化するようになるのかということにある。

 今のままのあなたでは、自分は在るとは言えない。あなたには実存がない。あなたはさながら市場だ——多くの声。たとえ「イエス」と言いたくても、そこにはもう「ノー」がある。あなたは「イエス」という単純な言葉ですら全一性をもって口にすることができない……。

 こんなことでは、幸福はありえない。不幸こそ、分裂した人格の自然の成り行きだ。Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 3 

解説:

 このカードの人物は、「前門の虎、後門の狼」という古い考え方に新しいひねりをもたらしています! しかし、私たちは心(マインド)の優柔不断で二元的な面に引っかかって身動きできなくなったとき、まさにこの手の状況にはまっているのです。

 手を放して頭から落ちるべきか、それとも、足を放して足から先に落ちた方がいいのか? こっちに、それともあっちに、どっちに行くべきなのか? 「イエス」と言うべきか「ノー」と言うべきか? しかし、どう決心しても、もうひとつの方の決断を下すべきではなかったのかと、私たちにつねに考え込んでしまいます。

 このジレンマから脱け出す唯一の方法は、残念ながら、両方を同時に手放すことでしかありません。解決しようとしたり、是か非の一覧表を作ったり、心(マインド)でなんとか結論を出そうとしたのでは、出口は見つかりません。

 もしハートを見つけることができたら、自分のハートに従った方がよいのです。見つけられなかったら、ちょっとジャンプしてみましょう―。ハートはたちまちどきどきしはじめますから、ハートがどこにあるのか、つかみそこねることはないでしょう!Copyright © 2012 Osho International Foundation

 

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2018/04/21

「柘榴坂の仇討」若松節郎 監督 <2>

<1>からつづく 

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「柘榴坂の仇討」<2>
中井貴一 (出演),    阿部寛 (出演),    若松節郎 (監督) 2014/09公開作品 販売元: バンダイビジュアル 形式: DVD 時間: 125 分

1)冒頭部分すこし録画ミスしてしまったテレビ番組を、何回か、繰り返し見た。名作だと思った。涙が出た。

2)思えばこの映画、アラ還の我が世代が見てこそ、面白いのかもしれない。映画館がサービス券を配るターゲットとしては、まさに、私にこそ見てほしい映画だったのではないか。オチャラケ映画や、アクションオーバーなCG映画などより、わが世代には、こっちのほうが、ず~っとふさわしいに違いない。

3)映画のストーリーもともかく、我がリアルな人生ドラマも、かなり煮詰まった活劇を展開中だ。映画とリアルな生活を、二重写しにして、関連性を見つけて、その意味を、どんどん近づけていくことも可能だ。だとするならば、私は映画を見ながら、はてさて、これから、どんな作戦を展開すべきか、などと、映画を見ていて、考えていたのだ。

4)私は暗殺役なのか、あるいは、仇討役なのか? 取りようによっては、どちらの役回りでも引き受け可能なようだ。しかし、この映画においては、暗殺役も、仇討役も、どちらにも、違いはない。生きようとして、自らの役を、命をかけて、生きようとした、だけだったのだ。

5)ある意味においては、これは一人の男の裏と表の、内面的な活劇でもある。表裏不可分だ。そしてそれは幕藩体制から文明開化へと時代が変わる中で、多くの武士や町人たちが体験していた、時代性そのものであったと言える。

6)そして、それはまた、かつての日本におけるサムライの話に留まらず、時代を超えて、今日の21世紀の中のストーリーとして受け止めることさえ、可能である。

7)命のあるかぎり生きよ。ひたむきに生きよ。そう、サムライの師は、語る。教える。そして、二人の、サムライは悟る。彼らを包む、風景が悟る。

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「究極の旅」  OSHO 禅の十牛図を語る <5>

<4>からつづく 

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「究極の旅」
: OSHO 禅の十牛図を語る <5>
OSHO (著), スワミ・プレム・プラブッダ (翻訳)  2013/10/11 出版社: いまここ塾 河出書房新社 単行本(ソフトカバー): 484ページ ()

1)「この実験の全体は、世界に一種のブッダフッド(ブッダ、即ち目覚めたる者の境地)を持ち込むためのものだ。このコミューンはありきたりのコミューンじゃない。これは<神>を喚起するひとつの実験なのだ。

 あなた方は何が起ころうとしているのか気づいていないかもしれない。あなた方は自分自身の問題で精いっぱいだろう。私のところへ来たのは自分の問題を解決するためだったに違いない-----それは二の次だ。

 私が料理しているのは何か別のものなのだ!」  p300 「後記」

2)久しぶりにこの書を手にとり、そのすばらしさに圧倒されている。そして、この「後記」に到って、ふと大事なことを思い出した。

3)私が料理しているのは何か別のものなのだ!

4)このフレーズが、最初の最初から、私は好きだった。mixiが始まった頃、何気にどこかのコミュでこのフレーズを使った。それはOSHOのどこに書いてある? すぐに質問が来た。ああ、それは~~~、と答えようとして、あちこち探したが、結局見つからなかった。

5)この料理のところを、cookingという英単語で覚えているので、実際にはこの書ではなかったかもしれない。ダイヤリーとか、カレンダーとか、印刷物の標語としてOSHOの言葉が引用されていたようにも思う。

6)私は、自分がどの本のどこのどんな言葉に感動したのか、それから、このブログを書くようになってからページを書き込むようになった。当ブログの特徴の一つの遠因はここにあるのである。

7)いつか忘れていたことを、15年ぶりに思い出したようだ。ただ、引用したプラブッダも、引用元をメモしていない。少なくとも私の妄想ではなかったことが判明したが、じゃぁ、どこにどうOSHOがそのように発言したかは、これから、もう少し探索しつづけなければならない。

<6>につづく

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2018/04/20

OSHO ZEN TAROT  EXHAUSTION(消耗)

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OSHO ZEN TAROT 

46. EXHAUSTION(消耗)

 良心(コンサイエンス)でもって生きる人は堅くなる。意識(コンシャスネス) でもって生きる人はいつもソフトだ。なぜだろう? いかに生きるべきかという考えを持っている人は、自然と堅くなるからだ。

 そういう人はたえず自分の人格を身につけていなければならない。その人格は鎧のようなもの、自分を保護するもの、自分を安全にするものだ。その人の一生がその人格に投資される。そして、いつもその人格から状況に反応する。直接にではなく——。

 そういう人になにかたずねたら、その答えはすでに決まっている。それが堅い人物のしるしだ——鈍く、愚かで、機械的だ。いいコンピューターではあるかもしれないが、人間ではない。あなたがなにかすると、その人はいつものように決まりきった反応を示す。その反応は予測できるものだ。そういう人はロボットだ。
 
