「アイ,ロボット」 アレックス・プロヤス監督<24>
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「モアレ」 ~映画と気晴らし~ <2>
作・石川裕人 ニュートン祭り実行委員会 2018/05/25 (金)~2018/05/26 (土) エル・パーク仙台 ギャラリーホール
★★★★★
1)最近の私は、言葉が出ない。目も悪くなり、老眼鏡も合わないせいか、読み書きがままならなくなってきた。この芝居についても、なにか長文を書きたかったが、メモ程度にとどめておく。
2)1989年の作品である。今から29年前。私は、家族での四か月のインド旅行を終えて帰国し、生活に追われつつ、交通事故に遭遇し、これまた長期の入院生活に追いやられていたタイミングだった。
3)当然のごとく、この芝居を見ていない。あの時代、ニュートンはこういう芝居を打っていたんだ、とあらためて認識した。
4)当時はまだ十月劇場、実際の当時のステージに立ったのは、絵永けいと小畑次郎だけであった。今回のステージでは重要な役割をした松崎太郎(当時、童丸)は、まだ照明担当だったという。
5)映画館の楽しさ、映画の楽しさ、あれこれ映画に関わる人々などなどが、自由闊達にちゃんぽんされる。例えば、カサブランカ。例えば、「小津の魔法使い」。小津安二郎とオズの魔法使いのちゃんぽんだが、はてさて、映画音痴の私には、どこでどのタイミングで、それぞれの作品が「モアレ」をおこしているのか、正確には把握できないところが、ままあった。
6)重要なキャストである小畑次郎は、闘病で入院中の身を起こしての熱烈出演である。役者にとっては命である声帯に異変を抱えつつも、当時からの熱意を伝える独特の存在感を放った。
7)絵永けいも、なんだか一段とスマートになって、なるほど銀幕のスター女優もかくありなんと思えるほどの熱演だった。先輩格のなかじょうのぶ氏の締めかたも、良かった。おそらく今回も舞台芸術に才を発揮しただろうX梨ライヒ(なんて読むのだろう)も彩りを加えていたはずだ。
8)今回は砂拉三駄(なんてよむのだろう)氏の特段の発意があったと聞いた。いつぞやは街角で声をかけてくれた片倉久美子さん(いや宿利左紀子さんか?)お二人のキューピット役もなかなか可愛いかった。IQ150の丹野久美子さんも彩りを添え、まさにニュートン祭りにふさわしいステージだった。
9)オープニングの前の「いのりの舞」の石澤佳奈さんの剣舞もなかなかのものだった。芝居そのものとは直接つながらないにせよ、一段とステージの緊張感を高めてくれたことは確かだ。シャープだった。
10)いまさらながらに気づいたことではあるが、この約30年前の台本を役者たちは、ほとんど正確に、変更やアドリブなしで演技しているという。私なんぞは、あの台本を渡されただけでは、はぁ、なんだかなぁ、と思ってしまうほど単純なシナリオ書きなのに、ひとりひとりの役者たちは、その意図を、100倍にも200倍にも現実化してステージの上に載せてくれる。ひとりひとりの役者群の力量なのだと思う。
11)旧作を再演することをよしとせず、常に新作新作に身を投げていったニュートンだったが、今こうして、仲間や後輩たちが次々と再演を続けていってくれているところに、いかにニュートンが周囲に愛されていたかが、分かった気がした。
12)5月26日11時を見た。
13)7月には金沢の劇団によるニュートン芝居が、仙台でまた再演されるという。どういうステージになるだろう。見逃せない。
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「スター・ウォーズ 禅の教え」 エピソード4・5・6 <8>
枡野 俊明 (著) 2015/12出版社: KADOKAWA 単行本: 191ページ
★★★★★
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「良寛 軽やかな生き方」わたしは、ただ、遊んでいるだけ
境野 勝悟 (著) 2018/02 三笠書房 (知的生きかた文庫) 文庫: 224ページ
No.4190★★★★★
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「禅の庭III」 枡野俊明作品集 2010~2017
枡野 俊明 (著) 2017/11 毎日新聞出版 単行本 144ページ
No.4189★★★★★
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「スター・ウォーズ 禅の教え」 エピソード4・5・6 <5>
枡野 俊明 (著) 2015/12出版社: KADOKAWA 単行本: 191ページ
★★★★★
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「スター・ウォーズ 禅の教え」 エピソード4・5・6 <4>
枡野 俊明 (著) 2015/12出版社: KADOKAWA 単行本: 191ページ
★★★★★
枡野俊明関連リスト
「禅の庭」枡野俊明の世界 2003/10 毎日新聞社
「夢窓疎石」日本庭園を極めた禅僧 2005/04 日本放送出版協会
「禅と禅芸術としての庭」 2008/04 毎日新聞社
「禅、シンプル生活のすすめ」 2009/06 三笠書房
「禅の庭Ⅱ」枡野俊明作品集2004-2009 2010/08 毎日新聞社
「禅の言葉」シンプルに生きるコツ2011/12 大和書房
「老いを超える生き方」禅的人生の英知2015/11 さくら舎
「スター・ウォーズ 禅の教え」エピソード4・5・6 2015/12 KADOKAWA
「禅が教える 人生という山のくだり方」 2016/01 KADOKAWA
「おだやかに、シンプルに生きる」 2016/03 PHP研究所
「リーダーの禅語」 2017/03 三笠書房
「幸せを感じる心の育て方」 2017/03 主婦の友社
「禅の庭III」 枡野俊明作品集 2010~2017 2017/11毎日新聞出版
「自分の休ませ方」 2017/04 青春出版社
「六〇歳から『生まれ変わる』禅の作法」2018/04毎日新聞出版
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「週刊ダイヤモンド」 11年ぶり大改定 保険を見直せ! <2>
2018/04 ダイヤモンド社 2018年 4/28・5/5 合併号 雑誌
★★☆☆☆
1)あまり公言すべきことでもないし、全体としてはそっとしておきたいことだが、のちのちの私自身のデータの記憶として、隠語を含めてメモしておく。
2)わが業界は、近年ポイント制を導入して地盤変動が起きている。業界自体のことについては、ネットにあふれている。ここでは私のことだけ書いておこう。
3)私個人のポイントは実に悲惨なものである。それは当然であろう。ポイントなんてのは、カード類も含めて、まったく無視しまくっている。そんなものはどうでもいい。この態度がどうやら、結果的にはマイナスに働いている。
4)されど、高齢化した同業同僚にとっても、私と似たり寄ったりだ。収入はどんどん減らされている。弱肉強食の業界に様変わりしている。One for All. All for Oneが建前のわが業界であったはずではないか。
5)強食に類するのは一部である。ごく一部のビジネスマインドに富んだ人材が、そういうシステムをつくり、その傘下に「しかたなく」トボトボと吸収されていく同業同僚がほとんどだ。
6)この期におよんで、わが社の選択すべきは三つ。①このままスタンドアロンで、独立性を保つ。⓶同業同僚数社とつるんで一業態に凝縮する。③巨大化をはかるネットワークに吸収される。
7)この数か月、わが社が巻き込まれていたのは⓶の合同合併の流れである。具体的な母胎となる業態があり、そこに参加し、あるいは同業同僚を複数誘って、さらに大きな流れを作ろうか、というプロジェクトである。
8)私はもともと①派である。されどせっかく熱がこもってきたので、積極的に業界のデータを集めて見た。実際に出向き、積極的わがデータも流出した。どこもそれぞれだった。どこがベストということはない。それぞれに長短がある。
9)結論としては、⓶はやっぱりダメであった。具体的に、それぞれの個別性があり、決定論ではないにせよ、私が参入のシュミレーションを試みた業態は、不可能だった。原因は、それぞれの個性。限界性。将来性。
10)この際、③のケースもだいぶ取材した。10年後には、そのうちのどれかにわが社も吸収されることになるのだろうか。
11)とにかく自助努力で、わが社は①でいく。BCP、LIFE、IT、キーワードはこの三つだ。
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1)一番小さな孫が、この春、幼稚園の年少さんになった。いろいろ新しい行事があって楽しいらしい。
3)ふーん、坐禅会か。「おかあさん座りして、手をパチンとするんだよ」
4)「ようちえんのとなりに、たてものがあって、その中でやるんだ。」
5)幼稚園の隣にあるのは、真言宗のお寺である。お寺が最初にあってその境内に幼稚園があとからできたのだが、幼い子供にとっては、幼稚園が先である。それにしても、お寺さんなら、何宗であっても、坐禅会というのだろうか。
6)わが子が小さい時は、お寺のことを「一休さんのおうち」と言っていたが、いまは一休さんは有名でないのだろうか。
7)幼児洗礼とか、幼稚園で教育勅語の暗唱をさせるなどは、行き過ぎの最たるものだが、寺院経営の幼稚園では、「ざぜんかい」のさわりなどをちょっとだけ体験させるのは、いいのかもしれない。
8)私は、小学校5年の時、「反省会」という名目で、教室で瞑想のてほどきを受けたものだった。その時はなんとも思わなかったが、成長してから、それは貴重な体験だったのだ、と、痛感した。
9)この孫にとって、その「ざぜんかい」体験は、どのような位置づけとなっていくのか楽しみだ。
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「六〇歳から『生まれ変わる』禅の作法」
枡野 俊明 (著) 2018/04 毎日新聞出版 単行本: 208ページ
No.4188★★★★★
1)この方の本はすでに10冊ほど目を通しているのではないか。そのうち追っかけリストを作ってやろう、と考えていたはずだが、まだ未作成である。
2)何故か? この方、1953年生まれで私と同じ学年である。禅僧であり、しかも曹洞宗という身近な道元禅の方であってみれば、親和性が深く、逆に追っかけするほどでもないか、と思ってしまうところがある。
3)「スター・ウォーズ 禅の教え」 (枡野 俊明 2015/12 KADOKAWA )は面白い。座右の書になりそうだ。
4)この書に書いてあることは、いちいちごもっとも、という感じ。正直目新しいところはない。まぁ、そこがいいのだが。
5)朝のウォーキング、朝粥、家庭菜園、観光ボランティア、メモを取る、町内会活動、お茶を淹れる、無理をしない、坐禅会に参加する、朝坐禅、葬式、戒名を考える。いちいちごもっともである。我がライフスタイルにも、ほとんど取り入れ済みである。
6)そもそも、禅とは、当たり前の生活を、丁寧に生き切ることである。当たり前のことがか書いてあるのは当然のことであろう。脚下照顧。足元をキチンと見直したい。
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「アイ,ロボット」 <11>
監督: アレックス・プロヤス 出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分
★★★★★
1)奥さんが悩んでいる。聞いてみれば、アイロンが壊れて使えないという。どれどれ? と、普段の私なら、すぐ修理にかかるところだが、どうも奥さんは諦めている。
2)どうせ、ほこりがたまっているとか、断線したとか、単純な故障だろうが、熱源でもあるし、火事にでもなったら大変である。ましてや一番シンプルなスチームもない格安のものでいいらしいので、思い切って、新調することになった。
3)「喜んでいるでしょ?」と彼女はいぶかしげである。「いえいえ」と否定はしたものの、分解したい、という私の心の中はどうも見通されているらしい。
4)これがなかなかに面白い。見ていると、これがロボットの顔に見えて来るから不思議ではないか。私の脳も、どうやらかなりロボット脳にやられてしまったようだ。
5)サイズがちょっと小さいが、これはきっと何かに使えるだろう。必要なものはどんどん集まってくるんだよね、経験上。廃物アートの面白いところ。
