« 「インターステラー」<2>監督: クリストファー・ノーラン | トップページ | 「コンフォルト」 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる<4> »

2018/04/09

「伊達政宗と瑞鳳殿」

Ph03_3

「伊達政宗と瑞鳳殿」 経ケ峯伊達家墓所について
公益財団法人瑞鳳殿 2017/03 小冊子 p35
No.4174★★★★☆

1)当ブログが伊達政宗あるいは伊達藩政に急接近しているのは、故なきとはしない。それぞれに訳あっての結果と言える。

2)私の生地の旧住所は、増田町上余田字千刈田、である。ひとつの住所の中に、なぜにこれほど「田」がでてくるのか。田舎なのはわかるとして、なぜ「田」が増え、「田」が余り、「田」を千も刈ることができたのか?

3)最近になって、それは、伊達藩による開田、米作り政策の結果ではないか、と思い当たった。

4)高校を卒業した青春時代、仙台北東部台原森林公園の脇でスタートした私たちのコミューン活動の名前がなぜに「雀の森」だったのか。

Photo_25)伊達藩のいくつかある家紋のうちでも代表的な「竹に雀」紋。直接に関係はなかったにせよ、仙台に雀とは、なにかのインスピレーションに引かれていたのではないだろうか。

6)また、コミューン活動拡大にともない二か所目のコミューン活動の拠点としたのは、仙台北山五山の一角、資福寺、覚範寺境内の裏であったこと。このこともまた、伊達藩とのゆかりを感じざるを得ない。両寺とも、深く深く伊達藩と関わっているのである。

7)そして、20歳前後の私は、その北山五山の名刹・輪王寺で坐禅の作法を学び始めたのである。

Ximage_00000000081_1_jpg_pagespeed_
8)もちろん、輪王寺は仙台屈指の名刹であり、伊達藩とは切っても切ることができない縁をもっている。私はここから、インドに向かって旅立ったのだが、また、インドから帰ってきて、ふたたびここにもどってきたのだった。

9)しかし、その時、私はその境内に血の匂いを感じ、足を遠ざけた。

10)時代ははるかに飛んで、一昨年、松島に友人たちと遊んだ時に、雄島を訪ねた。その時に禅堂の名前が「把不住」であることを知った。私はこれをBhaveshと読んで、サニヤス名の日本語表記としてお借りすることとした。

Zendo

11)昨年から積極参加した秀麓禅齋もまた、伊達藩の影響化にあった。その歴史には色濃い伊達色がある。

36_1082_4

12)陸奥国分寺もまた、伊達藩により再興されていた。

Kokubunji
13)そして最後に、私の血筋の半分、母方の祖先は、大阪夏の陣で徳川勢につくことをよしとせず、下野した丹波守、 但馬守と名乗っていた武士であったという。

Cntimg17

14)さらには、スターウォーズのダースベーダーの姿は、伊達政宗の黒塗りの鎧兜にインスパイアされているらしい。

Darthvader2
15)さぁ、これらの断片的なモザイクパーツを抱えながら、当ブログの伊達藩追っかけは人知れず、もやいを解く。

Img_5612_2

|

« 「インターステラー」<2>監督: クリストファー・ノーラン | トップページ | 「コンフォルト」 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる<4> »

02)Mindfulness in the Modern World vol.7」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「伊達政宗と瑞鳳殿」:

« 「インターステラー」<2>監督: クリストファー・ノーラン | トップページ | 「コンフォルト」 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる<4> »