 本物の人間は、自然に起こるがままに行動する。その人になにかたずねたら、その問いには機械的な反応ではなく自然な応答が返ってくる。その人はあなたの問いにハートを開き、あなたの問いに自分をさらし、それに応える… …。
Osho Take it Easy, Volume 1 Chapter 13 

解説:

 これは、うぬぼれと生産性という巨大でおかしな機械に頑張って燃料を供給しつづけて、自分の生の全エネルギーを使い果してしまった人のポートレートです。彼は「すべてをうまくまとめ」「あらゆるものがスムーズに作動しているか確かめる」ことにあまりにも忙しかったために、休むことをすっかり忘れていたのです。

 彼にとっては、遊ぶことなどもってのほかです。海辺へのちょっとした旅行のために自分の義務を放棄することは、彼にとっては構造全体が崩壊してしまうかもしれないということなのです。

 このカードのメッセージは、それでも、仕事中毒(ワーカホリック) にかかっているということだけを伝えているのではありません。安全ではあっても不自然な決まりごとを設け、それに従うことで、混沌として自然に起こることが扉から入ってこないようにしてしまう、そういうやり方すべてに対する共通したメッセージでもあります。

 生は管理すべきビジネスではなく、生きるべき神秘です。タイムカードを破りすて、工場から脱出して、地図に載っていないもののなかへと、ちょっと旅行しましょう。リラックスした心の状態なら、あなたの仕事はもっとスムーズに流れます。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

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2018/04/18

「心が強くなるマインドフルネス」 「PRESIDENT WOMAN(プレジデント ウーマン)」<2>

<1>からつづく

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「心が強くなるマインドフルネス」 PRESIDENT WOMAN(プレジデント ウーマン)<2>
2017年11月号 プレジデント社 雑誌   雑誌: 144ページ
★★★★☆

1)55ページにもわたる特集である。うむ、なるほど、これはこれでいいんじゃないかな。紹介の仕方と、説明の仕方、その強調点と、注意点、類似項目との関係性の明示と、曖昧化。どの雑誌においても、似たようなものである。

2)この雑誌の特徴である、ビジネス性と、女性性。それはそれなりにマッチングしていると言えるだろう。素敵な写真も複数挟まって、なるほど、これはこれで素敵だな、と思う。

3)ただ、マインドフルネスといい、瞑想といい、禅といい、私は私なりの、これまでの道がベストであると、最近、ことごとく感じることが多くなった。瞑想法というより、道になってきた。OSHO瞑想道が、私にはぴったりあっているな、やっぱり。

4)瞑想する、時間も、空間も、仲間を与えられている私は幸せである。人生の中で、この人でいい、と思えるマスターに出会えたことは幸運であった。

 

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OSHO ZEN TAROT SILENCE(沈黙)

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OSHO ZEN TAROT 

17. SILENCE(沈黙)  

 全体なるもののエネルギーが、あなたを乗っ取っている。

 あなたは乗っ取られているのだ。もはやあなたはなく、全体がある。この瞬間、沈黙があなたに浸透していくにつれて、あなたはその沈黙の意義を理解できるようになる。

 というのも、それはゴータマ・ブッダが体験したのと同じ沈黙だからだ。それは同じ沈黙だ。荘子(そうし) や菩提達磨(ボーディダルマ) や南泉(なんせん)が……。その沈黙の味は同じだ。

 時代は変わる、世界は変化しつづける。だが、沈黙の体験、その喜びは、変わらず同じままだ。それこそが頼りになる唯一のもの、けっして死ぬことのない唯一のものだ。
それこそが、あなたの実存そのものといっていい唯一のものだ。
Osho Zen: The Diamond Thunderbolt Chapter 1 

解説:

 満月の、満天に星の輝く夜、その沈黙した鏡のような受容性が、霧の立ちこめた下の湖に映っています。深い瞑想に入っている空(そら) の顔は、深み、平和、そして理解をもたらす夜の女神です。

 今はまさに貴重な時です。内側で休むこと、自分の内なる沈黙の深みを宇宙の沈黙と出会うポイントまで垂直に下ろしていくことは、あなたにとって簡単なことでしょう。することはなにもなく、行くところもなく、あなたの内なる沈黙の質はあなたがするすべてのことに浸透しています。

 それが、ある人たちを落ち着かなくさせることもきっとあるでしょう。その人たちは世間のあらゆる雑音や活動に慣れてしまっているからです。気にすることはありません。あなたの沈黙と響き合うことのできる人たちを探すか、あるいは、独りあることを楽しめばいいのです。

 今こそあなた自身に帰る時です。こうした瞬間にあなたのところにやって来る理解と洞察は、後になって、あなたの生がもっと外に向かっている時期に、形として現われてきます。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

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2018/04/17

「柘榴坂の仇討」若松節郎 監督<1>

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「柘榴坂の仇討」
中井貴一 (出演),    阿部寛 (出演),    若松節郎 (監督) 2014/09公開作品 販売元: バンダイビジュアル 形式: DVD 時間: 125 分
No.4177★★★★☆

1)テレビのチャンネルを回していて、偶然この映画にぶち当たった。ああ、この映画だったのか。

2)先年、映画館のサービス券を出しておいたところ、珍しく無料招待券が当たった。おお、これは、と、新作の封切視聴会のチケットを二枚もらったのだった。

3)ところがどっこい、突然身内の不幸が挟まって、行けなくなってしまった。あらら、残念。しかたなくすでに定年退職して長らく悠々自適生活を送っている叔父に二枚とも譲ったのだった。

4)その後、叔父が手土産をぶら下げて来宅し、簡単に映画のストーリーを教えてくれたのだった。されど、そもそもがあまり時代劇などになじんでいない身としては、ああ、そうですか、で終わっていた。その映画がこの「柘榴坂の仇討」だった。

5)始まりの15分ほどは見逃したが、その後は録画して見た。例によって作業をしながらであったので、なんか軽いな、ワザとらしいな。くさいな、などと思いながら見ていた。浅田次郎原作だしな。

6)浅田次郎の講演会を一度聞いたことがある。よくも悪くも浅田次郎だ。そのドラマツルギーが分かってしまうと、なんだか、つられて涙を流すのがもったいない(笑)などと思う時さえある。

7)まぁ、しかしいいだろう。もう一回見直した。冒頭は若干見逃しはしたが、だいたいの狙いはわかった。一連の藤沢周平の作品が好きなら、この作品が嫌いになることはできない。まぁまぁラインは似ている。違っているのは、江戸の末期と、文明開化の明治期を挟んでいることだろう。