6)近くのスーパーに買い物に行ったら、売れないDVDのワゴンセールを格安でやっていた。レジ待ちのヒマな間に眺めていたら、あら、なんと、「アイ、ロボット」があるではないか。やっぱりこのDVD売れないのかな。かわいそうだから、このDVDも一枚、買い物かごに入れてしまった。
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THE MASTER(マスター)
私はあることを言いたい。これは私が生涯にわたって秘密にしてきたことだ。私はいつも、誰のマスターにもなりたくないと思っていた。
……マスターであるということは、ひじょうに奇妙な仕事だ。ハートに関することを議論と論拠、合理性、哲学によって人びとに納得させなければならない。
頭の働き(マインド)をハートの召使として使わなければならない。マスターのワークは、あなたの全エネルギーがハートへと入っていくように、あなたからマインドを取り去ることだ。
要点がわかるかね? 「マスター」という言葉は、弟子、信奉者という発想を生み出す。弟子、信奉者がいなければ、どうしてマスターがありうるかね? だが、「マスター」という言葉のスピリチュアルな意味は、自分自身をマスターするということだ。
それはどんな信奉とも関係ない。群集に依存してはいないのだ。マスターはただ独りでいられる。私が話している「新しい人間」は、自分自身のマスターになる。Osho
解説:
禅のマスターは他者に対するマスターではなく、自分自身のマスターです。―そして、自分をマスターしているというそのことが、彼のあらゆる仕草とひとことひとことに反映しています。
彼は伝える教義を持っている教師でもなければ、神と直接的なつながりを持っている超自然的な使者でもなく、まさに人間ひとりひとりの内側に潜んでいるもっとも高い可能性の生きた証となった人なのです。
弟子は、マスターの眼のなかに自分自身の真理が映し出されていることに気づきます。マスターの静寂に満ちた臨在のなかで、弟子はもっと楽に自分自身の実存の静寂へと落ちていくことができます。
マスターのまわりに自然に形成される探求者たちのコミュニティーは、ユニークな個人それぞれが自分自身の内なる光を見いだすのを支えてくれるエネルギー・フィールドになります。
いったんその光が見つかったら、外側のマスターは触媒、内なるものの目覚めを喚起する仕掛けにすぎなかったことを弟子は理解するようになります。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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「アイ,ロボット」 <10>
監督: アレックス・プロヤス 出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分
★★★★★
1)みなさん、ご協力ありがとうございました。アンケート、12時間後、19名参加の結果。
2)第一位は、10票を獲得したNo.9君でした。もともとOSHOを写して作った翁面なので、固定票があったかも。
3)第二位は、8票を獲得したNo.5君。実にひょうきんな、ブリキ感がよかったかなぁ。
4)第三位は、6票で、なんと穴馬No.11君。自転車のサドルと車用ハンガーで作った、壁掛け鹿の飾りのつもり。
5)第四位は、5票でNo.4君。なんとなくアニメっぽいよね。
6)そして同率でNo.8君。このアルミ箔を素材として最終的なスキンを作る予定。
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4、THE REBEL(反逆者)
人びとは怖れている。自分自身のことを知っている者たちをひじょうに怖れている。彼らには、活気のある若者たちを因習的な監禁状態から連れ出すある種の力、ある種のオーラと、ある種の磁力、カリスマがある……。
光明を得た人は隷属させられることなどありえない——それが厄介なのだ——そして、光明を得た人は監禁されることもありえない……。内なるもののなにかを知った天才たちにはみな、受け入れられるには少しむずかしいところが必ずある。
天才は秩序を乱す力になる。大衆は乱されたくはない。たとえ惨めであっても——事実、惨めなのだが、彼らはその惨めさに慣れている。そして、惨めでない人は誰であれ、よそ者のように見えるのだ。
光明を得た人は、世界でもっとも偉大なよそ者だ。その人は誰かに属しているようには見えない。その人はどんな組織にも閉じ込められない。どんなコミュニティー、どんな社会、どんな国家にも——。Osho The Zen Manifesto: Freedom from Oneself Chapter 9
解説:
この力強く、毅然とした人物は、明らかに自らの運命の支配者(マスター) です。彼の肩には太陽のエンブレムがついていて、右手で掲げている松明(たいまつ) は、苦労して勝ち得た彼自身の真理の光を象徴しています。
裕福であろうと貧しかろうと、「反逆者」はほんとうに皇帝です。彼は社会の抑圧的な条件づけと意見の鎖を打ち砕いているからです。彼は虹のすべての色を身にまとって自分を形づくり、自己の無意識な過去の、暗く、そして形のない根源から浮かび出て、空へと飛び立つ翼をはやそうとしています。
彼の在り方そのものが反逆です——誰かと、あるいはなにかと闘っているからではなく、自分自身の本性を発見し、その通りに生きようと決心しているからです。
彼のスピリット・アニマルは鷲(わし) 、地と空のあいだのメッセンジャーです。「反逆者」は、自分自身としてあることの責任を取り、自分たちの真理を生きる勇気をもつようにと私たちを促しています。Copyright © 2011 Osho International Foundation
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「イラスト やさしい家庭菜園」<3>
板木 利隆 (著) 1987/01 家の光協会 単行本: 182ページ
★★★★☆
1)今年のジャガイモは概して順調である。ニジュウウヤホシテントウムシも飛来はするが、それこそ今年は天敵退治に必死である。葉の裏に産み付けられた小さな黄色い卵群も見つけ次第摘み取り処分。
2)よく見ると、花のつぼみが小さく出つつある。そしてなんとフタツボシテントウムシを発見。これは大発見だ。フタツボシテントウはアブラムシなどを食べてくれる益虫である。こちらは大事に見守る。
3)そして今年の本命のビックリジャンポ(ササゲマメ)の発芽は順調だ。五つ落とした種は五つとも発芽している。これは楽しみ。
4)お隣さんから昨秋もらったイチゴも割と順調。赤くなりつつ実がいくつか付き始めている。明日あたり、孫でも連れて摘みに行こう。
5)キュウリは昨日植え付けたばかりだが、割とイイ感じ。ただ少し色が悪いな。苗を選ぶ技術も必要だ。あとは追肥の問題か。
6)ナスはなぁ、これが問題。すでに我が畑は連作障害になっている。できるだけバラバラに三か所に受け付けてみた。
7)なにはともあれ、ビックリジャンボだ。あんまり水かけは必要ないようだ。ガーデンのプランターに受け付けたものは、水の掛け過ぎか、発芽率は2/9。これは研究が必要だね。
つづく
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「おめぇだづがいでお等(ら)がいだ」
鈴木 正行 (著) 2018/02 創栄出版 単行本 167ページ
No.4187★★★★★
1)仕事仲間の友人T氏の友人(おそらくお客さんかも)が、最近本を出したという。お祝いに三冊買ったから、一冊あげるよ、と頂戴した一冊。地元の出版社であり、ましてや自費出版を多く手掛けている会社であれば、よくあるタイプの自己満足本かな、とも思った。
2)読み始めて見ると、これがなかなか面白い。裏表紙の帯の推薦文「読者の声」にもあったが、「あまりにおもしろさに、早く次のページが読みたくなった」。
3)全体としては、タイトルから初めとして、地元のズーズー弁が文字表現されており、違和感がないでもない。半面、面白いと言えば、これがなかなか面白い。宮城県北の言葉らしいが、県南部ともそんなに変わらない。んだんだ、おらいのほうでも、こういう。
4)著者は1950生まれの現役寿司職人だそうだから、それほど文章の達人でもないだろう。おそらくはゴーストライターがいるか、相当に編集者の直しが入っているのかもしれない。それがどの程度なのかわからない。
5)ただ、中学校時代は応援団長を務め、高校時代には、生徒会長選の友人の応援弁士を務め(落選)、その後に弁論大会(校内3位)にも出場したというから、もともと豊かな文才をお持ちの方なのかもしれない。
6)生まれた直後から、足に障害があったという。股関節脱臼。たしか私も小さい時には、おなじ病気で矯正用のベルトをしていた、と聞いたことがある。作者の場合は、大学病院でこの矯正用ベルトをつけてもらったが、きつかったのか泣きだしたので、帰宅途中に父親が外してしまったのだ。それが原因で障害が残ってしまったらしい。
7)見当はずれかもしれないが、泉谷しげるのコンサートを若い時参加した時、彼もまた足に似たような障害を持っているようだった。泉谷しげるの性格の特異性も、体の障害ゆえだったかもしれない。
8)登場人物は、作者の名前と違っているので、純粋な小説かもしれないし、多少脚色されたストーリーなのかもしれない。どちらにせよ、そうそう多く本を出版してきた方ではないだろうから、ほとんど自叙伝のような形の一冊であろうことは間違いない。
9)生後まもなくから、小学校時代、中学校時代、そして高校時代が主な舞台であり、高卒後の就職した寿司職人修行時代の20過ぎで終わっている。最後には親しき友人たちや仲間たちが実名らしき連名で登場してくるので、やはり自叙伝的一冊と言っていいのだろう。
10)思いがけなくいただいた一冊だったが、大変面白く読んだ。感謝を込めつつメモしておく。奥さんには、中学校の図書館にも一冊いかが、と推薦しておいた。
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23. クリエイター(THE CREATOR)
世界にはふたつのタイプのクリエイターがいる。一方のタイプのクリエイターは対象に取り組む——詩人、画家、彼らは対象に取り組む、ものごとを創造する。もうひとつのタイプのクリエイター、神秘家は、自分自身を創造する。
彼は対象には取り組まず、主体に取り組む。自分自身に、自分の実存に働きかける。そして、そういう人こそが、ほんとうのクリエイター、ほんとうの詩人だ。自分自身をひとつの最高傑作にするからだ。
あなたは自分の内側にひとつの最高傑作を隠しもっている。だが、あなた自身が道に立ちはだかっているのだ。
ちょっと脇によければ、その最高傑作が現われてくるだろう。誰もが最高傑作だ。というのも、神はなにひとつそれ以下では誕生させないからだ。誰もが何生にもわたってその最高傑作を隠しもっている。自分とはいったい誰なのかも知らずに、ただ表面で何者かになろうとして——。
何者かになるという考えを落とすがいい。あなたはすでにひとつの最高傑作なのだ。そのあなたをもっと良くすることなどできない。あなたはただそれに気づき、それを知り、それを悟ればいいだけだ。神みずからがあなたを創造したのだ。そのあなたをもっと良くすることなどできはしない。
解説:
このカードの禅マスターは火のエネルギーに手綱(たづな)をつけ、それを破壊ではなく創造に使うことができます。情熱の火を抑圧することもなく、破壊的な方向に働らかせてバランスを失うこともなく、その情熱の火をマスターした者たちに備わっている理解を共に認識し、共に参加するようにと、彼は私たちを招待しています。
彼はとても統合されていますので、内側の自分と外側の世界の自分とのあいだにもはや違いはありません。彼は自分のところにやって来たすべての者たちに、この理解と統合という贈りものを差し出します。それは彼自身の実存の中心からやって来る、創造性にあふれた光の贈りものなのです。
「火のキング」はこう語っています——成熟から生じる理解があれば、いま私たちが着手しているすべてのことが、私たち自身の生とほかの人たちの生に豊かさをもたらすことになるだろう、と。なんであれ、あなたのもっている技能をすべて使って、自分の生の体験から学んだことを総動員して、自分自身を表現する時です。
Copyright © 2011 Osho International Foundation
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56. LAZINESS(怠惰)
