「伊達政宗と瑞鳳殿」
「伊達政宗と瑞鳳殿」 経ケ峯伊達家墓所について
公益財団法人瑞鳳殿 2017/03 小冊子 p35
No.4174★★★★☆
1)当ブログが伊達政宗あるいは伊達藩政に急接近しているのは、故なきとはしない。それぞれに訳あっての結果と言える。
2)私の生地の旧住所は、増田町上余田字千刈田、である。ひとつの住所の中に、なぜにこれほど「田」がでてくるのか。田舎なのはわかるとして、なぜ「田」が増え、「田」が余り、「田」を千も刈ることができたのか?
3)最近になって、それは、伊達藩による開田、米作り政策の結果ではないか、と思い当たった。
4)高校を卒業した青春時代、仙台北東部台原森林公園の脇でスタートした私たちのコミューン活動の名前がなぜに「雀の森」だったのか。
5)伊達藩のいくつかある家紋のうちでも代表的な「竹に雀」紋。直接に関係はなかったにせよ、仙台に雀とは、なにかのインスピレーションに引かれていたのではないだろうか。
6)また、コミューン活動拡大にともない二か所目のコミューン活動の拠点としたのは、仙台北山五山の一角、資福寺、覚範寺境内の裏であったこと。このこともまた、伊達藩とのゆかりを感じざるを得ない。両寺とも、深く深く伊達藩と関わっているのである。
7)そして、20歳前後の私は、その北山五山の名刹・輪王寺で坐禅の作法を学び始めたのである。
8)もちろん、輪王寺は仙台屈指の名刹であり、伊達藩とは切っても切ることができない縁をもっている。私はここから、インドに向かって旅立ったのだが、また、インドから帰ってきて、ふたたびここにもどってきたのだった。
9)しかし、その時、私はその境内に血の匂いを感じ、足を遠ざけた。
10)時代ははるかに飛んで、一昨年、松島に友人たちと遊んだ時に、雄島を訪ねた。その時に禅堂の名前が「把不住」であることを知った。私はこれをBhaveshと読んで、サニヤス名の日本語表記としてお借りすることとした。
11)昨年から積極参加した秀麓禅齋もまた、伊達藩の影響化にあった。その歴史には色濃い伊達色がある。
12)陸奥国分寺もまた、伊達藩により再興されていた。
13)そして最後に、私の血筋の半分、母方の祖先は、大阪夏の陣で徳川勢につくことをよしとせず、下野した丹波守、 但馬守と名乗っていた武士であったという。
14)さらには、スターウォーズのダースベーダーの姿は、伊達政宗の黒塗りの鎧兜にインスパイアされているらしい。
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