8)そもそも、戦国時代の鎧兜を着て戦っていた時代とは、いつからいつまでのことだったのだろう。刀を持って人を切っていた時代とは、どんな時代だったのだろう。

9)もうすこし概略的に、大略的に理解してみたいと思った。

<2>につづく

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OSHO ZEN TAROT  CLINGING TO THE PAST(過去への執着)

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OSHO ZEN TAROT 

52.CLINGING TO THE PAST(過去への執着)

 これらの時制——過去、現在、そして未来——は、時間の時制ではない。それは心(マインド)の時制だ。もはや心の前にないものは過去になる。心の前にあるものは現在だ。これから心の前に来るものが未来だ。

 過去とは、もうあなたの前にはないもの。

 未来とは、まだあなたの前にはないもの。

 そして現在とは、あなたの前にあり、あなたの視界からすり抜けようとしているものだ。すぐに、それは過ぎ去ってしまうだろう……。

 もしあなたが過去に執着しなかったら……というのも、過去に執着することは、まったく愚かなことだからだ。それはもはやそこにはない。だから、あなたは過ぎたことを悔やんでいるにすぎない。過ぎ去ったものは過ぎ去ったのだ!

 そして、現在に執着してもいけない。それもまた去ろうとしていて、すぐに昔のことになってしまうからだ……。

 未来——明日への希望、空想、計画——に執着してはいけない。というのも、明日は今日になり、昨日になってしまうからだ。あらゆることが昨日のことになる。あらゆることがあなたの手から抜け落ちていくだろう。

執着は惨めさを生み出すだけだ。

あなたは手放しにならなければならない。
Osho The Great Zen Master Ta Hui Chapter 10

解説:

 このカードに描かれている人物は、思い出の箱をしっかり握って手放すまいとするあまり、今ここで手に入る祝福の、きらめくシャンパングラスに背を向けています。

 過去への郷愁(ノスタルジア) によって彼女はまさに「まぬけ」になってしまい、つぎの当たったボロボロの服からもわかるように、乞食にもなっています。

 彼女は、もちろん、乞食になる必要はないのですが、まさにいま差し出されている楽しみを味わえるような状態ではありません。過去は去ってしまったのだという事実、過去を繰り返そうとすると、古い青写真に引っかかって確実に身動きできなくなってしまうという事実を認めるときです。

 その古い青写真は、あなたがこれまで経験してきたことに必死になってしがみついていなかったら、あなたの成長につれてもう要らなくなっているはずです。

 深く息を吸い込んで、その箱を降ろし、どうしてもというのなら可愛らしいリボンを掛けて、愛情と敬意のこもった別れを告げましょう。

 生はあなたの脇を通り過ぎようとしています。あなたは年よりも早く化石人間になってしまうおそれがあります!Copyright © 2012 Osho International Foundation

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2018/04/16

「インターステラー」<3>監督: クリストファー・ノーラン

<2>からつづく

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「インターステラー」<3>
監督: クリストファー・ノーラン 出演: マシュー・マコノヒー, アン・ハサウェイ, ジェシカ・チャステイン, エレン・バースティン, マイケル・ケイン 2014年作品 販売元: ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント DVD 時間: 169 分
★★★★★

1)あんまり低い点数をつけておくと、こちらに対する評価も下がる恐れがあるので、あんまり冷たいことは書いておく気はないが(笑)、やっぱり、これはベストだ、なんてことはとても言えない。高い評価をつけている人々の心証を悪くしたくないので、静かにしておく。

2)この映画、やっぱりかつて見ていたことを思い出した。あのシーンと、あのシーン、確かに覚えている。たしかに印象深いシーンではあったが、それは作画としての面白さであって、それが科学的とか、必然性とか、そういうものを感じることはできなかった。

3)「2001年宇宙の旅」を超えているか、と言われれば、私の中ではそれは無理としかいいようがない。何がどう、と、今ははっきりさせておかないが、つまりは、この映画を私はあと何十年も経過して、またゆっくりたのしめるだろうか、というところ。おそらく、その点で負けている。

4)つまりは映画との出会いの仕方が、そもそも違っていた、としかいいようがない。映画の生ではないかもしれない。私と映画との、出会いの問題なのだろう。ごめんなさい。

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「コンフォルト」 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる<5>

<4>からつづく

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「コンフォルト」 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる<5>
出版社: 建築資料研究社 2018/01  雑誌 梱包サイズ:  30 x 23.5 x 1 cm 隔月刊版
★ 

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<6>につづく

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「大宇宙構造論序説」田島 獏 「時空間」8号 <8>

<7>からつづく

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「雀の森の物語」 <8>
阿部清孝 1974/10 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 表紙シルクスクリーン p164

1)昨日は、宮城県名取市に鎮座する熊野神社春例祭の日であった。当地の観光ボランティアガイドのはしくれとして、いささかの役割をいただきながら、午後から参加した。実に稀な縁起を持つ古社ではあるが、普段はほとんど人影はない。しかし、春と秋の例祭の日となると、遠来からの来客を含み、たくさんの参拝者であふれる。

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2)というのも、普段は見ることのできない本殿や、珍しい熊野堂神楽や熊野堂舞楽が奉納され、誰でも自由に見学できるからである。

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3)私はここから車で5分という至近距離に住んでいながら、 この奉納を見学したのは数度しかない。図書館蔵のビデオでは拝見していたが、なかなか春は他の行事が入り、足を運ぶことができなかった。

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4)日本の古来からの神話を基にした神楽は、芭蕉の句で有名な山形の立石寺から伝わったものとされ、一連の神話の中からのエピソードが舞われる。

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5)地区近在の7軒の氏子によって相伝されてきたものとされ、県の重要無形文化財に指定されている。神楽とは違って、舞楽のほうはもっと自由な形を持っている。こちらはもっと秘匿性が高く、門外不出とされ、この地のこの例大祭以外には奉納されないという。

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6)常設の舞台で舞われる神楽(かぐら)と違って、舞楽(ぶがく)のほうは、この日のためだけに水上に設営される神聖な舞台で執り行われる。

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7)その装束に比して、動きはゆったりとしていて、単調なリズムを繰り返しているようでもある。ビデオカメラに収める人々もいつしか口数が少なくなり、頭の中は静かに収まっていく。風が吹き、この葉や桜の花が舞い、湖面が静かに揺れる。遠来の鳥たちの鳴き声も、どこか遠慮気味である。

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8)メインイベントのひとつである稚児の舞となると、勇壮な演目の多かった中で、ふと心が緩んで、ちょっとだけ、涙ぐんでしまった。数年前に世界的にヒットした映画「君の名は」のシーンと、どこかつながっているようにさえ、感じた。