怠惰なときは、否定的(ネガティヴ)な味がする。あなたはただ、自分にはエネルギーがないと感じる。ただ、だるい感じがする。ただ、眠く感じる。ただ、死んだような感じがする。
無為の境地にあるときは、あなたはエネルギーに満ちあふれている——。それはひじょうに肯定的(ポジティヴ)な味だ。あなたはエネルギーに満ち、あふれている。光を放ち、高揚し、脈打っている。眠くはない。完璧に醒めている。あなたは死んではいないのだ……素晴らしく生きている。
心(マインド)があなたをだますことはありうる。心は、怠惰とは無為のことだと理屈で解釈することはできる。心は、「私は禅のマスターになった」とか、「私はタオを信じている」と言うことはできる——。
だが、あなたは誰かほかの人をだましているわけではない。あなたはただ自分をだましているにすぎないだろう。だから、油断せずにいるがいい。Osho A Sudden Clash of Thunder Chapter 8
解説:
この紳士は明らかに「自分は成し遂げた」と思っています。ふわふわのゆったりした大きなソファに腰をおろし、サングラスをかけ、日除けのパラソルの下でピンクのスリッパをはき、ピニャ・カラーダを手にしています。
彼はすでになし終えたと思っているために、立ち上がってなにかをするエネルギーはありません。鏡が自分の右側を取り巻くようにひび割れているのに、その方はまだ見てもいません。それは、ついに行き着いたと自分では思っている場所が目の前でまさに粉々になり、消滅しようとしている確かなサインなのですが……。
このカードがもたらすメッセージは、このプールサイドのリゾートがあなたの最終的な目的地ではないということです。広大な空を飛ぶ、あの白い鳥が示そうとしているように、旅はまだ終わっていません。
差し迫る危険に気づていないあなたの自己満足は、成し遂げたというリアルな感覚から生じたものではあるでしょうが、今はもう、さらに先に進むときです。そのスリッパがいかにフカフカしていようとも、ピニャ・カラーダがどんなにおいしくても、探険すべき空また空が依然として待ち受けています。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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19.INNOCENCE(無垢)
禅はこう言っている。もしあなたが知識を落としたら——知識のなかにはあらゆるもの、あなたの名前、あなたのアイデンティティ、あらゆるものが含まれている。
というのも、これは他人によってあなたに与えられているものだからだ——もし、あなたが他人から与えられているすべてを落としたら、あなたは自分の存在に全面的に異なった質——無垢を得ることになる。
これは、仮面(ペルソナ) 、人格(パーソナリティ)の十字架上の死、そして、あなたの無垢の復活になる。あなたは再び子どもになる、生まれ変わる。Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 7
解説:
このカードの老人は、子どものような歓びを世界に放っています。彼のまわりには優雅な感じがただよい、まるで自分に、そして生がもたらしてくれているものに、くつろいでいるかのようです。
彼は指の上の蟷螂(かまきり)と楽しい会話を交わしているように見えます。まるで彼らふたりが大の親友であるかのように——。彼のまわりにこぼれ落ちているピンクの花は、手放しの、くつろぎの、そして甘美なひと時を表わしています。
それは、彼がそこに在ることへの応答、彼自身の質が映し出されたものです。生を深く体験することから生じる無垢は、子どものようです。でも、子どもじみてはいません。子どもたちの無垢は美しいのですが、なにも知らないのです。
成長し、世間は危険で怖いところでもあるということを学ぶにつれて、その無垢は不信や疑いに置き換えられてしまうでしょう。
しかし、充分に生きられた生の無垢には、智慧の質と、生の果てしなく変化する驚きを受け容れる質があります。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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<33>少名彦名命 目次
1)今日のお祭りのために84歳の叔母が作成した案内状。毎年、母の日に恒例のお祭りがおこなわれている。
2)地権者と、地域の人々で「保存会」のようなものを構成して、もっと広く多くの人々に参加しやすくするのはどうだろうか、という声は以前から出ていた。そのアイディアもいずれはより具体化したものになっていくだろう。その前に、いくつかのステップがある。
3)今日は、この旗のことが話題になった。「奉納 少名彦名命」。スクナヒコナノミコト、と読む。薬師瑠璃光如来がご本尊であるなら仏教だが、少名彦名命なら、神道の神様ということになる。本地垂迹、神仏習合、廃仏毀釈、などの歴史の荒波の中で、スクッと立ち続けてこられたのは、カヤの木、その方ご本人である。
4)旗を「奉納 薬師瑠璃光如来」とでも改めましょうか、という声に、「いやいや、歴史は歴史として、このままでもいいのではないか」と古老はおっしゃる。日本の歴史としては、薬師如来より、少名彦名命のほうがもっと古いぞ。この矛盾、この謎を辿ることによって、より私たちの歴史や、生きてきたご先祖様たちの姿が見えてくるのではないか。なるほど、ごもっともである。
5)そもそも、少名彦名命は、日本史における大国主命の参謀として、経営コンサルタントのような役割をはたされた神様。祀っている寺社は多くはないが、実は、かなり重要な位置を占めている神様なのである。
6)古事記、日本書紀の中に登場する回数は少ない謎の神様である。なるほどそうであれば、さて、我らがホツマツタエではどのように語られているだろうか。以前、ちょっと調べかけたような気もするが、もういちど、確かめてみる必要がありそうだ。
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<71>「Mindfulness in the Modern World vol.7」カテゴリについて
1)すでに同じ名前のカテゴリが7つ続いた。108*7=756の記事が、2016年12月21日から一年5か月の間続いている。もうほとんど、ここに固定してしまったようだ。
2)3・11震災からちょうど7年経過した時点で、別ブログ、「把不住述懐」もスタートしている。そちらは、読書ブログ傾向を廃した、よりつぶやき性のつよいものとなっている。
3)「再読したいこのカテゴリこの3冊」はつぎのとおり。
「謎床: 思考が発酵する編集術」
松岡 正剛 (著), ドミニク・チェン (著), 2017/07 晶文社
「禅のすすめ」―道元のことば (NHKライブラリー)
角田 泰隆 (著) 2003/03 日本放送出版協会
「永平広録を読む」
澤木 興道 (著) 2010/05 大法輪閣
4)書かれた期間は2018/03/01~2018/05/12。
5)すでに止め時を失ってしまった当ブログである。OSHO ZEN TAROTシリーズの復活が始まっており、廃物アート「ロボット」制作も始まってしまった。このシリーズは7で終わるわけにはいかなくなった。
6)次のカテゴリ名は「Mindfulness in the Modern World vol.8」となる。
鐘の音を運びて澄みし春うらら 把不住
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再読したいこのカテゴリこの3冊
「Mindfulness in the Modern World vol.7」編
「謎床: 思考が発酵する編集術」
松岡 正剛 (著), ドミニク・チェン (著), 2017/07 晶文社 単行本: 358ページ
★★★★★
「禅のすすめ」―道元のことば (NHKライブラリー)
角田 泰隆 (著) 2003/03 日本放送出版協会 単行本: 284ページ
★★★★☆
「永平広録を読む」
澤木 興道 (著) 2010/05 大法輪閣 単行本: 341ページ
★★★★☆
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「アイ,ロボット」 <4>
監督: アレックス・プロヤス 出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分
★★★★★
1)さて、まずはポイントとなる頭骨である。すでに廃物アート「頭骨」で、おおよその構造は把握している。発泡スチロール製とは言え、なかなか込み入った構造となっていることは確認済みだ。
2)今回は金属製である。加工は簡単にはいくまい。ハサミ、サンダー、金属のこぎり、いろいろ考えては見るが、容易でないことはすぐわかる。基本となるのは、石油ストーブのタンクの部分。これを加工する。
3)リアリティが求められた発泡スチロール製の頭骨と違い、今度は、基本はロボットだ。人体を基本としながらも、自家製のロボットと作るのだから、まぁ、基本から外れてもユニークであれば、なんとか納得できるのではないか。
4)頭骨は、大きく三つの部分にわけられている。このブリキのタンクから、この三つパーツを切り出し、加工する。
5)次にポイントとなるのは、腰骨であろう。これはチキンの骨でティラノザウルスを作った時に、実に重要な注目点であることは確認した。
6)この腰骨の在り方で、爬虫類なのか恐竜なのかを見分ける大きな判別点となる。
7)今回はヒト型ロボットだから、実際の人類の大腿骨と腰骨を再現すればいいわけだが、これを手元の廃物から探し出すとなると、なかなか骨がいる。今のところ注目しているのは、修理で廃物となった水道の蛇口。
8)うまいこと一対あるが、製品はまったく別物で、形もかなり違う。これを具合よく左右対象に加工するには、そうとうな技術を要するだろう。
9)まぁ、そこもまた、自作の廃物アートに免じていただいて、それらしくなぞってロボットとすることで、納得していくこととしよう。
10)骨盤の構造もなかなか複雑だなぁ。
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14. INTEGRATION(統合)
争いは人間のなかにある。そこで解決しなければ、ほかのどこでも解決されない。駆け引きはあなたの内側にある。心のふたつの陣営のあいだにある。
ひじょうに小さなかけ橋が存在している。もしその橋がなにかの事故で、生理的な欠陥やほかのなにかで壊れていたら、その人は分裂する、ふたりの人物になる——。そして、精神分裂症や多重人格という現象が起こる。
もしその橋が壊れていたら——しかも、その橋はひじょうに脆( もろ)い——あなたはふたつになる。ふたりの人物であるかのように振るまう。朝にはとても愛にあふれ、ひじょうに美しいのに、夜になるととても怒っていて、まったく違っている。
あなたは、その朝のことを覚えていない……どうして覚えていられるかね? 別の心が働いていたのだ——。そうして、その人はふたりの人物になる。もしこの橋が強められ、ふたつの心がふたつ別々のものとしては消え、ひとつになるくらいになったら、そのときこそ統合が、さらには結晶化が生じる。
ゲオルギー・グルジェフがいつも「実存の結晶化」と呼んでいたものは、このふたつの心がひとつになることにほかならない。内側の男性と女性の出会い、陰と陽の出会い、左と右の出会い、合理と非合理の出会い、プラトンとアリストテレスの出会いだ。Osho Ancient Music in the Pines Chapter 1
解説:
統合のイメージは、ユニオ・ミスティカ、相反するものの融合です。今は、これまで体験してきた生の二元性が交流する時です。
夜は昼に対立しているのではなく、闇は光を抑えているのではなく、あるものが別のものへと果てしなく変化しながら、それぞれがそのもっとも深い核に相反するものの種子を含みながら、統一された全体を創りだすためにいっしょに働いています。
鷲(わし) と白鳥は、ともに飛翔し、威厳ある存在です。鷲は、力と独りあることの化身。白鳥は、スペースと純粋さの化身で、感情の領域に優雅に浮いたり、その内側に潜ったりしながら、自らの完璧さと美にまったく満足し、完結しています。
私たちは鷲と白鳥、つまり男性と女性、火と水、生と死が統一されたものです。
「統合」のカードは、自己創造、新しい生、そして神秘的合一(ミスティカル・ユニオン) のシンボル、あるいは、アルケミーとして知られているもののシンボルです。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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<32>18歳と81歳の違い 目次
1)このプリントは、私の母親(96歳)の12歳年下の妹、つまり私の叔母さんからもらったもの。現在84歳。東北の典型的な田園の中の農婦。
2)すでに腰は直角に曲がっているが、日常的に軽自動車を運転して、生活している。なんせ隣の家まで、数百メートルある。車なしの生活は考えられない。7人家族だが、大人は一台づつクルマを持っている。
3)この叔母さん、琴を弾き、短歌を詠み、パソコンでチラシを作り、ホームページまで作成する。
4)ネタは「笑点」大喜利の名回答集のようですね。
5)ひ孫が幼稚園からもらってきたプリントの印刷面が薄れてしまったので、叔母が自分でワープロを打ち直し、印刷して、周囲に配っているんだとか。
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47.SUPPERESSION(抑圧)
サンスクリット語には「アラヤ・ヴィギャン」という名称がある。社会の条件、文化、文明ゆえに、やりたくてもできないことをあなたがその地下室に放り込みつづけているその家のことだ。
だが、それらはそこに溜まりつづけ、あなたの行動、あなたの生に影響を与える——ひじょうに間接的に。直接には、それらはあなたの前に出てくることはできない——あなたはそれらを暗やみに押し込んだのだ。
だが、その暗い面から、それらはあなたの振るまいに影響を与えつづける。それらは危険だ。こうしたすべての抑制を自分の内側にとどめておくことは危険だ。
人が精神に異常をきたすとき、こうしたものごとがクライマックスに達するのだということは大いにありうる。精神異常とは、こうした抑圧がすべて、もはや自分ではコントロールできないポイントにまで達してしまうこと以外のなにものでもない。
だが、狂気は容認されるが、瞑想はそうではない——が、瞑想こそ、あなたを完全に正気にさせる唯一の道だ。Osho The Great Zen Master Ta Hui Chapter 11
解説:
このカードの人物は、まさに文字どおり「すっかりからめとられて」います。それでも彼の光は内側で輝いていますが、ひじょうに多くの要求と期待にこたえようとするあまり、彼は自分自身の活力を抑え込んでいます。
自分を閉じ込めているのとまったく同じ力によって認められることと引き替えに、彼は自分自身のパワーとヴィジョンをあきらめているのです。このようなやり方で自分の自然なエネルギーを抑圧することがいかに危険か、それはこのイメージのふちで今にも爆発しようとしている火山の亀裂にはっきりと現われています。
このカードのほんとうのメッセージは、潜在しているこの爆発が癒されるはけ口を見つけることです。まさに今、あなたの内側でつのっているに違いない緊張とストレスをすべて解き放つ道を見つけることが、絶対に必要です。
枕を叩いたり、飛び跳ねたり、大自然のなかに出かけて空っぽの空に向かって叫んだり——自分のエネルギーを揺り起こし、自由に巡らせることのできることなら、なんでもしましょう。破局(カタストロフィー)が起こるのを待っていてはいけません。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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3)みどり風天空めがけて昇れ龍 把不住
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28. RECEPTIVITY(受容性)
聴くことは、神の寺院に入るためのもっとも基本的な秘法のひとつだ。聴くことは、受け身であることを意味する。聴くことは、自分を完全に忘れてしまうことだ——。そうして初めて、あなたは聴くことができる。
ある人の言うことを注意して聴いていると、自分のことを忘れる。自分のことを忘れられなかったら、けっして聴いてはいない。自意識が過剰だったら、あなたは聴いている振りをするだけだ——聴いてはいない。うなずいたり、ときには「はい」とか「いいえ」とか言うだろう——が、聴いてはいない。
聴いているときは、あなたはまさに通路、受け身、受容性、子宮になる。女性的になるのだ。そして、行き着くためには、人は女性的にならなければならない。
攻撃的な侵略者、征服者として神に到達することはできない。あなたが神に到達できるのは、ただ……あるいは、こう言ったほうがいいだろう——神があなたに到達できるのは、あなたが受け身、女性的な受け身の状態のときだけだ。
あなたが陰(イン)に、受け身になったとき、扉が開かれている。そして、あなたは待つ。
聴くことは、受け身になるためのアートだ。Osho A Sudden Clash of Thunder Chapter 5
解説:
「受容性」は女性的なものを、水と感情の受容的な質を表わします。両腕は受け取るために上へと伸ばされ、彼女自身はすっかり水の中に浸かっています。彼女には頭がありません。自分の純粋な受容性を妨げる、忙しい攻撃的な心がないのです。
そして、自分がいっぱいに満たされると、絶えず自分を空にしてあふれ出させ、さらに多くを受け取ります。彼女から出ている蓮(ロ-タス) のパターン、あるいはマトリックスは、私たちが宇宙と調子が合ったときに明らかになる宇宙の完璧なハーモニーを表わします。
「水のクイーン」は限界のないひと時、どのような期待も要求もなく、生がもたらすすべてのものに感謝するひと時をもたらします。義務も、利点や報酬を考えることも重要ではありません。
感受性、直観、そして慈悲こそが、まさに今輝き出ている質であり、私たちひとりひとりを隔て、私たちを全体からも隔てている障害をすべて溶かしています。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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「アイ,ロボット」 <3>
監督: アレックス・プロヤス 出演: ウィル・スミス, ブリジット・モイナハン, アラン・テュディック, ジェームズ・クロムウェル2004年作品 DVD ディスク枚数: 1 販売元: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 発売日 2012/12 時間: 115 分
★★★★★
1)ようやく温かくなった。活動的になったばかりでなく、寒い間、手をこまねいて、うっとうしくなっていた物置を片付ける。いやはや、足の踏み場もないくらい散らかっていた。まずは、整理、整理。
2)出るは、出るは、ゴミだらけじゃ。片づけてすっきりしようよ。と思いつつ、なかなか断捨離できないのは、相変わらずである。
3)これらのゴミを見ていて、何か作れないかなぁ、と思ってしまうのは、廃材アート作家(笑)としては、しかたないところ。
4)ふと思うのは、ロボット。ロボット、作れないかな。もちろん、動かなくてもいい。闘わなくてもいい。ただ、形だけでもいいんだがなぁ。ここから、ロボットをイメージできるのは、今のところ、この私だけだろう。
5)ロボットとは言え、まずは、金属質の材料で、原寸大の骨格を作ってみたい。
6)身長175cm。さぁ、どうだ。いけるかな・・・・・?
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60. ICE-OLATION(アイス・オレーション)
私たちが惨めなのは、あまりにも自己に入り込みすぎているからだ。あまりにも自己に入り込みすぎていると私が言うとき、それはどういう意味だろう? そして、私たちがあまりにも自己に入り込みすぎていると、正確にはなにが起こるのだろう?
あなたがたは存在のなかにいることができるか、あるいは自己のなかにいることができるか、そのどちらかだ——同時に両方はありえない。自己のなかにいるということは、離れている、わかれているということだ。自己のなかにいることは、島になるということだ。
自己のなかにいることは、自分のまわりに境界線を引くということだ。自己のなかにいることは、「これは私」と「あれは私ではない」を区別することだ。「私」と「私ではない」の定義、境界、それが自己とはなにかだ——。自己は孤立(アイソレート) する。そして、それはあなたを凍りつかせる——
あなたはもはや流れていない。もし流れていたら、自己は存在することができない。人びとがほとんど角氷(アイスキュ-ブ) のようになっているのはそのためだ。彼らには暖かみがまるでない。愛がまったくない——愛は暖かみであり、彼らは愛を怖れている。
もし暖かみが訪れたら、彼らは融けだし、境界は消えてしまうだろう。愛のなかで境界は消える。喜びのなかでも境界は消える。喜びは冷たくはないからだ。Osho Zen: The Path of Paradox, Volume 1 Chapter 5
解説:
私たちの社会では、とくに男性の場合、泣いてはいけない、痛めつけられても凛々(りり)しい顔をして、痛みを顔に出してはいけないと教えられてきました。しかし、女性でも、この罠に引っかかってしまうことがあります。
私たちはみな、二度と傷つけられずに生き延びるにはフィーリングと感情を押し殺すしかない、と感じたことも一度か二度はあるはずです。痛みがとくに深ければ、私たちは自分にさえもその痛みを隠そうとするでしょう。そのために私たちは凍りつき、硬くなってしまうこともあるのです。
氷に小さな割れ目がひとつできただけでも、その傷が再び解き放たれ、私たちのなかを巡りはじめる——そのことを私たちは深いところで知っているからです。
この人物の顔に浮かぶ虹色の涙に、この「アイス‐オレーションi c e - o l a t i o n (凍りつき、孤立すること)」を打破する鍵があります。涙が、涙だけが、氷を溶かす力をもっています。
泣いていいのです。そして、自分の涙を恥ずかしがる理由はなにもありません。泣くことは私たちが痛みを手放すのを助け、私たちが自分に優しくなるようにさせ、最後には自分を癒すのを助けてくれます。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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44. STERESS(ストレス)
個人的なゴールはすべてノイローゼのようなものだ。本質を究めた人は、「私は全体から離れてはいない、私ひとりの運命を探し求める必要はなにもない。ものごとは起こっているし、世界は動いている——それを神と呼ぶなら… …神のしわざなのだ。
それらはひとりでに起こっている。私が奮闘し、努力する必要はまったくない。私がなにかのために戦う必要はない。私はリラックスして、ただ在ればいいのだ」ということを知るようになり、感じるようになる。
本質を究めた人は、ものごとのやり手ではない。本質を究めていない人は、やり手だ。本質を究めていない人は、もちろん、不安、緊張、ストレス、苦悩に見舞われ、たえず火山の上に坐っている。その火山はいつ爆発してもおかしくない。
というのも、そういう人は不確実な世界に生きていながら、この世界は確実だと信じ込んでいるからだ。それが、その人の実存に緊張を生みだす。奥深いところでは、なにひとつ確実ではないことを知っているのだ。Osho A Sudden Clash of Thunder Chapter 3
解説:
計画が多すぎて、「アドバルーン」を上げすぎて、余りの負担に耐えられなくなり、ちょっとした風邪で寝込んだり、墜ちてしまって結局は松葉杖の世話になった人たちがどれくらいいるか知っていますか?
そういった「タイミングの悪さ」はあるもので、それはこの絵のなかの小さな猿が、手にしたピンで「ワンマン・バンド」を今にもひと刺ししようとしているようなものです!このカードが示しているようなストレスの質には、ときおり私たちみんなが見舞われますが、とくに完全主義者たちはそれに冒されやすいのです。
自分たちがいなければなにひとつ起こりはしない——自分たちがそうあって欲しいと思うようには起こらない! そういう考えがあって、私たち自身がそのストレスを生みだしています。
ところで、あなたはいったいどんな理由があって、自分はそれほど特別だと思い込んでいるのでしょうか? 自分の手で目覚まし時計をセットしなければ、朝になっても太陽は昇らない、あなたはそう思っていますか?