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9)最後の太平楽となると、まさに勇壮な武将隊の演武となるが、天下泰平を願う舞であるだけに、刀で切るというような仕草はなく、穏かな六人の武者隊の舞である。

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10)この古社にとっては、おそらく近世とさえ思える鎧兜の武者隊はやや新しきつながりとも思えるが、永年による伊達藩の寄進にも支えられてきた、この熊野神社の歴史ゆえ、これもありかな、と納得した。特にごく最近は、伊達政宗おっかけにハマっている当ブログとしては、あらたなるテーマを与えられたような気がした。

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11)ところで、私はこの祭典中に、久しぶりに思わぬ人と再会した。数えてみれば、実に44年ぶりである。その方は、田島獏(当時のペンネーム)氏で、かつて私たちが発行していたガリ版雑誌に投稿してくれていたのである。私はまだ20歳、彼はまだ十代の学生であった。聞けば、現在は、東京在住で、と名のある大学のフランス文学の教授であらせられるとか。これも熊野の神々が引き寄せてくれた縁と感ずるので、ここに当時の氏の文章を再録しておく。

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追記 

いささか読みにくい印刷面であるが、当時のガリを切ったのは私であり、添付したカット画は、私の勝手な穴埋めである。あらためてご容赦願いたい。

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2018/04/15

OSHO ZEN TAROT  FRIENDLINESS(親しさ)

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OSHO ZEN TAROT 

49.FRIENDLINESS(親しさ)

 まず瞑想するがいい、至福に満ちてあるがいい。そうなったら、多くの愛がおのずと起こる。そのときこそ、ほかの人たちと一緒にいることは素晴らしく、独りでいることもまた素晴らしい。そうなったら、それは単純なことでもある。

 あなたはほかの人たちに依存しないし、ほかの人たちを自分に依存させることもしない。そうなったら、それはつねに友情、親しさだ。それはけっして関係にはならない。それはつねに、かかわりをもつということだ。

 あなたはかかわる、が、結婚はつくりださない。結婚は恐怖から生まれる。かかわりをもつことは、愛から生まれる。

 あなたはかかわる——ものごとが素晴らしくいっているあいだは、あなたは分かち合う。そして、互いの道がこの十字路でわかれるために出発するときが来たとわかったら、相手がこれまで自分にしてくれたすべてのことに、相手と分かち合ってきたすべての喜びと、すべての楽しさと、すべての素晴らしい瞬間に大いに感謝し、さようならを言うがいい。

 惨めになることもなく、痛みもなく、あなたがたはただ別れる。Osho The White Lotus Chapter 10

解説:

 花を咲かせているこの二本の樹の枝は互いに絡み合い、地上では落ちた花びらが混じり合って、美しい色をなしています。それは、まるで天と地が愛で橋渡しされたかのようです。

 しかし、二本の樹はそれぞれ別個に立ち、地と独自のつながりを保ったまま、土に根を下ろしています。こうして彼らは、成熟した、互いに楽で自然な、ほんとうの友人としてのエッセンスを表わしているのです。

 そのつながりには緊迫感も、困窮感も、相手をなにか別のものに変えたいという欲望もありません。このカードは、親しさというこの質に入っていく準備が整っていることを示しています。進んでいくうちに、あなたはほかの人たちがかかわっているあらゆる種類のドラマやロマンスには、もはや自分は関心がないことに気づくでしょう。

 それはなにかを失ったということではありません。体験の豊かさから生じるもっと高い、もっと愛に満ちた質が誕生したということなのです。それは、ほんとうに無条件で、期待や要求を伴わない愛の誕生です。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

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2018/04/13

大河ドラマ「独眼竜政宗」 総集編 

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「独眼竜政宗」 総集編 
渡辺謙主演 大河ドラマ 脚本:ジェームス三木  音楽:池辺晋一郎 1987年放送 NHKスクエア限定商品 DVD3枚組  *収録時間:本編351分
No.4176

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「伊達政宗」小林 清治 <2>

<1>よりつづく

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「伊達政宗」人物叢書 新装版 <2>
小林 清治(著) 1985/08(初版1959/07) 吉川弘文館 単行本: 235ページ
★★★★★

伊達藩ゆかり関連リスト 編集中

「仙台叢書第七巻所蔵 「囊塵埃捨録」 1924 仙台叢書刊行会

「伊達政宗」人物叢書 小林清治 1959/07 吉川弘文館

「道元」 その探求と悟りの足跡 その探求と悟りの足跡 OSHO1992/10 和尚エンタープライズジャパン

「鈴木大拙全集(第11巻)増補新版」 禅と日本文化  鈴木大拙 /久松真一 1999/11 岩波書店

「虎哉宗乙」伊達政宗教導の師 仙台開府四百年記念 伊達篤郎 2001/04 仙台市立図書館所蔵

「その時歴史が動いた」NHK 伊達政宗 百万石への挑戦「戦国編」2001年放送

「仙台藩ものがたり」河北新報社編集局 (編集) 2002/06

「史跡陸奥国分寺・国分尼寺跡」 よみがえる古代の寺院  仙台市文化財パンフレット第52集 仙台市教育委員会 2004/02

「五木寛之の百寺巡礼」 ガイド版 第七巻 東北 五木 寛之 (監修) 2004/12 講談社

「戦国武将を育てた禅僧たち」小和田哲男 2007/10 新潮社

「歴史秘話ヒストリア 戦国武将編 二 伊達政宗」 いつも崖っぷちだった ~独眼竜の世渡り人生~ 渡邊あゆみ 2009/11/18放送  NHK

「歴史秘話ヒストリア 激突! 真田幸村vs.伊達政宗 ~めぐりあい大坂夏の陣~ 」渡邊あゆみ 放送日2012/01/06 販売元: NHKエンタープライズ 形式: DVD

「解き明かされる日本最古の歴史津波」金華山、日高見神社、松島、アラハバキ 飯沼勇義 2013/03 鳥影社

「仙台青葉まつり」 「カーニバル」から40年 2014/05 仙台青葉まつり協賛会

「スター・ウォーズ 禅の教え」 枡野俊明 2015/12  KADOKAWA

「伊達政宗と瑞鳳殿」経ケ峯伊達家墓所について 公益財団法人瑞鳳殿 2017/03

<3>につづく

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「伊達政宗」小林 清治 <1>

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「伊達政宗」人物叢書 新装版 <1>
小林 清治(著) 1985/08(初版1959/07) 吉川弘文館 単行本: 235ページ
No.4175★★★★★