散歩に出て、花を買って、自分のためにスパゲッティの夕食でもつくりましょう——「どうってことのない」ものであれば、なんでもいいのです。猿の手の届かないところにいましょう!copyright © 2012 Osho International Foundation
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26.PLAYFULNESS(遊びに満ちる)
生を深刻ではないもの、遊びに満ちているものとして見はじめるやいなや、あなたのハートの重荷がすべて消え去る。死の、生の、愛のすべての恐怖——あらゆることが消え去る。
人はひじょうに軽い重みで、あるいは、ほとんど重みがなく生きはじめる。あまりにも重みがなくなるために、大空を飛べるほどだ。
禅の最大の貢献は、深刻な人間にとって代わるものをあなたに与えることだ。
深刻な人間が世界をつくってきた、深刻な人間があらゆる宗教をつくってきた。あらゆる哲学、あらゆる文化、あらゆる道徳をつくってきた。あなたのまわりにあるものは、すべて深刻な人間がつくりあげたものだ。
禅は深刻な世界からドロップアウトしている。禅は独自の世界を創造している。まさに遊びに満ち、笑いに満ちた世界、偉大なマスターたちでさえも子どものように振るまう世界を——。Osho Nansen: The Point of Departure Chapter 8
解説:
生は、私たちが思い込んでいるほど深刻なことはめったにありません。そして、この事実を認めると、生はさらにもっと遊ぶ機会を私たちに与えることで応えてくれます。
このカードの女性は蛹(さなぎ)の皮を破って約束された光のなかへと現われた蝶のように、生きていることの喜びを祝っています。
彼女は、私たちがまだ子どもで、海辺で貝殻を見つけたり、次の瞬間には波が押し寄せ、流し去ってしまうかもしれないことなど気にもせずに、砂の城をつくったりしていた頃のことを思い出させてくれます。
彼女は、生はゲームだということを知っていて、とまどったり、わざと見せかけたりすることもなく、今は道化師の役を演じています。
「火の従者(ペイジ)」があなたの生に入ってくるときは、新鮮なもの、そして新しいものへの準備が整っているというサインです。
なにか素晴らしいものの兆しがまさに現われていて、それを両腕を広げて歓迎するにふさわしい、遊びに満ちた無垢と明晰さという質があなたにはあります。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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今日の気分はこの三冊<36>
今日の気分はこの3冊 目次
「究極の旅」 禅の十牛図を語る
OSHO スワミ・プレム・プラブッダ・訳 1978/03 めるくまーる
「般若心経」 OSHO、色即是空を語る
OSHO スワミ・プレム・プラブッダ・訳 1980/01 めるくま-る
「道元」 その探求と悟りの足跡 OSHO スワミ・アンタール・ガータサンサ・訳1992/10 和尚エンタープライズジャパン
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16. THUNDERBOLT(稲妻)
瞑想では、ゆっくり、ゆっくりとすることを、弟子がなにか問いをたずねている状況のなかでの、マスターの予期せぬ素晴らしい一喝——マスターは跳びかかって一喝する、あるいは弟子を打つ、あるいは扉から放り出す、あるいは弟子の上に飛び乗る……。
こうした技法はまったく知られていなかった。それはまぎれもなく馬祖(ばそ) のひじょうに創造性豊かな天賦の才によるもので、彼は多くの人びとに光明を得させた。
ときには、それはとても愉快なものに見える。彼は、なにに瞑想したらいいのかたずねるために来ていた人を二階の窓から放り出した。さらに馬祖は、放り出しただけでなく、その後を追って飛び降り、その人の上に落ち、その胸の上に坐り込んで、「分かったか?!」と言ったのだ。
かわいそうなその人は「はい」と言った——「いいえ」などと言おうものなら、殴られるかなにかされるに違いないからだ。もう充分だ——からだの骨が折れているというのに、馬祖は胸の上に腰をおろして、「わかったか?!」と言っているのだ。
が、事実、その人はわかっていた。あまりにも突然で、青天の霹靂(へきれき) だったからだ——そんなことは考えてもいなかった。Osho Isan: No Footprints in the Blue Sky Chapter 4
解説:
このカードは、燃やされ、壊され、粉々に吹き飛ばされた塔を示しています。塔から男性と女性が飛び降りていますが、彼らはそうしたいから飛び降りているのではなく、ほかにどうしようもないからです。
その背後の透明な、瞑想している人物は、醒めて見ている意識を表わしています。あなたはまさに今、まるで大地が足元で揺れ動いているかのように、とても動揺しているに違いありません。安全というあなたの感覚が挑戦を受け、しがみつけるものならなんにでもしがみつこうという気になるのも無理はありません。
しかし、この内なる地震は必要で、また、とても重要です——。もしそれを許したら、あなたは残骸から立ち現われ、もっと強くなり、もっと新しい体験をすることができるようになります。大火の後、大地は再び豊かになり、嵐の後、空気は澄みわたります。
その破壊を、まるで誰か別の人に起こっていることでもあるかのように、超然として見守ろうとしてみましょう。それを途中まで出迎え、そのプロセスに「イエス」と言いましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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11.BREAKTHROUGH(突破)
挫折(ブレイクダウン)を、突破(ブレイクスルー) に変容させることがマスターの役割のすべてだ。サイコセラピストたちは、ただあなたにつぎを当てて修理するだけだ。それがサイコセラピストの役割なのだ。
サイコセラピストは、あなたを変容させるためにいるわけではない。あなたに必要なのはメタサイコロジー、ブッダたちの心理学だ。
意識を保ったまま挫折を経験するのは、生における最大の冒険だ。挫折(ブレイクダウン)が突破(ブレイクスルー) になるという保証はなにもないのだから、それは最大のリスクだ。それはたしかにそうなる。だが、こうしたものごとは保証されえない。
あなたの混沌(カオス)は太古の昔からあるひじょうに古いものだ——多くの、多くの生にわたって、あなたは混沌としていた。それには厚みがあり、濃密だ。それ自体がほとんどひとつの宇宙。
だから、あなたが自分の小さな許容力でその中に入って行くと、もちろん、危険なことになる。だが、この危険に直面せずに統合された人など、これまでひとりもいなかった。個人(インディヴィジュアル) に、わけることのできないもの(インディヴィジブル) になった人などひとりもいなかった。
禅、あるいは瞑想は、あなたがこの混沌、魂の暗夜をバランスを保ちながら、規律を保ちながら、油断せずに通り抜けるのを助ける技法だ。
夜明けは遠くない。だが、夜明けに行き着く前に、あなたは暗い夜を通り抜けなければならない。そして、夜明けが近づいてくるにつれ、夜はますます暗くなる。Osho Walking in Zen, Sitting in Zen Chapter 1
解説:
このカードでは赤がひときわ目立っていて、一目で、そのテーマがエネルギー、パワー、そして強さにあることがわかります。この人物の太陽神経叢(そう) 、あるいはパワーの中心からは明るい輝きが発せられ、そのポーズは、はちきれんばかりの力と決断を表わしています。
私たちはみな、ときとして、「もう、うんざりだ」というポイントに行き着くことがあります。そのようなときは、自分を縛っている重荷と制限を放り出すために、なんでもいいから、たとえそれが後になって失敗だったとわかるようなことであっても、とにかくなにかしなければならないように思えるものです。
もしなにもしなければ、おまえの生のエネルギーそのものを窒息させ、使えなくしてしまうぞ、と脅されるのです。もし今、「もう、たくさんだ」と感じているのであれば、これまであなたのエネルギーの流れを止めてきた、古いパターンと制限を粉々に打ち砕いてしまうリスクを冒しましょう。
そうすれば、あなたはこの「突破(ブレイクスルー)」によって生にもたらされるバイタリティーとパワーに驚くことでしょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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15. 条件付け(コンディショニング)
自分の人格を落とさないかぎり、あなたは自分の個であること(インディヴィジュアリティ) を見いだすことなどできない。個であることは、存在から与えられている。人格は社会が押しつけたものだ。人格は社会のなかでは都合がよい。
社会は個であることに耐えられない。個であることは、羊のように追従しないからだ。個であることにはライオンの資質がある。ライオンは独りで動く。羊はつねに群れをなしている。群れのなかにいると楽で居心地がいいはずだと期待している。群れのなかにいると、守られて安全な感じがする。誰かが攻めてきても、群れのなかにいれば、自分を救える可能性がいくらでもある。
だが、独りだと? ライオンだけが独りで動く。そして、あなたがたひとりひとりが、生まれつきのライオンだ。だが、社会が絶えずあなたがたを羊として条件づけている。あなたの心(マインド) を羊としてプログラムミングしている。それがあなたに人格、当たり障りのない人格、素敵で、とても都合がよく、ひじょうに従順な人格を与えるのだ。
社会は奴隷を望んでいる。どんなことがあっても自由に身を捧げている人びとなど望んでいない。社会が奴隷を望むのは、特権をもつあらゆる者たちが従順さを望むからだ。 Osho One Seed Makes the Whole Earth Green Chapter 4
解説:
このカードは、あるライオンについての禅の古くからある話を思い出させてくれます。このライオンは羊に育てられたのですが、年老いたライオンに捕まって池に連れていかれ、水面に映った自分の影を見せられるまで、自分は羊だと思い込んでいました。
私たちの多くは、このライオンに似ています——。私たちがもっている自己のイメージは、自分自身が直接体験したことから生じるのではなく、他人の意見から生じます。内側から育つことができたかもしれない「個であること(インディヴィジュアリティ) 」が、外側から押しつけられた「人格(パーソナリティ)」に置き換えられているのです。
私たちは群れのなかのもう一匹の羊にすぎなくなってしまい、自由に動くことができず、自分自身のほんとうのアイデンティティを意識していません。池に映る自分の影をよく見て、他人からの条件付けによって自分はこうだと信じ込まされてきた、そのすべてを打ち破るために、動きだす時です。
踊り、走り、揺さぶり、ジベリッシュをしましょう——。内側で眠っているライオンを目覚めさせるために必要なことは、なんでもやりましょう。 Copyright © 2012 Osho International Foundation
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「傷ついた日本人へ」 <2>
ダライ・ラマ14世 2012/04 新潮社 新書 189p
★★★★★
1)3.11直後に呼んだ本の中では、ベスト本の一冊に数えられる本である。そうメモしておいた。
2)2014/04/07には、被災地のひとつとしての仙台にもやって来て公演もあった。私や妻も、たくさんの友人たちと参加した。
3)今回この本を取ったのは、なぜかこの本がふたたび我が家にやってきていたからである。奥さんがリクエストしていたのである。
4)あ、この本、面白かったよ、ベスト本の一冊だよ、と勧めておいたが、まだ読み始めてはいないらしい。
5)私自身も、だいぶ印象は良かったが、さて、どんなことが書いてあったんだっけ、と、再読してみることにした。直接講演で聞いた内容と混同しているかもしれない。
6)再読してみて、ふと感じたことは、ダライラマが「倫理」という言葉使いをしていることだ。その内容を深く説明はしていないが、私たちが「宗教」から雑味を濾過してその本質を抽出したものとして「宗教性」という言葉を使うことがあるが、きわめてその言葉使いに近いように思えた。
7)違った宗教を信奉し、あるいは宗教というものに違和感を持っている人々は、地球上に多くいる。ダライラマは、現代世界の、宗教人として、ほとんどトップ10にすら数えられる象徴的存在である。しかし、敢えて、自らを宗教に拘泥する人間ではない、と明言する。
8)それでありながら、伝統的なチベット密教の仕組みを知り抜いている存在でもある。
9)苦に対峙する宗教家として、今回は、象徴的な苦の存在としての3・11に対峙する。3・11に苦しみ日本人あるいは共感する多くの他の国々の人々に向かって話しかける。
10)はてさて、いつもは青少年向けの流行小説を専門に読み続けているわが家の奥さんは、この本をどう読むだろう。私なら面白いと思うが、彼女の角度から再読してみたら、ちょっと重いかな。方向ちがいとさえ思うかもしれないし、今更読む必要がないわ、というだろうか。
11)まぁ、私はこの機会に、この本を再読できてよかった。まずはその言葉の中に「倫理」を見つけたこと。そして、決してこの本は、日本にだけ向けたものではなかったこと。高野山での講演であったとしても、決して日本仏教にこびているわけでもなく、提言すらしていること、などなど、いろいろ感じた。
12)そしてまた、わかったつもりになって使っている仏教用語も、彼の角度から見ると、違った意味合いに解釈できることも分かった。学び直してみる価値もあるな、と痛感した。
13)チャンスがあったら、再読、再々読してみるのもいいと思う。他のダライラマの本と同じように読みやすい一冊である。
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61 POSTPONEMENT(引き延ばすこと)
引き延ばすことは、たんにばかげている。明日になったところで、あなたはまた決心しなければならなくなるのだ。そうであれば、なぜ今日ではだめなのかね?