1)伊達政宗研究第一人者による底本。熟読を要す。

<2>につづく

 

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OSHO ZEN TAROT UNDERSUTANDING(理解)

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OSHO ZEN TAROT 

30. UNDERSUTANDING(理解)

 あなたは牢獄から出ている、鳥かごから出ている。あなたは翼を広げることができるのだ。そうすれば、空全体があなたのものだ。

 すべての星と月、そして太陽は、あなたに属している。あなたは超えたものの蒼(あお)さの中へと、消えていくことができる……。

 ただ、この鳥かごへの執着を落とし、鳥かごから出ていくだけで、空全体があなたのものになる。翼を広げ、鷲(わし) のように、太陽を横切って飛ぶがいい。

 内なる空では、内なる世界では、自由にこそ最高の価値がある——ほかのことは、至福、エクスタシーですら、すべて二の次だ。花は数えきれないほど無数にある。

 だが、それらはすべて、自由という風土のなかで咲くことができる。 Osho Christianity, the Deadliest Poison and Zen Chapter 6

解説:

 このカードに描かれている鳥は、鳥かごのようなもののなかから外を見ています。しかし、それには扉もついていませんし、事実、柵も消えかけています。柵は幻想だったのです。そして、ほかの鳥たちの優美さと自由、励ましによって、この小さな鳥は出てくるように呼びかけられています。

 翼を開き始め、まさに初めて飛び立とうとしています。鳥かごはこれまでずっと開かれたまま、空は私たちの探険を待ち受けていつもそこにあったのだという、新しい理解の曙——それは、初めのうちは私たちをちょっと震えさせることもあるでしょう。それでいいのです。

 震えてしまうのは自然なことです。しかし、その震えのすぐそばに差し出されている軽やかさと冒険を体験する機会を曇らせてしまわないようにしましょう。この時期の甘美さと優しさと共に進みましょう。

 内側の羽ばたきを感じてください。自らの翼を広げ、自由になりましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation

 

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2018/04/12

「日本人が知らないマインドフルネス」ニューズウィーク日本版<2>

<1>からつづく

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[日本人が知らないマインドフルネス] 
<2>
Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2017年 10/10号  2017/10 CCCメディアハウス 雑誌 
★★★★☆

1)タダ読みソフトを使ってiPadで雑誌を読むことも便利だが、図書館にもバックナンバーがそろっているので、せっかくだからと借り出してみた。当然のことだが、内容はまったく同じ、読めるページにも違いはなかった。

2)このまま返してしまおうかな、と思ったが、まずはもう一度読み直してみた。わずか12ページほどの特集なので、あっと言う間に読めてしまう。そして違和感を感じたり苦笑してしまう文章もないではない。でも、と最近は考えがすこし変わってきた。

3)いわゆる日本における坐禅と、西洋特にアメリカにおけるマインドフルネスの違いは、その技法やルーツはともかくとして、効果があるかないか、のところで大きく違っている。西洋においては当然効果がなければ役立たず、とみられてしまう。

4)一方、日本でだって、最初から効果を狙ってはならない、とされているが、もろもろすべてにおいて効果がないのであれば、これほどの伝統とはなっていないのだ。両者の視点は、裏腹のようでいて、実はかなり接近しており、ひとつのことのふたつの側面と考えてもよい時代になっているように感じた。

5)さて、我が身において考えてみる。瞑想センターを主催し、禅寺の坐禅会に通うことに、なにごとかの効果を期待しているものではないとしても、生活にリズムができて、張りがうまれたり、新しい視点と出会ったりすることは、毎度感じている。

6)他の仕事や雑用にも振り回されたりするし、ダイエットや健康維持のための心理的な葛藤も常にある。もし、これらを最初から期待して、目的を持って、局所的に適応していくことは可能なのではないか。そう思い直すようになってきた。

7)仕事だって、うまくいくときもあれば、なかなか大変な時もある。時には大きな決断をしなければ前に進めなくなる時だってある。考えてみれば、今、私が置かれているのは、そのような環境ではないか。酒に逃げたり、他の趣味に走ってみることもできる。

8)されど、その現在の問題点が、仕事を軌道に乗せる、ということだけではなくて、その仕事を通じて、人生そのものを生きている、と言う実感が生まれてくるとすれば、それは、禅や瞑想やマインドフルネスの効果であり、換言すれば、禅や瞑想やマインドフルネスがなければ、私の人生はにっちもさっちもいかない、ということだってできそうだ。

9)このような特集があって、多くの人の目に触れ、同時代人として、話題や課題を共有できるなら、それはそれで、このような特集に、そのつど目を通していくのもいいのではないか。そう思った。

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2018/04/10

「コンフォルト」 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる<4>

<3>からつづく

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「コンフォルト」 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる<4>
出版社: 建築資料研究社 2018/01  雑誌 梱包サイズ:  30 x 23.5 x 1 cm 隔月刊版
★ 

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<5>につづく

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2018/04/09

「伊達政宗と瑞鳳殿」

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「伊達政宗と瑞鳳殿」 経ケ峯伊達家墓所について
公益財団法人瑞鳳殿 2017/03 小冊子 p35
No.4174★★★★☆

1)当ブログが伊達政宗あるいは伊達藩政に急接近しているのは、故なきとはしない。それぞれに訳あっての結果と言える。

2)私の生地の旧住所は、増田町上余田字千刈田、である。ひとつの住所の中に、なぜにこれほど「田」がでてくるのか。田舎なのはわかるとして、なぜ「田」が増え、「田」が余り、「田」を千も刈ることができたのか?

3)最近になって、それは、伊達藩による開田、米作り政策の結果ではないか、と思い当たった。

4)高校を卒業した青春時代、仙台北東部台原森林公園の脇でスタートした私たちのコミューン活動の名前がなぜに「雀の森」だったのか。

Photo_25)伊達藩のいくつかある家紋のうちでも代表的な「竹に雀」紋。直接に関係はなかったにせよ、仙台に雀とは、なにかのインスピレーションに引かれていたのではないだろうか。

6)また、コミューン活動拡大にともない二か所目のコミューン活動の拠点としたのは、仙台北山五山の一角、資福寺、覚範寺境内の裏であったこと。このこともまた、伊達藩とのゆかりを感じざるを得ない。両寺とも、深く深く伊達藩と関わっているのである。

7)そして、20歳前後の私は、その北山五山の名刹・輪王寺で坐禅の作法を学び始めたのである。

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8)もちろん、輪王寺は仙台屈指の名刹であり、伊達藩とは切っても切ることができない縁をもっている。私はここから、インドに向かって旅立ったのだが、また、インドから帰ってきて、ふたたびここにもどってきたのだった。

9)しかし、その時、私はその境内に血の匂いを感じ、足を遠ざけた。

10)時代ははるかに飛んで、一昨年、松島に友人たちと遊んだ時に、雄島を訪ねた。その時に禅堂の名前が「把不住」であることを知った。私はこれをBhaveshと読んで、サニヤス名の日本語表記としてお借りすることとした。

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11)昨年から積極参加した秀麓禅齋もまた、伊達藩の影響化にあった。その歴史には色濃い伊達色がある。

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12)陸奥国分寺もまた、伊達藩により再興されていた。

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13)そして最後に、私の血筋の半分、母方の祖先は、大阪夏の陣で徳川勢につくことをよしとせず、下野した丹波守、 但馬守と名乗っていた武士であったという。

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14)さらには、スターウォーズのダースベーダーの姿は、伊達政宗の黒塗りの鎧兜にインスパイアされているらしい。

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15)さぁ、これらの断片的なモザイクパーツを抱えながら、当ブログの伊達藩追っかけは人知れず、もやいを解く。

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2018/04/08

「インターステラー」<2>監督: クリストファー・ノーラン

<1>からつづく

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「インターステラー」<2>
監督: クリストファー・ノーラン 出演: マシュー・マコノヒー, アン・ハサウェイ, ジェシカ・チャステイン, エレン・バースティン, マイケル・ケイン 2014年作品 販売元: ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント DVD 時間: 169 分
★★★★★

1)昨年の当ブログの目標のひとつはSF、特に「2001年宇宙の旅」シリーズの読み込みだった。簡単には達成できなかったが、そのリストづくりの過程のなかで、この「インターステラー」の評価が高いことを知った。

2)そらならもう一度見てやろうと予約していたのだが、9か月経過してようやく私の番になった。もう私の後にも予約がいっぱいだ。おそらく今日予約した人は、これから1年以上経過しないと、順番がめぐってこないだろう。

3)そして最近、松岡正剛オヤブンとドミニク・チェンの対談の中でドミニクがこの映画に触れていた。そのことがあって、早く私の番が来ないかな、と待っていたのだ。

4)長い映画を見ていると、ついつい寝てしまうのが、わが習癖である。この映画もすんなりと見続けることはできなかった。もう二回見た。だがまだまだ繰り返してみたい。

5)ふと考えてみると、実はこの映画については、すでに当ブログにメモしていたのだった。その時の評価は高くない。友人間でも、両極端な評価があった。なるほど、そうであったか。

6)今回の私の評価はどうなるだろう。すくなくとも、見たよ、と公言できるくらいに、よ~く見る事にする。

つづく・・・だろう。

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「植物男子ベランダー」<6>

<5>よりつづく

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「植物男子ベランダー」 <6>
NHKBSプレミアム 番組リスト目次 
★★★★★

1)またこの番組が始まった。この番組について前回メモしたのは、ちょうど一年前の4月8日、ちょうど365日前だ。今年は再放送だと思うのだが、ちょっと自信がない。

2)そもそもこの番組を見始めたのは、すでに3年前になるのだ。しかも偶然。ソファーで眠ってしまって、ついたままのテレビが、何回目かのこの番組の放送を流していた。

3)焼酎をひっかけながら、聞くとも見るともしないまま、ウトウトこの番組に惹かれ始まったのだった。そして、すっかりはまった。

4)半分は見逃した。ネットでは、おそらくイレギュラーなんだろうが、バックナンバーも見る事ができた。だが、中途半端な録画になっているので、全部みたのかどうか、自信がない。

5)あらためてこの番組を見ていると、面白いのは面白いのだが、今はちょっと重い。スピードを0.8くらいで見ている感じがする。いままではむしろ1.5くらいのテンポのよさがあった。

6)そして、あれ、こんなシーンがあったのかなぁ、と首をかしげることも多い。それもそうだろう。いままでは、なにかしながら見ていたし、ネットで見るときはベットで半分眠りながら見ていたのだ。

7)それでもなお、また見直しているというのは、この番組が魅力的であるからだ。そして毎年再放送されるということは、一般的にも人気があるということだ。つまり名作なのだ。

8)私などは、この番組の影響下で、「ボタニカル・スピリチュアリティ」などというカテゴリ名で108の記事を書いたりしていた。

9)ことしも、この番組を録画して、また見ることにする。

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2018/04/07

「日本人が知らないマインドフルネス」ニューズウィーク日本版<1>

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[日本人が知らないマインドフルネス]

Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2017年 10/10号  2017/10/3 CCCメディアハウス 雑誌 
No.4172★★★☆☆

1)たまにFujisanの「タダ読み」リストを見る。最近は、そこから突っ込んでいくことはなくなったが、たまにあれ~、こんな本があるのか、こんな特集があったのか、という掘り出し物に出会うことがあるから、まったくやめてしまうことは勿体ない。

2)今回は、このニューズウィークに出会った。この雑誌でこのタイトルなら、どうせこの程度のものだろう、という予想どおり、ここからもっと突っ込んでみよう、という気になることはなかった。

ニューズウィーク<2>につづく

3)ただ、ニューズウィークでこのような特集を組んでいたこと自体、なかなか興味深い。同じ意味なら、もう一つ、こんな雑誌があった。

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「心が強くなるマインドフルネス」 PRESIDENT WOMAN(プレジデント ウーマン)」2017年11月号 プレジデント社 雑誌   雑誌: 144ページ
No.4173★★★☆☆

4)これら二誌は相前後して発行されているので、ブームと言えばブームなのだろう。決して深くて味のあるものにはなっていないだろう、という予想はつくものの、今この特集を組まないと時代遅れになる、と言ったような風景がほほえましい。

プレジデント ウーマン<2>につづく 

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「曹洞宗のお経」 (わが家の宗教を知るシリーズ)中野 東禅 (監修)<1>

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「曹洞宗のお経」 (わが家の宗教を知るシリーズ)<1>
中野 東禅 (監修) 2000/07 双葉社 単行本: 205ページ
No.4171★★★★☆

1)知人宅でチラッと見えたこの本。 「うちのお寺は曹洞宗」わが家の宗教を知るシリーズ(藤井正雄1997/12)にかなり似ている。改訂版かな?とさえ見間違えた。

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2)同じ双葉社の出版年も数年しか違わない、前後する関連シリーズである。こちらのほうにはお経のCDがついている。探してみれば、類書はいくつかあり、もっともっと突っ込んだ書籍もありそうだ。