それに、明日になったら今日よりも自分は賢くなっていると思うかね? 明日の方が今日よりも活き活きしていると思うかね? 今日よりも明日の方が若くなっている、より新鮮になっていると思うのかね?
明日の方が、あなたは年をとっている。あなたの勇気はなくなっている。明日の方が、あなたは経験を積み、もっとずる賢くなっている。明日の方が、死はより近づいている——あなたは迷い始め、もっと怖くなるだろう。
けっして明日に引き延ばしてはいけない。それに、誰にわかるかね? 明日は来るかもしれないし、来ないかもしれない。もし決めなければならないのなら、まさに今、決めなければならない。
歯医者のフォーゲル先生は、かわいい娘の診察を終えて、「ベースマンさん」と口を開いた。「どうも、親知らずを抜かなければならないようですな!」
「わあ、どうしよう!」と娘は驚いたように言った。
「わたし、ほんとうは子どもが欲しいの!」
「そうですか」とフォーゲル先生は言う。「どちらかに決めてくださいよ、椅子の調節がありますからね」
決めるがいい。永遠に引き延ばしてばかりいてはいけない。Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 8
解説:
この絵の女性は非現実的な、切り抜いた雲がいっぱい出ている灰色の風景のなかで生きています。窓枠を通して、彼女は色彩と光と活気を見ることができますし、その枠を通り抜けて行きたいとも思っているのです が——それは彼女の着ている服に虹色が現われていることからもわかります——でも、どうしてもそうすることができません。
彼女の心のなかにはまだ、「もし、こんなことになったら?」という動きが多すぎるのです。明日は、明日は、と延ばしていたのではなにもできないとよく言われますが、そんなことをいくら言われても、私たちのほんどは、その真実を忘れようとしがちです。
事実、ものごとを引き延ばして得られる唯一の結果は、未完成で「行き詰まっている」という、鈍く憂欝な、今日の感じでしかありません。
あなたの今の動きを妨げている心の迷いをすべて脇に置きさえすれば、安堵と広がりが感じられ、なぜ自分はこんなに長い間待っていたのか不思議に思うでしょう。Copyright ©
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20. BEYOND ILLUSION(幻想を超えて)
夢と現実の区別はこれしかない——現実は疑いを許すが、夢は疑いを許さない……。
私にとって、疑う能力は人類への最大の祝福のひとつだ。宗教は疑いの根そのものを切りつづけてきたのだから、これまでずっと敵対してきた。
そして、彼らがそうしているのにはわけがある。彼らは自分たちが説きつづけている幻想を人びとに信じてもらいたいのだ……。
なぜ、ゴータマ・ブッダのような人びとは、全存在—— あなたの目撃している自己以外は、あなたの覚醒以外は全存在がただはかなく、夢と同じものでできていると強く主張したのだろう?
彼らは、この樹々はここにはないと言っているのではない。この柱はここにはないと言っているのではない。
「幻想」という言葉ゆえに、誤解してはいけない……。それは幻想と訳されてきた。が、幻想は正しい言葉ではない。幻想は存在していない。現実は存在している。
まさにその中間にあるのがマーヤ——それはほとんど存在している。日常の活動に関するかぎり、それは現実として捉えられる。
究極の意味においてのみ、あなたの光明の頂きからは、それは現実ではなくなる、幻になる。Osho The Great Zen Master Ta Hui Chapter 12
解説:
このカードの蝶は外側にあるもの——絶えず動いているもの、現実ではない幻想——を表わしています。蝶の背後には意識の顔があり、内側を、永遠なるものの方を見ています。
両眼のあいだのスペースが開いていて、そこにはスピリチュアルな展開の蓮(ロータス) と、覚醒の昇る太陽が現われています。
この内なる太陽が昇ることで、瞑想が生まれるのです。このカードは、現実とはなにか探して外を見るのではなく、内側を見ることを私たちに思い出させてくれます。
外のものごとに関心を集中させると、私たちは判断することに巻き込まれてしまうことがよくあります——これは良いけれど、これは悪い、これは欲しいけれど、あれは欲しくない、と。
こうした判断は、私たちを幻想、眠気、古い習慣とパターンの罠にはめたまま、放してくれません。
自分の独断的なマインドを落として、内側へ入りましょう。そこでこそ、自分のもっとも深い真理、夢と現実の違いがすでに知られているところへと、くつろいでいくことができます。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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OSHO ZEN TAROT
73. COMPROMISE(妥協)
抜け目なく器用であってはいけない。さもなければ、あなたは同じままだ。変わりはしない。愛の道における中途半端なテクニックと瞑想の道における中途半端なテクニックは、あなたのなかに多くの混乱を引き起こす。それらは助けにならない......。
だが、助けを求めることはエゴに反する。だから、あなたは妥協しようとする。この妥協はもっと危険なことになる。あなたはさらに混乱することになる。
妥協の結果、さらなる混乱が生じるからだ。だから、なぜ自分は妥協を強く望んでいるのか、理解しようとするがいい。遅かれ早かれ、妥協は助けにならないことが理解できるようになる。それに、妥協はどちらの方向にも行こうとしないやり方なのかもしれないし、自分の混乱を抑圧しているだけなのかもしれない。混乱が頭をもたげてくることになる。なにひとつ抑圧してはいけない。自分の状況をはっきり認識しているがいい。そして、もし混乱しているのだったら、自分は混乱しているのだと覚えておくことだ。これが、あなたに関してまず第一にはっきりしていることだ--つまり、あなたは混乱しているということだ。
あなたは旅を始めたのだ。Osho
解説: 昔、日本の朝廷では、従僕は些細な罪を犯した罪人で去勢されている者のなかから選ばれることがよくありました。彼らは朝廷の動きを知りつくしていたために、しばしば政治的、社会的陰謀の中心にあって、影の権力を大いにふるっていたのです。このカードのふたりの人物は、私たちが自分自身の真実を妥協させてしまったときに入り込んでしまう、あさはかな茶番劇のような状況を思い出させてくれます。歩み寄り、自分たちとは違う見地を理解し、反対勢力との調和を目指して働くことと、「屈服し」、自分の真実に背くこととは、まったく別です。それを深く見抜いたら、私たちはなにかを--権力であれ、他者からの承認であれ --なにかを得ようとしているのだということがよくわかってきます。誘惑されそうになったら、気をつけましょう。この手の妥協で得られるものは、後味が苦いのが常です。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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36. FLOWERING(開花)
禅は、あなたに生きることを望んでいる。豊かに生きること、全面的に生きること、強烈に生きること——キリスト教が望んでいるように最小限ではなく、最大限に、あふれ出るように——。
あなたの生は他の人たちに届かなければならない。あなたの至福、あなたの祝福、あなたのエクスタシーは、種のようにあなたの内側に包み込まれたままではいけない。それは花のように開き、その芳香をあらゆるものたちに広めるべきだ——―友人だけではなく、見知らぬ人たちにも。
これがほんとうの慈悲だ、これがほんとうの愛だ——自分の光明(エンライトンメント) を分かち合うこと、彼方なるものの、あなたのダンスを分かち合うことだ。Osho Christianity, the Deadliest Poison and Zen� Chapter 5
解説:
「虹のクイーン」は、その開花と色彩が極致に達したファンタスティックな植物のようです。彼女はとてもセクシャルで、活き活きとし、可能性に満ちています。愛の音楽に合わせて指をはじき、黄道十二宮のサインをかたどったネックレスを“ヴィーナス”がハートの上にくるようにして掛けています。
衣のたもとには種がたくさん入っていて、風が吹くと播き散らされ、どこかに根を下ろすことでしょう。その種が土の上に降りるのか、それとも岩の上なのか、彼女は気にしていません——生と愛の純然たる祝祭から、その種をあらゆるところに広めているだけなのです。
上からは彼女自身の開花と協和して花が降り注ぎ、彼女が坐っている花の下では感情の水が楽しげに渦を巻いています。
まさに今、あらゆるところから祝福が降り注ぎ、あなたは花園のように感じているはずです。蜂たちを迎え入れ、鳥たちを招待して、あなたの甘露を飲ませてあげましょう。分かち合うために、あなたの歓びをまわり中に広めましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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8.COURAGE(勇気)
種子には、この先なにが起こることになるのか知ることはできない。種子は花のことなどこれまで一度も知らなかった。そして、自分が美しい花になる力を秘めていることなど、種子には信じることすらできない。旅は長く、道はわからず、なにひとつ保証はないのだから、旅に出ないほうが安全なのは決まっている。
保証はなにひとつありえないのだ。旅の危難は数限りなく、落し穴はいくらでもある ——が、種子は硬い核のなかに秘められて安全だ。だが、種子は試みる、努力する。安全だった硬い殻を落とし、種子は動きはじめる。すぐに戦いがはじまる——土との、石との、岩との格闘。しかも、種子はひじょうに硬いが、芽はとてもとても柔らかく、危険はいくらでもある。
種子には危険はない。種子は千年も生き永らえることができただろう。だが、芽には多くの危険が待ち受けている。だが、芽は未知なるものへと、太陽へと、光の源へと、どこともわからないまま、なぜかもわからないまま、進みはじめる。背負う十字架は大きい。だが、種子は夢にとり憑かれ、進んでいく。
人間にとっても道は同じだ。容易ではない。多くの勇気が必要になる。Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 4
解説:
このカードが示しているのは、昼の光へと出ていく道の途中で、岩や石の挑戦を受けている小さな野の花です。明るい金色の光のオーラに包まれて、その小さな自己の尊厳をさらしています。恥じることもなく、野の花は、もっとも明るい太陽にも匹敵します。
ひじょうに困難な状況に直面したとき、私たちには選択の余地があります。腹を立て、苛酷な運命をほかのせいにするために、なにか人かものごとを見つけようとすることもできますし、その挑戦を正面から受け止めて、成長することもできます。この花は、その道を私たちに示しています。
生への自らの情熱によって暗闇から抜け出し、光へと導かれていくのですから——。生のいくつもの挑戦に抵抗したり、その挑戦を避けたり拒絶しようとしたりしても、なんの意味もありません。それはそこにあり、そして、もし種子が花になることになっているのであれば、私たちはそれを通り抜けなければならないのです。もともとなるべき花へと成長していけるだけの勇気をもちましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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「モアレ」 ~映画と気晴らし~<1>