3)されど、いくら経典が豊富にあったとしても、それらについての含蓄が豊かになったとしても、そのことによって自らの悟境が豊かになった、ということにはならない。行いがひとつひとつ深まることによって、自らの理解力が深まり、その時、適時にこのような本に出合えば、さらに道心に味わいが増す、というものであろう。

4)決して専門家になる必要もないし、マニアックになる必要もない。必要な分を必要なだけ補えばいいし、多少は自分流の理解があっていいはずである。

5)それにしても、もはや私は、この道がもっとも近くて、親しみやすい道となっている。いい本に出合ったな、と思う。

<2>につづく

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2018/04/06

NHK「その時歴史が動いた」 伊達政宗 百万石への挑戦「戦国編」

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「その時歴史が動いた」 伊達政宗
百万石への挑戦「戦国編
NHK 2001年放送販売元: 日本 クラウン DVD 時間: 43 分 
No.4170★★★★☆

1)鎧兜の政宗が強調されてしまっているが、実は、それ以外の政宗像をもっともっと知らなければならない。

2)自分が生まれた当時の住所は、増田町上余田字千刈田、だった。つまり、田が増え、田が余り、千も刈ることのできる田。なんと住所の中に田が三つも出て来る。田んぼの中の田んぼ。

3)よくよく考えてみれば、この耕地開拓も、伊達政宗あればこその結果だったのかもしれない。

4)当ブログ、政宗追っかけが始まっている。

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2018/04/05

「東北を置き去りにした明治維新」 戊辰戦争の謝罪なしに、日本の融和はない 星亮一他

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「東北を置き去りにした明治維新」 戊辰戦争の謝罪なしに、日本の融和はない
星亮一・安藤優一郎 (著) 2017/12 文芸社 単行本 252ページ
No.4169★★☆☆☆

1)タイトルだけ見て、サンプリングをかねて借り出した私にも責はあるのだが、どうもこの手の本には感情移入できない。それはそれなりに必然性のある論理ではあろうが、このままいくと、どこまで行っても埒があかなくなる。

2)闘いが好きな人々がいるんだな。

3)この出版社も、ちょっと気になる。たしか、自費出版を請け負っている会社で、それなりに普遍性があるから出版する、というよりも、著者たちの財力に依存する出版スタイルになっているのではないだろうか。

4)主旨はわからないでもないが、どうも当ブログとの親和性は薄い。
 

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「禅のすすめ」―道元のことば 角田 泰隆

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「禅のすすめ」―道元のことば (NHKライブラリー)
角田 泰隆 (著) 2003/03 日本放送出版協会 単行本: 284ページ
No.4168★★★★☆

1)お勧めいただいたのは、NHKテレビ「こころを読む」の「禅のすすめ 道元のことば」(角田泰隆2001/07~09)のテキストだった。図書館でさがしたところそのものずばりの本はテキストはなかった。だが、同じタイトルで同じ著者による、ほぼ同時期の単行本が見つかった。

2)そもそも道元関連の書籍というものは、平易で奇をてらわず、やさしく書いてあるものだが、この書もまた、実にわかりやすい一冊である。

3)ただ、ある意味において、映画「道元」(2008)を見ていれば、こと足りる、という面もなくはない。いまさら学者じゃあるまいし、年代や地名、こまかい法語などを覚える必要がなければ、映画に盛り込まれている内容で十分だ。

4)逆に映画「道元」に書かれた内容をひとつひとつ深めたいとなれば、この書はおおいに役にたつ。なるほどやっぱりそうか、と後押しされる一冊である。

5)初心忘るるべからず、と言う。ZEN mind is Bigenners mind」ともいう。つねにスタート地点に立ち返り、今を生き切ることが大切だと、繰り返されてきた。そういう意味においてはまったくその通りなのだが、長年、そのようなスタート地点を確認してきた存在においては、ある意味、もっと深みに入っていくべきことも肝要である。

6)すすめ、とか、ことば、とか、その地点を超えて、前にいくとするなら、只管打坐こそ、もっとも肝要であることを肝に銘ずるべきであろう。

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「生きるとはなあ」―羅漢さんの絵説法‐人生波羅蜜 荒 了寛

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「生きるとはなあ」―羅漢さんの絵説法‐人生波羅蜜
荒 了寛 2000/02 里文出版; 改訂版 単行本: 118ページ
No.4167★★★☆☆

1)知人から紹介されたのは、「観音に生きる」という本だった。その絵と詩が素敵だという。早速図書館で検索したがなかった。でもこの著者関連で10数刷がヒットした。文章だけのもるようであるが、まずは画集ということで、この一冊を紐解いた。

2)1928年生まれの天台宗のお坊さん。天台宗ハワイ開教に長く関わった方である。そう聞いて連想したのが、「スピリチュアリズム」(2007/08 にんげん出版)なる著書もある苫米地某。確かにあの書には天台宗ハワイ別院と書いてあった。

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3)書や言葉との出会いは、タイミングがあるもので、どんな良い言葉でも、心に響かないときもあれば、なんとはなしの言葉が、やたらと感動深い時もある。今回は、仕事のことで、いろいろ考えさせられている時期なので、この言葉をひとつ、いただいておこう。

4)目的の本ではなかったが、この方のプロフィールや雰囲気はこの一冊で大体つかめただろう。他の本たちは、またチャンスがくれば開いてみることとする。

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「禅の友」 特集 花まつり

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「禅の友」 特集 花まつり
曹洞宗 2018/04 曹洞宗ブックセンター 小冊子 32p
No.4166★★★★☆

1)縁は異なもの、味なモノ。縁はどこに、どんな形で存在しているかは、ちょっと見にはわからない。仕事上の付き合いは付き合いとして、いたずらには互いの内面には入り込まないもの。

2)されど、仕事を離れてしまえば、おっと驚くような、互いの内面を見つめ合うこともある。

3)彼は、仏教系大学を卒業していたことは知っていたし、地元のお寺のあちこちで坐禅を組んでいたことも知っていた。そのネットワークも実に私のそれと近いと感じてはいた。

4)されど、いたずらに距離を詰めることは、本来の仕事に影響してくる可能性もあるので、慎重にならざるを得ない。

5)それでも、ある一線を越えて、互いに寛いで、胸襟をひらいて話してみれば、なんともごくごく近しい隣人であることが分かってしまうこともある。

6)彼の自宅に訪れてみれば、わが蔵書に近い本だなを見つけ、あるいはそのなかにこんな「禅の友」などというパンフレット見つけてしまう。

7)彼はこの中に紹介されていた「報恩第受戒会」にまもなく参加するのだという。4月10日から16日までの一週間。本山総持寺に泊まり込んで修行するのだ。

8)現役中にはやりたくともできなかったことを、退職後、ひとつひとつ実現し、この本山体験はそろそろその最後のスケジュールなのだという。十六の戒を受けるのだという。

9)このパンフレットは、いつも参禅しているお寺で、毎月いただいて愛読しているという。私があんまり凝視したものだから、彼はバックナンバーを含めて数冊譲ってくれた。

10)なるほどね、こういう冊子があるんだね。なかなか興味深い。各宗派、各団体、さまざまな情宣活動し、各種の印刷物を発行している。わかりやすく、お手軽で、お気軽な入り口としては、かなり有用であろう。

11)イラストや写真、俳句や短歌、読者の声、お寺の紹介・・などなど。仏法僧の中のサンガのような動ごめきが、なんとなくわかる仕組みになっている。

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2018/04/04

今日の気分はこの三冊<35>

<34>からつづく

今日の気分はこの三冊<35>

今日の気分はこの3冊 目次

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「うちのお寺は曹洞宗」わが家の宗教を知るシリーズ 藤井 正雄 1997/12 双葉社

「お経 禅宗」 桜井 秀雄 (著), 鎌田 茂雄 (著) 横尾忠則(装丁)1983/4 講談社

「正法眼蔵随聞記」

1)ZEN、ZEN、と浮かれてばかりもいられない。じゃぁ、どうする。どうZENする、となれば、まずは、近くの坐禅会に参加するしかないだろう。

2)なんぞ自家(じけ)の坐牀(ざしょう)を抛却(ほうきゃく)して、みだりに他国の塵境(じんきょう)に去来(きょらい)せん。もし一歩を錯(あやま)れば、当面(とうめん)に蹉過(しゃか)す。道元 「普勧坐禅儀」

3)私が最近参加している坐禅会は、もっとも最寄りのアクティブなお寺で行われている。車で10分。こんなに近くで体験できることは、実に幸せだと思う。

4)お寺さんの経営もなかなか大変だと聞く。後継者不足だという。葬式仏教と言われつつ、その葬式も多様化している。お墓の在り方も、いろいろと議論されている。

5)されど、私は私の禅を、今日、ここで生きていくしかない。

6)曹洞宗のお寺であることに、私は敢えてその必然性を感じる。出家の方々のその道のご苦労はご苦労として、月二回の坐禅会の一参加者たらん、とすることくらいなら、私にもできる。

7)これもこれ、この道は、わがOSHOスバガット瞑想センターへの道につづくものとして、参禅を続けている。

<36>へつづく

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今日の気分はこの三冊<34>

<33>からつづく 

今日の気分はこの三冊<34>

今日の気分はこの3冊 目次

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「Discover Japan 」 ディスカバー・ジャパン編集部  2014/02 エイ出版社

「美術手帖」更新を続ける21世紀の禅 2016/10 美術出版社 

「スペクテイター」31号 ZEN(禅)とサブカルチャー エディトリアル・デパートメント (編集)  2014/09  幻冬舎 

1)同テーマで絞るなら、候補本は他にも多数ある。限りなく多いわけじゃないが、同傾向の本は多数ある。それらの内容はかなり似通っている。

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2)これらの中から、あえて本日三冊を選ぶとすると、なかなかに難しい。

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3)しかし、ここはあえて迷いを振り切って、最後は結局一冊になるのだ、そして何もなくなるのだ、と覚悟すれば、上の三冊となろう。

4)内容はだいぶ似通っているが、それぞれに立ち位置が微妙に違う。「Discover Japan」誌は、タイトルからうかがえるように、視野が狭い。中心は日本である。日本人が日本を見つめるだけなら、一気にガラパゴスとなる。

5)されど、外国人の目を借りて日本を見るという立場なら、これもありかな、と思う。

6)「美術手帳」もその名から察することができるように、アートな視点を持っている。それがよくも悪くもこの特集に影響している。されど、あの「美術手帳」が「ZEN」を特集する、これがいいね。

7)「Spectater」はなかなかよい。よくは知らないが、その編集方針というより、彼らのライフスタイルが素敵である。小さな出版社を地方に据えて、あえて関心あるテーマだけを深堀する。これで生活が成り立つのであれば、こんな素敵な人生は他にない。

8)この「Spectater」が、あえて「ZEN」に立ち向かう。いいですね。もし、この三冊の中からさらに一冊を選べ、となるなら、この一冊できまりでしょう。

9)それもこれも、次なる一冊、次なる姿なき一冊へのつなぎとなるならば、これしかない。

<35>につづく

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今日の気分はこの三冊<33>

<32>からつづく 

今日の気分はこの三冊<33>

今日の気分はこの3冊 目次

「ウェブ進化論」梅田望夫 2006/02

「私が愛した本」OSHO 1992/12

「プロフェット」ジブラン 1972/12

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1)当ブログの来方行く末に思いが長くとどまった。当ブログを三冊にまとめるとすれば、どうなるか。一冊目の「ウェブ進化論」は、当ブログの始まりのきっかけなので、外すことはできない。

2)そして、当ブログが次第に読書ブログとして方向性を固めるとするならば、OSHOサニヤシンの一人として、その中心にOSHO「私が愛した本」が収まることに、ゆるぎない必然性があった。

3)さて、その中から、敢えて一冊となると、これはこれで難しい。されど、もっともOSHOが愛した本の冊数から言えば、ジブランを外すことはできない。最大7冊を登場させている。そして、その最高は、ジブラン処女作でもある「プロフェット」しかないことになる。

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4)この三冊を敢えて中核に据えようという機運は意外と薄かったのである。特に三冊目はなかなか難しかった。振返ってみれば、「プロフェット」を「チベット密教」に置き換える方がより妥当性があった。

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5)タントラは、OSHO文脈における禅やスーフィーにならぶ大黒柱である。抜いて考えていくことはできない。されど、当ブログの毛現在の指向性は、タントラもスーフィーもさしおいて、禅一辺倒という流れになってきた。おのずとタントラの影はうずくなってきた。

6)かと言って、ダイレクトに禅にいくには、ちょっと説明不足である。ここではジブランの「プロフェット」のあの抒情性が、抽象性をともなって、物事の仕上げを美化している。

7)禅(ZEN)は禅として、次に三冊を抜き出すことにする。

8)この三冊を見ていて面白いと思うのは、発行年代が、「ウェブ進化論」(2006/02)、「私が愛した本」(1992/12)、「プロフェット」(1972/06)と、だんだんさかのぼっていくことである。進化論といいつつ、21世紀といいつつ、実は、それほど根幹に変化はないのだ。

9)今回はまず、このところを確認しておけばいいだろう。当ブログあしかけ14年の成果である。

<34>につづく

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