作・石川裕人 ニュートン祭り実行委員会 2018/05/25 (金)~2018/05/26 (土) エル・パーク仙台 ギャラリーホール
No.4186★★★★★
1)十月劇場どころか、その前の洪洋舎、そして劇団座敷童子時代から、一緒に育ってきた身としては、物事が十月劇場から始まるのは、ちょっと辛い所。さらにそれ以前に中学校1年時代に、卒業生を送り出す予餞会で、二人で漫才をやって、そのシナリオはオレが最初に書いたのだ、とさえ叫びたい(爆笑)
2)そしてさらにさかのぼること、小学校三年の時の学芸会では、ニュートンが主役に選ばれる前は、実は私が主役だったのだ、と悪あがきしたい(爆爆笑)。
3)十月劇場なんて、オレたちの青春のナレの果てだった、と、毒づいてみたい(爆爆爆笑)
4)ニュートン祭り! いいですね。後輩たちに愛されているニュートン。私もその列に加わりたい。私には私だけが独り占めできるニュートンがいる。そして、私にはまったく気づけなかったニュートンがたくさんいる。
5)どんな芝居になるのかな。楽しみだよ、ニュートン。
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45.TRAVELING(トラベリング)
生はつねに、つねに、連続したものだ。それは最後の目的地に向かって進んで行くのではない。巡礼そのもの、旅そのものが生なのだ。どこかの地点に行き着こうとしているのではなく、ゴールはなく——ただ踊りながら、巡礼の内にあって、どんな目的地も気にせずに楽しく進んで行く——。
目的地にたどり着いたところで、あなたはなにをしようというのかね? これまで誰もこんなことをたずねた者はいない。誰もが生に目的地を設けようとしているからだ。
だが、それが暗に意味するのは……。
もし、あなたがほんとうに生の目的地に着いたとしても、そのあとは? あなたはとても困ってしまうだろう。どこにも行くところがない……あなたは最後の目的地に着いてしまったのだ——しかも、その旅の途中で、あらゆるものを失ってしまった。
だから、あなたは最後の目的地に丸裸で立ち、まるで馬鹿のようにあらゆるところを見回すことになる。いったいなんだったのだ、と。あなたは必死になって急いでいたし、次々と心労が絶えなかった。それなのに、その結果がこれなのだ。Osho Rinzai: Master of the Irrational Chapter 7
解説:
この素晴らしい風景をぬって道を歩む小さな人影は、ゴールのことなど気にしていません。彼、あるいは彼女は、旅そのものがゴール、巡礼そのものが聖地だということを知っています。道を歩む一歩一歩、それ自体が大切なのです。
リーディングでこのカードが現われたら、動きと変化の時期を示しています。それは、ある場所から次の場所への物理的な動きかもしれませんし、ひとつの在り方から別の在り方への内なる動きということもあるでしょう。
しかし、どんな場合でも、進むのはたやすく、冒険し、成長しているという感触がもたらされることをこのカードは約束しています。余計な苦労や計画は必要ありません。この「トラベリング」カードは、新しいものを受け容れ、抱擁することを思い出せてくれます。ちょうど、私たちが日頃慣れ親しんでいるものとは違った文化や環境をもつ別の国を旅しているときのように——。
開き、そして受け容れるというこの姿勢は、私たちの生に新しい友人と体験を招き入れます。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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39. POSSIBILITIES(可能性)
心(マインド)は、どこのどんな境界でも受け容れることができる。だが、現実はこうだ——存在には、その本性そのものからして、どんな境界もありえない。というのも、境界を超えたらなにがあるかね? またしても、もうひとつ別の空。
私が、あなたの飛翔を空また空がそこで待ち受けていると言うのは、そのためだ。安易に満足してはいけない。安易に満足している者たちは、いつまでたっても小さいままだ。その喜びも小さく、そのエクスタシーも小さく、その沈黙も小さく、その実存も小さい。
だが、その必要はない!
この小ささは、あなた自身が自分の自由に、自分の無限の可能性に、自分の無限の潜在能力に押しつけたものだ。Osho Live Zen Chapter 2
解説:
鷲(わし)は自由に、自然に、楽に空を飛びながら、下の風景に含まれているあらゆる可能性を一望のもとに見下ろすことができます。鷲はまさに自分にふさわしい場所を得て、とても堂々として、みずから満ち足りています。
このカードは、可能性の世界が開かれているポイントにあなたがいることを示しています。あなたは自分への愛を、みずからの充足をいっそう育んで成長してきたのですから、ほかの人たちとも楽にワークしていくことができます。あなたはリラックスし、くつろいでいますから、ほかの人たちと出会ったときに可能性を見抜くことができます。ときには、彼らが自分で気づく前にその可能性を見てしまうこともあります。
あなたは自分自身の本性と調子が合っていますから、存在はまさに自分が必要としているものを与えてくれていることがわかるのです。この飛翔を楽しみましょう! そして、あなたの前に広がっている風景の変化に富んだ驚きを、すべて祝いましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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「職場の教養」
2018/04 一般社団法人倫理法人会 小冊子 p40
No.4185★★★★☆
1)割と無節操に好奇心の強い自分としては、なんでもかんでも突っ込んで聞いてしまう癖がある。知らなけりゃ知らないで済んでしまうのに、あまりに脇が甘すぎると、自分でもいつもそう思う。
2)これは、とある職場の方の話題にでてきた一冊だ。一冊いただいてきただけで、実はまだ内容をよく読んでいない。団体の名前から似たようなグループのひとつかな、と思っては見たが、また別な流れらしい。
3)そもそもおおもとは、ある集団からの支流らしいが、まぁ、こまかいことは今はどうでもいいだろう。
4)なかなか人は自分の信条というものを明確にしない時もあるし、逆に自分の信条を押し付けようとする時もある。それだけのつながりなら、適当に離れたりくっついたりできるが、仕事からみだと、簡単にそうもいかない時がある。
5)ほどよい距離感が必要になるわけである。
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6. THE LOVERS(恋人たち)
この三つのことに気をつけなければならない。もっとも低い愛はセックス——肉体のもの——そして、愛がもっとも高く洗練されたものが慈悲。セックスは愛より低く、慈悲は愛より高い。愛はまさにその中間にある。
愛とはなにかを知っている人びとは、ほとんどいない。 99 パーセントの人びとは、不幸なことに、性欲が愛だと思っている——そうではないのだ。性欲はひじょうに動物的なものだ。たしかに、性欲には愛へと成長する潜在能力がある。だが、ほんとうの愛ではなく、潜在能力にすぎない ……。
あなたが気づき、油断せず、瞑想的になったら、セックスは愛へと変容することができる。そして、あなたのその瞑想的であることが完全なものに、徹底したものになったら、愛は慈悲へと変容することができる。セックスは種子、愛は花、慈悲は香りだ。
仏陀は慈悲を「愛プラス瞑想」と定義した。
あなたの愛が相手を求めるただの欲望ではないとき、あなたの愛がただの必要なものにすぎないのではないとき、あなたの愛が分かち合いであるとき、あなたの愛が乞食の愛ではなく皇帝の愛であるとき、あなたの愛が見返りになにかを求めているのではなく、ただ与えるための——与えるという、純然たる喜びから与えるための準備が整ったとき、そのときに愛に瞑想を加えると、純粋な香りが放たれる。
それが慈悲だ。慈悲こそが最高の現象だ。Osho Zen, Zest, Zip, Zap and Zing Chapter 3
解説:
私たちが愛と呼ぶものは、実際にはかかわることの、地から空へ届くまでの、スペクトル全体のことです。もっとも地に根ざしたレベルでは、愛は性的な魅力です。私たちの多くは、そこで行き詰まったままです。
それは、私たちの性欲が、私たち自身の条件づけによって、あらゆる種類の期待と抑圧の重荷を負わされているからです。
実のところ、性愛のもっとも大きな「問題」は、けっして長つづきしないことです。この事実を受け容れてこそ、私たちは性愛のなんたるかをほんとうに祝うことができます——。
それが起こっているときは喜んで迎え入れ、起こらなくなったら感謝して別れを告げましょう。そうすれば、成熟するにつれて、私たちは性欲を超えて存在する愛を体験しはじめ、相手のユニークな個性に敬意を払うことができるようになります。
パートナーはしばしば鏡としての役割を果たし、まだ見たことのない、より深い自己の局面を映し出し、私たちが全体になるのを支えてくれていることがわかってきます。
この愛は、期待や要求にではなく、自由に基づいています。その翼は、すべてをひとつとして体験する宇宙の愛へ、私たちを高く高く運んでいきます。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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「パソコン最強購入ガイド 2018」<7>
(100%ムックシリーズ)2018/03 出版社: 晋遊舎 ムック 97ページ
★★★★☆
1)正直言って、この雑誌を全部読み切ってやろうなんて思ってはいなかった。だけど、せっかく手元にあるので、チラチラと目が行ってしまう。ええい、この際、現在のパソコン状況を理解する意味でも、完読、熟読してやろうじゃないか。と、やや野心が湧いてきた。
2)その野心と逆比例して、どんどん冷静になっていくのが、「安くて良いPC THE PC」! 本当に自分に合った最強コスパの1台が「見つかるのか?」という最初からの目的。
3)この雑誌には、VAIOが一機も紹介されていない。その選定のターゲットの設定から外れているのかもしれないが、それでもやっぱりV機はわが最大のターゲット。そして現行メインのS13はかなりのヒット感。
4)ネットでよくよく見ると、S13は二年落ちとは今でも供給されている。値段もキープされたままだ。というより2年前のキャンペーン価格を考えると、むしろ高くなっている。それだけまだ評判を維持している名機と言っていいのではないか。
5)それに比すところのHPのSpectre x360はキチンとこの雑誌には紹介されている。なるほど評価が高い。VaioS13と大きく違うのは、ノートPCか、2in1か、というところ。実はこれがほとんどと言っていい。
6)さて、この二つ、何がどう違う? 重さはx360の方が300グラム重い! それと、拡張性。現現スイッチがキーボード画面にあるのか、側面にあるのか、も違う。それと、キーボードの角度。本当にS13は打ちやすいのか? 手首が楽なのか? 発熱対策はどうなっている?
7)バッテリーの持続時間は? S13は10時間。ところがX360は16.75時間となっている。うーん、これはすごい。10時間も実働決して短すぎはしないが、十分とはいいがたい。16.75時間が本当なら、私には十分だ。
8)ここまで来て、今朝の私の気分。
・メインはS13でいいじゃないか。デスクでもモバイルでも行ける。
・タブレットは、現行のiPadでいいんじゃないか。カバーとつけて900グラムはちょっと重いが、カバンに忍ばせのは不可能ではない。これに比して1300グラムの2in1では、むしろ重すぎるのではないか?
・となると、買い替えるのは、2in1ではなくて、オーソドックスなデスクノートの15インチ。実用な奴だ。モバイル性は最初から無視する。その代わりコスパも徹底して5万円くらいのものはないのか。
・Vaioの安価な奴はあるのかな? できればブランドは統一したいのだが・・・。
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「パソコン最強購入ガイド 2018」<6>
(100%ムックシリーズ)2018/03 出版社: 晋遊舎 ムック 97ページ
★★★★☆
1)ここでまず、自分の環境を再確認しておこう。
・現在PCは4台、タブレットは1台ある。
・PCのうち、一台はXP機で会計専用のスタンドアロン機。
・PC二台は元Vista機で、Win10にアップしたものの、二台とも不調。一台はすでに修理放棄。もう一台が、いわゆる買い替え対象となっている。
・メインのWin10機は快調。お気に入り。ただし2年経過して、容量一杯になってきたのは事実。
・タブレットは、iPadで仕事用であるが、ちょっと重い。軽いのが欲しいかなと思うが、業務用としては充分足りている。
2)つまり、メインをグレードアップして、現在のメイン機をサブにするのと、現行タブレットの代替えが必要かどうか、それとも2in1に切り替えるか、というあたりが目に見えている現在のテーマである。
3)現行タブレットは必要十分だ。業務用として、更にモバイル性を高めるためには軽量化は必至だが、まぁ、使えないわけではない。
4)現行メイン機も決して使えないわけじゃない。むしろ、ここは大きく予算を削って、今回はサブ機の買い替えと割り切って、Vaio15インチデスクトップ用で我慢する、という手もある。
5)いずれにしても、いつ何時クラッシュするかわからないので、バックアップ用を含めて、完全機が二台必要である。
6)それとアプリとしては、オフィスの更新もある。新しいオフィスのバージョンも調べておかなければならない。
7)さて、どうなるか。
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9. 独りあること(アロンネス)
ひとりでいるとき、あなたは独りではいない。ただ寂しいだけだ——。寂しさと独りあること(アロンネス)、そのあいだには途方もない違いがある。寂しいとき、あなたは誰かのことを考えている。
相手がいなくて寂しいのだ。寂しさはネガティヴな状態だ。あなたは、もし誰かがここにいたらもっとよかったのに、と感じている。友人、妻、母、恋人、夫がいたらと——。誰か相手がいたらよかったのに、その相手はいない。
寂しさは他者の不在だ。独りあることは自己の現存だ。独りあることはひじょうにポジティヴだ。それは現存、あふれ出る現存なのだ。あなたはあまりにも現存に満ちあふれているので、自己の現存で全宇宙を満たすことができるし、誰かを求める必要もない。Osho The Discipline of Transcendence, Volume 1 Chapter 2
解説:
生において「大切な他者(ひと)」がいないときは、寂しくなるか、それとも孤独がもたらす自由を楽しむか、そのどちらかが可能です。
自分たちが深く感じている真理をまわりの人たちが支持してくれないとわかったとき、私たちは孤立してつらい想いをすることもできますし、家族、友人、仲間に認めてもらいたいという人間の強い欲求にも耐えられるほど自分たちのヴィジョンは強靭だという事実を祝うこともできます。
もしあなたが今、そういう状況に直面していたら、「独りあること」の見方を自分がどう選んでいるのかに気をつけ、そして、自分が下したその選択の責任を取ることに覚めていましょう。
このカードの謙虚な人物は、内側から発する光で輝いています。人類のスピリチュアルな生へのゴータマ・ブッダのもっとも重要な貢献のひとつは、弟子たちに「自らの光となりなさい」と強調したことです。
究極的には、どのような仲間も、地図も、あるいはガイドもなく、暗闇を進む自分たちの道をつくる能力を、私たちひとりひとりが自分の内側で開発しなければならないのです。Copyright © 2011 Osho International Foundation
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<2>よりつづく
「伊達政宗」人物叢書 新装版 <3>
小林 清治(著) 1985/08(初版1959/07) 吉川弘文館 単行本: 235ページ
★★★★★
1)瑞鳳殿観光ガイドの座学で紹介された参考文献の筆頭であるが、なかなか読書が進まない。というのも、配布される資料もたくさんあり、ある意味、そちらを読み込むだけでほぼ十分だからである。
2)ガイド講習も終わり、認定を受けたので、これからは実施に現場に出ることを期待されている。30数名の会員の中には年100回も出陣したガイドも4人いるが、0回の人も4人いるとか。月2~4回として、20数回から50回程度が平均値となるだろうか。
3)私は、関連行事もいろいろあるので、まずは年20回を目標にしてムリなく参加していこう。
4)この本、返却期限が近づいてしまったので、未読ながら、一回返却しておく。再読を期す。
つづく
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「イラスト やさしい家庭菜園」
板木 利隆 (著) 1987/01 家の光協会 単行本: 182ページ
★★★★☆
1)最近の畑仕事を整理しておく。
・ビックリジャンボは、自宅庭のプランターに9個降ろした。市民農園には、からし菜の中に、5個ほど降ろしてみた。クラインガルテンは収穫が難しいのだが、タネに余裕があるので、いずれ播種してみようと思うが、次回の天候次第。
・里芋はクラインガルテンに黒マルチして20個ほど植え付けてみた。市民農園には、オーナーから譲り受けた発芽した里芋を二つ植え付けた。品種の土垂は、どすい、ではなくて、どだれ、と読むそうだ。
・イチゴのドナーはこの時期、どんどん切除する。イチゴの人口受粉は無理で、市民農園にはミツバチが沢山いるから大丈夫だろう、とのこと。
・3月に植え付けておいたジャガイモは盛んに発芽して成長中だが、テントウムシも早期発生しており、とにかく手でつぶすことを続ける必要がある。
・今年はほうれん草、からし菜はそれなりに成功した。秋に撒いておいて春に収穫することの楽しみが分かってきた。
・グラスジェムコーンは今年もやるぞ。主戦場はクラインガルテン。ばらまきで苗を作っている。いずれ、移植してコーン畑をつくる。
・秋植えの玉ねぎも割とうまく成長をつづけている。隣のおじさんからもらった長ねぎも割りと順調。
・これからは、ナスとキュウリをどうするか、が問題となってくる。連休明けには、やはり苗を求めて数株づつ植え付けてみよう。
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5. 無(NO-THINGNESS)
仏陀は、ほんとうに潜在能力の高い言葉のひとつを選んだ——シュニヤータ。英語、それに相当する英語"ナッシングネス nothingness "は、それほど美しい言葉ではない。私がそれを"ノー・シングネス no-thingness "としたいのは、そのためだ——。
というのも、無というナッシングは、ただのナッシングではないからだ。それはすべてだ。
あらゆる可能性で脈打っている。それは潜在能力、絶対的な潜在能力だ。それはまだ顕現していない。だが、すべてを含んでいる。初めに自然があり、終わりに自然がある。
だとしたら、なぜ、その真ん中でそんなに大騒ぎするのかね? なぜ、その中間で、そんなに心配し、そんなに気をもみ、そんなに野心を抱くのかね? なぜ、それほどの絶望をつくりだすのかね?
無から無へ、それが旅のすべてだ。Osho Take it Easy, Volume 1 Chapter 5
解説:
「隙間のなかに」在ると、方向を見失い、怖くなることすらあります。しがみつくものはなにひとつなく、方向感覚もなく、この先にどのような選択と可能性が待ち受けているのか、そのヒントすらつかめません。
しかし、宇宙が創造される以前から存在していたのは、まさに純粋な潜在能力という、この状態だったのです。
今あなたにできることは、この無のなかへとリラックスしていくことだけです……言葉と言葉のあいだにある、この沈黙のなかへと落ちること……出ていく息と入ってくる息の中間にある、この隙間を見守ることです。
そして、その体験の空っぽの瞬間を、ひとつひとつ大切にしましょう。神聖ななにかが、まさに生まれようとしています。Copyright © 2011 Osho International Foundation
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「パソコン最強購入ガイド 2018」<5>
(100%ムックシリーズ)2018/03 出版社: 晋遊舎 ムック 97ページ
★★★★☆
1)なにはともあれ、書を捨てて、街に出る。家電店でも覗いてみようではないか。とすると、あった。こんなカタログ。
2)なるほど、この手を奴を2in1(ツーインワン)と言うんだ。ノートとタブレットが一つになっているという意味であろう。それにだね、ましてや、お目当てのバイオにも、このタイプがあるではないか。なんだぁ、すぐに答えたが出てしまったのかぁ・・・?
3)だけど、ちょっとまてよ、これって、ソニーVAIOになっている。ん? おかしいな。ソニーとVAIOは、もうすでに分離しているはずだ。あれれ・・・。
4)なんと、このパンフレットは、2013年の秋冬用パンフレットだった。なんだよ、もう、5年前のパンフレットを今だに店頭に並べている家電店なんて、もう、私は信用しないぞ。
5)と、ここでまた、冷静に。せっかくここに紹介されている4種類の2in1機の、その後の評価などを調べてみる価値はあるかも。
①ソニーVAIO Fit 13A/14A/15A(フリップ・タイプ)
⓶東芝 dynabook V'13 (デタッチ・タイプ)
③Levono Yoga シリーズ (反転タイプ)
④Panasonicレッツノート AX3(反転タイプ)
6)タイプなんてのもある。私のイメージは、つまり反転タイプ、と表現されているらしい(すくなくとも5年前には)。
6)ところで、この段階で、PC情報調べなんて久しぶりだった私は、いろいろ商品名を間違ってメモしてしまっていたらしい。シンクパットを、ダイナブックなんて表現していた。恥ずかしい。あとでそっと修正しておこう。
7)なにはともあれ、情報をリニューアルする必要を痛感。実は、このPC紹介雑誌を、立ち読みで済まそうとしていたのだが、とにかく入手して、熟読が必要だなぁ、考え直した。
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「パソコン最強購入ガイド 2018」<4>
(100%ムックシリーズ)2018/03 出版社: 晋遊舎 ムック 97ページ
★★★★☆
1)さぁ、いよいよポップアップしてくる広告がPC中心になってきた。各社の宣伝力の腕の見せどころであろうが、まぁ、付き合って、挑発してみるのも面白い。
2)VAIOは、当ブログ一押しのブランドではあるが、はて、売りはどこにあるのだろう。
3)モバイル環境を想定している限り、落下や衝突、異常振動も想定しておく必要がある。実際、手元から落ちてしまったり、ぶつけてしまったり、あるいは漏水なども、すでに体験済みである。その時のパニック状態は忘れるに忘れることはできない。
4)このS13の欠点は、電源コードの付け根が弱い。それと、画面を開けた時に、その足がテーブルを傷つけてしまう可能性があることだ。
5)可動性、ヨガとか360に比すれば、機能が欠如しているようにも思えるが、VAIOは重要な候補の一角ではある。できればこのリストから選び出したいのだが、最終的な総合評価まで待たなければならない。
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